武将 蒲生氏郷 第125話豊後・肥後の街道を進軍
(天正十五年〔1587〕二月 豊後国・臼杵〜肥後国境)
天正十五年二月。
九州遠征軍の船団は、豊後国の臼杵の浜へ次々と到着し、
海岸には兵と荷駄が絶え間なく上陸していた。
冬の名残を含んだ湿った風が吹き、
海霧が薄く漂う中、
遠征軍は豊後の地へ足を踏み入れた。
上陸後、諸将はそれぞれの隊を整え、
肥後へ向かう街道の状況を確認し始めた。
豊後から肥後へ抜ける道は、
山が迫り、谷が深く、
四国とはまた違う険しさを持っていた。
街道は細く、
ところどころで崖に沿って曲がり、
馬がすれ違うのも難しい場所が続いていた。
遠征軍が進軍を開始すると、
冬の雨が残した湿気が地面にこもり、
ぬかるみが足軽の足を取った。
荷駄隊は進みが遅く、
列が伸びれば補給線が乱れる恐れがあった。
左馬允は街道沿いの地形を確かめながら、
荷駄の進行速度と補給地点の間隔を調整し、
兵站線の再点検を続けていた。
「ここから先は谷が深くなります。
荷駄は二列では進めません。
一列に絞り、間隔を広げましょう」
左馬允は地図を広げ、
谷の位置と水場の印を指で示した。
荷駄隊の頭を務める者たちが集まり、
進軍の順番と停留地点を確認していく。
豊後の街道は、
兵站の乱れがそのまま軍団全体の遅れに直結する地形だった。
氏郷は先鋒隊の動きを後方から観察し、
街道の幅、曲がり、谷の深さを一つずつ確かめていた。
先鋒がどの地点で速度を落とし、
どこで列が詰まり、
どこで視界が開けるか。
そのすべてが、
後続の隊列の動きに影響を与える。
山間部へ入ると、
雨が降り始め、
木々の枝から落ちる雫が絶えず兵の肩を濡らした。
湿気は鉄砲の火薬にも影響し、
鉄砲足軽の組頭が火薬袋を守るための布を確認して回った。
道はさらにぬかるみ、
馬の足が深く沈む場所もあった。
左馬允は、
ぬかるみの深い地点を避けるため、
街道脇のわずかな高まりを利用して迂回路を作らせた。
足軽が土を踏み固め、
荷駄隊が通れる幅を確保する。
こうした小さな整備が、
長い進軍では大きな差となる。
豊後から肥後へ向かう途中、
遠征軍は何度も川を渡った。
川幅は広くないが、
雨で増水すれば渡河が難しくなる。
左馬允は水深を測らせ、
渡河地点を選び、
荷駄隊の順番を調整した。
兵が川を渡るたびに、
列は伸び、
進軍は遅れた。
氏郷は、
先鋒隊が谷を抜けるたびに、
その動きを確認し、
後続の隊列が乱れないよう、
進軍速度を調整した。
山間部では、
隊列の乱れが伏兵の好機となる。
島津方が地形を利用した奇襲を得意とする以上、
街道の状況を読み、
隊列を整えることが何より重要だった。
夕刻、
遠征軍は肥後国境に近い山間の村に到着し、
その日の進軍を終えた。
兵は濡れた衣を乾かし、
荷駄隊は翌日の準備を進め、
左馬允は補給線の再確認を続けた。
豊後から肥後へ向かうこの道は、
九州遠征の最初の難所であり、
軍団の動きを整えるための試練でもあった。
山と谷が続く街道を進む中で、
遠征軍は九州の戦の厳しさを、
静かに、確実に理解し始めていた。




