第16話 『悲しみに報いるために/惰弱なる王子』
フランヌ王の居城へ赴く途中、ベーヘンの街を訪れた。
栄えた街には活気がある。好況ともなれば勢いはさらに増す。本来ならば家臣団を連れ立ち、大々的に歓待を受けるべきなのかもしれない。しかしこのときの私には密命があった。心に帯びた決意があったのだ。
「……こちらです。サー」
いち旅人として訪れた街で、道連れのひとりから案内を受ける。大通りを逸れて裏道へ入ると、日の加減で翳りが差す。細い道を、私と私が信の置いた数人の家臣で連れ立って歩いた。
目的の場所は、閑静な通りのさらに奥まった場所に位置していた。
「孤児院というからには、もっと立派な建物かと思ったが」
「借り家のようなものです。願望込みで、『今は』とだけ申し上げさせてください」
思わず出た独り言に、案内役のマリーヌ嬢がそのように返答した。
柵状の門を抜ける。決して広くない建物の合間を縫って、洗濯物が干されているのが見える。駆け回る子どもたちの姿が見えないのは、騒がないよう先だって言い含められているからだろう。建物の窓のそこかしこから、こちらを窺う視線の気配だけは伝わってくるのだから。
「ようこそおいでくださいました。コルラン辺境伯閣下」
通された院長室で、熱心な歓待を受ける。この修道院を切り盛りする修道院長は、恰幅の良い女修道士だった。信仰に篤い御人なのは出で立ちからも、入った部屋の内装からも伺える。
「マリーヌ様も。コルラン邸へ帰られてからもお元気でしたか?」
「ええ、とっても」
と笑みを返すマリーヌ嬢にやにわに歩み寄り、この女修道院長はなにやら耳元で囁いた。
「(話には聞いてましたけど、レオン様ってばすっごい美男子じゃありませんか。こんなに良い男、絶対に逃しちゃダメですよ)」
「(私とレオン様はそのような間柄ではありませんよ。それにレオン様は、天地がひっくり返っても主従の掟を乱すようなことをなさったりはしません)」
「(じゃあもし天と地がひっくり返ってしまったら? そのときはマリーヌ様はどのようになさるんですか?)」
「(…………)」
なぜそのタイミングで黙りこくるのだマリーヌ嬢……。
このとき私は生来の耳の良さを心底後悔した。夜分には廊下に響く足音で誰が歩いたか判別できる大変便利な地獄耳ではあるが、これでは生殺しに過ぎる。いっそのこと、最初からなにも聞こえぬ方がマシではないか。
そんな複雑な男心など露知らず、女修道院長は再び私へと向き直った。
「それで辺境伯閣下、本日はどのようなご用件でお目見えになられたんですか?」
威勢良く告げる女修道院長の瞳は爛々と輝いている。ややもすると私のことをふだんの仕事ぶりの視察にきたものと思っているのかもしれない。しかしその推測は的を外している。私はことのあらましを正直に告げることにした。
「実を言うと旅の途中でな。ここへは立ち寄っただけなのだ」
「旅ですか!! ええ!! とても良きことにございますね!!」
どういうわけかこの女修道院長、私ではなくマリーヌ嬢を見ながら喜色満面の表情を浮かべている……。
これに含むところを察したか、マリーヌ嬢も苦笑して指先で頬を搔いたのだが、意外なことにこの手の輩が苦手な人種なのかもしれない。
「それでも、アピールのチャンスくらいにはなりましょう。当孤児院の様子、辺境伯閣下のその御目でしかとご覧になっていただきとうございます」
「ああ、もちろんそのつもりでいる……案内を頼めるか?」
それから私たちは、女修道院長の背を追って孤児院内を巡った。
マリーヌ嬢が直々に、ベーヘンの街の重鎮に掛け合って買い上げた物件ではあるのだが、雑感としては随所に痛みが多く見受けられる。おそらく、急な話で修繕が間に合わなかったのだろう。
しかしただ痛んでいるというわけではない。孤児院からは、人が住む気配が濃密に感じられた。壁の落書きを消した痕や、床にこぼれた飲み物を処理した痕からは、ここでどのような生活が演じられてきたかを如実に見て取ることができる。
マリーヌ嬢の手腕によって新たな人生を生き始めた被災遺児たちは、どうやらとても元気にしているらしい。
「しかしさっきから、子どもたちの姿が見えないが……」
孤児院を一巡りした後、私は女修道院長へ問うてみた。
どういう思惑があったやら、ここで女修道院長はにニマリと笑みを見せる。
