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逃亡人生  作者: クク
第一章 “呪われた姫君と愚かな賢者”
16/18

呪われた姫君

 迷宮都市の澄み渡るような青空の下、ヒタキは遠くに見える教会を目指して建物の屋根を駆け抜け大きく跳躍する。


 背後から迫っていた氷柱が頭上を掠めることを意識の隅で認識つつ、転がるように路地裏に着地し再度駆け出す。


 四人の騎士。異端審問官と名乗った男たちは、憩い停での言葉の通りヒタキをみすみす逃がす気など全くないようだった。


 寸分違わぬ狙いでヒタキに魔術を打ち込んだ異端審問を取り仕切るロディック・グレイスと名乗った男は、探索者としては上級に届かないまでも中級者としては十二分な実力を兼ね揃えている。


「またか!! 何だあの男はちょこまかと!!」


 四度目のクラスアップを目前に控えた、つまりレベルにして200、ランクにしてB、上級へと至る最低限の資格に迫らんとしている彼は、しかし取るに足らない、それこそ子供にもおとるようなFランクという存在であるはずのヒタキに追いつけないことに苛立ちを隠せないでいた。


 まともに相対すればヒタキはあの男たちに瞬殺されるだろう。彼らには迷宮に潜り、強者と戦い続け得た確かな実力がある。


 しかし、彼らには圧倒的に弱者との戦いにおける経験が不足していた。


 迷宮内において探索者は通常、モンスターに命を狙われる立場だ。神々の試練に挑み続けることが何よりの美徳とされる騎士団の人間は、挑んでくる敵を殺す術を心得ていても、逃げ惑う獲物を狩る術は心得ていなかった。


 目指す場所は教会である。しかしヒタキは一直線に教会に向かうことはせず、この時間帯最も人が多く集まる北区を経由する。様々な店舗と多くの人が集う商業区画は、追手を撒くには持ってこいの場所だ。


 屋根から飛び降り、露天で賑わう北区の中央広場へと続く道を駆け抜ける間に確実に四人の騎士を引き離すことに成功していた。


「でも、こんなんじゃヴェルさんに追いつけない……」


 追手を撒くために遠回りしていた間に、ヴェルマはすでに教会にたどり着いているだろう。そしてヴェルマ自身の到達階層はまだ十九階層だが、彼女は一度ヒタキとパーティを組んで六十一階層を踏破している。竜が出たという四十三階層へ挑む権利を、すでに得てしまっているのだ。


「これ以上遠回りしてたら……!?」


 この状況をどう打開するか焦りが混じり始めた意識の隅で捉えた気配に、ヒタキは舌打ち混じりにホルスターから銃を引き抜き体を反転させる。


 牽制として一発、そしてすぐに路地裏へと逃げこむ――――


「やあ、お困りのようだね」


 ――――その思考に割りこむように、鳶色の髪の眼鏡の青年が呑気にパイプから紫煙をくゆらせながらそう語りかけてきた。


「え、ラウルさん……」


 薬草専門店「森の囁き」店主ラウル・ハンザ。植木鉢を抱えた腕とは反対の手をひょこりと上げ笑うのは、その人だった。


「えっと、四人か。なら二人かなー。ここは僕に任せて君は北区の中央広場を通って、その後はまっすぐ教会に向かいなさい」


「え、なんで、っていうか……え?」


 全く状況が掴めないヒタキは唖然としながら、構えていた銃をおろしてラウルの顔をまじまじと見つめた。


「ジンさんから聞いたよ、これで。あの人、基本的に人に事情を説明するって作業を放棄してるような人だから、あまり細かいことは把握してないんだけどねぇ」


 くるりとヒタキに向けられた右手の甲では、神紋が淡く金緑色に光っていた。


「さあ、もうあまり時間はないんでしょう。早く行って来なさい」


「……あんたが、何で俺を助けてくれるんだ?」


「まあ、君たちは僕の店のお得意様だからねぇ。それに――――」


 経緯はわからない。意図もわからない。


「――――ジンさんほどじゃないけどさー、僕も君とヴェルマちゃんのことを気に入っているんだ。先輩として、このくらいの手助けはしてあげないとだめでしょー」


 それが本音なのかなんて、ヒタキにはわからない。ヴェルマも店長もこの人も、こんな自分を気に入って助けようとしてくれる人がいるなんて、容易に受け入れることなどできなかった。


 だけど――だからヒタキは、足をとめてくるりと背を向けたラウルの助言に従って、迷いなく中央広場目指して全力で地を蹴った。


「ありがとう! 今度ヴェルさんと一緒に、また携帯食買いに行くよ」


「うちは薬草専門店なんだけどねぇ……」


 ははは、と乾いた笑みを浮かべたラウルの右手の神紋から金緑の輝きが溢れだし、手に持つ鉢の植物が大きく鳴動する。


 金緑の光。豊穣の女神の力の一端。しかしそれは、小さな薬草店を営む人間が持つには、あまりにも似つかわしくない力だった。


「あ、ちょうどよかった。そこの教会騎士さんたち、ちょっとこの子、あ、この子は教会騎士団の第八席様から元気がないからって預かってた食虫植物なんだけどね、ちょっと元気になりすぎちゃったみたいで、今まさにそこらの人で食事をしようとしているみたいなんで助けて欲しいなー。ていうか相変わらず気持ち悪い趣味してるよねー、あの子」


