第19話 『愚かな恋のお話』
……幸運なことに、と言ってしまっていいかもしれない。
私の視線の先、フランヌ王のすぐ傍には暖炉がある。定期的に薪が爆ぜ、室内を温める炎を生じさせる熱源は、横に見て飽きがくるものではない。
気まずい沈黙の中にも思うことがある。私が考える腹を割った話というのは、このような類の話ではなかったということだ。
フランヌ王の身上についてならば周知していた。私の父上の没年より年上でありながら、未だに独身を貫かれていることも。
直に話し合いを持った正直な所感を言えば、そういった物事に対して興味を持たれてこなかったのだと思っていた。
王たる者が妻を娶るのも、跡継ぎを残すのも当然のことだ。この御人が未だにその務めを果たしていないのは、星の巡りというよりもなお、当人の資質によるものが大きいと感じていた。
「神妙な空気になりましたね。さて、どこから話したものか……」
などと、こちらの心境を鑑みずに口火を切ろうとなさるものだから、割って入るほかに手立てはない。
「……待ってください」
「おや? 黙っているだけで構わないのですが」
「理由がわかりません。これから始まるのは内々の打ち明け話なのでしょう? どうして私になさるのですか」
会ったばかりの、という文言をからくも外して問うた。
質問形式だが、暗にやめてくれとの願いも込めている。
そこまでは汲まれない。代わりに人好きのする笑顔で応えられる。
「さっき言いましたよ。マリーヌが連れてきた男性だからと」
「しかし、彼女はゆえあって私の元へ身を寄せているだけです。時が来れば、ヴィクスドール公の元へと帰ることになります」
私とマリーヌ嬢の結びつきは一時的なものであって、恒久的ではない。これは、何事にも増して強調しておくべき事柄だった。
「もちろん知っています。マリーヌの身の上に起こったことも」
「では、私などに全幅の信頼をお寄せにならない方がいい。頼るべきは頼り、隠すべきは隠す。それでも政は上手く回るはずです」
倍する以上に年上の、一国の王に対して諫言するなどおこがましいにもほどがある。理性ではわかっていたが、言わずにはおれなかった。
「昔語りは僕の不利になると?」
「過去を開陳するとはそういうことでしょう」
できる範囲で、最大限に諫めたつもりだ。
こちらを見つめるフランヌ王の瞳からも眼を逸らさなかった。
ここで初めて、相手が折れる。
「わかりました……ときに、君は君自身に対する正しい認識に至っていないようですね。マリーヌ、あれは誰彼構わず付いていくような娘ではないのですが」
おっしゃった後、ふう、と溜息を挟んで気を取り直される。
終始に渡って友好的な雰囲気だった御人が、憂いの色を見せられた。
「しかし因果な運命の巡りもあったものです。まさかあの子が婚約破棄を受けることになるなんて」
「複雑なご心境になられるのも無理からぬことと存じます。僭越ながら、ご心痛お察しいたします」
礼を失してない物言いだったはずだが、フランヌ王は珍しく首を左右に振られた。
「いいえ。僕の心境など、君には思いも及ばないでしょう」
「しかし、フランヌ陛下はマリーヌ嬢を実の娘のように思っておられる」
「その通りです……ですが、それだけではない。少し切り口を変えましょうか」
フランヌ王は炉辺を一瞥され、やにわにこんなことを言い出された。
「とある制度について話をしましょう。政略結婚について、君はどのような考えを持っていますか?」
突然の話題の変更に面食らったものの、一国の王の恋愛話よりは御しやすい話題だ。
しばし頭を捻って、持論を展開する。
「……王侯貴族の家同士の結びつきを強めるために、婚姻制度を利用したものであるかと」
「そうですね。これにより家格の釣り合う家同士が同盟関係となり、両家ともに利することになります」
教科書的な言い回しだが、フランヌ王のお気に召したらしい。浅く何度も頷きを返される。
「しかしこれは一面的な物の見方である。君ならばそれを知っていますね?」
「はい」
「では功罪の罪の方を、今度は聞かせてもらえますか」
今回の返答は通り一遍の常識からだけではなく、私自身の経験からも導き出されるはずだ。
「結婚する者たちの意向を無視した、犠牲を強いる制度であるかと」
「家の隆盛のために当人たちの希望が潰えるというわけですね?」
「そうなることもあるし、ならないこともあるでしょう……こればかりは、どう転ぶか個人差が出てしまうものですから」
