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冷酒を通すということ その1

作者: よしお




定食屋にて











  (`・ω・´)

/     \       (・ω・)(・ω・)

  /  \







 (`・ω・´)

/     \       (・ω・)(・ω・)

  /  \        冷酒

              飲もうかな






  (`・ω・´)

/     \       (・ω・ )(・ω・ )

  /  \         すいません








               冷酒を

  (`・ω・´)        いただけますか?

/     \       (・ω・ )(・ω・ )        

  /  \


いやですっっっ!!!

  


      





        ひゅうっ  …






     ……






        ……






  (`・ω・´)

/     \       (・ω・ )(・ω・ )

  /  \ 








  (`・ω・´)

/     \       (・ω・ )(・ω・ )

  /  \ 






        



  (`・ω・´)

/     \       (・ω・ )(・ω・ )

  /  \ 










  (`・ω・´)

/     \       (・ω・ )(・ω・ )

  /  \











  (`・ω・´)

/     \       (´・ω・`)(´・ω・`)

  /  \ 










  (`・ω・´)

/     \       (´・ω・`)(´・ω・`)

  /  \








  (`・ω・´)

/     \       (´・ω・`)(´・ω・`)

  /  \










  (`・ω・´)

/     \       ( ´・ω・)(´・ω・`)

  /  \











  (`・ω・´)

/     \       ( ´・ω・)(´・ω・`)

  /  \        いやだって









 (`・ω・´)

/     \       ( ´・ω・)(´・ω・`)

  /  \        どうしよう?









               

 (`・ω・´)

/     \       ( ´・ω・)(´・ω・`)

  /  \           熱燗にすれば?

                  冬なんだし








 (`・ω・´)

/     \       (;・ω・´)(´・ω・`)

  /  \         僕は冷酒が

              飲みたいんだよ!









  (`・ω・´)

/     \       (;・ω・´)(´・ω・`)

  /  \              ……

                   もう一度

                 頼んでみたら?







  (`・ω・´)

/     \       (;・ω・)(´・ω・`)

  /  \










  (`・ω・´)

/     \       (・ω・;)(´・ω・`)

  /  \















  (`・ω・´)

/     \       (・ω・;)(´・ω・`)

  /  \        すいません


   ギロッ!








  (`・ω・´)

/     \       (・ω・;)(・ω・;)

  /  \








  (`・ω・´)

/     \       (・ω・;)(・ω・;)

  /  \









 (`・ω・´)

/     \       (・ω・;)(・ω・;)

  /  \












  (`・ω・´)

/     \       (´・ω・;)(・ω・;)

  /  \








  (`・ω・´)

/     \       (´・ω・;)(・ω・;)

  /  \



 






  (`・ω・´)

/     \       (´・ω・;)(・ω・;)

  /  \









  (`・ω・´)

/     \       (´・ω・;)(・ω・;)

  /  \         あの…








  (`・ω・´)

/     \       (´・ω・;)(・ω・;)

  /  \        熱燗を

              ください…








  (`・ω・´)

/     \       (´・ω・;)(・ω・;)

  /  \











  (`・ω・´)

/     \       (´・ω・;)(・ω・;)

  /  \









  (`・ω・´)

/     \       (´・ω・;)(・ω・;)

  /  \







  えっ?

  ラムネ

 ですかい?

  ( ・ω・)

/     \       (´・ω・;)(・ω・;)

  /  \







  ( ・ω・)

/     \     !?(・ω・;)!(・ω・;)

  /  \









  (`・ω・´)

/     \       (・ω・;)(・ω・;)

  /  \









  (`・ω・´)

/     \       (・ω・;)(・ω・;)

  /  \








  (`・ω・´)

/     \       (・ω・;)(・ω・;)

  /  \











  (`・ω・´)

/     \       (・ω・;)(・ω・;)

  /  \









               は

  (`・ω・´)         はい…

/     \      (´・ω・;)!(・ω・;)

  /  \







 

くるっ!

  (・ω・´ )

/     \       (´・ω・;)(・ω・;)

  /  \









ω・´ )

   >          (´・ω・;)(・ω・;)

  \






              (´・ω・;)(・ω・;)








              (´・ω・;)(・ω・;)




               


              (´・ω・;)(・ω・;)


              






                 どうするの?

              (´・ω・;)(・ω・;)







              ラムネきちゃうわよ

              (´・ω・;)(・ω・;)














              (;´・ω・)(・ω・`)










 (`・ω・´)

く     /       (;´・ω・)(・ω・`)

  /  \

 



    





        (`・ω・´)

      /     \ (;´・ω・)(・ω・`)

        /  \










      (`・ω・´)ドンっ!

    /      Δ ((;・ω・))((・ω・;))

      /  \ ↑

          ラムネ









  (`・ω・´)

/     \     Δ (;・ω・)(・ω・;)

  /  \







     

  (`・ω・´)

/     \     Δ (;・ω・)(・ω・;)

  /  \








 (`・ω・´)

/     \     Δ (;・ω・)(・ω・;)

  /  \





 





  (`・ω・´)

/     \        (;・ω・)Δ(・ω・;)

  /  \








 (`・ω・´)          あっ

/     \        ( ・ω・)Δ(・ω・ )

  /  \







  (`・ω・´)          ビー玉だ

/     \        ( ・ω・)Δ(・ω・ )

  /  \               ほんと









 (`・ω・´)            カポッ

/     \        ( ・ω・)Δ(・ω・ )

  /  \








  (`・ω・´)            シュワー

/     \        ( ・ω・)Δ(・ω・ )

  /  \









  (`・ω・´)

/     \        ( ・ω・)Δ(・ω・ )

  /  \









  (`・ω・´)         懐かしいねぇ

/     \        ( ・ω・)Δ(・ω・ )

  /  \               ほんと






             まだあったんだね

  (`・ω・´)         こういうの               

/     \        ( ・ω・)Δ(・ω・ )

  /  \         お祭りぐらいでしか

                   見ないわね







               珠子さん

 (`・ω・´)          ぼかぁね

/     \        ( ・ω・)Δ(・ω・ )

  /  \






              子供のころ

              このビー玉がずいぶん

  (`・ω・´)         ほしくてねえ        

/     \        ( ・ω・)Δ(・ω・ )

  /  \










  (`・ω・´) 

/     \        ( ・ω・)Δ(・ω・ )

  /  \
















ぼかぁね珠子さん。

子どものころ、学校帰りによく駄菓子屋によってね、このラムネを買って飲んだもんだよ。

でもラムネを置いてある店は帰り道に一軒しかなくてね、それも家に向かう経路からはだいぶん外れたところにある店だったんだ。だから僕はたまにひとりで帰るときなんかによくそこまで足を伸ばしてね、そうしてこのラムネを飲んでいたってわけさ。









  (`・ω・´) 

/     \        ( ・ω・)Δ(・ω・ )

  /  \








そこの駄菓子屋のおやじは今の僕らと同じくらい、たぶん四十才くらいかな、角刈り頭のずいぶん愛想のないやつでね、いつも障子の向こうの狭い畳の部屋の中で炬燵の天板の上に片肘をついてあごを支え、テレビを見るか競馬だか何だかのラジオを聞いていたもんさ。炬燵の上には、競馬新聞がいつも、載っていたように思う。

それでそのおやじのやつなんだけどね、彼は僕が店に入って行ってもね、あいつ、こっちを見さえ、しやがらないんだ。そしてそんな僕の方はというとね、珠子さん、なんだか、そんな彼に対して気おくれみたいなものを感じていたもんだから、自然店の中に入ってゆくときにはさ、上目遣いに様子をうかがいながらおそるおそるという感じで、まったくそんな感じで、そしてこんにちはという挨拶の声にしても、ぼそっとささやくような、小さなものになっていたんだ。

するとそんな僕の挨拶に対してだね、珠子さん、彼はだね、数秒ほどしてから、首をほんの軽く揺らしたり、天板の上に置いた手の人差し指でこつこつこつとその面を軽く叩いたり、そんなふうにした。そうする間にも彼は決してテレビの方に向いている顔も体も決して動かそうとはしなかった。いや、たまあに、顔をこっちに向けることもあるにはあったよ。しかしそれは向けたというにはあまりに「ささやか」過ぎるものだったんだ。それは僕がいる方にほんの数センチ、あるいは数ミリだったのかもしれない、首を捩じるだけのものだったんだ。もちろん僕の顔があるところまでその首が捩じられることは決してない。そしてそうしたあと、彼の中の僕に対する「嫌悪」や「敵意」が、彼の中の僕のためにしっかり保存しておかれたその「嫌悪」や「敵意」が、解凍されて、彼の中に広がってゆくのがわかった。彼はときどきそんな時、ちいさく舌打ちをすることさえあった。しかしそれは思わず出てしまったというふうなもので、本人もいささかばつの悪さをほんの少しではあるだろうけど感じてはいるらしく、そんな時には前のめりになっていた姿勢を後ろにやって口を曲げすこし身じろぎをしたりするのだった。しかしそれにしてもなんで、僕がそんなおやじのいる駄菓子屋にときおりとはいえわざわざ帰り道のルートから外れてまでせっせと通うようなことをしていたのか、君は不思議に思うかもしれない、だけどそれについてはさっき言ったとおりだよ、それは僕があのラムネを、ときどきどうしても飲みたくなったからなんだ。いや、ちがう、ふふ… ラムネが飲みたかったわけじゃないよね。ラムネの代わりだったら、サイダーなんかで、十分だからね。「飲む」というだけだったら、なにもわざわざあんないけ好かないおやじのいる店に、なんだか身の置き所がないような気持ちにさせられながら、まして遠回りまでしていく理由は、まったくなかったと言っていいだろうね。つまり僕はラムネを飲むためにわざわざあの店に通っていたわけじゃない。僕があの店に通っていたのは、ラムネの瓶の中の、あのビー玉に、会いに行くためだったんだ。











 (`・ω・´) 

/     \        ( ・ω・)Δ(・ω・ )

