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売れ残り万能令嬢と怒れる銀髪伯爵 ~『氷の伯爵』、不当な婚約破棄にブチギレて公爵令嬢を攫う~  作者: ソーカンノ


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第15話 『再会』

 コルラン城のゲストルームへ続く大扉を開けた私の眼にまず飛び込んできたものは、窓越しに差し込む夕日の赤だった。


 コルラン別邸からコルラン城まで、馬車で半日の距離がある。私たちはロイ一行に先だって城を訪れ、必要な準備を整えた。一国の王太子を迎えるのに、当家の別邸などでは失礼に値するからだ。


 逆光の夕日の最中に、彼らはいる。私は思わず手でひさしを作り、流れた時間の結果を隠そうとする自然の計らいを疎ましく思った。


 皆、きっと変わってしまったはずだ。そんな思いが胸にある。


 学生時分の3年と、社会に出てからの3年の意味は違う。庇護されていた者が庇護する者に回るのに充分な時間が流れている。その時間の重みが、堆積が、人の性根すら変えてしまうものであるなら、いったいこれから私がしようとすることにいかほどの意味があるのだろうか。そんな、益体のない考えすら脳裏に浮かんだ。


 細めた眼が、光に慣れる。夕日を背負ったシルエットが徐々に鮮明になってゆく。胸に満ちる郷愁の念とともに彼らの姿を眼に入れ、そして私は思ったのだ。


 こいつら……なんか、あんまり変わってないな?


「遅い、遅過ぎでしょ」


 久闊を叙する挨拶より先に、失礼千万にも文句を付けてきたのは当然のことアウロアだ。持ち前のピンクブロンドの髪、非常に癪だが美貌と呼べる丸っこい顔、そしてやたらと自己主張激しい胸元まで3年前の記憶通りだ。


 あまりにそのまま過ぎて拍子抜けしていると、アウロアのやつは猫がやるように不敵に眼を細めた。


「入室したきり無言なんて、レオンってば辺境伯になって調子づいてるのかしら? でもね、この王太子妃、アウロア・ブリアリン様が眼の前にいるのよ。礼のひとつでもするのがマナーってものじゃない」


 こいつはまた随分と増長しているな……。


 いきなり拳で鼻っ柱を叩き折ってやりたくなったが、しかしお蔭で目が覚めた。感傷的な思いが、一瞬で彼方へ吹き飛んでいってしまった。


「久々だな、アウロア」

「アウロア『様』でしょう?」

「ぐぬ……」


 落ち着け。このような安い挑発、学生時代の私でも乗らなかったぞ……。


「3年振りにお会いできて光栄だ、王太子妃」

「光栄ねえ……まあ許してあげるわ」


 フフン、と鼻を伸ばして得意がる。散々予想してきたことだが、この女は夢見たポストに就けてさぞご満悦なのだろう。まったくロイのやつときたら、こんな女のどこが良かったんだか……。


 などと、数年来の命題に考えを絡めとられるところだった。ふとアウロアの視線が私を見ていないことに気づく。そして――。


「……クッション」

「は?」

「あんたに言ったんじゃないわよ。後ろに控えてるメイドに言ってんの」


 ぶすっとして、頬杖を突きながら無礼にも程がある態度をとるアウロア。

 わかっている。今しがたこいつが呼んだ相手がいったい誰であるのかを。


「彼女はメイドじゃない。女執事だ」

「どっちでも同じでしょ。それより早く持ってきてくんない? 遠路はるばる馬車に揺られてきたってのに、こんなかったい椅子を用意してくれちゃってさぁ~」


 ベシベシ、と行儀悪く椅子の背を叩くアウロア。首を捻って後方を見ると、この部屋に入ってからまだ一言も発していないマリーヌ嬢が、無言で頷きを送ってくる。


 わかっている、どちらでもいいことなのだと。


 この女執事の姿をした貴賓が誰であるのか、この場にいる連中に知れたとしても構わない。時間の隔たりとイメージの落差によって、どうやらこのアウロアは正体を勘付いていないようだが。


