第9話 『強いコルラン』
熱したものは、冷まさなければならない。
それからの待ち時間を、私は中庭で、頭を冷やしながら過ごしていた。時折吹く風が、伸び放題になった私の髪をなぶる。その度に頭が冷やされ、羞恥の念とともにまたもや温度が上昇する。この繰り返しだ。
それでも時間は流れる。指定席の円テーブルへと、先にやってきたのはアーノルドだった。私は椅子に腰かけたまま、紅茶とともに持ってきた報告を聞く。
「マリーヌ嬢の容体は?」
「医者によると、骨に異常は見られないようです。しかし筋を少し痛めていると」
「そうか」
最悪の最悪だけは回避して、ほっとしている自分が情けない。しかしてアーノルドも見逃さない。これまでだって何度も私の悪癖を正してきた。
「女性の腕は丸太や、剣の柄ではありません。レオン坊ちゃまが力任せに握り込めば、容易く折れてしまうほど華奢であると、これでおわかりになったでしょう」
言葉遣いは丁寧だが、本気で怒ってるな……。
しかし元をただせば、私に隠れて示し合わせていた方が悪いのだ。
「そのような言い方をするな。淑女であろうと、鍛えさえすれば……」
反論は、最後まで言わせてもらえなかった。
老執事が怒涛の早口で被せてきたからだ。
「ええ、ときに逞しくなることもありましょう。しかしそれは生まれてきた子を抱き上げるため。マリーヌ様は未だ運命に選ばれておりません。相応しい役柄を演じられる方はいました。しかしロイ殿下は役を降りてしまわれた。あの御方はご自身の意志で、コルラン領のために立ち上がってくださったのですよ」
物言いの節々に引っかかりがないではない。
しかしアーノルドの言うことにも一理ある。
マリーヌ嬢は自身の力を誇示したいのではない。
本気でコルランを良くしようと思ってくれていただけなのだ。
「マリーヌ嬢には謝罪する。必ずだ。父上と母上の名誉に誓って」
「そうおっしゃってくださると信じておりました。結んだ約束は決して破らない。それがレオン坊ちゃまの最大の美点であると私も考えておりますので」
やれやれ、またレオン坊ちゃまか……。
どうやら、アーノルドとの不和はこれで手打ちにせよということらしい。
しかし癪なことに、心が楽になった自分もいる。きっとこの老執事は、強く責めることで私に気を遣ってくれたのだろう。
アーノルドの淹れてくれた紅茶を口にすると、段々と心も落ち着いてきた。平静と呼べるほどの状態となった頃、渡り廊下からマリーヌ嬢が姿を見せる。
「遅れて申し訳ありません。サー」
手当というほどの手当てを受けた風ではない。いつも通りの執事姿だ。
「お加減はいかがか、マリーヌ嬢」
「大事ありません」
「そうか。さっきはその……」
横合いから、じーっとアーノルドの熱視線が注がれているのがわかる。
気恥ずかしいにもほどがある。私はこほん、と空咳で誤魔化した。
「では、早速本題に入らせてくれ。申し開きをしたいとのことだが、いったいどんな思惑があって当家から離れたのだ」
直立したまま、私を見つめる。臆したところはない。
そう、これこそが本来のマリーヌ嬢の姿なのだ。
「こたびの件は、コルラン領の危機であると判断しました」
凛然と、一瞬たりと眼を逸らさず言ってのける。
しかし彼女は、ヴィクスドール家の人間だ。
「わかった。ではこういうことだな。あなたはコルラン領の危機を察知し、その解消のために当家から出奔したと」
「間違いありません」
「ならば指摘せねばならない。あなたはご自身の立場を理解しながら、わざわざ危険に飛び込むような真似をしたのだと」
眼を細める。私の眼圧も大したものであっただろう。
マリーヌ嬢は正面から受けきった。まったくどんな胆力をしているのか……。
「少し言葉を変える。あなたの身は今当家が、つまり私が預かっている。あなたの身になにかあれば、それはすなわち私の責任問題となる。ヴィクスドール公、あなたの御父上に面目が立たなくなるのだ。こたびのあなたの行動は、私をいたずらに窮地に立たせるものだった」
ずっと説教を受ける側だった。この役柄が似合っているとは思えない。
しかし私が言わねば、誰がマリーヌ嬢を止めることができるというのか。
「無論これまでの尽力には感謝している。あなたのお蔭で、コルランは見違えた。しかし時が来てしまったのだ。あなたは身分に不相応なその服を脱ぎ、今一度公爵令嬢という重要な立場に立ち戻らなければならない」
真剣に話をしたつもりだ。語ったのだって本音だ。
しかし感触は良くなかった。マリーヌ嬢。名門貴族の家に生まれながら、執事服に身を通すこのミステリアスな美女は、私の語る言葉へと深く聞き入り、その上で真っ直ぐに私の瞳を見つめてくる。