  /  \












あの、深緑の、苔のような色をした、なんだかどことなく日常世界からすこしずれた場所にあるような、なんだかそれをじっと見ていると、三十年四十年ほども前の世界に、すとんと体が落ちてゆくような、そんな気持ちになる、なんだかそんなふうな気持ちにさせられる、なんとも奇妙な色合いをしたあの瓶、そんな瓶によって守られている、そんな瓶によって固く閉ざされた中にある、まん丸な、お月さまみたいにまん丸な、瓶と同じような色合いだけどそれより少し薄い色で、もっとなんともどこか白く透きとおっているようなあの、ビー玉、僕はあのビー玉にときおり無性に会いたくなって、せっせと、その店に、通っていたというわけさ。








  (`・ω・´) 

/     \        ( ・ω・)Δ(・ω・ )

  /  \















この、今目の前にある瓶とビー玉は、ほとんど無色だけど、僕が会いに行っていたあのラムネは、今言ったとおりの色合いをしていた。といってもまあ、あのビー玉はほんとなんてことのないただの簡素なビー玉だったよ。僕は当時ビー玉をたくさん持っていて、色んな模様のきれいなものがたくさんあった。そんなんにも比べてみても、あのビー玉はやはり今思い出してみると、じつになんの変哲もない、シンプルな一番オーソドックスな、面白みのないビー玉だったと思うよ。そうさ。あのビー玉は、そんなだった。でも、僕にとってそのビー玉は、特別な意味を持っていた。いったい、それはなぜなんだろうか。それはやはりおそらく、あのビー玉が、「守られていたから」だと思う。あの奇妙な色合いをした瓶によって、その内側に、しっかりと、収められ、がっちりと、守られていたんだ。それだけに、僕にはそれがとても貴重なものに思えた。他の文房具屋なんかで簡単に手に入るようなものなんかとはちがって、それを手に入れるには瓶を叩き壊すかでもしなけりゃならないわけだ。そんな、その手に入れるための困難さが、僕にそのビー玉を特別なものに思わせたってわけだろうね。そしてそれは飲み終わったら返さなきゃならないものだったから、もちろん叩き壊すなんてことはできない。つまりどうあがいたって僕は、そのビー玉を自分のものにし、それを机の上に置き顔を横にして机の縁にまで持ってゆき、そのかすかに緑がかった透きとおった美しい姿にじっと見入るなんていうことは、決して叶うことのない、現実になることはない、そういう類の物事だったわけだ。たしかにそれは今思うとなんの変哲もないビー玉だったけど、そういうあれやこれやがあって、また実際あの瓶越しに見るビー玉は、光の屈折の加減なのか、妙に魅惑的な輝きを放っていて、その内側、中心の白く見える部分は、なにか途方もない神秘を、内包しているように思えた。まあとにかくそんなふうに、当時僕はそのビー玉に、ずいぶんと魅了されていたというわけなんだ。僕はラムネの瓶を傾けて、中の甘い炭酸水を喉の奥に流し込みながら、その透明な炭酸水の中でゆらゆらと揺れているその夢幻的なビー玉のダンスにうっとりと見入った。そして飲み終わった後、僕は目を閉じて耳元で瓶を振ってからからと音をさせる。するとそれは、そのビー玉のあの白い中心、その向こう側、うかがい知ることのできない向こう側から聞こえてくるなんとも不思議な音色であるような気がして、僕はそうやって目を閉じながら、まるで夢でも見ているような、茫漠とした気持ちになったものさ。












  (`・ω・´) 

/     \        ( ・ω・)Δ(・ω・ )

  /  \










そして、そんな、ある日のことだった。

僕はいつものように瓶を傾けて、喉の奥に甘い炭酸水を流し込みながら、ゆらゆら揺れるビー玉のダンスをうっとりと眺めいっていた。するとその瓶の向こうに、液体越しに歪んだおやじの姿があった。おやじは、こっちを見ていた。頸をぐるりとひねって、こっちに顔を向けていたんだ。僕は、あんなにおやじが首をひねっている姿を見るのは初めてだった。だからほとんど、おやじの頸は数センチよりこっちには、動かないんじゃないかという認識を、知らず僕は持ち始めていたのかもしれない。といってもケガやなんかの身体的な事情で首が動かせないだとか、そういうふうな事情があって動かせないのだろうなどというふうに、それについてそういうふうになんらかの具体的な事情があるものとしてはっきりと「彼の頸は数センチより先には動かないのだろう」と認識していたわけではなかった。ただ、あんまり彼がこちらに顔を向けないもんだから、向ける必要があると思えるようなときにさえ、決して頸を動かさなかったもんだから、その永きにわたる「頸を動かさない」の積み重なりによって、僕の認識の中から、「頸がぐるりと動く」という要素が、彼という人を構成する要素の中から、徐々に消え失せていっていたのだと思う。そうだな、うーん… そう、たとえば、ある女性がいたとしよう、そして君がいつも炬燵に座ってお茶を飲んでいる彼女しか見たことがなかったとしたら、たまには立ち上がって、隣の部屋に何か取りに行くなり台所にお茶を淹れに行くなりすればいいのにと思うけれど、とにかくいつも常に炬燵に入ってテレビを観たりせんべいを齧ったりしている姿しか見なかったとしたら、どうだろう? とにかくひたすら、その姿しか見ていなかったとしたら? そんな日々が数年、そして目撃回数が数百回とかに、なったとしたら? そしてある日の昼下がり、そんな彼女が街中をすたすたと歩いている姿を、君は見かけるのだ。どうだろう? ええ? どうだい? そう、そうだね。君にとってその女性はすでに、「座ってお茶を飲む」で構成されたものになっていたのだ。君はその女性と親しい間柄とかそういうわけじゃない。ほとんど口をきいたこともない。もし多少なりとも親しい関係にあったならば、君にとって彼女は、ただ「座ってお茶を飲む」という存在で完結したものには、ならなかったはずだ。つまり彼女にはもっと様々な要素が加わる。照れたように笑う人だとか、少しせっかちなところがあるだとか、オタクっぽいだとか、なんでも、とにかく、ただ「座ってお茶を飲む存在」では、終わらなかったはずだ。そして君は彼女について色々想像を膨らませたはずさ。普段何している人なんだろう、なんかいつも炬燵に入っているけど仕事はしているんだろうか、彼氏とかいるのかなこの人、もしかして結婚しているとか? もしかして足になんか障害があって動かないんだろうか? でも髪なんかちゃんとしてるから美容院には定期的に通ってるみたいよね、じゃあやっぱり動ける? もしかして車いすとか? みたいに、君は彼女に対して様々な想像が膨らむだろう。だからもし君が街中ですたすた歩いている彼女にぱったり出くわしたとしてもおそらくそれほど驚くことはないんじゃなかろうか。なぜなら君はすでに心の準備がある程度できていたからだ。つまり君にとって彼女は「こたつに入ってお茶を飲む」だけで構成された存在なんかではなく他にも様々な要素で構成された存在になっていたからだ。つまりそうなると君が彼女に出くわした時点で、「街中をすたすた歩く」という要素もある程度、それがどの程度なのかは君と彼女のそれまでのやりとりの成り行きなんかで違ってきただろうがとにかくある程度は、君の中にある「彼女を構成する要素」の中にあるはずなんだ。だから結果として君は、ものすごく驚くなどというほどには、けっして驚かないであろうというのが、僕の推測だ。だって君はそれまで彼女とある程度のコミュニケーションを取り、その人となりを知り、自然と想像も膨らみ、その中で「すたすた歩く」という可能性も、すでに織り込み済みなのだから。

しかし君はそうじゃなかった。そうだね? 君は、彼女を、ただちらっと見た。ただ、ちらっと見つづける、というだけだった。彼女はたとえるなら朝の通勤途中に見る大村崑のオロナミンCの看板のかかったタバコ屋さんみたいなものなのかもしれない。君は通勤途中およそ二十年にわたり通りの反対側にある大村崑のオロナミンCの看板のかかった古い木造家屋のタバコ屋さんをなにげなくちらっと見つづけてきたわけだ。そしてそのタバコ屋ときたら大村崑の看板以外にはほとんど特徴らしい特徴がありゃしないんだ。君は見つづけてきた。そのタバコ屋を。それはおよそ六千近い回数にのぼるだろう。結果、君にとってその家屋は「大村崑のオロナミンCの看板がかかっている」という要素だけで構成されたものになっていただろう。なぜなら、君はただ、ただちらっと、見ていただけだからだ。六千に及ぶ回数君は、ただ、ちらっと、見ていただけだったのだ。六千回の内一度も君は、ちらっと見るという行為以外のことを、その家屋に対して行わなかった。たとえばそのタバコ屋の前まで行って、店番のおばちゃんとちょっと会話をかわすだとか、店に入って中の様子を眺め、何か商品を購入してみるだとか、いやそこまでしなくても通りの向こうからその家屋の様子を色々観察してみるだけでもいいのだけど、まあ君はそういったことは一切、行わなかったわけだ。まさにちらっと目をやるだけだったのだ。そうするとどうなる? 珠子さん? どうなる? そう、君にとってあのタバコ屋は「大村崑のオロナミンCの看板がかかげられている」()()で、できあがったタバコ屋、というふうに、まさに、なるわけなんだ。そして、そんな君は、ある日、六千数百回目のある日、目撃するのだ。大村崑の看板が、キング・ヌーに変わっているのを。君は度肝を抜かれるだろう。なぜなら、何度も言うとおり、君にとって、大村崑の看板だけが、そのタバコ屋を、構成するものだったからだ。つまりタバコ屋と大村崑は二十年の月日、六千の目撃回数をかけて、徐々に徐々に、ひとつのものになっていた。しかしにもかかわらず、その看板はある日、前触れもなく、キングヌーに変わっている。君はこれまで六千回、大村崑の看板を見つづけてきた。そしてもはや、そのタバコ屋は、君の中で、大村崑の看板と、完全に一体化していたのだ。それはもはや分離不可能なもので、言うなれば、砂糖水みたいなものだ。水に砂糖を溶かすとそれは砂糖水として二つは一体化し、何か特別な処理を行わない限りもはや分離不可能なように、そのタバコ屋と大村崑の看板は、君の中で、完全に一体化していたのだ。それはもはやタバコ屋が大村崑なのか大村崑がタバコ屋なのか判然としなくなっている境地だ。しかし、にもかかわらず、六千数百回目のある日君は目撃する。大村崑がキングヌーに変わっているのを。大げさに言えば、天地がひっくり返ったような衝撃を君は受けて、通勤途中の歩道の上で呆然と立ち尽くすだろう。

