第10話 幸福 <最終回>
温かい光に包まれてアクセルは目を覚ました。
どこまでも遠く青い空があった。そこを一羽の鳥が横切った。
「おはよう」
甘い女性の声がした。寝転んだまま視線を上に向けるとプリシラが座っていた。
ここは王宮の中庭。鮮やかな芝生に絨毯を敷いてお茶を楽しんでいたところだったが、あまりの陽気にアクセルはうたた寝をしてしまったのだ。
「魔王討伐から帰ってきてから、ずっと忙しかったものね」
プリシラはそう言って、アクセルの頭を撫でた。
再び目を閉じたアクセルの心は言い表せない幸福感が満ちていく。その表情を見て、プリシラは嬉しそうに笑みを浮かべた。
平和なひとときであった。
ヴァンプとの対峙から三ヶ月が過ぎていた。
アクセルたちの活躍により魔王軍の進軍は押し戻され、久方ぶりの平和に歓喜した世界も落ち着きを取り戻していた。
その三ヶ月間、アクセルは多忙を極めていた。
旅から帰国し国王に報告の後、英雄となったアクセルは王国のあらゆる称号や勲章を与えられた。それに伴う堅苦しい式典と、政財界の有力者との会合が次々にセッティングされた。
ずっと剣術の稽古と魔族退治に人生を費やしてきたアクセルには、それまでとは違う緊張と疲労が襲ってきた。
どうにかそれらを乗り越え、プリシラとの結婚式を執り行ったのは一週間前のことであった。
「アクセル。この方はあなたの冒険仲間の方じゃなくて?」
頭を撫でるプリシラの手が止まった。
なにごとか? と上体を起こしたアクセルは座り直した。
プリシラが手にしていたのは手鏡型の魔法通信具であった。世界中の出来事が送られてくる魔法道具だ。もちろんこの手の道具は特権階級の物である。
『トーイッツ教国、欠損した部位を修復する革新的魔法を発明』
との見出しが鏡の中に流れていた。そこにはホリーの名前が大々的に報じられていた。
そう、アクセルたちはヴァンプの取引に応じたのだった。
あのとき意を決したアクセルだったが、ヴァンプから世界の真実を知らされた。
「魔王軍と各国首脳陣は通じている」
ヴァンプの話はにわかには信じられないものだったが、ハジメノ王国からの秘密文書を見せられた。そこには勇者アクセルに関する情報が事細かに綴られていた。
討伐隊の面々の情報も各々の国から上げられている。
ヴァンプが言うには、魔王軍がいつどこを襲うか各国首脳陣に事前に通達しているらしい。それに対して迎え撃つか、避難させるか、放置するかはその国の首脳陣が決定する。つまりアクセルの村が襲われたとき、王国は放置を決め込んだのだった。
なぜ、各国は魔王軍と手を結ぶのか。
その答えは至極冷徹で合理的な判断だった。
人間は常に戦争を起こし続ける。魔王軍の侵攻がなければ人類は一つになれなかったからだ。
人間同士の戦争と、対魔王軍との戦争、それらを比べたとき圧倒的に後者の方が安上がりだった。
そういったシステムが出来上がっていた。
どれだけアクセルが奮闘しようが、国が相手ではどうしようもない。
アクセルは王国や世界に見切りをつけたのだった。
そうして受け入れた今、幸福感に満たされた人生となっている。
「ホリーは研究熱心だからな」
アクセルはカップケーキを口に運んだ。「何の」研究かは言えないが。
「アクセルさま、次の予定の時間が迫っております」
背後に立っていたメイドが声をかけてきた。浅黒い肌に銀髪で胸の大きいメイドである。
おもむろに立ち上がったアクセルは「行ってくるよ」とプリシラの頭を撫でた。
中庭から回廊に入ったアクセルの後ろをメイドが付いて歩く。
「次の予定は何だっけ?」
「キタノ都市での講演会です。その道中に出版社から『続・魔王討伐紀』執筆に関する打ち合わせがあります」
「結構遠いな。二泊くらいかな」
そう言いながらアクセルは回廊を見渡し、人がいないのを確認した。
「リンダさんも付いてきてくれるんだよね」
「はい、今の私はアクセルさま専属メイドですから」
「それは楽しみ」
とアクセルはリンダの肩に手を乗せようとした。しかし「今はまだお控えください」と、リンダはその手を払いのけアクセルの尻を蹴っ飛ばした。
「あっ」と艶っぽい声を上げたアクセルの口角は上がっていた。
雲一つない青空がどこまでも広がっている。
かりそめでも平和になったこの世界に、アクセルは自分の尻を撫でつつ幸せをじんわりと感じていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今後もゆっくりとですが投稿したいと思いますので、よろしくお願いします。




