番外編 『ロイ・アフター ~光差す墓前にて~』
今、震えるものがある。それは私の心だ。すべきことならばわかっている。虐げられた者たちのため、いくさを構える。その手筈は既に整えてあった。
我が身、我が心の半分は空を翔け、既に遠くの戦場にある。心は剣を抜き放ち、鞍上でその切っ先を天高く掲げている。戦士たちの雄叫びがそこかしこで上がり、先陣を切る私とともに、北方遊牧民の巣へとなだれ込む。
剣戟の音が始まり、やがて収まる。勝ったのはどちらか、それはまだ知れぬ。未来を予見できる者などこの世界にはいない。だが、どちらにせよ言えることは、その場でもっとも重要な役割を担うのは私だということだ。
「私が一軍の将か……母上はどう思われるだろうな」
ひとりごちて、篭手を嵌めた掌を握り込む。母上は暴力がお嫌いだった。王国の防衛を担う辺境伯の妻としては珍しい、明るくおやさしい女性だった。
母上のどのようなところに魅せられたのか、面と向かって父上には聞いていない。ただ、忠実なる老執事の言によるなら、それは大層な大恋愛の末に結ばれた婚姻らしかった。
小山の麓に馬を繋ぎ、石造りの階段を上がってきた。頂上には、清々しい風が吹く。
コルラン城から最寄りの村を見降ろす場所に、それはある。とこしえに母上の魂が眠る霊廟が。
「いくさを明後日に控えているというのに、不思議だ……ここに来ると、いつも穏やかな心地になる」
この数カ月、軍事訓練に従事してきた。昼は配下の騎士たちとともに鍛錬に明け暮れ、夜は地図を見ながら戦略を練る日々。順当に行けば私たちの陣営の勝ちは固いだろう。だが万一ということもある。
いくさで命を失えば、私の抱えるこの気持ちもまた、彼女に届く前に失われてしまうはずだ。
「我ながら、弱気なことだ。それにこれでは立つ瀬がない……呼び出し人のことを考えず、他に余所見をしているようではな」
いよいよもって、脳内の戦況も危うくなってくるというものだ。
私は頭を振って、脳裏に過ぎったものを完全に消去した。
ひゅう、と高所特有の風が吹いた次の瞬間に、その声が聞こえた。
「――レオン」
振り返ると、私と同じ階段を上って人影が現れる。
身なり、所作、生まれながらの金の髪1本に至るまで、貴き血統の継承者であることを周囲に知らしめる。ロイ・ブリアリン。ブリアリン王国の第一王子にして、私の無二の親友だった。
「遅くなって済まない。待ったかい」
「私も今しがた到着したところだ」
人目を憚る待ち合わせではある。が、この物言いではまるで恋人たちの秘密の逢瀬のようではないか。決して意図したものではないが、先方も同じように思ったのだろう。ロイは笑い、私も笑った。
久方ぶりの再会で凝った空気が弛緩したところで、それに気づいた。
「ロイ、その顔はどうした?」
「僕なりのけじめさ」
突っ込んで訊きたいところを、早口で被せてきた。
「レオンこそ、どうして甲冑なんて纏っているんだ」
「ああ、これか……家臣に剣の稽古を付けていてな」
「…………」
無言で眼を細めてくるが、やはりこの程度で煙に巻かれはしないか……。
「実はいくさを控えている。小さなものだがな」
「僕に助勢できることは?」
「ない」
断固として突っぱねたが、これはいつぞやの一幕ではない。
私は語調を穏やかなものに戻し、言葉を選んで付け足す。
「……というより、ブリアリンの王族に関わってもらっては困るのだ。こたびのいくさ、私たちはオスティールの領域内から敵性勢力に攻め入る。ここにブリアリンの王太子が帯同した場合、私はオスティール貴族たちに向かって、何十時間も言い訳をしなければならなくなる」
誠意を尽くして説明したつもりだが、ロイの方でも察してくれたらしい。深く頷くと、真剣な表情でこう言い添えた。
「マリーヌが語っていた、北方遊牧民のことか」
「あいつらを野放しにはできん。2度と我が領民に手を出させはしない」
拳を強く握って宣言してしまったが、ここが墓所であることを思い出す。
母上の眠る場所でする話ではなかろう。私は話題の転換を図った。
「それよりロイ、私はお前のその顔について訊いておきたいのだが……」
「後にしよう。レオンには先に訊いておくべきことがあるだろう?」
後? いや、何故だ……。
こんなにもわかりやすい話の種が眼の前にあるというのに、どうにもロイは触れて欲しくなさそうな物言いをする。ともあれ、久闊を叙した友の申し出を無下にはできまい。以前から問いたかったことを訊いておくとしよう。
「助命嘆願を、通したそうだな」
「ああ……アントニーのだね。君はどう思った?」
「悪い選択ではないさ。ルーティス家の所領4割と引き換えならな」
私たちが捕縛したアントニーの処遇。それは眼の前に吊り下がった、文字通り目下の一大問題だった。
貴族子女の大量毒殺未遂、王太子妃に対する暴力による殺人未遂、そして看過することはできない、ブリアリン王国に対する国家反逆罪。順当に裁きを下すなら、死罪以外あり得ない罪だ。
