第23話 『王太子妃失格の女』
アウロアもアントニーも、その顔に気まずげな表情を貼り付けている。
ひとりは夫に発言を止められており、もうひとりは自身の失言を懸念する。つまるところ、誰も進んで口を開こうという状態ではない。私たちを除いては。
ともあれ、願ったりかなったりだ。素直に静聴していてもらうとしよう。
「……ときに、王国が親だとすれば、子はなんだ」
「なに?」
「軽い問いかけだ。お前の意見を聞きたい」
ロイの怒りは微塵も減じていない。それを必死に抑え込もうとしている。ことここに至って、私が意味のない質問などするはずがないと知っているからだ。
「親に従うという意味でなら、子は貴族領だろう」
「私も同意見だ。ブリアリン王国を親と見立てた場合、我がコルラン辺境伯領は子に相当することになる」
「それがどうしたというんだ」
眉根を寄せて問い返すロイに、私は一息に本題を突きつけることにした。
「子が成長すれば、ひとり立ちを迎える。自然な流れだな。そして今また、新しく巣立とうとするものがある。今でこそ二君に傅き、下される命に従順に従ってこそいるが、その領土と領威はもはや一国にすら引けを取らない……ゆえに私はこう思うのだ。頃合いが来たのではないのかとな」
色めき立ったのはロイではなかった。その者は片付けを待つ皿に載ったフォークを鷲掴みにし、テーブルの上に力任せに突き刺した。
「レオン!! お前自分がなに言ったかわかってんだろうな!!」
凄みは物理的な風圧を伴って、離れた場所にいる私の顔にまで到達する。ふわりと髪が揺れ、私は頬に掛かったそれを手で払いのける。
「む……謀反の企てでしょ!? それって!?」
夫の言いつけを破って、アウロアまでもが立ち上がる。この反応に対する叱責は酷というものだ。私の口にしたことは、王国の根幹を揺るがしたに等しい。
一触即発の2人に睨まれながらも、私はロイのみを注視する。
脅しは決定打になどならない。何故なら、この場で決を下せるのはこの男だけなのだから。
「アウロア、アントニーも……着席してくれ」
「子の自立を喜べないか?」
「レオン。君も、少し黙れ」
ロイの語尾が苦悩に震えている。言葉の鍔迫り合いにしても、これはあまりに悪趣味に過ぎた。
コルラン領が独立を宣言すれば、高い確率でロイたちと一戦交えることになる。いくさが始まれば、双方の陣営に多くの人死にが出るだろう。あまりに高いその代償は、私とロイで支払うことになる。
私は紅茶をマドラーで掻き混ぜ、一口飲んで乾ききった口内を湿した。
そして――。
「無論のこと、こちらとしてもいくさは本望ではない」
「当然だ。しかし君は言ってはならぬことを言った」
今やロイの瞳は氷のように冷え切っている。
友情の終わり。そんな言葉が私の脳裏にチラつく。
「私に罰を下すと?」
「爵位の剥奪にすら相当する重罪だと知っているはずだ」
「そうだろうな。だが……今のお前に、それができるか」
「なんだと!?」
ロイ・ブリアリンのお人好しは筋金入りだ。
だからこそ、冷徹で非道な私の考えを完全にトレースし損ねる。
「我がコルラン領が独立を宣言すれば、王国全土から敵意と顰蹙を買う。そのおこがましさ、反抗的態度は王国の秩序を乱す敵性存在として十分な脅威だ。だが忘れているぞロイ。今やこのブリアリン王国は2つに割れかけている。そしてその陣営の片割れは、必ず私の味方をするということもな」
ロイが驚きを見せる。が、それも一瞬のこと。
歯噛みして、まるで私を軽蔑するかのような一瞥をくれた。
ようやく答えに行きついたのか。まったくもって、遅過ぎる。
「君は、まさかマリーヌのことを……!?」
「最高の手札だ。持ってさえいれば、ヴィクスドール公一派の支持を得られる」
「そんなこと、マリーヌが許すものかッ!!」
なんたる都合の良さだろう。今こいつが望みを掛けたのは、かつて自分が見捨てた相手なのだ。
王妃には相応しくないと、卒業記念パーティーのステージ上で、大衆の面前で切って捨てておきながら、今さらこのようなことを言うのか。
「当人の意思は関係ない。すべては公がどう思われるかだ。この3年、私はマリーヌ嬢の身を庇護してきた。その恩義が公にはある」
「だからと言って、このような非道が通るはずが……!!」
「非道はどちらだ、ロイ」
決然と、言葉の返し刃を友へと向けた。
「お前は今、捨てた女に縋ろうとした。長年にわたる婚約関係を、当人の意思を無視して一方的に破棄しておきながら、その善意に期待を掛けた。他人事ながら、私には今のお前の方がよっぽど非道に見えるがな」
