第5話 寝息
「ま、魔族のお前が人間の心を理解できていないだけだ」
そうは言ってみたが、アクセルの心の中では感じたことのない不安が渦巻いていた。それはすでに詠唱を諦めたホリーが、言い訳を考えている顔になっていたからだ。
「ホリーさまの出身国はご存知で?」
ヴァンプが話を続けた。
「宗教国家トーイッツ教国だろ」
「あの国の教義はとても厳しいものです。ホリーさまは討伐隊に参加し他国を回って知った自国との違いに、たいへん驚かれたのです。習慣、文化、価値観、すべてが目新しく、それまでホリーさまの中で感じたことのなかった好奇心が生まれたのです――」
アクセルは出会ったころのホリーを思い起こした。
髪の長さまでミリ単位で決められているかのような、いかにもお固い宗教国家の僧侶といった出で立ちであった。それは話し方や態度にまで現れていて、明らかに壁を作っていた。
そんなホリーだったが、共に旅をして国や地域をまたぐたびに、さまざまなものを吸収していった。今では冗談も言い、少しばかりの酒を酌み交わし、歯を見せて笑い合えるようになった。
「――ですが、それまで抑制されていたからなのか、その好奇心は爆発し、いわゆるタガが外れるようになったのです」
「好奇心がタガを外した?」
「ある種の性癖……とでも言いましょうか。成人していない男女の苦しむ姿に興奮を覚えたのです」
「どういう意味だ?」
「言葉の通りでございます」
極稀に小児性愛という魔物に取り憑かれた人間がいることは、アクセルも知っていた。しかしホリーがそうだとは到底思えなかった。
「お前がひねくれた見方をしているだけだろ」
「思い起こしてください。ホリーさまは新しい地域に行くと、真っ先に貧困地域へ向かい幼い子供たちの治療をしていませんでしたか? 他にも病院だったり、労働力とされている子供たちを優先的に治療していませんでしたか?」
「それは人を癒やすという僧侶の本分が働いただけだ」
そう言いつつもアクセルの記憶には、貧困地域から帰ってくるホリーの満足げな笑顔があった。
――あの笑顔は、そういうことなのか?
「そ、そんなのあなたの言いがかりです」
沈黙していたホリーが反論の声を上げた。だがその声はわずかに上ずり、動揺を隠しきれていない。
それに対しヴァンプは優しい声で返す。
「ホリーさま、自分を偽る必要はありません」
「偽るだなんて……」
「もっと自分に正直に生きていいんです」
「何を――」ホリーは呆れと怒りの入り混じった目で、ヴァンプを睨みつけた。「――子供たちはその国の未来です。その子供たちを苦しい立場に追いやった、あなたたち魔族がどの口で言いますか。私は微力ながら、私のできることをしただけです。レンのことだって同じです」
背筋を伸ばし胸を張ったホリーは、今度ははっきりと強い口調で言い放った。
しかしヴァンプは眉一つ動かさず、調子を変えずに語りかける。
「ここはトーイッツ教国ではありません。自分を解放したところで、誰も罪に問うことはできません」
「話になりませんね。アクセル、なんとしてもあの魔物を倒しますよ」
杖を握り直したホリーは再び光魔法の詠唱を始めた。そこには先ほどまでの動揺した姿はなかった。
「では、一つ確認したいのですが――」とヴァンプは人差し指を立てた。「――ホリーさまの介抱というのは、レンさまの寝息を嗅ぎ恍惚とすることですか?」
その瞬間、ホリーの声は裏返り、詠唱が止まり、手にした数珠の糸が切れて珠が弾け飛んだ。
次回更新は11月19日(水)朝 予定