脳裏に思い浮かぶのは、貴族学院の卒業記念パーティーにおける一幕。
アウロアを伴ったロイが、マリーヌ嬢に婚約破棄を突きつけるシーンだ。
「今さら言うまでもありませんが、君は政略結婚の破綻を既に見てきている」
「はい」
苦々しい経験だった。友のあのような姿を見たい者などいない。巻き込んだ女もさることながら、巻き込まれたマリーヌ嬢にも今となっては思うところがある。
そんな私の心情を汲んでくださったのだろう。フランヌ王は未だ痛みを放つ箇所を避け、巧妙に話を進められる。
「他に懸想する相手を持つ者にとって、婚約者とは邪魔ものです。ならば政略結婚とは配偶者の押し付け。欠陥だらけの制度なのでしょうか」
先にも述べたが、そうなることもあるし、ならないこともある。
それが私の偽らざる所見だ。首を振って否定する。
「……人は恋愛のみに生きるわけはないでしょう」
「おや? 随分と冷めた意見を持っているのですね? まだ若いのに」
あなどらないでいただきたい――この御人でなければ、目上であってもそう言い返していた。
「今の私には背負う者たちがいる。それだけです」
「殊勝な心掛けです。しかし年上の友人としては、いささか心配になる」
「人に恵まれました。私の周囲には――マリーヌ嬢も含めて――真に信頼できる、力を貸してくれる者たちがいるのです」
自信を持った断定だったが、それは違うのですよ、とフランヌ王は大仰に首を振られた。
「恋は人を美しくも醜くもするものです。その魔性に囚われてみなければ、どう転ぶかなど誰にもわからない」
「あなたもそうだったのですか」
思わず水を向けてしまった。それは話題を当初の方向へ戻すものだ。
私的には失言であったろうが、口から出たものを戻すわけにもいかない。
「僕は愚かになりました。醜態を演じたと言ってもいい」
「あなたは聡明なお方だ。私には到底信じられません」
「そのように繕っているだけですよ。そう、ちょうどさっきの君のようにね」
さっきの私? おっしゃる意味がわからず眼を細める。
「意外に思うかもしれませんが、これで僕は目敏い方なのです。君はさっき躊躇を見せた。そして僕に仕事を委ねた。単刀直入に訊きましょう。どうして君自身の手でマリーヌの涙を拭わなかったのですか」
内心を見透かされていたという事実より、役割を押し付けたことを看破された羞恥心から、私は口を噤むよりなかった。
やや俯き、両膝の上に置いた拳を固く握りしめる。悪事が露見した子どもような心地を味わっていると、フランヌ王がまたも気を回してくれた。
「察するところ、君は奥手な方なのではないでしょうか」
「そ、そういうものではありません。私とマリーヌ嬢は断じてそのような関係では……」
視線を合わせたら今の心境すら見透かされそうで、私は明後日の方向へと首ごと眼を泳がせた。
「申し訳ない。困らせるつもりはなかった」
「いえ、そんなことは……」
ある。実際のところ、ほとほと困りきっていた。
「ですが正しい認識を持ってください。レオン君、あの子が今も笑っていられるのは、他の誰でもない君のお蔭なのですよ」
「さすがに買い被りではないでしょうか」
「ふふ、君はどこまでも謙虚な御人ですね」
私の態度に親しみを見つけられたのだろうか。フランヌ王も前のめりになって、太腿の辺りで手を組まれた。
「政略結婚の話でしたね。制度というものは大抵、メリットとデメリットが混在しているものです。同時に、成功と失敗もある。政略結婚によって利益を勝ち得る者もいるでしょうし、損益を被ってしまう者もいるでしょう。しかしこれは目先の出来事に過ぎません。根本的な話をしましょう。そもそも、政略結婚とはなんのためにあるのでしょうか」
ざっくりと言葉を切って、私の顔を凝視される。
明確な答えを求められていることはわかる。しかし私の思う答えならば、今しがたフランヌ王がすべて語ってしまわれていた。
「その質問の答えならば、繰り返しになってしまうかと」
「もっと深く考えてみてください」
「しかし……」
「制度、決めごと、しきたり。その大元にあるのはなんですか」
年嵩の友人は、私を期待の眼で見る。
その瞳からは信頼の色が見てとれる。私ならば答えに辿り着けると、固く信じ込んでおられるようだった。
私もまた期待に応えたい心地だ。不思議な雰囲気で雲のように掴みどころのないお方だが、絶対に悪人ではないと今の私でも断言できる。
「……大勢の人々が、幸福になることではないでしょうか」
沈思耽考して、ようやく捻り出した答えがそれだ。
