37頁目「反芻」
サミュエル・ラピスラズリが用意した殺人計画は、彼の意図する方向には進まなかったが結果としては上手く行った。
何も知らないミアという冒険者を殺め、レイナに変装させる事で用意していた死体をミシェルという使用人だったことにして混乱を起こし、不死なんて厄介な能力を持った少女も儀式に組み込むことで眷属に出来た。
そこからはもうサミュエルの疑いは晴れる事は無いと思ったのでエドガルを操り彼を殺させ、最後はリリアナが自らの手で命を絶った。
彼女が身に望んだ『復讐』の契約は、受肉の儀式を以て叶えられた。
次は、彼女の願いを叶える番だ。それが叶えば、身は彼女の身を宿主としてこの世に完全に受肉出来る。
「溶解せよ。凝固せよ。天の裏星、空を照らし。奈落の天蓋地に満ちる」
屋敷の中央階段前。レイナの血で描いた五芒星の中心、13の逆十字架の中心で唱える。
頭には飼っていた黒山羊の頭を被っている。贄の黒山羊も三等分頭を切断し、サミュエル、ミア、ミシェルの死骸に乗せて三角形を描くように配置している。
悪魔パボメス、つまり身を降臨させる為の儀式だ。身は既に、夜の間レイナの肉体を完全に支配する権利を獲得している、後は完全にこの肉体を使い受肉するだけである。
「溶解せよ。凝固せよ」
「黒山羊さん」
? 身の正面に座らせたレイナの弟、チャールズが身に声をかけてきた。
「本当に、ボクの目が見えるようになるの?」
「ああ、見えるようになるとも。身は嘘は吐かない、そういう契約なのだ」
「そっか」
チャールズは目を閉じたまま悲しそうな顔をした。
「何故悲しそうな顔をする」
「……沢山、人が死んじゃった」
「お前が望んだ事だ。存在しない視力を得る代わりに、存在していた命を五つ捧げる。この契約に同意したのはお前だ」
「そう、だけど……」
「なぜ悲しい。なぜ後悔している。望むということはそれを良しとしているからだ。なぜ自分を責める」
「ボクは、取り返しのつかない事をしてしまった……黒山羊さんが目覚める前に、お姉ちゃんにそう言われたんだ。久しぶりに話したと思ったら、とてもとても怒られた」
「取り返しのつかない事? なんだそれは」
「やったらもう、元には戻せない悪いことだよ」
「悪い事。具体的にそれは何を指す」
「な、なにって」
「……?」
チャールズが言い淀む。
元に戻せない悪い事、そんな事この世に存在するのだろうか? この世に存在する全てが、いつでもやり直せる程度の事だ。軽々に無かったことにもあった事にも出来る、だからこの世界は退屈で我らの同胞は干渉などしないのだ。
人間の価値観はよく分からない。あたかもこの世にはやり直しができない事柄があるかのような言い草だ。
人が死んだ? なら同じ人間を作ればいいじゃないか。何が悲しいんだ。虫を一匹殺したとて虫は滅びんだろうに。
「……よく分からん、受肉した後に、続きを深く話し合うとしよう」
「待って!」
「? どうした」
「や、やっぱりボク、辞める。お姉ちゃんが居なくなっちゃうなんて、そんなの嫌だ!!」
「ふむ。しかし、レイナもお前に視力を与える事に同意した。その為ならばと身に肉を差し出すことを許諾した。お前一人の一存で契約を破る事は出来ない、レイナの意見も聞かなければ」
「じゃ、じゃあっ、お姉ちゃん! 起きてよお姉ちゃん!!」
「夜の間は身が肉体の主導権を握っている。その間レイナは死んでいる様なものだ、いくら語り掛けても目覚めんぞ?」
「そんなっ!!!」
「クスクス。もういいか? 儀式の続きをっ」
なにか物音がした。そちらの方へ視線を向けた瞬間脱力し立てなくなる。
「両足の腱が切られている……?」
言っている間にもなにかが背中側から走り抜け、通過した直近の腕の腱が切られて動かなくなる。慌てて首を庇った右腕も気付けば切られており、ダランと力なく体の横に垂れた。
「なんっ」
喉に固いものを押し当てられ、そのまま上体が後ろ向きに倒される。喉を圧迫しているのは膝か、何者かが膝でレイナの喉を押さえている。
