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伯爵令嬢セリア・エストレラの叛逆 〜前世勇者の令嬢は、前世聖女の王子との運命を切り開く〜  作者: 阪 美黎


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10/22

間奏曲(インタールード):The Creeping Darkness/這い寄る黒影

 リシュアンは長い間、深い水底にいた。

 そこは音も光りも遠くにゆらめく孤独と沈黙の世界。

 彼は天地を繋げる道管に過ぎず、予言を伝えるためだけの人形だった。

 自我がなかったわけではない。けれど肉体は精神に呼応せず、硬い殻を内側から叩いてみても、虚しく反響するばかりだった。

 自分の意思で声を発することも叶わず、魂の存在を証明することもならず、いつしか彼は自身の人生を諦めて、ただの傍観者となった。

 だが、運命が扉を叩いた。

 セリアが彼の前に現れたのだ。

 彼女と対面した瞬間、彼に沈黙を強いていた硬い殻がひび割れて剥落し、張り詰めた水が溢れ出て、沈黙の世界は崩壊した。

 そして隙間を埋めるようにして、盲た瞳に別人の人生が流れ込んでくる。

 聖女アレアナの生涯と遺恨、そして……愛。

 リシュアンの前世。

 リシュアンの魂は、アレアナの記憶と力とが溶け合い、この出会いの意味を知る。

 ずっと待っていた。僕とアレアナは、君とカレルレイスが現れるのを。


「あなたの手は民を救うためにあり、私の手はあなたを守るためにある」


 震える少女の声音が直接耳に届き、リシュアンもまた生まれ変わりを確信した。

 空虚な人形の夜は明け、リシュアンに魂が宿ったのだ。

 彼は静かに微笑み、言葉を発する。


「……あなたに祝福あれ」


 約束された恋。

 彼に生まれ落ちてきた感情は、再会の喜びだった。




 リシュアンが自我を得たことの影響は大きい。

 まずは仕える者たちに様々な種類の動揺をもたらした。

 その中で最も喜んだのは、国王と王妃、そして王政府に属する貴族たちだ。

 盲ているだけではなく、言葉も発することがなかった彼は早々に廃嫡が見込まれていたのだが、予言を語り出したことで廃嫡問題は棚上げとなった。そして教会や神官たちの助言により星見の塔を建て、彼をそこに封じた。

 国王には他に子はなく、リシュアンが唯一の嫡出。

 これに目をつけた聖職貴族の名門、ヴァルシア家が彼の後ろ盾を名乗り出る。

 将来的にリシュアンと娘のレオノーラを(めあわ)せ、王家の外戚となる目算だ。

 自我のない聖人のリシュアンを体よく政から遠ざけ、エルセリオ王国を実質的に統治するための。


 エルセリオ王国は、王政府、教会、議会と3つの政治的勢力が存在する。

 リシュアンに自我がなく、王政府を御せないとあらば権力の均衡は崩れ、外戚となる教会勢力の筆頭ヴァルシア家の専横は想像に難くない。故に国王と王政府は、まさしく神の采配とばかりに人間性を発露させたリシュアンに安堵し、歓喜をもってこの事実を迎えた。