「なによ……メイドがいなくなったらあんたまで黙っちゃって」


 いかんな。私が変化を気取られてどうする……。

 私は一時離席したマリーヌ嬢の存在を脳裏から打ち消し、自席に着いた。


 同じ視線の高さから、客人たちの姿を視界に入れる。すると、ついさっき抱いたイメージが少しばかり覆るのが眼についた。


 尊大なアウロアが中央に座し、私から見てその左側に未だ一言も発していないロイ、右隣に護衛役のアントニーが腰を落ち着けている。


 眼を凝らせばやはり、彼らの姿は3年前と微妙に違って見えた。身に着けている装飾品が軒並みグレードアップしているアウロアは元より、持参した薔薇の花を指先で弄ぶロイも、デリカシーを欠片も持ち合わせていなさそうなアントニーも、記憶より顔つきが少しばかり大人びて見える。


 太々しい笑顔のアウロアを除けば、能弁な表情を湛えてはいない。不気味に黙りこくるロイは元より、あのアントニーすら腕を組んだまま微動だにしていない。


 さすがにこの2人だけは、私の置かれた状況を正しく認識しているらしい。


「……お待たせいたしました。王太子妃殿下」


 無言で観察を続けているとマリーヌ嬢が帰ってきた。手押し台車からクッションを取り出し、胸元に抱えてアウロアの傍に寄る。


「お腰と椅子の間にお引きいたします。どうぞ、お腰をお上げになってください」

「わかったわ」


 アウロアが立ち上がり、しゃがんで椅子の上にクッションを据えるマリーヌ嬢を見下ろす。見守る私は気が気でない。なにせマリーヌ嬢の傍にいるのは、かつての自分を追い落とした張本人なのだ。


 割り切っていると言ってはいたものの、直に対面することで恨みの念が込み上げるということだってあるのではないか……?


「ありがとう……あら? なんかまだ固いわね?」

「大変申し訳ありません。しかしそうおっしゃられるかと思いまして」


 手押し車の傍へ戻り、マリーヌ嬢は同じクッションを追加で2つ取り出して見せた。もう1回アウロアを立たせて腰と椅子の間に挟み込む。


「へぇ~、気の利くメイドもいたものね。あんた王宮勤めに興味ない? こんなしみったれた城で働くよりお給金も弾むわよ」


 しみったれた城で悪かったな。言わんけども。


 思わず半眼になる私だったが、マリーヌ嬢が動きを見せた。こちらを見るや否や右眼でウインクを飛ばし、外行き用の笑顔でアウロアに向き直る。


「畏れ多いお誘いですが、レオン様には大変お世話になった身ですので」

「それは残念ね。でも気が変わったならいつでも言いなさい。私の傍付きメイドにしてあげるわ」


 会話を終えて、2人はうふふとしばし笑い合う。


 それを見る私の心臓は冷や汗を掻いている。女性同士というのはうわべだけの付き合いが多いと聞くが、ときに役者も真っ青の変わり身を見せるものらしい……。


 そのとき、視界の隅でなにかが動く。眼球の動きだけで追うと、アントニーの視線がマリーヌ嬢に注がれているのが見える。


 愚物とはいえ一端の武人だ。女執事の正体を見抜いたやもしれぬ。


「……美人だ……」


 訂正。ただの色ボケだ。どうやら女執事姿のマリーヌ嬢が大層お気に召したらしく、傍から見てだらしないほど鼻の下を伸ばしている。


 もっとも、こんな輩にジロジロと見つめられるのも気持ちの良いものではないだろう。私はマリーヌ嬢が気づかぬうちに、コホンと咳を入れて仕切り直しを図った。


「王太子妃、そろそろ私から歓待の挨拶をさせていただきたいのだが……」

「構わないわよ。田舎領主流の挨拶ってものを見せてもらおうじゃない」


 えへん、とでも言わんばかりに両手に腰を当てるアウロア。


 上下に脂肪の塊が揺れる動きもさることながら、さっき敷いた3重のクッションのせいで両隣の連中より頭の位置が高くなっている。まるでこいつが主役の席であるかのように目立っているが、本来の主賓はロイだ。私はロイに向けて話かけることにした。


「皆様、王都からはるばるよくぞ参られた。さぞやお疲れになったことだろう。この度の会席では、我がコルランで収穫した作物を使ったディナーも用意している。存分に食べて、飲んでもらいたい」