手足の腱が切れていて身動きが取れない。首を押えられているから身を起こすことも喋る事も出来ないため魔法すら行使出来なくされている。
耳の少し後方の柔らかい部分に刃物の先が当てられる。
「誰、だ?」
「脳幹壊されたら数分も経たずに死ぬからな。状況を理解しろよ、レイナ・ラピスラズリ」
「……あぁ。君か」
レイナの肉体を瞬く間に破壊し拘束した相手の正体はマルエルだった。風の抵抗を受ける翼もあるのに大した早業だ。
「この暗闇でどうやってあんな速く?」
「私は元軍人だ。何度も出入りした空間なら、目を潰されても記憶で場所を把握出来る」
「そういうものなの? すごいな、軍人? というのは。身の信者達を滅ぼしたあの騎士らでもそんな器用な事は出来んぞ」
「よし、楽しい会話も出来たな。その肉体をレイナさんに返せ、さもなくば死ぬより怖い目に遭うぜ」
「おいおい。会話もたの」
ゴズッという音が頭の中に広がった。意識が消える。
「囚魂回帰」
意識が修復される。意識というか、絶命した生命が修復されたようだ。
蘇生された瞬間に同じく修復された手足を再び切られる。なんて早業だ、少しも動かすことが出来なかった。
「お姉ちゃん!? お姉ちゃん、どうしたの!?」
「すまない、身はお姉ちゃんではなく黒山羊さんだ」
「黒山羊、さん」
目が見えないなりに、何かしらの異常事態が起きているのだとチャールズは気付いたようだ。
「一度死んで蘇生しても悪魔っつーのは離れないのか。面倒だな」
「クスクス。クスクスクスクス」
「死体加工」
マルエルは自らの腕を躊躇なく刃物で切り落とすと、それに死霊術師のスキルと思しき物を掛けて枷としてレイナの肉体の首と地面を接地させた。オマケに口まで封じられている。
どうやら、それなりに修羅場はくぐってきたらしい。相手が余裕を見せたら即なにかしらの手を使ってくる。ああ、知ってるとも。戦争時代の記憶は読み物として大層面白かったからね。
「あんたとレイナさんの引き剥がし方はまるで思いつかんが、詠唱してたって事は呪文を唱えないとあんたは完全体になれないんだろ。そのまま声帯を指で潰してやるよ」
(愛従)
「ッ!? ふぎゅっ、んぅ!?」
それは、頭の中で"思う"だけでいい。
愛従。悪魔が使う眷属を操る権能。工程を踏むことで相手に刻んだ『眷属の印』を発動し、快楽を以て相手を重複する次元空間無視の完全支配権能。
これを刻まれた時点でマルエルは身に勝つことなど出来ない。『眷属の印』は一つの対象にしか刻めない代わり、死んでもその効力からは逃れられないのだ。
マルエルの下腹部に浮かび上がる黒星の逆五芒星の紋様が浮かび上がる。そこから流れる身の魔力が彼女の身を犯し、マルエルはだらしなく全身から液体を流し悶えていた。
「いぅ……てめ……なにしっ」
「まずこの肉体を治してもらおう」
「ざけんっ、んやぁあっ!?」
逆らおうとした瞬間にマルエルが体を大きくビクつかせた。仰向けに倒れ、腰は快感に負けてガクガクと揺れている。
「にゃにこれっ、あぐっ、やああぁあっ」
「マルエル」
「はぁっ、あぁっ!? あんっ、待っ、待って待ってっ、いぎゅっ!?」
「治せと言っているんだ」
「だ、から、嫌っはぁあぁぁぁっ、ぐっ! 無理っ、あぎゅっ」
「クスクス。従わないとその快感からは逃げられないぞ」
「はぁ、はぁ、あああぁぁぁっ、ああぁぁやっ、いきっ、ひあっ、あんっ!! ……あっ!? んきゅうっ!?」
体を丸め、小刻みに激しく震えながらマルエルは甘い嬌声を上げ続ける。チャールズは何が起きているのか分からず混乱しているようだ。
「はぁ、はぁっ」
マルエルは自らの首筋にナイフの刃を当てる。迷うことなく動脈を切断し、大量の血が身やチャールズにかかる。
何度も見た光景だ。自死をした瞬間、マルエルの傷が修復され彼女は息を吹き返す。生物から出る死の魔力『涅』を利用した魂の具象化。それに伴う肉体の復元術だ。
