4ページ目「本気になりすぎるなよ……」
過酷な航海により新大陸を発見したコロンブスやレイフ・エリクソンのように、或いは不老不死を追い求め旅をしたギルガメシュや徐福のように。この世界のこの時代には『冒険者』という名の何でも屋、出来る事ならなんでもする傭兵稼業が盛んになっているらしく、大陸の中央諸都に至っては人口の凡そ六割が冒険者として日銭を稼いでいるらしい。
冒険者。
オレがこの世界にやってくる前の世界でもよくRPGゲームや異世界転生物の小説で聞いたフレーズだ。しかし俺がやってきた時点のこの世界では確かにそんな職業も存在はしていたが、人口の六割を占める程界隈が賑わってはいなかった。
200年も経てば世界は何もかも一新されている、か。
まあ、前に起こった大規模な侵略戦争で数多くの小さな村や街が滅び、復興された大きな都市や街以外は殆どが打ち捨てられ風化していたり、財産や文化財を隠したまま護る者の消えた場所だって少なくないだろう。トレジャーハントでそういう宝物を手に入れられれば一攫千金なんて事も全然有り得るのだから、冒険者が急増し世に蔓延るのも当たり前と言えば当たり前か。
「そろそろ仕事だよ、マルエルちゃん」
「はーい」
従業員室でバニースーツに着替え、軽く酒を飲みながらそんな事を考えていたら三度のノックの後にオーナーが声を掛けてきた。
200余り数十歳の異世界転移者マルエル。中身が男のまま女の肉体に物理的変貌を遂げたオレは、中央都にあるバー&カジノクラブ『黄金不夜城』に勤務するバニーガールである。
バニーガールと言っても業種は様々で、この店では等級によって業態も給与も変わってくる。
オレは丹精込めて自分で直接コネコネ容姿を作り上げたので特に驚きもなかったがAランク、最上級ランクの一個下である。
オレがそのランクを言い渡された判断の基準としては、『顔良し、若見え良し(成人していると言ってある)、愛想良し、礼儀作法及第点、本人希望業務によるランク調整』といった具合に、複数の視点から評価されていた。
ランクを下げられた要因としては大きいのは、お触りは過度でなければ構わないが『特別奉仕業務』は絶対にバツという現代人的倫理観がこの時代と合っていないという事だ。
後、オレの声は低めで少しガラついている。社員は「綺麗だけど人を選ぶ声質で、こういう所に遊びに来るお客に好まれる声質ではない」と言っていたし、そういう細かな所もランク付けには重要なのだとか。
まあ遊び場だしな、キャピキャピ高い方が場の雰囲気にマッチしていて都合がいいか。
「よっ、おはようマルエルちゃん!」
「今日も一発カマしてくれよリトルクイーン!」
「ははは……」
洋画のような軽いノリで話しかけて来るバンドの人らに愛想笑いをし、ポールの横に立つ。厳かに、淫靡な音楽が流れると共にオレはストリップショーを兼ねたポールダンスを披露する。
これは決してオレがそういう癖があるとかでやっている訳では無い。オレには莫大な借金があったのだ。
借金を返済する為に始めたこの店でのウェイトレス業務。それが続けているうちに頼まれる業務が増え、それらをやってみたら案外出来ちゃったりして、給与が爆発して。
といった具合に、あれよあれよと教わった技術を身に付けた果てにあったのがこの、80年代90年代に流行ったようなエロストリップショーダンサーなのである。
まあSランク等級ではないのでその前座ということで、披露時間も長くないし特別な衣装を着る訳でもないからいいのだが。にしても、自分から客に胸や尻を見せるように踊るのはやはり恥ずかしいものがある。
オレはこれをひたむきな仕事への熱意で真面目に取り組める程プロでも無いし、生粋のダンサーという訳でもない。メンタル的に恥ずかしさは拭えない。
きっかけさえあればすぐにでも辞めてやりたいが、きっかけもやりたい事も無いのでダラダラとこのような生活を続けてしまっている。
はーあ。分かってはいたが、マリアも居ないし目的であった女体化を遂げてしまった後のこの世界はあまりにも退屈だ。女体化の手段として習得した魔法なんかも、もうほとんど使う機会無さそうだしなぁ。
「おつかれさん」
「ありがとーマスターさん」
出番が終わると、後はウェイトレス業務や暇そうな男の人を引っ掛けて酒を頼ませたりゲームをさせる業務に移行するのだが、この店は正直従業員の数が充実しているのでそこまで皆が皆率先して働く必要もあまりない。
程々に働き、程々にサボる。それがスタンダードなくらいで、オーナーもその業務態度に対し何も言わない。
オレは椅子に腰掛けてバーのマスターが出してくれた一杯の酒を口に煽った。お気に入りのラム酒をストレート、んみゃい。キャラメルやアーモンドを思わせる濃厚な香りが広がる、飲んだくれたくなるな〜。
「やっと見つけたぞ、我が恨み!」
「んぁ?」
おかわりで貰ったロックのグラスを揺らして遊んでいたらなんか知らない男に話し掛けられた。……え、なんでこの人ウチの制服のバニースーツ着てんのきっしょ。変態か?
