攻略対象パスカル・リッターソン
パスカル視点のお話です。
筋肉……それにいつから魅了されたのでしょうか、あるいは魂に刻まれていたのかもしれません……。
熱い血潮を感じさせるの雄々しい肉体、雄大で逞しい肉体、野生的で荘厳な肉体、全てにおいて筋肉は私の目を奪うのでした。
「父上、私は体を鍛えたいです」
剣の訓練の始まった2つ上の兄を見て4歳になった私は父上に頼みました。
しかし、答えは否。
3歳にして秀でた頭脳を持つ私に、父上は宰相を継がせるべくひたすら勉学に励むことを望まれました。
父上の言葉は絶対の掟でした。
筋肉を鍛える事は否、勉学は諾。
だから、筋肉の本を探しました。
私は筋肉の本を見つけては、はじからはじまで何度も読み耽ります。
これは勉強なのです。
それが私と筋肉に許されたギリギリのラインでした。
「パスカル、お前にマルケット伯爵家から縁談が来た。イザベラ嬢、お前と同じ6歳だ。マルケット伯爵家は貿易を握る一族だ。是非、繋がりを持っておきたい」
ある日執務室に呼び出されると、父上が見合いの絵姿を見せておっしゃいました。
私の瞬間記憶の魔法は常時発動しているので、その見合いの絵姿が自然に脳に入ってきます。
私はそれを脳内の興味がないものの棚に処理しました。
「分かりました。私は宰相にはならないのですか?」
「いや、お前が宰相になるのは絶対だ。マルケット伯爵家も了承している。伯爵家はイザベラ嬢に全てを委ねるようにしたいそうだ。お前は婿入りだけして宰相を務めよ」
父上は、領地は兄上に、宰相は私に継がせるおつもりです。
マルケット伯爵家は、海のある領地で貿易が盛んな裕福な家と記憶しています。伯爵家としては領地は娘に継がせ、領地経営には口を出さない婿を望んでいるのだそうです。
宰相になる予定の私はその婿にうってつけ、父上にとってもマルケット伯爵と繋がりが持てることは有益なものでした。
私の愛するものは筋肉です。
そもそも、私は筋肉以外に興味を惹かれたことはありません。
きっと御令嬢を愛する事もないでしょう。
しかし、この縁談は父上も望んでおります。
よって、この婚約は絶対です。
父上はお見合いの場であるお茶会で、よくマルケット嬢と話し交流を深めよと厳命されました。
私は諾と答えました。
それ以外の選択肢は、私に許されていません。
――お見合いの場でもあるマルケット嬢のお茶会に参加はしたものの、途中からマルケット嬢の姿が見えなくなりました。
私はぼんやりとペットの広場を走る子供達を見つめます。
ああ、あの彼は僧帽筋が美しいですね…あちらの彼は大腿四頭筋の辺りをもっと鍛えると良さそうですね…あちらの彼は上腕二頭筋で……ああ、やっぱり筋肉は素晴らしいですね。
筋肉を見るだけで至福を感じます。
しかし、その至福の時が子ブタによって破られました。
何故お茶会に子ブタが?
厨房から逃げて来たのでしょうか?
「子ブタ?食用?いや、首輪をしているからペット?子ブタをペットにするなど奇特な方もいるのですね」
私は足元の子ブタを抱き上げるとその体を観察しました。
やはりブタはブタですね。
フヨンとたるんだ体をガッカリして見つめました。
「子ブタよ、このたるんだ体は何ですか?」
この怠けた体をどうしてくれましょう。
「あなたの場合、全て鍛えるようですが、そうですね、まずは広背筋と腹筋ですかね、いや大腿四頭筋からでしょうか。ああ、腸腰筋と……」
考えると意外に楽しいものです。
気持ちが昂揚します。
「ハムストリング」
そう呟いた時、いきなり飛び出た少女に子ブタを取りあげられました。
一体何が?
