「クソが」
イリアス君視点ですが、このお話の主役はティアラちゃんです。
必死で引き止める父上を振り切り、ヴィゼッタ伯爵家の兄妹は帰って行った。
訓練のお邪魔をしてごめんなさいと、申し訳なさそうに涙目で謝り続けたキャロの姿が私達になお一層の後悔を生ませた。
傷に塩をグリグリと塗り込まれていく心地だった。
2人を乗せた馬車が見えなくなり、私達は父上の執務室に集まった。
思い切り縁談と勘違いした父上は執務室の机で頭を抱え、やらかした母上はソファに座り気まずげに目を彷徨わせた。
隣に座ったティアラも静かに俯いている。
「私はキャロと婚約しても良いです」
母上達と向かいのソファに座った俺は父上を見て告げた。
一人の女の子に縛られるのは嫌だがキャロなら良いと思ったのだ。
貧乏伯爵家だが、容姿は群を抜いて可愛らしいし、あれほど心が優しいキャロなら婚約してあげても良いと思った。
むしろ早く結婚したいくらいだ。
「お前は馬鹿か?」
「え?」
「ヴィゼッタ伯爵家はうちとの縁談を特に望んでいないと聞いてなかったのか?」
「それなら、こちらから縁談を申し込めば良いのでは?」
母上はやらかしてしまったが、俺は特に何もしていないし高位の侯爵家からの縁談は喜ばれるのではないかと単純に思ったのだが違うのか?
それに俺を嫌がる女の子がいるわけがない。
女の子はみんな俺のことを大好きで、俺も女の子が大好きだ。
「レティライトがあのような無体を働く前なら縁談の申し込みもできただろうが、今となってはまず無理だ。なぜあのような無茶な訓練をしたのだ?」
父上は母上を睨みつけた。
しかし、そんなものに怯える母上ではない。
「そもそも、あなたが私達の話を聞かなかったからこうなったのでしょう!?私はロニドナラ侯爵家に相応しい相手をイリアスに迎えたかっただけですわ」
「ヴィゼッタ伯爵家には恩があると言っただろう!?」
父上がガンと机を叩いた。
「だからって侯爵家に相応しくない相手は迎えられません。私は侯爵家を守る義務があります!そもそもいったいどんな恩があるのですか!?」
「言っただろう、飢饉のおり食糧を差し入れられたと」
「しかし、王家からすぐに食糧が無償で差し入れられたではありませんか?よほど王家の方が恩も大きいですわ」
父上はグッと詰まったが深く息を吐き出した。
「今から話す事はここだけの話にせよ。王家が絡んだ話し故、先代であった父上も詳しく私に話さなかったがあの食糧はヴィゼッタ伯爵家の物だ」
執務室に息を飲む音が静かに響いた。
「は?まさかあの飢饉のおり王家が無償で配った食糧ですか?」
「そうだ。何があったかは詳しくは父上も分からぬようだが間違いない」
「しかし、ヴィゼッタ伯爵家は何の栄誉も褒賞もなく落ちぶれているではありませんか?」
それには父上は答えずジッと目をつぶられた。
それにも王家が絡んでいるのか。
察した母上も唇を噛み締め俯いた。
何ということだ。
俺は国民を救ったヴィゼッタ伯爵家をあれほど蔑み侮ってしまったのか。
恩を仇で返してしまったのだ。
「そんな……」
母上は青くなって項垂れた。
その時、静かに俯いていたティアラがドゴンとローテーブルを拳で2つに割った。
え?割った?
ティアラが小さく「クソが」と呟いた。
え?クソが?え?空耳?
父上と母上も目を白黒させてティアラを見た。
「恩とか王家とかどうでも良いのです……。私の大事なお友達にみんな何ていうことを?」
顔を上げたティアラの目が暗く据わり、テーブルを2つに割った拳は無傷で怒りに震えている。
「ティ、ティアラ?」
「お兄様、縁談を申し込む?あれだけキャロ様を下に見ていて?そのお花畑な頭の髪を全て毟りますよ?」
俺はヒッと頭皮を押さえた。
お祖父様はツルツルだし、父上は生え際が密かに後退し始めている。
「お母様、いたいけなキャロ様に無理な訓練をして気絶までさせたうえ水をかけろ?侯爵家のため?それがお母様の騎士道ですの?ハッ!」
無理な縁談に頭に血が昇っていた母上に、日頃から語る清く正しい騎士道精神を思い出させたうえで、思い切りハッに蔑みまで込めた一撃を放つ。
母上はブルブルと震えながら騎士道とはとブツブツと呟き始めた。
「お父様、そもそもお父様が勘違いなさったのが原因ですわ。そろそろ脳みそに筋肉以外をお詰めになったら?」
「な、な、な、な……」
全く脳筋の自覚のなかった父上は溺愛している娘にまるで虫を見るような目で見られ、ガーンとした顔で「な」しか言葉が出ない。
最後にティアラは半眼で私達を静かに見回し、「クソが」と心からの一言を言い残し執務室から出て行った……。
それからティアラは部屋に籠り、父上と母上が呼べど、謝れど一切を無視した。
もちろん俺も完全無視されているどころか、話しかけるとドゴリと部屋から鈍い音がする。
せっかくできた初めてのお友達に家族がひどい事をしたのだ。
その怒りは半端なかった。
おとなしい子を怒らせると怖いと聞いた事があるが、気弱な妹の本気の怒りに父上も母上も私も震え上がり途方に暮れた。
ロニドナラ侯爵邸はトグロを巻くほど暗く沈み、訳を知った家令を始め侍女やメイドにも冷たく見られ、もう駄目だと思った神のタイミングでキャロからティアラに手紙が届いた。
「まあ、キャロ様からお手紙?」
『心配をかけてしまってごめんなさい。もう元気だよ。また訓練に行ったら、いっぱいお話ししようね!楽しみにしています』
春の日差しのような暖かさが侯爵邸を包んだ。
そうしてやっと部屋からティアラは出て来たのだった。
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