第17話 『雪山登山/オスティールの王』
マリーヌ嬢は、我がコルラン領に対して3つの大きな功績を果たした。
1つは扱う小麦を変更して領地収入を増大させ、我が領の抱える借金を完済したこと。
2つは領境の村落を襲撃する北方遊牧民の正体を看破し、洗脳を受けていた被災遺児たちを救出したこと。
そして3つ目の功績だが――これだけはマリーヌ嬢が自発的に始めたものではない。私の口から直々に、マリーヌ嬢へ頼み込んで力を貸してもらった。
非常に繊細な問題だった。今にしても、これが正解だったのか判断する術はない。発案者は私だが、今回ばかりは識者の力添えも必要だった。私はアーノルドとマリーヌ嬢を交えて幾度も話し合いの機会を持ち、彼らの助言を得た上で決断をくだした。
その実行のために、私たちは山を登っていた。
標高の高いこの山は、コルランの領内には存在しない。
関所を抜け、オスティール王国の地に入って幾日か経つ。私たちはその間に必要な手順を踏んだ。天候を見定めるのには特に時間を費やした。ここまで足を運んでおきながら、遭難で頓挫などすれば眼も当てられないからだ。
「……明日辺りがよろしいかと」
優れたる老執事の優れたる見識を疑ったりはしない。悪天候が続き、この地に滞在できる期間も残りわずかとなっていた。この機を逃せば私たちは目的を果たせぬまま、コルラン領へと手ぶらで帰ることになるだろう。
その日はゆっくり宿で休み、翌日早朝から登山を開始したのだが――。
「アーノルドのやつめ、今日ならば大丈夫だと言ったではないか!!」
山を中腹まで登ったところで、そんな毒づきが口から漏れた。
視界が白いのは積雪のためだけではない。出発時には快晴だった空が、一転して荒れ模様を見せ始めている。
歩きながら手で頭に付いた雪を払っていると、後方から声が届いた。
「レオン様、先生はそうはおっしゃられておりません。今日が良いとだけ」
「普通、登山に適した日というのは晴れの日を言うものだ」
「それはそうでしょうけれども……きゃっ!?」
悲鳴を聞いて踵を返し、雪に足跡を残しながらマリーヌ嬢に駆け寄る。
当のマリーヌ嬢は大事ないと片手を挙げられて、少し気まずそうにしていた。
「申し訳ありません。雪で足を取られただけです」
「謝るべきはあなたではない。このような日に山を登らせたアーノルドの方だ」
「例によって、なにかお考えがあったのではないでしょうか……?」
そんなバカタレな話あるわけがない。先方の要望とはいえ、私とマリーヌ嬢の2人だけで山を登らねばならぬのだ。わずかであろうと危険があってはならぬ。
私が立腹していると、雪上にしゃがみ込んだマリーヌ嬢が、マント状の防寒着の襟元をきゅっと手繰り寄せた。微かに震えが走って見えるのは気のせいじゃない。天上と大地の両方から、急激に空気が冷やされている。
「……これを」
私はマリーヌ嬢の手を取って立ち上がる手伝いをすると、自らの防寒具を脱いでマリーヌ嬢の肩上へと掛けた。
はっと顔を上げたマリーヌ嬢の顔が驚きに満ちている。
「い、いけません。サー……これはあなた様の防寒着ではないですか!!」
「構わぬ。凍える者を捨て置けば、我が心の方が凍てもしよう」
「ですが……」
なおもなにか言いたげなマリーヌ嬢ではあるが、冷静に状況を分析されたのだろう。凍えて動けなくなっているのは己自身であり、常日頃から鍛えている私は一枚脱いだところでまだ余裕があるのだと。
「それに今の私はサーではない。そこのところの分別も付けるべきと思うが、いかがだろうかマリーヌ・ヴィクスドール嬢」
これ以上遠慮をされては本気で困る。私が早急に話題を転換すると、マリーヌ嬢は珍しく瞳を丸くしてこちらを見た。
「失念いたしておりました……執事のお役目はここでは一時お休みでしたね」
「うむ。私もあなたという淑女を頼りにしているのだ。よろしく頼む」
「かしこまりました」
こちらがハッとするような笑顔を送って寄越し、マリーヌ嬢は私を先導するかのように足を踏み出した。
歩いている最中、私の防寒具の襟元を手繰り寄せて「……あたたかい」と、なにやら上機嫌に呟いている。
私の地獄耳もそれを捉えた。思わず口元が綻んでしまそうになるが、いったいこの私はなにを思っているのだ? 積もった雪へと頭を突っ込み、今一度この変に火照った頭脳を冷やした方が良いのではないか?
