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売れ残り万能令嬢と怒れる銀髪伯爵 ~『氷の伯爵』、不当な婚約破棄にブチギレて公爵令嬢を攫う~  作者: ソーカンノ


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第7話 『悪い虫』

 見る者と見られる者、それを頼む者。


 翌日から、私たちの関係は奇妙な三角形を描いた。ともあれ、表面上はなにも変わりない。マリーヌ嬢は早朝から執務室に訪れ、日がな一日私の補佐役として書類の山と睨めっこをしている。


「…………」


 訂正しよう。昨日までと違う部分もある。

 マリーヌ嬢の私に対する態度が、どうにもよそよそしく感じられる。


 しかし経緯を考えれば無理もない。昨日の私は、マリーヌ嬢の話を聞こうともしなかった。彼女の明晰な頭脳に兆した閃きは、我がコルラン領を益する資産となる。実際、どれも傾聴に値するものだった。


「あの、これでよろしいでしょうか。サー」


 昼休憩の後、マリーヌ嬢が私の席に近寄ってきた。きっと気まずいのだろう。視線を合わせてはくれない。手に持った資料の束をおずおずと差し出している。


 いつも額に一房だけ掛かるアクセントの前髪も、心なしか水気を失った花のようにしおれている。下手に関わると同情しかねないな。ここは手短に、用件だけをこなすとするか。


「感謝する。昨日の治水工事の件だな」

「あ、はい……どうでしょうか」

「相変わらず完璧な仕事っぷりだ。早速事業計画に組み込むとしよう」

「あ、ありがとうございます」


 華奢な腰を折れるほどに曲げ、感謝を表するマリーヌ嬢。


 ……結局、私とは一度も眼を合わせようとしなかったな。


 少しばかり複雑な心境もないではない。だがこれでいい。結婚適齢期の淑女が同年代の男と接近し過ぎては、他の者に誤解を生じさせる。元をただせば、彼女の姿がコルラン辺境伯の執務室にあることすら、自然に反しているのだ。


 私は自分の考えに満足し、執務を再開する。

 その最中、チラと見たマリーヌ嬢もまた真剣に机に向かっていた。


「……少々、口数が寂しくなりましたな」


 夕刻、見る者はそのように私へ報告する。

 基本的には同意見だ。しかしこれが適正距離とも言える。


「マリーヌ嬢の申し入れを一顧だにしなかったのは、これが初だからな。彼女にしても思うところがあるのだろう」


 呟くように言って、私は湯気を立てる紅茶を啜るようにして飲んだ。


「誤解を与えてしまったのでは? 仲直りをされてはどうです?」

「その必要はない。そもそもが、私は彼女の願いに付き合っているだけだ」


 推測だが、マリーヌ嬢は以前から自らの手腕を発揮できる場を求めていた。よもやそれが連れ去られた先の、連れ去った人間の仕事の補佐だというのだから、なんとも現実とは皮肉なものだ。


