36頁目「最後の殺人」
5日間も続いた嵐もようやく勢いが弱まり、明日の朝には完全に雲が晴れて雨風も穏やかなものとなるだろう。
横風に引っ張られそうになる傘を必死に保ちながら少し先を歩くリリアナさんに着いていく。リリアナさんって結構体幹しっかりしてるんだ。全く姿勢が崩れない。
「大丈夫ですか? ルイスさん」
「え、えぇ。なんとか……!」
「屋敷で待ってくれていても良かったのですよ? す風邪ひいたら大変ですわ」
「いえ、これも一応仕事の一環という事で」
声の感じからして、この風をあまり踏ん張りもせず普通に歩いているらしい。よくそんな、私なんて時々飛ばされそうになるってのに。
「しかし、この調子だと薔薇園は……」
「薔薇園?」
「? 今から薔薇園の様子を見に行くんでしたよね?」
「ああ、そうね。風避けの確認と、補強を……」
リリアナさんの足が止まる。なんだろう? 彼女は私の方を振り向く。
「何をしているの?」
「え? あ、あの」
「危ないわ。こんな天気なのに外に出てっ、きゃあ!?」
一層強い風が吹くとリリアナさんの持っていた傘が飛ばされその場によろけた。
人形を操り傘を捕まえる。いたたっ、指が千切れる……!
「大丈夫ですか? 傘をどうぞ」
「えぇ。それで、なんで私達外なんかに」
「? 何を言っているんですか? 薔薇園の様子を見るって」
「薔薇園……? そんな話してないわ」
「えっ?」
話が食い違う。もう既に私達は薔薇園の入口まで来ている。リリアナさんは周囲を見回すと、私の方を向いて恐怖に歪んだ顔をした。
「あ、あなただったのねルイスさん!」
「えっ、何かですか」
「連続殺人鬼! 私を人気のない外に連れ出して殺しに来たのね!?」
「!? 違いますよ! 何言ってるんですかリリアナさんっ、貴女が薔薇園にって」「そんな事言ってないわよ!? 言うわけないでしょう嵐の日に外に出ましょうなんて! 貴女言っている事がおかしいわ!!」
確かにそうなのだが、嵐の日に外に出るのはおかしいのだが! それはだって、リリアナさんが大丈夫って言うから着いてきたのであって……。
なんだ、何が起こっている? なぜ急にリリアナさんは正気を失い慌てだした?
「リリアナさん、落ち着いてください。もしかしたらリリアナさんは、洗脳を掛けられていた可能性が」
「来ないで!」
手を差し伸べて立ち上がらせようとしたら彼女は後ずさった。私を怪物を見るような目で見てくる。会話は不可能だ。
「……っ、仕方ない。人形操術っ」
「やっぱり! いやあぁぁ!!」
人形を出した私にリリアナさんは畳んだ傘を槍投げのように投擲する。……え? 咄嗟の判断にしてはちゃんと殺意があったけど。しっかりと防御をしたせいで攻撃が中断されてしまった。
リリアナさんは傘もささずにずぶ濡れになりながら薔薇園に入っていく。
今の攻撃と言い、豹変した様子と言い、リリアナさんもなにか一枚噛んでいるのでは?
尚更放っておく理由が無くなった。一般人相手に能力を使うのは気が引けるけど捕まえておかないとだ。
*
「傘くらいは差してくれないか!? 俺ずぶ濡れになっているんだが!!」
「盲点でした! 僕は濡れていないので!」
「人を雨避け扱いするな!!!」
エドガルさんを担いだまま豪雨の中を走る。嵐の突風程度ならタイミングを合わせて跳躍すれば長い距離を一気に移動できるから良い、追い風で良かった!
