第3話 『万能令嬢マリーヌ、お仕事で無双する (前編)』
結局ところ、だ。
私は先行する女執事の背を追いながら、思う。
結局のところ、私はしっかりとマリーヌ嬢の身柄を持て余した。
件の卒業記念パーティーでの一幕。大衆の面前で、相応しい仕事を準備するなどと大言壮語しながら、私の脳裏にはそれを実現するためのアイディアが最後までひとつも閃くことはなかったのである。
遠路はるばる、馬車に揺られた。対座に座って、我が故郷まで連れ出した。その間の気まずさたるや、筆舌に尽くしがたいものがある。
「レオン様。ご郷里には、どのようなお仕事があるのでしょうか」
「それは……あなたに相応しい仕事を、用意する」
攫われたというのに瞳をキラキラと輝かせるマリーヌ嬢に、私は曖昧な返事で内容を濁した。
数日走って、故郷に到着する。辺境の名に相応しい長閑な風景と、他国に領境を接するがゆえの、防衛の拠点としての風景。王都の華やかさとは完全に無縁だ。
拠点であるコルラン城ではなく、内地にある別邸にマリーヌ嬢を案内したのは、私の判断だ。城はあまりに無骨過ぎてご令嬢の眼には些か苦痛であるだろうとの考えからだった。
「お帰りなさいませ、レオン様」
出迎えに駆け付けたメイド長に、私は事情を説明した。
「ええぇ? ま、マリーヌ様を攫われたのですかっ!?」
「声が大きい。このことは内密に」
「あ、はい……」
両手で口を押さえるメイド長に、重ねてとある頼みごとをする。
「えっ? 私どもでマリーヌ様のお仕事を作れと?」
「貴婦人に相応しい仕事というものが、どうにも思い浮かばないのだ」
「お、畏れ多すぎます!! もしも失礼があったら、私……!!」
想像だけで眼の淵に涙を溜めるメイド長だったが、私とてほとほと困り果てている。
とりあえずお飾りでいい、なにもさせなくていいからとの約定を取り付けて、それらしい仕事を彼女に作ってもらうことに成功した。
やがて応接室で待つ私とマリーヌ嬢の元に、佇まいを正したメイド長が入室してくる。
「マリーヌ様には、私どもメイドの仕事ぶりを監督していただきたく思います」
「メイド、ですか?」
純真無垢な瞳が私に向けて注がれる。
あまりの気まずさに、咄嗟に声を出していた。
「我が領土のしきたりなのだ。貴婦人はまず当家のメイドの仕事ぶりを観察し、その鮮やかな手捌きを見習ってもらう。本当だ。我が母ヒルダもまた、嫁入りの際はそこから夫婦生活を始めた」
嘘である。
がしかし、純粋なマリーヌ嬢はそれを信じた。
「(本当に、なにもさせなくて構わないのですか)」
「(ああ、頼む)」
小声で密談を交わし、メイド長はマリーヌ嬢を連れ立って出てゆく。
これで少なくとも数日の猶予は稼げた。そんな安堵を覚えた矢先――。
「辞めさせていただきます」
その夜、執務室に現れたメイド長は、開口一番そう言った。
いつも完璧にセットされている髪は乱れ、亡霊の如く沈んでいる。
「どうした? まさかマリーヌ嬢になにか……」
「いいえ。マリーヌ様にはなにも落ち度はございません」
「では、何故?」
ただならぬ雰囲気に圧倒されて訊くと、メイド長は垂れた自分の髪を噛んだ。
「だってあんなの、完璧過ぎる……言ったんですよ、私。やらなくていいって。でも試しに少しだけって言われて断れなかった。そしたらあの手捌き、先が見えてるような迷いのない足取り……いったいあの方、なんなんですか!?」
ぶるぶるぶる、と身体の芯から震えて、胸を押さえる。
「おかしいですよ! 私この仕事10年やってきました! やっとメイド長の座まで上り詰めたのに! 私のやってきたことは、仕事じゃない! 子どものままごとだって今日、マリーヌ様に教えられました!! こんなの嫌!! 私もうこの仕事続けられない!! こんなザマで後輩メイドに偉そうになんてできない!! お願いですレオン様!! 私に故郷に帰るご許可をください!!」
私の衣服に縋りつき、よよよと泣き崩れるメイド長である。
普段のクールな彼女から程遠い狂態に、私はただならぬ事態が起こっていることを知った。
しかして、1度では終わらない。翌日、私は庭師たちに頭を下げてマリーヌ嬢の仕事を作ってもらったのだが、ここでも同じことが起こる。
「新しい旦那様。あっしに故郷で、羊飼いをさせてくださいませ……」
とかく、だ。
マリーヌ嬢は使用人の仕事であろうと、熱心に観察する。そして自分でやってみようとする。公爵令嬢でありながら仕事に色眼鏡を持ち込まないその姿勢に使用人たちは感動し、その申し出に素直に首を縦に振る。そうなったらもうおしまいだ。彼らの培ってきた知識、技術、経験、その他諸々を完全否定するほどの完璧な仕事っぷりをマリーヌ嬢が見せつける。結果、私の元に辞表が山ほど舞い込むということだ。