 乾いた物言いが気に障ったか、老執事が小首を傾げている。


「そのような姿勢は感心いたしませんな。淑女には真摯に応対するのが礼儀でしょうに」

「その役は別の男がこなすだろう。私の出番じゃない」


 そうとも、マリーヌ嬢には相応しき結婚相手が必要なのだ。


「人生の先達として申しますが、レオン坊ちゃまは女心というものをまるでおわかりになっておりません。王都にいたとき、派目を外すことはなかったのですか」

「そ、そのようなこと私がするわけがないだろう……」


 いったいアーノルドの中で私という男はどうなっているのか……。

 愕然としていると、老執事がふはあっと重い溜息を吐くのを見た。


「アーノルドは悲しゅうございます。それほどのご容姿をお持ちなら、さぞや女性におモテになりましたでしょうに……」


 なおも名残惜しそうに見てくるものだから、少し気の毒になってきた。


「否定はすまい。だがなアーノルド、見てくれに釣られるような女など、所詮はその程度の女に過ぎん」

「お付き合いもせぬうちに決めつけられるのですか?」

「経験談だ……学友たちと少し距離を取るだけで、『氷の伯爵』などと綽名されて持てはやされた」


 終わったとはいえ、不本意な過去だ。私は父上の命に従っていたに過ぎない。いったい彼女たちは、私の孤高をなにを読み違えていたのか。


「勝手な理想を押し付けられ、夢見る対象とされた。実際に交際すればすぐに幻滅したに違いない」

「ふぅむ、そうは思いませんが……」


 顎に手を当てて心底から不思議がっているが、身内の依怙贔屓だ。


 私は自分が、世にいる貴族令嬢たちに好かれるような性格をしていないことを知っている。


「……この髪も、瞳も、母上から託されたものだ。私自身が選んで身に着けているわけではない」

「左様でしょうとも。私はレオン坊ちゃまのようなお姿に生まれとうございました。そうすればレイラも私の求婚を3度も断らずに済んだでしょう」


 若き日の思い出話なら聞かされたことがある。アーノルドはこう見えて、大恋愛の末に生涯の伴侶となる妻を手に入れたのだ。


「その話、こっ恥ずかしくなるからやめろ」

「何故です? 人生の先達の苦い経験談から学ぶところは多いのでは?」

「身内のそういう話は聞きたくないものだ……」


 極めてナイーブな話だ。父上と母上の馴れ初めも、初めてこいつの口から聞かされたときは顔から火が噴き出そうになった。


「ですが不幸な結末を辿ったお話ではありません。4度目のプロポーズのとき、レイラは呆れて受け入れてくれました。そして私は学んだのです。人生におけるとても大切な秘訣を」

「それはなんだ?」

「不屈です。何事も諦めなければ、意外とどうにかなるものなのです」


 紅茶のカップをソーサーに戻すと、アーノルドはバスケットを開けて中身を物色し始めた。


「フレーバーを変えてくださるお気遣いはできるのに」

「アーノルド、お前また指が汚れているぞ」

「平気です。この通り、舐めても害はありません」


 人差し指に舌を這わす意地汚い所作も、この老執事がやると別の含みがあるように見えるから不思議だ。


「他に見落としはございませんか?」

「優れたるお前の眼が見落とさない限りはな。引き続きマリーヌ嬢を頼む」

「かしこまりました」


 この翌日からも、マリーヌ嬢の様子はしおらしかった。


 マリーヌ嬢は、熱が入ると周りが見えなくなるタイプだ。集中のあまり、私が仕事を置く時間だと声を掛けるまでずっと机に向かっていたことも頻繁にある。この稀に見る過集中は、彼女の持つ天性の才覚のひとつと言って過言ではないものなのだが――。


「あ、お時間ですね。それでは今日はここでお暇させていただきます。サー」


 あの一件以降、マリーヌ嬢は定時で仕事を切り上げるようになった。


 私としては喜ばしい変化だ。この執務室で過ごす時間は貴族令嬢に適切とは言えない。生じた余暇で、淑女らしい嗜みに精を出してもらえるなら御の字だ。


 個人的に折を見て、仔細を観察してもみた。別段変わった感じはしない。怒っている風でもなければ、悲しんでいる素振りも見せない。つまりあの一件に関しては、とうに諦めてしまったということなのだろう。