だがここに、ひとつの除名嘆願が届けられる。
それはルーティス伯爵家当主、他ならぬアントニーの兄君からのものだった。
「僕が了承したことが不思議かい?」
「そういう意味では……」
否定しにかかったが、嘘は言えなかった。なによりも毒を憎むロイが、毒を使って人死にが出るゲームをした男を許せるはずがない。
血相を変えて怒りを滲ませ、処刑を宣告する。それが私の知るこいつの反応だった。だがここで、ロイは少し寂しげな笑みを浮かべるに留めた。
「……別に、目先の利益に惑わされたわけではないさ。それより痛感したのは、僕自身の不甲斐なさだ。こんなにも近くに国敵がいたのに、その思惑にすら気づけなかったのだから」
自責の言葉だが、否定することはできない。
ロイがアントニーの陰謀に気づいてさえいれば、事態がここまで拗れることはなかった。それは揺るがしがたい事実だ。
「私ほどではないが、アントニーとも古い付き合いだろう。ずっと忠臣の役をやってきたんだ。無理もないさ」
ともすると、このような慰めなど必要ではないかもしれない。だが私は、こいつの中にある甘さが嫌いではなかった。
「だが、お前の落ち度を差っ引いたとしても、許すべき相手ではないはずだ」
「もちろんだ。でなければマリーヌに対しても面目が立たない」
「どのような変節があった」
問うと、ロイはさらに寂しげな表情となって呟くように言った。
「アントニーの兄君と、会ったんだ」
「謀反人の親族とか」
「ああ……受け取った手紙に、こう書かれていた。弟の仕出かした罪は重々承知している。それでも殿下に、一目お目通り願いたいと」
そしてロイは語った。アントニーの兄君――現ルーティス伯爵家当主と直接会ったときの話を。
王城へと赴いたアントニーの兄君は、なにも言わぬうちからロイの足元に跪いた。そして両の眼から止めどなく涙をこぼし、実の弟の助命を一心に乞うた。持てるものはすべて差し出す。だからどうか、たったひとりの弟の命だけは奪わないで欲しいと――。
「僕は彼に、毅然とした態度を取るつもりでいた。その覚悟で面会に臨んだんだ。けれど、涙ながらに命乞いをする彼の姿に、僕の口は糸で縫ったようになにも言えなくなった。アントニーは処刑する、それが王太子としての僕の務めだと、どうしても言うことができなかったんだ……」
ロイの述懐は、本人にとって不思議なものであったらしい。私にはうっすらとわかる。ロイが非情に徹することができなかった、その理由が。
「お前が知っていたからだ。血を分けた家族を喪うのはつらいことだと」
「家族……ああ、そうだったね」
かつてロイは喪った。彼の、2人の姉君を。
「大切な人が、同じ空の下のどこかで生きている。それはきっと、誰かにとっての大きな希望となる。例え2度とは会えないとしても」
「そうだろうな」
アントニーは、監獄の中で一生を終えるだろう。それは避けられぬ運命だ。
だが、生きているという事実それだけで、救いとなる人々だっている。アントニーは兄君と仲が良かった。根っからの悪人のように見えても、誰にとってもそうだとは限らない。兄君にとってのアントニーは、ヤンチャで人懐っこい弟だったのかもしれない。
私たちの間に、しばし沈黙が流れた。思いを馳せることならばあった。ロイの姉君と、そのメイドであったもうひとりの姉君。悲劇の果て、彼女たちの命はこの世界から完全に失われてしまった。けれどその足跡を、生きた証を、絶対に忘れることのない弟がここにいるのだ。
やや待って、口火を切ったのはロイの方だった。
右手を上げると、今も痛々しい自らの頬に触れた。
「……君を呼んだ理由について、まだ説明していなかったな」
「ああ」
待ち合わせにこの場所を指定したのは私だ。
だが、呼び出しを掛けてきたのはロイの方からだった。
頷いて待つと、ロイは踏ん切りをつけて語り始めた。
「さっきも言ったが、これは僕なりけじめだ。ここへ来る前、ヴィクスドール公爵領へ足を向けた。面と向かってヴィクスドール公に謝罪してきたんだ。この頬の傷は、公に手ずから殴られてできたものだ」
うっすらとそんな気はしていたが、私の中には驚きもある。
ヴィクスドール公は極めて理知的な御方だ。コルラン城での一幕では過大な言い方をしたが、結局のところロイのことを最後まで見切られてはいなかった。なにより、あの賢明なマリーヌ嬢の御父上に当たる御人なのだ。
「お前の気持ちはわかった。謝罪の意思を示したかったのもな……だが、かのヴィクスドール公が暴力に訴えるなど、私には到底信じられんのだが」
謝罪の過程で、またぞろ別の地雷でも踏んだのだろうか。
私の勘繰りを他所に、ロイはしめやかに首を振って否定してみせた。
「ヴィクスドール公は快く許してくださったよ。僕が直々に謝罪に訪れるのを、ずっと待っていてくださったんだ」
「では何故お前の頬は打たれている」
「これは僕からお願いしたことだ」
頬を打たれるのを願っただと? だが、しかし……。