「な、なんだこの巨大な植物は、一体どこから!? 第八席……あのお方のコレクションがなんでこのような所に!! だが、今は……だが……っ!! すまない、この場は頼んだぞ!!」


 追手は、あと二人。









*           *           *










「ようやくの到着か。まったく最近の若いもんはこれだから」


 白く長い髭を伸ばした禿頭の老人。小柄な鑑定師のその老人は、中央広場にあるベンチに腰掛け、混乱するヒタキにやれやれと大きく溜息を吐いて、そしてもう一度大きく溜息を吐いた。


「何をぼさっとしておる! 早く行かんか!!」


「えと、爺さん……」


「言っておくがお前のためではないぞ! 儂はヴェルマちゃんのためにここにいるんじゃからな!」


 本気で殺意を向けてくる老人に、ヒタキは無言で頭を掻いた。何と言えばいいか、わからなかった。


 だから、いつもの通りの言葉を返した。


「ありがとな、爺さん。またヴェルさんと一緒に、店に行くから」


「何度も言わせるな、貴様は来んでいい。ヴェルマちゃんだけ来ればいい」


 相も変わらず、偏屈な老人だった。


 その老人は中央広場に入ってくる異端審問官ロディックともう一人の騎士を、先ほどヒタキに向けた以上の殺意を滾らせた瞳で睨みつけ、ベンチから腰を上げた。


 そして老人とは思えない軽快な足取りで彼らの元に歩み寄り、訝しげに老人を避けようとする騎士二人にぶつかる。むしろ、広げた両腕で首を刈り取った。


「!!?」


 喉を潰され声にならないうめき声をあげ、二人の騎士は仰向けに体を石畳に叩きつけられる。


「ほ、骨が折れた!! 何じゃ貴様ら、こんな老人を突き飛ばすとは何事じゃ!? そこに直れ!! その腐った性根を叩きなおしてやる!!」


「!!!?」


 そして老人から放たれた衝撃を通り越して意味がわからない言葉に、目を見開いた。


「な、何を言っている!! い、今貴様が、というか貴方は――――」


「儂に話しかけるな!!」


「!!!!?」


 もはや偏屈というより老害だった。


 腕が折れた、無力な老人に暴力を振るうとはそれが仮にも教会の人間がすることか。立ち上がろうとするロディックを蹴り飛ばし、唐突に説教を始めた老人に、ヒタキは誠心誠意のお辞儀をしてその場を後にした。


 追手は、もういない。









*           *           *








 ヒタキが教会に辿り着いた時、すでに事態は急変していた。


 常に開かれているはずの、教会の巨大な扉。今やその万人を受け入れるはずの扉は固く閉ざされ、ざわめく探索者の群れを教会職員と騎士団が総出で抑えこむという、迷宮都市の歴史においても有数の異常事態へと発展していた。


「ヒタキさん!!」


 幾人もの探索者が突然の迷宮の閉鎖にざわめき教会の人間に説明を求めるために押し寄せている中、自らを呼ぶメリルの声にヒタキはあたりを見渡した。


「ここです、ヒタキさん! 騎士団の人たちは!?」


「足止めしてもらってる。ヴェルさんは?」


「もう迷宮に入ったようなんです……私が来た時にはもうこの有り様でした。それよりも、早くこちらに!」


 ヒタキが遠回りしている間に、メリルは一足先に教会にたどり着いていたようだった。ヒタキを急かし人波をかき分け正面扉から離れ、教会の横手に回りこむ。


「迷える子羊よ、最近良く会いますね。いえ、まじで」


 あくび混じりにひらひらと手を降るのは、教会の人間の印である白いローブを纏った金髪眼鏡の知的に見えなくもない敬虔なる神の僕であるらしい女性だった。


「さあ、こちらです。今からお連れする場所は私と神々しか知らぬ秘密の場所ですから、他言無用でお願いします。バレたら私が仕事から逃げ出せなくなりますので、慎重にお願いします」


 教会の受付で初めて出会い難癖を付けられ、つい先日メリルの治療でお世話になり、そして異端審問の事実を突きつけられた、何かと接点のある教会の職員。


 そんな彼女の登場にヒタキは首を傾げるしかなかった。


「中に入れてくれるのか?」


「はい、この子に泣き付かれてしまい、仕方なくです。あの真っ赤な子が私の大嫌いな同僚をぶっ飛ばし、尋常ではない様子で迷宮に入ったのも見てしまいましたし、それにですね……」


