第21話 『リゼ (2)』
「……僕が見たのは、とても奇妙な光景でした」
思考は霞がかったようにぼんやりとしている。さりとて無我の状態にはない。四肢は自由に動き、自らを取り巻く世界も混沌に飲み込まれてはいない。
それでいてなお、目覚めたフランヌは現実感を失っていた。意識を失う前後の記憶が上手く連結しておらず、さながら夢中夢にいるかのように。
つい先刻まで逃走劇の渦中にいた自分が、どうして邸の自室で眠っていたのだろうか?
「僕は手でシーツを捲り、起き出すことにしました。その下から現れた身体は、見慣れた寝巻姿でした。ベッドの縁から足を降ろすと、そこには僕の靴までもが用意されていたのです」
静かな邸宅内を、フランヌは闊歩する。窓からは穏やかな陽光が差し込む。人気はない。誰何の声を放っても、返ってくるのは静寂ばかりだ。
ぐるりとその階を巡って探索を終える。身体を動かすことが刺激になったのか、薄ぼんやりとした思考に徐々に火が入るのがわかった。
そして彼は、己の命より大事な探し人の存在に思い至る。
「声に出して名を呼ぶことには抵抗がありました。理由は……言わずともわかりますね?」
眠りに落ちたとき、フランヌはリゼの手を握り込んでいた。それが今は別々に引き離されている。その意味が理解できぬほど彼は愚昧ではない。
鑑みるに、自分とリゼは囚われた。
馬を駆り、必死に逃げ出したにもかかわらず、敵の手に落ちてしまったのだ。
恐るべき、最悪の事態が起きてしまった。
「……あなたはリゼを探さねばならなかった」
「その階をもう一周しました。しかし痕跡はなかった。視線の先に階段が見えました。階下になら、リゼがいるかもしれない」
最善も最悪も、たしかめなければ知りようがない。階段を見つめるフランヌは生唾を嚥下する。もはや一刻の猶予もない。階下には必ず真実が待ち受ける。
「階段を降り、僕は1階へ。取り巻く空気の変化から、人の気配があるのがわかりました。両親か、弟妹か、あるいは親戚一同で集いを持っているのか」
どうしても欲しいものがあった。
それを探してフランヌの右手が宙を掻く。
リゼがもし囚われの身となっていた場合、取り戻す手段が必要となる。足音を殺して廊下を歩き、各部屋を虱潰しに物色している間、フランヌの眼はリゼの姿とともに武器になるものを探していた。
リゼのためなら、身内を、家族を傷つけることも厭わない覚悟だった。
「暖炉にそれを見つけました。火掻き棒です」
試しに数度振ってみる。使い慣れた剣のように手に馴染んだ。剣術は得意な方ではなかったが、脳天に直撃すれば相手を絶命させるだろう。
「武器としては十二分でした。仮に不足があったとすれば、僕自身の覚悟の方だったでしょう。すべてはリゼへの、僕が破滅させてしまった恋人への責任を果たすためでした」
フランヌの足は部屋を巡り、やがて最後の一室へと行きついた。
応接室の両開きの扉が、彼の眼の前に厳然と立ちはだかる。
「あなたは部屋へ入った?」
「ええ、火掻き棒を背に隠して」
暴力の行使はあくまで最終手段だ。武器は隠しておいた方がいい。
薄々と、私にはわかってきた。ここがフランヌの旅の終着点なのだと。
「そして扉を開け放ったのです。そこには僕の愚かな間違いがありました」
「間違い?」
繰り返すと、フランヌ王は「はい」と深く頷かれる。
「そうとしか言いようがありません。あの光景を形容するのに、僕はこれ以上適切な言葉を持たないのです」
自嘲げに言って、フランヌ王は応接室の様子を詳述された。
そこには彼の家族が集っていた。棚の上へと花瓶を持ち上げていた末の弟はそれを取り落とし、椅子に座って編み物をしていた妹は針で自分の指を刺した。暖炉の傍で身体を温めていた母親はロッキングチェアから転げ落ち、外の様子を見ようとカーテンを開け放つ途中だった父親は、勢い余ってカーテンごと引き千切ってしまった。
あらゆるアクシデントがいちどきにフランヌの眼前で起こった。
さすがの彼もこれは予想だにしていない。一瞬の間、没我の心境に陥るものの、先に自分を回復したのは室内にいる彼の家族たちの方だった。
彼らは叫ぶ。思い思いの呼び方で。慣れ親しんだ呼び名で。
まるでもう会えない家族に再会したかのように、泣きながら駆け寄ってくる。
「僕は動けませんでした。ただ彼らに、僕の家族たちに泣きながら抱きしめられて、その輪の中心で呆然としていることしかできなかったのです」