取り留めのない解答だが、フランヌ王は笑顔で深く頷かれる。
「さすが僕が見込んだ男です。よくぞ言い当ててくれました」
「まさか!? 正解だったのですか!?」
口先からの当てずっぽうだ。こんな曖昧模糊な解答が果たして正解でいいのだろうか――そう思い私は口を挟んだのだったが。
「もちろんです。それこそがすべての大元にある。できる限り多くの人々がしあわせを享受するために制度というものは生まれたのです。そして、政略結婚もまた、その類例に漏れるものではありません」
はっきりと断言される。思わず納得しそうになるも、さっき私自身の口から言ったはずだ。これは当事者に犠牲を強いる制度であると。
「大勢の幸福のために、結婚する当人が犠牲になるのが正しい道だと」
「そうは言っていませんし、そのような考えは早計に過ぎるというものです……ふふ、今のは若き友人を嗜める役ですね」
しばし楽しそうに独り笑いをされて、フランヌ王が佇まいを正される。
「君の誤解を解消するには、政略結婚の現状について考えるのがいいでしょう。婚約者を持たないレオン君にはピンとこないかもしれませんが、許婚となる両人は幼い頃から何度も顔を合わせ、長い時間を過ごしています。友人を侮る意図はありませんが、なんのためだかわかりますか?」
無論のこと、理解している。
幼いうちに婚約関係を結んだ2人が時間を重ねる理由などひとつしかない。
「少しでも互いを好きになるためでしょう」
「その通り。彼らがともに過ごすのは、睦み合うための時間です」
ロイとマリーヌ嬢――2人にもあったはずだ。
互いを知り、好きになるために重ねられた時間の蓄積が。
感傷的な思いを断ち切るように、フランヌ王は話題を先へ進められる。
「さて、もうひとつ君に質問をしたいと思います。婚約者同士が睦み合うために時間を重ねるとして、どうしてそのようなことをするのでしょうか」
一瞬、私は質問の内容を理解しかねた。まさかこの聡明な王の口から、そのような愚かしい質問が飛び出すとは思わなかったからだ。
「好感を持たない者同士が結婚すれば、夫婦生活は破綻するでしょう」
「上手くやりくりすることができなくなると?」
「お言葉ですが、そのような表現で済む問題ではありません。これは極めて致命的な事態なのです」
揶揄うような物言いのフランヌ王に、私は真顔で返す。
互いに仲を深める経験を持たないなら、それは即ち赤の他人同士ということだ。その赤の他人同士を強引にくっ付けて、夫婦の役を強要する。
相性も信頼関係も、互いの意思すらも度外視してそのような暴挙をはたらけば、当人たちの心はズタズタに張り裂けることになるだろう。
「本当に致命的なのですか」
「政略結婚とはいえ、繋がりを持つのは人間同士ですから」
私は、間違ったことを言っていないはずだ。
その確信を持って言ったのだが――。
「レオン君、君は凝り固まった先入観を持っているようです。そもそも、夫婦に繋がりなど本当に必要なのでしょうか」
一瞬、私は我が耳を疑った。この聡明な王が、まさかそのようなことを言うとは思ってもみなかったからだ。
唖然としていると、フランヌ王はペースを崩さず話を続けられた。
「さっき君は言いましたね。幼少のみぎりから、婚約者たちは互いを好き合うための時間を持つと。少し考えてみてください。政略結婚をなす夫婦は、本当にお互いを男女として見ている必要があるのでしょうか。子を成しさえしなければ、恋人を外に求めても良いのではないでしょうか」
私は、眼前の良識ある壮年男性の口から、そのようなインモラルな話を聞くことになろうとは露とも思っていなかった。
咽喉の奥に溜まった生唾をごくりと嚥下して、どうにか求められる言葉を継ぐ。
「そのような合理性を、夫婦の間に差し挟むことは……」
「不謹慎で、間違っていると? しかし、当座のところそのように振る舞っている貴族たちは多い」
その事実なら承知している。貴族の身柄は替えが利かない。どんなに夫婦仲が冷え切ろうと、おいそれと離婚を果たすことなどできない。
妻の、夫のその代わりを、別の誰かに求めることは珍しいことではない……。
「あなたは、夫婦の間柄は聖域ではないと」
「先入観を捨て去れば、そう結論付けることも可能です。君はどうなのですか?」
意思確認を投げかけて、逆に問い直された。
黙して考える。政略結婚を制度として考えるなら、そのような抜け道が存在することにも不思議はない。俗に言うところ仮面夫婦は、お互いを性愛の対象として見てなどいない。
