武将 蒲生氏郷 第123話九州遠征軍への参加
(天正十五年〔1587〕正月 大坂 → 豊後へ)
天正十五年正月。
大坂城下には、九州遠征に向けた軍勢が次々と集まり、
街道には荷駄隊と兵の列が絶えず続いていた。
四国遠征の総括を終えたばかりの氏郷も、
秀吉の命を受け、九州へ向かう軍団の一角として出陣することになった。
大坂の屋敷では、
左馬允が早朝から荷駄の点検を進め、
兵の人数、馬の状態、武具の不足を一つずつ確認していた。
氏郷は広間に広げた地図の前に座し、
豊後へ渡るまでの行程と、
その後に続く肥後・薩摩への街道を見比べていた。
「九州は山が深い。
街道も狭く、雨が続けばぬかるむ。
荷駄の進みは遅くなるでしょう」
左馬允が地図の端を押さえながら言った。
氏郷はうなずき、
四国での経験がそのまま九州でも生きることを感じていた。
補給線の乱れは軍団全体の動きを止める。
その教訓は、すでに身に染みていた。
大坂城へ向かうと、
城下には黒田、蜂須賀、堀、仙石らの旗が並び、
遠征に備えて家臣たちが忙しく出入りしていた。
兵の列、荷駄の列、馬の列が交差し、
城下はひとつの巨大な軍団のように動いていた。
本丸に入ると、
秀吉は諸将を前に、九州遠征の大まかな方針を示していた。
豊後に上陸し、肥後を経て薩摩へ向かう。
島津方の抵抗は激しくなる見込みで、
街道の確保と補給線の維持が最優先とされた。
軍議が終わると、
氏郷は左馬允とともに城下へ戻り、
自軍の編成を最終確認した。
鉄砲足軽、槍足軽、騎馬、荷駄隊。
それぞれの人数と配置を確かめ、
進軍の順番を決めていく。
「豊後へ渡る船は、明日の未明に出ます。
潮の流れが変わる前に港へ向かいましょう」
左馬允が言い、
氏郷はうなずいた。
大坂から堺へ向かう街道は、
すでに遠征軍の列で埋まっていた。
翌未明、
氏郷隊は堺の港へ到着した。
港には大小の船が並び、
兵と荷駄が次々と乗り込んでいた。
海風が強く、
帆が大きく鳴った。
氏郷は船の舳先に立ち、
まだ暗い海を見つめた。
豊後の海岸線、
その先に続く山岳地帯、
島津方の伏兵、
そして長い補給線。
これから向かう戦の姿が、
静かに形を成していく。
左馬允が背後から声をかけた。
「九州は広うございます。
しかし、道は必ずあります。
地形を見て、兵を動かせばよいのです」
氏郷は短くうなずき、
船が岸を離れるのを見届けた。
波が船底を叩き、
遠征軍の船団がゆっくりと海へ進み出した。
大坂から豊後へ。
九州の地へ足を踏み入れるその瞬間から、
氏郷の戦は新しい段階へ入ることになる。
軍団を動かす理を身につけた今、
その力が実戦で試される時が来ていた。




