聖剣と聖杖のファンタジア(2)
眠りの淵で、リシュアンの声がする。
「…………リア」
……?
「セリア」
殿下?
「そうだよ、セリア。僕だ。目を開けてごらん」
リシュアンの言葉に促されるようにして目覚めると、視界の白濁が薄れていく。
すると彼女の目の前には、壮麗で荘厳な情景が広がっていた。
どうやらここは古めかしい様式の礼拝堂。
聖女が女神の天啓を受ける場面を切り取った巨大なステンドグラスを背面にして、黄金で作られた祭壇が鎮座する。
血のように赤い絨毯が敷き詰められ、装飾のある長椅子が規則正しく配置されている。
この礼拝堂はセリアの記憶にはなかった。
視線を彷徨わせて最後、祭壇の前に立つリシュアンを見つける。
「殿下!」
「ようこそ、婚約者の君。ここは王都の教会本部……聖環統御院。そして王家の礼拝堂だよ」
「教会本部、王家の礼拝堂……?」
教会内部にそんな場所があったなんて、初耳だわ。
……それより、これは……夢?随分と生々しい感覚なのだけれども。
セリアの疑問を拭うようにリシュアンは告げる。
「君にとっては夢。僕にとっては間。目覚めれば君はここでのことを忘れてしまうだろう。でも、それでいいんだ」
「……私の思っていることを先回りしてしまうなんて、さすがは殿下でございますね」
「君の顔に書いてあっただけだよ」
「もしや、これが殿下のおっしゃっていた秘密の逢瀬でございましょうか」
セリアは軽く手を叩く。
「うん。僕たちは婚約者同士だというのに、ふたりきりになれる手段が限られているからね」
ふふと微笑むと、リシュアンは手招きする。
「こちらにおいで」
誘われるまま、毛足の長い絨毯を上を進む。
リシュアンの前で足を止める。
「見てごらん」
リシュアンは塔のように聳える祭壇の頂点を指さす。
彼の示す先には高みで杖を掲げる女神の姿が。目を凝らしてセリアはハッとする。
女神が手にしているのは白金の聖杖。
かつてアレアナが女神の天啓を受けて授かった『ミナーヴァの杖』だった。
「ミナーヴァ!……アレアナ様の杖……!教会が保管していたのですね……!」
「厄災を斃した後、君のルヴァルティスは王宮へ、僕のミナーヴァは教会へ……。こうして互いに聖遺物となって祀られるに至った。今では『天啓星環聖智賜杖ミナーヴァ』と呼ばれているんだよ。大仰だろう?」
さらに女神の像まで鋳造し、聖杖を持たせる演出過多ぶり。
リシュアンは軽く肩をすくめる。
「一度で覚えられる異名ではございませんわね」
セリアが戸惑い半分に素直な感想を述べるとリシュアンも頷く。
「僕も聞き返しそうになってしまった。自分の持ち物なのにね」
苦笑しながらリシュアンは続ける。
「王宮に封印されたルヴァルティスは模造剣だけれど、ミナーヴァはここに安置され続けてきた。聖杖は教会の権威の源だ。……そう、王家と教会は、聖女と勇者、厄災について忘れたわけではない。この礼拝堂が今も残り続けることが全てを証明している」
リシュアンはわずかに眉を寄せた。
「全てをなかったことにするのならば聖剣も聖杖も破壊してしまえばよかったのにね。命をかけた勇者を冷遇し、厄災の歴史を消してもなお、権威を手放すことだけは拒む」
人とは、なんと愚かで弱い生き物か。
「……けれど、ミナーヴァの杖が残ったことで僕は君を手助けすることができる。杖に宿る知恵の力で、君の悩みを解消してあげられると思う」
「私の悩み……まさか、ルヴァルティスのことでございましょうか?!」
「うん。セリア、ルヴァルティスをここへ呼んでくれるかい」
「よ、呼ぶのですか?」
「願えばきっと君のもとへ参じる。あれはそういう剣だ」
疑いなく告げられて、セリアは瞬きを繰り返した。
「……参じる……」
そうよセリア。殿下ができるとおっしゃるならば、できるのよ。
リシュアンへの信用と敬愛は理屈を超えているのである。
「やってみます」
セリアは目を閉じて、ひと呼吸をすると命じる。
「リシュアン殿下のお召しよ。この場へ来なさい、ルヴァルティス」
すると、差し出した腕にひんやりとした感触が伝わる。
瞼をひらけば、そこには青い虹色の聖剣が彼女の手に横たわる。
「……本当に来ました……」
「来たね」
「ルヴァルティスが殿下にお会いしたかったのですわ」