フランヌの後ろ手から、火掻き棒が滑り落ちる。誰も気づかない。気に留めもしない。皆が皆、フランヌがただそこにいることのみを喜び祝っていた。
その凶器が、場合によっては己の脳天に打ち下ろされていたなど知りもせず。
「僕は声を出そうとしました。無論、彼らになにを言えばいいのかなどわからなかった。それでも声を出そうとしたのです。何故ならば僕には目的があった。果たさねばならぬ責任があった。でも、だからこそ――僕はまたしても言葉を失うしかありませんでした」
揉みくちゃに家族に抱きしめられながら、半ば呆然としながら、フランヌはそれを見た。
部屋の奥まった場所に立ち、こちらを見ながら歓喜の涙を流すリゼの姿を。
「リゼですか? しかし彼女は……」
「ええ、追手に発見され、僕と引き離されていました」
フランヌは自室に婚約者宛ての書置きを残していた。
放たれた追手はその内容を知っていたはずだ。
リゼを、フランヌの不義の恋人だと知らぬはずがない。
「僕と再会できたことが、不思議ですか?」
「無論です。2度と会えないのが道理でしょうから」
幼少期からの婚約者を持ちながらも、外に作った恋人。
フランヌの血族に、これを許す謂れなど存在するはずがない。
「すべては偶然の産物でした。婚約者への書置きの文言は覚えていますね?」
「あなたはリゼとともに遠くへ行く旨をそこに記した」
「そう、『遠くへ』」
そこに含みがあった。考える間を持たせるように、今度はフランヌ王の方が紅茶を口に運ばれる。
「婚約者への手紙に相応しい、実に迂遠な表現です。様々な意味合いに取ることができる。無論、僕はある一点のみを表して記したつもりだったのですが、ここに曲解の余地が生まれてしまったのです」
ともすればこの御人は、私に探偵の役をさせたがっておられるのかもしれない。だが残念なことに、私はアーノルドやマリーヌ嬢のような鋭い勘を持ち合わせているわけではない。
……ここは素直に問うしかないだろう。
「曲解の余地とは? どうしてそのようなものが生じたのですか?」
「風車小屋を思い返してください。僕とリゼがともに休息を摂った場所です」
逃亡の最中、嵐に巻き込まれた彼らはそこで休みを摂らざるを得なかった……だが、それがなにを意味する?
「不安と焦燥に身も心も焼かれた状態で、ふだん通り眠れたと思いますか」
「まさか……睡眠薬ですか!?」
弾けたように顔を上げる。フランヌ王はこっくりと頷きを返された。
「なにもかもが初めて尽くしの旅路でした。眠れぬ夜があることも予期していました。けれど僕は薬の扱いに長けているわけではない。あのとき、摂取する分量を間違ってしまったのです」
いくら鈍い私と言えど、そこまで聞けば理解が及ぶ。フランヌとリゼは、眠りに就くため睡眠薬を服用した。しかしその分量は規定量を凌駕している。
彼らは瞬く間に意識を失い、昏睡状態へと陥った……。
「適切な用量は性別と、体格によっても差が生じます。身体の小さなリゼの方が早く目覚めたのは自然なことでした。片や僕は、生死の境を彷徨うことに」
これは後でわかったことなのですが、とフランヌ王は補足する。
「つまり、あなたは疑われていたわけですね」
「ええ、睡眠薬を過剰に摂取し、自殺を図ろうとしたのだと」
筋道は理路整然としているように思える。
しかし冷静に考えれば辻褄が合わない。
風車小屋での一件は、フランヌとリゼをともに昏睡させた。
ただし目覚めならばリゼの方が早かった。
フランヌの親族から、リゼが事情を聴取されていないはずがないのだ。
「……レオン君」
フランヌ王に名を呼ばれ、私は思考の底から呼び戻される。
「さっき僕は、その部屋にあった光景を間違いだと断じました。たしかにその通りです。けれどまだすべてではない。ここから先は、僕自身が間違いを犯す番だったのです」
「それは、どういう……」
問い直す途中で、フランヌ王の口から答えを聞く。
「リゼは嘘を吐きました。彼女は僕の家族に、僕たちが世を儚んで心中を図ったのだと嘘を吹き込んでいたのです」
それはほんの数秒にも満たない時間だった。驚きに大きく見開いたフランヌの瞳に、愛しい恋人の姿が飛び込んでくる。
リゼもまた、フランヌが死の淵から生還したことを喜んでいた。涙を流し、胸の前で手を合わせ、天使のような美しい笑みを浮かべて。
……しかしリゼのはちきれんばかりの笑顔の意味は、果たしてそれだけだったのだろうか?