 首だけで振り返りヒタキを一瞥し、彼女は大きく溜息を吐く。


「あなたが異端審問を受けることになったきっかけは、あの中級認定の申請ですからね。というか、レベルが上がらないというのはなかなか衝撃的ですが、それだけで殺すとかちょっと上の人間頭おかしいでしょう。神々だってきっと引いていますって……。まあ、それはおいておくとして――――あ、ここです」


 と、彼女は教会の裏手に回り込んだところで言葉を切り、足元の石畳を持ち上げた。


 その下には狭いながらも屈めば十分に人が通れるほどの穴があり、それは教会の方に向かって伸びていた。先導する彼女の後に続き、ヒタキとメリルも抜け道を進む。


 地下に掘られた穴はかなり短いもので、すぐに行き止まりに辿り着いた。彼女は石畳を少し押上げ周辺の様子を伺ってから、素早く穴から抜け出しヒタキとメリルにはその場で待つように指示を出した。抜け道は、教会の職員しか立ち入ることができない受付の奥の裏方に繋がっていた。


「転移門の前に、見張りが数人います。……ああ、ちょうどいい、あのセクハラ野郎に追い打ちをかけてやりましょう。私が少し見張りの注意を引きますので、その隙に迷宮に入ってしまってください。あと、先ほどの話が途中でしたので最後まで言ってしまいますが、不本意ながら私はあの中級申請の場に居合わせてしまったこともありますし、少しでもいいことしておかないと後で気分が悪くなってしまいそうです。特にあなたの場合は、これでお別れになるかもしれないのですから、この程度の手助けくらいはしましょう」


 事情は知りませんが彼女を助けたいのでしょう? と、そう問いかけてきた。


「あんたは、でも、大丈夫なのか?」


「さあ、知りません。でもまあ、仕事をサボるよりよっぽどいいことをしている自覚はありますよ。これで私が裁かれるようなら、そのときはそんな馬鹿げた決定を下す似非宗教団体、こちらから願い下げです。さて、そろそろ私は失礼しましょう。それでは、迷える子羊達に神々のご加護がありますように」


 シニカルにそう微笑んで、彼女は去っていく。その後ろ姿はヒタキが今まで見てきた教会の人間の中で、最も聖職者らしい聖職者の姿に見えた。


 しばらくして、彼女の白々しい棒読み声が教会に響く。


「ああ、大変です! 大丈夫ですか? きっとさきほど小さな女の子に返り討ちにされ無様に倒れたときに、頭をさらに痛めたのでしょう! いくら下心を持って小さな女の子に接したことに対する罰であったとしても、あまりにも酷な運命です! 誰か、誰かいませんか、罪人といえどここで彼は死ぬべきではありません。彼を治療室へ!」


「合図、ですよね……?」


 おそらくそうだろけどやっぱりとんだ神の僕だよなと、自信なさげに訪ねてきたメリルに無言で頷きつつヒタキはぼんやりとそう考えながら腰に撒いていたローブを羽織る。


 仮に合図でなかったとしても、この距離まで来ていれば問題ない。自分一人であれば確実に迷宮に入ることは可能――少なくともヴェルマに追い付くために、最も厄介だと考えていた教会と騎士団という障害はこれでクリアしたのだ。


「俺は今からヴェルさんに追いつくまで全力で走るけど、正直言ってあんたを気遣う余裕はないからな」


「は、はい! 足は引っ張りません!」


「じゃあ、行くぞ」


 短く告げて、静かに静かに深く息を吐き出す。そしてヒタキは抜け穴から飛び出した。


 あとは、ヴェルマを目指して迷宮を駆け抜けるだけだった。







*           *           *








 迷宮の四十三階層は、広大な鍾乳洞で構成されている。


 洞窟の通路とは一線を画する広大な空間。流れ落ちる巨大な滝と、透き通る水を湛える湖。上流へと繋がる、巨大な岩石による乱雑な天然の階段。その空間は今、頭上に連なる鍾乳石と乱立する水晶が魔術による光源を乱反射することによって、幻想的な青白い光で満たされていた。


「────!」


 そして、その青白い幻想的な光は凶悪な真紅の光で埋め尽くされる。


 凶悪な咆哮。音にならない凶悪な咆哮が洞窟の静謐な空気を切り裂き、真紅の炎が世界を赤く染め上げた。


「な、何なんだよ! 何なんだよこいつはああああ!! 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だこんなの聞いてない!!!」


 輝きが失われたぼろぼろ金色の鎧を纏った少年が、うずくまったまま魔術障壁の奥で泣き叫ぶ。


 美しかったその銀髪は、目の前の化け物から逃げ惑う中で薄汚れてしまっていた。


 人の胴体など容易く噛み砕きそうなほどの巨体。残り火が揺らぐ口腔に覗く、凶悪な牙。それは、人類から竜と呼ばれ恐れられる化け物の一種だった。


 すでに少年――リョウ・アカツキの仲間は、この階層に存在するはずのない化け物によって瀕死に追いやられていた。彼を守ろうとして蹴散らされた彼女らは、今も少年の後ろで気を失っている。


