二十二世紀幼稚園
げんこつやまのたぬきさん
おっぱいのんで ねんねして……
「あなたが新任の先生ね?」
「はい。よろしくお願いします」
「そんなにこわばらないでいいわ。えっと、近喰……」
「近喰ボグョ子です」
「そうそう、ボグョ子さん。わたしは兎野ポヨよ。これからよろしくね」
「はい。よろしくお願いします」
ボグョ子は一礼した
そのまま園内へ案内される
念願の幼免一種を取得したものの正規雇用では入れず
『旧的知能者雇用制度』なるものになんとか食い込んだ形だ
ここは2169年の○○
おっと失礼
国の名前に規制が入ったようだ
こういうこともままある、この国では
まったく蟹工船のときから変わってないよこの国は
ボグョ子は子葉組の部屋に入った
『子葉組』というのはいわば年少の組で
年中、年長で『花芽組』『結実組』と続く
ここアネモネ幼稚園の分類形式だった
「げんこつやまのたぬきさん〜、おっぱいのんで、ねんねして……」
「せんせーそこ違うよ」
「おっぱいなんて低俗な用語つかうなよ」
「そうだそうだ! 僕ら3歳児にその直截的な表現は適切と言えるのかな?」
「必然性を問いたい」
「エビデンスは?」
「せめて『乳房』か、いっても『バスト』だろう」
「表現を変えるという手立てもあるな」
「雌性の象徴!」
「乳頭葉の包括した双丘!」
「真獣下綱の証明!」
「ごめんね。先生が悪かったわ」
「「「わかってもらえたらいい」」」
「……」
ボグョ子は閉口した
田舎暮らしの彼女にとって都会の児童というのがどのようなものか
教科書や講義でしか知るところがなかったが
想像以上だった
想像以下だった
その部屋に繰り広げられたディスカッション風景は
「あなたの担当はこのクラスよ」
「え」
「最初は補助でいいわ。まあ見て勝手に学習してちょうだい」
「え」
「みんなー新しい先生を紹介しまーす」
「「「新しいせんせい?」」」
ギロッ
幼児たちの視線がこちらへ
しかしその目は好奇心と探求心に満ち満ちて
いなかった
品定めする目だ
自分は値踏まれている
ボグョ子は膝から震え上がった
「近喰……えっと」
「ぼ、ボグョ子です」
「だそうです。みんな仲良くしましょうね」
「チカグイ・エット・ボ・ボグョコせんせ?」
「ボグョ子です」
「変な名前ー」
「それって二十年前に流行した命名様式だよね?」
「ポヨせんせーと一緒だ。としまだ」
「誰が年増だクソガキ」
「あーいけないんだーポヨせんせ」
「そうだそうだ! 僕ら幼児に手を出したら国が黙ってないんだぞ」
「今やこの国では子どもは貴重な人材ですからな」
「少子高齢化もここまできたもんだ」
「「「ねー!」」」
互いに顔を見合わせる児童ども
お歌の先生はグロッキーでピアノに突っ伏している
ボグョ子は父から付けられた自分の名前をそこそこ誇りに思っていた
二十年前に流行った命名様式とは
一時期のキラキラネーム同様
もっとも、その期間にはその名前群が『常識』だったのだが
時代はえてして急流だ
当時はエコー検査がすこぶる進化した年で
子宮内の様子は360°フルカラーで拝める
当然ポンポンもしもしも発達していたわけだ
中で胎児が出した音も明確に聴こえる
ボグョ子は『ボグョッ』と鳴ったからボグョ子
ポヨは『ポヨン』と聴こえたからポヨ
こんな具合だ
「鬼ごっこしましょ、笑うと負けよ」
「あっぷっぷ」
「ごめんどういう遊びかわからないわ」
「ボグョ子無能だな」
「つまんねえ女だ」
「3歳児もろくに満足させらんねえのかよ」
「貧乳」
「……」
担当に入ってから一週間
