表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
売れ残り万能令嬢と怒れる銀髪伯爵 ~『氷の伯爵』、不当な婚約破棄にブチギレて公爵令嬢を攫う~【完成済・完結まで毎日投稿】  作者: ソーカンノ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/33

第1話 『怒れる氷の伯爵レオン、婚約破棄の場に乱入す』

完結まで毎日1話ずつ投稿します。初日は5話まで投げます。

(全35話+番外編1話)


年が明ける頃に完結します。

「マリーヌ・ヴィクスドールよく聞きなさい!! ブリアリン王国第一王子ロイ・ブリアリン殿下が、あんたとの婚約を破棄するわよ!!」


 ……こともあろうに、だ。


 私の頭の中でその文言が羽虫のように踊る。こともあろうに今は貴族子女の通う王立貴族学院の卒業記念パーティー。こともあろうに婚約破棄されたのは公爵令嬢マリーヌ・ヴィクスドール。こともあろうに婚約破棄を申し立てたのは男爵令嬢であるはずのアウロア・ブローニュ。あの毒婦。


 ビュッフェで取り皿に料理を運ぶ手を止める。


 顔を上げて視線を巡らせると、ステージ上には、アウロアに呼び出されたと思しきマリーヌ嬢と、袖幕の近くに控えるロイとアントニーの姿がある。


 本来ならばこのような越権行為を許すはずのない2人が静観を決め込む理由はただひとつ。とうの昔にあの毒婦に抱き込まれている。


 壇上で、マリーヌ嬢が引き下がる。当然のこと困惑している。

 両手を口に当てて、眼を大きく見開いて。


 だって権利がない。この婚姻は王陛下とヴィクスドール公爵との間で取り決められたもので、ロイですらその破棄を事前断りなしに申し立てることは不可能。それを、たかが男爵令嬢でしかないアウロアが大衆の面前で、娶られる当人に向かって宣告した。不躾ってレベルじゃない。死罪にすら値する。しかし――。


「ロイ様、これは……?」

「済まないねマリーヌ」


 事情を宣告した当人ではなく、その背後に控えたままの婚約者に問うたマリーヌ嬢の判断は正しい。


 ただし、手持ちの薔薇の花弁を嗅ぎつつ、ちらとも婚約者を見ずに受け応えしたロイの判断は完全に間違っている。


「僕は真実の愛に目覚めたんだよ」


 陳腐な台詞だ。一国の王太子のものと思えない。町娘向け恋愛小説ですらもう少し気の利いた表現を用意する。およそこの発言だけで末代までの恥だろうに、ロイ・ブリアリンはさらにその上塗りを始めた。


「マリーヌ、僕は君のことを愛していないと気づいてしまった」


 大衆の面前で恥を掻かされている。

 唇を噛みしめて、しかし気丈にもマリーヌ嬢は言上した。


「……存じて、おります。しかし私たちの婚約は王国の未来のためのもの。愛が人を育むように、人も愛を育むことができますわ。私はそのための努力ならば、いくらだって支払う覚悟がございます。どうか、殿下」


 深々と頭を下げる。下げる必要のない頭を。

 人々の胸を打つその光景を、横合いから甲高い笑い声が台無しにした。


「すごいねぇ、あんたがそれ言う~? あんなことがあった癖にぃ~?」


 ビクッ、と頭を下げたままのマリーヌ嬢の背中が震える。

 しゃしゃり出てきたアウロアの手が、マリーヌ嬢の肩に馴れ馴れしく触れる。


「私たちが覚えてないとでも思ってんのぉ? 前のお茶会のとき、あんた砂糖と塩を間違ってお菓子作らせてたよね。あれ、子どもでもやんないような初歩的なミスだから物笑いの種になったけど、仕込まれたのが毒なら全滅しててもおかしくなかったじゃない。そんな杜撰な危機管理意識の持ち主なんて、王妃には、相応しく、ない」


 ここでそれを持ち出すか。

 薄々気づいてはいた。こいつが今まで大人しくしていたのは芝居だと。


 楽観視していた? 大事が起こらなければそれでいいと。

 だがそもそも、私に連中と関わる理由なんて――。


「今だから言うけどさぁ。あんたが用意したっていう最高の小麦で作ったお菓子って、味以外もクッソヤバかったんだけどぉ? なに? コストカットのために奴隷用ブリオッシュを作る最底辺小麦でも使ってたのぉ? それとも飼料用? 今さら言うのもなんだけどさぁ、ゴミとか食べさせないでよねぇ!!」


 ……よしわかった。こいつ殺そう。


 テーブルの上に置かれた銀のナイフを固く握りしめた瞬間、会場の出入り口から鋭い気配が飛んできた。まさか、来ているのか?