現状を理解しようと私は目の前に立つ子ブタを抱いた少女を見ます。
頭に葉っぱをつけオレンジの髪をした少女は見覚えがあります。
私は興味がないものの脳内の棚にしまった見合いの絵姿を思い出しました。
「君は……マルケット嬢?この子ブタはあなたのペットですか?」
「違います。私の子ブタです」
もう1人今度は枝を頭につけたピンクの髪の少女が飛び出して来ました。
ふむ、こちらの御令嬢の方が足腰に良い筋肉がついていますね。
そうですね、ピンクの御令嬢は鍛えるとしたやはり広背筋から上腕二頭筋にかけて……と思考がそれたところで父上の厳命を思い出しました。
まあ、子ブタが誰のペットでも興味はありません。
父上の厳命が第一です。
この少女と話をして交流を深めるのでしたね。
「そうですか。改めましてマルケット嬢、私はパスカル・リッターソン侯爵令息です。父上から縁談相手のあなたと話すように言われています。マルケット嬢も言われておりますよね?」
「……はい」
ふむ、お話、会話、コミュニケーション?興味のない者と何を話せば良いのでしょう?
私は一生懸命に考えました。
相手も答えやすい質問ですと、やはりこの質問でしょうか?
「マルケット嬢は筋肉をどう思いますか?」
「え?筋肉?どう思う?」
何故すぐ答えられないのでしょう。
至高、高潔、雄大、荘厳……いくらでも言葉があるでしょうに。
「では、質問を変えましょう。お好きな筋肉は何ですか?」
「え?好きな筋肉?」
こんなに簡単な答えもいただけません。
何故か、足腰の筋肉がよく鍛えられたピンクの髪の友人を紹介されましたが、御令嬢が自分の顎に入れる拳以外は興味は皆無でした。
そんなアッパーではいけません。
私はアドバイスをしました。
ああ、分かりました。きっと、マルケット嬢も縁談に乗り気ではないのかもしれません。
そんなのはお互い様です。
しかし、それは許されない事です。
父上がこの縁談を望んでおられるのですから。
「マルケット嬢、私は筋肉を愛しています。君の事を愛することはないでしょう。しかし、父上が私とマルケット嬢の婚約を望みました。故にこの婚約を私は受けるつもりです」
私も筋肉以外愛するつもりはないので、先に伝えておけばマルケット嬢も私を好きになれない事を気にする事はないでしょう。
「ま、まあ……そうですの。そう、そうですわね……政略結婚でしたら当たり前の、あれ?筋肉?愛してる?……そう、当たり前の考え方ですわ……ホホホ……?」
そう、これはただの政略結婚です。
貴族なら当たり前の事です。
「ふざけるな、パスカル!私と勝負だ!私が勝ったらこんな婚約はなしだー!」
「ふざけるなでございます!パスカル!私と勝負です!私が勝ったら、この婚約はなしです」
ピンクの髪の少女は同じような事を二回言った。
――――結果を言いましょう。
ボロ負けでした。
当たり前ですね。
まずこの勝負に私達のチームに勝ち目がありません。
何故なら時間が無制限なのですから……。
良くて、ずっとずっと逃げ続け、日が暮れた頃に暗くなったから勝負はここまで引き分けと言われるくらいでしょう。
何故ならあの阿呆のせいで時間無制限なのですから。
しかも、走るなど私はした事がありません。
モタモタと一歩目を踏み出そうとしているうちにタッチされました。
瞬殺です。
せめて言動に責任持って逃げ続けてくれれば引き分けでしたのに、あの阿呆もまた捕まりました。
呆気なく勝負はつきました……。
あの阿呆を見るとこの腹がグツグツする感覚はなんでしょう?
不思議な感覚がします。
グダグダとあの阿呆が何か言ってますが、これ以上の失態はなりません。
さっさと黙らせます。
阿呆は最後まで阿呆でしたね。
でも勝負は勝負です。
「分かっています。この婚約は」
「私は婚約を受けますわ」
え?
「リッターソン様、一番は筋肉で構いません。私もマルケット領が一番ですから。ただ、二番はお互いになるように努力いたしませんか?」
一番は筋肉で構わない?
そんな事は誰にも言われた事がありません。
筋肉を愛する私を肯定する言葉を初めて聞きました。
私は初めて、人を筋肉ではなく人として見つめました。
その髪と同じオレンジの瞳に強い意思がこもって私を見ています。
私は筋肉が一番好きです。
でも、この瞳は美しいと思いました。
そうですね、一番が筋肉で良いのでしたら二番は彼女でも良いかもしれません。
「約束します。私の二番はイザベラ嬢です」
――――そしてこの後、私はイザベラ嬢とおかしなピンクの髪の少女に背中を押されて生まれ変わる事となるのでした。
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