などと歩きながら思い、あわや本気で実行しようと思った矢先であった。
「レオン様!!」
振り返り際に、マリーヌ嬢が大声で私の名を呼ぶ。
唐突のことに面食らったが、ここは努めて冷静に返す。
「マリーヌ嬢、結構だ。防寒具なら……」
「いえ、そうではありません。ですがこう吹雪いてはひとつ問題が」
問題?
あなたが素直に防寒具を身に着けてくれればそんなものはないが……。
意図を捉えあぐねていると、マリーヌ嬢がこちらへ走り寄ってきた。
「いかがされたのだ?」
直に向き合うと、女性にしては長身とはいえ私が見下ろすかたちになる。マリーヌ嬢は無言で私の衣服を凝視しているようだ。
「……やはり、危険ですね」
うーん、と考え込むようにするが、意味がわからない。
私の様子を察したらしく、マリーヌ嬢が言葉を重ねてくる。
「レオン様のお召し物のことです。正装してくるようにとの先方のご要望にお応えし、本日は白の着衣をお召しになっていらっしゃいます」
たしかにそうだ。コルランのイメージカラーは白であり、それはコルラン辺境伯の正装にも適用されているが。
「それがどうしたのだ?」
「正装の白地に、銀の髪色……これでは、私がレオン様を見失ってしまいかねません」
一瞬ぽかんとしたが、意図ならば汲めた。一面の銀世界に、この吹雪。白一色の世界にあって、この髪と服は見事に保護色となってしまっている。
だが――。
「心配には及ばぬ。その際は、私があなたを見つければ良いだけの話だ」
道理的にはそうなるはずだ。しかしマリーヌ嬢は珍しく難色を示し――。
「それでは、私がレオン様を見つけられなくなってしまいます」
「そうかもしれない。だがそれは同じことではないか」
私がマリーヌ嬢を見つければ、マリーヌ嬢もまた私を発見したことになる。
このロジックに疑うべきところなど一欠片もないはずだが……。
「それですと捜索者の眼が減ってしまいます。離れ離れになる危険性も大きくなってしまうのではないでしょうか」
「いやまあ、それはそうではあるだろうが……」
探すのが一方のみなら、両人揃って探すよりもたしかに効率は落ちる。
落ちるが……そんなにこだわるようなことに私には思えんのだが?
「雪山での遭難に際し、主君の命を守るのは臣下の務めと思うのです」
「…………」
言わずもがな、執事は一時中断であったはずだ。思わず沈黙してしまったが、私たちはさっきからいったいなにを話し合っているのだろうか?
マリーヌ嬢が真剣そのものであるからして、どうにも突っ込みづらい……。
「……そうだわ、こうすれば」
ぱん、と思いつきに胸の前で手を合わせたマリーヌ嬢がさらに一歩分私へと近づき、降ろしていた手を取った。
「いったいなにを?」
「私があなた様の手を握っていれば、離れ離れになりはしないでしょう」
慇懃に言うや否や、マリーヌ嬢は取った私の手から一方の手を離し、片手のみを握ったまま私の隣へと身体を移動させた。
「先だって謝罪いたします。申し訳ございません。本来ならばこの場所は、レオン様の未来の奥方様のためのもの。しかし今ばかりはこの私めでどうかご容赦くださいませ」
そう告げて、私の手を引く。思わず足を進めてしまうが、これでは恋人や夫婦が並んで歩いているような恰好ではないか!?