結婚による利益を享受し、互いに了承を得たならば、後は勝手気ままに振る舞っても問題はないはず……。
理屈の上では筋が通っているように思える。
しかし私は、どうしてもその結論を飲み込むことができなかった。
「……人として、間違った道であるかと」
「個人的な自由としても認めないと?」
「わかりません。しかし、そのような考え方は主流ではないし、彼らは不幸だと思います」
それは独り身の私が言うべきことではなかったかもしれない。
若造がなにをわかったような口を、と謗られても致し方なかっただろう。
フランヌ王は相好を崩された。私はまたしても正解を引いたらしい。
「気が合いますね、僕も同意見です」
「では、政略結婚は制度として問題があると……」
結論を勇むと、静かに首を振られた。
「そういった意味ではありません。君はとても頭が良い。かつての僕自身にも、君のように平等なものの見方が備わっていたら良かったのですが」
それは遠く去った過去に馳せる、もう叶わない後悔にも思えた。
「ときに、物事は巨視的な観点からしか全貌を掴むことができません。政略結婚についてもそうです。家のために結婚する当人たちが犠牲になる、それも真実の一部でしょう。けれど決して、それは全体ではない」
ようやく話の勘所に来た。私はまんじりともせずフランヌ王の言葉を待つ。
「僕の場合、より広い視野を獲得したのは後年になってからでした。政略結婚が多大な犠牲の上に成り立つとして、どうして制度として廃れないのか。王侯貴族がパワーゲームを行う上で都合が良いからでしょうか。そうかもしれませんし、それを否定することなどできません。けれどそれだけではないのです。ヒントは当事者ではなく、その周辺にこそありました。結婚する当人たちは、周囲の人々からしあわせになることを願われていたのです」
ふと、頭のどこかで思った。
これはまるで祈りのような言葉であると。
語り終えたフランヌ王が、再び微笑して私を見る。
「理解してしまえば、これほど簡単な話もありません。婚約者たちはどうして、幼い頃から関係を育む時間を持たされるのか。それは夫婦という形態が、人のしあわせと密接に関係しているからなのです。周囲の人々に、良き夫婦となれることを、心の底から願われているからなのです」
いったん口を閉じ、フランヌ王は私へと意見を委ねる。
私もまた物思いに沈む。この御人のおっしゃった意味を考える。
政略結婚はたしかに犠牲を強いる制度なのかもしれない。しかし我が子のしあわせを願わぬ親などいない。定められた婚約者であったとしても、仲睦まじい夫婦となるための努力ならば、きっと惜しみはしないだろう。
それが人の幸福の条件であるならば、なおさらに――。
「……愛は、そこにあったということなのですか」
「当人たちが気づくかはわかりませんし、その限りではありませんが」
「それでも、子のしあわせを願わない親はいない」
やさしい母様の顔、厳しい父上の顔が脳裏に浮かぶ。
決してできた息子ではなかった。不義理だってはたらいてしまった。
だけど2人は、絶対にそんな私のことを許してくれたはずなのだ。
穏やかに話されていたフランヌ王のお顔に、暗い翳りが兆した。
「……しかし僕は、蔑ろにしてしまいました」
「え?」
「婚約者がいたのです。遠い、気の遠くなるほど遠い昔の話ですが」
苦笑して、私を見る。次の話が始まってしまっている。
「最初に言ったでしょう? これは僕の恋愛話だと」
「ええ……まったく食えない御人だ」
ふ、と相好を崩して私は言った。ようやく肚が決まったのだ。
元より乗りかかった舟だった。窓の外には夜の帳が降りかけている。マリーヌ嬢の体力の回復を待つなら、ここで一夜を明かさねばならない。喫緊の用向きがあろうと無為に費やさねばならぬ時間もある。ならば、今がそのときだろう。
「実は少し緊張しています。人に恋話を打ち明けるのは初めてなのです」
「良き聞き役となれるよう善処します。年下の、あなたの友人として」
パチパチと、暖炉の中で薪が爆ぜる音がする。
私たちはともに、その光景を見た。熱とともに放射される赤い炎。立ち昇る揺らめきの先がどこへ通じているのかは知っていた。現れては消えるものは過去の幻影だ。フランヌ王。私をして一角の人物ではないと思わせるこの御人がどのような恋路を辿ったのか、正直なところを言えば興味を抱き始めていた。
「……それでは話を始めましょうか」




