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40頁目「大振り手振り」

 二人がかりでもマルエルを倒す事は出来なかった。何度か彼女に深手を負わすことも出来たが、その度に自死をして完全回復するので彼女にスタミナ切れの概念がない。複数人で掛からなきゃ押さえ込むのは不可能だ。


 エドガルさんは気を失っている。僕も自力で立ち上がるのは不可能なまでの重症だ。マルエルは依然壊れたような笑顔を浮かべてきひひと笑っている。



「参った、な。ここまでかよ……」



 頭を揺らしながらマルエルが僕に歩み寄り、胴体を両足で跨ぎナイフを両手で持つ。柄頭を手のひらで押さえ、最大限の力を込められるようにしてから、尻を僕の胴に落として一直線に鎖骨の間を刺しにかかった。



「肉体、硬化……!」



 胸上前面のみに集中して肉体硬化をかける。ナイフは奥までは刺さらなかったものの、数センチ胸にズブッと沈んだ。硬化範囲を狭めておかなければ薄皮一枚、容易に刺し殺されていただろう。


 僕は腕一本しか動かせない。その一本で防げるとも思えなかったので、僕は防御を捨てて彼女を拘束する方に腕を使う事にした。



「ッ!?」



 腕をマルエルのうなじに回し組み付いて、身体ごと横に倒させて僕と上下を入れ替える。


 仰向けの姿勢で床に寝かされたマルエルの上に全体重をかけてのしかかる。彼女本人の力では僕の体重を寝かされた姿勢から退かすのは楽じゃないだろう。翼も可動範囲的に、僕の体の下に潜り込ませて持ち上げる事は不可能なはずだ。



「ッ! 退け……!」



 マルエルが身を捩らせて抵抗するも、体格差で僕に体全面を押し付けられているので逃れる事は出来ない。マルエルが小柄で助かった、力の押し付け合いで抑え込められる!



「ぎひっ、ぎゃははっ! 退けや、退けやてめぇぇぇ!! グズ肉にしてやるからさぁ、そこ退けええぇぇぇっひゃっははは!!!」



 マルエルはまだ笑いながら体を激しく揺さぶっている。洗脳による狂気と不死能力によって自分が劣勢にあっても精神になんの影響も及ばせていなかった。



「ぎゃははっ! がうっ! がううゔっ!!」



 楽しそうに彼女は僕の首に噛み付こうとした。


 ……それは、獣としての本能からの攻撃なのだろうか? 首を食い破ろうとする原始的な戦闘行為? もしその行動に、何か意図が含まれるのだとしたら。



「マルエル」

「ぎひひっ、きひっ」



 マルエルと目を合わせると彼女は噛み付くのを止めた。歪に笑いながら震えている。目を端から、涙が零れていた。


 度重なる自死による肉体状態の初期化により掛けられていた洗脳が薄まっているのを感じた。彼女の笑顔に揺らぎが見える、奥の歯が震えている。


 見るに後一手、なにか決定的な、彼女の中での感情や感覚が大きく変わるような出来事が起きればそのショックで正気を取り戻してくれるかもしれない。


 衝撃的な行動。……衝動的な行動?


 マルエルを見る。正気を消失している笑顔は不気味だが、それはそれとしてやっぱり、可愛いよなあ。個人的にタイプな顔だからという話なのだろうか、人相すら変わりそうなくらいなのにずっと見てられる。



「……えいっ」

「ッ、んむっ!?」



 今よりも長い時間、至近距離で彼女の顔を見つめたこともある。隣で寝ていた時とか、調子乗りすぎて睨まれてる時なんかはその怒り顔が可愛くてずっと見つめたり。その後舌打ちされて「死ね」と言われるのもセットだが。


 だから決して我慢出来なくなってとかそういう感じでは無かったのだが。ただシンプルに、今ならマルエルも意識ないようなものだし何しても怒らないんじゃないかと思ったのだ。


 マルエルの唇に自分の唇を付ける。偽物とキスした時は一瞬だったからあまり実感は無かったが、彼女の唇は柔らかくほんのりと暖かかった。



「むっ、め、てめっ、んむっ」



 正しい作法は知らないからとにかく腕で頭を抱え込んで強引に唇を押し付ける。

 このまま鼻をつまんで窒息させてみるのはどうだろう? 酸素供給が失われれば流石に不死といえど脳は停止状態に陥る。倒す事は出来なくても、思考を止めることは出来るかもしれない。


 まあ腕を一本しか動かせない以上、鼻をつまむなんて不可能なのだが。いてて、さっきまで大人しくしてたのに翼が僕の背中を叩いてくる!