「……指名、という事でよろしいでしょうか?」
「ああ指名だね、紛れもなくハッキリクッキリと指名する。僕は君にリベンジを申し込むッ!!!」
なになに、なんかノリが熱くない? ジョジョみてぇなノリしてないこの人? 仮にもバーだよ、静かにしよ?
「ええと、でしたらホールか二階の二種類ゲームスペースがあるのですけど、どちらで遊びますか?」
「……」
男はホールを観察しながら考え込む。一階大ホールは一度のゲームで大きな賭け金を使って遊ぶメインスペースであり、人も多くイカサマもし辛い作りになっている。二階はプライベートスペース、友達同士や異性との交流、ゲームの練習に使うのが主で、特にイカサマに対する対策も無い卓が多い。
後、この店に慣れていない客をその日の金ヅルにしたり違法物の取り引きにもよく使われるのは二階だ。オレもよく手持ち金が寂しくなったら何も知らなそうな若者を連れて行ってイカサマに稼がせてもらっている。
ここは欲望の渦巻く場所だ。大金だけ持った素人なんて、金を騙し取られなければむしろ帰り際に命と金を両方持ってかれるような最低治安の場所だ。イカサマに嵌められるなんてのはむしろ生易しいんだぜ、というわけで反省も後悔もしていない。職権乱用最高。
「二階で」
「……二階ですね。かしこまりました、こちらへどうぞ〜」
二階、か。そういえばさっきリベンジがどうたらと言っていたが……まさか二階に仲間が控えていて襲われるなんて事はないよな? そんな事になったら大声で泣き喚くが。
「じゃあ席は」「あそこの席空いてるだろ、窓際の。あそこがいい」
「……? 分かりました」
男は窓際の日の差している席を指定した。ゲームをするならまず選ばないような席だ、日光が反射して鬱陶しいし。あくまで二階部分に開放感を与える為だけに置いてある飾りのような席なのに、そんな場所を選ぶんだなあ。
席に着き、トランプ、サイコロ、チップケースを机上に置く。
「ゲームはブラックジャック、バカラ、アス・ナス、シックボー、クラッパス。どれになさいますか?」
「ブラックジャックで」
「かしこまりました」
ブラックジャックか、助かった。イカサマしやすいやつを選んでくれたな。
この世界にはシールという発明はまだない。つまり、未開封を示すシールはまだ存在しておらず、客はオレが用意したトランプが未開封なのかどうか分かる術は無いのだ。
バイスクルトランプのような素材の良いトランプはあるが、いくら素材がよくても傷を付けられないなんてことは無い。
オレは予め、いくつかのカードは四隅のめくれやサイドの傷で把握出来るよう記憶している。直近のイカサマ稼ぎした時もそれを利用し、最初に相手に2連勝させて警戒心を抱きにくくしてから金も身ぐるみも剥いでやったのだ。
使う枚数の少ないブラックジャックならほぼ確でオレは負けない。見た目子供だからと甘く見たなカモめ。
……ん? そういえば、この男の顔どこかで。
「……あっ!」
「気付いたようだな」
不敵な笑みでそう肩を揺らしながら、邪悪な笑顔を男を浮かべる。こ、こいつは……3日前に身ぐるみを剥いでバニースーツを寄越してやったあの時のっ!
