第22話 『王国弱体』
夕食の席は静やかなものだった。料理は取り決められたコース通りに供され、客人たちは無言でそれらを平らげていく。
誰も口を利かない。食事が終えれば、私との重苦しい話し合いが待っていることを知っているからだ。
それでも、王都からコルラン領への旅路は長い。道中、充分でない食事を摂る機会も多かったことだろう。憂慮はしても、食欲は嘘を吐かない。彼らは出された料理を余すことなく完食した。
最後に残ったアウロアが食器を置くのを確認して、私は声を張った。
「今宵振る舞った料理は、我がコルラン領にて収穫された食材を用いたものだ。それを当家の料理人が腕によりをかけて調理したのだが、座興として、ここはひとつお客人に味の感想を窺ってみてもよろしいだろうか」
無言の反応。このタイミングではまあそうなるか。
しかし私は、口にした言葉を撤回することはしない。
「それでは、近衛騎士殿にお伺いしたい」
「お、俺かぁ?」
自分の顔を指差し、キョロキョロと周囲の様子を窺う。ロイもアウロアも浮かない顔をしている。さりとて、積極的に発言を制止する気もないようだ。
「そうだな……正直に言えば、王都で食うどのメシより美味かったと思うぜ?」
「特にどの料理がお気に召しただろうか」
「どれも味は気に入ったが、ひとつ選ぶとしたらやっぱりパンだな」
ほう? と私は顎を傾ける。
あのアントニーに美食の感性が備わっているとは思わなかった。
「具体的には?」
「ふんわりしてて、もちもちしてる。なのに表面はカリっと焼けてる。こんなすげえパンは今まで食ったことがねえ」
なるほどなるほど。
学生時代、こいつがなにかを褒めているところなど見たことがない。そんなアントニーが手放しで絶賛しているのだ。空腹という最高のスパイスを除くとしても、本気で美味かったに違いあるまい。
「実は数年前に、小麦の品種改良に成功していてな」
「だと思ったぜ。いつものレオンのところの麦と感じが違ってたしな」
「お褒めいただいたこと、素直に感謝しよう」
こんなやつの言うことでも、作物は領地の魂だ。
褒められれば気分も上がる。素直な気持ちで頭を下げた。
「パンならば余分に準備している。よければ、もっと持ってこさせようか?」
「え? いいのかよ?」
「無論だ。近衛騎士殿には満足ゆくまで胃袋を満たしてもらわねばな」
笑みを返し、実際にマリーヌ嬢を呼ぼうとハンドベルを持ち上げたところで、横槍が入った。
「アントニー、冗談はそこまでにするんだ」
「いや、俺は別に冗談なんて……」
言いかけて、止める。ロイの顔に尋常ではない表情を見たのだろう。渋々といった風情で首を戻した。そして――。
「レオン、さっきの発言の意味を教えてくれ。君は僕のことを、仕えるべき器のない男だと思っているのか」
質問形式だが、その視線には敵意がこもる。
ロイ自身は、そんなはずはないと結論付けたいのだろう。
「それを見定めるための場だと説明したはずだが」
「どうやってたしかめるつもりだ」
「考えならばあるさ」
「ならばその考えとやらを僕に説明するべきだ。不安をいたずらに煽って弄ぶのが目的ではないならな」
……たしかに、それは私も本意とするところではない。
私はこの場で、ロイと喧嘩をするつもりでいる。かといって、情報を出し惜しんで苛立たせるつもりはないのだ。
「不信の最たる理由はわかっているだろう。お前はまだ、ヴィクスドール公からの信頼を回復していない」
「マリーヌへの婚約破棄の件か? しかし手紙ならば何度も送っている」
鬼の首を取ったように言い返してきたが、それは必要最低限でしかない。
「実際に出向いて頭を下げたのか?」
「そこまではしていない。しかし……」
しかしも案山子もない。私は見えるように大仰に頭を振った。
「ならばお前の誠意など偽物だ。お前はマリーヌ嬢の、人ひとりの人生を踏みにじった。その罪は、父君たるヴィクスドール公の足元に跪いてこそ、初めて許しの天秤に掛けられるものだ。心無い紙切れを何枚か送ったところで、お前の身に掛かる罪の穢れが洗い清められたりはしない」
遠慮容赦を入れない物言いに、くっと歯噛みを見せるロイ。