今日もまた一通、私の元に辞表が届いた。
頼み込んで保留にしてもらってはいる。
しかしそれも、いつまで保つか……。
私は執務机から立ち上った。困ったときの行き先なら大抵決まっている。
先方も勝手を知っている。夕時だというのに、指定席で私を待っていた。
「……少し遅過ぎるのではありませんか、レオン坊ちゃま」
茶菓子を持って現れた私に一瞥すらくれず、アーノルドが声に出す。
「使用人たちはみな、努力しております。彼らの受け持つ領分の内で精一杯。レオン坊ちゃまのなさったことは、そんな彼らの誇りをいたずらに傷つけてしまっただけではないでしょうか?」
相変わらず、痛いところを突いてくれる。
私はかぶりを振ると、椅子を持ってきてアーノルドの隣に座った。
「予想できるか。マリーヌ嬢があそこまでするなどと」
「薄々想像は付きましたよ。なにせ学院一の才女なようですからな」
「私の言ったこと、よく覚えているな……」
私は半分忘れていたようなものだが。
「それで、これからどうするおつもりですかな?」
「さてな。彼女に相応しい仕事など、皆目見当もつかん」
「またまた、ご冗談がお上手です。ひとつございましょうに」
首を傾げると、湯気を立てる紅茶を啜ってアーノルドは――。
「ヒルダ様の御椅子が空いておりましょう。マリーヌ様にこそ相応しいお仕事が、あそこにはございます」
「面白くない冗談だな。私は彼女を誘拐したも同然なのだぞ」
「心というものは、開けてみるまでわからないものですよ」
ほ、ほ、と愉快げに笑うが、私は追従する気分ではない。
「頼みがある。お前にしかできぬことだ」
「おっと、今度は私の元へマリーヌ様を厄介払いするおつもりで?」
図星だ。歯噛みするも、アーノルド相手に意地を張っても無意味か。
「頼まれてくれないか。お前ならマリーヌ嬢の力を正しく生かすことができる」
真剣なお願いだ。コルラン辺境伯の立場として頭を下げた。
じっと眼を合わせていると、アーノルドのそれが柔和に歪む。
「先代に引き続き、新しい旦那様にもご信頼いただけた。老骨として、こんなに嬉しいことはありますまい」
「ならば、引き受けてくれるか」
「ただし」
シュッ、と火が点く速度でアーノルドが指を立てた。
「私に一任されるのであれば、今後あらゆる口出しはなさらぬこと。それとマリーヌ様に関してですが、私流の遣り方で育て上げます。人々が思うご令嬢のイメージから逸脱することになりますが、構いませんかな」
正直に言えば、含みのある物言いに不安もないではなかった。
しかしこれは、天から垂れた蜘蛛の糸だ。私に断る選択はない。
「頼む。もうお前しかおらんのだ」
「記憶しましたよ。レオン坊ちゃま」
こうして、マリーヌ嬢はアーノルド預かりとなった。いち執事の丁稚である。普通の令嬢であったならば、到底許容のできぬ仕事内容であっただろう。
しかしてマリーヌ嬢は普通の令嬢などではない。これまでも我が邸内にて数多くの使用人の仕事に文句も言わず従事し、信じがたい手腕を発揮してきた。並の仕事人の手には負えぬ。
だがそこはアーノルドだ。我が領の誇る名物執事長の手にかかれば、彼女とてまだ赤子同然の仕事しかできぬはず。
現にあれから、目立った問題は起きていない。私は館の上階の窓から、幾度となく中庭でアーノルドと仲睦まじくするマリーヌ嬢の姿を見た。
傍目にはお茶会を開き、会話に花を咲かせているようにも思える。しかしマリーヌ嬢の瞳には真剣な色があった。アーノルドと会話した後にしきりとメモを取る様子は、まるで勤勉な学生のようだ。
……ともあれ、だ。私もこれでやっと人心地付ける。
父上が亡くなってから、ずっと浮足立っていた。気楽な学生身分が一転、広大な辺境伯領を預かる身となった重責。ロイとアウロアの身分違いの色恋沙汰に、マリーヌ嬢への婚約破棄。弱音を吐くが、その心労たるや並大抵ではなかった。
夏が過ぎ、冬が来た。静穏な時間が流れる。
私も辺境伯としての執務に少しずつ慣れてきた。
アーノルドが教えているうちに、マリーヌ嬢の処遇も考えねばならない。彼女のする仕事など、実のところ最初からどうでもいい。女の花盛りは短い。とうが立つ年齢に至らぬうちに、彼女をヴィクスドール家に返還し、相応しき相手を見つけてもらわねばならぬ。
そのためにも私はまず、この辺境伯領を預かる身として恥ずべきところのない立派な君主とならなければ。
やがて冬が過ぎ、新たな春が来た。
私が己の判断の大間違いを知ることになる春が。
我がコルラン辺境伯領の領地収入が、3倍になっていた。