さて、なぜ君は呆然と立ち尽くすという状態になっているのだろうか? それはさっき言ったとおり君がそのタバコ屋をただちらっと見ていただけだったからだ。いや、意識的に「見た」というよりもそれはただ機械的に「目に入っていた」と言った方が正解に近いかもしれない。まあなんにしろ君はそんなふうに自然と目に入るという以上の関りをそのタバコ屋と持たなかった。結果そのタバコ屋は君の中で「大村崑のオロナミンCの看板がかかげられている」という要素だけで構成されたものになる、にもかかわらず君のその「思い込み」は突然大村崑がキングヌーに変わるという事態によって見事に裏切られる。そして君は呆然と立ち尽くすってわけさ。

君は今もしかすると、この人何を言ってるのかしらと、ちょっと不安な気持ちになっているかもしれない。でも珠子さん、安心して、僕は全然大丈夫だよ。僕はおかしなことを言っているわけじゃない。だからね、そういうことなんだよ珠子さん。君はあの女性が街中をすたすたと歩いているのを目撃したとき、おそらくびっくりしてその場に立ち尽くしてしまうのではないだろうか。なぜなら君はその女性とこれまで何百何千と出会った中で、「ただちらっと見る」ということしかしてこなかったからなのだ。それ以上の関りを持たなかった。そして、彼女は、「こたつに入ってお茶を飲む人」以外の何者でもなくなった。それ以上でもそれ以下でもない。それ以外の要素など、彼女には何もないのだ。








  (`・ω・´) 

/     \       (`・ω・´)Δ(・ω・;)

  /  \











そう、そういうことなんだ。僕だっておやじともっと何らかの関りを持っていたら、「頸がぐるっと動く」という要素も、ある程度自分の中に、織り込めたかもしれない。それはたとえ頸が動かなかったとしてもなんだ。たとえ彼との関りの中で彼の頸がほとんど数ミリから一センチほどしか動かなかったとしても、どうしてもそれ以上動かす必要があったのににもかかわらず動かさなかった、というような場合を除いてなら、数ミリから一センチ程度しか動かさなかったとしても(なにぶん彼はテレビを観たりラジオに耳を澄ますのに忙しかったし)、頸をあまり動かさないタイプの人なんだろうということさえ、たとえば笑う時に右の口角が左より少し高く上がる人、というような感じに、それについて人に「あの人ってさ、笑ったときに右側の口がちょっと高く上がるよね」などと指摘されたりしたら、それについて考えてみて、ああ、そういえばそうなのかな? それにしてもえらく細かいこと言う人だな、どうでもいいじゃん、みたいに思うように、それと同じように、頸をあまり動かさないタイプの人とさえ、「あの人頸動かさないよね」と誰かに言われたら、「ん? まあそうだね」(わざわざ言うこと?)というふうに、人間クセというか特徴なんてあって当たり前なんだからそんなふうに言われるまでそんな事実が意識の上に上ってきすらしない、要するにそんなふうに、彼が頸をあまり動かさないタイプとさえ、思わず、とくになんの引っ掛かりも感じず、そうして僕の中の、彼はもっと頸を動かすことができる、という信憑は、十分すぎるほどのものであったろう。

しかし、何度も言うとおり、僕は彼と関りというものをほとんど持たなかった。僕は店を訪ねると、びくびくしながら、ラムネもらいます…なんて言ってジュース類が冷やしてあるケースからラムネを取り出し、上目遣いにちらっとオヤジの様子をうかがい、そしてオヤジがテレビを観ながら頬杖をついている炬燵の天板の上に、百円玉をそっと載せる。そんなとき彼はピクリとも動きやしない。もう一度ちらっと彼の横顔を確認しても、やつはただ頬杖をついてほとんどなんの表情もその面に現さず、いささか固い顔つきでいささか元より、僕がいないときよりも、いささか鋭い目つきで、ほとんど微動だにせず前方のテレビを睨んでいるだけなんだ。いや、実際は、ほんとうは、やつがどんな目つきをしているかまではわからない。だって僕は、ちらっと見るだけだから。じっと見たりなんかして、彼の機嫌を損ねたりなんかしたら、事だからね。だけどおそらく、いやほぼ間違いなく、そのときの彼の目には、僕のいなかったときよりも、それはまあいささかなものであろうけど、強い力が入って、強張っていたであろうことを、僕はほぼ確信しているんだ。

そして僕は飲み終わると、またちらっと彼の様子をうかがい、瓶を音をたてないようにそっとケース脇の台の上に置いて、ありがました…というふうに、蚊の鳴くような声であいさつをすると、店をあとにする、この活動内容が、店に行くたびに、一から十までほとんど変化なく繰り返された。変化といえば、ありがました… が、どうもした… になったり、たまに喉がかゆくなって、しかたなく咳を、もちろん極力音をおさえてオヤジがいるのとは反対の方を向いて口を閉じて、やってみたり、(そのあともちろんもぞもぞしてポケットに手を突っ込んで小銭をまさぐるふりなんかをしながら、オヤジの様子に変化はないか、今のが何かオヤジの僕に対する心証に重要な影響を与えはしなかったか、などを確かめるために横目にさっと彼の横顔を盗み見、そこに何らかの情動の表出が、顔面の、それがたとえごくささやかなものであっても、「歪み」、となって現れてはいまいか、ということを、確認したことは言うまでもないんだけど)まあそんな程度のものだった。つまり、何度も言うとおり、僕はそこを訪ねた間、彼とほとんど関係らしい関係を持たなかったわけだ。言葉を交わしたことも、ない。彼はただ炬燵の天板の上についた手で顎を支え、無言でテレビに目を向けている、ラジオを聞いている。そして僕は店にいる間数回そんな彼の姿をちらっと見るだけだ。そうすると珠子さん、どうなると思う? ええ? どうなると思う? そうなんだ! そうすると!「頸を動かさない(捩じらない)」と、「彼」とは、一体化するんだ! それはちょうどさっき言ったあの女性が、「炬燵に入ってお茶を飲む」と一体化していたように! また、あのタバコ屋が、大村崑の看板と、一体化していたように! オヤジは! 「頸を捩じらない」と! 「こっちに、僕の顔に、目を、顔を、向けない」と! 一体化していたのだ! にもかかわらずだ! にもかかわらず! 珠子さん!








 (`・ω・´) 

/     \       (`・ω・´)Δ(・ω・;)

  /  \









  (`・ω・´) 

/     \       (`・ω・´)Δ(・ω・;)

  /  \           にも

                かかわらず!












そう! ラムネの瓶を傾ける僕の視線の先に、そのラムネの瓶の深緑色の透明なガラスの向こうに!

オヤジの顔が!

ぐるりと頸を捻って、まっすぐにこちらに向けられたオヤジの顔が!

たしかにそこに!

あったのだ!









  (`・ω・´) 

/     \       (`・ω・´)Δ(・ω・;)

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珠子さん。そのときの僕の驚愕は、とても言葉にはできないよ。

もちろん顔といっても、それはあの濃い色の瓶を通してのものだったし、中にはサイダーが入っていてその上瓶のガラスも曲線を描いているわけだから、オヤジの姿はずいぶん歪んでいた、表情なんて全然わからない。でもとにかく、やつがこちらに顔を向けていたことについては、間違いないんだ。そして僕は驚愕した。君だってさっきのあの炬燵の女性が、街中をすたすた歩いていたり、あの古ぼけたタバコ屋の古ぼけた看板が、キングヌーに変わっていたりするのを、目撃したら、ずいぶんと驚愕するであろうことには、どうだい? すんなりと納得できるんじゃないか? それと同じだよ。いや… じつは… それだけじゃないんだ… 僕はそのとき思わず口に含んだサイダーを吹き出してしまったんだけど、そうなった理由は、じつは、オヤジが頸を捩じっていたから、こっちに顔を向けていたから、ということ()()()()ないんだ。僕が口に含んだサイダーを、タコが墨を吐くみたいに、あるいはプロレスラーが毒霧を吐くみたいに、豪快に空中に放出してしまうほどに、狼狽、驚愕したのには、じつはもうひとつ! わけがあるんだ!











  (`・ω・´) 

/     \       (`・ω・´)Δ(・ω・;)

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               その

  (`・ω・´)       わけというのはね

/     \       (`・ω・´)Δ(・ω・;)

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珠子さん、僕が、そのラムネのビー玉に、強い関心を抱いていたというのは、話したよね? そうさ、僕は、そのビー玉、神秘的な艶めきを放つ、その緑色のビー玉が、当時ほしくてほしくてたまらなかったのさ、何としても自分のものにしたい、そのためなら、僕の持っているあれやこれやのビー玉を全部、いやそれだけじゃなく、今まで集めに集めたビックリマンチョコのシール、キン消し、その他、そしてこれから一生分のおこずかいのすべてを、ベルセルクのグリフィスみたいに、そうあの人に負けないぐらいぐらい強い気持ちで、捧げてもいいとさえ思った。それぐらい欲しかった。だから、僕は、珠子さん、僕は、僕はね珠子さん、僕はラムネの瓶を傾けて喉の奥にそれを流し込みながら、そうしながらしゅわしゅわと泡立つ液体の中を、夢見るようにふわりふわりと揺れながら、この世ならざる、まさにあの世にしか存在しえぬような真球、その「丸さ」ときたら他のビー玉とは全く違う、それは.言うなれば太陽や月の「丸さ」と同じもの、そんなお月様の如きまん丸い姿の、その奥に、うかがいしれぬ白い輝きをときおりちらりと覗かせる、その囚われの女神を、救出するために! 彼女を幽閉する、魔宮の奥深くにある、その魔法のクリスタルの牢獄を! 頭の中で! アスファルトの路上に叩きつけ! そうして救出した、内側からあふれ出した白く輝く光に、その濡れた体を覆われ、震えている、異世界の月! 艶めく深緑の月の女神に! 僕は震える指を差し伸べそうしてそれをつまみ上げると! ゆっくりと唇に、震える唇に、それをつまんだ震える指先を近づけてゆくと、僕は、僕はそっとそれに、畏れ多くも、僭越ながら、誓いのキスを捧げる… 珠子さん、怒っちゃいけないよ、ごめんね… でもそうなんだ、僕はそのとき、そんなふうな想像を、ぐびぐびと喉の奥にサイダーを流し込んでそれを見つめながら、やっていたと、いうわけさっっっ!!!