すでに死相を帯びていたボグョ子
こいつらの相手は疲れる
クソガキどもが
でもそれを言ったら政府に通告が行って
首チョンパ
または無期懲役
それに準ずる罪科を言い渡される
そういう国なのだ
もはや子どもはダイヤモンドより高級
ジイチャンバアチャンがエッサホイサしてようやく産まれた天からの申し子
ますます横暴になってくる幼児たちを尻目に
お歌の先生は鬱休暇をもらった
たぶん二度と職場復帰しない
ボグョ子はため息をついた
ボグョ子はBカップだった
「あんたもう来なくていいわ」
「え」
「え、じゃないわよ、え、じゃ。子どもたちまともに扱えんでどうするの」
「わたしの仕事は」
「元々仕事してないでしょ。翻弄されてただけでしょ」
「クビですか」
「なりたい?」
「なりたくありません」
ガキどもは生意気で仕方ないが
幼稚園教諭は子どもの頃からなりたかった夢であり
簡単には捨てきれない、手放せない
やはり自分の心は子どもが好きだった
「じゃあこっちに来るのね」
「はい」
「ここよ。ここがあなたの新しい職場」
「……赤子?」
「そ、赤ちゃん。さっきのより幼いから応対できるでしょ」
その理屈はどうなのだろう
しかし余計な口答えしない分マシなのか
案内されたのは『種子組』
まだ一歳か二歳か、ゼロ歳児か
そんなバブバブベイビのお花畑だった
アネモネ幼稚園に併設された託児所で
学校教育法も児童福祉法もチョメチョメも
この時節柄
子どもが安全に一括管理できれば
もうなんでもよかった
ガキンチョにお手上げしていたのは
庶民も政府も同様
みんなてんてこ舞いなのである
「ウェルニッケ野は〜?」
「だあー」
「ブローカ野は〜?」
「だあー」
「よくできましたーパチパチパチー」
「あっ、あっ、だぶだぶ」
「えへへえ」
保育者に従って乳児は
脳のマッピングが描かれた解剖学アトラスの
対象部位をピタリ
ふくふくした小さな指で一ミリも違わず命中させた
ここも異常だ
泣いてる赤子がとんといない
すべてが能力開発に勤しんでいた
この時代英才教育がいよいよ人類学の有終の美を飾りかけていて
人間の脳みそはなんというか
どちゃくそ開発されまくっていた
胎児は妊娠六ヶ月グリア細胞産生期より
超音波教育を受けるものが過半数
ここ数年でその技術は加速した
二十年前などとうに古代で
ボグョ子は少数派だった
胎児教育を受けずに、かといって乳児教育も幼児教育さえも
一世紀ほど前の古典的な義務教育期間である部分だけ
よって彼女のような知能が平均水準を上回っていないとされる個人は
『旧的知能者』と社会的に定義され
旧時代のIQ換算で例えるならば
ボグョ子は120
さきほどの3歳児は600
この乳児たちは300
そんな感じなのだ
「IQとか相対的なものだよねワロタンバリンシャカシャカ」
「そんなのでしか知能を測る手段が思いつかないんだボグョ子せんせー」
「カッスやな」
「IQ300ないとか小学生でも許されないよねー」
「キャハハハ!」
ああチクショウ
またあいつらのことを思い出してしまった
わたしは子どもの純粋なところだけを見ていたい
それさえも大人のエゴだというのか?
性善説だというのか?
「エッ、エッ、エッ、エッ」
「あらあらよーしよし」
「ウエエエエエエエエエエンン!」
「ちょ、泣いちゃいましたよ。抱いてあげなくていいんですか」
「?」
「お腹が空いてるのかも。眠いのかな? とにかく抱いてあげなくちゃ」
「?」
ボグョ子が慌てふためいても
なお首を傾げる同僚
都会人とはこういうものなのか?