「それは嬉しいな」
リシュアンはにっこり笑う。そして、そっと腕を伸ばしルヴァルティスの剣の腹に手を置くと同時、祭壇に掲げられた聖杖が光を放ち、ふたりの周囲をルーンが眩い円環となって回り始める。
「……殿下と杖が同調している」
驚くセリアの呟きにリシュアンは微笑むと、そっと瞳を閉じてルヴァルティスに語りだす。
「……やあ、ルヴァルティス。久しぶりだね。君と使い手であるセリアが再び巡り会えたこと……僕はとても嬉しく思っているよ」
今のリシュアンは予言の力だけではなく、聖女の能力も引き継ぎ、第三の目が開いている。
物質に宿った意思とも心を通わせることができるのだ。
「そうか、君も再びセリアと戦えたことが嬉しかったのだね。……でもね、今の彼女は貴族令嬢なんだ。わかるだろう?剣のままでは君を連れて歩くことは難しいのだよ」
ルヴァルティスと対話するリシュアンをセリアは尊敬の眼差しで見守る。
「だからね、少しだけ姿を変えてあげて欲しいんだ。大丈夫、君の本質は何も変わらない。賢い君はどうすればいいかもうわかっているはずだ。セリアを守るための擬態。君を携えることで、セリアはより輝く。君とセリアはずっと一緒だ」
小さな子供を諭すように優しく告げて、ルヴァルティスの声なき声を聞くと、彼は頷く。
「ありがとうルヴァルティス。君の寛大さに感謝を」
リシュアンが礼を述べると、発光する聖杖ミナーヴァは白い梟へと姿を変えて、リシュアンの肩にとまる。
女神の化身にして杖の本性、ミナーヴァの顕現である。
「聖杖ミナーヴァよ、知恵を司りしその偉大なる力で聖剣ルヴァルティスに新たな祝福を与え給え」
リシュアンの祈り、願いに応えるように神使の梟は彼の頭上に飛び、羽ばたく。
梟に力が満ちて、後光が放たれる。
この神秘的な儀式にセリアは息を呑み、目を見張るばかりだ。
発光する梟の羽は聖剣へと降り注ぎ、羽に触れた剣はまるで水面のように波紋を描く。
羽が剣を覆い尽くす頃、聖剣は光りに溶け、セリアの腕からこぼれ落ちていった。
リシュアンとセリアを囲んでいたルーンの円環も収束する。
聖女の偉大な力はリシュアンの中に確かに継承されていた。
「ルヴァルティスはどこへ消えてしまったのでしょう」
「心配いらないよ。次に君がルヴァルティスを目にする時には、きっと今の君に相応しい姿に変容しているから」
確信的に微笑む彼の腕に白い梟は降り立つ。
「なかなかここへ来ることができなくてごめんよ、ミナーヴァ。まだ周囲の者に僕が聖女であることを知られるわけにはいかないからね」
梟は羽を繕いながら首を傾けてリシュアンを見る。
聖者であり、聖女でもあることが教会側……とくにヴァルシア家一門の耳に入れば、神の使いとして祭り上げられ、廃嫡の流れが強まることは火を見るよりも明らか。そうなれば今以上に俗世から切り離され生涯、教会内部での軟禁生活を余儀なくされる。
彼は聖人であるよりも、王家の王子の立場を選ばねばならない。外部の思惑に縛られて、再びセリアと引き離されるわけにはいかないのだ。
……公人としては失格だな。けれどそれが僕とアレアナのたったひとつの願い。
そして、僕とアレアナの懸念……セリアに這い寄る忌まわしき黒影。あれが存在する限り、僕たちに本当の安寧はない。
「ミナーヴァ様の清らかなお姿も懐かしく。またこうしてアレアナ様のお力を目にする日が来るなんて。感慨深いことでございます殿下」
セリアの感動混じりの言葉に、考え事をしていたリシュアンは顔をあげて頷く。
「……あぁ、そうだね。婚約者として、君の役に立ててよかった」
リシュアンは意識を別に飛ばして、悟る。
「そろそろ夜明けだね。今夜はこのあたりでお別れだ。……セリア、君に祝福あれ」
それではまた、とリシュアンの指がセリアの頬をそっとなぞる。
どきりとして唇を震わせた瞬間、リシュアンの腕にとまっていた梟が勢いよく飛び立つ。
羽ばたきに気押されて、反射的に目を閉じる。
同時に意識が覚醒し、セリアは寝室のベッドで目を覚ました。
「……殿下……!」
呼びかけて飛び起きる。
夜明けを迎えた部屋の中は朝日が差し込む。
見慣れたはずの部屋を見渡して、状況を探る。
「……さっき、確か、殿下と…………殿下と……あら?」
何を、していたのだったかしら……?