  (`・ω・´) 

/     \       (`・ω・´)Δ(・ω・;)

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そしてそんなふうな夢想をしているときに、瓶の奥に、ビー玉がゆらゆら揺れている瓶の奥に、こちらにまっすぐ顔を向けているオヤジの顔が、液体と瓶の向こうで歪んだオヤジの顔が、僕の目に飛び込んできた。珠子さん、ちょっと想像してみてほしい、そのときの僕の気持ちを、僕の、驚愕を。わかるだろう? そう、僕はそのときこう思った、こう思ったんだ。












  (`・ω・´) 

/     \       (`・ω・´)Δ(・ω・;)

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 (`・ω・´)         バレた!

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 (`・ω・´)         てねっ!

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  (`・ω・´) 

/     \       (`・ω・´)Δ(・ω・;)

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そうさ、僕は、バレた、と思った。僕のこの企みがヤツに露見したと思った。もちろん僕はそのビー玉がほしいといったことなど一度もない。ヤツだけじゃない。他の誰にも、このことについて、僕のこの欲望について話したことなど、それまで一度もなかったんだ。それは僕だけの秘密だったんだ。そしてオヤジは僕に目を向けさえしたことがない。僕はお金を払いラムネを飲み、そして帰るだけ。その間およそ五分にもなりゃしない。そしてその間オヤジはこっちを見ることはいっさいなかった。そうだね。僕は油断していたんだ。いつのまにか、油断していた。こっちに目を向けないオヤジが、僕のこの欲望に気づくはずがない。そんな思いが徐々に僕の中に定着してゆき、そうして油断が生まれ、彼女に対する欲望がどんどんだだ洩れになっていっているにもかかわらず、僕はそれに対して何の危機感も感じないようになっていた。いや初めのうちは彼女をうっとりと眺めたあとはっとしてオヤジの方に目を向けることはあった。しかしそのたびに僕の目に映るのは、炬燵の天板の上に肘をついて顎を支え、無表情にテレビ画面を睨むオヤジの横顔だった。そんなことが繰り返された。それは言ってしまえば成功体験だ。僕は何度も何度もそんな成功を経験した。そうすると僕はどんどん大胆になっていった。瓶を傾けながらでれでれニヤニヤしていたかもしれない。口から離して目の前に持ってきて、瓶の向こうのその麗しい濡れた体に走る白いきらめきに、恍惚としていたこともあったかもしれない。


なあに、かまうことはねえ、どうせヤツがこっちを向くことは、絶対にありえねえんだから…


あっ、いや、なにもこんなふうにはっきりと思っていたというわけじゃないんだ。たださっきも言ったとおり、ヤツと「頸を捩じらない」は徐々に一体化していっていて、いつのころからか僕は「頸を捩じる」可能性について、考えることすらしないようになっていた。君の中で、あの炬燵のおばさんが、街中をすたすたと歩くということが、あのタバコ屋の看板が、大村崑以外のなにかに変わるということが、考慮の外になったのと同じことだよ。僕にとって彼がこちらを向くというのはいつの間にか考慮の外側に飛び出して行ってしまっていたんだ。それで僕は、そんなふうな羽目を外した行為に出てしまっていたんだね。まあ、それでも、こんにちはと店を訪ねて、ラムネの入ったケースの扉を開け、そして天板の上にお金を置くまでは、じつは僕はいつもびくびくしていたんだ。何しろ、前回訪れてからいつも少なくとも二十四時間以上は空いているわけだからね。その間に、この世界で何が起こったって不思議じゃない。しかし金を天板の上に置くという行為が済んでしまうと、僕はそこでほっと息を吐いた。これまでと何も変わらないという確信、というか「首を捩じらない」に対する無疑、彼と「頸を捩じらない」との一体化の、改めての再発見。そしてそこからは僕の独壇場だった。僕は思い存分大胆に、彼女とのいわゆるランデブーとでも言えばいいだろうか、いわゆるそういうのを楽しんだ。そして、そうさ。そんなある日に、瓶を傾ける僕の視線の向こうに、瓶の向こうに、頸を捻ってまっすぐこっちを向く、オヤジの顔が、あったってわけなのさ。








  (`・ω・´) 

/     \       ( ・ω・)Δ(・ω・;)

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 (`・ω・´) 

/     \       ( ・ω・)Δ(・ω・;)

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そして僕は空中に、噴水みたいに、サイダーを吹き出した。暑い夏の日で、空中に弧を描く透明な水の流れが、太陽の光を反射して、きらきらと虹色に輝いていたのを憶えているよ。そして僕はバレたと思った。オヤジのやつは、これまで一度もこちらに目を向けなかったが、じつは感づいていたのだ。それは野性の勘みたいなものなのかもしれない。気配。僕はいつも店の出口のすみっこあたりでラムネを飲んでいた。オヤジは思う。なんか妙だ。なにかわからないが、なんか妙だ。なんだこのいや~な感じは? おかしい。なにかがおかしい。なんなんだこれは? どうも落ち着かねえ。ちくしょう。どうなってんだ? なんだこれは? そんなふうに、僕が飲んでいる間、オヤジはいらいらそわそわしていたんじゃないか。なんたって僕はその間、ただれた顔をして彼女を見つめ、そして頭の中では、そのクリスタルの魔宮であるところの瓶をアスファルトの道に叩きつけ、粉々にして、そして、異世界の月の女神であるところの彼女をその牢獄から救い出し、それからさっとオヤジの方に顔を向けると、急いで走って逃げるという想像を、頻繁にしていたわけだから、そういった「気配」みたいなものが、オヤジに伝わってもおかしくはないと、そのときは思ったんだ。だからオヤジはこちらに顔を向けた。するとオヤジの視線の向こうに、恋情と劣情に憑りつかれ、そんな見る者に寒気をもよおさせるようなありさまでラムネをぐびぐび喉に流し込んでいる、じつに貧相な、そしてなんとも奇っ怪な、少年の姿が映る。それを目にしたオヤジはすべてを理解する。


このガキは… どうやら… あのビー玉にイカれてしまってやがる…… そしてこいつはどうやら、それを盗んでゆこうと、企んでやがる……


そんなふうに、オヤジはすべてを理解する。僕は瓶の向こうにこちらを向くオヤジの顔を捉えたその一瞬で、それらを理解する。そして思う。バレた、と。

かくして、僕は公園の噴水の如く空高くラムネを吹き出し、驚愕の眼差しでオヤジを見やる。僕の口元は、そのときおそらくぴくぴくと痙攣していたんじゃないかな。

すると突然ラムネを吹き出した僕を目にして、オヤジは、ちょっとぎょっとしたよう顔になる。そんな顔で、しばらく僕を見やる。それからゆっくりと、顔をテレビの方に、頬杖をついたまま、戻してゆく。テレビを睨む目はいつもと同じように無表情でありながら人を拒絶し馬鹿にしたようなものであると同時に、そこには、いつもと違う、常にはない、若干の「怯え」みたいなものが見てとれ、同時にいつもよりどこか「虚ろ」なふうでもあり、いずれにしろ、少なくともこれだけは言えるのは、彼がこれまで以上に、僕に対して心を閉ざしたということである。