「もう、嫌だ……こんなはずじゃなかったのに……こんなの無理ゲーだろ、おかしいだろ……。そうだよ、ゲームだったんじゃないの? 何なんだよ、チートじゃなかったのかよ!! ふざけんなよ! こんなの、明らかにバグじゃないか!!」


 彼はすでに壊れていた。頭を抱えたまま嘘だ嘘だと繰り返し、時には狂ったように叫び出す。


 そんな状態の彼が未だに生き残れているのは、竜の縦に割れた金色の眼光が捉える標的が彼ではなくなっていたからに過ぎなかった。


 竜の吐き出した炎を切り裂いて、自らを狩らんとする敵を見据えヴェルマは術式を綴る。


 この魔術が果たしてどれほど敵にダメージを与えることができるかと、ヴェルマは苦笑した。


 グリアヴァーズでは、なかった。


 目の前の敵は、十七年間探し求めてきたあの黒竜ではなかった。


 存在そのものが一個の魔法として確立する邪竜グリアヴァーズと、種族として竜、それも亜竜に分類されるであろうこのワイバーンでは存在の格の桁が違う。


 それでもなお、ランクBはあるであろうワイバーンに、今の自分が勝てるとは思えなかった。


 だが、彼女の後ろで震えている少年が迷宮から逃げ出すくらいの時間は稼いでやれるだろう。


 巨大な氷柱を三連続で打ち出しだヴェルマは、それが竜の翼によって打ち払われるのを確認する前に弧を描くように走りだす。


 幸い、ワイバーンは小回りが効かない。死ぬまでの時間を引き伸ばすことは、そう難しいことではなかった。


 魔術で雷を迸らせ、ワイバーンの目をくらます。隙が生まれた瞬間に間合いをつめ、翼を狙い魔力を纏った剣を上段から振り下ろす。


 しかし当然のように、剣は竜の鱗に弾かれる。込められた魔力の質が違いすぎる。到底切り裂ける密度ではない。


 だが、ヴェルマはそんなことはお構いなしに剣を振り、迫り来るワイバーンの牙を打ち払い、再度刃が通るはずもないワイバーンの首へと剣を叩きつける。


 無謀な剣戟を煩わしがるように、ワイバーンは翼を大きく薙ぎ払いヴェルマを大きく吹き飛ばし、口腔に炎を覗かせた。


 ワイバーンにとっては小虫を払う程度の攻撃。それはしかしヴェルマにとっては、気を抜けば骨の数本は軽く砕ける衝撃。どうしようもないほどの力の差を、ヴェルマはどうにか自ら後ろに全力で跳躍することで受け流し、そして姿勢を整える。


 空中で青く輝く指を滑らし術式を編む。発動させる魔術は下級魔術『貫く氷柱』の応用魔術。射出、指向性等の攻撃性を排除した代わりに単純に数と質量を増やした魔術は、ヴェルマの目前に十の氷柱を出現させる。ついで着地し、『聳える土壁』によって三枚の壁を斜めに出現させ、その上から魔術障壁を展開する。


 十の氷柱を数秒とかからず溶かし、壁を熱く熱するワイバーンのブレス。魔術的な要素がない、単純に魔力を属性変換させただけの力任せの亜竜のブレスでさえもこの威力。ヴェルマの魔力を惜しまない全力展開の魔術防壁群でさえ、数秒で突破される始末だった。


 余波をどうにか最後の砦である魔術障壁で防ぎながら、ヴェルマは後方に向かって叫ぶ。


「リョウ・アカツキ! 今のうちに逃げろ! そのままそこで震えていると……そうだな、このワイバーンに殺される前に、私の呪いに巻き込まれて死ぬかもしれないぞ」


 隅でうずくまっているリョウ・アカツキにそう告げて、ヴェルマは小さく苦笑する。あの少年ももう、この世界に絶望してしまった。いくら時間を稼ごうが彼はもう助からない。否、助かろうという意志すらないのだ。そう思うと、力が抜けた。彼らを囮にすれば僅かではあるが逃げ切れる可能性もあるが、しかし逃げようという気は起きなかった。


 死ぬには、いい相手なのかも知れない。本物とは程遠いが目の前の竜もどきも、一応は竜だ。


 そして死ぬには、いい日かも知れない。


「…………まったく、何を今更」


 そもそもヴェルマの死に場所を求める旅は、この閉じられた世界である迷宮都市に辿り着いた時点で終わりを迎えていた。


 ヴェルマにかけられた呪いは、彼女に死ぬことを許さなかった。しかしこの迷宮内においては、その限りではない。自らが死ねば世界に災厄をまき散らすことになる呪いは、この迷宮内であれば外に溢れ出ることはないだろう。


