白銀と暗影
久々の更新です。読んで下されば嬉しいです。
「…………」
何時にも増して口数が少ないヴェルマを横目で見ながら、ヒタキは低いところにある赤い頭に手を伸す。
「ヒタキ」
が、しかし、ヴェルマの鋭い眼光に威圧され、中途半端な位置でその手を止めた。
疲れている頑張り屋さんな彼女を労おうとしただけなのに、とヒタキは割と本気で落ち込んだ。
既に日が沈んでいる迷宮都市を西に向かって進む二人の背には、一晩かけて収穫した麦を詰め込んだ袋が背負われている。迷宮の中で半日以上走り回っていた二人の顔には、疲れの色が濃く浮かんでいた。
「それにしても、凄まじい体力だな。加護を受けている私でも、かなりきつかったというのに。私もそれなりに鍛えていたつもりだったのだが」
「まあ、ここに来てからずっとあんな感じだったから、体力だけはついたんだと思う」
迷宮は深く潜れば深く潜るほど、広くなって行く構造だ。ヒタキはそこを毎日ひたすら走り回っていたのだから、レベルが上がっていなくとも鍛えられてはいた。
「そのうちヴェルさんも慣れるだろ」
「慣れるまで続けるつもりはないがな」
「あ、そうか」
既に深夜を過ぎた時刻。例え夜が最も騒がしくなる歓楽区と言えど、人通りはあまり多くなかった。酒場帰りらしき幾人かと偶にすれ違いながら、二人はゆっくりと会話を交わしながら憩い亭への道を進む。
「ヒタキ、明日はどうするつもりだ。また夜から探索に行くのか?」
「うん、今日はそのために手伝ってもらったんだし。店長の手伝いもいいけど、早く下に行かないと」
「……店長に聞いたのだがな、毎日迷宮に潜る人間はそうはいないそうだ。敵が強く、そして一階一階が広くなる五十階以上では特に」
「へえ、そうなんだ」
少しだけ低くなったヴェルマの声に、ヒタキは目を瞬かせながとりあえず相槌を打つ。そんなヒタキに僅かに苦笑を浮かべながら、ヴェルマは続けた。
「転移符、だったか? あれにしてもそうだが、一枚しかない物を、お前は何の躊躇いもなく私に渡す」
「え? だって俺がヴェルさんに手伝ってって頼んだんだから、当然だろ」
「当然ではない。普通の思考が出来るならば、他人に一本しかない命綱を渡してまで効率を求めはしない。勿論、毎日毎日自ら進んで死にに行くような真似もしない」
「…………」
やっと、理解できた。
ヒタキは少しだけ困って、無言のまま無意味に黒い髪を掻いた。
今までは確かに在った一線。互いに深くは干渉しないという暗黙の了解。
ヴェルマは敢えて、一歩を踏み込んで来たのだ。一歩を踏み込んでまで、忠告しようとしているのだ。
「出過ぎた真似だ。それどころか、不必要な行為だ。しかし、私はお前に死んでほしくない。だから、一つだけ言わせてもらうぞ」
「……うん」
「ヒタキ、お前には夢があるのだろう? だったら、もう少し命を大事にしろ。今日お前の戦い方を見て、そう思わずにはいられなかった」
ヴェルマの嘘偽りのない、本音の言葉。それ以上でもそれ以下でもない、思うがままの心からの言葉。
「……ヴェルさん」
――――しかしヒタキはその言葉に答えることなく、ヴェルマの手を取り強引に引き寄せた。
「ヒタ――」
「静かに」
開かれた口を片手で塞ぎ、ヒタキはそのままヴェルマの小さな体を抱えるようにして、建物と建物の間に伸びる細い路地に素早く入り込む。何事かともがくヴェルマを後ろから抱きしめたまま、ヒタキは耳元に囁く。
「面倒ごとっぽい。このままやり過ごそう」
ヒタキの声と同時に、先ほどまでいた通りから金属同士がぶつかり合うけたたましい音が鳴り響いた。
「それで?」
抵抗をやめて大人しくなったヴェルマは、同意の代わりに状況を説明しろと透き通るような翠の瞳で訴える。ヒタキは静かに虚空を見つめ、音源である通りの気配を探った。
「四人、だな。二人が何か喧嘩してるみたいで、って……」
「どうした?」
途中で止められた言葉に眉根を寄せ、ヴェルマが問いかけたその瞬間、
「無駄だ。俺の目には、貴様の剣など止まって見える」
「…………」
無駄に芝居がかった知っているような知っていないような微妙な背伸びをした声に、二人は揃って閉口した。
それから盛大な舌打ちと罵詈雑言が響き渡り、ヒタキとヴェルマが隠れる路地へと足音が近づいてくる。そして金属製の軽鎧を身に着けた見知らぬ男が、抜き身の剣を手にしたまま逃げるようにして目の前を通り過ぎていった。
