ソロバン普及の第一歩
私は領地にそろばんの普及を心に誓ったのだった。
無事に書類が仕上がり、お父様は段ボールサイズの送信の魔道具に書類の束をゴソッと納めて魔力を流し、今年も何とか乗り越える事ができた。
この送信の魔道具は氷の1の月始めに王城から送られてきて、その中に書類を納めて魔力を流すと、あら不思議、中身が王城に送られる優れものだ。
この魔道具は一回使うと魔法陣が消え、ただの蓋なしの木でできた箱になる。
他の貴族家では捨てているようだが、うちはもったいないのでとっておいている。
貧乏になってからずっととってあるので結構な量が溜まっている。
そのうち何かに役立つ日が来るだろう。
さて、雇っていた5人だがもう風邪も良くなったようなのでお父様に呼び出してもらった。
まずは繰り上げと繰り下げの確認だ。
毎年お父様は書類の作成はまるで火事場のように大変な有り様で、終わった後は魂が抜けたようにぐったりだ。
まさかこの5人が計算ができていないなんて思いもしなかった。
しかも、一桁や、繰り上げと繰り下げがないものは完璧だったので余計に気づかなかったようだ。
呼び出された5人は10年間王都の商会に勤めたが領地に戻ってきた者達らしい。
一番年長の40歳くらいのノットさんは、筋肉隆々の山賊みたいだが、眉が八の字だ。
そっくりな男2人はは双子だそうでチャパさんとチャスさんという。まだ20歳を超えたくらいで細目でヒョロっとしている。落ち着きなく目をキョロキョロさせている。
お父様と同じ年くらいのサウドさんは珍しい褐色の肌でなかなかの男前だ。うちの領地の娘さんと結婚しているそうだ。
そして最後の一人は気が強そうな雰囲気のソバカスのあるグラマラスな女性だった。サウドさんの奥さんのサリーさんだ。2人は同じ商会で働いていて恋に落ち、サリーさんが領地に戻る時にサウドさんもくっついてきたらしい。
「あのよう、伯爵様。俺達だって好きで風邪ひいたわけじゃないんでさぁ」
「「ほ、本当に申し訳なく思ってます。すみません、すみません」」
「サリーの分の罰は俺受けるする。ごめんくさい」
「サウドは悪くないよ。あたしが先に風邪ひいてうつしちゃったんだから。領主様、罰はあたしが受けるよ」
みんな涙目で必死の形相だ。
5人とも呼ばれた理由を勘違いしているようだ。
「今日、君達を呼んだのは風邪をひいた事を責めるためではないよ。正直に話してほしい。君達は繰り上げと繰り下げの計算はできるのかい?」
「繰り上げ?繰り下げ?」
みんなが小首を傾げた。
「お父様、私から話しても良い?」
お父様が頷くのを見て5人の正面に立った。
「初めまして。ヴィゼッタ伯爵が娘キャロラインです」
お兄様直伝、小首を傾げてフワリと微笑みながら自己紹介した。
怖くない、怖くない、優しい貴族だよ〜。
みんなの強張っていた顔が和らぐ。
よし、この調子でいこう。
「みなさんに質問しちゃうぞ〜。15足す2はな〜んだ」
急に質問した小さな私にみんな目を丸くするが声を揃えて17と答えた。
「正解〜、パチパチ〜。じゃあ〜、15足す7はな〜んだ」
「……2?」「12?」
ああ、やっぱり。
一の位は出るのに繰り上げの十の位があやふやだ。
「ブ、ブ〜!」
私は持っていた木の実を15個出して見せる。
「みんなで数えるよ〜。い〜ち、に〜い……」
みんなも生真面目な顔で一緒に数える。
「じゅうご〜!じゃあこれに7個合わせると〜?」
私は7個の木の実を出していく。
みんながあっと言う顔をして満面の笑みで22!と答えた。
「正解〜!」
「商会に10年勤めて、計算を教わったりしなかったのかい?」
お父様が尋ねると、みんなが顔を見合わせた。
「俺達がヴィゼッタ領出身だから、ミンドル商会ではずっと下っ端の荷運びしかさせてもらえなかったでさぁ」
「「文字や計算はミンドル商会の奴らの見様見真似でどうにか覚えたのですが、間違っていたのですね」」
「サリー達いっぱい意地悪されるした。可哀想した。俺奴ら殴るした。奴らクビ言うした」
「サウドは私を助けてくれただけだろ?あのミンドル商会の馬鹿息子が私に愛人になれとかせまるから……」
「そうだ、そうだ。あんな商会なんか未練ないでさぁ」
話を聞いてお父様と顔を見合わせた。
うちが末端貧乏田舎伯爵家のために領民まで舐められてしまっているのか。
申し訳なさすぎる。
「うちが不甲斐ないばかりに申し訳ない」
「ごめんなさい」
私とお父様は頭を下げた。
「とんでもないでさぁ」
「「前領主様は本当に立派なことをしました」」
「悪いのは王家だよ!」
え?王家?