 ともあれ、これで冷静になれた。過保護を咎め立てるのは後にしよう。

 顔を下に向けて、深呼吸。再び壇上を見ると場面に動きがあった。


 ロイがアウロラの隣に歩み寄り、その腰を奪っていた。


「君の努力は買うよ、マリーヌ。君主催で行われた一月前のお茶会、あれは僕の気持ちを繋ぎ止めるためのものだった。だけど君は失態を犯してしまったね。王太子妃としての、自らの器の至らなさを表明してしまった」


 アウロアがロイに微笑み、ロイもまたアウロアに微笑みを返す。


「アウロアの言う通りだ。仕込まれたのが塩でなく毒だったら、ブリアリン王国の未来は暗澹たるものとなっていた。そして、そのような脇の甘さを見せたマリーヌは、やはり僕の妻として相応しくはない」


 両人の眼が、項垂れるマリーヌ嬢へと突き刺さる。


「婚約破棄だ。まさか断るまいね?」

「しかし、ご実家のご許可は取られたのですか……?」

「事後承諾で構わないでしょ、そんなの。あんた自分がしたこと思い返してみなさいよ」


 随分と尊大な物言いだな。

 家格的には、マリーヌ嬢の取り巻き令嬢をやるのが精一杯だというのに。


 どうやらアウロアは既に王太子妃気取りのようだ。


「新しい婚約者ならもう決まっている。僕の隣にいるこのアウロアこそが、新たなる王国の未来。いずれ国母と呼ばれる存在となるだろう」


 大衆の面前での断言。ロイは指先で弄んでいた薔薇を、アウロアの豊かな金髪に差し入れた。アウロアはニッコニコの笑顔で応じる。


「嬉しいですわ、殿下」

「マイハニー。そんな他人行儀な呼び方はよしてくれ」

「ロイ様……」


 茶番劇を終えて、ねっちょりと見つめ合う2人。


 ロイの残念ナルシストめ。けばけばしい毒花の香に当てられるとは、まったくもって情けない。


 女には気を付けろと再三忠告はした。名指ししなかったのは情けだ。一国の王太子ともあろう者が幼少期から懇意にしてきた婚約者を無下にし、身分違いの女にうつつを抜かすなど、御父上が知ればさぞお嘆きになるに違いない。


 それはそうと、私の足もそろそろステージ脇の階段前にきていた。

 足を掛けて上ると、岩のように立ちはだかる者に遮られる。


「邪魔立てするな、レオン」


 首を上げる。アントニーだ。アントニー・ルーティス。

 ルーティス伯爵家の次男で、学園卒業後はロイの近衛の役を射止めた男。


 要は腰巾着だ。


「どけ」

「できんな。王太子も王太子妃も、今大事なところだろうが」


 王太子妃、ねえ。

 なるほど、気取っていたのは当人だけじゃなかったってことか。


「押し通って欲しいのか」


 私は持ち前の赤眼をギラつかせた。これまた自前の銀髪と併せると幽鬼のような風体となり、相手に対する威圧感を発生させる。


 だがアントニーも慣れたものだ。高等部時代には同じ寮にもいたことがある。初見でもないし、こいつの根本は暴力的な男だ。固めた拳を逆の掌で包んで、バキボキと指を鳴らす。


