そこに至った理由と原因
「店長、オススメランチ。今日はちゃんと金あるから」
「家賃は」
「うん、ない」
珍しく二日連続で遅めの昼食を取ろうとしているヒタキを、店主は冷め切った目で見て舌打ちした。
金を払わない奴は客じゃないと言っている店主の隻眼から、ヒタキはふいと視線を反らす。
「そんな金持ってないって、知ってるくせに」
「開き直るなクズ。何時もは夕方まで寝てるだろうが。金が入った途端に使いやがって」
「だって、目が覚めたんだよ。昨日はおねえさんの付き添いだったし、日が明ける前には寝たから」
面倒くさいと思いながらも、早く寝たため朝食を逃しているヒタキは、何時ものように部屋に帰らずに粘る。昼食まで逃すわけにはいかないのだ。
「あの子にいくら恵んでもらった、ヒモ」
「ヴェルさん、二十五だって」
「どっちにしろガキで、お前はヒモだ」
的確な指摘をする、三十路終わりかけの店主だった。
ヒタキは水の入ったグラスをじっと見つめながら、「ちゃんとした報酬なのにな」とどうでも良さそうに呟いて、店主に答える。
「千デルももらえた。あの人、最初はもっと金出そうとしてたんだよ。金持ちなのかな」
「お前が貧乏なだけだ。教会主催の講習の講師だって、やる奴はほとんどボランティア感覚だが、もっとまともな金をもらってるぞ」
現に千デルでは憩い亭で三食は食べれない。
しかしヒタキにとっては、そんなことは大して関係なかった。
「俺は知ってること話しただけだから、千デルだってもらいすぎだと思うけどな。一緒に潜ったのだからとか言って、売上金の半分も報酬とは別にくれるって言ってたし」
「……饒舌だな、昨日からだが。本気で気に入ってるのか?」
呆れたような疲れたような溜め息を吐く店主は、手早く盛り付けたサラダとシチュー、パンをカウンターに置いた。
短絡的な考えなら持つな、とそう語る店主の瞳。
だから客が入るんだろうなぁ、とヒタキは呑気にそんなことを思いながらパンをかじる。
「何て言うかな……あの人、真っ直ぐだ。俺と違って。店長が思ってる通り、たぶんあの人、面倒事の塊だ。だけど、いい人だから、ちょっとだけ見てたんだよ」
「面倒事の塊とは、また随分な言い様だな」
「あ、ヴェルさん。おはよう」
古くなってきた階段を軋ませながら、二階からヴェルマが降りてくる。眠たげな瞳を擦りながら、カウンターの端、ヒタキの隣に腰掛けた。
「おはよう、二人とも。で、何か言いたいことがあるのか?」
「え? 俺はないけど」
「…………」
パンをかじりながら本気で首を傾げるヒタキに溜め息を吐きつつ、ヴェルマはそのまま店主を見る。問われたのならば答えると、無言のままその意思を伝えるヴェルマから、店主は洗い始めた皿に視線を落とした。
「望んでこの都市に入る奴はただの馬鹿か、どうしようもない事情持ち。ただそれだけのことだ」
英雄になることを夢見て、多くの愚者が迷宮都市を訪れる。また、この迷宮都市に存在するアイテムや、神々の加護に縋ろうとして、門を潜る者も珍しくない。
例えば不治の病を患った妻のために、僅かな希望に縋って共に迷宮都市に挑んだ男がいる。そんな男が、何人もいる。
目的を達成できた者より、そうでない者の方が圧倒的に多い。生き残っている者より、死んでいった者の方が遥かに多い。
「何かを成すために命を懸けてる奴らは、たいていは早死にする。ここで長く生きている奴らの大半は、自分の命のためだけに必死になる。死にたくないなら他人の事情に首を突っ込むな――それが、この都市が長年をかけて出した結論だ」
「なるほどな。店が繁盛するわけだ、味の割に」
「いや、ヴェルさん、この普通の味がいいんだって。飽きないし、不味くはないし、高くもないし」
迷宮都市での生き方を淡々と語った店主と、微笑ましそうに客思いの店主とその客を交互に見て皮肉を発するヴェルマ。そんな二人の会話の内容には全く興味を示さずに、ヒタキは呑気にやっぱり普通の味だとシチューをもぐもぐやっていた。
「……悪かったな、お嬢ちゃん。このクズなんぞに忠告した俺が間違えていた」
「なに、心配せずともヒタキを困らせるようなことはしない。私は私でやるさ。ヒタキとパーティーというものを作れば当然探索は楽になるが、私とヒタキでは目的が違うだろうからな」
それよりも昼食を頼むと言って、ヴェルマは小さく欠伸をした。それからふと思い出したように、寝癖のついた赤い髪を片手で撫でながら、彼女は隣のヒタキの顔を横目で見た。
「ヒタキ、潜る前に時間は取れるか?」
「ん、いいけど、何で?」
「街を少し案内してもらいたい。昨日の収穫品を売ろうにも、買い物をしようにも、私はいい店を知らないからな。昨日の売上金はその時に渡す。もちろん礼もするが――――どうだ?」