「差し出がましい申し出をどうかお許しください。この場は、私の申し開きの場であったはずです。どうかそのご用命は一時保留いただき、今少しの間だけ、私の語る話に耳を傾けていただきとうございます」
慇懃な言葉の終わりに、深々とこうべを垂れてくる。
誠心誠意という言葉にかたちを与えるなら、これほど見事なサンプルもなかっただろう。私だって面食らってしまった。
継ぐべき言葉を失っていると、横からアーノルドが茶々を入れてくる。
「聞いてあげたらどうです?」
「お前、これは私とマリーヌ嬢の問題であってだな……」
「レオン坊ちゃまから直々に、見張りの役を仰せつかった。私だって部外者ではないはずでしょう?」
たしかにそうではある。私もまたマリーヌ嬢に対し、礼を失した方法で自らの目的を果たそうとしたのだ……。
「わかった。だがしでかしたことは変わらん。マリーヌ嬢は私の制止を聞き入れず、危険を冒してしまったのだから」
意識と視線をアーノルドから戻すと、マリーヌ嬢が静かに首を振った。
「危険など、冒しておりません」
「その理屈は通らぬ。現に身代わりを置き、あなたは出奔したではないか。北東の村落で、遊牧民による襲撃の被害をその眼で直にたしかめるために」
それがどれほど危ない橋だったのか、無事に帰還した今でも怖気が走る思いだ。もし万が一のことがあれば、マリーヌ嬢の命は確実に失われていただろう。
しかしマリーヌ嬢は、ここで意外な声を発した。
「女神様と、父と母の名誉に誓って申し上げます。私はエソールとミティレの村へ足を踏み入れておりません。サー」
北方遊牧民の襲撃を受けた村落ではない?
バカな……ではマリーヌ嬢は、いったいどこに赴いたというのだ?
「私が滞在していたのは、ベーヘンという街です。遊牧民の侵入を受けた村落から、南方に30キロほど下ったところに位置しています」
我がコルラン領内でも栄えた、比較的大きな街だ。しかしそんなところで、マリーヌ嬢はなにをしていたというのか。
「どうやら、レオン坊ちゃまもお気づきにならないご様子ですな」
「アーノルド? ……いや、しかしあの街は無関係のはずだろう」
北方遊牧民の根拠地から見ても、逆方向の立地にある。
「そうかもしれません。ですが発想を転換なさってください。マリーヌ様はあの街から一歩も外へ出なかった。これは私のお墨付きです」
以前アーノルドは言っていた。マリーヌ嬢に危険に近づいた兆候はないと。
老獪な老執事のことだ。おそらくは偽名を使い、マリーヌ嬢と手紙で近況を報告し合っていたに違いないだろう。
「ベーヘンの街にどのような用向きが?」
「それはご当人の口から聞いた方がお早いかと」
もったいぶった老執事の言葉を引き取って、マリーヌ嬢が口を開いた。
「とある仕事のためでした。ベーヘンの街に滞在し、当地の関係各位と話を進めていたのです」
「仕事だと……しかし、それが本件とどのような関わりを持つというのだ?」
いきなり話を別方向に振られて、私も混乱の極みにある。
事情を知る2人は、真摯な眼差しで私のことを見ていた。
「目的は被災遺児です。サー」
「被災遺児?」
「新たな呼び名ですよ。私どもはかつて、戦災遺児と呼んでおりました」
アーノルドの告げた呼び名になら、うっすらと聞き覚えがあった。
北方遊牧民の間欠的な襲撃により、領境の村々は被害を受けていた。父親と母親を喪い、みなし児となってしまう子どもたちだっている。そんな不幸な子どもたちのことを、父上は戦災遺児と呼び称していた。
「補償があったはずだ。村長に一元管理させていた」
「弔慰金と見舞金ですな。果たして隅々まで行き渡っていたでしょうか」
「そのようなもの、父上が見逃すはずはない……」
確信を持って断じたつもりだ。
しかしアーノルドは寂しそうに首を振る。
「悲しいことですが、どのような威光にも届かない場所はあるものです」
「不正の温床だったと? では、みなし児たちの身は……?」
脳裏に過ぎる、空腹のあまり咽び泣く子どもたちの姿。
現実は、それに輪をかけてひどい有様を呈していた。
「生きるため、道を外れてしまう子もいたのです。他者のものを奪い、野盗同然の暮らしを余儀なくされる子だって。皆、望んでそうなったわけではありません」
悲しげな口ぶりのマリーヌ嬢が、さらに眼を伏せて歩み寄る。
「これを」
「これは……浅黒い、動物の皮のようなものだが」
手渡されたものを凝視し、裏表にひっくり返してつぶさに観察する。
視覚情報よりもなお、その感触によって答えが導き出された。
これは人の皮膚だ。
「第一報を受けたとき、伝令の方が渡してくれたものです。浅黒い肌の北方遊牧民のものだと言っていました。襲撃に遭った際、返り討ちにした遺体から剥ぎ取ったのだと。初めてこれを見たとき、私はとある違和感を覚えたのです」
違和感?