「投げ飛ばして欲しいのか?」

「自信ありげだな。体力テストなら常に学年トップだったものな」

「その綺麗な顔をぶちのめしたっていいんだぞ」

「そいつは結構なことで」


 私は退く振りをして、マントを手で払い、アントニーにだけその下にあるものを見せた。


「だが剣なら、どちらが上かな」

「な……お、お前、こんな目出度いパーティーの席で……!?」

「いついかなるときも気を抜くな。家訓なものでな」


 脇を抜ける。腰巾着の限界なんてこの程度だ。

 圧倒的不利な状況に陥れば、主君など容易く売り払う。


 ステージに上がると、全員の瞳が私に向いた。マリーヌ嬢とロイは驚きの眼で、アウロアは恍惚とした表情が一転、憎しみに満ちた顔で私を見る。そして階下。学院卒業者並びにその関係者に当たる女性陣からは、少なくない黄色い悲鳴が私に向けて上がっていた。


 ……まったく、これだから女ってやつは。


「レオン・コルラン、あんた……」


 敬称。ともかくとして。

 ぐぬぬ、と歯噛みするアウロアが益体のない言葉を吐く前に言っておこう。


「訂正しろ。あれは最高の小麦だった」

「はあ? あんたいったいなにを言って……?」

「貴様が舌バカなのは構わん。だがあれは王国有数の穀倉地帯、我がコルラン領で作られた最高級小麦だ。作物は我が領地の魂。訂正しろ」


 脳裏に浮かぶのは、かつてのマリーヌ嬢の姿。


 これは絶対に失敗できないお茶会だからと私に向かって頭を下げ、実家から最高級の麦の供出を願った。常日頃から女嫌いを自称する私から見ても、いじらしく胸を打つ姿だった。


 それをこいつが台無しにした。

 厨房に潜入し、子ども染みたいたずらを仕込んで。


「ば、バッカじゃないの! だってあれ、本当にクッソマズだったし!!」

「マリーヌ嬢、ご気分は大丈夫か」

「あ、はい。平気ですけれども……?」

「コラー! 無視すんなー!!」


 小蠅がなにか喚いているが、大したことではない。

 私は小蠅に寄り添うロイに向けて口を開く。


「この冗談が座興の一部なら、早めに取り下げておけ。ロイ」

「まさか、君にはそう見えるのかい? レオン」


 言い置いて、ロイは手持ちの薔薇の花弁を嗅ぐ。

 2本目だと? どこからだ、いったい?


「僕はマリーヌを愛していない。気づかせてくれたのはアウロアだ。僕の心に、愛のなんたるかを教えてくれた。むしろ早く気づけて良かったとさえ言える。この卒業記念パーティーが終われば、僕はマリーヌと一緒になる予定だったんだからね」


 それはそうだ。王太子の新たな旅路は、この国の新たな旅路にも等しかった。

 ロイの立場なら言った通りかもしれない。だが、マリーヌ嬢は?


「だから深刻な事態だと言っている」

「レオン、君はなにを言いたい」

「マリーヌ嬢の身はどうなる」


 ロイの恋慕に曇る瞳が、一瞬まともに戻ってマリーヌ嬢を見た。


「彼女はお前と幼い頃からともにいた。健気だった。それは理解しているはずだ。その梯子を今さらお前の一存で外すつもりなのか」

「れ、レオン様! おやめください!!」


 マリーヌ嬢が後方から声を上げる。様々な感情がこもっているのだろう。

 だがここで私が声を上げねば、待っているのは身の破滅だ。


「許嫁の期間がこれほど長く、学生時代もお前とともに在ったとなれば、世間は彼女を然るべき眼で見る。すべては王妃になる前提があったからこそ許されてきたことだ。そのための喧伝も行ってきた。それを今になって撤回するなど、お前自身の評判だけでなく王国の評判にも傷を付けることになるんだぞ」


 私が公衆の面前でこれほどの長広舌を振るうのは、初めてのことだ。

 対面するロイだけではなく、聴衆も静かに傾聴している。


 場違いな哄笑が、会場全体に響き渡った。アウロアだ。


「くっだらなぁ~い! 要は王妃失格の烙印を捺された女が、周囲にお手付きだって思われるだけじゃなぁい!」


 いけしゃあしゃあと、こいつ――!!