 ここはそういう場所であるからこそ迷宮として成り立っているのだと、ヴェルマはすでに確信を得ている。


 その確信を得てもなお彼女が生き永らえてきたのは、ひとえにこの迷宮都市で大切なものを得てしまったからに他ならなかった。


 だが、もうその大切なものも失ってしまった。本当に今更だ。死に場所が見つかった途端にこれだ、と彼女は三度苦笑した。


 本当にこの絶望ばかりの人生の中でも、穏やかで幸せな日々だった。


 だからその幸せを失ってしまった今日は、やはり死ぬにはいい日だ。


 脳裏によぎったその考えに、魔術障壁を独立起動した裏でブレスを切り払うための魔術式を編んでいた手を止めてしまう。


 今このまま何もせずにいれば、この穏やかで幸せな気持ちのまま楽に逝ける。十七年前から心の奥底で燃えている、暗く醜い絶望という名の炎に焼かれ朽ちていくはずだったこの身には、あまりあるほどの幸せ。


 ああ、それは何て甘美な考えなのだ。もしもこの絶望しかない世界の終わりに、あの世という続きがるなら、そこで一足先に友を待つのも悪くない。


 彼とまた笑って会えるなら、きっとそここそが自分にとっての――――


 魔術障壁に、致命的な亀裂が入った。目の前に、地獄の劫火が迫っていた。


 十七年前に独りだけた行くことができなかった、今は愛おしき地獄の光景。これでようやく楽になれると、そう思った時、


「――ヴェルさん!!」


 ――――彼の声が、聞こえた。










*           *           *










「な!? ヒタキ!? なぜここに!!」


 冷や汗が噴き出ると同時に腑抜けていた思考がクリアになり、放棄していた情報を処理するために脳が高速に回転する。


 半ば完成していた中級術式『閃く緑の一刃』を一拍の後に完成させスキルを発動。


 付加スキル《魔術補助・強化(中)》


 クラススキル《魔術付加》


 刀身に魔術を収束させた一太刀によって、対属性によって削り弱めていたブレスを切り払う。相殺し切れなかった余波で、剣を振るった右腕の手甲が炭化し崩れ落ちた。手甲に刻まれた守護の術式が最後に展開されたが、しかしもうこの右腕では満足に剣を振ることはできないだろう。


 だが、そんなことは今のヴェルマにとってはどうでもいいことだった。


 果たしてそこに、彼はいた。


 散りゆく炎の向こう側、新たな獲物に金色の瞳を向けるワイバーンの更に後ろ側で、もう会うことはないと思っていたヒタキが今にも泣きそうな顔をして立ってた。


「ヴェルさん、俺は……!!」


 初めて見るような悲痛な面持ちで、無防備に駆け寄ろうとするヒタキの上空に、影が差す。文字通り叩き潰すために、新たな獲物へと向けて振り下ろされたワイバーンの尾だった。


 轟音。そして巻き上がる粉塵。地面を叩き割ったワイバーンの尾は狙いを寸分違えることなく、ヒタキがいた空間を抉りとっていた。


 まさかと息を飲むヴェルマ。世界が崩れるような錯覚に陥ったその瞬間、粉塵を切り裂くように紫電が迸り、ワイバーンの金色の瞳に突き刺さる。


 竜種に、下級魔術など効くはずもない。実際にその体に触れる前に鱗を覆う魔力にかき消された魔術は、しかし一瞬ではあるがワイバーンを怯ませた。


「俺は!!」


 洞窟を揺らがすワイバーンの怒りの咆哮を切り裂くように、ヒタキの声が響く。


 猛るワイバーンの尾を駆け上がり、彼は跳躍する。まるで炎の残骸で赤く染め上げられた地獄のような世界で空を舞うヒタキは、叫んだ。


「もしも、もしもこの竜がヴェルさんが探してた、グリアヴァーズってやつなんだったとしても……!!」


 ヒタキに完全に狙いを定めたワイバーンが、自らの頭を蹴って宙に踊りでた獲物を追い舞い上がり、その牙を突き立てんと顎を開く。しかしヒタキは、いつの間にか握りこんでいた石を宙に浮いたまま投擲した。寸分違わず瞳に向かってくるそれに、ワイバーンは反射的に一瞬硬直する。ヒタキはその隙を見逃さない――否、見逃すことなどできなかった。その隙を見逃して生き残れるほど、彼にとってこの世界は楽な世界ではなかった。


 くるりと、空中で体を撚る。そしてワイバーンの鼻っ面に四肢で着地し、再度跳躍。


 いつもぼんやりとした、何を考えているのか分からない青年。世界一弱い、ヴェルマの唯一の友。


 その彼が今、叫んでいた。


「俺は、俺はずっとあの日から、あの人との約束を守るためには、俺が幸せになるには、レイファリスに行くしかないって、ずっとそう思ってたんだ!!」


 高く高く、空に舞い上がった彼は銃を構える。狙いは、この階層を構成する鍾乳洞の天井に連なる氷柱石。打ち出した風属の弾丸が幾本もの石の根本を砕き、ワイバーンへと降り注ぐ。


