第10話 『人の強さ、人の弱さ』
アーノルドが語る弱さの物語は、戦災遺児を主人公に据えたものだった。
その子どもは、北方遊牧民の襲撃で両親を喪っていた。他の村民は、唯一の頼るべきよすがだった。現に戦災遺児の面倒は、村民総出で見るべきものと定められている。しかしそのための費用が上から降りてくることはない。戦災遺児は村民から疎まれ、やがて生きるために犯罪行為に手を染めるようになる。
いつしか、戦災遺児の周囲には同じ境遇の仲間が集っていた。彼らは成長に伴って手に入れた力を振るい始める。大きく育った身体は、かつて彼らを冷遇した村民にもう負けることはない。村の外にある森をねぐらとし、彼らは一端の少年盗賊団と化す。
ふと、気づくことがある。彼らと同じように疎まれ、冷遇されている村の子どもたちの姿に。
かつての自分を見ている気分になった彼らは、戦災遺児たちを自らの仲間へと引き入れ始める。
人の面倒を見るということは、自分の持ち物を与えるということだ。自分ひとりが食うには困らなくとも、無力な誰かを生かすほどの蓄えはない。窮屈な寝床、懐かしい飢え。近づいてくる、死の足音。しかし彼らは見捨てることができない。同じ境遇の仲間を切り捨てることは、過去の自分を切り捨ててしまうことと同義なのだから。
それは天から降りた蜘蛛の糸のように、彼らの前に垂れ下がる。
浅黒の肌の異邦人は、たどたどしい言葉を話す。リーダーは警戒を示した。貼り付けたような笑顔は、自分たちを食い物としか見ていないものだと。彼は悩むが、結論ならば決まっている。膨れ上がった仲間たちをこれ以上養いきれない。異邦人は充分な食事を用意すると言っている。惑わされているだけかもしれない。けれどもうこれ以外の手段はない。年嵩のリーダーは、飢えで虫の息となった戦災遺児たちを連れて、彼らの親の仇へと身を委ねた――。
話を終えたアーノルドがしめやかに口を閉じる。
今度は私が話す番ということだろう。
「遊牧民に拉致され、やつら同じ色に肌を染められ、洗脳を受けて故郷を襲っていたわけか……」
「悲しみというものは巡ってしまうものなのです。残念なことに」
真実になら、話が始まる前からうっすらと気づいていた。
しかし老執事の巧みな弁舌で聞かされると、胸に迫るものがある。
今、私の内にはひとつの解決策が閃いている。口にするかを迷っていた。たしかに悲劇と呼べるほどの悲しみはあった。しかし問題の根底にあるものは明らかだ。迅速かつ合理的に処理できる。
「なあ、アーノルド……」
「その手段だけは取られてはなりません」
思案の状態から顔を上げたところ、老執事の早読みとぶつかった。
「心得ております。この問題は見えなかっただけ。解決させること自体は難しくありません。汚職に手を染めた村長を解任し、監査を経た後任を就ければ良い。しかしそれでは一時的な解決にはなっても、根本的な解決には至れません」
厳しく断じる根拠はやはり……人の弱さということか。
「手に届く範囲に金を置けば、着服する者が出る。遺児のためにと村民に富を与えれば、いずれはあって当然と思い込んでしまう。残念なことですが、それが人の弱さです。人の心は水と同じく、低きに流れてしまうものなのです」
無念そうに首を振るアーノルドの見識は、おそらく正しい。
私の遣り方は従来通りの方法を変えず、継続するに等しいからだ。
「……だが、父上ならそうした。それはわかっているだろう」
父上の手腕ならば傍で見てきた。だから断言できる。
今の私は、父上の執政を確実に踏襲しているのだと。
「そうでしょうとも。しかしそれは人の強さを信じているのではありません。人の弱さを軽視されているだけなのです」
「理解しているな。それは父上の執政に対する批判なのだと」
私が射竦めても、アーノルドは微動だにしなかった。
ゆっくりと、しかし深々と頷きを返す。
「旦那様が生きておられれば、無論のことこのような不躾な言上はいたしませんでした。ですがレオン坊ちゃまは別です。あなた様はまだお若い。これから様々な考えを吸収し、変化できる。ですから私は、畏れながらあなた様よりわずかばかり早く生まれたことで得た知見を、こうして語ってお聞かせしているのです」