「かの御方は、頼まれたとて王子の頬を打ちなどしないだろう!?」
「ああ、だから難儀した」
「難儀したって、お前……!?」
この男が強情っぱりなのは知っていた。1度こうと決めたら梃子でも動かない。その気質を眩しく思ったこともある。だが……。
「何日粘った」
「3日。その間、僕は誰も帯同せず、飲まず食わず眠らずで公のおられる邸の前に立ち続けた」
「大バカ者だな、お前は……」
こうなると呆れを通り越して、少し愉快にもなってくる。
「公も、さぞや災難であったろう。一人娘の元婚約者の頬を、手ずから打ち据えることになるとはな」
「ああ、だが僕はそれだけのことをした。レオン、君にならわかっているはずだ」
「それは……まあな……」
散々言って聞かせたことだ。数年程度で薄れる淡い記憶ではない。私はこいつがマリーヌ嬢に婚約破棄を突きつけたかどで、卒業記念パーティーのステージにまで乗り込みまでしたのだから。
だが、ここで止めておく必要もあった。何故ならうっすらと予想が付いていた。こいつがなんのために私に呼び出しをかけたのか、その狙いが。
程なくして、それはロイ自身の口から証明されることになった。
「レオン、僕を殴れ」
私の頭に、逆に激痛が走る。何故なら、そんなつもりでここにまで足を伸ばしたわけではなかったからだ。
「君のために片側の頬を残してある。遠慮せず、全力で僕を殴ってくれ」
「殴ってくれって、お前。私はそんなつもりでここに来たわけでは……」
「ならばどのようなつもりで来た?」
唐突に水を向けられ、答えに窮する。だがここで無言はないだろう。言いにくい事柄でもはっきり口にするべきだ。
「私は……その、つまり逆だ。1年前、お前に言ったことがあるはずだ。あとで殴られでもなんでもしてやると。お前に黙ってはたらいた不義理の数々を、清算したくてここにいるのだ。だから、つまり、もし殴られるなら私の方だろう」
正直なところを、余すことなく伝えたはずだ。だが強情者ロイ・ブリアリンのお気には召さない。自らの主張を取り下げさせるまでには至らなかった。
「レオン、君の事情ならば汲んでいる。致し方なかった。君が僕の元へ走り、ブリアリンとオスティールの間の緊張感を高めれば、コルランは北方遊牧民の脅威を除く機会を永遠に失ってしまったことだろう。それはやつらに虐げられた被災民を見捨てるにも等しい。辺境伯領主として、君は己のなすべきことをやったに過ぎない」
正論によるガン詰めだった。思わず私の咽喉の奥ががひゅうと呻る。
君主としての正しき行為を盾にされては、私に反論する余地が無くなってしまうではないか……。
「……いや、しかしだな」
私は思わず眼を伏せ、自らの手を見た。篭手を着けてきたのは、いくさの空気を忘れぬためだ。だがそれが却って殴りつけた際のダメージを増大させる武器になってしまっている。
正直言って、ただ殴りつけるだけなら容易い。だがこいつ、ロイ・ブリアリンは私の手加減を絶対に許さない。確実に見抜いてくる。もし手加減したなどと知られれば、こいつが満足するまで何度も頬を殴り続ける派目になるはずだ。
私の腕力で本気で殴れば、美しいロイの顔が一生歪む。
無二の友人である男の頬に、そのようなことはしたくない……。
「お……お前の顔は、ブリアリンの顔だ。例え一時的であろうと、それを損なうような真似はできん」
「ヴィクスドール公に殴られて、良い面構えになったと自負している。君に同じことをされれば、一段と向上すると思うが?」
ロイの瞳が、星を撒いたようにキラキラと光る。
ダメだ、こいつ本気で言っている……。
どうやら、嘘やお為ごかしで止めるのは土台無理なようだ。私がただ殴りたくないという一心で殴らないのなら、ロイはその気になるまで何日間だって待つことだろう。
明後日にいくさを控える私にそのような時間はない。
というより、それはロイ自身の決意に対する侮辱ですらある。
ならば私がするべきは、感情の言語化だ。心中を深掘りし、私がこいつを殴りたくない真なる理由を言って聞かせるしかあるまい。私は浅く呼吸し、しばし考えた。そして、忙しさにかまけて忘れかけていたことをひとつ、思い出す。
「……ロイ」
「なんだい? いつでも構わないよ」
もはや殴られる気満々でいるようだが、私の話は別にある。
「少し昔話をしてもいいか……幼稚舎時代の、私とお前の馴れ初めの話を」
意外そうな顔をしたロイだが、すぐに心を切り替えたらしい。深々とした頷きで許可をくれる。
「覚えているか。コルラン領から王都にやってきたばかりの私が、幼稚舎の寮へと辿り着いたときのことだ。私は寮の階段の踊り場で、他の寮生に囲まれている者を見た。それがお前だった」
ロイはその瞳に郷愁の色を浮かべた。
「忘れるわけないさ。あのとき僕は、体格で勝る貴族子息たちにからかわれていた」
「子どもの理屈だな。幼い頃は家格の上下などより、身体の大きさがものを言う……その後のことはどうだ?」
「もちろん覚えている。まだ寮の部屋に辿り着かないうちから、手に荷を持ったままの君が割り入ってきた」