 そして彼が自分の意志によって、王政府派のエストレラ伯爵家の娘を婚約者に選び、ヴァルシア家との婚姻を放棄したことにも。




 ※




 季節の花々が咲く庭を、幼い少女がぴょんぴょんと跳ねている。

 ゆるく波打つ銀の髪とリボン、そしてふわふわのドレスの裾を揺らして笑いながら。

 少女は足を止めて庭師に話しかけ、庭の花を切り分けてもらう。

 それを手にして上機嫌にまた駆ける。

 使用人に呼ばれるがままに、木陰で小さなピクニックと洒落込み、お菓子を美味しそうに頬張る。

 メイドのひとりが彼女の手にしていた花で花冠を作り手渡すと、少女は得意げに頭に乗せて見せる。

 その光景を少し離れたところからリシュアンは眺め、可愛らしさに笑みがこぼれた。

 夢の世界は、彼に光りをもたらす。

 アレアナの記憶と力に目覚めてから、より鮮明にこれらを感じることができるようになった。


 ……ああ、これはセリアの夢だ。

 彼女がまだ、前世の記憶を取り戻す前の……。


 年相応の無邪気さと、繰り返される幸福な日々を垣間見て、リシュアンはそっと瞳を伏せた。

 もう還ることのない彼女の優しい時間。

 ただの伯爵令嬢として在ったかもしれない可能性やささやかな幸福を奪うようにして、カレルレイスの記憶は10歳の彼女を大人にしてしまった。

 出会わなければよかったか。

 選ばなければよかったか。

 全てをなかったことにして、人形のまま聖者として永久に深い水底の世界で生きていれば、セリアはセリアの幸福を得られたのだろうか。……わからない。

 リシュアンが自我を持ち、セリアを婚約者としたことで、これから政争が起こるだろう。

「けれど僕は一歩を踏み出してしまった。君は僕のわがままを受け入れてくれたけれど……ごめんよセリア」

 不憫に感じて呟くと、セリアのそばに広がる木陰が濃さを増す。

 それは、地中から盛り上がってぼんやりとしたモヤとなり、次第に濃い影となって人の形をとる。長い外套を引きずるようにして立つ、大柄な人間の姿に似ていた。

 不穏な影にセリアは気づかない。……いや、見えていないのだ。

 黒い影はその場に立ち尽くし、彼女をじっと見下ろしている。

「……あれは、なんだ……?なぜセリアを見ている?」

 リシュアンはその影に根源的な嫌悪を覚えた。……その感覚には記憶がある。

 自分ではない自分、アレアナの。

 それを自覚した瞬間、彼の中からもうひとつの『意志』が出現した。

「その者の安寧を揺るがすことなど、わたくしが許さない!ただちに退け、這い寄る闇!忌むべき厄災よ!」

 神に仕える巫女装束を纏った女性が、強い拒絶の言葉を黒い影に投げかけると、それは瞬時に霧散する。

 だがその影は一瞬こちらを捉え、ニヤリと笑った気がした。

 リシュアンはゾッとする。

 あれが何か、潜在的に知っている。

 アレアナが覚えている。そう……あれは……『因果』。

「気を散らさないで」

 声をかけられ、はっとしてリシュアンは彼の隣に立つ女性を見上げた。

 その姿は生前のアレアナであり、聖女として最も力を有していたころの彼女だった。

「あれをカレルレイスに……あの子に近づけては駄目。守って、わたくしたちの大切な人を」

 そうリシュアンに告げると、アレアナの姿は煙のように揺らめいて消える。

 聖者の見る夢だからこそなせる邂逅だった。


 うっすら薫衣草の香りのする寝室でリシュアンは目を覚ます。

 ゆっくりと寝具から起き上がって、顔にかかる髪をかきあげる。

 セリアの夢を見た。

 可愛らしい彼女の思い出を。

 そして。彼女を見下ろす黒い影と、前世の自分の魂。

 アレアナはあれが何かを知っている。そして自分もまた、認識した。

 英雄は死して伝説となり、神となる。

 だが、真実は……。

「…………セリア……」

 君はまだあの存在に気づいていない。……気づかせてはいけない。

『守って、わたくしたちの大切な人を』

 アレアナの言葉にリシュアンは頷く。

「ええ、……必ず」

 遠ざけねば、あの這い寄る黒影を。

 セリアを守る護符がいる。

 アレアナがカレルレイスに渡した、聖なる祈りと愛の証。

 この身がどれほど離れていても、彼女を守れるように。

 あれが、必要だ。



 (了)

「再会と約束のエチュード」と「聖剣の行方アジタート」の中間時間枠になります。

本編では実にさらっと護符を手渡していますが、こういう背景が彼の側にはあった。という裏側のお話。

今後、本編の内容を補完する目的に限り、間奏曲インタールードという形でご提供するつもりでおります。

(本編補完ではない場合は、そのまま「番外編」表記になります)

※『了』の文字が出てますが、一種の読切だからです。


なんだか不穏ですが、大丈夫です。わたしの書くお話は大体不穏です(通常運転)。

次回は新展開スタート、9月3日(水)更新を予定しています(難しそうなら5日になります)。

固定曜日更新にしていきたいところなのですが、まだちょっと様子見ということででで……。

引き続きよろしくお願いします。

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