「おおおいヒグン! 目の前の噴水に向かっていってどうする気だ!?」
「飛び越えて後ろの果実樹を足場にしていけば近道になります! わざわざ回り道をするのはタイムロスになる!!」
「飛び越える!? 4メートルはあるぞ!? それにこの風だし、雨で濡れているから滑るだろ!」
「滝を足だけで登るよりかは全然マシでしょうが!!!」
噴水の手前の段差を思い切り踏み蹴る。やべ、砕けた、水が漏れていくごめんなさい。
装飾の凸凹を手足を駆使して登り、頂点で思い切り膝を曲げて伸ばす。勢い余った、木を一本超えたが、ならもう一本後ろの木に降りればいい!
「うおおぉぉぉ!?」
エドガルさんが素っ頓狂な声を上げる。木の側面に着地した衝撃で木が大きくしなったから折れてしまうと感じたのだろう。
大丈夫、意外と木は頑丈なのだ。信頼出来る足場である。
「ほっほっ、よっと」
「おいおいおい本当に木を足場にしてるのか!? 軽業師かお前!?」
「軽業師ならこんなもんじゃないですよ。空気を足場にして空歩いたりするぐらいじゃないと名前負けですよ!」
「人知超えてるんだよそんな事出来たら」
「次で最後の木、一気に跳びますよー!」
「安全第一でな!? 安全第一!」
最後の木の頂点、樹冠に足を付けると思い切り下方向に力を込めて幹をしならせ、反動に合わせて膝を曲げる。
「うおおぉぉ飛んでるーっ!?」
「そろそろ薔薇園に突っ込みます! 誰か人の姿は見えましたか!?」
「ああバッチリ! 進行方向から見て東南方向の生垣に二人! リリアナさんとルイスだ!」
地面に靴が着く。地面に跡を残しながら、地面に足を押し付けながら力づくで勢いを殺し体の向きを変える。
「東南方向、ですね」
「おいお前?」
「後で謝ります!」
「分かった! 顔の向きを後ろにしてくれ! 俺身動き取れないんだ!」
エドガルさんの顔が僕の背中側に来るよう持ち替え、全力で走り右肩を前に出して生垣にそのまま突っ込む。
「めちゃくちゃだなお前はぁぁ!!?」
「よく言われました! 何の事だかさっぱり!」
「もう少し周りの基準で物を考えられたら仲間集めも楽だったろうなぁ!! っ、止まれヒグン!」
四つの生垣をぶち抜くとエドガルさんに足を止めるよう言われた。
「どうしました?」
「足跡だ。向かって左に走れ!」
「了解!」
エドガルさんの判断に従い向きを変える。というかこの激しい雨風でよく泥の足跡なんて見分けられるものだ。跳んでいる最中も強風でロクに目なんか開けられないだろうに、人並外れた洞察力だな。
「角を左!」
「はいっ!」
「その次を右!」
エドガルさんの指示に従い薔薇園を進んでいくと、人形を出しているルイスちゃんとリリアナさんの姿が見えた。
「……あれ?」
「どうした、ヒグン!」
「様子がおかしい。ルイスちゃんが倒れ……ッ、犯人はリリアナさんだ!!!」
「なに!?」
ルイスさんは泥の上にうつ伏せになって倒れている。リリアナさんは薔薇園の倉庫小屋から斧を取り出すと大きく振りかぶった。
「ヒグン!」
「分かってます!」
「分かってます? 待て、何を分かってるって? 何をするつもりなんだ!?」
「ルイスちゃんを助けてやってください!」
走る勢いを殺さずに左足を思い切り踏ん張らせ、エドガルさんの顔を前方に向けて足裏に右手を、腹筋に左手を添えて身を引く。
思い切り腰をひねり、右腕を前方に押し出す。
「サイコかてめええぇぇぇぇぇ!?」
高速でエドガルさんが飛んでいく。その姿は例えるならトビウオか、イルカか。見事なまでの軌跡を雨の中に描いて真っ直ぐ飛んでいく。
「ッ!?」
「どはぁっ!?」
「よっしゃ! 命中!」
見事にリリアナさんにエドガルさんが命中した。リリアナさんは倉庫の前に倒れ込み、エドガルさんは生垣に刺さっている。ルイスちゃんは無事だ。
「ルイスちゃん!」
倒れているルイスちゃんを抱き起こす。心臓は……あっ! ついうっかり流れで胸触っちゃったもみもみもみもみもみもみもみもみもみ!!!