さて、僕はそのときただただパニクっていた。この男は僕を盗みを犯す者だと思っている。この男は今、僕の「企み」を、糾弾している。僕は全身を瓶を持った手をわなわなと震わせ、一刻も早くこの場から立ち去りたいという思いに強く駆られた。そして言い訳をしたいという思い。僕は想像をしただけであって、それを行動に移す気なんて全然なかったと、言い訳をしたいという思い、そんな思いが今にも言葉になってあふれだしそうであったが、しかしそれはいかにも言い訳じみて彼には響くだろうとの思いが、それを思いとどまらせた。ところでテレビの方を向いた彼の顔のことなのだが、さっき言った様子はその後それを詳細に思い出し冷静に分析した結果のものだったんだ。じっさいそのときの僕には、さっき言ったのとはちがって、彼はテレビの方を向きながら、全身の毛を逆立てるようにして、僕を威嚇しているというふうに感じた。その目は、テレビの方を向きながらも、彼のその視線の向こうにいるのは、じつは僕なのだ。実際もしかすると、テレビの画面にはうっすらと、僕の姿が映りこんでいたのかもしれない。いなかったかもしれない。とにかく、そこに僕の姿が映っていようがいまいが、彼は彼の視線の向こうにいる僕を、鋭く睨みつけているのだ。そして今にも彼は、彼の右側二メートルほどのところにいる、おどおどした気持ちの悪い、盗癖のある精神異常児に対して、さらなる威嚇と、敵意と嫌悪の表明のために、テレビの方を向いたまま頭を激しく左右に二三度倒してみたり、炬燵の中の足で前のテレビの台を、ガン、ガン、ガン、と、ひと蹴りに数秒の間を置く一定のリズムで、蹴りつけたりするんじゃないか、そしてそのときの彼の目つきときたら、あの有名な頬杖をついた横顔のニーチェの写真、あのニーチェの目つきを連想させるような、ある種常軌を逸したものになるのではないかという、そんな予期によって、実際そのイメージは、真に迫って、僕の眼前にまざまざと繰り広げられるのだった。しかし僕は、踏ん張らねばならなかった。ここでラムネを半分残したまま逃げ出したりしたら、オヤジの思い込み(僕が盗みを働こうとした)に確証を与えてしまうだけだ。僕は盗むことを想像しただけで(いやそれは盗むというよりも救出といった方が事実に適っているだろう。僕はそのときまさにあの月の女神を救出しようとしていたのだ)、実際に盗むなどということは、断じてやらなかった。想像と実際の行為の間には壁がある。この壁の高さと堅固さは人によってずいぶん差があるだろうが、僕の壁ときたらそれはもうずいぶんと高くて頑丈にできていた。だから決してそんなことはしやしなかったんだ。でも、オヤジはそうはとらなかっただろう。僕には、そのときオヤジが、僕を気持ちの悪い、盗癖のある、精神異常児とみているというふうに感じた。だから、とにかく、その誤解を解くためにも、まずこのラムネをいつものとおり飲み干して、それから落ち着いた風に空き瓶をいつもの台の上にことりと置き、そして最後にさよならと、なんてことのないふうに、だけどラムネを吹き出してしまったりして恥ずかしい、でもそれはいつもは合わないあなたの目と僕の目が合ってしまってびっくりしたから、というのもあなたの思うとおり僕はおどおどした子供だから、という、そんな雰囲気を出すために、若干そんなふうな自嘲を声音に含め、その場を後にする、ということをしなければならないと思った。だから僕はとにかく、とりあえずこのラムネを飲み干すことに全精力を注いだ。これほど、炭酸の存在を憎んだことがかつてあっただろうか。炭酸という刺激物を含んだ液体を、思いの他、僕の喉はすんなりとは通さなかった。僕は少し喉を通しただけですぐにむせそうになり、そうなるとぐっと口を閉じて上半身をびくっびくっとさせながら必死でこらえた。そうしたあとオヤジの方をさっと上目遣いに見やった。オヤジはさっきと同じように肘をつき顎を手で支えながらテレビを睨んでいる。僕は息が乱れるのを必死で堪えながら、ほとんど涙目になりながら、また炭酸水を喉に流し込む。むせそうになり、さっと口をつぐみびくっびくっとする。とにかく、音だ。妙な音を出してはいけない。もしテレビ画面に僕の姿が映りこんでいたとしても、それはそんなにはっきりとした鮮明なものではないはずだ。だから今僕が気にしなければならないのは、音だ。焦った、テンパった、そんな情緒を彼に伝えてしまうような音は、絶対に出してはいけない。とにかく、なんとか、妙な音だけは出さずに、ここを乗り切るんだ。

僕は、まるで殺人鬼の殺人現場に偶然遭遇してしまったが、眠っていたのでまったくそんなことには気づかなかったというふうを装ういたいけな少女のような、そんな追い詰められたがたがた震える心で、なんとかあふれ出そうとする怯えた気持ちを抑え込み、そしてとうとう、そのラムネを最後まで飲み切ったのだった。しかしまだ安堵するには早かった。まだ、僕は台の上にその瓶を置かなくてはいけない。ごとっと、大きな音が出てしまってはいけない。それは情緒の揺れを相手に伝えてしまうことになる。もちろんその情緒の揺れが、ラムネを吹き出してしまった恥ずかしさによるものと相手が解釈してくれることに越したことはないのだが、それを期待するのは少し考えが甘すぎるだろう。こういう場合一番悪い結果を想定して、それを回避するするためにはどうするかを考えねばならないのだ。つまりこの場合はやはり、台の上に置く音を、無難な範囲に収めるということである。さて、それだけではない。もう一つ、最後にせねばならないことが残っている。挨拶だ。僕は彼にさよならと言わねばならない。最悪、声が裏返ってしまうだろう。だがこのプレッシャーを緩和するために、僕はそのときあえて「ラムネを吹き出してしまって恥ずかしい」というあれを利用することにした。つまり、もしかすると、彼は、「こいつはラムネを吹き出したから恥ずかしくて声が裏返った」と思ってくれるかもしれない、という、そういう希望、そう、その可能性は低いかもしれないが、すくなくともそれはゼロではないという、希望、それを意識することによって、たとえ失敗しても盗癖のある気持ちの悪い異常児ではなくたんにラムネを吹き出して恥ずかしがっているおどおどしたやつと、解釈してくれるかもしれないという、そんな思いが染み入ってゆき、そうして僕のプレッシャーは緩和されるだろうと、ふんだからである。だから僕は、あえて「ラムネを吹き出してしまって恥ずかしい」と思い込もうとした。そうすることによってそういう雰囲気が彼に伝わるようにするためである。瓶を台に置く音も、最後のあいさつの声も、吹き出してしまった恥ずかしさからの音や声と、おどおどした「変質者、異常児」がその盗癖に気づかれたがゆえのそれとは、おのずから異なるものになるだろうと踏んだからである。そして僕は実行した。俺は今、ラムネを吹き出してしまって恥ずかしいのだ、と強く思い込もうとした。するとどうだろう、思いのほか、それはうまくいったのである。ラムネを吹き出してしまって恥ずかしがっている、ということが、「変質者、異常児」とみなされているという観念を押しのけてゆき、僕はほとんど九割がたそう信じることに成功し、その観念が僕の頭のてっぺんから足の先までほとんど占めるようになったのである。実際僕は、顔が赤くなってきた。ラムネを吹き出してしまったからである。僕は心の奥底で、しめた! と思った。状況はもはやほぼほぼ、「ラムネを吹き出してしまって恥ずかしい」が「盗癖のある気持ちの悪い変質者とみなされ絶望している」に取って代わり、制圧してしまっていたと言っても過言ではなかったと思う。僕はもしかすると役者の才能があったのかもしれない。実際目の前のオヤジ、彼にしたところで、今は僕の目には、たんに目が合ってラムネを吹き出したわけのわからん小心でとにかくいまいましいガキ、とぐらいにしか思っていないように見えてきたのである。人間は信じたいものを信じるというが、まさにそのとおりなのかもしれない。そして僕は、ラムネを吹き出してしまって恥ずかしいと思いながら台の上に瓶を置いた。その音は盗癖がばれたおどおどした小心な変質的な少年のキョドった気持ちで置かれたガタゴウ、ゴッ… みたいな、いかにも歪な奇妙な音ではなく、ほんとうにただ恥ずかしいが故の、コッコン… というシンプルで控えめな音だった。さいごのさよならの挨拶の方も同じように、決して変質的な気持ちの悪いものではなく、恥ずかしくて少しばかり消え入りそう、というぐらいのものになっていたと思う。そのようにして僕はそこを後にした。

さて、しかし僕は、まだ「ラムネを吹き出してしまって恥ずかしがっている少年」のままだった。

僕は歩いた。ラムネを吹き出してしまったことを恥ずかしがりながら。

そうしながら、頭の中では、あの駄菓子屋の建物の中の、あの一室の、炬燵に肘をついて顎を支えてテレビを観る、僕のことを目が合ったくらいでラムネを吹き出す小心なおどおどしたじつにいまいましいガキ、と思っている、オヤジを、頭に思い描きつづけた。

僕は歩く。

僕の乗るバスの停留所が近づいてくる。

それに従い、彼の存在も、なんだかだんだん遠のいてゆき、四方にまるで太陽の光のように激しく放射されていた彼の悪意も、しだいに発光するクラゲやらイカやら石やらみたいに、ただ己の中で灯るだけのものとなってゆき、そして最後にはとうとうそれは四角の真ん中の点になって、もはやそのようなたんなる記号と化し果てたのだった。

そこで僕は、ひとつ息を吐いた。

そして僕はそこで、役者であることをやめたのだ。

つまり、「ラムネを吹き出したのをオヤジに見られて恥ずかしい」という演技を、そこで放り出し、本来僕がそこで感じたことが身中に蘇るに任せたのである。

そう、本来僕は、アレ、「ビー玉にイカレ果て、それを気ちがいじみた劣情の極みのような目つきで見やり、そしてそれを盗もうとしている」が、ばれたと思ったのだ。(いや盗み出すことを想像はしたけれど実際に盗もうとは思ってはいなかったのだけれど)