「…………」
刃は、急所深くに差し込まれた。私はさらに捩りを加える。
「それに、これは同じことだ、ロイ」
「同じこと?」
問い返すロイに、私は「ああ」と頷き――。
「かつてお前が自らの隣にいるべき女を選んだように、私もまた真に仕えるべき者を選んだ。仕えるに値しない者など切って捨ててな。その座に相応しき者がいなければ、私自身が王となるのもやぶさかではないということだ」
……場に沈黙の帳が降りた。
今や3人は私の目的を知った。
その野望と、実現可能性をじっくりと吟味している。
私を止めるための算段を、必死に頭の中で組み立てようとしている。
一方で、答えはもう出ている。それは、一国の王太子に正面切ってここまで言った男が、今さら言葉でなど止まりはしないということだ。
だからこそ見定める。次の一手を、弱みを見せるのをじっと待つ。
私は、あえてその隙間を作ってやるだけでいい。
ふ、と口元に笑みを湛えて。
「このような興趣はお気に召さないか? ならば少し言い添えておこう。これはまだ、思考された可能性に過ぎないのだと」
3人揃って私の顔を窺ってくる。代表してロイが発言する。
「どういった意味だ?」
「できるかもしれんが、止めるかもしれんということだ」
「僕たちを嘲弄しておいて、今さら冗談で済ますつもりか」
「いいや……誤解するなよ、ロイ」
刺すように眼を眇めて、私はロイを射竦める。
「私は、機会をくれてやろうと言っているのだ。これは譲歩であって、交渉ごとの場における歩み寄りの姿勢だ。私は優れた君主たろうとするが、お前への友情を完全に捨て去ったわけではない。その証明をここで行おうと言っているのだ」
無言の返答ならば織り込み済みだ。こいつらの耳には、人を舐め腐った発言に聞こえているだろう。
あえてそのように話したということも、包み隠すような態度ではなかった。
「証明の手段というのは?」
「復習の機会だ」
謎めいた表現にアントニーが業を煮やす。腕を組んで指先で二の腕を叩いていたのを、ぐわっと鷲掴みするようにした。
アウロアは大人しくしているように見えて、心配なのかしきりとロイの横顔を盗み見ている。隣に座るロイだけが、私の話の続きを素直に待っている。
彼らの期待に応えるつもりで、私は長広舌を振るった。
「今、お前たちはこう思っている。この状況はおかしい、間違っていると。コルラン辺境伯は代々、ブリアリン王国の守りの要を担ってきた。その新代が、己が使命を打ち捨てて独立の道を選ぼうとしている。このような暴挙が罷り通ってなるものか、とな」
3人の顎に動きはない。
さりとてその瞳は語っている。お前の言う通りだと。
「現状が間違っているというのなら、どこかで打つ手を間違った。帰納法的にも正しい考え方だ。私はその間違いをお前たちとともに探りたいと思っている」
顎をしゃくる。乗るのか乗らないのか、その意志確認を取る。
是非など最初から存在しない。解答は私の望んでいた通りのものだ。
「それでは、今しばらくの間ともに楽しもうではないか。ときに――」
と私は、またしてもマドラーで紅茶を掻き混ぜて、続けた。
「ロイ、お前は妃選びに失敗したんじゃないのか」
★★★
「……え?」
私が支配する空間に、気の抜けた声が漏れる。
猫のような瞳を丸く大きく見開いたのは、当事者のアウロア・ブリアリンその人だ。私はその驚き顔を共とし、甘ったるくなった紅茶の味を嗜んだ。
凍りついた空気を溶かす労ならば私が支払うべきだろう。固まったままの3人を直視しながらこう呟く。
「申し訳ない。前言の撤回が先だったな。政の場に色恋沙汰は持ち出さない。さっき私はそう言った……だが、さすがにこれは看過できんと思ってな。王太子殿下の傍にいるのが、それしきの女では」
嘲弄の笑みを作ると、アウロアの豊かなピンクブロンドの髪が浮き上がって見えた。
大仰に身体を震わせるその様は、まるで怒る飼い猫のようだ。
「あ、あんたそれ、私のこと言ってんの……!?」
「それ以外に聞こえたか?」
「レオン、あんた……!!」
学生時代なら噛みついていただろう。だが3年の月日はこの女にも人並みの自制心を与えた。隣に座す夫の命だってある。今にも人を殺しそうな眼つきで私を見るものの、それ以上のことはしてこない。
代わりに口を開いたるは、その夫ロイ・ブリアリン。
「君は僕の妻まで愚弄するつもりなのか!?」
「だとすればどうする」
「例え君相手だったとしても、剣を抜くことを厭いはしない!!」