冒険者やってるそうだし、社会勉強にと一つ依頼をバニースーツ姿でさせてやろうってんであんな格好をさせたのに、なんでまだバニースーツ着てるんだこの人……? 女装癖? にしても趣味が尖り過ぎてるけどなぁ。
「お前、あの時イカサマしただろう」
ギクリ。おいおい、まさかゲームに夢中になってる隙に刺しに来たとか言わないよな……? セキュリティ呼んでおくか……?
「まあ待て。待つんだ小娘よ。別に変な事をするつもりで来たのでは無い。むしろ、来た時点で変な事をしているまであるからな」
「……そうですね。確かに、今のお客様は度し難い変態に他ならない格好ではあります」
「黙らっしゃい!! 良いのだよ、今年19にもなる大の男が女性用のバニースーツを着てずっと股間と尻に生地を食い込ませているなんて話は」
「ヴォエッ!」
「ふふふ」
なぜ得意気になるんだろう。窮屈してるよお前の下半身は。
「イカサマは良いんだ、見破れなかった僕が悪かったのさ。見破れなかった側の能力不足、イカサマをする側に実力で上回られたに過ぎないのさ」
「名言ですねぇ。なんの引用ですか?」
「僕オリジナルだよ!!」
「すごーい」
パチパチパチと拍手してやると男は無邪気にわーいと喜んだ。楽しい奴だなこいつ、周りを幸せにできるじゃん旅芸人か?
「だが、またイカサマで連敗を喫するわけにも行かない。という訳で見せてくれ、そのトランプ」
「そうですね、どうぞ」
相手の要求に何のリアクションもせずサッとトランプを渡してやる。
イカサマと言ってもオレのやっている事は傷や汚れの暗記、パワープレイにも近いイカサマだ。その判別をしている傷も素人なら気にしないような小さな物ばかり、三日前あんなにドツボにハマって金をスっていたような男にカラクリを見破れるとは思えない。
というか普通怪しいと思ったら第三者に全く別のトランプを持ってこさせるとかするべきなんだけどな。コイツはイカサマを見破る気でいるが、それをしない時点で大した事ないのは分かり切っている。下らん消化試合だ、さっさと有り金全部溶かさせてくれ〜。
「……少し使い込んでいる程度の何の変哲もないトランプ。一応、お嬢さんの服を確認しても?」
「構いませんよ。どうぞ」
立ち上がり、男の隣まで来て両手を広げてやる。別にどこにもカードを隠したりしていないさ。男はオレの身体には触れず、目視で各部位を確認していく。
「ぶほぁっ!」
あ、鼻血吹いた。なんなの、前も思ったけど漫画のキャラ? しかもネタが古いんだよな。
一応オレの座る席や机の裏も確認し、特にカードが隠されていないのを確認した男は最後にもう一度だけトランプをチェックした。その後に、オレもイカサマし返される可能性を考慮しトランプを手に取ってから洗ったばかりの布を持ってきて男に渡してやる。
「では、チップを」「それなんだが、実は僕1文無しなんだ」
「……お引き取り願ってもらってもよろしいですか?」
「現金以外を賭ける、というのはどうだろうか」
男は自信満々にそう言うが、現金以外って。身ぐるみも剥いで、装備品の類も全部刈り取ってやったんだぞ? 何が残ってるというんだ。
「具体的に何を賭けるんですか?」
「僕自身を賭けよう」
「……はい?」
「言葉通りの意味さ。もし僕が君に三回負けたら、僕は君の奴隷になろう。それも、口約束での奴隷契約ではなく、魔法を用いた魂への隷属を受け入れる」
「は、はい!? いやいやっ!!」
その場のノリで言っているのかと思いきやとんでもない事を言い放ち彼は自身の首に石の錠を掛けた。過去に見た事あるが、アレは奴隷がつけている『隷属の錠』だ! しかも彼が今"魂への隷属を受け入れる"などと口にしたせいで、魔道具としての機能が作動し、オレに対し仮の契約状態が結ばれてしまっている!!