 轟、と風が吹き荒れる。ワイバーンの翼が大気を打ったその瞬間、降り注ぐ氷柱は例外なく粉砕され風の中に消えていった。


 しかし、ヒタキにはそれで十分だった。圧倒的な化け物の追撃をしのいだヒタキの瞳が、真っ直ぐにヴェルマを捉えた。


 たった一撃でもワイバーンの暴力をその身に受ければ散ってしまう儚い命をもって、ただただ真っ直ぐにヴェルマの元へ駆け、そしてその小さな命を賭けて精一杯思いのままに、彼は叫んでいた。


「だけど俺は、ヴェルさんと過ごしたこの三十日間――――幸せだった!! 幸せだったんだ!! 幸せになるって言葉の意味を、ヴェルさんに教えてもらったんだ!!」


 だから――――と、ヒタキは泣きそうな顔でヴェルマに告げる。必死になって、死にそうになって、そのたった一つの言葉を。


「俺はヴェルさんに、死んで欲しくない!!」


「――――」


 ああ、とヴェルマは胸をかきむしる。


 死にたいと、思い続けてきた。


 死ねば世界に厄災をもたらすこの呪いを持つ自分は、世界にあってはいけない存在のはずで、だから一刻も早くグリアヴァーズにこの呪いに満ちた生を終わらせてもらおうとしていた。それこそが己の使命にして唯一の夢のはずだった。


 なのに。


 それなのに。


 生きたいと、思った。思って、しまった。


 こんな絶望に満ちた世界なのに――――


 気づけば、ヒタキが目の前に立っていた。


 あいも変わらずぼんやりとした無表情な顔で、それでも僅かに頬を弛めて気の抜けた笑みを浮かべて、彼はくしゃくしゃとヴェルマの頭を撫でた。


「だからさ、ヴェルさん。俺と一緒にここから出よう。ここから出て、一緒にレイファリスに行こう」


 それは、何時か聞いた言葉。


 泡沫の夢のような幸せな日々。その続きを、求めていいのだろうか。彼となら、求めることができるのだろうか。


 胸の痛みは、もうなくなっていた。


「…………阿呆が」


 楽園都市レイファリスは、もう滅んだ。彼だって、もう知っている。なのに――――否定できなかった、否定しなかった。


「ヒタキ、下がっていろ。この人数を連れて全員無事に逃げることは、流石にできないだろう」


「え、ヴェルさん、だけど……」


 不安そうにヴェルマを覗きこむヒタキの手を払い、頭を出せと手招きする。


 そしてきょとんとした顔で前屈みになったヒタキの頭を、ヴェルマはくしゃくしゃと撫で返してやった。


 精一杯の感謝と、この胸いっぱいに満ちる温かい思いが伝わるように。


「死なないさ、私は。そこで見ていろ――――私はもう、死なないさ」


 一歩、前へと歩み出る。魔力はもうほぼ空だった。当然だ。魂の格が異なる敵の攻撃を何度も防いできたのだ。むしろ死んでないことのほうが異常なくらいだ。


 ワイバーンの口腔に、再び灼熱の炎が灯る。獲物をまとめて焼き払うつもりらしい。


 無言で歩みながら、ヴェルマは空中に指を滑らす。搾りかすのような魔力で、術式を編む。


「ヴェルさん!!」


 ヒタキの戸惑いの声が聞こえる。


 ヴェルマの唯一の友人の声だ。だから彼女は、彼に心配をかけないように語りかける。


「私はな、どうやら今の今まで、本当に死にそうになるまで勘違いしていたようだ」


 先ほど、目の前の敵は友の命を奪おうとした。幾度も幾度も、彼の命を奪おうとその牙を突き立てた。十七年前の黒竜のように、ヴェルマの大切なものを奪おうとしていた。


 目の前の敵の姿に、あの黒竜の姿が重なる。心に、黒い焔が灯る。


「私の……私のこのどす黒い感情は、どうやら絶望ではなかったようだ。私はグリアヴァーズにあって殺して欲しかったのではない。私があれほどグリアヴァーズを求めていたのは、全てを終わらせるためだったのではない」


 咆哮。そして迫り来る死の炎。あの時の、故郷が焼き払われた時の光景を幻視する。


 そうだ。あの時の地獄は、あの時の地獄こそが、この身に巣食っている。ならばこの想いがあれば、地獄だって全て受け入れ喰らい殺すことだってできる。できないわけがない。


 ぎしりと、歯を軋ませた。術式を展開。構築される巨大な魔術障壁が、大地を舐める炎を堰き止める。


「これは――――殺意だ。私は、グリアヴァーズを殺したいほど憎んでいたんだ。そして!! 私の大切な者を殺そうとした貴様を、私は殺したいほど憎んでいる!!」


 まるで地獄のように赤く染まる世界で魔術障壁を食い破った炎がヴェルマを飲み込んだその瞬間――――世界が割れた。













*           *           *







 ――――ERROR:神■シス■■――――


 ――――TRY……――――


 ――――封印……処理失敗――――


 ――――遮断……ERRORRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR…………逆介■■■■迷■十■神■…………