 *




「眠たい」



 マリアだった肉を食らう。フォークを刺した甘辛の肉を口に運び咀嚼する。


 何故だろう。何度も何度も、同じ事を繰り返しているような気がする。異世界に来てから長く生きたが、その数倍長くこの場に居て、同じ時間をあっちらこっちら行き来してるような、そんな錯覚を覚えている。


 パクパクパク。男の頃はそこそこ量食えた方だが、女の肉体になったからか食えるペースも下がってきた。絶対に食い切るが、いくつかの肉は腐敗が進んでるんだよな……。



「ふぅ……今日はここまで」



 平らげ途中の料理を置き、冷凍用の箱に詰める。この世界にはラップがないから水を弾く大きな葉で代用だ。電化製品も欲しいなあ。



「さて、ご飯も終わったしふて寝でもしよ……」



 立ち上がり前を見たらなにか、浮遊する光の玉のようなものが見えた。なにこれ? 蛍?


 蛍は俺の顔の前まで来ると、横にフイッと避けて背後に進んで行った。目線で追って背後を見るが、蛍は壁に当たると溶けるように消えていく。


 なんだったんだろうか、今のは。



『マルエル』



 ? 男の声がした。体の前の方から、俺の名を呼ぶ男の声がする。


 この声を俺は知っている気がする。前を向く。誰もいない。あるのは錆びた鉄の壁だけだ、向こう側にも誰もいないだろう。



『マルエル』



 また声がした。変わらず壁の方から。


 手を伸ばす。


 その声のする方へと行ってしまったら、もうここへは戻って来れないような気がする。


 壁に手が着く直前に思いとどまる。手をひっこめ、後ずさろうとした。


 刹那、ドンッという衝撃が背中に当たって俺の体は前に倒れ込んだ。



「マリア……?」



 背後から俺の背中を押した誰かの姿をちゃんとこの目で見る前に、壁が身に触れ、俺の体はその『記憶』から消失した。


 永い夢は終わりを告げる。




 *




「ん……っ」



 マルエルが僕の背中を翼で叩くのをやめ、その翼は力を失うように僕の背中にのしかかってきた。抵抗する意思が消え失せた? 目を開けて目の前のマルエルを見る。



「……っ、っ!」



 マルエルは顔を赤くしていた。その目は今にも泣き出しそうなくらい潤んでいた。


 唇を離すとマルエルの顔の全体像が見えた。彼女はもう奇妙に笑ったりもしない。ただ恥ずかしそうに、或いは恨めしそうに、顔を赤く染めながら僕の事を睨んでいた。



「マルエル……?」

「ばか」

「えっ?」

「ばか、ばか。くず、最低、変態、くそ、しね、死ね」



 歯切れの悪い単語の連続。マルエルは両手で一生懸命僕の体を押して退かそうとするが力はあまり入っていない。



「人が寝てる間になにしてんだよこのくず。最低だなほんと」



 ふるふると震えながら、涙をどんどん目にためながら強く睨み僕を非難するマルエル。こ、れ、は……どうやら洗脳が解けた素のマルエルの反応らしかった。



「……」

「なにぼーっとしてんの。退けよ」

「ふぅ……」

「きゃあっ!? なんでぐったりするんだよタコ! 重い〜〜〜!!?」



 疲れた、もうダメだ。マルエルとの戦闘で力を使い果たした。マルエルには悪いけど、疲労で眠気もすごいな……。



「ヒ、ヒグン? ねえ、なんなの。どうし……なんでそんな怪我してるんだよ!?」

「君にやられたんだよ……」

「オレに!?」

「エドガルさんなんかもっと酷いぞ。君に腕を切断されて、今は気を失ってるよ」

「!? な、なんでそんなっ、てかそれならネタ抜きでそこどけよ! 治療しないと!!」

「ごめん、僕ももう体力尽きてて……いい匂いするね」

「するかぁ!! 汗だくじゃこちとらっ、じゃなくて! も〜〜!!!」



 マルエルは僕の腹に手を当てる。



「ヒグン、時間無いから自分の体が全快するイメージをして!」

「え? なんで、どういう意味だ?」

「上位回復魔法でパパッと回復させんの! お前依存の魔法掛けるから、いいから元気な自分をイメージして!」



 面倒くさそうに説明するマルエル、説明を受けてもイマイチ意味が伝わらない。全快のイメージ……? 今朝のイメージをすればいいのかな。



疵の忘却(パナケー)



 魔法名を口にするマルエル。すると、彼女の手から暖かい魔力が僕の腹に流れてきて全身に熱が宿った。



「お、おっ? 疲れが取れていく、それに怪我も……?」



 あんなにボロボロになっていたというのに嘘だったかのように肉体が活性化されていく。すごいなこれ、また戦えそうだ!!