主君の窮地を見計らったか、アントニーが声を放つ。
「お前の言い分にも一理ある。だがよレオン、肝心なことを忘れてるぜ。婚約破棄は、そもそもマリーヌの失敗が発端で起こったんだ。それにこの数年、王は重篤な御病気だった。王太子はその代役をずっと務めてきたんだ。そんな時間どこにあるってんだよ」
もっともらしく聞こえる言い分。だが足りていない。
危機意識が。覚悟が。ロイの背負うべき、責任の重さが――。
「近衛騎士殿、あなたならばご存知だろう。時間とは作るものだ」
事実を思い起こさせる言い方で、暗に口を挟むなと言い含めたつもりだが、アントニーの頭の巡りは良くなかったらしい。
「わーってるよ。でも時間が作れたって土台無理だ」
「何故だ」
「王の容体はずっと悪かった。王太子は王都を離れられなかったんだ」
理屈は通る。が、その程度の事実を私が把握してないわけがない。
1年とは、王が倒れられ、意識を失われてからの期間だ。それ以前の、実際に執政を執るようになるまでの間にも、ロイはすぐ傍で王を補佐してきた。
「レオンは知らんかもしれんが、相当お身体を悪くされていたんだぜ。縁起が悪いから口にしたくねえがよ、いつ大事になってもおかしくないほどだった」
「そうなのか?」
ロイに問いかけたつもりが、隣のアウロアにまで反応があった。
王太子夫妻は神妙な表情を浮かべたまま、しっかりと頷く。
「僕は王太子として、父上の隣にいる責務があった。これで君にも、僕の事情が正しく汲めたことだろう」
まるで誤りを正すような口振りだが、そんな事情ひとつで私の心が変わると思っているのだろうか。
「不躾な表現をどうか許してくれ。崩御の可能性があったということだな」
「ああ……父上は、亡くなるかどうかの瀬戸際までいかれた」
「そうか」
一応の納得を見せたことで、場に漂う空気が弛緩する。
この話はこれで打ち切りだと、誰もが安堵を見せていた。
だが今の私が、これで終わりになどするはずがない。
「それがどうかしたのか?」
三者三様に眼を瞠る。私は驚きの視線を受け流し、平然と言う。
「王の生死が、喫緊の大事。ロイ、お前はそう言うんだな。だが違うんじゃないのか。もし王が身罷られるとして、必ずしもお前が傍に控えている必要はない。目下のところ、ブリアリン王家の嫡男はお前ただひとり。臣下が他の候補を担いでいる事実もない。つまるところ、お前は安心して王都を留守にできたはずだ」
責め立てるような口調で告げると、ロイの顔中の筋肉が固まった。
活火山からマグマが噴き出すように、一気に怒りへと変貌する。
「ふざけるなッ!! 君は、僕に親の死に目に会うなというのかッ!!」
爛々と光る瞳は今や友をも、つまり私をも構わず害さんとするものだ。
ギリギリの一線で留めている理性を、なおも煽り立てるように私は続ける。
「そう聞こえたか? これは実に明快な、優先順位の話なのだがな」
「優先順位だと……!!」
「お前の王位継承権は盤石。であるならば当然、王位継承時に備えてひとりでも多くの貴族を味方に付けておくべきだろう」
私は手元の砂糖入れから角砂糖を取り出し、自らのティーカップへと落とした。マドラーを使ってゆっくりとそれを溶かしてゆく。
「風の噂にこんなことを聞いた。意識を失くされた王を見舞った貴族の中に、ヴィクスドール公のお姿はなかったらしいと。それだけではない。公を慕う他の貴族たちの中からも、欠席者が出たんじゃないのか」
確認の態で訊ねると、如実に顔に出た。
苦虫を嚙み潰したような表情をど俯いて隠し、静かに首を振る。
「急報だった。都合悪しく、出席できない者たちだっている」
「彼らからも、私のように欠席の手紙が届いたと?」
「…………」
無言か。
嘘を吐いてまで否定することを厭ったな……。
まあ、どのように反応したところで、私には見えている事柄だ。
「かつての忠臣の心は離れた。彼を慕う貴族たちの心もだ。この状況で、もし王が崩御されなどしたら、ブリアリン王国は果たしてどうなるか……私の言いたいことはわかるな?」
私は冷徹にロイを見たが、ロイは暗い顔をして無反応を貫く。
答えはどうやら、私自身の口で言って聞かせるしかないらしい。