「な、なんてことを……」
「先に"三回ゲームに負けたら"という本契約の条件を口にしているから、それが叶わない限りもう一度『隷属の錠』が発動する事は無いさ。それに君から一定間隔離れれば仮契約状態の『隷属の錠』は外す事ができる。勿論、君はこの勝負を受けるかどうかは自由だ。個人的にはここまでやったんだ、勝負を受けてほしいけどね」
いや覚悟ガンギマリすぎだろ。よく考えてみろよ、こんな場所で働いてる見た目未成年女だぞ? そんな奴に隷属したらロクな扱いされないに決まってるだろ、世間知らずというか女知らずにも程がある!
「そ、そこまでするワケを知りたいです」
「簡単な話さ。君に奪われたもの全てを取り返したい」
「え。ごめんなさい、いくつか売っちゃいました」
「だと思ったよ」
何故か男は涼しい顔でフフンと鼻を鳴らした。なんでそんな態度取れんだ? 変態みてぇな格好で奴隷契約一歩手前まで追い込まれてるのに。ここSMクラブじゃないんですけど。
「こういうのはどうかな。僕が1ゲーム勝つ毎に奪われた物を一つ返してもらう」
「……まあ、そんな事でいいなら全然」
「あと、ゲームが終了したら別のゲームに移行するのも可能で、そのゲームの決定権は勝利した側にある。というのも加えたい」
「構いませんよ。では」
「それから」
全部いっぺんに言ってみるとかどうだろう。そっちの方が円滑に会話出来るんじゃないかなぁ〜。
「僕は三回負けたら魂を縛られて一生の奴隷になる事が決定している。だから、もし三回勝てたのなら一日だけ君に何でも言う事聞かせる権利を貰えるというのはどうだろうか」
「む。本当に三日前のリベンジというわけですか」
「そういう事。こっちは実際に人生を賭けてるんだ、勝った時はそれくらいの褒美があってもいいだろう?」
「……いいですよ。それくらいならドンと来いです」
男とヤるなんて死んでも嫌だが、負けなければいいだけの話だ。簡単じゃないか、メンタルの面で既にオレとこの男とで優勢劣勢に別れているんだ。冷静に対処すれば、少なくとも確実に負けることは無い。
「ちなみに、負ける方も勝ちの方も、三回条件は連続して三回じゃなく通算っていう解釈でよろしいですか?」
「ああ、それで構わない」
「かしこまりました。では、シャッフル致しますね」
トランプをシャッフルし、シューターにセットしカードを出す。あ、お客様が目を丸くしている。すまんね、前回は横着してそのまま平積み直置きしてたもんね。
「お客様のカードはクラブの4とダイヤの9、点数は13ですね。私の見えているカードはKですのでブラックジャックか確認致します。……ブラックジャックではありませんでした。ヒットされますか?」
ちなみにヒットしてもステイしてもこの男の負けだ。次に控えているカードはスペードのJで21点を超過する。オレのカードは合計点数18点、残念ながらこの回はオレの勝ちが確定している。
「……」
男は無言で机を叩く。カードを引き、渡す。カードはやはりスペードのJ、男の一敗である。
「残り二回となりましたね。どうします? 考え直しますか?」
「いいや。このまま勝負を続行するよ」
「か〜しこまりましたっ。では次のゲームですが〜、まあ引き続きブラックジャックにしましょうか! 三日前のリベンジをご所望でしたら、ブラックジャックで勝ちたいという思いもあるでしょうし」
「ああ、恩に着るよ。……本当にね」
男の目が鈍く光ったような気がした。気の所為か? この状況で笑っていたらちょっと状況把握能力低すぎるもんな。自由という名の残機が残り2ぞ? パニック映画なら発狂していてもおかしくない精神性しているべきだろ。
第2ゲーム。カードを配り終え、男の場のカードの点数は14。ヒットで1枚引き、クラブの5を引き合計19。
オレの見えているカードはスペードの6。裏向きのカードをめくる。合計12点。
「来た来た来たっ!」
男が嬉しそうに声を上げるが、忘れていないだろうか。こちら側は合計点数が17点未満だった場合、以上になるまでカードを引くんだぜ。
勿論次のカードは分かっている。スペードの9、つまりオレの点数は21点になる。残念ですね。
「お客様の点数は19、私は21で私の勝ちですね」
おいおい、あと一回だぞ。本当に大丈夫なのかこの人、こちらとしては正直奴隷なんか欲しくないんですけど??