ロイの説明を受けて、私も深く頷く。
あのときのことは鮮明に覚えている。多勢に無勢で囲まれているロイの姿を見て、頭がカッと熱くなってしまったことも。
「僕が助けを求めているように見えたかい?」
「いや……だが、そうせねばならぬと感じた。理由はあの場で語っただろう」
当時の記憶が甦ってきたのだろう、ロイの顔にも喜色が浮かぶ。
「そうだね。君は僕のことを女の子だと勘違いしていた」
「あのときのお前は腰まで髪を伸ばしていたからな。逆に私は切ったばかりの短髪だった。ちょうど今とは逆の按配だ」
父上に厳命された決闘禁止令を失念していたわけではない。どうあっても助けねばならぬと感じたのは、被害者が乙女だと思ったからだ。
仮にも貴族子息ともあろう者が、よってたかってひとりの乙女を嬲りものにする。2度と親に顔を向けられんほど恥ずべきことだ。その罪、身体に刻んで、絶対に懲らしめてやらねばならぬと義憤に駆られていた。
「私は無言で横から割り入り、初撃の鞄で2人をのした」
「そして残ったデカブツに、正面から決闘を申し込むつもりでいたんだな」
「ああ……だが結局、返事は聞けず仕舞いになってしまったが」
私もまた薄笑みを湛えて、ロイに水を向けた。
ロイにしても楽しい思い出なのか、少しはしゃいだ風に返してくる。
「答えは簡単だ。それより先に、僕が君に決闘を申し込んでしまったから」
「その通り」
不意打ちで折り重なるよう倒れた2人を前に、私はロイの盾になるよう身を乗り出して口上を上げた。
『か弱き乙女を集団で嬲りものにするとは何事か!! その根元からひん曲がった品性、この僕の手で修正してやる!! 我が名はコルラン辺境伯が子息、レオン・コルラン!! 貴様も男なら名乗りを上げて、正々堂々僕と決闘するがいい!!』
息巻く私の背に、思いもよらぬ声が掛かった。
『余計な世話を焼くなッ!!』
少年とも少女ともつかぬ甲高い声を受けて、驚いて背後に背負ったはずの人物を振り返った。
金糸の如く流れる髪に、絵画から抜け出たような美しい顔。そんな優雅な外見の持ち主が、まるで飢えた獣のような獰猛な瞳で、今にも噛みつかんばかりにこちらを凝視していた。
意表を突かれて眼を白黒させる私へと、その乙女のような少年は、内なる怒りを隠そうともせずに続けて叫び声を上げたのだ。
『これは私の戦いだ!! 頼みもせぬうちから助勢し、あまつさえ私のことを女扱いするなど侮辱も甚だしい!! そこのレオン・コルランとやら!! ブリアリン王国第一王子ロイ・ブリアリンの名において、私はこいつらより先に君にこそ決闘を要求する!!』
声量は、おそらく私の口上より圧倒的に上だっただろう。その声は広々とした寮全体へと響き渡り、窓の桟をビリビリと振動させるかに思えた。
――真っ先に我に返ったのは、私でもロイでもなかった。
つい先刻までロイのことを小突いていたデカブツが、慌てた様子で床に倒れた2人の頬を叩いて起こし、連れ立って一目散に逃げ出したのだ。実に小者染みているが、まさか自分たちがいじめていたのが王太子殿下であったなどとは、夢にも思っていなかったのだろう。
果たして、脅威ならば去った。
だが敵意はその場に残る。
王太子ロイ・ブリアリンは私の助太刀を自身に対する侮辱と捉え、本気の決闘を申し込んできた。今さら撤回はできないし、私としても受けざるを得ない。ロイも私も、自身の男としての価値を下げるわけにはいかなかったのだから。
私たちは場所を変えた。
そして人目につかない場所で、寮から密かに持ち出してきた木剣を構えた。
望もうと望むまいと、こうなってしまえば真っ向堂々と真剣勝負をやるよりない。手加減は相手に対する侮辱となる。
私とロイとの決闘は、一瞬で片が付くこととなった。
当時のことを、ロイはこのように述懐する。
「……今まで見たこともない、見事な剣捌きだった。さすがはブリアリン王国の武の棟梁を務めるコルランの跡継ぎだと思ったよ」
額を強かに打ち据えられて、ロイはその場に尻餅を突いていた。
私といえば正面に立ち、痛みに耐えるその姿を静かに見届けている。
正直言って、気まずかった。これは意図した決闘ではない。私はこの男を救おうと、連中の間に割り入ったはずだ。だのにどんな皮肉か、助勢に入ったはずの私こそが、王太子ロイ・ブリアリンの額に一撃を見舞ってしまっている。
倒れているのがもし、先のデカブツであったなら。説教でも訓戒でも、能弁にいくらでも垂れてやったことだろう。犯した罪の重さを自覚させ、2度と同じことをしようと思わぬよう、徹底的に言い聞かせてやったことだろう。
だが、この王太子に落ち度はない。早計にも助勢を乞われる前に介入し、庇護に回った私の行動が、男としての自尊心を傷つけてしまった。当時は自覚していなかったが、これもまた怒りの感情が招いた予期せぬ事態であったのかもしれない。
「…………」