私はお父様を見ると、お父様は困ったように眉を下げ小さく後でねと言った。
王家の話も気になるが、とりあえず私の計画を優先する事にする。
「風邪を引いて仕事ができなかったことも計算ができなかった事も、もちろん罪に問う事も罰を与える事もない。きちんと今回の賃金も支払おう」
みんながホッとしたように胸を撫で下ろした。
「ただし、その代わりにキャロラインに従ってもらう」
不安そうに私を見るみんなに大丈夫だよ〜と気持ちを込めて、お兄様にまだ早いと止められた事も忘れてウィンクをして顎に握った手を当てた。
みんなの顔が引き攣った。
やっぱり、何をさせられるか心配だよね。
「ジャジャ〜ン!」
私はお兄様と一緒に作ったソロバンをみんなに見せた。
手作り感満載なのは何分子供の手仕事だから仕方ない。
ちなみにお兄様は学園に入学する準備中でこちらには来られなかった。
「みんなにはこれで計算のお勉強をしてもらうよ〜!」
みんな、いよいよ混乱した表情になる。
「い〜い?この下の珠はいくつあるかな〜?」
「4つでさぁ」
ノットさんが恐る恐る答えた。
「正解〜!」
私はその調子でどんどんソロバンの使い方、繰り上げと繰り下げを教えていく。
一桁の計算と、繰り上げと繰り下げがなければバッチリのみんなだ。
あっという間に繰り上げ、繰り下げを理解をして、ソロバンを拙い動きではじいていく。
「お嬢!分かったでさぁ」
「「なるほど!分かりました!お嬢」」
「分かるした!お嬢」
「すごいよ、お嬢!あたしも分かった!」
いつの間に私はお嬢呼びになっているが、まあいいか。
みんなでキャアキャア喜ぶうちに、ポロポロとサリーさんが泣き始めた。
「嬉しい……。やっと、理解できた。あいつらはあたしが女だから教えるだけ無駄とか言ってたけどそんな事ないじゃないか」
「うん、サリー。嬉しいね。あいつら僕は外人の血入るしてるから計算無理言うしたけど、俺もちゃんと理解できるした」
サウドさんもワンワン泣き始めた。
「ああ、俺も腕力だけの馬鹿だから計算なんかできないって言われたがちゃんとできたでさぁ」
「「僕達も馬鹿だ、阿呆だって言われたけどそんな事なかったです。ちゃんと分かりました」」
ノットさんも男泣き始めて、チャパさんとチャスさんもオイオイ泣き始めた。
私は泣きじゃくるみんなを一人ひとり抱きしめた。
「そんな環境で10年も踏ん張って、自分で文字も計算も覚えたみなさんを私はすごいと思います。心から尊敬します。みなさんは学べばもっとできます。これから一年、一緒に頑張りましょう」
みんなは泣き腫らした目に強い光を宿して頷いた。
ここに、ヴィゼッタ伯爵領に種が撒かれた。
どんな花が咲くかはもう少し先のお楽しみ……。
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