「皮膚の色がうっすらと、グラデーションを描いているのがおわかりになりますか。これは特殊な染料によって染められたものなのです」
私たちが見ていた北方遊牧民の肌が、染められたもの?
そうであるなら、この事実の意味することは……。
頭を捻る。浮かんできたのはいつぞやの、マカロンを摘まみ上げるアーノルドの指先。それは様々な色味によってカラフルに汚れているように見えた。きっとマリーヌ嬢が、アーノルドの手を使って染料を再現する実験を行ったのだ。
ここまでしたということは、事実とはつまり……。
「まさか、私たちはずっと同士討ちをしていたというのか!?」
弾けたように顔を上げると、2人の深刻な顔とぶつかった。
「どうしてこんな大事なことを教えてくれなかった!!」
マリーヌ嬢はアーノルドと顔を見合わせる。
アイコンタクトの結果、アーノルドが口を開くことにしたようだ。
「失礼ながら、マリーヌ様は上申されようとなさいました。歯牙にも掛けなかったのはレオン坊ちゃまの方ではございませんか」
「ぐぬぬ……し、しかしだな!!」
反論しようにも、心当たりがあり過ぎる。
身から出た錆というものがあるとすれば、これこそまさにそうではないか。
私がぐうの音も出せないでいると、隣でマリーヌ嬢が大仰な空咳をした。
「コホン……先生、それは少しばかりいじわるな言い方ではありませんか」
「ほ、ほ。マリーヌ様にそう言われては撤回せざるを得ませんな」
「せ、先生!?」
一介の老執事を先生呼ばわりする前代未聞の言動に度肝を抜かれるも、私を置き去りに2人の遣り取りは平然と続いてゆく。
「先生もおっしゃっていたではないですか。この件はレオン様には内々密にと」
「いやはや、ご本人を前に秘密を打ち明けられますと、余命幾ばくもない老骨の心臓が悲鳴を上げてしまいますな」
「もう、そんなタマではないでしょうに」
随分と砕けた……いや、仲の良いおしゃべりをするのだな?
私の中でマリーヌ嬢のイメージが若干ズレたような音がした。
しかし呆気に取られている場合ではない。
マリーヌ嬢は今、聞き捨てならぬことを言ったはずだぞ。
「……私に内密にとは、どういうことだ」
再び、2人は顔を示し合わせた。アーノルドが一歩前へ出る。
「『強いコルラン』という言葉を覚えておいでですかな?」
無論のこと覚えている。明言こそされていないが、父上の代から続くコルラン領のスローガンのようなものだ。どのような苦境にも決して屈せず、折れず、曲がったりしない。そんな強い領地を築こうとの気概の表れだった。そして――。
「今の私が目指すところでもある」
「そうでしょうとも。ですから今回だけは、伏せさせていただいたのです」
その条件付けは、いったいなにに起因しているというのか。
「レオン坊ちゃま、あなた様はとてもお強い」
「……なんだ、唐突に」
たしかにそうであるだろうし、そうあろうと努めてはいるが……。
「ですがその強さは当然のものではございません。人の発揮できる強さというものには個人差があります。それは生まれでも、育った環境によっても大きく違いが出てしまうものなのです」
アーノルドから、強さに対する講義を受けたのは初めてだった。
幼い頃であったならわかる。だが、何故今になって?
「本件には関わりのないことだ。強さなど、村民に侵入者の撃退を命じたわけではない」
「たしかに、レオン坊ちゃまはそのような無理な命令を出されておりません。しかし違うのです。私が今問題にしているのは人の強さではない。人の弱さなのです」
老執事の含蓄ある物言いに、ますますこんがらがってしまう。
弱さは人の背後にある。私にとってはそうだった。だから背後を顧みるような真似はしてこなかった。前だけを見ていれば良いのではないか?
「アーノルド、さっきからなにを言いたい?」
「もし先に天寿をまっとうされたのが旦那様でなく、私であったなら。きっとレオン坊ちゃまにこのようなお話をする機会はなかったでしょう」
亡き父上に思いを馳せたらしく、アーノルドの顔に寂しげな陰影が過ぎる。
「しかし運命は私を残された。ですから今、こうしてお話をしているのです。私はあなた様に、人の弱さに寄り添ってもらいたいのです」
人の弱さ。それはいつだって、問題にされたことなどなかった。
父上は言っていた。強くあれと。いずれコルラン領を継ぐ者として。
だからこその違和感がある。
アーノルドの語っていることはひょっとして――。
「お前の言葉なのだな。父上の教えではなく」
「私はレオン坊ちゃまに、旦那様の面影を見ておりました。ですからすべてをお伝えするわけにはいかなかった。これは、今のあなた様では出せない解答であると考えるに至りましたので」
それはまた、随分と見くびられたものだ。
だが頭のどこかでは理解している。
アーノルドが言うからには、きっとその結論は正しいものなのだと。
「聞かせてみろ」
「では……」
一言:今回のアーノルドの説教、結構気に入ってます。