 やはりこの場で斬り捨てておくのが世のためか。

 マントで隠した内側で剣の柄を掴んだ瞬間、会場から眩い光が飛んでくる。


 躊躇した。それが正解。

 もし斬りかかっていたら、この場に倒れていたのは私であっただろう。


 先の言はさすがに眼に余ったか、ロイも渋い顔でアウロアを見た。


「言い過ぎだアウロア。マリーヌと僕は幼い頃から懇意に過ごしてきた。元婚約者として、僕としても彼女のしあわせを願っている」

「ロイ様ってばなんて慈悲深いんでしょう。それでこそ私の愛する御方ですわ!」


 これ幸いとばかりに身を摺り寄せにいく姿は、浅ましいというかなんというか……。


 半眼でその姿を見ていると、引っ付き虫が首だけ捻ってこっちを向いた。赤い舌を見せて、ざまあみろ、みたいな顔をしている。


 頭の血管が1本2本弾け飛んだ気がしたが、寸でで耐えた。

 ここで荒事は起こせない。いや、起こしても絶対に成功できない。


 寄生虫の頭をやさしく撫でて、ロイがマリーヌ嬢に語りかける。


「実家に戻りたまえ、マリーヌ。ヴィクスドール領はその内側に、聖領をも抱えている。女神正教の総本山には、君にこそ相応しい役職があるはずだ」


 マリーヌ嬢が口を開きかける、前に私が横槍を入れた。


「聖女の役は既にマリーヌ嬢の妹君で決まっている。そのための長い修行も終えられた。お前の恋慕のために動かせるものではない」


 理路整然と述べ立てるも、この根っからのロマンチストときたら。


「随分と辛辣な言い方をするね。君と僕との仲じゃないか」

「友人らしい忌憚のない意見だと考えろ。私との付き合いはこれからも長くなるはずだ。私だってそれを望む」


 幼稚舎からの知己が慣れない泣き落としをやった。

 この事実の重大さには、ロイのやつも感じ入るところがあるらしかった。


 だがしかしと言うべきか、予想通り邪魔立てが入る。


「行く場所がなくて大変なら、いっそ修道院にでも入っちゃえばいいのに。だって領内に山ほどあるんでしょ、修道院?」


 このクソアマ、いったいどれだけ調子に乗る気だ――!?


 歯噛みしていると、正面2人の瞳が私の後方を注視している。

 私も後方へ首を捻ると、マリーヌ嬢の思いつめた表情とぶつかる。


「あの、私は別にそれでも――」

「ならない」


 一言で制して、私は当事者2人へと向き直る。


「マリーヌ嬢は学院一の才女だ。修道院に厄介払いするなど、たとえ当人の意志がどうあろうとやってはならぬことだ。ロイだってそう思うだろ」


 しかしロイは、ここで気の抜けた表情を浮かべると。


「敬虔な女神正教徒として、女神をより近くに感じられる場所にいることは正しいものと思うけれど?」


 ……ああ、そうだ。

 こいつはこういうやつだった。


 いずれは国政を担う王太子にあるまじきふわふわっぷり。

 脳味噌の組成がマシュマロとお花畑で出来ているのだ。


「あの、殿下もこうおっしゃっていますし、私はそれでも……」

「ならない。マリーヌ嬢、あなたは言わされているだけだ」

「え、ええぇ?」


 そんな風に困惑げな表情を向けられては困る。

 私が矢面に立った意味がなくなってしまうではないか。


 私とマリーヌ嬢の足並みが揃わぬ隙に、またアウロアが悪だくみを考え付いたらしい。手の甲を口元の近くで立て、愉快げに笑う。


「あらあらあらぁ~? なに? 2人とも随分と仲が良さそうじゃなぁい? ひょっとしてマリーヌってば、『氷の伯爵様』のハートを溶かしちゃったってわけぇ?」


 アウロアの事実無根かつ不届き千万の物言いに、階下が俄かにざわつく。


 女の中には、貴人の恋愛スキャンダルを主食として生きる連中がいる。ちょうど今、口の前に手を立てて「ま!」とでも言わんばかりにこちらを凝視している連中がそれだ。加えて、かねてから私の顔面に憧れを寄せていた令嬢たちも、互いに肩を寄せ合ってさめざめと涙を流し始めた。