アレがばれて、彼に、気持ちの悪い、おぞましい、盗癖のある変質者、異常児、と思われていると思ったのだ。

それが、その感覚が、僕の身中に、少しばかりの吐き気と震えを伴い、蘇ってきたのである。

そうすると記号と化していた彼はふたたび生きた人間となり悪意をまき散らし始めた。

僕は少し震えながら、バスの座席の上で前歯をぐっと嚙み合わせ、歯をむくようにしながらそれに耐えていたのだが、しかしまあすでに彼は物理的にははるか遠くにいるのである。それにもう会わないでおこうと思えば会わないこともべつにできるのである。であるからその苦しみは彼を直接前にしていた時ほどのものではなく、正直かなり余裕のあるものだったということができるだろう。だから僕は冷静になって、頭の中であのときの状況をもう一度整理しなおすことにした。するとどうだろう。ふと、じつは彼はべつだん、アレになど気づいていなかったんじゃないかというふうな考えが、僕のなかに閃いたのだった。それは、かなり説得力のあるものだった。だいたいふつうに考えれば、どうして彼に僕の心の内が知れようはずがあるだろう? 僕は一言もあのビー玉に対する恋情を口にしたことはなかったしましてやそれを盗もうなどという素振りなど見せたはずがないのだ。つまりすべては、僕と囚われの彼女との逢瀬もその後の彼女の救出もそれらの物語は「僕の想像の中で繰り広げられたものにすぎなかった」のである。いったいなぜそれがオヤジにわかるはずがある? ましてや彼はこちらをあのときを除いて一度も見やしなかったんだぞ? そんな彼が僕のこの企みを、どうやって見破るというのだ? まさか彼は、テレパシー能力を操る、超能力者だとでもいうのか? ははっ! ばかなっ! もし彼にそんな特異な能力があるのだとすればだ。彼はもう少しばかり、競馬の予想を的中させていてもよいのではないか? しかしみたところ彼は先にゴールゲートをくぐるお馬さんを、頭の中に閃かせることはどうやらお得意ではないらしい。だってもしそれを彼がお得意とするならばだ、彼の暮らしぶりは、もう少し豪奢なものになっているはずではないか? まさか恵まれない子供に寄付でもしているというのか?あのオヤジが? 珠子さん、ぼかぁ賭けたっていいけどね、あのオヤジはそんな方面に目が行くような、そんなようないわゆる()()()()人間ではないよ! 彼はねぇ珠子さん! 眠りこけているのさ! 己の欲望と!快楽という海の中でね! そうしていつもそれが叶えられず、欲求不満を募らせ、いらいらして、それを与えてくれない世の中に対する、それを持つ者に対する、恨みを、どんどん腹の中に募らせていってるってわけさっ! つまりだっ! あの男には超能力はないっ! いやていうか、そもそも超能力なんてもんがこの世にあるわけないじゃないかっ! つまりだから彼はっ! 僕の企みに気づいたわけがないんだっ! そうだろう!? だってこちらに一度も目を向けなかったオヤジがなぜそんなことに気づく!? 超能力はないにしろ、彼は異常に勘が鋭いとでもいうのか!? じゃあまあ仮に彼の勘が極めて鋭いものだとしよう。それにしたって、一度もこちらに目も向けずに、気配だけで僕の企みに気づくという考えは、やはりちょっとばかり荒唐無稽に過ぎる考えといえるのではないだろうか?ではなぜ僕は、彼が気づいたと、僕の企みが彼に露見したと考えたのか? それは要するに、僕がこのことが彼にバレるのを、あまりに恐れていたから、ということなのだろう。僕はいつもデレデレとふやけた顔で瓶のガラスの向こうのビー玉を見つめながら、ときおりふと、もしこれが、もし僕のこのふやけた、もしかすると、あるいは、変質的、倒錯的、とも呼べるのかもしれないこの恋情が、そしてよもやその魔宮に見立てた瓶を叩き割って、そしてそこから月の女神を投影するビー玉を救出するなどという妄念が、僕のこの頭の中を駆け回っていることが、もしも彼に伝わったりしたら、いったいどうなるのだろう、なんてことを思ったりして、そんなときは、上目遣いに、さっと、顔をオヤジの方に向ける。そうするとそこにはいつもと変わらぬオヤジの横顔がある。僕は今僕の頭の中にあるものが、彼に伝わったことを、息をひそめながら、気配を殺しながら、ふたたび瓶を傾けてラムネを飲んでいるふりをしながら、想像してみる。つまりおどおどびくびくした辛気臭いガキが、ビー玉に対して妙な倒錯的な気持ちの悪い妄念を抱き、あまつさえそれを盗み出すことまで思い描いている、という、そういう観念が彼の中に生まれることを想像したみたのである。僕は震えあがった。そのとき彼の心に沸き上がるであろう僕に対する言葉では言い表せないほどの恐ろしい残酷な、まるで女の子がゴキブリの数百倍気持ちの悪い生き物を目の前にしたときの怖気、に加えて熱狂的なキリスト教徒が自国に侵攻してきた別の神をいただく悪魔的な歪な精神を持ち合わた他民族に対して感じる断固としてこの連中を排除し清浄なる我が国土を死守しなければならないというその異人たちに対する猛烈な敵意、それらを合わせたような僕に向けられたその気持ちに、僕は震えあがったのである。そしてだから、このことは決して、絶対に、露見してはならないと思った。とにかく僕はほんとうに、僕のこの頭の中身の露見を、恐れたんだ。そんなふうにあまりに恐れていたもんだから、僕は彼のまっすぐこちらに向けられた顔を、瓶越しとはいえ目にして、すべての正常な冷静な判断能力を失って、「バレてしまった」という考えに捉われてしまったのである。しかしさっきも言ったとおり、僕はその後思わぬ役者の才能を発揮し、「俺は小心にも目が合ったくらいでラムネを吹き出してしまったのをオヤジに見られて恥ずかしいのだ」と思い込むことにより、なんとかその場でできる最良と言っていいぐらいのふるまいをして、その場を後にすることができたってわけさ。さて、そんなわけで、僕はそこを後にしたわけであるが、その後僕は身の安全が保障される、彼の悪意がほとんど届かない場所にまで逃れて、ようやく冷静になり状況を整理し始めたのだ。それでさっき言ったとおり、僕は彼が僕の妄念に気づいたと考えたのは、僕の精神があまりに追い詰められていたが故であり、実際は彼がそれに気づいたと考えるのは可能性としてはほとんどない、という結論に達したのだった。僕はそこでほっと安堵の息を吐いた。体の力が一気に抜けて、僕はバスの座席の上にぐにゃりとだらしなくほとんど寝そべるような姿勢になるまで沈み込んだ。通路を挟んで隣に座るおばあさんがちょっとびっくりしてこちらを向き眉を上げて、あなた大丈夫?とでも僕に声をかけそうになっていたのを憶えているよ。しかしまあ、ということはある意味、オヤジにとって僕のあの演技は、非常にもっともなものだったんだね。「目が合ったくらいでラムネを吹き出してしまって恥ずかしい」、その演技が、演技とはいえそれによって実際に僕の中に湧き上がっていた羞恥心が、瓶を置くカタン…という、少し震える音や、こもった、引きこもりがちな、呼吸の音、憶病な、咳払い、そして帰りの挨拶の声は、少々どもってしまう、そんな中にこもり、それらは気配として、繊細な羞恥の気配として、横を向いた彼にも伝わり、彼は、「ああ、こいつは恥ずかしいんだな、そりゃそうだ、まったくよう」という具合に、納得感を与えたのではないだろうか。そうすると、彼の脳みそは、僕がそのことで恥ずかしがっているという観念に支配されて、もはや僕があんな妄念を抱いているということからは、完全に目を逸らされるという結果になったのではないだろうか。僕はうれしかった。何というか、なんと言えばいいんだろう、そう、自分のとっさの機転、そしてその機転で捉えた「そうした方がよいこと」を、見事に実行し、そしてどうやら難を逃れることができたという、この充足感、自分の持ち合わせた能力と頑張りによって、危機を切り抜けたときに感じる、あの充足感を、感じたんだ。要するに僕はそのとき、ほとんどバレたと思っていたわけだけど、しかし一縷の望みに賭け、「ラムネを吹き出してしまって恥ずかしい」という演技をした。そう思い込むことによるプレッシャーの緩和と、そしてその羞恥の気配の彼の内部への伝播に賭けたわけである。結果、僕はそれを滞りなくやりおおせた。そしてバスの中で冷静になって考えてみて、彼は初めから僕の妄念に気づいていなかったと考えるのが妥当であるとの結論を得たのだ。もしあそこで僕があの演技をすることに思い及ばず、ただただバレた心の動揺のままにふるまってしまっていたらだ、おそらく初めは僕の妄念になど思い及ばなかった彼にしたところで、何か変な感じを受けたんじゃないだろうか? こんなふうに。


おいおい、こいつは何をこんなに動揺してやがるんだ? なんだ? あれがこいつはそんなに恥ずかしかったってゆうのか? いくら気の小せぇ卑屈なガキだからってなにもそこまでびくつかなくたってよかないか? それとも、なんか他に原因がありやがるのか? … そういえば、さっき、このガキと目が合ったとき、なんかいやに、にやにやしてなかったか? う~ん… 目つきもなんだか、そういやあ、妙だったぞ。あれがただラムネを飲んでいるやつのツラか? う~ん… そういやあこのガキ、ラムネ飲みながら、なんかをじっと見ていなかったか? しかしそれにしてもあのツラつきは、やっぱり妙だったぞ? そうだ、じっと一点を凝視していたぞ? なんだ? 何を見ていたんだ? なんかこの店にあるものか? このガキ、それを欲しがってるのか? いや待て。あの視線の角度、そして目の焦点の感じ、あれは、そうだ、瓶だ!このガキ!瓶の中身をじっと見てやがったんだ! いやそれにしても瓶の中身のいったい何を、あんなけったいな目つきをして見なきゃならないってんだ? ええ? いったい… ! ビー玉? こんガキ、あの、瓶の中のビー玉に対して、あんな目つきを、向けてやがってったってのか!?…… 気色わりいっ!! なんてこった!! ああいやだいやだ… ああいやだ!! それにしても妙な野郎が客になったもんだ! しかもこの野郎、おそらく盗癖までありやがるぞ。このてのガキは根性が捩じくれてるからそのぐらいのことは屁とも思わねえんだ。こんなガキはそのうち親を殺しちまったり前触れもなく同僚を突然刺し殺したり通り魔になったり碌な大人にゃあならねえことは目に見えてる。なんだかあれだな。昔読んだドストエフスキーの小説に出てくるスメルジャコフとかゆうガキにそっくりじゃねえか。本の内容は忘れちまったけどあのガキのことはよく憶えてる。このガキはあのガキにそっくりだ。まったくこの手のガキどもは全部まとめて収容所に隔離しちまえばいいんだ! そしてそのまま建物ごと燃やしちまえばいい!それができねえんだったら絶対二度と外に出られないように、厳重にあっちこっち鍵かけてよ! 高い壁で何重にも取り巻いてよ! とにかく絶対に外には出れねえようにしてもらいたいもんだぜまったくよお!


という具合に、彼は僕の妄念に感づくだけでなく、それに加えて実際にはない盗癖やらなんやらまで加えて、僕という人間をどこまでもおぞましい腐った唾棄すべき人間として心の中で断罪し、あのような架空の収容施設に収容して生きたまま焼き殺すなどという所業に及んだかもしれない。なぜなら僕はそうされて当然の人間だから! ああ恐ろしい!