「実は演出の一環なんですよ。せっかく訪問してくださったんですし、辺境伯閣下には是非ともお喜びになって帰っていただこうと思いまして」
「それはどういう……」
「すぐにおわかりになりますよ。では、ごめんあそばせ」
意味不明とばかりに片眉を上げた私を置き去りに、女修道院長は輪っかにした指を口元に差し入れて、思いきり呼気を放った。
ピィーッという甲高い指笛の音が孤児院中に響き渡り、部屋の外側から小さな子どもたちが雪崩のように駆け込んでくる。
「ごりょうしゅさまだ!! あいにきてくれた!!」
「ほんとうにぎんのかみだ!! ごりょうしゅさまだ!!」
「こっちにマリーヌさまもいるぞ!!」
「マリーヌさま!! わたしおはなをつんできたの!! うけとってください!!」
……今まで、いかにして私たちの視線を避けていたのだろう。
室内はあっという間に小さな子どもたちの姿で溢れ返り、私たちは歩くことすらままならなくなってしまった。
あまりに突然のことに思わず隣を見ると、マリーヌ嬢は慣れたものらしく、既に取り囲んでくる子どもたちの頭をやさしく撫で擦っている。視線を下げると、子どもたちが短い腕を必死に回して、私のことを抱きしめようとしてくれていた。
「これは……?」
その問いには、女修道院長が母親の顔で答える。
「サプライズですよ。最初からみんな揃って出迎えるより、こうした方が喜びもひとしおになるでしょう?」
とは言うものの、正直なところ困惑の方が勝る。
以前にも折衝のため孤児院を訪問していたマリーヌ嬢とは違い、私と被災遺児たちはこれが初顔合わせなのだ。知らぬ子どもたちに懐かれたとて、どのように対応すればいいのかまるでわからないのだ……。
「頭、肩、背中。どこでもいいから触れてあげてください」
女修道院長のアドバイス通りにしてみる。髪に手を当ててゆっくりと撫で擦ると、くすぐったそうな顔をした後で笑顔になってくれた。
「えへへ……ごりょうしゅさま、たすけてくれてありがとう……」
ふと、頭を擦る手が止まった。子どもの顔が奇妙な色をしている。それによく見ると、頬に深い切り傷があり、耳の一部が欠けているのが眼についた。
「ごりょうしゅさま、どうしたの?」
「いや……なんでもないよ」
「なんでもないならそれでいいよ。ぼくたち、ほんとうにあえてうれしいんです」
胸が破れるような心地がした。
北方遊牧民の根拠地から被災遺児たちを救出して、かれこれ1年近くが経つ。当孤児院の院長をも兼ねる女修道院長、それに他の修道女たちの尽力もあって、子どもたちは悲惨な境遇からは脱している。
栄養価の高い食事、清潔な衣類、安全で安らげる寝床――それらを揃えて、私は心のどこかで埋め合わせを終えたと思っていた。そのような考えをどこかで持っていた。しかし直に眼にして、その認識が甘過ぎることを知る。
苦しみは終わっていない。この部屋にいる被災遺児たちの身体には、消えない傷が刻まれている。痛覚による洗脳のため、北方遊牧民が刻んだものに違いない。奇妙な肌色は、コルランを襲う戦士とするために染められたものだ。
「色素の沈着には、顔料の定期的な注入が必要です。いずれは元の色に戻りますでしょう」
「しかし、2度とは癒えぬ傷もある」
被災遺児たちの身に触れながら、こちらを見守る女修道院長へと答える。子どもらの中には、顔の一部や、腕や足が欠損している者さえいる。
「不幸から救い出せばそれで終わりではないのだな。この子らの戦いは、これからもずっと続く」
「ええ、左様にございます。ですから私たちは全力でそのお手伝いをするんです……どうやら、見ていただいた甲斐はあったようですね」
女修道院長の言う通りだ。子どもらの置かれた現状は、直に眼にしないと理解しがたいものだ。屈託なく笑う被災遺児の過去に刻まれた消えない傷。彼らは、それと一生戦ってゆかねばならない。
いかんな。本当に辛いのはこの子たちだというのに、私の目頭に熱いものがこみ上げている。誤魔化すように天を仰ぐと、そのまま声に出した。
「この建物は、些か隙間風が多いようだ。目的の地へ赴く前に、修繕の手配を済ますだけの時間はあるだろう」
女修道院長がマリーヌ嬢と視線を合わせ、笑みを浮かべて私を見た。
「そうおっしゃっていただけると信じていましたよ。どうやら効果は覿面だったみたいですね」
「子どもらが身体を冷やさぬよう、あなたたちにも一層の働きを期待する」