答えが分かりきった問いかけを楽しそうにするヴェルマに、ヒタキは少しだけ面白くないと思いながらも、特に渋ることもなく首を縦に振ったのだった。
* * *
迷宮都市は迷宮への入り口がある教会を中心に広がる、円形の都市だ。都市は円を八等分するように大通りが走っており、東西南北で区画が綺麗に整理されている。
東は都市の人口の大半が暮らす居住区。西は飲食店や娯楽施設で構成される歓楽区。南は鍛冶場や小規模の畑などがある生産区。そして北が、武器屋や薬屋などの店舗や露天が立ち並ぶ商業区だ。
「――――で、商業区は一回見たことがあるだろ? 北の外壁に外からの門があるんだから」
「ああ、そこで両替したんだ。宝石や珍しい薬草より、駄目もとで試した外の情報に高値がついたのには驚いた」
「まあ、宝石も薬草も迷宮に溢れてるからな。需要も外に比べたら、低いんだろうし」
西の歓楽区にある憩い亭から北の商業区までの道を、ヒタキとヴェルマはのんびりと歩く。夕暮れ時の西日が照らす細い道は、行き交う幾人もの探索者たちで、賑やかとまではいかないが少しだけ騒がしかった。
「愛でるしかない石を求める高尚な人間は、ただの馬鹿と死にたがりが集うこの都市にはあまりいないか。異空間の迷宮都市……随分と遠くに来たものだな、私も」
外の世界から五百年にわたって隔絶された場所。独自の文化が育ち、独特の価値観が浸透している都市。――――外の世界とは、根源的に違う世界。
遠い目をして感傷に浸るヴェルマを何とはなしに横目で伺っていたヒタキは、道の両側に建つ建物の向こうに見えてきた、商業区の中央広場を指差した。
「おねえさん、着いたぞ」
「む? ああ、そうか。なら、最初は昨日の収穫を換金しよう。信用できる店の紹介、よろしく頼むぞ、ヒタキ」
「ん」
小さく首を傾げて見上げてくるヴェルマに、ヒタキはこくりと頷いてみせた。ヒタキ自身あまりこの都市に詳しいわけではないので、紹介する店は店主に教えてもらった鑑定士の店だ。無愛想な店主と気が合うだけあって偏屈な爺だが、目は確かな上にアコギな商売はしないらしい。
中央に四柱の神々の像が奉られている広場から八方向に延びる道を、二人は南東に進む。ほどなくしてすぐに目的の建物が見えてきたのだが、何故かそこには異常な人だかりができていた。
二日前にも似たような状況になっていた簡素な看板を掲げたこの建物。もしかしたら呪われているのかもしれないと、ヒタキは内心で逃げ出す準備をしながら、立ち止まってヴェルマの肩に手をかけた。
「毎日大繁盛の人気店、というわけではないらしいな」
「うん。鑑定士の爺さん、腕はいいんだけど、性格が悪いから」
「職人気質、ということか?」
訝しげに店の周りの群集を見やるヴェルマに、ヒタキはぼそりと呟いた。
「基本的に、男の客は敵だと思ってる」
「なるほど、店内で被害者が出たのか」
次の店に行こうかと真顔で言って、ヒタキの手を取りヴェルマは歩き出した。店とは反対の方向に。
そんな店は願い下げだと言わんばかりのヴェルマは、しかし背後の群集から大きなどよめきが起こったことにより、足を止めた。
「ヴェルさん、気になるのか?」
「まあ、多少はな」
「ふーん……肩車しようか?」
自らの手を握る幼女に、ヒタキは善意から申し出た。正確には幼女のような小さなおねえさんだが、優しくて可愛くて綺麗ないい人に恩返しをしたいという気持ちに偽りはないので、全く問題ない。
しかしヒタキの純粋な善意がお気に召さなかったらしく、ヴェルマは先ほど繋いだ手を放して不機嫌そうに腕組みをして、細めた目で睨んできた。
「お前、完全に私のことを子ども扱いしてるだろう」
「え? 別にしてないけど……嫌だったんなら、ごめん」
「あ、う……そ、そんなに落ち込むな。良かれと思って言ってくれたのなら、何だ、その……気持ちだけなら嬉しいぞ」
恩返しをしたかったのに怒られて心なしか落ち込んだヒタキに、完全に勘違いしていたヴェルマはうろたえて弁明する。でもやっぱり肩車は嫌だったらしいので、ヒタキはちょっと残念だった。
「……まったく、賢いくせに何で所々抜けているんだ。もしもわざとやっているのなら、相当性格が悪いぞ」
「おねえさん……真っ直ぐすぎるな。抜けてるって……まあ、いいけど」
と、二人でそんな間の抜けた会話を交わしていると、店の周囲の人だかりが徐々に真っ二つに割れていった。偶然にも店先からちょうど二人が立つあたりを結ぶように出来た、数多の探索者たちによって作られた花道。