「……ふっふっふ」
おや? 何やら二回戦目が終わった瞬間に俯いていた男が肩を揺らし笑い始めたぞ。どうしたんだろう、精神ラリってしまったのだろうか?
「楽しくなってきた……温まってきたぜ、お嬢さん」
「はい?」
「ようやく温まってきた。収束を感じる。宣言しよう、次の一線、僕はブラックジャックを出して君を打ち負かす!」
「な、なんだって!?」
ドギャギャギャーン! と、なんか指をさされたのでノリを合わせてリアクションしてやる。
なーに言ってんだが、こっちはそもそもカードが何なのかある程度分かるっていうアドバンテージがあるんだよ。
もし本当にブラックジャックをこの人が引いていたら裏面の時点で手元にテキトーなカードを挟んでおいて入れ替えるわ。ブラックジャックなんて出させないよ。
「では第三ゲーム、引き続きブラックジャック。行きますよ」
シャッフルし、カードを配当する。
裏面のまま、カードの傷から男の点数を見る。……どちらも絵札のカードではある、がやはりブラックジャックではなかった。それに対しオレのカードは9と6、次に来るカードは2か。
なるほど、ブラックジャックでは無いにしても確かに男が勝てそうな配当だ。だが残念、そんな事もあろうかと雲行き怪しいと思った時点でこちらの手の平にカードをひとつ仕込ませて貰っていた。仕込んだカードは2、これを男のカードと入れ替えてしまえばいい。
「では、めくりますね」
サッと右のカードを手元のスペードの2と入れ替える。
「あっ」
「っ!」
「あー! 僕のリボンがあんな所に!!!」
リボン? 振り返って確認すると、階段の手すりの所にバニースーツのセットに含まれている筈の赤いリボンが巻き付けてあった。確かにバニースーツは律儀に着てるくせに一丁前に着崩してるなあとは思ったよ。
「このゲームが終わったら回収してきますよ」
「すいません。では、続きお願いします」
「はい。では捲ります。……は?」
男のカードを二枚捲りあげると、出てきたのはダイヤのQにスペードのA、ブラックジャックだった。
「よっしゃあ勝ちぃ!!」
「ちょ、ちょっと待ってください! そんなハズは……」
「そんなハズは? なんかその口ぶり、怪しいですね」
「っ、え、ええと」
「安心してください。分かっていますよ、何かしらのイカサマをしているのは。ただそれがどういったものなのかは、僕には分かりませんが」
「……なるほど」
男の傍に寄ると、彼側の机の側面に丸くなったガムがへばりついてるのが見えた。男はバレちゃったと言いながらそれを指でつまみ、近くの屑箱にそれを捨て戻ってきた。
「ガムを手のひらに付けておき、恐らく冒頭のトランプを確認する下りでスペードのAを手のひらに貼り付け仕込んでいた。予めリボンを階段の手すりに結び、絵札が出てブラックジャックが確定するのを待ち絵札が来たらリボンに意識を集中させ、一瞬のうちに指で弱いカードを弾いて机の下に落としてから手のひらのAを机上に落とした。って事ですか」
「全部正解です。これくらいのイカサマは見逃してくれますよね?」
「……そうですね。私もイカサマをしていたので、ゲーム中に気付けなかった以上糾弾する資格は無いでしょうね」
とんだ狸が居たもんだ。先に二回負けたのも、今までの変な言動行動も全部、オレの油断を誘う作戦かよ。
イカサマの成功率というのは、相手が自分に対し侮っていれば侮っているほど上がる。心の隙を生んで巧妙に罠を仕掛ける事で見事釣り上げられたって所か。してやられた。
にしても、こんな変態みたいな格好してる奴に一杯食わされるのは心底ムカつく。まあ格好だけならオレも正に同じバニースーツなのだが、男の肉体でそれを着るマヌケの方が一枚上手とか。
表情の煽りも絶妙だし、エンジンかかってくるわ〜ムカつく〜!