「あなたは、それを察したのですね」
「リゼの口車を、僕の家族は信じていた。そして僕に、深い同情を」
「…………」
「ことはすべて完了していたのです」
若きフランヌの胸中に去来した複雑な心境は、私にも理解しがたい。
恋人の吐いた嘘は、もっともらしい響きを持ってフランヌの家族の胸を打った。話を聞いた彼らは、フランヌの心に寄り添う道を選んだのだ。
「目覚めた僕の婚約は既に解消していました。父が相手方の親族に直談判したのです。思い詰めた息子の取った愚かな行動を包み隠さず打ち明け、死するくらいならばと僕の望みを叶えるよう頭を下げた。無論相手方もそれで納得するはずがない。決め手になったのは婚約者の意思でした。彼女は僕の命を慮って、潔く身を引いてくれたのです」
リゼが浮かべた笑顔の意味。それは恋人の命が助かった歓喜からだけではない。定められた婚約者から、生涯の伴侶を勝ち取った勝利者の笑みでもあったのだ……。
当時を思い返すフランヌ王の口から、重苦しい溜息が漏れる。
「レオン君、僕は思い違いをしていたのです。このときほど強くそれを思い知ったことはありません。僕は自分の家族を、リゼの敵だと思っていました。僕とリゼとの仲を引き裂く障害にしかならないと。しかしそれは間違っていたのです。彼らは敵ではありませんでした。彼らは血の繋がった家族で、僕のことを愛してくれていたのです」
フランヌ王が口を休めると、室内に静寂が落ちる。
重苦しい空気は私にしばらく呼吸を忘れさせ、それを思い出させるとともに話がまだ終わっていないことにも気づかせる。
「……それで、あなたは?」
「予定されていた婚儀は、リゼとのものに」
予想し得た顛末だ。しかし事実と食い違う。
「失礼ですが、あなたに結婚の事実はなかったはずだ」
「公にしないだけの理由があったのです。今から話します」
それからの日々は、夢の続きであるはずだった。フランヌとリゼ。かつて人目を忍んで逢瀬を重ねた2人は、もう誰の眼も憚ることはない。
婚儀の日取りも決まり、恋人たちは順風の只中にいる。リゼの瞳もそれを訴えかける。しあわせだと。このしあわせにかたちを、証を与えたいと。フランヌの気持ちもまた、それと同じはずだった。
そう、たった一点の曇りを除いて――。
「僕は降って湧いたこのしあわせを、素直に享受できませんでした。何故ならそれは、正規の手続きを経て手に入れた権利ではなかったからです」
リゼとの結婚を、今は家族も喜んでくれている。かつて傷つけることも覚悟した人たちが、今はフランヌ自身のしあわせをなにより優先してくれている。
――けれど、本当にそれで良いのか?
フランヌは自問する。自分に、このしあわせを享受する資格があるのかと。
「リゼはなんと?」
「彼女とはこの件について話し合いを持ちませんでした」
「嘘を糾弾されるのを恐れていたのでしょうか」
「いいえ」
断言し、フランヌ王は首を振られた。
「彼女は僕にすべて委ねていたのだと思います」
「つまり、どのように……」
「僕が下した結論であるのなら、なんであれ受け入れるつもりだったのです」
生きることも死ぬことも、それが愛する人の決めたことであるのなら。
すべて受け入れる。この愛ですら、散ってしまうものであったとしても――。
2人の運命のかかる重い決断を、リゼはフランヌの一心に委ねた。
「家族に嘘を告白しても、失った婚約者は戻ってはきません。しかしリゼの存在は当家から排除される。それだけは確実でした」
口ぶりからしてわかる。フランヌ王は、婚儀を上げるその日までずっと悩まれていたのだ。リゼの虚言に罰を与えれば、それは2人の愛の終焉を意味する。流せば、フランヌの心には一生消えない罪悪感が残るだろう。
苦悩の果て、フランヌの下した結論は――。
「……僕は、リゼを罰することができませんでした」
純白のドレスに身を包んだ新婦に跪き、永遠の愛を誓う。
フランヌの口から述べ立てられる誓いに嘘はない。健やかなる時も病める時も、喜びの時も悲しみの時も、彼にはリゼへの愛に殉ずる意思があった。
ただ、一点の黒い点のみがある。それはフランヌにしか見ることのできないものだ。新婦の纏うドレスに滲み、しあわせの渦中にいるはずの彼の視線を引き付けてやまない。まるで虚無のような漆黒。
「…………」
私は黙していた。薪の爆ぜる音ももう聞こえない。ごうごうと音を立てていた窓の外も、吹雪が小康状態に入ったのか静かなものだ。
「……少しばかり、部屋が寒くなってきたようですね」
思い出語りを切り上げたフランヌ王が、こちらの様子を伺ってくる。これほどの御方であっても、この先は話しづらいのか。私の意思を確認することによって、ご自身の意思をも確認しておられる。
