34頁目「価値の無くなった贄」
「失礼します」
サミュエルさんの遺体を処理し、話し合いも終わり昼食を取ったあと。私はリリアナさんに呼ばれて、夫婦の寝室にお邪魔していた。
「どうぞ、自由な所におかけになって」
「分かりました」
空いた椅子に腰掛ける。ベッドに腰掛けているリリアナさんとは、斜め前に位置している椅子だ。
「ごめんなさい、ルイスさん。変な事に巻き込んでしまって」
「! とんでもないです! 寧ろリリアナさんの方が……ミシェルくんに、旦那様。大事な方を二人を……」
リリアナさんの表情は暗い。
彼女から全幅の信頼を得てここにいる訳では無い。消去法で、あの中で殺人を行っている可能性が高いから私は彼女に護衛を任されているのだろう。
「お子さん達は」
「チャールズの部屋にいるはずよ」
「危険では?」
「二人ともこの屋敷で何が起きているかは分かっていない。このくらいの距離なら、何か起きれば音で分かるでしょう? ……こんな事、二人には知られたくない」
「でも」
言葉が口から出ることは無かった。リリアナさんだって分かっている。サミュエルさんを、一家の大黒柱を失って誤魔化し切れる筈なんかない。いつか絶対にそれを知る時はやってくるんだ。
説明には順序が必要だ。傷付けないための筋道を立てるにしても、この惨劇が終わってからじゃないと。
「……聞いてもいいですか? 娘さんの話」
「レイナの?」
「はい。マルエルちゃんが言っていた事、少し気になってて」
マルエルはリリアナさんに、長らく娘のレイナさんの様子を見に行ってないんだと言った。放置していたとも。
私はレイナさんの姿を見た事がないから、マルエルちゃんの言った言葉に信ぴょう性があるかは分からない。けれど存在はしているのは確かだ。
思えば不思議だった。病気を患っている本人が姿を現さないのはまだしも、両親共にレイナさんの事を気に留めている様子は無かった。レイナさんは、この家ではどのような扱いなのだろう?
「……レイナは私の連れ子でした。前の旦那との」
前の旦那、再婚していたらしい。裕福な上流階級者なら珍しくもない話だ。
「私がサミュエルの妻になったのは、レイナが二歳の頃でした。レイナが産まれたその日に、運悪く前の旦那が事故死してしまいまして。落雷に打たれた、という話です」
「落雷に……?」
魔法による攻撃でなく、自然に発生したカミナリに打たれたのであれば相当な不運だ。宝くじを当てる事よりずっと低い確率だろう。
「その境遇を不幸だと感じたのか、サミュエルはレイナの為に誕生日以外の記念日を作りました。3歳と6歳になった時の12月13日。……本当は今日もその筈だった」
リリアナさんの顔は暗い。話す度に辛さが増しているのだと分かる。けれど彼女は口を動かすのを止めなかった。
「あの黒山羊達は今年の、12歳の記念日に出す料理に使う為に飼っていたんです。サミュエルの信仰の、伝統的な料理を出す為に。今年は豪勢の物にしようって、ミシェルも雇って」
「ミシェルくんですか。……彼の料理はとても美味しかったですね」
二日目の夜に殺それていた使用人のミシェルくん。料理が得意だったのにはそういう背景もあったのか。生きていればきっと、使用人の域を出て一流の料理人にもなれていただろうな。
「……けれど6歳の頃からレイナの様子が、おかしくなって。全然眠らなくなって、酷いクマが出来て、急に笑い出したり、泣き出したり」
「病気、ですか」
「生まれつき彼女には他人を極度に怖がる心の病を患ってました。それが酷くなったんでしょうね。レイナは私達家族や、友達を傷付けるようになって、収まりがつかなくなりました」
「だから、部屋に鍵を掛けていた?」
「違うわ」
首を振ってリリアナさんは否定する。
「サミュエルと結婚した後、私達は何度も子供を作ろうと試みた。けれど、幾ら試しても子供は出来なかった。レイナが8歳になった頃、ようやく弟のチャールズが産まれたの」
「あれ、思ったよりもお姉さんなんですね。チャールズくんって今10歳とかそこら辺でしたよね」
「7歳です。レイナは15歳。チャールズは成長が早くて、レイナは遅いんです。不思議と」
7歳なんだ、フルカニャルリちゃんより少し年下くらいだと思ってた。レイナさんはマルエルちゃんより年上……いや、冒険者だから、同い年くらいかな?