 日ごと懸念が払拭される手応えを感じれば、私の気持ちも上がってくるというものだ。


 その日も私は、功労者たるアーノルドに茶菓子を奮発していた。


「いかがでしょうかな、レオン坊ちゃまから見たマリーヌ様は」

「加減は良さそうだな。どうやら、素直に諦めたものと見える」


 アーノルドが淹れた紅茶の湯気を見ながら、私は薄笑みを湛えることを禁じ得なかった。


「私の拝見する限り、危険に接近されたご様子もないようです」

「まあ、そうだろうな」

「随分と自信がおありですな。なにか理由らしきものが?」


 ない、と今までの私ならば即座に白旗を上げただろうが――。


「残念ながら、ある」

「どのようなものかお聞かせ願えれば」

「マリーヌ嬢は飽いてしまったのだ。私の仕事の補佐にな」


 会話の途中というのに、アーノルドはフォークを使って苺のタルトを割った。その指はまたしても汚れているが、機嫌の良いときくらい指摘しないでおこう。


 老執事が甘味を堪能するのを見守っていると、やがて口の中を空にしたらしく話題を再開する。


「程よい酸味の新鮮な苺です。クリームの甘みを一段と引き立ててくれます……さて、根拠をお聞きかせ願えますかな」

「根拠というほどのものではないがな。情熱を感じぬのだ」

「情熱? いかにもレオン坊ちゃまらしいお言葉が飛び出しましたな」


 その言葉のどこがどう私に相応しいのか皆目見当もつかないが、この老執事はその場のノリで適当なことを吹聴したりもする。


「具体的には、仕事を置く時間が早くなった」

「慣れで手がお早くなっただけでは?」

「いや、そうではない。執務室を立ち去るのも早いのだ」


 脳裏に浮かぶは、今日のマリーヌ嬢の姿。

 書類の束を胸に抱えて立ち上がり、一礼して早足にその場を後にした。


 その背中はまるで、1秒だってここにはいたくないと暗に語っているようだ。


「やはり頭をお下げになった方がよろしいのでは」

「無用な心配だ。私を嫌っている風ではなかった」

「では何故、このように唐突に心変わりなされたのでしょう?」


 不思議そうにこちらを眺めやる老執事だが、少々厚かましい物言いだ。

 見張りを頼んだ以上、窓の外からアーノルドも同じ光景を見ている。


「しかるに、新しい興味ごとでも見つけたんじゃないか」

「それはどういった類のものでしょうか」

「さあな。しかし地味な辺境伯補佐の仕事ととは打って変わったものだろう。ヴィクスドール公から見合いの話が舞い込んだ可能性だってある」


 肩の荷を降ろした心地の私は、ここで老執事の顔を見た。


「なんでも見透かす執事長なら、仔細にも詳しいんじゃないか?」

「私が? まさか。手紙を覗き見るなどマナー違反です」

「今だって間諜の真似事をしているだろう」

「レオン坊ちゃまきっての頼みで、マリーヌ様を見守っているだけですよ」

「ふ、そうだったな」


 良い兆候だ。私の口も油を塗ったように滑る。


「案外、早い頃合いで吉報を聞くかもしれん。縁談が纏まれば、我が領からヴィクスドールの地へその身を返還することになる。マリーヌ嬢もまた、生まれ故郷の新鮮な空気を胸一杯に呼吸することだろう」