 ――――強制中断――――


 ――――調停……成功――――


 ――――神■シス■■更新完了――――


 ――――INSERTED:Unique Skills《竜■■■》――――








*           *           *








 逆巻く炎。彼女を中心に発生した膨大な魔力の奔流が、竜の吐息を巻き込み巨大な炎の竜巻と化していた。


 洞窟の天井を突き抜けるその炎の柱の中に、ヒタキはそれを見た。


 漆黒の竜の翼。そして、その翼を背負う、一人の女性の姿。


 渦巻く炎の中心で真っ直ぐ前を見据える女性は、美しかった。革の腰巻きからすらりと伸びた足、引き裂かれた黒い服から覗く白い肌。そして、渦巻く炎でさえくすむ程の鮮烈な赤い髪。


「な、ま、まさかこれって…………」


 世界に生まれ落ちた膨大な魔力の奔流。そしてその発生源たる竜の翼を持つ女性を見上げ、仲間の治療をしていたメリル・カナートが、そしてリョウ・アカツキがその身を震わせる。


 あまりにも、その存在は異質すぎた。竜種であるワイバーンですら唸り声を出し警戒心、否、恐怖心をあらわにし、何時でも己の本来の領域であるはずの空中に飛び立てるように翼を広げる。


 その中でヒタキだけは唯一、無防備に彼女を見上げていた。幼い容姿の己の友とは異なる姿であっても、揺らぐことの無い確信をその胸に彼女を見上げていた。


 炎が照らす世界で空に浮かぶ彼女は、その縦に割れた金色の瞳をヒタキに向けて、そして――――微笑んだ。


「な? 言っただろう、私は死なないと」


「ヴェル……さん……」


「改めて自己紹介が必要そうだな、ヒタキ。とは言っても、私自身まさかこのような姿になるとは思っていなかったが」


 己の背の翼に視線をやり、彼女は尊大に微笑む。


「私の名前は、ヴェルへルミア・グリアヴァーズ・レイファリス」


 絶望と憎悪に塗れた竜の名と、楽園と幸福を意味する都市の名。


 十七年前に捨てたその二つの名を冠する本名と、そして呪いによって失われてしまったはずだった成長した姿をもって、ヴェルマ――――ヴェルへルミアは、己の友と正面から向き合う。


「竜の力を封じ転ずる魔法の都、楽園都市の守護者の末裔にして、竜の力をこの身に封じられた呪われた最後の生き残り…………そしてたった今、邪竜グリアヴァースに復讐を誓った復讐者だ」