いい加減、沈黙し続けるのも気まずい。雌雄は決し、私は勝者となった。決闘の最後は、勝者が敗者に主張を飲ませることで終結を見る。敗者が黙ってそれを飲みこむことで、場に秩序と平静が取り戻されるのだ。
不慮の決闘だ。私に主張すべきことなどあるはずもない。
さりとて、黙ったままではいつまで経ってもこの状況は終わらぬ。
進退窮まった私がからくも咽喉の奥から搾りだしたのが、このたった一言の誘いの言葉だった。
『……強く、なりたくはないか』
私は見た。見下ろすロイ・ブリアリンの瞳に、星のような光が瞬くのを。
『なれるのか? 君のように』
こちらに興味を持ったと思った。だから次の一声には困らなかった。
『身体の強さは人による。断言はできないけれど』
『人一倍努力すればどうだ。君の剣を使えるようになるか』
『やはり断言できない。ただ、僕の剣なら多少は教えられるけど……』
『是非教えてくれないか!!』
星が爆ぜた。そう思った。
気づくと王太子ロイ・ブリアリンは尻餅を突いた姿勢から一瞬にして立ち上がり、未だ木剣を握ったままの私の手を両手で握りしめていた。そして――。
『明日……いや今から私に、剣の稽古を付けてくれ!!』
その、あまりにも生き生きとしたロイの顔に押されてしまい、私の脳裏からは断るという選択肢が綺麗さっぱり消え失せてしまったのである……。
思い返せば、いつだってそうだ。私の人生はなし崩し的に始まる。計らずしもブリアリン王国の筆頭継承者と目されるロイ・ブリアリンと知己となった私は、どんな運命の皮肉か、その日からこいつの剣術の師匠にもなった。
思い出の海から浮き上がり、ロイは眼を細めて私を見た。
「君に剣の教えを乞うたとき、とても嫌そうな顔をされたのを覚えている」
「私はただ、お前に迫られて驚いただけなのだがな……」
「いいや、絶対に嫌がっていたさ」
否定した後、ロイはなにかに気づいたらしく続けて言った。
「それとも、僕の身なりの問題だったのかな?」
「そうかもしれん。正体が判明してからも、お前のことは可憐な乙女にしか見えなかったからな……」
実際、稽古を付けている最中もやりにくいことこの上なかった。木剣を振るごとにロイの金糸のような髪が宙に舞い、まるで乙女がダンスに興じているように見えたのだ。
こんなこと、当時なら絶対に口にしていない。幼稚舎に来たばかりのロイは、プライドが服を着て歩いているようなものだった。いずれは王国を負って立つ、その責任感が、彼に身の丈以上の振る舞いをさせていたのだろうと、今ならばわかる。
「家の方針だった。髪を伸ばしていたのも、ひらひらした服を着ていたのも。少女のような恰好をすることで厄が払えるという、アレさ」
などと簡単に語ってくれるが、当時の私にとってロイの存在は悩みの種だった。なにせ私は剣の手解きなどしたことがなく、初めての教練生がこの国の王太子だったのだ。よしんば無骨な男であれば少しはやり易かったろうが、相手が絶世の美形ときていたのだから始末が悪い。
いずれはその足元に傅くかもしれん私にとって、どういう態度で接するのが正しいものか、皆目答えがわからなかったのだ。
「実際にやらなければわからないことだってある。僕にとって、剣の道がまさにそれだな。まさかブリアリンの血筋に連なるこの僕が、あそこまでの無才だったとは思ってもみなかったよ」
手近な比較対象が私だという点を除いても、その自己評価は覆せるものではなかった。私の見る限り、ロイの剣才は凡庸の枠組の中に留まっていた。これは基礎体力がどうのというものではなく、生来のセンスの問題だ。
……それでも、鍛錬を繰り返していれば力を得る。
剣の稽古を始めてからしばらくして、ロイはからかってくる連中を自力で撃退し始めた。立場上、私としては遠巻きに見守るしかできなかったのだが、決闘の戦果が眼に見えて良くなったのだ。
やがてロイにいじめを吹っかける輩はいなくなり、私たちの幼稚舎での生活は静穏さを取り戻していった。私は当時を述懐する。
「当初の目的は達成した。なのにお前は、頑なに私との剣の鍛錬を止めようとしなかったな。あれは何故だ?」
「下手の横好きというやつかな。剣を振るのが楽しかったんだ」
本音で語っているようだが、私はドン引きしていた。
「あれが楽しい……? 相当厳しくしてやったつもりだが」
「だろうね。僕からもそう頼んだ」
楽しげに、またしても平然と言ってのける。
当時の私はロイの注文を完璧に実行した。鍛錬にまったく手加減など入れていなかったのだ。
立ち合いでは1度として私に勝つことはなく、徹底的に地面に転がされた。その後は体力の限界まで基礎訓練を行い、日の沈む頃には疲労で必ず嘔吐するのがならわしだった。
「たしかに苦しかったさ。だけど技巧を修めて、身の内に蓄積する手応えを感じていたからね。それに言い出しっぺは僕だったし、まさかこちらからやめてくれとは言えないじゃないか」
飄々とした物言いには、ロイ・ブリアリンの人柄が集約されている。