 鷹揚なところを見せたつもりだが、効果の程は薄い。


 ロイは私に鋭い一瞥をくれたきり、興味なさげにそっぽを向いた。その一方で、如実な変化を見せた者もいる。ダンダン、と両手でテーブルを叩き、豪放磊落に笑ってのける。


「やっとメシの時間か!! なあレオン、今日はたんまり食っていいんだろ!?」


 はしたないにもほどがあるぞこの腹ペコ青虫め。

 さっき動かなかったのは腹が減っていただけか……。


 とはいえ、ロイの塩対応で冷えた場を温めてくれたのは素直にありがたい。今度はアントニーへ向けて頷く。


「近衛騎士殿の胃袋を満たすだけの分量は用意したつもりだ」

「おうおう、楽しみじゃねえか。というか、メシはどこだ?」

「調理中だ。申し訳ないが、今しばらくお待ちいただけるか」


 ホストとして体裁を整えると、私の背後から気配が消えた。マリーヌ嬢が静かに部屋を辞したのだ。最後の仕込みもこれで果たされることだろう。


「ふーん、成程ねえ……料理が出来上がるまでの時間で、私たちと少しでも仲直りしとこうって腹積もりなわけだ?」


 口元に手をやりクスクスと笑う。察しが良いな、アウロアの癖に。

 もっとも、これは露見してもらわなければ困る類の思惑なのだが。


「我がコルラン領は王都から遠く、社交界の動向にも疎い。あなたたちの口から最新の状況を聞ける日を待ち望んでいたのだ」


 私は傍らに置かれたティーポットからティーカップに紅茶を注ぎ入れ、立ち昇る湯気を見つつそう言った。


「へえ? レオンにしては心にもないことを言うじゃない?」

「ご機嫌取りだと思ってくれていいさ」


 現にそれだけのことを私はしたのだしな……。

 しんみりしていると、アウロアは猫のような眼で愉快げに私を見た。


「それなら、私たちに話させるよりあんたが話した方が得策でしょ?」

「私が? いったいなにを話すことがある?」


 シラを切りつつ、頭の中で冷静に思考を回転させる。


 コルラン領の現況に関しては、王都まで筒抜けになっている。でなければ、ロイが長旅の労を支払ってまでコルランにやってくる理由がないからだ。


 その辺りの事情は、さすがに王太子妃であるアウロアも汲んでいるらしい。ニヤニヤと意地悪く笑みながら挑発的に続けてくる。


「そんなの決まってるでしょ。マリーヌのこと以外にあり得ないじゃない」

「マリーヌ嬢だと?」

「そうよ、ロイ様に婚約破棄を突きつけられたあの女よ」


 名指しで指摘され、私の内にいる疳の虫も疼く。すべてはこいつの差し金だったというのに、よくもまあ臆面もなく話題になんて出せたものだな。


 いかんな、冷静にならねば。

 気分を変えようとティーカップを持ち上げて中身を啜ろうとしたそのとき――。


「それで、あんたらいつになったら結婚すんのよ?」

「……ボフッ!?」


 口と鼻から盛大に紅茶を噴き出してしまった。

 慌ててハンカチで口元を拭う。こいつ、どういうつもりだ!?


 思わず敵意全開の視線を送ってしまったが、言った側のアウロアの様子も少し妙だった。なんというか、少しばかり驚いた顔で私を見ている。非常に心外だが、釈明の役は私がこなさねばならぬだろう。渋々と口を開く。


「なにやら誤解されているようだな。あの場でも述べたと思うが、私とマリーヌ嬢は決してそのような間柄ではない」


 空咳を入れて厳かさを演出するも、アウロアはただでさえ大きな瞳を丸っこく見開いたままだ。


「でも、あんた3年前にマリーヌのこと攫ったじゃない。あれって結局そういうことだったんじゃないの。というか、そうでないならなんであんなことできたのよ」


 アウロアの言葉が耳に痛い……。


 とはいえ、ことの張本人である上に非常識の権化でもあるこいつに正論で殴られるのは、あまりにも不条理というものではないだろうか?