どう考えても出過ぎた真似だ。
辺境伯の立場として、この場でアーノルドに罰を下すこともできただろう。しかし私はそうしなかった。幼少のみぎりから面倒を見てもらった執事だからという理由ではない。
諸々の情を差っ引いたとしても、コルラン領を預かる辺境伯として、この老人の言葉には一聴の価値があると思ったからだ。
「レオン坊ちゃま、どうかおわかりになってください。悪党ひしめく洞窟から無事に抜け出せるのは、選ばれし者だけなのです。その強さ、頑丈さを、誰にも当てはまるものとして期待してはなりません。まして、同様に強くあることを人に強要してはならないのです。それが、人の弱さに寄り添うということなのです」
アーノルドの弁舌を聞き終えて、腕を組んで唸った。
一理ある、とマリーヌ嬢を横に見て思う。つい先刻、私は彼女の腕を折りかけた。精神的にも、肉体的にも、人には生来備わった強度というものがある。私が強いのは、ただ私が恵まれているだけなのだ。
「人の強さに期待するのは私の傲慢か……理解したよ、アーノルド」
「ご理解いただき恐悦至極にございます」
アーノルドもまた先のマリーヌ嬢に負けず劣らず深々と頭を下げる。
結果としては、何事も起こってはいない。だがしかし、この瞬間、この老執事は己の執事生命をこの場で賭けてみせた。それほどのことだった。
「しかし、君主として見過ごすことはできん。この難事に、どう施策を打つ」
「もう打ってございます。サー」
やはりな、と私は心中でのみ薄笑みを浮かべる。
この万能令嬢が仕事も果たさず、我が領に舞い戻るわけがない。
アーノルドがその場を退くと、マリーヌ嬢がこちらへ歩み出てきた。
「ベーヘンの街で、私は孤児院の創設に尽力しておりました。既に市長や女神正教会への協力は取り付けてあります。当地に住まう修道女たちとも直々にお話する機会を持ちました。彼女たちは皆、親を喪った遺児たちの悲惨な境遇に胸を痛め、手を差し伸べられる日を心待ちにしております」
その姿を見て、瞼の裏に絵が浮かぶようだった。修道女たちと集まりを持ち、その中心で熱心に話をするマリーヌ嬢の姿が。
「孤児院か。その発想はなかったな。だが被害を受けた村落からは30キロも離れている。それに、既に北方遊牧民の手に落ちた者たちはどうするのだ」
ベーヘンほどの規模の街であるなら、遺児たちの面倒を見ることはできるかもしれない。しかし守れるのは、新たに魔手に絡めとられる遺児たちだけだ。
既に拉致されてしまった者たちは、北方遊牧民の根拠地に取り残されたままとなる……。
「……僭越ながら、それは私の領分でして」
横合いから口を挟んだのは、調子を取り戻したアーノルド。
「既に手は施しております。やつらの巣へと侵入し、我がコルラン民を奪還するための人足を」
「傭兵か? しかし露見は許されぬデリケートな問題だ。部外者を招くのは……」
そこで言葉が止まる。アーノルドが口の端を釣り上げているのを見た。
「さすがレオン坊ちゃまです。もうお気づきになっている」
「まさか……呼び戻したのか、あいつを!?」
「身内に弱いのは人の常。私とて例外ではございません。愚息を行かせました」
思わず頭を抱えかける。
いや、マリーヌ嬢の眼がなければ本当に頭を抱えていたに違いない……。
「あいつは父上がコルランから追放した男なんだぞ!?」
声のひとつも荒らげたくなる。忘れもしない10年前。あいつは5つも年下であった私に向かってあろうことか決闘を吹っかけたのだ。
「無論、承知しておりますが」
「おりますがってお前……いったいどういうつもりだ?」
アーノルドは一本指を立てた。いつものように火の出るような速度で。
「ひとつは、愚息は既に更生しております」
「知れたことか。領主の息子にケンカを売るようなバカだぞ」
「しかし痛い目を見た。そうされたのはレオン坊ちゃまだったかと」
たしかに、罰ならば与えた。正々堂々を誓った決闘の最中、剣技で劣勢となったあいつは汚い手を使った。怒った私は木剣で、泣いて命乞いを始めるまでボコボコにしたことを覚えている。
「のちに愚息は語っておりました。あれは若き日の過ちで、もう一度お目通り叶うなら若様に土下座して謝りたいと」
「で、もうひとつは」