途方もなく頑固で、見た目に以上に根性がある男。当時の私も感じていたことだし、その人物評は未だに変化していない。
「そういえば私からだったな。鍛錬の終了を提案したのは」
「1年続けて、僕が家の都合から解放されたときのことだね」
新環境とは得てしてそうだが、幼稚舎で過ごした1年は濃密なものだった。慣れない寝所に、同年代が集う学び舎。私の場合、それに加味してロイとの関係があった。
この乙女にしか見えぬ少年とどう付き合うべきかは、私の1年にわたるテーマだった。思い返すに、戸惑いばかりの日々だ。相手はいずれブリアリン王国を負って立つ王太子であり、家格ならば明確にあちらが上。さりとて立場としてはロイが私に教えを乞うており、こちらに分があると見ていいだろう。
上か下か、どちらの立場で接すればいいのか、私は最後まで決めあぐねていた感がある。
答えは、あっさりと出た。1年目の冬期休暇明け、ロイは腰までの長い髪をばっさりと切り落とし、男らしい身なりで幼稚舎に現れた。周囲の衝撃も冷めやらぬ中、その日の授業終わりに私たちは連れ立っていつも鍛錬を行っている場所へと赴いた。
ひとしきりメニューをこなした後、私たちはともに大きな岩に腰かけ、日没までの時間を休息に当てることにした。
「鍛錬も久々だな。鈍ってないようでなによりだ」
「休暇中も城内で毎日剣を振っていたんだ」
「ひとつ問うて良いか? 僕たちの関係のことだが……」
とここで、私は言葉を吟味して、悩みの種を打ち明けた。
「その、お前が髪を切り落とし、男の身なりになったことで、無用なトラブルはもう起きないものと考えていいだろう。自衛のためとはいえ、ここまでして剣を追求する必要性はもうないんじゃないか?」
基本的に、寡黙に稽古を付けてきたつもりだ。無駄な話を交えた覚えはない。
ロイも意表を突かれたものらしく、ただでさえ大きな碧眼をさらに見開いていた。
「君は、この鍛錬をもう辞めたいと?」
「お前が続けたいというなら付き合う……しかし、お前には別にすべきことがあるだろう」
王太子は辺境伯子息とは違う。国土防衛のため、武の道にのみ邁進すれば良いというものではない。
私もいずれ領地を治めようが、ロイは私を含めた貴族全員を纏める立場となる。責任の大きさに差がある。
「学ぶべきことを学ぶために、剣を捨て置けというのか」
「そこまでは言ってない。ただ、僕としては……」
「わかった。そうしよう」
今度は私が驚く番だった。思わず言葉を失ってしまう。
なにも言えず沈黙していると、横合いからロイが様子を窺ってきた。
「どうしたレオン、私はなにかおかしなことを言ったか?」
「あ、いや……存外に素直に受け入れられたので、驚いたのだ」
もっと抵抗があるものと思った。私は王太子に意見したというのに……。
「友だちのアドバイスを無下にするほど、狭量ではないつもりだ」
「……友だち?」
「違うのかい」
真顔で問い直されて、はたと気づく。当初ロイに持っていた苦手意識がなくなっていることに。
いや、それどころか、私自身もいつしかこいつとの鍛錬を心待ちにしていた気がする。ロイが強くなる過程を見るのを、心のどこかで楽しみにしていた。
「もし違うというなら、心に留め置いてくれ。剣を振っている最中、私はずっと君を初めての友だと思っていたと」
言い終えたとき、日没がやってきた。
ロイの顔は見えなかったが、やつなりに照れていたに違いない。
しかし、どうして今まで気づかずにいたのだろう。
ロイもまた、私と同じく周囲に対等な友人を持てずにいたのだと。
「……私は髪を切ったが、君は伸ばすと良い。硬い髪質の長髪は、周囲に威厳を振り撒くことができる。思えばこの1年、細く柔い己の髪質を、何度恨んだかしれないくらいだった。レオン、君のような髪に生まれつけば、私もこんな苦労を負わずに済んだのかもしれないな」
赤日を背に負ったロイは、くすっと愉快げに笑い――。
「私、という言い方も気取っているな。君に倣って僕と改変するとしよう。レオン、重ねて僕からアドバイスだ。君は私と呼称するといい。冷たい印象が研ぎ澄まされて、君に敵意を向ける輩はさらに少なくなるだろう。お父君の言いつけだって、今よりもずっと守りやすくなるはずさ」
そう言い残すと、ロイは寮へと足を向けた。
少し進んで、まだ岩に座りっ放しの私へと振り返って催促する。
深く考えるべきことがたくさんあった。どうやらそれは、ロイと別れて自室で静かな時間を過ごす際に取っておくべきものらしい――このときの私はロイとともに帰路を辿りながらも、そのような思いに耽っていた。
ロイは覚えているだろうか? きっと覚えているだろう。
けれどロイの胸の内に生じた思いは、私のものとは違うはずだ。何故ならあのとき、私はもっと早くこのことに気づいていればと思ったからだ。
それができなかった自分を、痛切なまでに悔やんでいたからだ……。
短い時間旅行は終わり、私たちは現在の時間に引き戻される。
ロイは憑き物の落ちたような顔で、私に引導を突きつけてきた。
