マイナスに振り切れている
私は泣く泣くリンストンと別れ、王都のヴィゼッタのお屋敷に出発したのだった。
「キャロ、会いたかったよ」
14歳になりもうすっかり声変わりして、柔らかく低い声になったお兄様がギュッと私を抱きしめた。
お兄様は王都のお屋敷の前でずっと私達が着くのを待っていてくれたようだ。
足元ではミドラ君がよじよじとウメの背中に登っていく。
ミドラ君のお気に入りの定位置だ。
「お兄様!お元気でしたか?」
私もお兄様にギュッと抱きついた。
随分私も背が伸びたのに、お兄様はもっと背が高くなった。しかも、着痩せするタイプで脱いだらすごいんです、の見事な細マッチョだ。
「キャロ、敬語?距離が開いたようで寂しいよ?」
「だって、もう10歳だし学園にも入学するしちゃんと敬語で話す方が良いでしょう?」
「寂しいよ?」
お兄様の頭に犬耳が見え、ク〜ンって捨てられた子犬の鳴き声の幻聴が聞こえる。
「分かったよ。いつも通りしゃべるよ。もう、せっかくお姉様らしくしようと思ったのに〜」
でも、正直敬語よりいつものしゃべり方の方が楽だ。
私はクスクス笑って早々に敬語はポイする。
「うん。やっぱりいつものしゃべり方の方がいいね」
お兄様もクスクス笑いながら、私のおでこにコツンとおでこを合わせる。
お兄様の長い髪がサラサラと顔にかかる。
「あれ?甘いミルクの匂いがする」
「ああ、これかな?」
私は手に持っていた柔らかな手巾を見せた。
「リンストンの?」
「そう。寂しくて」
ああ、可愛いリンストン。今頃何しているだろう?クンクンと手巾についたリンストンの甘いミルクの匂いを嗅ぐ
「すっかりリンストンに首ったけだね。キャロが赤ちゃんの時に僕がした事と同じ事してる」
「そうなの?」
「赤ちゃんの頃のキャロもとても可愛いかったんだよ。天使が産まれたと思った。いつも僕と目が合うとニパ〜ッと笑って、僕達は相思相愛だって分かったよ」
あ、本当に同じだ。さすが兄妹、というか私はお兄様に育てられたようなものだからよく似ている。
「お〜い、そろそろ終わりにして中に入らないかい?」
ハッ、すっかりお父様の存在を忘れていた。
キリルの方はさっさと王都の使用人達と一緒に荷物を下ろしている。
「そうだね。ではレディ、どうぞ」
お兄様は貴公子然としてスッと手を差し出す。
「はい、お兄様」
私も令嬢らしく姿勢を正して、微笑みを浮かべてお兄様の手に手を載せた。
***
王城の夜会の前夜、私達はある一室に集まりお父様とお兄様の3人で真剣な顔で話し合っている。
「キャロ、いよいよ明日が王城の夜会だ」
お父様が緊張した面持ちで私を見た。
「はい。お父様」
私も緊張した面持ちで答える。小刻みに手が震えた。
「キャロ、大丈夫だ。あんなに練習したじゃないか」
お兄様も緊張を隠しきれない笑顔で私の震える手を握った。
「お兄様……」
私はお兄様を涙目で見た。
「では、まず普通にやってみよう」
「はい」
お父様がピアノに手を置く。
お兄様がホールドを作り、私はお兄様の手に手を載せ肩に手を添えた。
大丈夫。あれだけ練習したんだ。
もしかしたら、今こそ奇跡が起こるかもしれない。
みなさん、覚えていらっしゃるだろうか。
あの、ロニドナラ侯爵領での型の訓練を。
あれから何回も訓練に参加した。
そして、分かった。私、全くこれ系の才能がないと。
いや、この言い方ではまだ優しすぎる。
はっきり言おう。
マイナスに振り切れていると……。
もう、どう頑張ってもできないのだ。
ちゃんと騎士様の動きも見ているし、みんなの動きも見ている。
恐ろしいほど、頭からの神経伝達がおかしい。狂ってるのか?
最終的に訓練場では、私はそういう生き物という事で落ち着かれてしまった。
まあ、訓練の型ができないのはしょうがないが支障は少ない。
私が笑われるくらいだ。
青褪めるほどまずいのは、そう、貴族が避けて通れないダンスだった……。
ダンス室にお父様のピアノでワルツ曲が流れる。
多分、一番リズムが取りやすい曲で、尚且つ、お父様は3拍子をわざと大袈裟に弾いてくれた。
いける気がする。
いや、いける気がしただけだった。
完璧に踊るお兄様の足の上を見事パーフェクトに踏み続けた。
それはもう、華麗にステップを踏むお兄様の足を全て華麗に踏み抜きまくった。
普通に踊るより私は難しい事をしている気がするのは気のせいだろうか。
しかしお兄様、これだけ踏みまくっているのに顔は優しい笑顔で、顔だけ見ていたら踏まれたなんて微塵も感じさせない。
素晴らしすぎる。
私も見習って顔だけでもと素敵に踊ってます風の笑顔を浮かべた。
そんなある意味顔と足が全く合っていないダンスもとうとう終わりを迎える事となる。
大内刈り一本!それまで。
足を引っ掛けて見事に2人ですっ転んだのだった。
「2人とも大丈夫か!?」
ピアノを弾くのを止めて、お父様が慌てて飛んできた。
「キャロ、怪我してない?」
「私は大丈夫、お兄様が庇ってくれたから。お兄様は怪我してない?」
私はお兄様の上から急いでどいた。
「うん。僕も大丈夫だよ」
良かった。お兄様も無事だ。
「お兄様、ごめんなさい」
「大丈夫だよ。キャロ、気にしないで?」
優しいお兄様の言葉に涙が出そうだ。
やはり、奇跡は起こらなかった。
あんなに頑張ったのに。
これは本気で夜会のダンスはやばいのではなかろうか?
「キャロ、じゃあ、次やってみよう。いいかい?曲は聞かない。考えない。ハウルの動きだけ感じるんだ」
うん。どう聞いてもダンスのアドバイスじゃない。
しかし、私は神妙に頷いた。
もう、これしか方法はないのだ。
「お兄様、お願いします」
「キャロ、僕に全てを任せて」
私達3人は力強く頷いた。
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