「へへ、へへへ。これなら……」
「残念ながら無駄だよ」
「えっ……っ、はぁ……はぁっ……!」
蘇生した直後は平静を取り戻していたマルエルだったが、すぐに呼吸は荒くなり頬は紅潮し内股になった。
「さあ、治せ」
「だか、ら…………ッ、ッ! く、ひぅ……っ」
ナイフを持つ手を震わせながらも一歩ずつゆっくり歩み寄ってきたが、血で描いた陣の中に足が触れた瞬間に肩を大きく震わせてマルエルは前のめりに倒れた。
尻を上げ、股を押さえながら何度もビクビクと腰を跳ねさせる。滑稽だ。滑稽だが、まだナイフを手から離していないようだ。
大した精神力だ。既に絶頂の回数も10を超えているだろう、だと言うのにまだ身を切り殺そうと向かってくる。
「黒山羊さん、マルエルお姉ちゃん……?」
「どうしたんだ? チャールズ」
「何か足に着いた。これ、雨? それに、なんか不思議な匂いも……」
「ああ、そうだとも。それは雨さ、不思議な匂いは雨の匂いだ。気にする事はない」
股を片手で押さえながら少しずつ向かってくるマルエルが身の所までやってきた。この肉体を破壊する為の一振は苦もなく震えるだろう。
仕方ない。少し強めに、魔力をマルエルの中に流してやる。
「はぁ、はぁ……」
『治せ』
「ッ!!?!?!? あ゛ああぁぁぁっ、い゛ぁあぁぁあうっ、ごめっ、ごめんなさいごめ゛っ、じぬじぬじぬじぬッッ!?」
「耳が悪いのか? 治せと言っているんだ」
「な゛おすからこれ止めっ、お゛ぁっ!? あだまいだいじぬがらほんどにじんちゃっあふっ…………ッ!! ……ッ! …………ぁ゛っ!?」
身の身体に触れながら絶え間なく激しい痙攣を起こしながら、マルエルは必死に回復魔法を使い身の傷を再生させる。
立ち上がれるようになった。身の命令を執行出来たことで紋様の契約は履行され、彼女の肉体から快楽は消える。だが、彼女は動けない。死ぬ直前まで絶頂したのだ、頭に血が上って酸素の供給が遅れ、思考能力が低下しているのだ。
マルエルの髪を掴み顔を持ち上げる。彼女に身の瞳、『魔眼』を見つめさせる。
「はぁ……はぁ……」
「クスクス。折角だ、最後の夜はお前にも手伝ってもらおうか、マルエルよ。傀儡にする為の鍵は作ってある」
魔眼を起動する。身の瞳がマルエルの記憶に働きかけ、彼女が記憶違いをする事で意図的に隠していた真実の記録を呼び起こさせてやる。
ソレを思い出せば、再び忘れるまで意識を失ってしまう。全ての生物にはそういった『禁忌の記憶』が存在する。それを思い出させて自我を失わせれば、身の魔眼によって相手を意思のない傀儡にする事が出来るのだ。
マルエルの場合はこれだ。『民衆に殺された愛する人、マリアの亡骸はどこへ行ったのか』それは普段の彼女が知り得ない、思い出す事は生涯ないであろう記憶だった。
「ぁ……ぁ……ゃめ……」
「さあさ思い出しなさい。クスクス。お前は、愛するマリアをどうやって弔った?」
「知らない……そんなの知らない……」
「知らない筈が無いでしょう? 何故お前の記憶は、翼のもがれた無惨な肉塊を眺めている所から場面が飛んでいる?」
「やめ……て……」
マルエルの瞳から、少しずつ色が抜けていく。顔を近づけると、鼻同士が当たった。
「その翼はどこから来たの? ただの翼じゃなくて正確には翼腕よね。クスクス。お前は、何処でどうやってそれを手に入れた?」
「あ……ぁ……」
マルエルの両腕が力なく垂れ下がり、瞳孔が開き体の力が抜ける。前のめりに倒れるようにして唇が当たる。口付けはしない、必要が無いから。ただ顔がぶつかった状態のまま、目線を合わせながら口を動かす。
「何故、その形が出来上がった後に人間一人分の肉や骨が余るんだ? クスクス。クスクスクス。その余り物は、はたしてどこへ?」
「……ッ、ごめん、なさ」
「美味しかった?」
そう呟き腹を撫でると、マルエルの目玉が上を向き彼女はその場で死んだかのように横向きに倒れた。