ピッ、とアーノルドが立てた指が増える。
「2つ目ですが、こちらが本命です。手の汚れた者同士の方が、握手しやすいこともありましょう」
「なるほど……そういうことか」
その文言には深い納得がある。むしろ先に言えと言いたい。
「潜入し、脱出を呼びかけてもついてくるとは限らない。何故ならば拉致された連中は、一度はコルランを裏切っている」
「罪人であろうと、許されるという保証が必要でした」
「だったらそっちが第一だろう……」
思わず溜息を吐きかけるが、またしてもマリーヌ嬢の眼が気になる。
コルラン辺境伯として、どうも私はこの令嬢に動揺を悟られたくないらしい。
「間諜としての腕前は、コルランを出てから磨いて参りました。いつかは帰郷を許され、レオン坊ちゃまの臣下としてお役に立つ。それが今のトーマスが望む夢なのでございます」
相変わらずしたたかな老人だ。その夢ならば既に叶っているだろうに。
「拉致被害者を連れて、既に脱出は果たしたのだな」
「ええ、村落を出発した遺児たちとも合流しております。少し長い旅路になりましょうけれど」
やはり優秀な頭脳の持ち主は、すべてを終えて私の下に帰還していたか。
「本当に必要なものは、食料ではありません。サー」
そして、マリーヌ嬢もまた己の仕事を果たした。
「親を喪った被災遺児が真に必要とするもの、それは心から安らげる場所なのです。彼らの生まれ育った村にはそれがありませんでした。仮にお金があっても、被災遺児たちはいずれ冷遇されたことでしょう。自分は他の、親のいる子どもとは違うと。そのような疎外感を、私は決して味わってほしくなかったのです」
マリーヌ嬢は胸に手を当てて言上する。
真にやさしい心根の持ち主の顔に、心痛の色が滲むのが見えた。
「傷つける者たちに安らぎを。レオン様、どうかそのためのご許可を私にくださいませ」
そして真摯に頭を下げる。困った私は反射でアーノルドを見た。
「今回も、出過ぎた真似をいたしましたかな」
「今さらだろう。しかし……」
「しかし?」
「学ぶところは多かった。私はまだまだ未熟者のようだ」
被災遺児、という言葉の意味を考える。
マリーヌ嬢もアーノルドも、遊牧民の被害に遭った遺児たちのことをそう呼んでいた。その真意にやっと至る。これは戦いではない。彼らは巻き込まれ、大切な肉親を喪ってしまった。彼らは被害者なのだ。
失ってしまった者たちになお、立ち上がり戦えと命ずるのは正しいことなのだろうか。きっと、それもまた正しい道だろう。なにものにも屈しない領地を目指すならば、決して挫けない不屈の意志が必要となることもある。
しかし私は、人に強さを強いることの残酷さもまた知ってしまった。その強要が、今回のような見過ごしを生んだのだ。領地を預かる君主として、私は彼らの身に起こった苦痛の責任を果たさねばならない。
だから――。
「表を上げてくれ、マリーヌ嬢。これから仕事がある」
「……では」
「ベーヘンの街にて孤児院の運営を許可しよう。一団の到着まで残りどのくらいかかる?」
「約1週間です。サー」
ぱあっと広がったマリーヌ嬢の笑顔が、再び使命感へと引き締まる。
「もう時間がありませんね……早速書簡にて通達を!!」
「ああ、頼んだ」
一礼を残し、執務室へ駆け出す彼女の姿はらしくなかった。
貴族令嬢は、あのようにはしたなく土を蹴り上げるものではない。
ずっと、心の中で距離を取ってきた。だから常人ならすぐに気づくようなことにも、私はずっと気づけずにいた。
「マリーヌ嬢は、人のために動くのが好きなのだな……」
ぽつりと漏らした呟きを、掬って返す者もいる。
「私は一目で見抜いておりましたよ。ですから申し上げたのです。ヒルダ様の御椅子はいかがでしょうと」
「余計な世話だ。しかしまあ……彼女ほどの女性であるのなら」
あるのなら……言いかけて、やめた。
横に立つ老執事がさっきから眼を細めている。
「なんです? どのようなことをおっしゃろうとなさったので?」
「い、いや……それより、今日の茶菓子はなにを食したい?」
コホコホンとわかりやすく空咳を入れると、アーノルドはあえて追及の手を止めて――。
「でしたら、本日は新たなフレーバーのマカロンを試しとうございます」