 ……まったくもって、どんな地獄絵図だ。


「あんたのファンたち、泣いてるよぉ~?」

「私とマリーヌ嬢はそのような仲ではない。言いがかりも大概にしろ」

「撤回してください。ロイ様ともあろう御方がおりながら、他の殿方にうつつを抜かしたりはしません」


 さすがのマリーヌ嬢もおかんむりらしい。毅然とした態度での一声に、普段の穏やかな彼女を知る卒業生たちもたじろぐこととなった。


「言い過ぎだよ。アウロア」

「ロイ様~。もちろん冗談ですのでご安心を~」


 いや、冗談で済まされるラインはとっくにぶっちぎってるだろ……。


 私とマリーヌ嬢が冷めた視線を送る先、ロイの腕にひしっとくっついたアウロアがいる。2人の周囲にはほわほわとしたピンク色の力場が見える。俗にいう色ボケ。2人だけの世界とかいうやつ。この力場が存在する限り、ロイの脳髄に掛かった靄は消えることがないだろう。


 私は、悟られぬように溜息を吐いた。

 ……剣さえ、抜ければな。


 縦斬り、横斬り、なます斬り、千斬り。どのような斬り方でも、アウロアのやつを葬り去ることなど容易い。その身から噴き出す鮮血を浴びれば、ロイの罹る百年の恋だって冷めることだろう。所詮人の肉体など血袋。死ねば遍くただの肉塊に過ぎん。それを私は、よく知っている。


 しかしロイのやつは、こういうときに限って目敏い。

 元気なく溜息を吐いた私の姿を見咎めていた。


「祝福しろっていうのは、無理筋なのかな?」

「当たり前だ。お前、自分のやろうとしていることを考えろ」


 私も考える。剣を抜けぬなら、いっそ素手はどうだ? 立てた中指をアウロアの眼球に突き立て、奥まで突き入れる。そしたら一手で終わるじゃないか。


「もちろん、僕のこともある。けれど心配なのは、レオン自身のことさ」

「余計な気を回すな。そんな状況じゃ……」

「こんな状況だからこそだよ。だって今日、僕たちは学び舎を去るんだ」


 ロイの瞳に、王太子らしい光が戻る。


「答えてくれ。コルラン辺境伯にご不幸があったというのは本当なのか?」

「……ああ」


 言いにくいことを訊いてくれる。

 結局、父上の死に目には遭えなかった。


 会場全体にしめやかな空気が流れる。


「この宴席が終われば、私は郷里へ帰る。跡目を継ぐためだ。次に王都を訪れるのは、いったい何年後になるか皆目見当もつかん。だから後顧の憂いは断っておきたかった。お前が、そこのアウロアに懸想しているのは見えていたからな」

「レオン……」


 ロイは冷血漢ではない。家の事情よりもなお、友人の未来を優先して心配していた私を、同情混じりの神妙な顔で見ている。


 ぶちこわしにしたのはまたしてもアウロアだ。


「へぇ~。じゃああんた、家督を継いで辺境伯様になるんだ?」

「アウロア。配慮を欠いた発言は」

「わかっておりますわ~ロイ様~」


 わかってんならまずその舌っ足らずな話し方をやめろ。


 呆れて物が言えなくなっている私に近寄ると、無作法にも程があることに指先で私の胸元をなぞってくる。


「……じゃあ、あんたが面倒見ればいいじゃない」

「はあ?」


 ときに愚か過ぎる人間の思考は読めない。ちょうど今がそうで、私には眼の前の女がなにを言いたいのか見当もつかない。


 逆に不思議そうな顔をして、アウロアは猫のように笑む。


「レオンってば、勘が鈍いわねぇ~。パパが亡くなって、今実家が大変なのよね。ならそこの女をお手伝いに連れ帰ったらちょうどいいって言ったのよ」


 ……焼くってのはどうだ?


