第14話 『扉の向こうに』
マリーヌ嬢が散髪してくれたあの日から、しばしの時が流れ――。
「……しかしまあ、髪を切られて随分と見違えられましたな」
大扉を前にして、私たち2人に正対する人物がやにわにそんなことを言い出す。なんというおべんちゃらだろう。私の見てくれにそのような心無い品評を下せる輩は、コルラン広しと言えどもひとりしかいない。
私が余裕綽々のアーノルドに半眼を送ると、ほ、ほ、という例の笑い方で誤魔化しにかかってきた。
「正直に言え。実際に労を支払った人間がここにいるのだ」
「では失礼して……散髪前とあまりお変わりになりませんでしたな」
そうなるだろうと予感はしていた。私が父上から継承した剛毛は、水に濡れると一時的に大人しくなるものの、乾かせば密林の樹木が如き生命力を発揮する。
マリーヌ嬢が丸1日かけて整えてくれた髪は、洗髪後のわずか数分で台無しになってしまった。当事者として申し訳ないったらない。
「アーノルド、お前こうなると薄々わかっていただろう」
少し八つ当たりっぽいが、言う権利なら私にもある。なにせこいつは、私がまだおしめも取れていない頃から傍で見守ってきた執事なのだ。
「畏れながら、それはレオン坊ちゃまもご同様ではないかと」
「お前がそれを言うか。どう考えても断れる雰囲気じゃなかっただろう」
「やれやれ……では、マリーヌ様にお話を伺いましょうかな」
アーノルドがマリーヌ嬢を見ると、マリーヌ嬢は身体の前で手を結んだまま、どういうわけか私の側へと向き直った。
「ご要望とあらば、またいつでも髪をお切りいたします。サー」
「……あ、いや……そのだな……」
真っ直ぐに顔を見てくる双眸に、私はたじろいだ。
髪を切ってもらったあの日から、どうにもおかしい。凛然としたマリーヌ嬢の瞳に見つめられると、胸騒ぎのような心地に襲われてしまう。
「マリーヌ様もこのようにおっしゃっておりますし、問題はないのでは?」
「お前なぁ……」
ぐぬぬ、と歯ぎしりしたい心地になるも、この老執事ときたら平然として。
「そのご様子ですと、どうやら咽喉の奥に刺さった小骨も取れたようで」
「やはり、そっちが本命だったか」
「お約束を守ってくださらないのがいけないのです。私は1年も待っていたのに」
実に口惜しそうに言ってくれる。私としても、マリーヌ嬢への謝罪の件を持ち出されると弱い。機を逸したままここまで引っ張ってしまった2人に対する申し訳なさだってある。
「……ま、まあいい。済んだことだ。これから客人を迎えようというタイミングで持ち出すことではない」
オホン、とわざとらしく咳をして誤魔化した。
案の定と言うべきか、優秀な執事たちは笑顔になって私を見ている。
「それでは、私は料理長との打ち合わせがありますので」
「アーノルド、その……本当に同席しないつもりなのか?」
ことここに至って、そんなことを訊いてしまう。
今さら弱気の虫に当てられたわけではない。豪胆なこの老執事らしくない遣り口だと思ったからだ。
「申しましたよレオン坊ちゃま。この先の光景は、王国の次代を担う方々にこそ見届けていただきたいと」
「わかった。そうしよう」
「それでは、ご健闘をお祈りいたしております」
深々と一礼し、大扉を背にしていた老執事は私たちを迂回してこの場を後にした。
その姿を見送った後、私とマリーヌ嬢はどちらともなく顔を見合わせる。
「この先に、ロイがいる。アウロアもだ」
「はい」
コルラン城のゲストルームへ続く扉は大きい。私たちは示し合わせたかのように同時にそれを見上げ、胸中に渦巻く複雑な感情と対峙する。
ときに、3年の月日が流れた。マリーヌ嬢の働きによって自由な時間を得たアーノルドは、密かに3年前の事件について調査を進めていた。
優れたる老執事は優れたる探偵も兼ねる。私たちは既にその調査報告を受けていた。
幾度となく話し合いの席を持ち、意志をひとつに纏め上げた。それだけに、心中には嵐の海路のように穏やかならぬものがある。この先に間違いなど、絶対にあってはならぬのだ。
「まったくアーノルドのやつめ、とんだ大役を押し付けおって……」
「しかしコルラン辺境伯のデビューとしては相応しい舞台ではないでしょうか?」
その物言いに驚いて、はっとマリーヌ嬢の顔を見る。
にっこりとした二心のない笑顔が返ってきたものの、私としては複雑な気分だ。あろうことかこの万能令嬢、段々とアーノルドに似てきている気がする……。
「どうなさいましたか?」
「い、いや……それより、私たちも心を決めねばと思ってな」
「心というと?」
「覚悟とも呼べるものだ。あなたもなにか心残りはないだろうか?」
気が急いて早口になったことで、なんだか死地へ赴く指揮官のような言い方になってしまった。
マリーヌ嬢は少し考えた後、なにか思いついたように語り始める。
「でしたら、私の口からレオン様に改めて御礼を申し上げたく存じます」
「御礼? いや待て、なにを礼することがあるというのだ?」
コルランでともに過ごした日々を言うなら、私たちは対等に近かった。いや、マリーヌ嬢の働きよって我が領地が飛躍的に栄えたことを思えば、むしろもらいすぎているとすら言える。礼など、今さら言われるようなことではない。
無論のこと、その程度の考えが読めぬマリーヌ嬢ではない。小さく首を振って言下に私の想像を否定し、自らの言葉を語り始める。
「覚えておいででしょうか。3年前の、学生時代に手ずから賜った軟膏のことです。戦火に見舞われてきたコルランの地で、代々重宝されてきたものとおっしゃられておりました」
そう指摘を受けると、覚えがある。朧がかった記憶が鮮明になる感覚。
「ああ、たしかマリーヌ嬢の家臣のひとりが、馬車事故に遭われたのだったな。それきりになっていたが、事後はどうだったのだ?」
「お蔭様で、以前通り働くことができるまでに回復いたいました。レオン様、あの節は誠にありがとうございました」
執事の礼も堂に入ったものだ。しかし顔を上げたマリーヌ嬢の瞳に、私は不穏の種を見る。
「しかしそのようなこと、何故今になって?」
「実は……」
マリーヌ嬢の口から語られた事実は、アーノルドの調査結果に勝るとも劣らない衝撃を私の胸に与えるものだった。
「ロイがそんなことを……?」
「はい、このようなことにならなければ、きっと私の口から一生申し上げることはなかったでしょう」
マリーヌ嬢が悲しげに告げる。それは彼女らしくもない、ずっと胸の内に秘めてきた後悔なのだろう。人は神にはなれない。誰にだって手の届かないものがある。この万能の令嬢の手腕をもってしても――。
「……よくぞ言ってくれた、マリーヌ嬢」
励ましの言葉だったが、それっぽく聞こえてくれただろうか。マリーヌ嬢は少し驚く様子を見せたが、私の顔を見て少しは安心してくれたらしい。
「あなたの言葉で改めて理解できた。やはりこれは、私にしか務まらぬ重要な仕事なのだということが」
それに、それだけじゃない。ロイ・ブリアリンは私の友だちだ。
幼稚舎からずっと、私の隣を歩いてきた唯一無二の親友。
「行こう。みんなが待っている」
「はい」