「ま、マリーヌ嬢……こ、このようなことまでする必要は!?」
思わず声に出してしまったものの、後の祭りだ。今さら足は止められないし、手を繋いで歩く隣の人物が私の顔を見上げてくる。
「今しばらくのご辛抱です。私たちは、既にかなりの距離を踏破しております。目的の場所は程近いかと」
「しかし、あなたが先に歩いてくれれば……」
ふるふる、と眼を伏せたマリーヌ嬢が首を振る。
「我が身に帯びた使命を思えば、万に一つの危険をも回避すべきです。今の私たちに、失敗など許されておりません」
「う、うむ……」
勢いで頷かされてしまった。
しかし私の心はそこにない。分厚い手袋越しとはいえ、私とマリーヌ嬢は手を握り合っている。そして2人のうち、どちらが先導するでもなく隣に並んで歩いてしまっている。
私はキョロキョロと周囲を見渡した。人目を気にしてしまったのは愚かなことだ。このような吹雪の雪山に、私たちを除いて人などいようはずもない。
それからは緊張の時間が続く。ときに人目をはばかり密会をなす男女というものは、このような気持ちになるものかもしれない。しかしそれすら益体のない思い付きだ。とどのつまり、私はマリーヌ嬢に手を握られて穏やかならぬ心境だったのだ。
「……見えてきました」
その声に促され、私は視線を上げた。ごうごうと雪風が煙るその向こう側に、黒く大きな建築物の姿が垣間見える。
「あれが目的の城砦か」
「はい……はっきりと見覚えがあります」
マリーヌ嬢が幼い時分の記憶と照合し、お墨付きをもらった。
目算だが、ここからあと十数分も歩けば辿り着くことができるだろう。
「急ごう。私たちに残された時間はそう多くない」
「はい!!」
歩速をペースアップすると、まるでその行為を待っていたかのように空を舞う雪風が弱まってゆく。目当ての城砦に辿り着く頃には、雪も風も完全に止み、曇天の合間から、太陽すらもがその姿を現そうとしていた。
「よもや到着と同時に止むとはな……」
なんたる皮肉か、と私が隣のマリーヌ嬢を見たところで気づく。
私たちは未だ、手を握り合ったままでいることに。
「あ……も、申し訳ありません!!」
先に気づいたのは私だが、弾けたように行動に移したのはマリーヌ嬢だった。私の手からさっと自らの手を引くと、気のせいか少し頬を赤らめているように見えた。
「い、いや、気にはせぬ。ここまでの案内、実に大義であった」
「……いえ……」
マリーヌ嬢はやや俯き加減になって、しきりと両の手を擦り合わせている。いつも冷静な彼女らしからぬ振る舞いを見て、私の心も乱れそうになる。
落ち着けレオン、よもやマリーヌ嬢までお前の手を握って緊張していたわけでもあるまいに……。
必死に自分に言い聞かせていると、パタンというなにかが閉じる音がした。出所を見るに、城砦に設えられた窓が閉じた音のようだ。
「臣下の者がいたのだろうか」
「わかりません……ともかく、入りましょう」
城門前で話し合っていたところで埒は明かない。
私たちは互いに頷きを送り合うと、どちらともなく門扉に手を掛けたのだった。
★★★
城砦の内部は、静けさに満ちていた。
差し込む光に照らし出された内装からは、生活感というものがまるで感じられない。数年、いやもっと長きに渡って人の手が入っていないのだろう。そこかしこに埃の堆積や、こびりついた汚れらしきものが散見される。
「捨て置かれた、といった感じだな……」
独り言だったが、マリーヌ嬢が追従する。
「実際そのものです。だからこそ密会の場には相応しいかと」
「密会か」
言い得て妙、というよりそのものだ。
今一度己の使命を呼び起こしてみる。会談のためにこの場所を指定したのも、私たち2人だけで訪れるよう条件づけたのも、すべて相手側からの要望だ。
人目を憚る理由ならわかる。私を懐に引き入れるということは、オスティール王国のパワーバランスを崩壊されることに他ならない。他の貴族に露見した場合、どんな汚い手で妨害を受けるか知れたものではない。
なおも2人で周囲を見渡していると、カツッ、カツッ、という鋭い音が段々と近づいてくるのを聞いた。
音の出所を見ると、瘦身で身なりの良い男性がいる。背後に階段を背負いながら、ランタンの光で前方を照らし出している。
「……よもや、このような天候の日に訪ねてこられるとは思いませんでしたよ」
私はその場で唖然としてしまった。その反応は礼を欠いている。
先に平常心を取り戻したらしきマリーヌ嬢が、カーテシーで応えた。
「お久しゅうございます、フランヌ王陛下」
その声を受け、私もまた手を胸に当て頭を垂れた。上目遣いで様子を窺うと、信じ難いことにフランヌ王は片手を挙げて穏やかな笑みを湛えられている。
「堅苦しい挨拶はなしにしておきましょう。それよりもマリーヌ、僕は健やかに育った君の姿が見たい。こちらに来てもらえませんか?」
「はい」
歩み寄り、正面に立つマリーヌ嬢を見下ろすフランヌ王の眼は、いかにも父親の瞳というものを想起させた。
「しばらく見ないうちに、随分と大きくなりましたね。それにとても美しくなった」