「じゃあ、当のマリーヌは今どうしてるわけ?」

「コルラン別邸にて、行儀作法を学んでおられる」

「この期に及んで花嫁修業なんてさせてるの? 本当に売れ残っちゃうわよ!?」


 当たらずとも遠からずの誤魔化しに、あのアウロアをして唖然としている。わかっている。私とて同じ思いでいるのだ。しかしいつまで経ってもヴィクスドール公から見合いの話が降りてこないのだから仕方がないではないか。


 よもや以前にアーノルドが言った冗談が真実でもあるまいに、聡明でおやさしい、気配りの達人であられるあの御方が、まさか愛娘に相応しい見合い相手を見つけてこれないなどという話が果たしてあるのだろうか?


 などと、私がまたしても頭を痛め始めると、眼前の光景に動きがあった。つまらなそうな顔をしたロイが、やにわにアウロアの髪へと薔薇の花を差し入れたのだ。


「ここにいない人間の話をしたって仕方ないだろう」

「ロイ様? ……ええ、そうでしたわね!!」


 ロイに向けてニッコリと笑顔を送るアウロア。

 この辺の変わり身の早さも相変わらずと言ったところか。


「やっと再会を祝してくれる気になったか?」

「いや、僕は無駄話を耳に入れたくなかっただけだ」


 擦り寄ってみせても、なしのつぶて。だが無理もない。仮に立場が逆だったとしたなら、私はロイに同様の態度を取っただろう。


「3年前の卒業記念パーティーの場で、いずれ君に会いにいくと約束した。だが、こんなかたちでの再会は望んでいなかったよ」


 同感だ。私だってお前にそのような顔を向けて欲しくはなかった。


「レオン……どうして僕たちを裏切った?」


 この場をセッティングしたときから、覚悟はしていた。

 しかしロイの口から直々になじられるのはきつい。


 裏切り者。なるほどたしかに、ロイの立場からすれば私のやったことは背信だろう。しかし私にも私なりの主張というものがある。この会席は、君主として初めて意見をぶつけ合うための場も兼ねている。


 ロイの感情を見定めていると、無言の時間すら無駄と感じたか。

 ここにきて守っていた沈黙を破り、あちらから口火を切ってきた。


「……調べなら既に付いている。半年前、君は密かに隣国であるオスティール王国へ渡り、そこでフランヌ王に臣下の礼を取った。ブリアリン王国の王太子である僕に一言の相談もなしにだ。これがどれだけの重大事かわからぬ君ではないだろう」


 このときのロイの瞳は友を見るものではなかった。

 代を重ねて殺し合いを演じてきた、仇敵をも見るような瞳だった。


 花咲き誇る庭園を散歩するのが趣味で、かつて狩猟で鹿を殺すことすら躊躇したという、気立てのやさしい男のする眼ではない。


 こうなることはわかっていた。だから私はロイの視線を正面から受けきる。


「前例がないわけではない、国境を治める領主が二君に傅くなど」

「しかし君は辺境伯だ。我が王国の守りの要なのだぞ」


 それも痛いほどにわかっている。父上の遺志を継ぐということは、ブリアリン王国の守護者となることに他ならないのだから。


「何故そんな勝手をした。釈明の内容次第では、君に罰を与えねばならない」

「王太子としてか? それとも王として?」


 一瞬の間、場が凍りつく。現王が病に伏せられて1年近く経つ。その間の政を取り仕切っていたのは王位継承者であるロイだ。


 私の発言は王の死を前提としたもので、明らかに配慮を欠いている。


「ひょっとして恨んでいるのか。僕がアウロアを選んだことを」

「政の最中に、色恋沙汰を持ち出すつもりはない」

「嘘だ。でなければ君が、僕を裏切ったりするはずがないだろう……!!」


 ロイの端正な顔が心痛に歪む。それは逆説的に、私に対して篤い友情を感じてくれていたということだ。


 しかし今は互いに立場がある。友情で国は動かない。国を動かすのは君主が最善と信じて下す決定のみ。


 私は決めた。だからコルランは動いたのだ。


「マリーヌを捨てたからか? それで僕を見切ったのか?」

「断じて違う……落ち着けロイ」

「あんな女ひとりに、僕たちの築いてきたすべてが壊されるっていうのかッ!!」


 ……あんな女。


 鼻の奥でツンとした匂いがする。全身の血液が頭へと凝集し、行き場なく蓄えられた力が腕の先で、掌を拳の形に作り変える。


 今、なんとはなしに口にした言葉が、かつての婚約者に対するどれだけの侮辱に当たるのか、王太子であるロイが把握していないはずがない。こいつに次代の王に務まるか否か、その器の大きさを、今この場で見定めてしまっても構わないのだぞ。