「…………」
「で、どうしようか」
「やり過ごすのだろう?」
無言で男が走り去った後の通りを見つめていたヴェルマは、面倒だと言わんばかりのヒタキの声に振り返ってきょとんと首を傾げる。
何故か小さな赤い頭を撫でてしまいそうになり、ヒタキも不思議な思いで一杯のまま首を傾げて続けた。
「メリルがいるんだ」
「メリル?」
「うん、メリル」
コクリと頷くヒタキに、ヴェルマは納得が行かない様子で眉を寄せる。数日前に薬草店で知り合ったばかりの魔術師の少女の名前が、今ここで出てくるとは思ってもいなかったのだろう。
「リョウ、だったか? 何故メリルがあの子どもと……いや、そんなことよりメリルは無事か?」
「争ってはない、と思う。怪我も、してたって大したことはない……っていうかヴェルさん、何か俺のこと試してないか? 言っとくけど、そんな細かいとこまでは分かんないぞ」
「個人を特定出来るのならば、と思ってな。それより、行くぞ」
「え、行くのか……」
面倒くさい。素直にそう思ったヒタキに、ヴェルマは溜め息を吐きながら通りに視線を戻した。
「私だって進んであの失礼極まりない子どもと関わりたくはない。だがな、その分メリルが心配だ。まあ、別にお前は来なくてもいいがな、メリルの様子を見てくるだけなのだから」
「そっか。じゃあ、俺は隠れとくから」
ヒタキは迷うことなく行ってらっしゃいと手を振った。
「……ああ、行ってくる」
小さく頷いて路地から出たヴェルマの目は、心なしか冷たかった。
何でだろうと若干落ち込みながら、ヴェルマの背を見送ったヒタキは静かに真上に跳躍する。
杞憂だよな、ほんと……。
普段なら絶対にやらないようなことをしている自分に疑問を持ちながらも、ヒタキは迷うことなく正面の壁を片足で蹴り更に上に飛び、反対側の建物の窓枠に指をかける。そのまま一気に体を持ち上げ、窓枠を足場に三度跳躍、そして二階建ての建物の屋上に降り立った。
「毒されてんのかな、俺」
頭をボリボリと気怠げに掻きながら、眼下のヴェルマを見やる。堂々と歩む尊大で冷静沈着な彼女は、基本的にお人好しなのだ。
溜め息を吐きながらも苦笑して、ヒタキは移動を開始する。建物の上から上へと飛び移りながら腰に巻いているローブを身に纏い、そして息を殺した。
* * *
夜の闇に浮かぶ三つの人影。迷宮都市を照らす道端の魔石灯の光は、近づくにつれて三人のシルエットを鮮明にして行く。
自らの気配を隠すことなく、真っ直ぐその人影に向かって歩むヴェルマ。靴が石畳を踏みしめる度に生じる音は彼女の小柄な体故に小さいが、しかし静謐な深夜の通りに溶けて消えることはなかった。
「……?」
ヴェルマの存在に最も早く気付いたのは、三つある人影の内で唯一見知らないものだった。
長身のその人物がヴェルマの方を振り向くと、揺れる金色の長い髪が街灯の明かりを受け夜の闇の中で艶やかに光る。一瞬その高い身長故に男かと思ったが、大引く開いた服の胸元には揺れる程の膨らみがあり、膝丈のスカートからすらりと伸びる足は細い。その人物は十代半ばの成長期にある少年少女と並べば、頭一つ分は高い長身の女性だった。
「あれ? ヴェルマちゃ、ヴェルマさんじゃないですか。奇遇ですね、こんな時間に。今からお帰りですか?」
長身の女性の視線を追ってヴェルマに気付いたメリルが、ぺこりと礼儀正しく頭を下げて「こんばんはと」挨拶をしてきた。軽く頷き挨拶を返し、ヴェルマは小さく首を傾げて無言のまま瞳でメリルに尋ねた。
「あ、えと、紹介しますね。というか、是非紹介したい方がいるんです! あ、でも、そう言えばヒタキさんはご一緒じゃないんですか? ヒタキにも是非知っておいてもらいたかったんですけど……」
「ん? ヒタキは、今は一緒ではない。伝えたいことがあるなら、私から伝えておこう」
青い後ろ髪を嬉しそうに揺らしながらきょろきょろとヒタキの姿を探すメリル。予想外の彼女の反応に少し驚きながらも、ヴェルマは続きを促した。
「あ、そうなんですか。それじゃあ、ヴェルマさんに紹介しますね。こちらの男性は、私をパーティーに入れて下さったリョウ・アカツキさんです。知っているかもしれないですけど、リョウさんは今迷宮都市を騒がしている期待の新星なんですよ! それに『白銀の神子』なんていう二つ名までお持ちの、凄い方なんです! あ、それで――」