その道を堂々と歩んでくるのは、綺麗な銀髪の少年だった。赤色と黒色のオッドアイを輝かせ、その身を金色の鎧に包んでいる。まだ完全に成長しきってはいないであろう体躯には少々不釣合いな長剣を、それでも違和感を感じさせずに腰に佩いていた。
十代半ば程度であろうその少年は、道の中央に佇むヴェルマに気づいたらしく、その歩みを止めた。
そして軽く目を見開いて、微笑を浮かべた。
「レベル2か。まだここに来たばかりのようだな」
「…………」
「俺の目はちょっとだけ特殊でね。だから見ただけで、人のレベルがわかるんだ。俺の名前はリョウ・アカツキ――――いや、今は白銀の神子の名前の方が有名か。初心者が一人で迷宮に挑むのは、何かと大変だろう。困ったことがあったら、何時でも相談にのる。縁があれば、また合おう」
そしてリョウ・アカツキと名乗った少年は、固まっているヴェルマの頭を撫でて、淡く微笑んで去っていった。
しばらくしてざわついていた観衆も去り、商業区の一画が普段通りの風景へと戻った頃に、ようやくヴェルマの時は動き出した。
「おい、ヒタキ」
「…………」
「お前、私を置いて逃げたな」
「…………」
「隠れていないで出て来い。三秒以内に出てきたら、八つ当たりはしない」
淡々と押し殺した声を、前方を向いたまま発するヴェルマ。そして秒読みが開始された瞬間に、息を殺して建物と建物の隙間に隠れていたヒタキは姿を現した。
全身を覆い隠す灰色のローブを脱いで、二つ折りにして腰に巻き直すヒタキを、ヴェルマが冷ややかに睨みつける。
「説明できたら、私を見捨てたことは不問にする。何だったんだ、今の一方的で派手で意味不明な気取った子供は。初対面で頭を撫でてくるなど、馴れ馴れしいにもほどがあるぞ」
淡い微笑みがあまり似あっていなかった初対面の背伸びをしすぎた子供に、一方的に子供扱いされたことがどうやらきつかったらしく、ヴェルマはとてつもなく辟易していた。ついでにさっさと逃げ出していたヒタキには、お怒りのようだった。
「期待の新星の一人らしい。五十日ちょっと前の神秘に巻き込まれて、強制的にこの都市に送り込まれた五十人のうちの一人だってさっき聞いた。門の外からじゃなくて別の世界から来た、『神眼』と『魔術無効化』っていう特殊スキルってのを貰ってる人で、さっきの騒ぎの原因。たった五十日で四十階の門番を倒して、そのモンスターからの収穫品が本物だって鑑定されたのが、ついさっきのこと。以上、説明終了」
「私の知り合いの男は、五十日ちょっと前に来てつい先日五十階を抜けたらしいが、その男との繋がりについては?」
「俺も神秘に巻き込まれた一人だけど、特殊スキルなんて持ってない……ていうか、まだ神様からスキル自体もらってない。一匹もモンスター倒してないからな、俺。十階ごとにいる門番も、頑張って見つからないようにしてやり過ごしたし。頑張って逃げれば、何とかなるもんなんだよな、今のところ」
条件反射でつい目立たないように人ごみに紛れたヒタキは、少しだけ罪悪感を抱いていた。ちょっと理解し難い事態に遭遇して疲れているヴェルマが何となく可哀想で、置き去りにしてしまった自分にも責任があるような気がしたので正直に答えたのだが、しかしヴェルマは更に疲れたように溜め息を吐くのだった。
「『魔術無効化』だったか? さっきの子供も十分に反則な気がするが……その話を聞いてしまえば、少し印象が薄れるな」
「そうか? 派手すぎて、なかなか忘れられそうにない奴だったけど」
思わず首を傾げたヒタキに「そうだ」と短く答えて、ヴェルマはヒタキのぼんやりとしたしまりのない顔を見上げる。
「そんなことより、お前はここに望んでいるわけではないのだな。外に出たいから、迷宮に潜っているのか?」
答えたくないなら答えなくていいが、と付け加えたヴェルマにゆるりと首を横に振り、ヒタキは少しだけ嬉しそうに顔を綻ばせて答えた。
「うん。俺、外に出て行きたい所があるんだ。ヴェルさんは、何が目的でここに来たんだ? 答えたくないなら以下略だけど」
昔から夢見てきた彼の地に思いを馳せるヒタキは、軽い気持ちでヴェルマに聞いた。あの地から逃げ出せたのだから、この都市からも逃げ出せるだろうと、楽観的な思いを抱きながら。
「ないさ、そんなものは。私はただの夢絶えた落人。この地には――――死に場所を求めてやって来たのだから」
――――だから、小さな彼女から返ってきた予想外の答えに、少しだけ、少しだけ心を乱されたのだった。
* * *
――――そしてその晩、彼女と別れたヒタキは、五十一階を抜けた。逃げて、逃げて、逃げて。
*不定期更新になりますが、少なくとも一部は完結させるつもりですので、よろしければ暇な時にでも読んで下されば嬉しいです。