しかし、他ならぬ私に過去を打ち明けたのには理由があるはずだ。どうあっても聞かねばならない。
「平気です。是非に話の続きを」
「本当に、君は良き聞き手ですね」
しみじみとおっしゃり、フランヌ王は破滅へと向かう未来を語り始めた。
フランヌとリゼの婚儀は、村の教会を借りて執り行われた小さなものだった。2人の結婚を公にしなかったのには理由がある。幼少からの婚約者を退けて貴賤婚を行ったことが社交界の知るところとなれば、甚だ不本意な噂が流布されることは必定だったからだ。名家の評判を低下させないためには、たっぷりと時間を掛けて地固めをする必要があった。
片や、フランヌとリゼとの関係は、傍目から見てそれとわかるほどにしあわせに満ちていた。
夫婦となった彼らには、愛による祝福があった。元来、お互いが傍にいること以上を求めてなどいない。無欲な妻は献身的に夫を支え、夫もまたそれに応えるように執務に精を出す。
そんな理想的な夫婦の姿は領内でも人気を博し、理想のおしどり夫婦として羨望の的となっていた。
それでも変化は訪れる。幸福の最中に、フランヌは時折暗く沈み込んだ顔を見せるようになった。消えない苦悩が泡のように浮き上がり、ほんのわずかの間だけ、まるで別人のような顔を彼にさせるのだ。
リゼの場合は少し違った。彼女は前だけを見ていた。その先には椅子がある。家督を継いだ夫と並んで腰を落ち着けることのできる由緒ある椅子が。
まるで少女のような可愛らしい羨望。ある日、フランヌはリゼに乞われるがまま、未だ入室を禁止されている部屋へと連れ立って入った。
無心に椅子を見つめる妻のあどけない姿に、フランヌの口の端が綻ぶ。
「これが、ルアン様のお座りになられていた椅子なのですね……」
「他人行儀が抜けないね。今では君にとっても母上なのに」
憧れの眼差しで椅子を見るリゼに、背後から歩み寄りながらフランヌは告げる。そして夫は、妻と同じものを見る。
「伯爵夫人の肩書きも、その椅子も、いずれは君のものになる」
「そうかもしれません。でも、それはいつのことなのでしょうか」
「断言はできない。父上の決めることだからね。でも遠くない未来にきっとくる」
フランヌにとっては疑うべくもない未来だが、上辺の言葉だけではリゼの不安を払拭できない。振り返り、夫たる者の顔を見る。
「力になりたいのです。フランヌ様はもうご立派に家督を継がれて、伯爵となられているのに。私ばかりがいつまでもお客さんみたいで」
「力にならなれているさ。邸で君の評判を聞いてごらんよ。きっと誰もが、申し分ない働きをしていると太鼓判を捺すはずだから」
本音だが、これはお為ごかしに聞こえた。
俯くリゼの瞳に、悲しみの色が滲む。
「もうメイドじゃありません。私は、フランヌ様の妻として相応しくありたいのです」
「リゼ……それを言うなら、僕は……」
言葉の最中に咽喉がつっかえた。
――あの眼だ。
青く透き通るリゼの瞳。臆さず真っ直ぐにこちらの眼を見てくる視線。それはいつだってフランヌに許している。その身に罰を下すことを。彼女は己の嘘に言い訳などしない。一片も後悔などしていない。
あの日、部屋の奥からリゼは一部始終を見届けていた。自分の取った行動が原因で、フランヌの手を家族の血で汚しかけたことだって承知している。
フランヌは上手く言葉を紡げない。まるで陸に打ち上げられた魚のように半端に喘ぐと、いつもの決まり文句へと軟着陸するしかなかった。
「……済まないね。今言うことではなかった」
「いえ」
身体ごと椅子へと向き直る。その背にはメイド時代の名残が残る。背筋をしゃんと伸ばし、身体の前で両手を結んで、なおも伯爵夫人の椅子を熱心に見るリゼの姿からは、ある種の恍惚感が読み取れる。
「当家に代々受け継がれてきた椅子だ。肖像画もこれに座して描かれる」
「私もいつか、この椅子に……」
「座ることになる。僕の隣に」
伯爵夫人の椅子を見ていた2人は、互いを見つめ合った。
「フランヌ様。このようなしあわせが、本当にあっていいんでしょうか……」
「当然だとも。僕の妻は君しかいないよ」
「嬉しいです。一生、お傍にいさせてください」
「僕からもお願いするよ。君に、ずっと傍にいて欲しい」
夫と妻は抱擁を交わす。お互いを見つめて、未来を見つめて。
それがかくも呆気なく壊れるなど、2人とも露ほども思わずに――。
翌朝、リゼはこの部屋にいた。立ち入りの禁じられた部屋で、座することの禁じられた椅子に座っていた。
発見したのはメイド長だった。フランヌの家に仕えて長い家臣の中には、卑しき出自の新たな奥方を喜ばぬ者もいる。彼女はその典型だった。朝食の時間を終え、箒を携えて掃除のために入室すると、そこで禁じられた行為に耽る新しい奥方の姿を見つけたのだ。