「――大丈夫よ、メリルちゃん。私は自分で自己紹介するわ」
何処かで聞いたことがあるような説明を、まるで自分のことのように自慢気に嬉しそうに目を輝かせながらしていたメリルの顔が不意に曇ったその時、長身の女性がおっとりとした口調でゆっくりと言葉を挟んだ。
目尻が下がった青色の瞳の女性の顔立ちは整っており、その垂れた目の印象が強い美貌はとても柔らかく暖かい。
「はじめまして、ヴェルマさん。私はミリア・フロマージュです、今後とも末永く……あら? 何か違うような気がするけれど、いいのかしら? よくわからないけれど、よろしくお願いしますね。こちらのお二人には、ちょっと喧嘩してしまった恋人に差し向けられた方に、剣で切られそうになっていた所を助けていただいたの。まったくもう、あの人ったら乱暴なんだから。ねえ?」
おっとりとゆっくりと衝撃の自己紹介をして来た、ミリアと名乗った女性。あまり知りたくない類の身の上話を、何故か柔らかく上品に微笑みながら語られたヴェルマは、とりあえず全部無視して挨拶を返そうとして、
「ああ、こち――」
「あら、そう言えば私、七時間くらい前にお友達と夕食を一緒に食べようって約束していたような……。まあ、どうしましょう。困ったわね」
全然困ったように見えない彼女が、全く人の話を聞いていないことに気付いた。
「リョウ君、メリルちゃん、ごめんなさいね。今日はもう遅いし、お礼はまた今度するわ。それじゃあ、またね」
ミリアは色々と自己完結して、別れの言葉を述べる。そして相も変わらず派手な黄金鎧を纏った銀髪の少年に近づき、その額にそっと口付けを落とした。
「ありがとう、守ってくれて。格好良かったわ」
最早展開に着いて行く気もないヴェルマは、冷めた瞳で僅かに頬を赤らめて去っていったミリアを見送る。
これで漸く邪魔者がいなくなった。ヴェルマはそう内心で溜め息を吐き、満足げな視線をミリアの背に送るリョウ・アカツキと、何故か不満げに頬を膨らませている自称知的でクールな未来の偉大な魔術師を交互に見据える。
既にこの時点で、目的はほぼ達成されていた。そもそもヴェルマは、胡散臭い少年とメリルが共にいる理由を確かめに来ただけだ。メリルが自らの意志で少年のパーティーに入っているのならば、それはもう他人が口を出すことではない。
故にもう、これ以上詮索する必要はない。だと言うのに、ヴェルマはもう一歩だけ踏み込もうとしている。死に場所を探してこの地に迷い込んだ自分が、他人の心配とは本当に失笑ものだ。
――――確実にあのお人好しの影響だろうな……。
小さく溜め息を吐いて、ヴェルマは未だにふてくされているメリルに問い掛ける。
「薬草店の店主に紹介されたのか?」
「え? いえ、違いますよ。リョウさんが声を掛けて下さったんです、迷宮に潜ろうとしていた私に。お陰様で無事に初の探索を終えられたんですよ」
「ふむ、そうか。それは良かったな」
希望とは違う返答への落胆を微笑の裏に隠し、ヴェルマはこの場は去ろうと足を動かしかけるが、
「君は、あの時の子か……。驚いたな、メリルの友人だったのか」
リョウ・アカツキの妙に気取った言葉に、正確には『子ども』といったようなニュアンスの単語に、ぴたりと足を止めた。
「それに、レベルもかなり上がっている。ふ、頑張っているようだな」
板についていない淡い笑みを浮かべたアカツキの手が、ヴェルマの赤い髪を撫でようと持ち上げられるが、しかし彼女はそれを片手で払った。
「あまり馴れ馴れしくされるのは好きではない」
「……?」
途中で打ち払われた手を見て、アカツキは年頃の少年らしく動揺を露わにした。そして数瞬だけその赤と黒の左右異色の瞳を揺らした後、納得したように何事か呟く。
聞き取れなかった耳慣れない単語に眉根を寄せたヴェルマは、しかし次の瞬間以前にも体験した、否、以前の何倍もの不快感を再び感じた。
胸が――正確には、この都市に来てから胸に刻まれた、天秤を模した神の印が不快に疼く。
ぞくりと、嫌な汗が背中を伝い落ちる。
「貴様、何を…………」
謎の感覚に戸惑うヴェルマを見つめるリョウ・アカツキの黒かった片目が、何時の間にか赤く染まっていることを認識したその瞬間、目の前が真っ暗になった。