 そうなれば、この気疲ればかりの生活も終わりということだ。


「希望的観測を重ねては、裏切られた際の落胆も大きくなります」

「今回ばかりはお前の余計な気遣いも心地良いな……そうだ、なにか欲しいものはないか?」


 本来なら、ここでワインでも酌み交わすタイミングだろう。だが生憎と、私もアーノルドも酒は嗜まない。となれば、それに代わるものが必要だ。


「一緒に夕食などどうだ? 良い猪肉が手に入ったと小耳に挟んだが」

「とてもよろしゅうございますね。しかし家には、レイラの手料理が」


 そうだった。眼の前にいるのは超の付く愛妻家で鳴らしたアーノルド。

 私の口からどれだけ説得しても頷きはしないだろう。ならば――。


「別のものでも構わないぞ。なんなら、物でなくでも」

「はあ……では前々から気になっていたことを」


 アーノルドは、こほん、と咳払いをして姿勢を正した。


「この老骨に、どうか王都での恋愛話など語っていただけないでしょうか」

「恋愛話? 昨日言っただろう。学生時代の私は――」


 と反論しかけたところで、老執事が首を振るのを眼にする。


「レオン坊ちゃまのものではありません。伺いたいのは、ロイ殿下の恋愛話でございます」

「ロイだと……久々に聞いたな、その名前を」


 脳裏にロイの端正な顔が浮かび、郷愁の念が去来する。

 あれから2年。約束した友との再会は、未だ果たされていない。


「今も噂ならよく耳にする。良い方も、悪い方も」

「2年前の知識で構いません。レオン坊ちゃまから見て、ロイ殿下の恋路はどのようなものであったでしょうか」


 質問の意図がわからず小首を傾げると、老執事は好奇心を隠さずにせっついてくる。


「ロイ殿下のお傍には2人の美姫がおられました。ご存知の通り、マリーヌ様とアウロア様です。当人は振り子のようにお2人の間を行ったり来たりされておいでだった。その姿がレオン坊ちゃまの眼に、どのように映っていたのか少々気になってしまいまして」


 2年前、アーノルドは卒業記念パーティーの場に居合わせた。そこで起こった一部始終を目撃している。


 しかしそれが何故起こってしまったのか、詳しい部分までは知らない。


「そんなこと、今さら知ってどうするんだ?」

「文字通り興味本位です。今も、マリーヌ様の方が王太子妃に相応しかったと思われているのですか?」


 面と向かって問われると、少し考えてしまう。


 当時は無論、それがベストだと信じていた。ロイにはマリーヌ嬢こそ相応しいと。私が不当な婚約破棄に義憤を感じたのも、幼い頃からの婚約を無下にした以上に、似合いの2人が袂を別つことを心のどこかで嫌がっていたのかもしれない。


 しかし今や、私は短からぬ時間をともにし、マリーヌ嬢の人となりを知っている。この万能の令嬢が、果たしてロイに相応しい伴侶であるかと言えば――。


「必ずしも、そうとは言えないかもしれん」

「ご自身の立場を危うくしてまで婚約破棄に割り入ったのに?」

「そう言うな……ああ見えて古風なやつなんだ、ロイは」


 私自身の現状と照合してみる。マリーヌ嬢は私の領地経営の補佐に携わり、実に様々な施策を提案してきた。ロイのやつがもし、今の私と同じ立場にいたとしたなら、マリーヌ嬢の言葉を素直に聞き入れただろうか。


 答えは見えている。あいつはきっと拒絶する。

 仮に自身の妻であろうと、淑女が執政に口を挟むことを許しはしまい。


 それこそ私が最初に思ったように、越権行為だと断じて撥ねつけるはずだ。


「マリーヌ嬢が我を出す限り、ロイとの間には壁ができただろう。悔しいが、相性という点に関してはアウロアの方がよっぽど良い。あの女はロイのことを応援こそすれ、その仕事振りに絶対に口を挟んだりしない」


 いや、むしろ毛ほども興味を持っていないと言うべきか……。

 アウロアの生意気な笑顔を思い浮かべて、そんなことを思った。


「いやはや、レオン坊ちゃまがロイ殿下のお立場ならよろしかったのに」

「悪趣味な冗談はやめろ。マリーヌ嬢はともかく、アウロアなどに擦り寄られては身の毛がよだつ」

「おや? マリーヌ様ならよろしいので?」


 しまった、と思うも後の祭りだ。

 老獪な老執事は私の失言を決して見逃さない。


「私としては、お2人が仲睦まじくあられればそれに越したことはございません。いっそのこと、もっとお近くに置かれてみては?」

「変な言い回しはよせ。それだと私が悪い虫になってしまう」

「益虫かもしれませんよ?」


 アーノルドのからかいを躱すうち、程よい時間になっている。

 夜空に浮かぶ満月の下、私たちはそれぞれの寝床へと別れたのだった。

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