第2話 バラの棘
「ですから、アクセルさまが娼館通いをされていることを、婚約者のプリシラさまはご存知なのかな、と思いまして」
ヴァンプは優しい笑みを浮かべていたが、ややあってアクセルは鼻で笑った。
「人間はお前たち魔族によって苦しめられてきた。それに対抗するため、四大国の精鋭を集めて魔王討伐隊が作られた。俺たちはその第七代部隊。先代たちの思いも引き継いでここまで来たんだ。そんな旅のさなか娼館などに行くわけがないだろう。知っているか、お前たち魔族に蹂躙された村の惨状を。眼の前で家族を失った人々の悲しみと怒りを。お前たちから世界を取り戻すために戦っている中、欲に溺れている暇などない。旅の道中にはそういった――」
「アクセルさま――」唐突にヴァンプが話を遮ってきた。「このタイミングで、あまり饒舌に喋ると、逆に……」
ヴァンプは少し気まずそうに、申し訳なさそうに、首を横に振った。
勢いを削がれたアクセルは仕切り直すように咳払いをした。
「とにかく、俺はそんな所へは行っていない」
「ご安心ください。私がプリシラさまに密告することなどありません」
「クドい!」
アクセルの怒声が広い室内に響いた。
ヴァンプは少し間を取ってから、再び口を開いた。
「『バラの棘』。聞いたことはありませんか?」
「知らないな。初めて聞いた」
ヴァンプはそっけなく答えるアクセルからホリーに視線を向けた。暗に「あなたは?」と聞いている。
「バラの棘って植物のバラの茎にある、アレのことですか?」
ホリーは困惑しつつヴァンプとアクセルの顔を交互に見る。
「普通はそう答えますよね。ですがアクセルさまは『初めて聞いた』と……。まるで別の何かと勘違いしたようです。例えば……そう、魔王城から一番近い人間の街にある娼館の店名とか」
次の瞬間、アクセルは一直線にヴァンプに斬りかかった。ヴァンプはマントを翻し、すんでのところで攻撃をかわした。
「落ち着いてください。私は交渉をしたいだけです。戦闘は望んでいません」
ヴァンプは両手を上げ、交戦の意思がないことを表した。
後退りするアクセルは間合いを取ったが、視線はヴァンプを捉え続けている。
「アクセルさま、どうか落ち着いてください。生物は遺伝子を次の世代につなぐのが本能です。危険な旅を続けてきたのであれば、そういった欲求があっても何も恥じることはありません」
アクセルの剣先はわずかに下がった。それを見てヴァンプは話を続けた。
「私はここから世界中を見ています。このようにして」
そう言ってヴァンプは指先から、影のように黒いコウモリを一匹羽ばたかせた。コウモリはヴァンプの頭上を旋回している。
「みなさんが魔王城から一番近い人間の街に到着した日の夜、ゴンドウさまに連れて行かれた夜の店。アクセルさま、あの店が『バラの棘』だったんですよ」
ヴァンプの補足説明のあとも、アクセルは沈黙していた。
ヴァンプもホリーもアクセルの反応を待っているが、アクセルは沈黙を続けていた。あまりにも長く続く沈黙にホリーが口を開こうとしたとき、アクセルは「あぁ」と思い出したように、しかし、どこか薄っぺらく白々しさの乗った声をあげた。
「ゴンドウに無理やり連れて行かれたあの店か。あそこはそういう店で、そういう名前だったのか。俺はすぐに出たから気が付かなかったなぁ。ゴンドウは店に残ったようだけど、俺はすぐに出たからなぁ。そういう意味では行ったことになるのかなぁ。……すぐに出たけど」
アクセルの声は独り言のようでいて、それにしては大声であった。
「そうなんです。アクセルさま。思い出されましたか」
「思い出したというより、初めて知った。なにしろすぐに出たからな」
アクセルはことさら『すぐに出た』を強調した。
「そうでしたか――」とヴァンプはにこやかにうなずいた。「――ですが、その後、五日続けて通われていましたよね」
アクセルは剣を落としそうになった。
「もうすぐ満タンになるポイントカードにも、きちんと店名は入っていますよ」
「ホリー、騙されるな。こいつは俺達の動揺を誘っている」
そう叫んだアクセルは、剣を再びヴァンプの喉元に向けた。しかし、その剣先は小刻みに震えて定まらない。
「『俺達』? 動揺しているのはアクセルだけのように見えるけど」
ホリーの口調は突き放すようで、極めて冷淡だった。
アクセルはヴァンプを見据えている。というよりヴァンプ以外に視線を向けることができないでいた。隣からホリーの冷たく刺す視線を横顔に感じたからだ。それは、今まで受けたどんな氷結魔法よりも鋭く凍てつく視線だった。
次回更新は10月29日(水)朝 予定




