第11話 『過去との邂逅 ~迫る再会の時~』
時間の軸を戻そう。
私は今廊下で、女執事の背を追っている。
私たちは今、とある用件のために呼び出しを受けている。あいつから、というのは珍しいことだ。人生の大半を主を待つことに費やした男がそうするのには、きっと大それた理由がある。
迷いのない足取り。伸びた背筋。先行するマリーヌ嬢の後姿を見て、考え込んでしまう自分がいる。どうしてそのように振る舞うことができるのか。私たちはこれから、再び己の人生と対面するかもしれないのに。
「……サー?」
「済まない。なんでもない」
マリーヌ嬢が振り返る。気づくと足を止めていた。
無意識下で現実を拒絶していたらしい。
やれやれ、なんとも情けない。これでは石を投げて落ちぬことを願うようなものではないか。私はそれだけのことをしでかしたというのに……。
扉の前で足が止まる。コルラン別邸内にある、アーノルドの部屋だ。マリーヌ嬢がノックするも、応答はない。
「呼び出しておいて、留守か?」
「そのようなことをなさる先生ではありませんよ……ほら」
マリーヌ嬢の言った通り、やや遅れて返答があった。
彼女は道中と同様、なんの躊躇も見せずドアノブを握って扉を開く。
「申し訳ありません。全員分の紅茶の準備をしていたものでして」
ホストであるアーノルドが手ずから、私たちを中央のテーブルへ招く。よく磨き上げられたその上に、淹れたての紅茶と茶菓子が置いてある。
「砂糖でしたらお好きな分量だけお使いください」
「ありがとうございます先生」
「う、うむ……」
よもやこの場で緊張しているのが私だけとは……。
私は美味しそうに紅茶を飲むマリーヌ嬢を横に見て、おずおずとそれに倣うことにした。
「やはり先生の淹れてくださる紅茶は格別です。私ではこの味は出せません」
「ほ、ほ。一日の長があるだけですよ。マリーヌ様の物覚えの良さでしたら、すぐに私の味など追い越してしまわれましょう」
「いいえ、そのようなことはありません。これで私も追いつけるよう、日々精進しているんですから」
などと言って、俄かにやる気を滾らせるマリーヌ嬢。
ナーバスな心境に陥る私と対照的に、優れたる執事2人はいつも通りの談笑を交わしている。私はただ黙して、それを見ているだけだ。
アーノルドは甘党だ。この茶菓子にしたって相当甘く作られているのだろうが、今の私には味がわからない。聞きたくない報を待つほど、苦痛な時間もまた存在しない。
「……ごちそうさまでした」
しかしてマリーヌ嬢は存分に堪能したらしい。アーノルドは眼を細めてそれを見ると、ティーカップをソーサーへと戻して座ったまま佇まいを正した。
「お腹も膨れたところで、そろそろ本題といきましょうか」
「はい」
「アーノルド、その……やはりなのか」
耐えられず、私はやや前のめりに訊いてしまう。
わかっている。こういうとき、アーノルドはもったいぶるやつだと……。
「はて? ご用件は事前にお伝えしておりませんでしたが?」
「その物言いはやめろ。だいたいの当てならついている」
「ではご推測が的中したか一刻も早くお知りになりたいわけですね」
アーノルドは一旦会話を打ち切ると、焦らすようにマリーヌ嬢の方を見た。主君との対話の最中になんたる非礼をはたらくのか。しかし面と向かって抗議するわけにもいかない。結論が下されるまでの時間が長引くだけだからだ。
心やさしきマリーヌ嬢は、私の心中を察してくれたようだ。
「是非に早く、私も知りとうございます」
「マリーヌ様にもおっしゃられては致し方ありませんな。では失礼して……」
コホン、と見せつけるように咳を挟んで、アーノルドは――。
「残念ながら、時が満ちてしまったようです」
「来るのか、ロイが」
両膝に手を当てて前傾し、せっつく私にアーノルドが首を振る。
「そのおっしゃりようはフェアではございません。一国の王太子として、むしろ来ないという手の方こそないのですから。現にレオン坊ちゃまは、それだけのことをなさったではありませんか」
的確に弱みを突いてくる。私としても先の出来事を持ち出されたらなにも言えなくなってしまうのだが……。
「わ……わかってはいるさ」
「そんなにご緊張なさらないで。私たち全員で話し合ったことではありませんか」
決定に関するすべての責任は私にある。しかし今回ばかりは少し状況が違う。私は自分の意志で、この2人に助力を乞うたのだ。
追従して、マリーヌ嬢もまた力強く頷きを返してくる。
「私も、賢明なご判断だったと信じております。サー」
「う、うむ。ありがとう2人とも」
情けないことに勇気づけられてしまった。君主ともあろう者がこれでは立つ瀬がないな。
もっとも、そんな自分を自覚できるようになっただけでも、私は成長を果たしたと言えるのかもしれないが。
「3年ぶりの対面が、まさか弁解の機会となるとはな……」
「数奇なものです。ですが、それが人生の面白みでもあります」
チラ、とアーノルドがマリーヌ嬢を見る。
恥ずかしながら、その所作を見てやっと思い至った。私だけではないのだ。ブリアリン王国王太子の来訪があるということは、王太子妃もまたそれに追従するということなのだから。
「かつての婚約者と、その奥方。マリーヌ様に至っては、少々複雑な心境での再会となりましょうかな」
「それはどうでしょうか。割り切りなら、既に果たしたものと思いますが」
私とは違い、マリーヌ嬢は落ち着き払った風だ。瞳を閉じて、開くも、いつも通り凛然としている。心の水面は凪のような平静を描く。
その姿を見て、ほ、ほ、とアーノルドが笑う。
