哲学短信 思弁家は独我論の夢を見る
私と物自体の相互作用により、「私は考える」が成立する。
物自体が、私の直観を触発することで、表象の世界に像が得られる。
私が、表象に作用することで、三角形、幅を持たない線分からなる幾何学的直観が得られる。
表象は、外と内から作用を受ける。
思考もまた、私が表象に作用することで行われる。
赤を思い浮かべるとき、私は内から作用して、赤の表象を得る。瞼の内に描かれた赤は、外的事物に由来する。
論理空間とは、表象の一部であり、外的事物との像関係を持つ。
では、「私は考える」とは何か。
表象がある、というそのことである。
表象も、そこに含まれる思考も、「私」ではない。表象は認知されるものであり、私は認知するものである。
己の目を見ることはできず、私が私を認知することはできない。
私の認知する可能性のすべては、表象の世界にある。そのすべてに、「私は考える」が付随する。
「私は考える」は排除不可能な記号である。その記号がついていることを以って、世界にあるのは我ひとり、とするのはトートロジーにすぎない。
トートロジーは無意味である。
よって、独我論は棄却される。