寸前までリシュアンの傍にいたような気がするのに、その感覚は秒を追うごとに抜け落ちていく。
「……殿下の夢を見ていたはずだわ」
曖昧になっていく夢の欠片にがっかりする。しっかり覚えていたいのに。
「私の記憶力は本当にアテにならないわ。……もう」
ため息を漏らしながらベッドからおりる。
アデルバルドが居室に設置してくれた剣飾りの棚の前を通り抜けるも、足が止まる。
「……?」
引っかかりを覚えてそのまま数歩後退り、ルヴァルティスがあるはずの剣飾りの棚を凝視する。
なんと、そこに聖剣の姿はそこになく、一本の傘がちょこんと引っかかっている。
「……ええ?!」
なんの冗談?!誰かのいたずら?!
セリアは慌てて傘を取り上げる。
まじまじと観察すると、剣の柄はルヴァルティスそのままだ。実用性より装飾性を重視した聖剣の柄は傘の持ち手になっても違和感はないのだが(ないのかしら?)。
いたずらにしては凝りすぎている。
「そんな。……ま、まさか……ルヴァルティス、なの?」
震えながら傘を開くと、蝶の羽のように美しい遊色効果が紋様を描いていた。
カーテンを開いて朝日にかざすと、剣身と同じようにキラキラと輝き、残光を放つ。
なんて繊細で美しいパラソル……!
「綺麗だわ。とても綺麗。……だけど、剣はどうなってしまったの?」
ここで意を決して柄を持つ手に力を込めて傘を振ると、瞬く間に聖剣へと姿を変える。そしてしばらくすると、剣は溶けてパラソルへと擬態した。
「……すごい!すごいわ、ルヴァルティス!」
形態変化が可能になるなんて……!
「そうか、ルヴァルティスは魔具でもあったのだわ。魔法が使えないから意識したことがなかったけど」
今更すぎる気づき。
セリアは感動してパラソルとなった聖剣をぎゅっと抱きしめる。
「……うん?そういえば。殿下はこの前、秘密の逢瀬とおっしゃっていた。この奇跡、殿下のお力なのではなくて?祈ってくださったのだわ、私がルヴァルティスを携えられるように……!」
おそらく、リシュアンの力によって夢の中で秘密の逢瀬を果たしたのだ。その結果がルヴァルティスの奇跡の変容(逢瀬を覚えていないのが悔やまれる)。
セリアはその場に膝をついてリシュアンに祈る。
「民を救い導くその偉大なるお力を私ごときのためにお使いくださましたこと、深謝いたしますリシュアン殿下。……生涯、殿下をお慕いいたします」
感情の昂りから思わず漏れてしまった愛の言葉に我に返ると、セリアは口をおさえた。
「私ったら何を言っているの?!は、はしたなくてよセリア!」
ルヴァルティスを抱えたまま、セリアは真っ赤になった顔を両手で覆う。
どさくさ紛れの告白が、リシュアンに伝わってなければよいのだが。
早朝から情緒が忙しないセリアだったが、聖剣がパラソルに擬態をするという非常識さ……いや、不可解さ……いや、器用さにアデルバルドは再び称賛し、ユリウスは閉口したのだった。
こうしてセリアはリシュアンの助けを受けて、聖剣の新たな姿を手に入れた。
極めて令嬢らしい矜持を高らかに体現する、パラソルという優雅な威風を。
連載スタートから三ヶ月が過ぎ、20エピソード目になりました(6万字突破)。
新連載スタートさせると、エピソードが少ない時って目次ページが寂しい状態なので、やっとそれっぽく(連載的に)見えてきた……かなぁ?
あとは読者さんが増えてくれたら嬉しいのですが……(なかなか難しい)。
聖剣が空間の概念を飛び越えてくるように、聖杖も同じ性質を持っています。
杖の異名はわたしも覚えられません。たぶん誰も覚えられません(笑)。
夢の中という扱いになっていますが、夢と現実の狭間。魂が引っ張られているので半分幽体離脱してるみたいな感じです(危ない)。
お話が6万字を突破したところで、やっとお嬢様の正規の得物が誕生しました。何がどうなって聖剣がパラソルになっているのかは謎です(現実世界の物理法則は適用されません。笑)。
次回からお嬢様たちの年齢がちょっと上がります。




