まずはとある少女の物語
「ユキちゃーん、出てくれるかしらぁ?」
「はーい」
今日はとても晴れていて、良いことがあるかもなぁなんて思いながらノックされた玄関のドアを開けた。
一つ、言っておこうと思う。
わたしの勘はとんでもなく残念だと。
「どうして」
左右で違う色をした瞳をした青年が、わたしの首を絞めながら泣いている。
わたしを殺すつもりはないのか、意識が飛び掛ける度に、その手はゆるめられる。
押し倒されて馬乗りにされながら首を絞められるなんて初体験でどうしたらいいのかわからないままでいるのが気に食わないのか、青年はゆるめていた手に再び力を籠め始めた。
「ユキちゃん!」
あー、わたしを拾ってくれたお姉さんがびっくりしてる。
そりゃ、そうだよね。
善意で拾った娘がいきなり訪ねてきた美青年に押し倒されて首絞められてるんだもん。
──なんて悠長に考えている間に息が出来なくなって、目の端から涙が溢れる。
同時に、ぽたりと顔の上に雫が降ってきた。
涙じゃない。どうやら唇を噛み締めすぎて、血が滴り落ちてきたみたいだった。
「……貴女はっ! 何時になったら私を頼る? 私が本当に見たいのは苦しむ貴女じゃない。違う世界に連れてくれば私のモノになると思っていたのに」
確かに、この世界の人間じゃない。
山田由紀、十九歳、コンプレックスは背が低くて童顔で、いまだに中学生に間違えられること。
ある日目が覚めたら森の中にいて……途方に暮れてたら、親切なお姉さんに拾われた。
そんな人間だ。
「あんた、何時までアタシのユキちゃんの首絞めてるのよぉおおお!」
「がふっ」
不意に青年が、真横に吹き飛んだ。
ゲホゴホと咳き込みながら起き上がると、お姉さんが涙目でわたしを抱き締めた。
視界の端に転がる血の付着した鉄パイプ……鉄パイプ?
「お、お姉さん……?」
なんか、お姉さんの身体が妙にゴツゴツしてるんだけど。
きっと気のせい。そうに決まってる。
「もうっ! ユキちゃんがアタシに助けてって涙目で懇願してくれるのを待ってたのに! 悶え苦しむユキちゃんも可愛いからぁ」
「……え?」
「……苦しむユキちゃんを見てたらついつい下半身がお姉さんからお兄さんになっちゃったわ……」
「はっ?」
なんか、聞き逃しちゃいけない台詞を聞いた気がする。
逃げ出したくて手足をじたばたさせたのに、お姉さん……はニッコリ微笑みながら更にキツく抱き締めてくる。
「く……っ主<あるじ>を離せっこの変態野郎」
青年が、フラフラとしながら立ち上がった。
お姉さん……に向かって暴言を……変態野郎……野郎?
「野、郎?」
「いやぁん。殴り足りなかったのかしらぁ」
「主が私を頼らないのは貴様のような女装野郎のせいだったのか──殺す殺す殺す殺す殺す」
「アンタに殺されるほどアタシは弱くないわよ。これでも帝国の──……とにかく、ユキちゃんにアンタは必要ないの。いらないの。邪魔なの。ユキちゃんはアタシとイチャイチャラブラブしながらここで暮らすんだから」
帝国の?
というか、あるじ?
わけのわからない言い争いが頭上で繰り広げられている。
わかることがあるとすれば、わたしに関する話であり、お姉さんの本性はお姉さんじゃなくてお兄さんだということだ。
あ、あれー……わたし、お姉さんと一緒にお風呂に入ったよ?
「ハッ、イチャイチャラブラブ? 男としての貴様は認められてないだろう」
「じっくりゆっくりオトすつもりだったのに、アンタが邪魔したんじゃない。アタシと一緒にお風呂に入ってくれなくなったらどうしてくれんのよ」
ナイスバティーだったのに。
あの身体は何だったの!?もしかして、両性類?なのだろうか。
じっくり裸体を観察したわけじゃないし。
「主、私と一緒に死のう。平気だ、今度は苦しくないようにする」
「嫌だよ!」
死にたくないし。
首を左右に振ると、残念そうな表情をされた。
「ユキちゃん、アタシと天国にイきましょう。アタシのテクニックは帝国一だからハジメテでも大丈夫よ」
何だか響きが卑猥。
ハァハァと息が荒いから、きっと気のせいじゃない。
「遠慮しますぅぅうわぁああん!」
お姉さんのフリをしたお兄さんを渾身の力で突き飛ばして、初対面でいきなり人の首を絞めてきた青年を押し退けて、わたしは自由な世界へと飛び出した。
残念ながら異世界の地理はわからない。
だから家を出ると知らない道を、走って走って走った。
「きゃっ!」
「うわっ! なんだ、君は……」
何処かの路地を曲がると、男の人にぶつかりそうになった。
ぶつかるよりも早くその人に抱き上げられる。
両足が地面についていない。
「す、すみません……」
「謝るということは自分が悪いと自覚しているんだろう? ならば償いをしてもらおうか」
顔を上げると、視線だけで何人か殺してそうな顔をした人がそこにはいた。
抵抗する気には到底なれない。
アイスブルーの瞳が、冷たくわたしを見据える。
いきなり飛び出したわたしが悪いから何も言えない。
「つ、償い……?」
「く……なんという破壊力……う、上目遣いはやめろ!」
「え、す、すみません?」
顔を、首まで真っ赤にしてわたしから視線を逸らす極悪人面の……アイスブルーの瞳をした男の人。
「……もういい。家は何処だ? 少女が歩くにはこの路地は危ない。後日死体で見つかりでもしたら俺の気分が悪くなる。さっさと家の場所を言え」
「ぷっ……あ、ごめんなさい!」
だって、極悪人面で『“家”の場所を“言え”』なんてダジャレみたいなこと言うからおかしくて仕方がない。
「何がおかしい」
「別に、何でもないです!」
「はぁ、それで家は何処なんだ?」
「家は……、ない、です」
男の人の眉間にシワが寄る。
ゆっくりと地面に降ろされた……後も何故か手を掴まれたまま。
頭二つ分も背が低いから、下手したら親子もしくは誘拐されてるみたいに見られそうだなぁ、なんてのんきに考えていたらグイッと顎を上に向けられた。
い、痛い。グキッて音がした。
「おい、首にある指の痕はどうした。……虐待か……それで家はないなどと……ちっ」
何やらぶつぶつと小さな声で呟いたかと思うと、殺人ビームを出しそうな目でわたしを見つめた。
「家がないのなら仕方がない。俺の家に連れていくが、文句はないな?」
そして、いきなりわたしを荷物のように担いだ。
お腹が圧迫される。
「うえっ」
「静かにしていろ。まるで俺が誘拐犯のように見えるだろう!?」
異世界では、見知らぬ人間を家に招き入れることは日常茶飯事なのか。
わたしがここで抵抗したところで、油断も余所見も言い争いもしていない彼を押し退けて逃げることはきっと出来ない。
つまり何が言いたいかというと。
「……殺すときは、一瞬で痛くないように……それだけはお願いします」
人間、諦めが大事。
わたしを担いでいた彼が、妙な勘違いと変な庇護欲を抱いたことにわたしは気付かなかった。
ついでに言えば、お姉さんのフリをしたお兄さんと初対面で人の首を絞めてきた美青年が全力でわたしを捜しているなんて、知るはずもなかった。