 十字架を模した板に四肢を括りつけ、足元に藁を敷き詰め着火する。裁判は抜き。当然だ。何故ならこいつは誰が見ようと魔女であり、魔女でしかなく、魔女であるならば焼き殺されて当然の存在だからだ。


 王国を傾かせる魔女は火炙りにせよ。残り灰には聖水を振りかけ、豚箱の豚の餌にせよ。そうだ。私がその役をやろう。望むなら処刑人として着火もしてやろう。残った灰を搔き集め、甦らぬよう上から聖水を振りかけてやろう。豚も寄進してやろう。山ほど寄進してやろう。


 ということで、晴れて処刑は実行された。

 悲しいかな、私の頭の中でだけだ。


 現実のアウロアは、唖然とする私を見てニヤニヤとしている。


「あっれぇ~? ひょっとして私のグッドアイディアに言葉も失くしちゃったってことぉ~?」


 口元で拳を握り、ニシシと笑う血袋をさてどうやって料理すべきか?

 真剣に悩んでいるところ、アウロアの後方から声が届く。


「……アウロア」

「ロイ様?」

「君は今、僕の友人を侮辱した」


 ロイ……目を覚ましてくれたか。

 私の心にじんわりとした温かみが広がる。


「べ、別に私バカになんてしておりませんわよ!?」

「人の生き死にを物笑いの種にしてはいけない」


 そうだ。言ってやれロイ。もっとだもっと。

 私は心中に宮廷楽団を招聘してエールを送った。


「それに、マリーヌにもだ。曲がりなりにも、彼女は僕と婚約関係にあった公爵令嬢。それを他家に出向させ、こともあろうにメイドの真似事をさせろだなんて、口が裂けても言っちゃいけない。もしヴィクスドール公のお耳に入れば、君の身だって無事では済まないんだぞ」


 100%、完膚なくド正論だった。

 それでこそ我が友だ、ロイ……。


 私が周囲の連中にわからぬよう薄笑みを湛えていると、アウロアの瞳に透明な雫が溜まり始めるのが見える。それは程なく満水を迎え、決壊した。


「や、やっぱりそうなんだ……ロイ様の御心は、まだその女に……」


 涙は女の武器という。まさかここで出てくるのがそのような古典的な手法とは思わなかったが、さすがに見え透いている。齢7歳の子どもでもわかるような噓泣きだ。


 このようなものにロイのやつが惑わされるわけが……。


「す、済まない!! そのような意味で言ったわけでは!!」

「ってオイ!! しっかりしろロイ!! そいつ嘘泣きだぞ!?」


 しかしロイのやつときたら、両手を眼に当ててえぐえぐとしゃくり上げるアウロアに夢中で、私の声は届いていないらしい。


「私のこと愛してるって言ってくれたことも嘘なんだ……?」

「ほ、本当だとも! 愛しているのは君だけだ!!」

「嘘よ、嘘っ!! 本当は、そこの売れ残り女にまだ気持ちを残しているんでしょうっ!!」


 さりげになんて物言いをするんだこいつ。


 私はちらとマリーヌ嬢の様子を窺った。自分で自分を指差して「う、売れ残り女……?」と大層ショックを受けられている。おいたわしい。


 ロイは完全に、泣いた振りをするアウロアの介護モードに入っていた。


「マリーヌに心は残していない。誓うよ」

「本当? 女神様に誓える?」

「もちろん誓うとも……さあ、立って」


 指の腹で涙を拭い、ロイの手を握ってゆっくりと立ち上がるその姿までも芝居じみている。


「君が不安に思うなら、今この場で宣言したっていい」

「ロイ様……」


 ロイはアウロアの髪に2本目の薔薇を差し入れ、一同に向き直った。


「みんな聞いて欲しい。僕ことブリアリン王国第一王子ロイ・ブリアリンは、この卒業記念パーティーを終えたのち、男爵令嬢アウロア・ブローニュとの結婚式を開催する!!」


 観衆にどよめきが走る。寝耳に水ってレベルじゃない。マリーヌ嬢へ婚約破棄を突きつけた舌の根も乾かぬうちに、そんな大それたことをしようとは……。


「待……」


 思わずロイの肩を掴みに行った私を、場に轟くような大音が留めた。


「ヒャッハア! そうこなくっちゃな!! 新しい王太子妃殿下の御誕生!! こっからはパーティーだぜぇっ!!」


 配置に意図が見えなかった。だがこれで得心がいく。

 アントニーは盛り上げ役だったのだ。


 口元の法螺貝をボフゥーと鳴らし、困惑する一同の感情の舵取りを鮮やかにやって見せる。その効果たるや絶大で、態度を決めあぐねていた参加者たちも、目出度い席なのではと思考放棄して、まばらに拍手を送り始める。