「実に頼もしい限りで。ところで……この老骨の身から、お2人にお伝えせねばならぬことがありまして」
「なんだ藪から棒に。ロイの来訪ならば今少し時間があるだろう」
急いた心がそんなことを言わせるも、アーノルドは首を振って鷹揚に躱す。
「期日のことではございません。こたびの再会、というより会席ですが、私は同席を拒否させていただきたく存じます」
一瞬、唖然とした。じわじわと怒りが湧いてくる。
「……お前、この大事な席で職務放棄するつもりでいるのか!!」
睨みつけるも、アーノルドは声音をさらに真剣なものにした。
「この先の光景は王国の次代を担う方々にこそ見届けていただきたく」
「どういう意味だ」
「3年、ございました」
アーノルドが3本の指を立てる。相変わらず視認できないスピードで。
「貴族学院の卒業記念パーティー、あの目出度き日に持ち上がったマリーヌ様の婚約破棄騒ぎから、それだけの月日が経過しました。あの日、私たちはああするしかなかった。誰も味方となる者がおらず、孤立無援となったレオン坊ちゃまは、マリーヌ様を会場から攫うしかなかった。常に忠実なる臣下たらんと努めているこの私も、それを黙って見ていることしかできなかったのです」
息を継ぐタイミングで、大仰に首を振る。
珍しいことだ。
この老執事がこんなにもはっきりと後悔を見せるなんて。
「アーノルド、お前……」
「心残りがあっても不思議ではないでしょう? 私にとって、あなた様は眼に入れても痛くない、命より大事な御方なのですから」
面と向かってそう断じられては、私とて言葉を失くす。
私が口を噤むのを見届けてアーノルドが続ける。
「できる範囲の調査はすべて完了しております。起こり得た事実ならばこの手の中にある。しかしそれだけで真実に辿り着くことはできません。それにはお2人の手で、3年前の続きを演じていただく必要がある。あの場で撒かれた謎を、お2人の力で解き明かしていただきたいのです」
……やっと、アーノルドの真意を汲めた。
この3年、私は新任のコルラン辺境伯として、自分なりに尽力してきた。傍らにはいつもアーノルドの姿があった。時に良き相談相手となり、時に良き教師となり、時にいらんことをしてくれるこの男はしかし、いつまでもそこにいてくれるわけではない。
人は生まれ、死ぬ。その普遍のサイクルの中に誰しもが組み込まれている。例外はない。やがて寿命という名の自然の摂理は、私よりも早く、この男を天の国へと連れ立つだろう。
父上の死に目に、私は立ち会えなかった。コルラン辺境伯という大きな椅子を譲り受けることについて、腰を据えて話し合った覚えはない。そのための機会ならば、これからいくらでも作れると思っていた。しかし父上と私は、もう朝の挨拶ひとつ交わすことができないのだ。
今になって思う。父上こそがコルランだった。その大役を空位にはできない。背中を引き継いだのはこの私であるはずだった。しかし違っていたのだ。父の役を引き継ぎ、息子である私を傍でずっと見守っていてくれたのは、他ならぬアーノルドだ。
現に今もまた、アーノルドの双眸は私の姿を映している。幼少の頃から面倒を見てくれたやさしい老執事の瞳と、私がコルランに相応しい君主か見定める厳しい父上の瞳とが、そこに同居している。
私は応えなければならない。アーノルドに宿る父上の瞳に。
私がこのコルランを預かるに相応しい君主であると証明しなければならない。
そのための最終試験が今、私の鼻先に突きつけられている。
「……たしかに、やられたままというのは私の主義ではないな」
もったいぶって、意地の悪い笑みを浮かべてみせた。
少々挑発的な文言であったものの、老執事は満足げに引き取る。
「その一声が聞きとうございました。旦那様もそうおっしゃられたことでしょう」
「お前な、都合の良いときだけ私と父上を重ねていないか?」
「しかしお声はとても良く似ていらっしゃる。胸の内に宿るコルラン魂も」
コルラン魂か。なるほど、それは言い得て妙だ。
「ならばそのコルラン魂に則った、コルラン流のもてなしでロイたちを迎えようではないか」
私の宣言に、賛意を示す者がいる。
椅子から立ち上がって、私に向けて恭しく頭を下げる。
「微力ながら、私も助力させていただきたく思います。サー」
執事の鑑のような優雅な礼を終え、頭を上げた。
敵とするなら厄介だが、味方に回ってくれればこれほど頼もしい存在もいない。なにせこの万能の令嬢は、あのアーノルドが手ずから鍛え上げた傑物なのだ。
「私はヴィクスドールの生まれで、コルランに足場を持ちません。しかしこの3年間、私はこの土地を見てきました。ここに住まい、今日を一生懸命に生きる人たちの姿を。その底流に流れているものを、今の私ならば理解できると思うのです」
星のように瞳が輝く。その言葉に、もはや疑いは挟むまい。
マリーヌ嬢もまた、立派なコルラン魂の持ち主なのだ。
覚悟ならば決まった。話も済んだ。すべきことは次なる問題への着手だ。当然、アーノルドの考えも及んでいる。私とマリーヌ嬢は示し合わせたように、この部屋の持ち主へと熱視線を注いだ。
「調べはついているのだろう。私たちに語って聞かせてくれ」
「もちろんです……しかしその前に、なさねばならぬことが」
シュッと空気が摩擦する音がする。
眼を凝らすと、アーノルドの立てた3本の指が2本に減じている。
「大切なお客人を招く際、主君には果たすべき重要な責務がございます」
チョキチョキ、と2本の指を見せつけるように開閉させて、老執事は言った。
「散髪です」