しあわせそうな顔で、瞼を閉じている。
椅子に腰かけたまま眠りに落ちたのは、誰の眼にも明らかだった。
メイド長は長年の教育により、邸内における身分の序列を弁えている。例え新しい旦那様に見初められ、幸運にも身分違いの結婚を果たした気に食わない相手であろうと、奥方様である以上は礼を失さぬ方法で眼を覚まさせなければならない。
メイド長はこの新しい奥方へと何度も呼びかけた。
しかしリゼは依然としてなんの反応も示さず、夢の世界に浸っているようだ。
あまりにしあわせそうなその寝顔に苛立ち、メイド長の気付けは遠慮容赦のないものになってゆく。肩を、手を、頬を叩いてはみるものの、それでもリゼの様子に変わりはない。
痺れを切らしたメイド長は、とうとう手に携えた箒まで持ち出した。くるりと柄と先を反転させ、空寝なら起きないと打ち据えますよと前置きし、頭上高く振り上げる。脅し文句すら聞き流したリゼに、メイド長は日頃の鬱憤とともに箒を振り下ろした。
箒の柄は強かに肩を打ち据えたが、リゼの表情に変わりはない。
悲鳴どころか、穏やかに繰り返す呼吸すらまったく乱れていない。
メイド長は薄気味の悪さを覚えた。新しい奥方様は、ひょっとして亡くなっておられるのでは? 恐る恐る口元に耳を近づける。やはり呼吸ならばしている。しかし……。
そのときだった。リゼの身体がくらりと揺れると、椅子から滑り落ちるようにして床へと倒れ込んだのだ。
その顔には相変わらずあのしあわせそうな表情が貼り付いている。もはや感覚が鈍いなどという次元の話ではない。この奥方は、生人形だ。生きながらにして、人であることを辞めてしまわれたのだ。
恐怖に駆られたメイド長の咽喉から、絹を裂くような悲鳴が迸った――。
「『昏睡病』という言葉に聞き覚えは?」
「存じています。随分と昔ですが、流行り病の一種であったかと」
詳細はアーノルドからの伝聞でしか知らない。私が生まれるより以前、ブリアリン王国の内外で、そのような名の不可解な奇病が流行したらしい。
「別名があります。夢魔病です。由来は若い女性に発症例が多かったことと、その症状にありました。潜伏期には一切の兆候を示さぬこの病は、発病とともにあやまたず罹患者の意識を奪い去るのです」
薄々勘付いてはいた。私は若きフランヌとリゼの人となりを知った。ともに離れがたい2人を別つものがあったとすれば、それは――。
「領内では初の事例でした。発病すれば致死率も高い」
「では、リゼは?」
「打つ手はありませんでした。主治医だって匙を投げた」
かの病の効果的な治療法は今もって確立していない。
発病すれば、食べ物も飲み物も一切を受け付けなくなる。
「リゼはしあわせな夢を見ていました。そして、今度こそ目覚めませんでした」
「…………」
フランヌ王の瞳から、光が消える。今までは過去の照射する光を反射していたに過ぎない。彼の人生の、輝ける時間は去ったのだ。
「武家の生まれに相応しい、真面目で律儀な娘でした。表面上は暖かく迎え入れられていても、自分が決して歓迎されていないことに気づいていたのでしょう。リゼは努力したかったのです。伯爵夫人となり、爵位を継いだ僕を補佐することで、きっと周囲の自分を見る眼も変わると信じていたのです」
部屋に残る痕跡から、前夜にリゼが取った行動が判明した。
夜分遅く、リゼは人目につかぬよう自室を抜け出していた。そして伯爵夫人の椅子が置かれた部屋へと密かに忍び込み、未来の自分が座る椅子にそっと腰を降ろしたのだ。
きっと夢見るような心地だったことだろう。そこに座するということは、周囲に認められたということ。フランヌとリゼの、本当のしあわせの始まりに他ならないのだから。
彼女の胸裏にはその光景すら、ありありと思い浮かんでいたはずだ。よもやその最中に、昏睡病が発病するなどとは思いもせず――。
「……息を引き取ったとき、僕は思いました。運命はどうしてリゼに、かくも凄惨な罰を与えたのかと。命を奪うならば、僕の方だった。責任を取らせるなら、僕の方こそ相応しかったのではないかと」
ふ、とフランヌ王の口元に自嘲の笑みが兆す。
「少々、神秘主義に傾倒し過ぎた考え方かもしれません。しかしそのときの僕は思いました。この世界にはすべての事象を見通す者がいる。それは女神ではありません。決して慈悲など与えはしない。ただその者の犯した責任を、報いというかたちで必ず当人に与えるのです」
フランヌ王は告げる。考える時間ならばあったと。
リゼを喪い、幸福な未来への展望を閉ざされた若きフランヌには、むしろ考える時間しかなかったのだ。
「人生には明らかにならないことの方が多い。遺されたものはただ想像するしかありません。そして僕は知りました。これは僕に下された罰であったと」