「……別に勝てたからと言って負けが帳消しになる訳じゃないですからね。依然お客様は奴隷化の危機を背負ってる事、お忘れなきよう」
悔しいのと今後のゲームへの布石として、言葉で相手にプレッシャーをかける。だがやはり男は不敵に笑うのみ。どうやら随分と秘策を考えてやってきたらしい。
いいね。切り札はまだある、そんな風に心の余裕がある顔をされると、その鼻っ面をへし折ってみたくなる。追い風が吹いてきたと、ノリにノっていると調子付いてるその瞬間を後で思い返し、後悔と屈辱に塗れた顔をさせたくなる。そんな圧倒的な敗北をさせてやりたくなる顔面だ。
「さて、では約束ですので、お客様から盗ったものをお返しします。何をお返ししましょう」
「とりあえず、服を一着どれか返してくれると」
「かしこまりました」
一度ゲーム用の道具を仕舞いケースに入れてから従業員室に入り、下宿先に持って帰らなかった彼の私物を一枚持って二階へ戻る。
「どうぞ」
「はいありがとう。……舐めてます?」
「どうかされましたか?」
「どうかされましたかじゃないでしょ。頭どうにかしちゃってるんじゃないですか? 逆に」
男はオレが持ってきた皮のブーツを履いた。バニースーツに皮のブーツ、いいね。クールだ。
「そこは普通チュニックを持ってくるべきでしょ。ゲーム勝つ前と何も変わらないですよこれじゃ」
「裸足で外に出るのは良くないですよ〜。粗い道路や陶器の破片で足の裏を切ってしまうかもしれない」
「ここ屋内ですよね。随分掃除も行き届いているようだ、怪我するかな」
「足の裏冷たくないですか〜? 足つっちゃいますよ?」
「絨毯敷いてるおかげかな、特に気になりませんね」
「さぁ次のゲームに参りましょう〜」
「絶対泣かしてやるこのメスガキ……」
ドスンと音を立てて男は席に着いた。……そういえば、オレこいつの名前知らないんだよな。奴隷にするだかなんだかって勝負をしている相手の名を知らないのはどうなのだろう?
「お兄さんって、お名前はなんて言うんですか?」
「む。……あ、そうか。そういえば『隷属の錠』の使用に名前の縛りも必要なんだったな」
そうなんだ。それは知らんかった、普通に礼儀として尋ねたんだが。
「僕はヒグン・リブシュリッタ。地元はカレル・チャピって山の方の田舎だ」
「へぇ〜。カレル・チャピ? 聞いた事ないですね」
「西大陸の山間の村だからね。閉鎖的な村だし」
ミッドサマーみたいなもんなのかな? この人、長身で細いけど筋肉質で、白みが強い金髪だし眼球蒼いし鼻も高いし、ゲルマン人的な特徴はしてるもんな。
「君の事はなんとお呼びしたら? 僕、君の名前知らないので呼び方困っていたんですよね」
「あー、そういえば名乗ってませんでしたね。私はマルエルっていいます」
「マルエルさん、苗字は無いんですか?」
「ありませんね」
「なるほど。そういう種族なんですね」
男、ヒグンはオレの腰から生える翼を見ながら言った。苗字の無い国だってあるだろ。俺の知る限りアジアには幾つかあるぞ、この世界は知らんけどさ。
「一応言っときますけど、私人間ですからね」
「えっ。翼生えてますよ?」
「これはなんていうか、形見なんです。大切な人の」
「形見?」
翼を撫でる。マリアが生きていた頃はもっと大きくて、色も形も綺麗だった。こんな、継ぎ接ぎの翼なんかじゃなかった。
「……なんか、ごめん。辛い事があったのは分かるよ、湿っぽい空気だ」
「いえ。胸糞悪い出来事でしたが、もうずっと昔の出来事なので。克服は……しま」「うんなら同情はしない。さあ次の勝負だコテンパンにしてやるぞメスガキめ」
したって言い切る前に食い気味で入ってきたぞこいつまじか。そうだよね、自分の人権賭けてんだから他人の辛い過去とかどうでもいいわな。よかった、これで心置き無くイカサマ出来るわこいつめ。