いかんせんものっそい田舎で育った自分にはわからんでね
「ペレットあげれば大丈夫よ」
「ペレット?」
「ほおらもう泣かないわ」
「……!」
ボグョ子はギョッとしてその光景を
大口開けて泣き喚く嬰児のその口に
ヒョイとほんの小さな粒状のそれを与えただけで
ピシャリ
穏やかな面持ちとなった赤子は泣き止んだ
そのままぐっすりと安寧の睡眠に至った
「なんですかそれ」
「ペレットよ。知らないの?」
「なんのペレットですか。ハムスターですか、ウサギですか」
「人間のよ」
「ニンゲンの……?」
「愛情ペレットよ」
愛情ペレット
今や世界に流通する一大文明利器
子育てにこれがなくっちゃ始まらない
みんなのペレット
愛情ペレット
テレビコマーシャルで人気女優がそうテーマソングを口ずさむ
両親の時代錯誤ともいえよう昔気質な方針で
あらゆるネットワークを排除されていたボグョ子
彼女は母乳で育った
母乳で育てる方法は乳首が鍋蓋になるので
五十年前にはその文化が廃れていた
母乳で育てる女性は脇毛スネ毛ボーボーくらい異様とされていた
「愛情ペレット」
「新生児、乳幼児に必要不可欠な栄養素をギュギュっと詰め込んだ画期的栄養食」
「子どもたちにはこれさえ与えとけばいいのよ」
それはもう『栄養食』じゃなくて『サプリメント』では?
ボグョ子は喉でグッと押し留め、飲み込んだ
ここでは自分が異端者なのだと
愛想よい笑顔で頷く裏側に
そう確信を
口角が痛い
「なんで赤ちゃんは大人しくなったんですか」
「当たり前のことを訊くのね」
「ちょっと知りたくて」
「オキシトシンも成長ホルモンの正常分泌諸々もこれ一粒でOKなのよ」
「はあ」
「だから『愛情』ペレット。わたしたち人間には個人差があるわ。その個人差によって、被虐待児を生むのは悲しいことよ」
「はい」
「神様は平等じゃないわ。でも愛情ペレットは平等。子どもたちに健やかで安心できる日々を約束するの」
「それは赤ちゃんたちにスキンシップをしないということですか」
「する必要ないじゃない?」
保育士は笑った
その地獄か天国かもわからない固形物が
精神安定剤の役割も果たしているとは
ボグョ子はにわかに信じられなかった
赤ん坊たちは褥瘡ができない程度に何時間かおきに転がされて
見ていられない
そのあどけなき表情さえも
ずっと穏やかなままなんて
幸福そうな、天使のような
わたしが望んでいた世界
わたしの好きだった子どもたちの笑顔
人工的に作り出されている
こんなのは
こんなのって……
「せんせー泣いてるの?」
「泣いてないわ」
「ボグョ子せんせー」
「なに」
「せんせーは僕と一緒?」
「……?」
「せんせーも『きゅーてきちのうしゃ』なんでしょ?」
「あ……」
その少年は5歳
なぜ年長の彼がこんな新生児室にいるのかというと
彼が『旧的知能者』と申請されたから
彼は胎教を受けていなかった
この時代でこれはアウトだ
乳児教育と幼児教育を施されたが
ウェルニッケ野もブローカ野も
指すことができなかった
「先生はね、こことは遠いとこに生まれたのよ」
「遠いとこ? ケンちゃんちより遠い?」
「ケンちゃん? の家がどこかはわからないけど……うん、たぶんそうね。遠いわ」
「ケンちゃんはこれだよ」
彼が差し出してきたのは絵本
絵本を読む幼児がまだこの世界にいたなんて
3歳児クラスでも絵本の読み聞かせをしようとしたら
フィクションを吹聴する妥当性云々にまた話が発展して
そもそも愛情ペレットで絵本なぞ読まなくても情緒は健常に発達するし
文字の読み書きは乳児教育の時点で
母国語含め世界のあらゆる公用言語を
大体の児童が取得している
絵本を子どもと一緒に読めるなんて
これぞまさしくわたしがやりたかった仕事
わたしが幼免を死に物狂いの勉強の末に取った理由
幼稚園教諭免許はもはやこの時代
二十一世紀のT大より難関だった
一般人にとってはそれほどでもなかったが
「このクマさんがケンちゃんなのね」