「罰?」
「リゼは幸福の絶頂で逝きました。この世界に、僕だけを置き去りにして」
フランヌの父君が、早くに家督を譲ったのには理由があった。
嫡子であるフランヌの身を忙しくすることで、死から遠ざけるためだ。
未遂に終わったとはいえ、かつて心中を考えるほどに思い詰めたこともある息子の精神状態を、父君は完全には信頼していなかった。
その心配は、別の方面から功を奏したと言える。リゼを喪ったフランヌの胸に、死への欲求が過ぎらない日はなかった。しかし彼は既に、果たすべき大いなる責任を継承してしまっている。喪が明けた後は毎日のように伯爵としての執務に追われ、息を吐く暇すらなかった。
「皮肉なものです。リゼがいなくなったことで、僕の忙しさは増しました。それが結果的に、僕自身を死の欲求から遠ざけたのですから」
父君に、そして母君にも教えを乞うたフランヌは、かつて目指していた理想的な伯爵へと着々と成長していった。
やがて数年の月日が経った。新任伯爵として名が売れてきたフランヌは、とあるダンスパーティーを主催することになる。
若く優れた伯爵の身に起こった不幸を、参加者たちは知らない。リゼの存在は社交界に秘されたままで、フランヌが密かに結婚していたという事実も、一部の関係者を除いては誰の知るところでもなかった。
ワインの入ったグラスを片手に、フランヌは会場を巡る。
誰もが笑顔で、フランヌの若さと、それに似合わぬ手際の良さを誉めそやす。結末を見るまでもなく、ダンスパーティーは上首尾に終わるかと思われた。
――彼女の姿を眼にするまでは。
「会場の隅、彼女は円テーブルの傍にいました。グラスを持ち上げ、中に注がれたワインの匂いを嗅ぐ。僕の見知った元婚約者の癖でした」
フランヌの足が縺れる。それはいつかの再演のようだ。熱に浮かされたように、灯りに引かれた蛾のように、無意識にそちらへと足が動く。
ただ動機のみが違っている。フランヌには、元婚約者に果たしていない責任があったのだ。
「リゼとともに昏睡してから、僕は1度も彼女に会いませんでした。だからこの機を逃す手はなかった。絶対に言わねばならぬことがあったのです」
「元婚約者に、謝罪を?」
先んじると、フランヌ王は寂しそうに頷かれる。
「接触は、周囲に固く禁じられていました。無理もありません。僕はこれ以上ない不義理をはたらいた。彼女に一言も相談せず、彼女以外の女性を選び、それ以外のすべての責任を放棄したのです」
語るのもつらいのか、沈痛な面持ちのままフランヌ王は独白のように続ける。
「謝って、許しを乞いたいわけではなかった。むしろ許す必要などないのです。僕がしたことは、他の何物をもってしても償えるものではありません。それはわかっていました。ですが終わらせねば。彼女にとってもそれが必要だと痛切に感じていたのです。例え社交界の面前で恥を掻くことになろうとも」
フランヌは進む。自らが受けるべき罰を受けるために。
元婚約者もまた、近づいてくるフランヌの姿に気づき、グラスから鼻先を上げてそちらへ向き直ろうとした。
その瞬間だった。
「……失礼ですが、私の妻になにか?」
振り返ったところで、見知らぬ男性を見た。その表情に敵意はない。悪しざまな他意も含まれていない。この華やかなる催しを主催した人物へ対する好意と、尊敬の念すら伺わせる。
虚を突かれたフランヌが言葉を失う。その眼は不思議そうに笑みを浮かべる男性の顔を横に滑り、再び元婚約者のいる方向へと向けられた。
そして先程までとの違いを眼にした。円テーブルに掛かるテーブルクロスの下方に、幼い少女の姿がある。恐らくはテーブルクロスを捲り上げ、その下に隠れていたせいで見えなかったのだろう。
その少女が今、元婚約者のスカートの裾に縋り付きながら、じっとフランヌのことを見つめていた――。
「思い返すに、おかしな錯覚でした。そのときの僕には、まるでその小さな子どもが彼女を守ろうと、身を挺して庇っているように見えたのです」
「元婚約者の方は?」
フランヌ王は唇を噛んで、筆舌に尽くせぬ表情をされる。
「驚いてはいました。ほんの一瞬だけです。彼女はすぐに表情を打ち消し、僕に向けて穏やかな笑みを浮かべました。ダンスパーティーの主催者に対する感謝の笑みです。そして……それだけでした」
言い終えて、フランヌ王は間を置かれた。重く深い沈黙の意味なら理解できる。この御方にとって、思い出したくないほどにつらい記憶なのだ。
「レオン君。僕の思い上がりは、彼女が未だに僕からの謝罪を必要としていると信じ込んだことです。婚約者たる僕が他の女性と心中未遂を引き起こした。家からは婚約解消の申し出が届けられる。一時は声を上げ、悲しみの涙に泣き濡れたかもしれません。しかし彼女は立ち上がった。自らの足で歩きだし、その手にしあわせを掴んでいたのです」
