序章
**ジジジ……**
**ジジジジ……**
**ジジジジジジ……**
うるさい。暑い。動けない。
私は畳の上に伸び切ったまま、扇風機の風を全身で受けながら、ただひたすらに呼吸していた。
**「……あつ……」**
となりには妹の楓が、私と同じくぐったりしている。
まるで干物。いや、**もはや化石と化した姉妹の図**だった。
「……お姉ちゃん、死んだ?」
「……ああ、もうダメだ。文明の利器、冷房が欲しい……」
「じいちゃんち、エアコンないもんね……」
「昭和の家って、なんでこんなに暑いんだろ……」
「風鈴の音で涼しくなれってことじゃない?」
「音じゃ涼しくなれねえ……!」
この暑さのせいで、会話のテンポまで死んでいた。
「燈花、お前ら、そんなにだらけとるなら、すいかでも食うか?」
その瞬間、私の意識は覚醒した。
**「食う!!!」**
私は勢いよく起き上がり、干物から人間へと進化を遂げた。
いや、**すいかというエネルギーを摂取しないと生きていけない生命体**になった。
「じいちゃん、神か?」
「神というより、ただのすいか好きの爺さんじゃ」
「じいちゃん、好き!」
「愛の告白のハードル低すぎんか?」
祖父は苦笑しながら、冷えたすいかを差し出した。
私と楓は、むさぼるようにすいかを頬張る。
「ふぁー、生き返る……じいちゃん、やっぱ天才だよ……」
「燈花、さっきから同じことばっか言っとるな」
冷たいすいかを味わいながら、私はようやく脳を働かせ始めた。
この祖父の家は、私たち姉妹にとって第二の実家のようなものだった。
小さい頃から遊びに来ていたし、今でも長期休みになればこうして訪れる。
畳の香り。風鈴の音。蚊取り線香の煙。
すべてが、懐かしくて、心が落ち着く。
**ここは、絶対に安全な場所だった――はずだった。**
---
すいかを食べ終えたあと、私はふと床の間を見た。
そこには、妙なものが鎮座していた。
**黒く、尖った、不気味な石。**
「じいちゃん、また変な石飾ってるね」
私は目を細めてそれを見つめた。
なんというか、形が鋭すぎる。
まるで誰かが意図的に削り出したような、異様な雰囲気があった。
「変な石とは何じゃ。これは大切なものなんじゃぞ」
祖父は笑って言うが、その目にはほんの少し影が差している気がした。
「……なんか、危なっかしくない?」
「うん、刃物みたいな感じ」
「まるで武器だな」
「お前ら、そんなこと言うな」
祖父が苦笑しながら、石の前に座る。
「これはな、昔、古い知り合いから預かったものなんじゃ」
「へえ……」
私は興味本位で手を伸ばそうとするが、祖父がそっとその手を押し戻した。
**「触ってはならん」**
その一言には、さっきまでの穏やかさとは違う、どこか張り詰めた響きがあった。
私は思わず手を引っ込める。
「……じいちゃん?」
「燈花、お前にはまだわからんかもしれんが……これは、ただの石ではない」
祖父の表情が、ほんの少し険しくなった。
その目の奥には、深い哀愁が漂っているように見えた。
そのとき――。
---
**ガラッ!**
玄関の引き戸が、乱暴に開け放たれる音が響いた。
「探せ! あの石を持ち帰るぞ!」
低く、荒々しい声。
突然の事態に、私は息をのむ。
「燈花、楓、奥の部屋に行きなさい!」
祖父の声が、これまでに聞いたことがないほど鋭く響いた。
「え……?」
私は、状況が呑み込めず、ただ祖父の表情を見つめる。
だが、祖父の目は真剣だった。
「早く!」
そして、男たちが室内に踏み込んだ。
彼らの視線は、祖父の背後――**あの石**に向けられていた。
「悪いが、この石は渡せん」
祖父の声には、微塵の迷いもなかった。
しかし、男たちは構わず祖父に掴みかかる。
「じいちゃん!!」
私は、祖父を助けようと駆け寄る。
だが――。
「どけ!」
突き飛ばされる。
背中が石に打ち付けられた瞬間――。
視界が赤く染まった。
私は、**自分の左腕が、肘から先を失い、床に転がっている**のを見た。
**「――燈花姉ちゃん!!」**
楓の叫びが、遠く聞こえた。
その瞬間――。
何かが、私の中で弾けた。