「昔語りは終わりだ、レオン。楽しい時間にも潮時というものがある。僕も自分の行いをいつまでも抱えてはいられない。君との間にあるわだかまりを解き放ち、再びあの頃と同じ立場に戻らせて欲しいんだ」
真っ直ぐなロイの眼差しが、嘘偽りない気持ちであることを保証する。私とて同じ思いだ。篭手ごと拳を握り込むと、こいつの思う通りにしてやりたい気持ちにもなってくる。
だが――私はやはり首を振った。そして続けざまに言った。
「悪いが、できん」
「強情だな……僕も同じではあるけれど。理由を訊いても?」
私は背後を振り返る。さわと吹き抜ける風が木々の梢を揺らし、その下方にある建物に疎らな影を投げかけている。
「ここには、母上が眠っている」
「君の母君が? しかしここは、コルラン家の墓所とは違うはずだ」
私は、ああ、と言って首肯する。コルラン家の人間は、代々城に併設された地下墓所で眠りに就く。今は父上もそこで眠られている。
「母上たっての願いだったのだ。領民の暮らしぶりが一望できる場所で眠りたいと。天に召される間際、母上はご自分が責任を果たせなかったことをひどく悔やんでおられた。とこしえの眠りに就かれた後も、せめてこのコルランに住まう人々のことを見守りたいと、この場を所望されたのだ」
聖廟を見上げていると、ロイが近寄って隣に立つ。
こいつもまた、母上の眠られる場へと視線を向けた。
「お人柄は伺っている。とてもおやさしい女性だったと」
「病に臥せられてからも、苦しむ姿をずっと隠しておられた」
今となっては母上のお気持ちは痛いほどに理解できる。けれど当時の私にとっては凶と出た。その身を蝕む病魔が、まさかあそこまで命の灯を削っているなどとは、夢にも思っていなかったのだ。
母上の死に目に、私は間に合わなかった。
「ロイ……お前は、果たせなかった約束をどう思う」
「約束?」
「私は、かつて母上との間に結んだ約束を守れなかった」
独白すると、ロイに向き直って続ける。
「誓ったんだ。母上の元へ友人を連れ帰ると。しかしその約束を果たせぬまま、母上の魂は身罷られてしまった」
私の後悔。それは、今まさに眼の前にある。
「でも、私にはいたんだ。お前という友が」
「……レオン」
「教えてくれ。今さらこんなことをする意味があるのかを」
ロイの瞳が広がる。私が、待ち合わせにここを指定した理由を察したのだ。
「お前はかつて、私を友と呼んだ。けれど私は、それを友情と呼んでいいものかわからなかった。お前は王太子で、私は剣の師だ。上下があべこべになった関係を、人は対等と呼ばぬと思った。その正体を感じ取れなかったんだ。本当は私もまた、お前という男に友情を感じていたというのに……」
ロイは私を見た。そして私の状態を冷静に感じ取ってくれた。
浅く頷いて、気持ちをすべて吐き出すのを待ってくれている。
「間に合ったはずなんだ。気づいてさえいれば。お前を連れて、母上の元に駆けつけてさえいれば。けれど先延ばしにしてしまった。私は、お前との関係を曖昧にしたまま、それを放置してしまった……」
脳裏に浮かぶ母上のお顔は、いつだって満面の笑顔だ。
病に臥せられる前も後も、その印象に変わりはない。いつだって私のことを案じてくれて、愛してくれて、なによりも自分自身よりも一番に考えてくれていた。
孝行息子になりたかったわけではない。そのような考えを抱くには幼過ぎた。けれどたったひとつ、この指切りの約束だけは守り通したかったのだ。
素敵な友だちができたねって、母上に喜んでもらいたかったのだ。
「母君が早世されたのは、君のせいじゃない」
「わかっている。だが……可能性ならあった」
「…………」
ロイは無言で私から視線を切ると、その脇を抜けて聖廟の前にある墓碑へと歩んだ。
膝を折ってその場に跪き、恭しい態度で碑を見る。そして――。
「馳せ参じるのが遅れたこと、どうかお許しください。僕はブリアリン家が長子、ロイ・ブリアリンと申します。レオン殿とは幼稚舎からの知己で、いつも力になってもらっていました。伯爵位を継いだあとも、彼は王国に忠実に尽力し、王国民のみならず僕と僕の家族をも救ってくれました。その恩義は、どれほど報いても報いきれるものではありません」
王太子の立場に相応しい物言いで、私の母上へと語りかける。私は息を呑んでその姿を眼に入れていた。
「お伝えせねばならないことがあります。彼は僕の無二の友人です。今後の人生がどれほど長く続こうと、きっと彼ほどの友を得ることはないでしょう。彼はいつも正しくありました。僕はそんな彼の思いを裏切ってしまったこともあります。距離を置き、互いの正しさのために別々の道を歩んでしまったことも。けれど今、その道は再び合流を果たしました。僕はこの友情が長く、永遠に続くことを希望します。ヒルダ様、ひとつお願いがあるのです。あなた様が今も領民を見守られているように、どうか僕たちのことも見守っていただきたいのです。この友誼が、2度と揺らぐことのないよう、今から、ここから」