若きフランヌはその場に立ったまま、なにも言えなかった。なにも言うことがなかったからだ。
呆然と立ち竦むその脇を、元婚約者の夫が通り過ぎる。礼儀に叶った黙礼をして、フランヌの異変に気づかぬまま、愛する妻と娘の元へと向かう。
父親の帰りを待っていた娘が、はしゃいで彼を出迎える。母親のスカートから手を離し、しゃがんだ父親の胸に飛び込んで。
抱きしめて娘の頭をやさしく撫で擦った後、夫は娘を抱き上げて、妻の元へと歩き出す。
やがて合流した一家は再びフランヌへと向き直り、全員で一礼して出口へと去ってゆく――。
「……それは」
と、フランヌ王は少し躊躇されてから、思い切っておっしゃられる。
「僕の望んでいたものでした。僕がいて、リゼがいて、僕たちの子どもがいる。僕たちはしあわせな家庭を築き、皆に祝福されている。そんなありふれた理想が僕たちの望みでした。しかしそれは、手にする前に永遠に失われてしまった。もう取り戻せない。届かない」
若きフランヌの見たものは、ただの仲睦まじい家族の姿だ。
かつて自分の隣を歩んでいた婚約者は、人生の新たなスタートを切っていた。彼女に過去へのわだかまりはもうない。今の彼女には愛する夫と、愛する娘がいる。そのしあわせを思うなら、過去にこだわることのなんと小さく、無意味なことだろうか。
たしかに、これはフランヌにとっての罰だった。運命に愛する女性を奪われ、その面前に、決して自分が手に入れられないものを見せつけられた。
それも、なんの悪意も、害意もなしに――。
これがどれほど苦しいことか、きっと彼にしかわからない。
「あなたは、気づいてしまわれたのですね」
「ええ……僕はもう、他の誰も愛せなくなっていました」
「では、あなたが今も独り身を貫かれているのは」
「僕の妻は、リゼ以外にいませんから」
心臓を掴まれたような気がしたのは、寂しげな笑みを見たからだ。今ならばわかる。フランヌ王は、記憶の中のリゼへと己を捧げられているのだと――。
パチパチと薪が鳴って、時間が現在に戻される。
私とフランヌ王は城砦の客間にいて、明日までの時間潰しに昔話をしていた。ただそれだけだった。
「……さて、これで僕の昔語りはほぼ終わりです。少しばかり感傷的な語り口になってしまったことを許してください。なにぶん、僕も他人に話したのは初めてのことでしたから」
努めて明るくおっしゃるその姿は、まるで先程までと別人のようだ。
「ふふ、僕だなどと、老人がまるで青二才のような口振りだ。でも、これで理解できたでしょう。僕は大人のなりそこないなのです」
慌てて否定しようと口を開きかけた矢先、フランヌ王は「ときに」と矢継ぎ早に話題を新たにされる。
「うっすらと見えてきたのではないでしょうか。どうして僕が、君にこのような話をしなければならなかったのか、その真意が」
今や、人の心の機微に疎い私にもはっきりとわかる。どうしてフランヌ王が身を切る思いまでして、私に過去を語って聞かせたのか。
「それでは、最高の聞き手に最後の質問を。レオン君、僕が君にこの話をしなければならなかった理由をどうか答えてください」
私は座ったまま背筋を正し、フランヌ王の顔を真っ直ぐ見据えた。
「理由はひとつです。あなたと同じ過ちを犯した者がいる。そして……それはロイだ」
フランヌ王が柔和に笑む。前傾した姿勢を少し後ろへ戻された。
やや時間を置いて、今度は今のフランヌとして私と向き合われる。
「オスティールの王は、弱き王です。運命の皮肉は、かつて果たすべき責任から逃げた僕をこの座へと導きました。領邦王国とは小さな国の集合体。王はその代表者に過ぎません。僕は、僕の弱さゆえに選王侯に王冠を被らされている。妻を娶らず、子も持たない。この国の貴族たちは、未来なき男に王の座を委ねたのです」
オスティール王国はブリアリン王国とは政体が違う。オスティールの地において、王とは世襲ではなく、他の貴族たちから選ばれる存在だ。
フランヌを王の座に据えたのには、他の貴族たちの打算がある。王権が弱まれば、自領で思う様権力を振るうことができる。
王などお飾りでいい。それが他の貴族たちの総意なのだ。
「あなたはご自分を惰弱だと?」
「他の貴族たちもそう考えたのでしょう」
「であるならば、ロイもまた……」
思わず語尾を濁した。フランヌ王は嗅ぎつけられる。お飾りと言えど、周囲にそれを望まれていると言えど、一国の王の眼はそう欺けるものではない。
「悪い噂ならかねがね耳に。マリーヌへの婚約破棄は最たるものですが、それは目下の最大の問題ではない。そうでしょう?」
「では、あなたはなにが問題だと?」