 そう言って黒竜の翼を背負い不遜に微笑む彼女は、どこまでも美しかった。この絶望だらけのろくでもない世界で、真っ黒に、それでも純粋に美しく輝いていた。


「さて、と。無理やり呪いを喰らいとってしまったからな、自我が曖昧になりつつある。そこの竜もどき――――早速で悪いが、死んでもらうぞ」


 轟、と大気が揺れる。本能に従い目の前の脅威を排除せんとワイバーンが空へと舞い上がり、彼女へその凶悪な牙を突き立てる。


 しかしその牙は、彼女へは届かない。白磁のような右手一本で振るう剣で、彼女は亜竜の牙を迎え撃つ。


 空を舞う二匹の竜が、幾度となく交差する。剣と牙による剣戟を交わし、衝突する。


「――――!!」


 それは、異様な光景だった。


 亜竜とは言え、世界を統べる種族の一種。


 空の支配者たる竜種が、たった一人の人間に翻弄される悪夢のような光景。


 神の加護を十二分に与えられたわけでもない、迷宮都市に来たばかりのはずのちっぽけな人間。


 だがその小さなはずの人間は、亜竜ワイバーンよりもよほど支配者たる圧倒的な存在感を放っていた。


 翼で大気を打ち、その大質量で押しつぶさんと迫る亜竜に対し、彼女はそのか細い腕で剣を構える。


 亜竜の咆哮は、一種の魔術だ。音に殺意を込めた魔力をのせ、敵を威嚇し怯ませる。


 強い意志があれば防げるその咆哮は、しかしどれほどの強者にであろうと僅かながらの牽制にはなる。


「――――耳障りだ!」


 しかし突進と共に放たれた亜竜の咆哮は、容易く彼女の一喝にかき消された。否、それどころか飲み込まれ、逆に亜竜は本能的に硬直し空中で急制動をかける。


 ゆらりと、刀身が洞窟を満たす青白い光を映す。横一文字に振り抜かれた刃が、亜竜の翼を切り裂いた。


 苦悶と怒りの声を上げる亜竜の尾がヴェルマを撃ち落とさんと振るわれるが、彼女は黒翼で容易くその大質量の尾を受け止め、そして弾き返す。


 翼を切り裂かれ、そして黒翼から放たれた衝撃によって亜竜は大きく仰け反った。


 機動力を失った亜竜に、ヴェルマは容赦なく追い打ちをかける。憎しみと恐怖に染まった亜竜の瞳を見据え、彼女はその脳天に剣を振り下ろす。


 音にならない咆哮をあげ亜竜はその剣ごと彼女を噛み砕かんと、無理やり首を動かし牙を剥く。


 洞窟内に響く、剣戟の音色。


 凄まじい音をたて交差した剣と牙。一瞬の鍔迫り合いの後、ついには彼女の振るう剣が亜竜の牙を叩き切った。そして返す刃で、彼女は鼻っ面に剣を振り下ろす。


 ワイバーンが悲痛な叫び声を上げ、地面へと落ちていく。


「剣が軽すぎるが……そうだな、この魔力量ならあれが使えるか」


 彼女は呟き、そしてその指を宙に走らせる。膨大な魔力の奔流が、術式として世界に編み込まれて行く。


 それは今まで彼女が綴ってきたどの術式よりも難解で複雑で、そして幻想的だった。


 青と緑に光る術式が、彼女の周囲で踊る。水と風の属性が混じり合い、世界に一つの暴力が生まれ落ちる。


 上級複合魔術『凍て付く竜の吐息』


 ばさり、と彼女の漆黒の翼がはためく。


 そして次の瞬間、地に落ちたワイバーンへと、極寒の冷気を巻き込んだ高密度の暴風が解き放たれた。


 抵抗するかのように吐出された亜竜の火炎の吐息と、彼女の極寒の吐息が衝突し、そして一瞬で天秤は傾く。火炎は暴風に散らされ熱は冷気に飲み込まれる。


「――――!!」


 それは、亜竜の悲鳴だった。


 地に堕ちた亜竜は、極寒の吐息から逃げ出そうと我武者羅に暴れる。しかし、竜の吐息は亜竜の抵抗など無意味とばかりに、無慈悲に降り注ぐ。


 徐々に暴れる力を失い、亜竜の鱗は分厚い氷に侵食されて行く。


 最後の抵抗とばかりに亜竜は火炎を吐出すが、しかし呆気無くその火炎ごと亜竜は極寒の吐息によって凍り付けにされた。


「これで、終わりだ」


 今や氷の彫像へと化したワイバーンへと、上空から滑降してきた彼女は雷を纏った剣を突き立てる。そして刃の先から開放された荒れ狂う雷によって、ワイバーンの彫像は一瞬で砕け散った。


 こうして、低階層で猛威を振るった亜竜は、突如世界へと降臨した圧倒的な存在、本物の竜の力を従えるたった一人の人間によって討ち滅ぼされたのだった。


 キラキラと氷の破片が舞う幻想的な世界で、黒竜の翼を背負う呪われた姫君――――ヴェルマは微笑む。彼女のたった一人の友人に。


「ヒタキ。私の故郷は……レイファリスは、もう滅んでしまった。それに、私は無謀にもグリアヴァーズに復讐すると心に誓ってしまった。だけど、それでもお前は、一緒に楽園を探そうと、こんな面倒だらけな呪われた私を誘ってくれるのか?」


 まだ、事態は何一つ解決していない。


 始まってしまった物語は、まだ一章たりとも終わりを迎えていない。幸せな結末なんて、これっぽっちも見えていない。


 それでも、ヒタキも彼女に微笑んだ。たった一人の、彼の大切な友人に。迷いなく、真っ直ぐに。


「俺はもう、レイファリスを見つけたよ。ヴェルへルミア・グリアヴァーズ・レイファリス――――ヴェルさん、あんたが俺にとってのレイファリスなんだ。だから俺はヴェルさんが許してくれるなら、これから先もずっとヴェルさんと一緒に生きてきたいって、そう思ってる」


 そう言い切ったヒタキに、ヴェルマはその異質にして圧倒的な力と存在感を放つ姿とはあまりにもかけ離れた優しげな微笑みのまま、きょとんと首をかしげた。


「まったく、なんだそれは。またお前はそうやって誤解を招くようなことを言う。それではまるっきり愛の告白だ……ぞ……?」


 そして彼女は、そのほほ笑みを浮かべたまま、ゆっくりとヒタキに倒れこんだ。


「な、何だ…………体がまったく動かな……!!」


 慌てて受け止めたヒタキの腕の中で、突如ヴェルマが声にならない悲鳴を上げる。


 それと同時に背に生えていた黒い翼が薄れるようにして空に消えていき、彼女の全身から魔力が溢れだす。


「ヴェルさん!?」


「ヒ、ヒタキ……離れ、ろ! おそらく、限界……元に戻……ぐぅ……っ!」


 ヴェルマの体から突如重量が消え、一瞬そのまま消えてなくなってしまうかという錯覚に陥ったその時、


「――――――――!」


 洞窟内に凶悪な咆哮が響き渡った。


「え……な、んで……?」


 膝を抱えるリョウ・アカツキに寄り添うメリルが、絶望的な面持ちで見上げるその先に、その存在はあった。


 人の胴体など容易く噛み砕きそうなほどの巨体。開かれた顎から覗く、凶悪な牙。洞窟の奥から姿を表す、その巨影。


 それは、先ほどヴェルマの手によって屠られた化け物と同種の、新たなワイバーンの姿だった。


 ――――絶望は、まだ終わらない。



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