* * *
「ヒタキ、か……?」
背後から聞こえる、背中に庇った幼い容姿をしたヴェルマの戸惑い気味だがしっかりした声に安堵しつつ、ヒタキは目の前の少年を細めた目で睥睨する。
すぐ隣の建物から飛び降りると同時に、ヴェルマの腰から抜き放った細身の剣。その剣の腹で少年の赤い両眼を隠した体勢のまま、ヒタキは取れてしまったフードを直しもせずに詰問する。
「あんた――今、何するつもりだった?」
「な、何だよ、お前……」
「今聞いてるのは、俺だ。まあ、何するつもりかなんてこの際どうでもいい。だけど、これ以上ヴェルさんに変な真似はするなよ」
動揺からか、瞳に宿っていた不穏な魔力は霧散する。それを確かめたヒタキは手首で剣を返し、リョウ・アカツキの首筋に刃を軽く押し当てた。
――――これ以上妙な真似をするつもりなら、その首を落とすという意志を込めて。
少年がゴクリと生唾を呑み込む様を一瞥し、ヒタキは剣を引いてヴェルマの腰の鞘に納めた。
「じゃあヴェルさん、帰ろっか」
「……ああ、そうだな」
そして後ろのヴェルマに声をかけ、二人で並んで憩い亭へと再び歩き始める。メリルに軽く会釈をし、硬直している派手な少年の横を一瞥すらせずに通り抜けて。
「あ、勝手に剣使ってごめん。俺、何も持ってなかったから」
眉根を寄せて難しい顔をしていたヴェルマにごめんと小さく頭を下げれば、彼女は頬を緩め背伸びをしながらヒタキの黒い頭を優しくくしゃくしゃと撫でて来た。
「なに、謝る必要はないさ。元よりこの剣はお前がくれた物だろう?」
「ん、そっか。ていうかおねえさん、何か照れるんだが」
「お前が何時も私にやろうとしていることだ。これに懲りたらもう止めることだな」
「……やったら、やり返してくれんのか。うん、考えとく、後ろ向きに」
「なっ、何故そうなる!?」
無理して精一杯背伸びをする可愛い彼女の、小さくて綺麗な暖かい手の感触が気持ち良くて、今度も是非やって欲しいと思っていたら、何故かヴェルマが驚愕に目を見開いていた。
不自然な思いで首を傾げるヒタキは、ふと話が脱線していたことに気付き口を開こうとして、
「そこのローブの男、止まれ」
「え、俺?」
背後からかけられたら声に緩慢な動作で振り向けば、やれやれと肩を竦めて見せるリョウ・アカツキの姿があった。
「さっきは少し驚いたぞ。ふ、まさかお前のような人間が存在しているとはな」
俺もまだまだ甘いということか、と自嘲するリョウ・アカツキ。彼の顔に浮かぶその嘲りの表情は、今までに無いほど自然なものだった。
しかしその嘲りは、言葉通りに自分に向けられたものではない。明らかにその歪んだ暗い光を宿した瞳は、ヒタキへと向けられていた。
「俺のこの神眼に、隠れていたお前が映らないわけだ。知っているかもしれないが俺の目は特別でな、大気を漂う魔力の流動も、物質に宿る魔力の量さえも視認できる」
饒舌に語るリョウ・アカツキ。まるで舞台の上の役者の如く振る舞う彼は、観客に向かって朗々と語る。
先ほどからの喧騒に、何事かと建物から顔を覗かせていた者達。深夜の大通りでの不穏な空気に足を止め、ヒタキ達を遠巻きに見ていた者達。
そして、メリルとヴェルマ。
「だからこの世界の全ての生物は、少なからず魔力を持っているものだと思い込んでいた」
数は多くないが、それでも確かに存在する観客に――――彼は語る。
「それがまさか――魔力を全く持たない人間がいるとはな」
哀れむように、同情するように、リョウ・アカツキはその瞳の奥に嘲笑を隠して、ヒタキに言った。
「神の加護でさえも、その身体では受け入れることは難しいようだが……いや、何か困ったことがあれば、俺を頼ってくれ。メリルの友人なら、俺は協力を惜しまない」
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――――迷宮都市の夜はこうして終わりを迎え、そしてまた朝が訪れる。
太陽が空高く昇る頃には、迷宮都市に一つの噂が広がっていた。
博愛の神々にも、そして世界にも愛されなかった男の噂が。
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感想、批評等お待ちしております。よろしくお願いします。