逆に問い直すと、フランヌ王は自信をもって断言される。
「ヴィクスドール公――ラファエルは、ロイ王子のことを許していない」
「…………」
「ブリアリン王が病に倒れられたとき、見舞いへ馳せ参じなかったのではないですか」
答えて良いものか迷った。これは王国の防衛に関わる情報だ。だが腹を割って話をしてくださったこの御方にその事実を隠すのは、いささか義を欠きすぎている……。
しばし悩んで、私は正直に打ち明けることにした。
「ヴィクスドール公、並びに彼を慕う貴族が数名、王の御病気を見舞う義務を放棄されました。それは事実です」
「レオン君、君もそうでしょう。しかし君の場合は」
「ええ、欠席の旨を書簡にて通達しております」
背中に冷や汗を掻く心地がする。私は隣国の王に、我が国が割れていることを報告しているに等しい。
「そう気に病まないでください。オスティールの貴族たちも薄々気づいていることです。でなければ隣国へ侵攻しようなどという愚を犯そうとはしない」
私の心に兆した罪悪感を払拭されて、さらに続けておっしゃられる。
「どうか誤解なきよう願います。頭を下げるべきは、本来なら僕の方なのです。僕の力が弱いばかりに、次代を担う君のような若者に迷惑を掛けてしまった」
そしてまたしても頭を下げようとなさったので、慌てて声を出した。
「お願いに上がったのはこちらであったはずです」
「僕にもっと力があれば、貴族たちの暴走を防げていました」
「しかしもしそうであるのなら、あなたは今頃王冠を被ってはいないはずだ」
その一声は、逆に礼を失したものだった。だが意表を突いたらしく、フランヌ王は眼を丸く見開かれた。そしてしみじみとおっしゃる。
「皮肉なものですね。かつて責任から逃げ出した男が今、この国で一番の重責を担っている」
「そうかもしれません。しかしそれにはきっと意味があります」
「意味?」
私は今度こそしっかりとフランヌ王の瞳を見た。
「オスティールの王があなたでなければ、私の話を受け入れてはくださらなかった。あなたは危険を冒し、目先の利益に惑わされず、虐げられた我が領民のためにともに立ち上がってくださろうとしている。いやしくもコルラン辺境伯である私にとって、これ以上に意味があることは他にないのです」
これは本音だった。一切の脚色も、遠慮もしていない。
この御方が王でなければ、こたびの会談は破談を免れなかったであろう。
「僕が、リゼを失ったことにも?」
「私如きがそれに意味を付けていいのならば」
驚きの表情から、フランヌ王が目尻を下げられるのが見えた。
「ふふ。君は、存外に人たらしなのですね? その姿を是非、マリーヌにも見せてあげてください」
「か……からかわないでいただきたい!!」
どうも、死にかけの炎が最後の熱波を届けたらしい。
私の頬が焼けるように熱くなる。
「君の言う通り、僕は今一度自分の役割と向き合うべきのようだ。今のオスティールに蔓延する気風は、決して穏やかなものではありません。貴族たちは飢えた虎のように獰猛で、常に獲物を探している。今回のように隣国が弱みを見せれば、即座に牙を剥くでしょう。しかしそれは理性ある人間の論理ではない。果てなき欲望に身を支配された獣の論理です。であれば誰かが猛獣使いとなり、貴族という名の虎たちを手懐けねばなりません」
私が深く頷くと、フランヌ王もまた頷きを返される。
「……そして、それは僕の仕事です。王冠を被り続ける限り、他の誰にも代わりは務まらない」
「おっしゃる通りです」
「レオン君、今度は僕から君に頼みごとをする番かもしれませんね?」
「力を尽くすことをお約束しましょう。あなたの、新たな臣下として」
ふっ、と煙を上げて暖炉の炎が消えた。
長かった私たちの話にも幕を引く時間だ。
「最後にひとつだけ、君に伝えておくべきことがあります」
「なんでしょうか」
「予感です」
無論のこと心当たりはない。眉根を寄せると、フランヌ王は年の離れた友人へと心からの忠告を残す。
「僕はかつて不義をはたらきました。周囲の者たちの期待を裏切り、愛する女性を巻き込んで我欲のみを追求しようとした。その罰は運命が下しました。しかし今回は執行者がいる。そして……それはきっと君なのです、レオン君」
フランヌ王が手を差し伸ばし、私の手へと直に触れられる。
かつて大きな過ちを犯したと感じておられるこの御方は、触れた私の手を通じて、ことの張本人であるロイのこともまた心配されておられるかのようだった。
「残りの時間で、よく考えてみてください……君はいったい、ロイ王子をどうしたいのか」
真摯で純粋な光が宿るその瞳に、私は力強い頷きで応えた。
窓の外では雪も風も止んでいる。明日にはここを発てるだろう。