「ええ、もちろんですとも。大船に乗ったつもりで構えていてください!!」
女修道院長と被災遺児たちに送り出されて、私たちは孤児院を後にした。
皆、感謝の気持ちを態度で示すかのように、元気良く私たちに手を振ってくれていた。
道往きの途中に私は思った。私は、本当にこのような扱いを受けるに相応しい人間なのだろうかと。何故ならば私は見過ごしていた。被災遺児たちも、彼らがどんな扱いを受けてきたのかも、マリーヌ嬢に指摘されるまで知ることすら叶わなかったのだ。
しかし過ぎた時間はもう戻らない。ならば私がやるべきことはひとつだ。このような悲しみを繰り返さないよう、その原因を消滅させることに他ならない。例えどんな手段に手を染めようとも――。
私は紅茶を掻き混ぜる手を止めた。そして今一度ロイの表情が抜けた顔を見る。屈辱を感じたというより、私が発した言葉を未だに受け止めきれていないようだ。
「あ、あんた、自分がなに言ったかわかってんの……!?」
驚きに眼を瞠っているのはアウロアだ。王太子当人を眼の前にして、包み隠さぬ侮辱行為。これが特別でない、至って普通の反応と言えるだろう。
紅茶の水面を見て静かに構えると、狂犬のように吠え出した。
「撤回しなさいよ!! 言うに事欠いて、ロイ様のことを侮辱するだなんて!! あんたにそんなことを言う権利なんてないでしょ!!」
理解している。本気で怒っていると。
こいつはこいつなりに、ロイのことを本気で好いていた。それは3年前の卒業記念パーティーですら見てとれたことだ。大切な人が辱めを受けている。だから代わりに自分が怒る。とても自然なことだ。しかし――。
「その気はない。事実を指摘しただけだからな」
「なんて生意気なの!! レオンの癖に!! あ、あんたなんて――!!」
昂った感情が爆発しかけたが、その先は言えなかった。
ロイが腕を横伸ばし、いきり立つアウロアを制止したからだ。
「……ロイ様!?」
「アウロア、これ以上はもういい」
後は自分が反論する――そう続くと思ったのだろう。
アウロアは首を振って、仇敵でも見るような眼を私に向けた。
「いいえ、レオンのやつくらい、私が言い負かしてやります!! ロイ様のお手を煩わせたりは――」
しゃべっている最中に、ロイがアウロアの手首を取った。
力任せに捩じ上げたところで、アウロアも異変に気づく。
「聞こえなかったのか。口を挟むなと言った」
「え……で、でも!!」
「僕とレオンの間に割り入るな」
剃刀のような鋭い視線を向けて、ピシャリと反論を打ち切る。アウロアは身体をぶるりと大きく震わせた後、すぐに椅子に座って肩を屈めた。
その身体がカタカタと微細に震えているのを、私の眼も見逃してはいない。
「根拠を聞かせてもらえるか。僕が惰弱だと判断した理由を」
「構わない。それが望みならな」
もったいぶって、私はテーブル上で組んだ両手の上に顎を落とした。
この先は、少しばかり長い話になる。
「私には3年あり、お前には1年があった。実際に執政を執り始めてからの期間だ。我が領の評判ならばお前も知るところだろう。問題は、病床に伏された王に代わって、お前がどのように振る舞ってきたかにある」
ロイが不快げに眉を顰めるのが見える。
私の主張とはつまり、ロイ自身の執政に文句を付けることに他ならない。
「父上の代役を、僕が果たせていないというのか」
「もっと上手くやるべきだったろうな」
ギリ、と歯噛みするのが見える。ロイの怒りは、私のそれとは質が違う。ふだんは誰に対してもやさしさを見せるこの男は、己のプライドが著しく損なわれたときにのみ激しい怒りを見せる。
古風な男だとロイについて思うのは、つまりそういう部分だ。
「……父上が倒れられたとき、王国内の貴族を集めた。代行として、僕がその役を引き継ぐ許可を得るためだ。意識を失くされた父上を見舞った彼らの多くは、僕の意思に賛意を示してくれたよ。君の物言いはそんな、王国を真に思う貴族たちの気持ちをも踏みにじったことになる」
言い聞かすというより、脅迫めいて聞こえるな。
無理もないことだ。認めがたい事実というものは誰にでもある。
「召喚に応じなかったこと、今でも恨んでいるか」
「君も来るべきだった。父上だってそう願われたことだろう」
「謝罪ならば今この場で行おう。君主としてなすべきことがあったのだ」