「うん。ケンちゃん」
「いいお友達をもったわね」
「……うん!」
快活に笑った少年の
しかし目尻には涙が
彼もまた孤独だったのだろう
この世界はわたしたちのような者にとっては生きづらい
どうしてこうなってしまったのか
人々は仮初めの愛でつながっている
擬似的な愛で
模倣された絆で
知性信仰も甚だしい
賢いことがそんなにえらいのか
なんでも知ってることが
なんでもできることが
ボグョ子は一つだけ感謝していたことがあった
内心の自由
それだけは守られていることを
この思想が流出したら
即刻死刑だろう
「げんこつやまのたぬきさん。おっぱいのんで、ねんねして」
「せんせー」
「なあに」
「……せんせー」
「ふふっ、何よ?」
彼はわたしに抱かれることを欲した
誰もそれをしてくれる大人がいないのだろう
彼はわたしの膝に乗って、コアラかお猿さんみたいにぎゅっと抱きつくと
わたしの心臓の音を聞いていた
わたしは幸せだった
「もうわたしの息子に近づかないでください」
「え」
「え、じゃないわよ、え、じゃ。なんなのあなた? 聞いたわよ。息子を抱っこしていたそうじゃない」
「申し訳ございません、新人教育が行き届いておりませんでした」
「園長先生」
「この職員にはこちらから十分に反省させます」
「もういいわ。わたしはこの幼稚園と解約します」
「……申し訳ございませんでした」
「まったく、最近の情操教育はどうなってんのかしら。行きましょ、カーくん」
親は激怒の呟きを漏らし続け
グイグイと引っ張る手は少年の手首を強く掴み
子どもを産んだ親はあらゆる教育機関を無償で提供される
それ以外にそれほどメリットはないが
保育所というのは半ばそこらのサービス業より手厳しい
これで一つの莫大な資金源を失った
「あんた何やらかしてんのよ」
「すみません」
「出てけよ」
「すみません」
「何ボーっと突っ立ってんだ無能。さっさとこの職場から出てけ」
退職金はそれなりに出た
扱い的には冒頭のお歌の先生と一緒
辞表を書かされてはい解雇
円満な示談とでもいうような
どうでもいい
わたしは間違ったことをしていたか?
子どもを抱きしめることはこの世界では異様なのだと
性犯罪に近いスタンスで
愛情ペレットがあれば子どもとの接触は不要
愛情ペレットがあればすべての愛情は補える
下手に人間が手を出せば、その高い不確定要素から悪質な事態に陥る可能性が
子どもが不幸になるくらいなら
子どもの精神が歪められて将来犯罪者になるくらいなら
自死する可能性も含まれるならば
確実に正常な愛情を伝播できるペレットオンリーで育てれば
なんの問題もない
「なんだよそれ」
愛情ペレットさえあれば
子どもは幸せになれる
大人たちが不適切な応対をしないように
平等な愛を注ぐ人類の新しい
画期的な
素晴らしい
システム
「ただ腫れ物扱いしてるだけじゃねえか」
「子どもが怖いんだろ?」
「自分が信じられないんだろ?」
「人を愛することに……怯えているだけだろ?」
愛情ペレットは人間の心を正常にさせる
赤ん坊を泣き止ませるには愛情ペレット
子どもたちの笑顔と健康を作るのは愛情ペレット
「ちげえだろ」
「赤ちゃんを泣き止ませんのは温もりだ」
「敏感に察知する心だ」
「目を合わせて」
「その子の気持ちを」
愛情ペレット愛情ペレット愛情ペレット愛情ペレット愛情ペレット愛情ペレット愛情ペレット愛情ペレット愛情ペレット愛情ペレット愛情ペレット愛情ペレット愛情ペレット
「愛情なんか嘘だ」
「伝えるには、行動しかない」
ボグョ子は町に出た
文明の発展した交差点で
ガチャガチャと人の音渦巻くボーダーラインに
雑踏の中、両腕は天を仰ぐ
雨乞いのように
叫び続けた
「誰かあたしを孕ませろ!」
「あたしは処女だ。存分に犯せ!」
「あたしに証明させてくれ!」
「このチ○カスども。あたしに種付けしやがれ!」
「あたしが、愛を……あたしの子どもに、世界を!」