 脳裏には、私の知るマリーヌ嬢の像が浮かぶ。彼女は聡明で、真摯で、とてもやさしかった。ロイならばそんな彼女の健気な姿を幼少期から見てきたはずだ。その上で別の女を選んで梯子を外すなど、その行為の残忍さを本当に認知していたのか。


 もはや猶予を与える必要はない。

 今すぐにでも裁可をくだしてしまっていい――。


 頭の一部で、別の私がそう囁く。未熟な王太子、こいつはその見通しの甘さで、いずれは王国を傾かせるだろう。ならば、その前に鉄槌をくだしていいのではないか。この私が直々に、身に覚えさせてやっていいのではないか。


「…………」


 ふと、テーブルの上に置かれたティーカップが眼に入る。淹れたばかりで湯気を立てるその光景に、私は自制を失くしかけていたことに気づいた。


 そうだ、なにを考えているのだレオン・コルラン。


 これは私刑の場などではない。一時の感情を相手にぶつけたところでなんになる。ましてやその手法に暴力を使うなど、所領を預かる君主がなすべきことなどではない……。


 我に返った私の頭の中に、マリーヌ嬢の声が響いた。


『私が考えるに、怒りとは一時的な感情なのです』


 それは散髪の際に頭を下げて頼んだとき、話してくれたことだ。


『怒りという感情は瞬間的に昂ぶり、ピークを迎えてしまうものです。しかし持続性には欠けている。そこに対処のヒントがあるんです。ですから、もしもレオン様が怒りの兆しを感じられたら、ほんの数秒間だけ耐えてください。そのために必要な術をこれからお教えいたします。まず……』


 記憶の声に沿いながら、指を動かしてゆく。


 まずは砂糖瓶の蓋を開け、角砂糖の粒を取り出す。それをまだ熱い紅茶の中へと落とし、ゆっくりと溶けきるまでマドラーで混ぜ続ける。このとき、速くても遅くてもいけない。砂糖が溶けきるまでの間は、その作業にのみ注心すること……。


 私は無言で、教えられた手順を守った。

 作業を終えると、不思議と胸の内にある炎は緩やかなものとなっている。


 私の友人でもあり天敵でもある怒りというやつは、たしかに湯よりも鉄よりも早く冷えるものらしかった。


「ロイ様お願いです……どうか落ち着きになってください!!」


 ロイの傍で、アウロアが必死に宥めている。妻となった女性に醜態を見せたことに気づくと、ロイもまた唇を噛んで感情を納めた。


 受け入れがたいことだとわかっている。ロイだって信じたくはないのだ。無二の親友である私が自分を裏切ったなどと。


 しかし、この決断は私が下した。オスティール王国へ渡ったのも、フランヌ王に直々に傅いたのも、他の誰でもない私自身の意思によるものだ。コルラン辺境伯という重い肩書きが、私にそうすることを決意させたのだ。


 だからロイ、これから始めるのは暴力によるケンカではない。

 あくまで理性に則った上での、互いの主張を戦わせる言葉のケンカだ。


 ときに小言を挟むことはあっても、お前と本気でやりあったことはなかった。

 できることならばいつまでも笑い合っていたかったと思う。


 しかし、それはもう状況が許さない。なればこそ私は徹底的にやる。

 それがお前との間に築いた友情の、なによりの証となるからだ。


「ロイ、お前は……惰弱な王子だ」


 その一言が空気を裂き、ロイと私との対立を決定的にした。

一言:マリーヌの見合い話が一向に来ないのは申し込みがないわけではなく、ヴィクスドール公が全部蹴ってるからです。理由はまあ、察してください。

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