第5話 『変化の兆し』
コルラン家における執事長の仕事は、使用人の統括だ。
コルラン家は拠点を2つ持つ。コルラン城とコルラン別邸である。領外へ遠出する際を除き、執事長は主君に帯同してどちらかの拠点へ赴くことになる。そこで身の回りの世話を焼くということだ。
アーノルドを例に出そう。今は亡き前コルラン辺境伯の忠臣として、その姿は常に主君の傍らにあった。
朝は誰より早く起床し、その日一日の執事とメイドの仕事を計画、人員の割り振りとタイムスケジュールを決定する。朝食後の朝礼時に周知させた後は、一同の仕事ぶりを監督して回る。
昼食を挟んで午後にもまた、重要な務めがある。前コルラン辺境伯が休憩を取った際、紅茶を淹れて談笑相手になるという仕事だ。場合によってはチェスの相手もしなければならない。立派な頭脳労働と言えるだろう。
それが終われば庭の水やり。とは言うものの、コルラン家の庭園の世話ならば専属の庭師が午前中に終えてしまっている。アーノルドが水をやるのはコルラン家の庭園から少し離れた場所にある、一列に並んだ地味な鉢植えの方である。
これはアーノルドが主君の許可を得て育てているもので、コルラン家とは縁もゆかりもない、アーノルド自身の趣味の産物だ。手製のじょうろで自分好みにあつらえた園芸物にちびちびと水をやっているとき、この老執事はなんともしあわせそうな顔をする。
……とまあ、言っていて頭が痛くなるような内容がアーノルドの仕事の実態なのだが、言うほど簡単な仕事でもない。
まず城内、もしくは邸内の使用人全員の一日の動きをミスなく計画し、円滑に行われているか把握する必要がある。
仕事に遅滞やトラブルがあった場合、現場の責任者がアーノルドへと報告にやってくる。臨機応変に指示変更を入れつつ、思い描いた図面通りに仕事を完遂させるのは、並大抵の管理能力では不可能だ。
特に、我がコルラン家では100名近くの使用人を抱えている。これらを纏めて人体と考えれば、アーノルドは脳の部位に当たる。大元の命令系統であるアーノルドが少しでもぐらつけば、現場は立ちどころに瓦解してしまうだろう。
さて、前置きが長くなってしまったが、ここからが本題だ。
アーノルドの補佐役に就いたマリーヌ嬢の手によって、現場はどのように変化したのか――。
結論から言えば、なにも変わりはしなかった。
アーノルドとマリーヌ嬢の手が完全に空いたことを除けば、だが。
文字にすると地味だが、驚くべきことだ。大元の命令系統なしに現場が回るということは、つまりすべてが自動化されている。仕事における遅滞やトラブルも、使用人同士の助け合いによって万事が解決してしまう。その際の動きすらマニュアライズされているのだ。
こうしてコルラン邸は、脳の力を借りずとも自力で蠢動を始めた。
残されたのは2つの優秀な頭脳だ。
手隙となった時間に彼らはなにをしているのか?
私の口から説明するよりも、当人に語ってもらった方が早いだろう。
「マリーヌ様のお蔭で、この老骨にも骨休めの時間ができたようです」
いけしゃあしゃあとそんなことを言ってのける。私はいつものように茶菓子の入ったバスケットを降ろしながら、アーノルドの対面の席へ腰かけた。
「時間ならいくらでも作れただろう。お前ほど優秀ならな」
以前から思っていたことだが、この食えない老執事は、現場のトラブルすら楽しんでいる節があった。計画にミスをあえて残し、自らが助力する余地を作っていたに違いない……。
「今のコルラン邸は自走しております。もはや手を出す必要すらありません。この通り、私も午後を丸々ティータイムに宛てることができるように」
優雅にティーカップを掲げて見せる、その所作に半眼を返した。
「ならばその潤沢な時間を使って、そろそろ白状してもらおうか」
「疑い深くなられましたな。年老いた執事の痛くない胸の内になにが潜んでいるというのです?」
「無論のこと筋書きだ。アーノルド」
ギロリと睨みを利かすも、老執事は白々しく驚いてみせた。
「マリーヌ嬢の秘めたる願い、お前ならば事前に察知していただろう」
「はて? 人心を見透かすなど、女神様でもなければできますまい」
などと宣い、ティーカップを満たす紅茶の匂いを嗅ぐアーノルド。
どうやらこの男は、己を女神以上だと自称したことに気づいていないらしい。
「逆に質問いたしますが、マリーヌ様がレオン坊ちゃまになにかご迷惑をお掛けいたしましたかな?」
「掛けとらん……だから厄介なのだ」
腕を組んで眼を逸らす。脳裏に過ぎるのはいつもの光景だ。