立ち上がり、腰に佩いた剣に向けて手を差し伸ばす。しかし今、この場において荒事の類は無用だ。私は片手を挙げてそれを諫めた。
「決闘ならばやめておけ。お前が剣で私に勝った試しがあったか」
「そんなことは関係ない!! 妻のためならば勝ってみせる!!」
やれやれ。勇気と蛮勇を履き違える、か……。
だが愛しい者ために立ち上がるのがお前だったな。
どこか懐かしい気持ちが兆す中、私は再度声を張る。
「ここは話し合いの場だ。感情で動くのはやめろ」
「ならばさっきの発言を撤回しろ!!」
「それが感情だという……それに、なんの根拠もなく言ったわけではない」
剣の柄から手を離し、半ば渋々といった風に座るロイを見届けて、私は説明へと入った。
「優れたる妻は、夫に実利をもたらす。それには様々なかたちがある。輿入れに際し譲渡される持参金に持参領、それに優れたる知識や知見もある」
「それがどうした」
もはや売り言葉に買い言葉となってしまっているが、こいつにはもう少し冷静になってもらわないといけない。噛み砕いて聞かせることにした。
「アウロアにはなにがあった?」
「なに?」
「お前たちにあったのは、真実の愛とかいう曖昧なものだけじゃないのか」
冷徹に過ぎる物言いは、ロイの怒りを少し冷ましたものらしい。
前のめりの姿勢から踏み止まって俯き、少し考え込む様子を見せる。
「片田舎の男爵令嬢風情が、王家になにか潤いを与えてくれたか?」
「僕たちの間には愛があった!! それだけで十分だった!!」
いいや、それではまったく足りないのだ、ロイよ……。
「マリーヌ嬢にならばあった。持参金も、持参領も、優れた頭脳すらも持ち合わせていた。輿入れすれば、貴族平民問わず、王国内外での人気も勝ち得ただろう。だがお前はそうしなかった。そこにいるアウロアを選んだからだ」
名指しされ、アウロアが息を飲む。
家格の低さにコンプレックスを持つなというのは無理な話だ。輿入れの際にもたらされる益に、抽象論を差し挟む余地はない。その内容は具体的に列挙することができる。
アウロアを花嫁として迎え入れたことで、王家は大損を被った。
それは揺るがしがたい、厳然たる事実なのだ。
「……う……」
アウロアが唸る。今回ばかりは反論しないのではない、できないのだ。
窮地に立たされた妻の様子を見て、ロイが慌てて声を張った。
「妃選びの基準が、実利だけであって堪るものか!! 僕とアウロアとの間には、マリーヌとの間に結べなかったものが存在している!!」
胸に手を当てて、ロマンチストが情熱的に叫ぶ。
「……ロイ様……」
純粋に嬉しかったのだろう、夫の横顔を見上げるアウロアの眼元に涙が滲んで見える。
しかしその主張は循環していて無意味なものだ。
「君の主張は平等さを欠いている。マリーヌが僕の妻にならなかった以上、彼女の方が王太子妃に相応しいなどという仮定を持ち出すことはできないはずだ」
なるほどたしかに、そいつは筋が通った反論のようにも思える。
しかし残念だったな……それは可能なのだ。ロイよ。
私は少しもったいぶってから、神経を逆撫でするように告げた。
「……できるとしたら?」
「え?」
さて、鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべたロイに、言って聞かせてやることにしようか。
「現状をもう少し穿って考えてみろ。コルラン辺境伯たる私は今、お前たち3人を向こうに回している。王が崩御された際、我がコルラン領が独立の旗印を掲げれば、なるほどブリアリン貴族の何割かを味方に付けられるかもしれない。しかし後には、お前たちとのいくさが待つ。元をただせばいち辺境伯でしかない私に、これを勝ち切るだけの力が備わっていたと思うのか」
勝ち目のないいくさを始めるのは愚か者のやること。
それは誰だって、子どもだって知っている事実だ。
しかしこの3人にはまだすべてが見えていない。
私が言わんとしていることの半分も理解できていないはずだ。
「どういう、意味だ?」
「単純な話だ。我がコルラン領の領威は増した。それは何故だ?」
「……まさか……」
そう、そのまさかなのだ、ロイよ。
「マリーヌ嬢にはコルラン別邸にて行儀作法を学ぶ傍ら、私の相談役をも務めてもらった。その職掌は、我が領地を広範に渡り改善してもらおうとするものだ。この3年、彼女の万能たる手腕は遺憾なく発揮された。今や我が領にマリーヌ嬢の手の入っておらぬ箇所はない。お前たちがさっき食したパンひとつとってみても、マリーヌ嬢が手ずから品種改良した小麦で作られたものなのだ」