双肩にコルランそのものを負いつつ、私はロイに頭を下げた。
「ただ、ひとつ付け加えさせてもらう。面従腹背は交渉ごとの常だ。お前の意思を汲んだ貴族たちは、本当に心の底からそう思っていたのか」
ロイは一瞬口を閉じたかと思うと、唇をわななかせて爆ぜた。
「あんなことをした君が忠誠心を語るっていうのかッ!!」
「だから落ち着け……私たちは今大事な話をしている」
射竦めるようにきつく強く瞳を細める。ロイもまた、私からここまで強烈な眼圧を受けたことはなかったはず。私自身、剣を用いた立ち合いの際ですらここまでの眼をした覚えはない。
「……ぐ」
落ち着くというより、威圧されて大人しくなったようにも見受けられる。
ここから先は話の心臓部だ。私としても心してかからねばならない。コルラン辺境伯、ブリアリン王国の守護者としての私の器が試されることになる。
「……その様子だと、どうやら知らなかったらしいな。オスティール王国がブリアリン王国への侵攻を画策していたことを」
ロイがハッと頭を上げる。その所作だけで答えが知れる。
「どういうことだ!?」
「オスティール貴族の間で、密かにそのような話が持ち上がっていたのだ。王が倒れ、ブリアリンが弱体化した今こそ攻め入る好機だとな」
私の報に、眼の前で三者が三様に驚きを示す。王太子であるロイや腐っても武人であるアントニーは元より、あのアウロアまでもが絶句している。
「弱体化だと……!?」
「唆した輩がいる。わかっているだろう。お前に忠誠を誓った貴族たちの中にだ」
さすがにその正体まで知れてはいない。だがそうとしか考えられない。王が病に倒れたという噂は、馬よりも風よりも早くオスティールの地へ伝播した。
「善き王だった。それは私だって存じている。しかし王の不在のみでは他国へ攻め入るにいたらない。原因はお前だロイ。お前相手ならば容易く組み伏せられると考えたからこそ、オスティールの貴族たちはフランヌ王に侵攻を直訴したのだ」
話を聞くロイの顔色が青褪めて見える。
屈辱か、恥辱か、それとも私の言葉を疑っているのか。
どれであっても構わない。本気で調査を進めたならば、私の言ったことが嘘ではないという証拠はすぐ手に入るのだから。
「ま、待ちなさいよ!! じゃあなんであんたオスティールの王様に頭を下げに行ったっていうのよ!!」
言ってしまった後、口出し無用の言いつけを思い出してアウロアは両手を口に当てた。
だがその言葉は渡りに船だ。私はアウロアに言い聞かせる体でこの場にいる全員へと告げる。
「オスティール王国はブリアリン王国とは政体が違う。彼の国において王は貴族の代表であり、他の貴族たちの意思を退けるほどの強権を持ち合わせてはいない」
ふう、と鼻から呼気を漏らして、ロイが続きを引き取った。
「つまり、他の貴族の総意であるならば、王の意思がどうあろうとブリアリンへの侵攻は止められない……だからなんだな、レオン」
視線を向けるロイに、私は深く頷きを返す。
「この3年で、我がコルランの領威は増した。オスティールの上位貴族、いや王自身にすら引けを取ってはいない。そんな私がフランヌ王に直々に傅き、臣下の礼を取ったならば、当然オスティール王国内における強大な発言権をも得ることになる」
ここまで言えば子どもにだってわかる。
ロイの瞳に宿る怒りの炎が揺らいでいる。
私が臣下の礼を取り、オスティール貴族の仲間入りを果たせば、彼らは私の意向を無視できない。つまるところ私は、ブリアリン王国への侵攻を阻むためにフランヌ王に傅いたのだ。
「私がお前を裏切っていないこと、これで理解してもらえたか」
沈黙の間に、ロイの纏う空気が変わる。
しかし依然として険しい表情を貼り付けたままだ。
「……納得はしていない。君が企てを事前に察知し、オスティールの侵攻を退けるつもりであれば、真っ先に向かうべきはやはり僕の居所だったはずだ。だが君はそうしなかった」
ロイの見解ならば正しい。私もまたブリアリンの忠臣だというのなら、ロイの言った通りの行動を取るのが筋だろう。
現在のコルランの領威ならば隣接するオスティールの地にも届いている。私がロイと協調し、その足元から睨みを効かせば、彼らとて思い留まざるを得なかったはずだ。
だが――と隠した心がわずかに疼く。
そうするわけにはいかなかった。私はこの眼で見てしまった。