両手を結んで祈りを捧げ、ロイは立ち上がった。
私へと向き直ると、すべて理解したようにこう告げたのだ。
「……意味ならあるよ、レオン」
私の元へ歩んで、正面に立つ。
「いなくなってしまった人たちに、僕たちの声が届くかはわからない。けれどこれだけは言える。君の母君は、きっと今の君にそんな顔をしてもらいたくはなかったはずだ。立派に育った君が、希望を持って日々を生きる姿こそ、真に見たかったのではないかとね」
ふっと相好を崩して、やや自嘲的な笑みを見せる。
「……それとだ。配慮を欠いてしまったこと、心から申し訳なく思うよ。君に殴られ、君に許されたい。それは僕の独りよがりな願望だ。まさか君も、君の母君が眠られるこの場所で、僕の頬を殴るわけにはいかないだろうしね」
一歩近づいて、ロイが両手で私の肩を叩いてくる。感極まった私がなにも言えずに口を噤んでいると、真剣な表情でこう問うてきた。
「レオン……僕はまだ、君の友人か?」
「当然だ、ロイ」
どちらともなく視線を外した。
ロイは再び首を捻り、私もまたそれを見上げる。
墓碑となった母上はもうなにもおっしゃることはない。ただ、私たちの一部始終を、包み込むようにして見守ってくださっていた。
下草を吹き流す柔らかな風が吹く。
碑の傍に並ぶ太陽が強い光を放つ。
母上の慈愛は、大自然の息吹となって、これからもこのコルランの地を潤してくれるのだろう。
風が止んだとき、ロイがひとりごちるのを耳にした。
「レオン……これが美しい友情の始まりだな」
「とっくに始まっている。私たちは、それが終わらなかったことこそ喜ぶべきなのだ」
晴れやかに笑い合って、まるで肩の荷が降りたような心地になる。
「君に聞いてもらいたいことがある。僕は近く、父親になる」
「もう、そんな頃合いか」
時は流れる。無慈悲なまでに。それはあらゆる人々に永遠の別離を突きつける一方で、愛すべき新しい命をも連れてくる。
ブリアリンを見舞った危機から数カ月、私の元に、王都に住まう彼女からの便りが届いていた。美麗な文字で書かれた便箋には、王太子妃が産気づいている旨が記されていた。
「生まれてくるのが男の子か女の子か、産婆もまだわからないと言っている。けれど、もし男児が産まれたなら、僕は君の名を付けたいと考えている」
私は少し驚き、反射的に言葉を継いでいた。
「本当に構わないのか、私などの名で?」
「僕は君以上の男を知らない。それにこれは、生まれてくる子への最高の贈り物になるはずだ。まさか断るなんて言わないだろうね?」
念を押されて、少し考える。これまでの私なら躊躇し、畏れ多いと断っていたかもしれない。だが今の私は、この友の願いが切なるものであることを、誰より深く理解していた。
「もちろんだ。その栄誉、私も浸らせてもらおう」
「ありがとう、恩に着るよ」
人好きのする笑みを浮かべ、ロイが続けて言い足してくる。
「今度は君が王都へ来てくれ。紹介したいんだ、2人の姉たちに。アウロアがいて、君がいて、生まれてくる子どもがいる。僕はもうちっとも寂しくないんだって、彼女たちに伝えたい」
「無論だ。いくさを終えて落ち着いたら、必ず寄させてもらう」
「勝てよ、レオン」
「ああ」
私は母上の墓碑を見上げ、ロイはその場で踵を返した。
友情の復活。それは美しいものであれど、私たちには別々の道が待つ。
この双肩に背負った者たちのため、身を粉にして力を尽くす。
それこそが真実の、私たちが生まれてきた意味なのだ。
だが、はたと気づいた。まだ終わりではない。私は、私の素晴らしい友人に伝え損ねていることがある。それは今でなくとも構わないのかもしれない。だがこの考えこそが間違っているのだと私は知った。ならばやはり、今しかないのだ。
私は振り返った。そして階段を半ば降り始める背に向けて声を上げる。
「ロイ!! 遅ればせながら、お前に言っておかねばならないことがある!!」
ロイもまた振り返る。その表情には驚きが見える。別れの言葉なら今しがた語り合った。この上付け足すべき事柄が思い当たらないのだろう。
だが、私にとっては違う。たった一言、どうしても伝えておかねばならぬことがある。ロイ・ブリアリン。無二の友人が相手ならば必ず言っておくべきことを、私はこの何年もの間ずっと、保留したまま口にしていなかったのだから。
甲冑の胸元が膨れるほど大きく息を吸って、私はなんら遠慮のない大声を放った。
「結婚、おめでとう!!」
虚を突かれたロイもまた、一拍置いてぱあっと大輪のような笑顔を咲かせた。そして――。
「どうもありがとう!! レオン!!」
気づけば年が明けています。新年おめでとうございます。
かなりの長期にわたって執筆しておりましたが、とても難産な小説になりました。
作者的には、やっとこさレオンたちもハッピーエンドに辿り着いたと思っています(ハッピーじゃなかったらごめんね)。
繰り返しになりますが、全体としての評価・感想等頂ければ作者の励みとさせていただきます。




