武将 蒲生氏郷 第128話城攻めの支援
(天正十五年〔1587〕三月 肥後国・山間の支城)
肥後国の山間部を抜けた遠征軍は、
島津方が守る支城の一つへ向かって進んでいた。
谷を挟んで小高い丘の上に築かれた城で、
周囲は深い森に囲まれ、
街道を押さえる要地となっていた。
この城を落とさなければ、
遠征軍の進軍は遅れ、
補給線にも影響が出ると判断されていた。
城の手前に到着すると、
諸将は布陣を整え、
攻城戦の準備に入った。
城は大規模ではないが、
山の斜面を利用した堅固な造りで、
石垣と土塁が段状に重なり、
攻め手の動きを制限する構造になっていた。
氏郷隊は、
主攻ではなく側面支援として配置された。
城の正面は他の部隊が担当し、
氏郷隊は城の北側に回り、
逃走路の封鎖と、
城方の動きを抑える役目を担った。
北側は斜面が急で、
木々が密に生い茂り、
敵が潜むには十分な環境だった。
左馬允は、
側面支援のための動線を確認し、
補給と伝令の経路を整えた。
「この斜面は滑りやすい。
荷駄はここで止め、
伝令はこの道を使わせましょう。
城方が北へ逃れるなら、
この谷へ下るはずです」
兵たちは斜面に沿って散開し、
木々の間に身を潜め、
城の北側を押さえた。
鉄砲足軽は射撃の角度を確かめ、
槍足軽は斜面を登る敵に備えて構えを整えた。
正面では、
攻城戦の準備が進んでいた。
城方は矢を放ち、
攻め手は盾を構えて前進し、
鉄砲隊が間を見て射撃を行った。
遠征軍は城の外郭を崩し、
土塁の一部を破り、
徐々に城内へ迫っていった。
氏郷隊は、
城方が北側へ逃れる動きを警戒しながら、
斜面の上と下を交互に見渡した。
山間の城攻めでは、
正面の戦いよりも、
側面や背後の動きが戦局を左右する。
城方が逃げれば追撃が必要となり、
逃げなければ包囲を維持する必要がある。
昼過ぎ、
城方の動きが弱まり、
矢の数も減っていった。
やがて城内から白い布が掲げられ、
降伏の意志が示された。
攻城戦は終わり、
諸将は城の前に集まり、
降伏交渉が始まった。
氏郷と左馬允も、
側面支援の任務を終えて城前へ向かった。
城方の使者は、
城門の前で頭を下げ、
城の明け渡しと兵の助命を求めた。
遠征軍の代表が条件を伝え、
城方はそれを受け入れた。
左馬允は、
城内の兵の数、
武具の量、
食糧の残りを確認し、
補給線の再整備に必要な情報を記録した。
氏郷は、
城の構造と周囲の地形を見渡し、
次の進軍に備えて街道の状況を確かめた。
城の明け渡しが終わると、
遠征軍は再び西へ向かう準備を整えた。
山間の支城を落としたことで、
街道は開け、
補給線も安定した。
しかし、
島津方の抵抗はこれからさらに強まると見られ、
遠征軍は気を引き締めて進軍を続けた。
山と谷が続く九州の地で、
城攻めは単なる戦いではなく、
補給・伝令・布陣のすべてを整える作業でもあった。
氏郷隊の側面支援は、
その一端を確実に支える役目を果たしていた。