知ってしまったのだ、被災遺児たちの悲しみを。
私がただ知らなかったというそれだけのことで、子どもたちはその身と心に消えない傷を負ってしまった。強く生まれたわけでもないのに、彼らはこの先一生その傷と戦い続けなければならないのだ。
だから私は決めた。絶対に、もう眼を逸らすことはしないと。
決意とともに紅茶を掻き混ぜていたマドラーを止めるのと、ロイが再び私へと語りかけてきたのは、ほぼ同時の出来事だった。
「……謝罪しろ、レオン」
それは怒りによる叱責ではない。
友を心から心配する瞳で、ロイが私のことを見ている。
「理由はどうあれ、君のしたことは背信行為だ。僕には王太子として罰する義務がある。しかし君の働きでいくさが起こらなかったこともまた事実。罪禍はその勲功によって、ほぼ相殺されたものと考えられるだろう」
見解を述べ立てると、ロイはさらに真剣な瞳を私へと向けた。
「コルラン辺境伯の立場で僕に謝罪し、改めてブリアリン王国への忠誠を誓うんだ。そうすれば、今ならまだ許しを与えられる」
そのロイの眼も、声も、まさしく私の記憶にあるものだった。
それは、いち王太子が他王へ臣従した臣下を罰するには、あまりにも軽く甘過ぎる沙汰だ。ただし、ロイが私に許しを与えるために持ち出したものと考えれば、納得の方が勝る。
ロイ・ブリアリンは生粋のロマンチスト。幼稚舎からの知己である私だからこそ理解している。彼は彼なりの方法で、私の友情に報おうとしてくれている。私の行為を、破格の厚遇で許そうしてくれているのだ。
私は思った――だから、お前は惰弱な王子なのだと。
黙していると、内心で葛藤しているものと思ったのかもしれない。ロイが相好を崩し、少しトーンを上げた声を出した。
「水に流そう、レオン。そしてもう一度僕の良き友人となってくれ。コルランの噂ならば聞いている。その力は今のブリアリン王国にとっても必要なものだ。君と手を取り合う未来が来ることを、僕は今だって疑っていない」
一国の王太子が用いる口説き文句としては最上級のものだろう。
ロイの視線は私から片時も外れていない。だから私も、その言葉が心からの嘘偽りない気持ちだということを確信できる。
確信した上で、踏みにじることができる――。
「……どうやら、王太子殿下は少し勘違いされているようだ」
口先を伝って、部屋の空気が凍りついていく心地がする。
しかし不思議ではない。私の言葉は、この場に居合わせる誰しもが、期待などしていなかったものに違いないのだから。
「レオン、なにを?」
「お前が勘違いしていると言った」
「なん、だと……?」
二の句を継げず、ロイが絶句する。
良かれと思って差し伸べた手を、振り払われた。それだけではない。後ろ足で土を蹴り掛けるような真似までされたのだ。
落胆よりも絶望よりもなお、驚愕の表情に凝り固まっている。今、ロイの頭脳は躍起になって辻褄を合わせようとしている。私の口から、ロイの友情を拒むだけの発言が飛び出たことの根拠を探そうとしている。
それはまったくもって無駄なことだ。私は間髪を入れず言葉を発する。
「その様子では、行き違いは最初からのようらしい。ならば今一度言っておく。この場は私が己の行為をお前に申し開くための場ではない。お前という男を、私が見定めるための場なのだ」
高所から睥睨するように、私はロイの姿を眼に入れる。
「私が仕えるべき器を、本当にお前は持っているのか」
「レオン……君は、最初から僕を試すつもりで……」
その物言いでは因果が逆転している。速やかに首を振った。
「我が城へ来訪したいと言い出したのはお前だ。しかし都合が良かった。いつかはこのような集いを持たねばと思っていたのでな」
我ながら挑発的な物言いをしている。
先刻のような激怒があっても良さそうなものだが、ロイは暗い顔を見せるばかりで沈黙を保つ。傍から夫を心配そうに見守るアウロアの姿は想像通りだが、アントニーまでもが口を開かない。そこまでの義理はないといったところか。
泥濘のような沈黙が場を支配する。それを壊したのは誰の言葉でもない。連続するノックの音と、それに続く扉の開く音だった。
「料理が完成したようだ。話の続きは、夕食を終えてからにしよう」
頷きなど誰からも返ってくるはずもない。
配膳車を突いて入室してきたマリーヌ嬢へ合図を送ると、私はほんのわずかの間だけ心を休める余裕を得た。