 こいつら……。

 いや、それよりもだ。


 ロイを睨みつける。

 すぐに気づき、悲しげな表情が返ってくる。


「残念だよレオン。やはり君には祝福してもらえそうにない」

「後悔するぞ、ロイ」

「なにを言っているの? 後悔なんてするわけないじゃない?」


 泣いた子どもがなんとやら。再びロイの寄生虫を始めたアウロアが、その身を密着するロイから1ミリも外そうとせずに私を見た。


「ロイ様はね、この学院で1番の美姫をお選びになったの。賢明なご判断だと思うわ。生まれてくる子どもたちはさぞや美しい顔をしていることでしょう。なにせこの私、アウロア・ブローニュと、ブリアリン王国第一王子であるロイ様との間の子どもなのだから」


 この女の腐った未来絵図などどうでもいい。

 問題は、ロイが今まさに梯子を外しかけていること。


 私はアウロアを意識から除外し、ロイだけに向かって語りかける。


「マリーヌ嬢はどうなる」

「隣国に僕の親類がいる。彼らならきっと……」

「ふざけるなよ」


 悔しいが、ロイとの婚約を解かれたマリーヌ嬢がどのように見られるのかは、先刻私自身が語ったところで相違はない。


 本来の家格よりも資質よりも下に見られ、不当な扱いを受けることになる。


「ならば役職を用意しよう」

「マリーヌ嬢に相応しい役職など、お前の隣以外になかろうが」

「父上にも嘆願する。必ず相応しい席を見つけてくださる」

「考え直せ」


 説得を試みるも、色よい返事は返ってこない。アウロアに対する恋慕の情が、ただでさえ曇りやすいロマンチストの瞳を五里霧中にしている。


「レオンってばおばかさんね? 持て余すなら、国外追放にしちゃえばいいじゃない?」


 串刺し。


 地面に太い杭を突き立て、尻から突き入れる。意外に死ねない。苦悶に呻く罪人の姿は体のいい見せしめだ。城門近くに立て、周囲の視線に晒すことで、同じような狼藉をはたらく連中の抑止力となる。


 もっともこの女の場合、死してなおそのまま放置し、鳥葬とすべきだろう。口から飛び出る罵詈雑言。我が領の小麦に対する風評被害に報いるには、それだけの恥ずかしめでやっと足る。


 そして豚。忘れてはならぬ。鴉どもの食い残しは豚に食らってもらい、骨も残さず綺麗さっぱりこの世からいなくなるがいい。


 脳内では実行し、既に白骨化するのほどの時間が経過した。

 だが、眼前にいるアウロアは無論のこと傷ひとつなく息災である。


「……なによ?」

「いいや」


 かぶりを振ると、その自己主張激しい胸を揺らして得意げに。


「真実の王太子妃はこの私! そこの幸薄女じゃなくてね! だって見てごらんなさい! こんなにも多くの人たちが祝福してくれている!!」


 くるくるっと回ってから階下に向けて腕を差し伸ばす。


 男爵令嬢に促された面々は困惑の様子を見せるも、互いに顔色を窺い合って、やがて拍手でそれに応えた。


 情けない。周りが拍手しているのを見て、慌てて自分も拍手を送り始める連中を見て思う。これだけの人間がいながら、貴族の子女でありながら、不当な婚約破棄を受けるマリーヌ嬢の味方をする人間がひとりもいないとは。


 貴族の品性。誉れ。

 その黄金の精神を体現する者はみな死に絶えてしまったのか。


 ならば、と思い直す。

 考えるのは好きではない。我が身の衝動に任せてしまおうか。


 そもそも早いのだ。こんな連中相手に説き伏せるより。剣を握って言うことを聞かせてしまう方がまだ早い。壇上なら、ロイとマリーヌ嬢さえ生き残ればいい。この学院随一の剣の使い手は私だし、真なる実力は家命で見せていない。