「お褒めに預かり光栄に存じますわ」
マリーヌ嬢が見上げる笑顔もまた、実の娘染みている。
かつて共同生活を送ったという2人の、昔の間柄を私にも忍ばせた。
しばしマリーヌ嬢の変化を堪能したフランヌ王が、今度は私へと視線を移された。
「君がレオン君ですね。マリーヌをここまで連れてきてくれて、どうもありがとう」
いち辺境伯の立場として、唐突な君呼ばわりに文句を付けることだってできた。だがどうも、この御人相手には毒気を抜かれてしまうようだ。ふだんならば気にかかる部位も、まるで取るに足らない些事のように思えてしまう。
私はその場に片膝を突き、礼に則った挨拶を行うことにした。
「お初に御目にかかります。私の名はレオン・コルラン。ブリアリン王国がコルラン領にて、辺境伯の座に就いております。フランヌ王陛下にあられましては、本日もご機嫌麗しゅう存じます」
「……ふふ、まだ少し硬いですね」
フランヌ王は笑まれた後、私を気遣うかのようにご自分も腰を下ろされた。
低い位置にあるランタンの灯りが、私と陛下の顔をともに照らし出す。
「レオン君、君にひとつお願いがあります。ここでは君と僕は、年の離れた良き友人同士となりましょう。良き、というところがポイントです。つまり遠慮はいらない。仰々しい挨拶も、ともにおべっかを使う必要もありません。思ったことを正直に口にしてくれていいんです」
随分とおやさしい、甘やかさすら感じさせる言葉ではあるが、私は出会ったばかりでこの御人の人となりをまだ知らない……。
助け舟を乞うようにチラリとマリーヌ嬢を見ると、いつものように穏やかな笑みが返ってくる。
「レオン様、フランヌ陛下は人を試すような御方ではございません。いつも通りのあなた様でいてくださっていいんです」
マリーヌ嬢のお墨付きに続き、畳みかけるように。
「君が望むなら、敬語だって使う必要はありませんよ?」
「あ、いや……そこまでは……」
「ふむ、逆に気を遣ってしまいますか」
しゃがんだ姿勢から立ち上がり、顎髭を擦って何事か考えられている。
「良き友のイメージとしては、軽口を叩き合うというものがあります。レオン君も僕にそうしてみてはどうでしょう。おい髭、とか試しに呼んでみたら、案外早く打ち解けることができるかもしれませんよ?」
「…………」
王の称号を持つ者として、あまりにフランクなその発言に言葉を失いそうになるものの、私には先んじて訊いておくべきことがあるはずだ。
「申し訳ない、ご冗談はそこまでとして……」
「ふむ、冗談ではないのですが」
「臣下の者たちはどうしたのですか。先程から、誰ひとり姿を見ないのですが」
このとき、私の脳裏には懸念があった。事前にご意思は確認している。しかし、もしフランヌ王が内心で戦火を望んでいたならば、この場で私たちを闇討ちする可能性もある。
私の緊張を読み取ったらしきフランヌ王が、目尻を下げられるのを見た。
「ああ、心配なのですね。僕のことをまだ信じていないと?」
「そのような含みは……ここに至るまで誰とも出会わなかったもので」
危ういところで誤魔化しにかかったものの、フランヌ王はなんでもない風を崩さずに続けられる。
「……いません」
「は?」
思わず素っ頓狂な声が漏れた。すぐにその重大さに気づく。
「いない? そんなはずはない。王であられるあなたが、他の何者も帯同させずこのような山間の城砦へ出向かれたというのですか!?」
驚きに眼を瞠るものの、フランヌ王は平然とした態度を崩されない。
「いかにも。というより、君たち2人を呼びつけておいて、僕だけ家臣を連れてくるわけにもいかないでしょう。それこそ客人に対する礼を欠いている」
「いや、しかし……」
私は混乱しながらも事態を概観する。
本会談は私たちがお願いに上がる立場であり、フランヌ王がイニシアティブを握っている。事前の要望通り、ここまでマリーヌ嬢と2人で山を登ってきたのも、そんなフランヌ王の気持ちを損ねたくなったからに他ならないというのに……。
「邪魔を入れたくなかったのですよ。僕は君たちと水入らずで語らいたかった。そのために、他の何者もここに入れたくなかったのです」
……信じがたいことだが、嘘はないと思った。
この御方、フランヌ王は、一国の王にあるまじき振る舞いをなさっている。隣国の貴族であり、どこの馬の骨とも知れぬ素性の男に、全幅の信頼を置いてくださろうとしているのだ。
「それに、君と僕の意見ならば一致している。そうでしょう?」
「それは……」
今度こそ言葉を失う私とすぐ傍にいるマリーヌ嬢へ向けて、フランヌ王は促すように階段の方へと腕を伸ばされた。
「ここは冷える。僕より君たちの方が骨身にこたえるでしょう。客間の暖炉には火が入っています。凍えた身体を溶かすための紅茶もある。お話の続きは是非そこで、楽しんですることにしませんか?」
その申し出には是非もなかった。私もマリーヌ嬢も同じタイミングで頷く。
新たなる案内人はランタンの光を持ち、こちらへと背中を無防備に晒しながら、階段の先に待ち受ける場所へと私たちを先導したのだった。