私は今マリーヌ嬢に、貴族令嬢にあるまじき仕事をさせている。
熱心に執務机に向かうマリーヌ嬢の姿までもが浮かび始め、はあっと溜息をこぼした。
「執務室は本来女人禁制なのだ。母上だって、入れてはもらえなかった」
「失礼ですが、そんなに嫌ならお断りになればよろしかったのでは?」
「恩賞を授けると言った。私は自分に二言を許してはいない」
言えば言うだけ、どうにも窮地に追い込まれている心地がする。
逆に食えない老執事は、段々と上機嫌になっているようだった。
「今の仕事にマリーヌ様の力が及んでいるなら、良いことではありませんか。このままレオン坊ちゃまの補佐として手腕を発揮してもらえば」
「悪い冗談だアーノルド。私は伝統をないがしろにしているのだ……」
思わず額に手をやって唸ってしまう。そのくらいに真剣な悩みだった。しかしこの老執事ときたら、まるで明日の天気予想のように軽い口調で応じる。
「レオン坊ちゃまはレオン坊ちゃまです。旦那様ではありません」
「お前な……その物言い、主君への背信だぞ」
父上は定められたルールを決して逸脱されなかった。喫緊の用事の際も、母上は執務室へは立ち入らず、入り口から声を掛けていた。
傍で見ていたアーノルドが知らぬはずがないのだ。
「今の私が仕えているのはレオン坊ちゃまですので」
「どうやら、遅れた反抗期がやってきたらしいな?」
「かもしれませんな」
アーノルドはクールに紅茶を味わって、再び私と向き合う。
「しかし、親の背を追うばかりではそれ以上にはなれません。変化を恐れて立ち止まれば、待っているのは緩やかな死です。人は完璧ではありません。私は元より、レオン坊ちゃまも、畏れながら旦那様ですらそうでした。であるなら、頼るべきものには頼り、使えるべきものは使う。その勇気ある決断を下すことこそ、真に君主たる者の務めではないかと私は思うのです」
普段はさらりと煙に巻くことの多い老執事も、ときとして正論を用いる。
説教染みたその語り口を終えたとき、私は決まってぐうの音も出なかった。今だってそうだ。きっとアーノルドは、今の私以上にこのコルラン領のことを考え抜いているに違いない。
『どうか私に、レオン様のお仕事をお手伝いさせていただけないでしょうか?』
あの日、マリーヌ嬢が私に願った恩賞がそれだ。
戸惑いは大きなものだった。が、意固地な私に断るという選択肢はなかった。
今、コルラン辺境伯の執務室には、マリーヌ嬢専用の書き物机がある。
彼女はそこで日がな一日書物を読み耽り、書き物に精を出している。
「ご提案があるのです。サー」
そして時折、立ち上がっては私に声を掛けにくる。その手には書類の束が握られており、私ことコルラン辺境伯の目通しを待ちわびている。
その内容といえば、コルラン領をより良くするための施策が書かれている。無論のこと草案で、私の認可を得て初めて内容を詰めてゆく類のものだ。
とても一介の貴族令嬢が領主に上申するものではない。場合によっては、裁量を侵害したと見なされて罰すら下されるだろう。
もしこれを持参したのが母上で、受け取ったのが父上だったとしたら。
それがどのような内容であったとしても、即座に書類を破棄されたに違いない。
しかし、私は――。
「……マリーヌ嬢がもう少し無能であったなら、私がここまで思い悩むこともなかったのだがな」
弱音のように漏れた本音に、老執事が首を振って答える。
「優れたる者は優れたる知恵を見抜きます。それのどこが悪いでしょうか」
「痛いところにも痒いところにも、いちいち手が届いているのだ。私には、黙って捨て置くことができなかった」
私は静かに、観念して首を振る。
「……これでは、誰が辺境伯か知れたものではないな」
らしくなく弱音を重ねると、老執事がエールで応えた。
「その重責は、無論のことレオン坊ちゃまの双肩にこそ懸かっておいでです。他の誰にも代わることなどできません」
「しかし今の私は、言わば印鑑係のようなものだ」
マリーヌ嬢の頭に生じた閃きに、実行の許可を与えるだけの。
「どうやら、段々と使用人たちの気持ちがご理解できてきたご様子ですな?」
「ああ。これはつらいな、色々と……」
自らの尊厳、というかよって立つ地表を奪われた心地になる。
「変化、か……今の私は、それを受け入れたことになるのだろうか?」
「その答えは私の口から申すより、これからのコルラン領が解き明かしてくれましょう」
年の功だろうか。この老執事は時に予言めいたことを言う。
その結果はたしかに、その後のコルランが身をもって証明してくれたのだった。