ともすれば君主として恥にもなる事柄を、あけっぴろげに開陳してやる。
3人は一様に驚きを大きな見せてから、言葉を失くしている。
やがてロイが動きを見せる。
「レオン、君は……マリーヌを腹心にしたのか」
「優れたる者にはしかるべき座が必要だ。お前の隣なら相応しかったろうな」
「…………」
さて。
やり込めたのを確認して、私は再びアウロアへ向き直る。
「今一度問おう。王太子妃殿。あなたに同じことができるか?」
「…………」
答えなど聞かずとも知れている。できっこない。
学業成績だけで評価するなら、アウロアは劣等生の類に属した。気楽な学生身分でいた頃、男爵令嬢の身空にもかかわらず校舎内を大手を振って歩けていたのは、隣に王太子であるロイを伴っていたからだ。
太腿に固めた両手を乗せ、くっと縮こまる。引き結んだ口元にはわななきが走る。己の不出来を恥じるとして、私ほどに指摘されたくない相手もまたいなかったことだろう。
今やマリーヌ嬢への、ロイの元婚約者への身を焦がさんばかりの劣等感が、アウロアの身を雁字搦めに縛り上げていた。
今度こそ正論でやり込めた。それでも助け舟を出す者がいる。彼女を愛し選んだ夫は、例え趨勢不利となっても妻の庇い立てをやめはしない。
「アンフェアだ!! 能力の一側面のみを切り取って、王太子妃の資質を測ろうとするだなんて!!」
よもや王家の弱体化が見えぬほど愚昧でもあるまいに、愛する妻を守るために怪気炎を上げるその姿からは、いじらしさすら感じられる。
さりとて、今の私にそんな夫の気持ちを斟酌してやるつもりはない。
「現実を見ろロイ。お前がマリーヌ嬢を手放したことで、我がコルラン領は成長を遂げた。今やブリアリン王家にすら並び立つ領威を誇っているのだぞ」
事実の指摘にも、ロイは首を大きく振って。
「そうかもしれない。だが……王太子妃に必要な資質はそれだけではないはずだ。現にアウロアは、王国民からの高い人気を誇っている!!」
私は無言でロイを見た。信じがたいことだが事実だ。
アウロアは目上に立とうとする者には居丈高に応対するが、下々の者たちには鷹揚なところも見せる。ときに、高貴なる女性にもっとも求められる美点とされる、やさしさを分け隔てなく与えることもわけなくこなした。
王国民からの人気の高さは、持って生まれた美貌に拠るところばかりではない。そんなアウロアの気まぐれな気質にも求めることができる。
「……噂には聞いている。たしかに人気があるらしいな」
「人望を得ているということは、とても大事なことだ」
ロイの真剣な表情とぶつかる。この方面からは些か攻めにくい。それはたしかに王太子妃にとって必須の資質だからだ。個人的にはマリーヌ嬢であっても同じことができようが、こちらは現実に実証を見たわけではない。
やや口ごもった後、考えてから口を開いた。
「肯定しよう。お前の言うことにも一理あると。だが私個人の考えとしては、そこの女を王太子妃として認めるわけにはいかん」
「どうしてそこまで意固地を貫く?」
……怪訝そうな口調に、ひとつ思い出すことがあった。
学生時分、くだらぬことでロイと言い争いになったことがある。その際にも自説を押し通し、私が折れるまで退かなかったのが、ロイ・ブリアリンという男だ。
私が断固として譲らぬこの事態を、ややもすると未だに不思議に思っているのかもしれない。だが退かぬのは退かぬだけの理由がある。
私は心に鬼を棲まわせて言った。
「アウロアが、王太子妃失格の女だからだ」
「そんなのは君が決めることじゃないッ!!」
ああ、その通りだロイ。
決めるのは私ではない。それは最初からわかっている……。
「いくら私であっても、根拠もなしにこんなことは言わんさ」
「それを提示する用意があると?」
「ここから先は心して聞くことだ、王太子殿下」
「…………」
安い挑発にはもう乗ってこないか。
こうなった以上、ロイと私の関係は主君と臣下ではない。王国の代表者とその政敵にも等しい。
私は深く息を吸い、気持ちの切り替えを計った。
「思い出語りにも、随分と花が咲いたな。場が華やいだところで、そろそろ新しい興趣を始めるとしよう。時間の針を卒業記念パーティーの一幕からさらに戻し、我々は今一度、マリーヌ嬢が主催した茶会について語らねばならない」
遂にここまでやってきたか。私は自らの心を律し引き締める。
そしてすべての始まりを語るため、再び胸深くまで息を吸い込んだ。
「ときに――」