 やれる。確実に。

 邪魔立てさえ入らなければ。


「邪魔立てさえ――」


 歯を食いしばる。今もまた、私の心を見透かしたように、会場の隅でキラリと光が瞬いた。その狙いは、私からいちどきも外れていない。暴力行為は不可能か。ならばどうする。


 決断を先送りにはできない。拒否感だって抱いている。

 だがこの私がやらなければ。その一心でロイに向き直る。


「よくわかった。貴様にとって、マリーヌ嬢は必要ないということだな」

「レオン、そういうわけでは……」

「いらんのなら譲り受ける」


 答えを待たず、マリーヌ嬢へ歩み寄る。


「来なさい。あなたに相応しい仕事を準備すると約束する」

「あの、レオン様……?」


 案の定、困惑。いや、私のことを警戒しているか。

 差し出した掌と私の顔を、何度も見比べて逡巡している。


 申し開きというわけではないが、言い訳くらいはさせてもらおう。


「勘違いなさらないでいただきたい。父を喪い、我が領地は危機的な状況にある。今こそ優れたる者の導きが必要だ。あなたになら、それになれる」

「領地の、危機。そういうことでしたら……」


 差し出した私の掌に、こわごわとマリーヌ嬢が指先を乗せる。

 その瞬間、またしてもあの寄生虫が哄笑を上げた。


「キャハハハハハ!! 女の子を攫う気なら、お姫様抱っこでやった方がもっとそれっぽいわよ!! もっとも、ここで剣も抜けないようなへたレオンにはそんなの到底できっこないでしょうけどっ!!」


 ブチブチブチッ――脳内で血管が何本も爆ぜる音がした。


 このクソアマ、煽りのつもりか?

 ああそうかい。だったら、やってやるともさ!!


「……マリーヌ嬢」

「あ、はい」

「済まない」

「え? ふわあああっ!?」


 触れた指先を握って引き寄せ、バランスを崩したところで膝裏に手を差し入れる。そのまま上方に持ち上げ、絶対に落とさぬよう逆の手で肩をきつく掴んだ。


 直立姿勢まで戻ると、私は煽ったクソアマの顔を凝視してやる。


「これで構わないか」

「なっ……ほっ、本当にやるなんて!?」


 驚愕し、ぎょっと眼を剥く。

 その背後で、パーティー会場が大変なことになっている。


 壇上での私の振る舞いを見て、私の顔のファンが卒倒を始めた。まず最前列近くにいる者から卒倒を始め、空いたスペースから直に私とマリーヌ嬢の姿を目撃した後方の令嬢も引き続き卒倒する。


 ドミノのように波及する卒倒の波は、実にパーティー参加者の1/4もの令嬢に及んだ。


「ちょっと! なに倒れちゃってんのよ! これから私とロイ様の結婚式があるってときにぃー!!」


 品性も余裕も金繰り捨て、ガミガミと階下の者たちに叫ぶアウロア。


 アントニーのやつは既に飛び降りており、倒れた令嬢を肩に担いで内と外とを何度も往復している。


 私はマリーヌ嬢の身体を抱きかかえ、マリーヌ嬢は落ちぬよう私の首に腕を巻き付けている。その視線の先は阿鼻叫喚の会場ではなく、どうも私自身の顔へと注がれているらしい。もっとも、気まずくてこちらからマリーヌ嬢の表情を確認する気には到底なれないのだけれども……。


 騒擾する会場にあって、ひとり凪のように佇んでいるのはロイだ。

 この場を後にする私たちと擦れ違う際も視線以外は動かさない。


 しかし、ささやかな一声を残した。


「状況が落ち着いたら、いずれ君に会いにいくよ」

「待っている」


 互いを直視しないまま、私たちは擦れ違った。


 こうして私の身には、婚約破棄の場から元婚約者を連れ去った誘拐者の汚名が残ることとなった。

最後までお読みくださりどうもありがとうございました。

下の☆☆☆☆☆評価やブクマで応援していただけますとうれしいです。


前書きにも書きましたが、完全完成投稿ですのでエタはありません。

一気読みしたい方はとりあえずブクマだけしておいてくださるとありがたいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