「ぶほふっ!」
心臓は動いている、呼吸も……している! 良かった生きてる。寝息を出している、眠っているだけのようだ。
「睡眠薬でも盛られたのかな。しかし、リリアナさんが犯人だったなんて」
リリアナさんはすっかり気を失っているようだった。最後の殺人は阻止出来たようだ。
生垣に刺さったリリアナさんを引き抜かないと。
「エドガルさん、無事ですか?」
「無事では無いだろ。絶対に」
「生きてますね。良かった、傷がなくて」
「死ぬこと以外かすり傷なのかお前は。心の傷は致命傷なんだが」
エドガルさんの足を掴んで生垣から引き抜く。細かい傷が顔についている、マルエルに治してもらえば許してくれるだろう。そう信じたい。
「! ヒグン! 後ろ!」
「後ろ?」
振り向く。すると、何故か気絶したはずのリリアナさんが斧を持って立っていた。
「くっ!? 肉体硬化!!」
彼女に思い切り斧で切り付けられる。即座に『重戦士』スキルを使って両腕を硬化させ斧を受けたが、リリアナさんの膂力は予想よりも遥かに強く後方に吹き飛ばされてしまう。
「グハッ!?」
石の柱に背中を強く打ち付け、その柱すら折れて崩れた。なんて力、一般人が持ってて良い筋力じゃないぞ!?
前の依頼で戦ったゾンビに匹敵する力だ!
「リリアナ、さん」
「ありがとう。もう一度目を覚まさせてくれて。おかげで、儀式は完遂されるわ」
リリアナさんは自分の服を斧の刃末を引っ掛けたまま引き裂いた。彼女の腹には、これまでの死体と同じような逆向きの星型の傷が刻まれていた。
「残念でしたわね。ヒグンさん、エドガルさん」
「な! 待てっ、ぐぁ」
クソッ、肉体硬化をしていなかった足が柱の瓦礫によって折れている。エドガルさんは糸のせいで身動きが取れない……!
「この術は、対象術者が意識を失っている間にしか発動できない。そしてこの儀式は、誰かによって殺されなければ条件を満たす事は出来ない」
リリアナさんは仰向けになったルイスちゃんの両腕を動かし、斧の刃を上に向くように持たせた。
「私を気絶させないまま四肢を切断すればよかった。そうすれば、私は死なずに黒山羊様も降臨しなかった。残念でした」
「や、やめっ!!」
制止も空しく、リリアナさんはルイスちゃんの上に重なって寝るようにして自ら斧で首を切断させた。
リリアナさんの首が転がりエドガルさんの足に当たる。リリアナさんの体はもう動かない。しかし、その腹に刻まれた傷だけが、今も生命があるかのように妖しく光り、ドクドクと脈打っていた。
「ヒグン、これは……」
「一度屋敷に戻りましょう! 今解きます!!」
エドガルさんを縛る糸を斧で断ち切り彼を自由にする。もっとも、長い間縛られていたせいで上手く体は動かせないようだが。
ルイスちゃんを背負い来た道を引き返す。最後の殺人、そして降臨という言葉。リリアナさんが死の間際に放ったその言葉がどうしても頭に引っかかる。
何かが屋敷で起こる前兆だ。嵐の渦中に居ながら、また別の嵐の前の静けさを感じる。
「マルエル、フルカニャルリッ!!」
犯人達は恐らくサミュエルさんとリリアナさん。であるならば、子供達も純粋な子供なのではなく、別の何かを隠し持っているかもしれない。
屋敷に残った二人に危機が迫っているのは明白だった。走れ、間に合え……!