  (`・ω・´) 

/     \       (`・ω・´) Δ(・ω・;)

  /  \







  (`・ω・´)         まあ

/     \       (`・ω・´) Δ(・ω・;)

  /  \






                でも結局                

               僕の思わぬ

             役者の才能が功を奏し

           そういう事態に及ぶことは

  (`・ω・´)         回避できた

/     \       (`・ω・´) Δ(・ω・;)

  /  \







  (`・ω・´)        しかしだね珠子さん

/     \       (`・ω・´) Δ(・ω・;)

  /  \









それでもやっぱり、目が合っただけでラムネを吹き出したガキ、というふうには、僕は受け取られたわけだ。

はっきりいってこれだけでも、かなり彼の心証を悪くしてしまったのは間違いないわけだ。ただでさえ目を向けてもらえないほどに嫌われていた僕がだ、さらに心証を悪くしてしまったのは間違いない。実際冷静になった後、もう一度、やつのその時の、僕がラムネを吹き出した直後の、ちょっとびっくりしたように目を大きくした後にゆっくりテレビの方に戻していった、そしてそのままそちらに固定された横顔を思い返してみると、彼は明らかに、それまで以上に僕を嫌い、そして心を閉ざしてしまったのは明らかなように、僕は思えたね。しかし!





             しかしだね、珠子さん

            それにしてもなんで僕が

            あのクソオヤジの思惑に  

           僕という人間の心の状態を

               これほどまでに       

 (`・ω・´)   左右されなければならないんだ?    

/     \       (`・ω・´) Δ(・ω・;)

  /  \






         なんであんなくっされじじいの

             お気持ちなんぞによって

            僕はこれほどの心の危機に

             陥らねばならないんだ? 

 (`・ω・´)           

/     \       (`・ω・´) Δ(・ω・;)

  /  \







               それはずいぶん

               理不尽で

             不合理なことだとは

               思わないかい?

 (`・ω・´)          珠子さん?   

/     \       (`・ω・´) Δ(・ω・;)

  /  \









               そうさ

           それはまさにそうなんだよ

 (`・ω・´)         珠子さん    

/     \       (`・ω・´) Δ(・ω・;)

  /  \










それはね、珠子さん、それは要するに、それがなぜかというと、それは結局は、僕が、この僕という人間が、全員に、出会う人全員に、好かれたい… ぜひ好かれたい… と、願っているからなんだろうね… というのも、珠子さん、僕の、この人生を、船での旅にたとえると、僕の乗る船は要するに、要するに、木や、金属や、そんなもので、できちゃいないんだ。珠子さん、僕の船はね、僕の船が何でできているかというと、それは泥、泥で、できているのさ… 笑っちゃうだろ? でもそうなんだ。僕はこの人生行路を、いつ穴が開くとも知れぬ泥の船で、渡っている、そういうやつなんだよ。そして他人の悪意はね、軽蔑はね、憎しみはね、僕のこの船に、穴を開けてしまう、最大の要因の一つなんだ。そしてその穴はどんどん広がっていく、そして僕は水の底に沈んでしまうってわけさ。おまえは太宰かってはなしだけどしかしまあ、ほんとうは、人に嫌われないようにびくびくするんじゃなくて、僕のこの船を、もっと頑丈なものに作り替えることが必要なんだろうね。そうすれば、人に嫌われたところで、僕の船は簡単に穴は開かないわけだし、もっと堂々としていられるんじゃないかと思う。そうさ、そうして僕は、何恐れることなく、彼女を奪取する。オヤジに向かって、「おいオヤジ! このビー玉くれよ!」なんて頼んでみて、どうしてもだめだった場合、そのまま奪いさりゃあいいのさ! じっさいクラスの暴れん坊、猛の奴ならそうしたに違いない。もちろんこのビー玉欲しがっているのは僕だけだったと思うけどもし猛がこれが欲しいと思ったならやつはどんな手段にでもでたはずさ! 最終的には場合によってはオヤジと取っ組み合いまで演じたかもしれない! 少なくとも! 僕のようにびくびくおどおどしながら! 指をくわえて物欲しそうにしながら! 結局何もせずおとなしくすごすご引き下がる! ヤツならそんなふうには絶対ならなかったはずさ! そうさ、男だったら! ほしいものは力づくで奪う! そういう気概ってもんが! やっぱり必要なんじゃないか!? ねえ!? そうだろ!? いや… なにもそこまでやらなくてもいいんだ… そこまで… たとえば、クラスの人気者、人たらしの颯太くん、じつはね珠子さん、僕はその店にいつも一人で行っていたと言ったけど、一度だけ、そこに向かう途中で彼と鉢合わせて、そしてオヤジの店に一緒に行ったことがあるんだ。そういうことはそのとき一回きりだった。颯太君はたまにおばあちゃんの家に行くときにその道を通るらしく、それでたまたま鉢合わせたんだけど、クラスに他にその道を通るやつはいない。だから誰かと一緒にその店に行ったのはそれが最初で最後だったんだ。それで僕らははなしをしながら歩いてちょうどその店の前を通りかかった。どうやら彼は何度かこの店を訪れたことがあるらしい。颯太君は入ろうというようなゼスチャーを僕にした。僕はうなずいて一緒に彼の後ろから店の中に入っていった。颯太君は店の敷居をまたぐと帽子を取って頭を下げて「こんにちは~!」と、いつものように明るくはきはきと、そして無邪気な素直な人懐っこい笑みを湛えて、オヤジの方をまっすぐ向いて挨拶をした。するとオヤジは、炬燵の天板の上に肘をついて手で顎を支えたまま、くるっと彼の方に顔を向け、おもしろいやつが来たとでもいうふうに口の端を上げてニカッと苦み走った笑顔を作った。それから彼の隣の僕の方にそのまま目だけを動かし僕を視界に捉えると、手のひらで支えた顔がほんの少し、ほんの数ミリほど上下にぴくんと動き、一瞬、ほんの少し目をむくような感じになって表情がなくなったが(僕が一緒なのを見て驚いたのだろう)、すぐに元の、こちらに目を向けて僕を認識する前のニヒルな薄い笑みを残した顔に戻り、しかしその笑みは消えた表情をニヒルな笑みの形に薄く変形させただけのものといった感じのもので、いずれにしろ僕の方に顔を向けていたのは、僕の方に顔を向けているわけにはいかないからだろう、元の顔に戻ってからほんの一秒足らずほどで、そしてその薄い笑みをはりつかせたまま、顔をテレビ画面の方に戻していった。颯太君はラムネなどには目もくれずお菓子が並べてある方に向かい、色々手に取って無邪気にはしゃいでいる。僕もその日はラムネは手にせず颯太君のあとについてお菓子類を見て回った。オヤジはそんな颯太君をときおり見やり、頬杖を突きながら、曲がった口からへっとちいさく笑いを漏らし手のひらの上の顔をほんの軽く上下に揺らすようにしながら口をニヤッと歪めるのだった。このオヤジの態度が、颯太君にだけ向けられたものなのか、それとも僕以外の人物に対しては、じつはそれほど愛想が悪いというわけではないのか、それについてはわからない。僕はその店で他の客を見かけたことはほとんどなかったし、客がいたとしても僕はいつもやることは同じで、緊張しながら店に入り緊張しながらラムネを取り出しそして緊張しながらお金を炬燵の天板の上に置く。それから僕はビー玉とのランデブーを心行くまで楽しみそれが終わると変な音をさせないように瓶を台に置いて声が裏返らないように注意しながらありがとうございましたと言い(それにしても今思いなおしてみるとなぜ僕がこちらを見ようともしないあのクソヤロウにありがとうございましたなどという丁寧な感謝の言葉を毎度毎度述べねばならなかったのだろうか?礼を述べるとしたら客である僕ではなくヤツではないのか?)そしてそこを後にしていたわけだ。だから他の客については誰かいるなと思うだけでほとんど注目していなかったわけだ。だから他の人に対するオヤジの態度というのは実際僕はわからなかったわけだけど、基本的には愛想が悪いヤツと僕は彼を認識していた。そして彼は僕を嫌っている。あまりそれ以外のことは考えなかった。しかしそのとき、颯太君に対するオヤジの態度を見て、僕はオヤジという人間の別の側面を発見したわけだ。それはやはり僕にとってはいささかショッキングな出来事だった。このことはつまりオヤジが他のおおかたの人間に対してもそこまで愛想が悪くないという可能性を示しているように思えたからだ。しかしオヤジは明らかに僕に対しては嫌悪を抱いている。それは明らかだ。その予測は、オヤジは大方の人間にはそこまで愛想が悪くないという予測は、そのとき、僕のなけなしの、揺らぎやすい自信というものを、軽々と、粉砕した。僕の乗る泥船に、穴が開いちまったというわけさ。できるだけなんでもないようにふるまっていたが、そこにいる間ほとんど何も考えることができず何か商品に手を伸ばそうとしたとき、手がちいさく細かく震えているのがわかった。店を出るとき、颯太君はじゃあね~!と手を振りながら元気に言い、僕はありがとうございましたと、いつもよりより一層元気のない声で、しかしいつもよりは落ち着いた声、というかほとんど放心したような声で挨拶をした。オヤジは頬杖をついたまま颯太君の方を向き、両手の手のひらを上にして肩をすくめるときのような、あんなふうななんだかちょっととぼけたような顔に少し笑みを加えたような顔をして、おう、と言った。そして僕のありがとうございましたに対しては顔を半分、いや三分の一ほどをこちら側に向けて、口を半分開け、少し眠たそうな目つきを作り僕を横目に見るようにして、顔を軽く上下に揺らすようにすばやく数回前後させてからすぐに前を向いた。僕らは店を出て、そしてしばらく行ってからじゃあねと言って別れた。さて、僕はそれから、店には行かなくなった。もしかするとオヤジは、彼(颯太君)の仲間であると認識した僕を、これまでよりも愛想よくもてなしたかもしれない。もしかすると僕がこんにちはと言って店に入ると、彼はこちらに顔を向けたかもしれない。もちろん全部は向けないだろうけれどもある程度、三分の一ぐらいは向けたかもしれない。なによりも、これまでと違って、彼は僕を()()かもしれない。これまでは、颯太君と行ったとき以外は、彼は一度も僕を()()()()()わけだけど、今度訪問したときには、彼は顔を三分の一ほど向けて僕を()()かもしれない。口を半分ほど開けて眠そうな目をし横目に睨むようにしながらだけど、僕を()()かもしれない。そうして顔を上下に数度揺らしまたすぐにテレビの方を向いたではあろうけど、少なくとも彼は僕の方を()()かもしれないのだ。彼(颯太君)の友人ということで彼の僕に対する悪感情は、そのように、「視線を少しぐらいならくれてやってもいい存在」というぐらいにまでは、緩和されたかもしれない。ありがたいことに、真にありがたいことに、そのような恩恵に、僕は浴すことができたかもしれないのだ。










 (`・ω・´)    

/     \       (`・ω・´) Δ(・ω・;)

  /  \








 (`・ω・´)    

/     \       (`・ω・´) Δ(・ω・;)

  /  \








 (`・ω・´)          はあ?  