「国が割れる事態が起これば、漁夫の利を得るのはオスティール王国。つまり私が睨みを効かせて抑えつけている相手に他ならない。ロイ、お前は私に感謝こそすれ、文句のひとつも付けられる立場にないとこれで理解したか?」
歓待の食事の席が一転、まるで葬儀のような重い静けさに沈む。
しかしロイは沈黙してはいられない。退くことは王太子の沽券に関わる。
だからどうにかして口を開いた。
「レオン……君の言うことは、一聴して正しく聞こえる」
「そうだろうな。実際正しいはずだ」
「だけど君らしくはない。君は、こんなに冷たい意見を言って聞かせる人間ではなかったはずだろう!?」
その物言いは情に訴えかけるように聞こえる。ただし当人にそのつもりはない。ロイ一流の感傷主義は、いつだって打算や計算とは程遠いところにある。
「君は変わった。僕にはそのように見える」
「変化か。なるほどたしかに。だがこれは成長と呼ぶべきものだ」
「成長だと!?」
ショックに声を荒らげたロイに、私は静かに頷きを送る。
「辺境伯の座に就いて3年。様々なものを見てきた。そして知ったのだ。綺麗事で政は回らないと。権謀術数も駆け引きも、どうしたってその場には必要になる。今の私は、交渉相手から最大限の利益を引き出すだけ存在だ」
真に優れたる君主について、機械だと述べた者がいる。
同情や友情といった不純物に惑わされず、ただ自領の利益のみを追い求めてこその優秀性だと。
「僕は君の交渉相手か?」
「とうに立場は変わっている。いつまでも学生気分でいるのはよせ」
「レオン……君は……!!」
まだ未練が垣間見える。ロイの瞳はかつての私を映し、かつての私に向けて語りかけようとする。
「……覚えているか、卒業記念パーティーのことだ。君は、父君を亡くされて間もなかった」
「ああ」
平然と肯定した私と対照的に、ロイが声音は熱を帯びる。
「他の誰も気づいてはいなかったかもしれない。だけど僕だけは気づいていた。君が深い悲しみに暮れていたことを。あのとき君は、尊敬する父君を亡くされて胸が張り裂けんばかりに心を痛めていた……僕には信じられない。そんな君が、このようなことを言うだなんて」
泣き落としとは違う。ロイは本当にそう信じている。
まったく、いずれ王国を負って立つ王太子にあるまじき甘さだ。
「お前の言う通りだ、ロイ。だからこそ己の未熟を恥じよう」
「恥じる? 思い遣りの深さは君の美点だったはずだ!!」
「いいや、重視されるべきは平常心だ。益のない感情に振り回されるのは未熟者の在り方だ……ちょうど、今のお前のようにな」
ロイの瞳が、彫像のように見開かれたままになった。
その視線は私の顔を直視し、もう眼を逸らすことはないのだろう。
続く呟きは落胆、無念、軽蔑、様々な感情を複合的に孕んでいた。
「どうやら認めるしかないようだな……レオン、君は変わってしまった」
「先刻からそのように言っている」
火に油を注ぐよう肯定すると、これまで見たこともないようなロイの鋭い視線とぶつかる。
「ならば僕も一国の王太子として、君に忠告するより他にない……コルラン辺境伯、さっきから君の口ぶりは、僕に対する礼を欠いているとは思わないか」
厳しい口ぶりで確認を取ってきたが、咎め立てするつもりはないのだろう。受け流すに留める。
「王太子殿下のおっしゃる通りだろうな。お望みなら、接し方を改めるが?」
「必要ない。だがひとつだけ絶対に答えてもらう。君の狙いはなんだ」
小首を傾げる私の素振りは、相手にさらなる要求を引き出させるためのものだ。ロイとしても、これに乗らない手はない。
「僕に対してこれだけ強気に出て、なんの咎めもないと考えるほど君は愚かな人間じゃない。それを可能にしている絡繰りが必ずある。君にはそれを話してもらう……いや、絶対に白状してもらうぞ!!」
ロイの敵意も、白熱も、こちらが願っていたものだ。
これ以上の韜晦に意味はないだろう。目的のひとつは既に果たされている。
ゆえに私はロイから視線を外し、傍に控える2人へと眼を遣った。
「王太子妃、近衛騎士殿、あなたたちにもしかと見て学んでもらいたい。王権の弱まりがどのような事態を招くか、これからご覧に入れて差し上げよう」