「まだ戦えそうだ〜とか考えるなよ。これは忘却する魔法であって治す魔法じゃないから。肉体は活性化してるから回復はするがちゃんと治るまでは時間かかるからな。ここで休んでろ!」

「マルエルは?」

「エドガルさんを治療したらレイナさん所に行く! どうせまだ健在なんだろあの人!」



 レイナさん、この屋敷の長女か。黒山羊頭の少女はレイナさんだったんだな。



「こ、これオレがやったのかよ!? うわぁーごめんなさいエドガルさん! ごめんなさいっ」



 謝りながらマルエルは回復魔法をエドガルさんにかけて治療していく。何度か蘇生の魔法を使っているんだから魔力も消耗してるだろうに、応急処置で済ませず完治させると優しく床に寝かせて立ち上がる。



「マルエル!」

「んだよ! 急がないとチャールズくんが!」

「だが君は彼女に操られた! 慎重にいかないと」

「……はぁ。いや、多分大丈夫だ」



 彼女はそう言うと、自分の下腹部に服の上から手を当てて苦い顔をする。



「淫紋っつーのか? よく分からんが、そんな様なものを刻まれて確かにマーキングはされちまってるけど、発動の鍵になるのはどうも眼を見る事にあるらしいからな。最悪、自分の目玉を潰して戦えばいいだけだろ」

「淫紋?」

「おう、知らぬ間に刻まれちまった。魔眼で一睨みされるだけで腰砕けになる、最悪だぜこれ……」

「いいなあそれ! 僕もマルエルに僕用の淫紋刻ませたい! これが終わったら賭けで勝負しないか!?」

「……」



 冷ややかな目でマルエルが僕を見る。

 あれ? アンデッド退治の時もこんな風な会話の流れで、賭け勝負の話をふっかけて未来にやる事を残す事で「絶対帰ってこい」ってメッセージを遠回しに交わし合うって下りがあったはずだが。


 互いの信頼があって成立する尊いやり取りだったと記憶しているんだが、何故こんなにもゴミを見るような目で睨まれているんだろう?



「……具体的に、どうやって淫紋刻む気なんだてめぇ」

「! そりゃあもう! サキュバスの経営する高級淫具販売店に行って、本物の性的拘束呪具を購入するに決まってるだろう!! 僕が冗談でこのような事を口にするとでも思っているんじゃなかろうね、本気だよ!!!」

「………………本当に気持ち悪い」

「そして今度こそ僕は大人に」「死ねっ!!!!」



 ビンタされた。いった……え、ビンタされた!? 今までなんだかんだされた事無かったのにビンタされた!? 効くなぁ〜!


 マルエルは僕を無視しレイナさんのいる方へと歩いていく。


 ……? 立ち止まった。廊下に出る直前に立ち止まり、チラッと僕の方を見た。あれ、すぐに目を離された。なんだ?



「……今日のはノーカンだから」

「えっ? 何の話だい?」

「〜〜〜〜〜!!! 知らねえ短小ゴミ包茎野郎! グズ男!!!」

「えぇ……?」



 酷い罵倒を受けてしまった。ずるむけだし故郷ではデカい方だったんだけどな。見た事もない相手のセガレの悪口を言うのはやめようよ。



「気を付けて、マルエル」



 聴こえないと思うが一応応援をマルエルの背中に投げる。……うぉ、また止まった。聴こえてた? 地獄耳じゃん。


 彼女は再び僕の方を見る。



「……やり直しするから。絶対」

「? お、おー。任せろ!」



 何の話かまたしても分からなかったが、分からないからこそむしろ元気よく爽やかに、自然体に返事する。

 マルエルは驚いたような表情で顔を赤くし、パタパタと駆けていった。なんだったんだろう今の顔、またおもらしでもしたのかな? 

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