/     \       (`・ω・´) Δ(・ω・;)

  /  \               !









 (`・ω・´)    

/     \       (`・ω・´) Δ(・ω・;)

  /  \               …










なんで、なんでそこまでして僕は、あのオヤジの好意を、いや好意の切れ端、食事にたとえたなら食べ残ったから揚げだか焼き肉だかの切れ端だかみたいな、そんな好意の切れ端、そんなものを拝受するために、あの店にこれからもせっせと通いつづけなくてはならないのだ? たしかにあそこに次回ゆけば、そのような感じにオヤジの態度はこれまでよりも少しは軟化しているかもしれない。颯太君とつながりがあるということで、彼は僕をある程度赦したかもしれない。いや待ってくれ。そもそもなんで僕は、彼に赦されなくてはならないのだ? 僕は彼に、赦されないようなことをしたとでもいうのか? いったいなんで僕は、あのクソオヤジに赦されなくてはならないのだ?






  (`・ω・´)    

/     \       (`・ω・´) Δ(・ω・;)

  /  \









珠子さん、そうだろう? なんで僕は、あの男に赦されなくてはならない? そんな必要がどこにある? それに、彼が僕を「赦す」のはせいぜい三回、四回ほどまでだよ。五回目にもなると、あの気持ちのいいおもしろいガキと友達らしいということで、その恩恵により幾分薄まっていた僕に対する我慢ならなさ、忌々しさの感情が、もうほとんどもとに戻ってしまっただろうね。いやもうそういうことじゃない。そういうことじゃないよ珠子さん。戻ろうが戻るまいが、なんで僕が彼のちんけな好意なんぞをお恵みいただくためにこれからもせっせと駄菓子屋参りを繰り返さなくてはならないのか、要はそういうことなんだよ珠子さん。ただ、問題はあの月の女神(ビー玉)だ。探せばどこかにあるんだろうけど、少なくとも学校の周辺には、あのラムネを置いてある駄菓子屋はないんだ。だけどね珠子さん。ぼかぁあのオヤジがあんなふうに颯太君に対して露骨に僕とは違う態度を見せたことに対して、その時はただショックで悲しい気持ちになっていただけだけれど帰宅してからしばらくすると今度は猛烈な怒りに僕は襲われたんだ。なんだかしれないけれどとにかくそれはかつて経験したことのないような猛烈な怒りだった。それは大げさに言うと、この世のいかんともしがたい不条理そのものに対する叫びと言ってよかったかもしれない。それで僕はね珠子さん、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかりに、あの月の女神(ビー玉)まで憎み始めたんだ! それはまるで台湾人の女と付き合っていた男がその女に手ひどい目にあわされた結果、台湾人全体を憎むようになるようなものだ。その男はネトウヨだったにも関わらず、中国による台湾併合を熱烈に支持するようになるかもしれない。そのような例と似ていたかもしれない。僕はオヤジ憎さのあまり、オヤジの髪形である角刈りからいつも身に着けている汚らしいジャージのメーカーであるどうやらアディダス、そして炬燵という存在、オヤジがいるあの畳の部屋のあのどことなくじめっとした空気感、いやもうそもそも駄菓子屋という存在自体を憎み始めていたのだ。そしてそれはあの月の女神(ビー玉)ですら例外ではなかったのだ。そして僕は月の女神に決別を告げた。それ以来二度とその店には行っていない。珠子さん、君は今、それ以来ということはあのラムネを吹き出した後もあなたは通いつづけていたのね、というふうに思っただろうね。そうさ。僕はラムネを吹き出した後も通いつづけていたんだ。もちろんすぐにとはいかなかった。それまでは週に一回は必ず訪ねていたのだけどあの事があって次訪ねるまで僕は約三週間かかった。もちろん葛藤があったわけだ。たしかにあのときどうやら僕のふやけた恥知らずな気持ちの悪い妄想は露見せずに済んだらしい。それが露見していればオヤジの頭には僕がそれを盗んで逃げるという実際には僕が絶対にしないような行為の可能性まで、僕に対する普段からの強い軽蔑と不信の念から即座に生まれ出ただろう。だけどどうやらそれについては大丈夫なようだった。それはあの事があってからバスの中で冷静にあの場での状況分析を行った結果、おそらく間違いがないだろうという結論に達した。でもやはり目が合っただけで口の中にあるものを吹き出してしまうような情緒に破綻を来している歪なガキ、という印象は、彼の僕に対する気持ちをさらに固く凍り付かせ、そしてそのまま固く心を閉ざすという結果に導いただろう。だから僕はあそこに行くことを躊躇した。しかし月の女神(ビー玉)の誘惑には勝てず、結局三週間の逡巡ののち、僕はふたたび通い始めたんだ。しかし珠子さん、颯太君との一件で、彼の憎しみが僕に対して特別に取っておかれたものということを僕が知った時、いやそれまでもうすうすなんとなく漠然とそんなふうにはどこかで思ってはいたのだけれど、そのことをはっきりと突き付けられたとき、僕の彼に対する怒りは、いや、この世の不条理な仕組みそのものに対する怒りが、爆発したんだ。それでもう終わりさ。僕はもう二度と行かないと決意し、月の女神とのランデブーもそれで終わり、というわけさ。まさにね、僕のそのときの気持ちというのは、いうなれば一人の幼い少女、五つだか六つだかの少女がある瞬間に感じる気持ちに似ていたかもしれない。その瞬間というのは、ママの眼差し、ママの眼差しが、ママのお姉ちゃんに向けられる眼差しが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それまでも、うすうす彼女は気づいていた。だけど彼女は気づいていないふりをして、それを心の奥に押しやっていた。しかしある時、ママの向かい合ったお姉ちゃんの両手を握りながら向ける眼差しを目の当たりにして、彼女はもはや気づかないふりはできなくなるのだ。なぜならその眼差しは、あまりに一途で慈愛に満ちていたからだ。そしてこれまでママが自分に向けてきた何百何千の眼差しの中で、あんな染み入るようなやさしさを湛えたようなものは一度たりとしてなかった。彼女は今まであの手この手でごまかしてきたその事実を、ママのその眼差しを目の前にしてもはや認めざるを得なくなる。全面降伏ってわけだ。そうして彼女は、世界というものが、これまで思ってきたようなものとはちがうものであると思うようになる。世界とは信ずるに値しないものと思うようになるのだ。しかしまあ僕は彼女よりは大人だったわけだし何といっても僕がそのような仕打ちを受けたのは親からなんかではなく駄菓子屋の口をきいたこともないただの偏屈なじじいからっだったわけなんだ。たしかに世界に裏切られたという印象としては、同じといえるだろうけれどその傷はもちろん全然浅いものだった。それでもやはり元々脆く崩れやすかった自信はぐらぐらと揺れ始め、元々少なからずあった対人恐怖的な症状はその後しばらくさらに強度を増して、気心の知れた友人たちさえ、恐れるようになっていた。友人たちの些細な言葉尻の投げやりな感じ、ちょっとしたそっけない態度にさえも、いちいち神経を過敏に反応させて、それの裏にあるそいつの真意を読もうとするようになってしまったんだ。こいつ、ほんとは俺のこと嫌いなんじゃないか? 俺がいないところで、こいつら俺の悪口を言っているんじゃないのか? ほんとはカラオケに行くとき、俺には来てほしくないと思っているんじゃないか? そんなふうなことを、ぐじぐじと考えるようになってしまった。そのころの僕は怒りに燃えていた。すべてが僕を否定し、おまえはおまえであってはいけない、おまえはまちがっていると、人が、目に映るものが、僕が行ういちいちの事、起こるいちいちの出来事、吐いて吸う呼吸、それらすべてが、そう僕を、脅迫しているように感じた。しかしまあしばらくすると、僕はだんだんと落ち着いてきた。友人たちに対する信頼も、だんだんと回復してきたんだ。たしかにオヤジの仕打ちは僕のその後に多少の影は落としたかもしれないが、まあそれはそれほどのものではなかっただろう。相変わらずその後も僕はあまり自信があるとはいえない人間ではあったけれど、それでもまあ自信はないなりに、それはそれでそれなりにやってきたってわけさ。それで月の女神とはそれっきりだったわけだけど、僕は今日、今、その女神にこうやって、再会を果たした。





 




  (`・ω・´)    

/     \       (`・ω・´) Δ(・ω・;)

  /  \











しかしこのビー玉は、かつてのあのビー玉とはちがう。無色透明だね。あのビー玉はもっと、ぼんやりとした緑色をしていたよ。それはまったく夢幻的で、うかがいしれなくて、それでいて炭酸水の泡の中で踊る姿は蠱惑的でときに挑発的でさえあった。まさに月の女神だね。しかしまあこれでいいのさ。思い出は思い出のままにってのも、悪くないもんだよ。しかし!











  (`・ω・´)    

/     \       (`・ω・´) Δ(・ω・;)

  /  \






  (`・ω・´)    

/     \       (`・ω・´) Δ(・ω・;)

  /  \






           僕の言いたいのはね

              珠子さん

  (`・ω・´)    そういうことじゃないんだ!

/     \       (`・ω・´) Δ(・ω・;)

  /  \







  (`・ω・´)    

/     \       (`・ω・´) Δ(・ω・;)

  /  \









 (`・ω・´)    

/     \       (`・ω・´) Δ(・ω・;)

  /  \










ではいったいどういうことだというのか?


その2につづく。

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