「それで? チャールズくんが産まれてから、何かあったんですか?」
そう聞くと、リリアナさんの目がどこかへ移った。視線の先には本棚がある。チャールズくんとレイナさんの成長日記もあった。
「ようやく出来た、私とサミュエルの子供。けれどチャールズは目が見えなかった。今の時代、先天的病を持って生まれた子は孤児院に出すのが普通でしょうけど、そんな事出来なかった。私もサミュエルも、チャールズを愛していたし手放すなんて考えられなかったわ」
「孤児院に出さなくて正解です。全部がそうとは言いませんが、彼処は……」
いけない、口が滑ってしまった。リリアナさんに「なんでもないです」と言う。
「……チャールズの事を愛していたけれど、レイナにとっては自分が放っておかれてるのだと感じたのかもしれない。それである日、チャールズが3歳になった頃にその事件は起きたわ」
「事件?」
「レイナが、チャールズを暴行したの。まだ幼いあの子の腕を折ったの」
リリアナさんが過去から目を背けるように、両手で目を隠し項垂れた。
「それまでにも色々あったけど、もうそこで、レイナへの愛に自信が持てなくなって……それで……」
「部屋から出られないように?」
「……夜中の間なら、病気が落ち着いてるから開けるようにしていたわ。薬もその時に飲ませるように。でも、レイナは次第に私達家族に憎しみのみをぶつけるようになって。ここ数年は呼んでも返事すらしてくれなくて、関わるのを辞めてしまった」
手を口に当てたまま、泣くのを堪えて彼女は言った。こういう時、私のような部外者が彼女を励ましてもいいものなのか、悩む。
リリアナさんの方から話を再開してくれるのを待つ。何もせず、ただ秒針の音を聴きながら床を眺める。
「……だから、マルエルちゃんがレイナの部屋に行ったって最初に聞いた時、とても信じられなかった」
顔から手を下ろし、リリアナさんが再び話し始める。
「人と会えば傷付けてしまうと思っていた。けれどマルエルちゃんには何の傷もなくて、彼女の口ぶりから何かされそうになった素振りもなくて。信じたくなかった、私達には心を開いてくれなかったレイナが、誰かを匿ってずっと一緒にいるだなんて」
「……マルエルちゃんはレイナさんと歳が近いだろうから、気が合ったんですよ」
「ええ、私もそう思うようにしてます」
そう締めくくると、彼女は話を終わらせた。
もう日が沈んだ。夜が始まった。今まで殺人が起きてきた時間まではまだ7時間ほどある。夕食はどう済ませようかな。
「夜は一段と冷えるわね」
しばらくボーッと外を眺めていたら読書をしていたリリアナさんが声を掛けてきた。
チャールズくんとレイナさんの笑い合う声が聞こえる。暴行したって言ったけど、仲はなんだかんだで良好なよう。この部屋の前で遊んでいるのかな?
「足、寒くない?」
「大丈夫です。この靴、結構暖かいんですよ」
以前依頼を受けて行った北部の街で買ったムートンブーツだ。スカートを履いていて生脚が露出している部分があるから心配してくれたのだろう、ポカポカである。
「暖炉に火をつけなくても大丈夫?」
「私は大丈夫ですよ。リリアナさんは寒くないんですか?」
「寒いけれど、これから皆の分のご飯を用意するのと薔薇園の様子を見に行かないといけないから。ルイスさんが必要ないのなら火は」「待ってください」
立ち上がって部屋から出ようとするリリアナさんを止める。彼女は不思議そうな目で私を見るが、この場合は私の行動が正しいだろう。
「状況を理解してますか? 次に殺されるのは女性の可能性が高くて、サミュエルさんが殺されたのならリリアナさんだって殺される可能性はある。……この屋敷や財産が目的なら、確実にリリアナさんが狙われるでしょう」
「そうね。だからずっと部屋に引きこもっていろと言うの?」
「出来るだけ部屋に篭っているべきです。子供達のご飯を用意するのはまだ分かります、けど私達冒険者は全員が等しくリリアナさんを手にかける可能性がある。そんな相手の為に食事を用意するだなんて、不用心が過ぎませんか」
「……確かに、疑いはありますけれど。それでもお客様だもの」
「愛する夫を殺したかもしれない相手の為に、自らの手を煩わえるんですか」
少し語気に力が入ってしまった。責めるように聴こえてしまったかもしれない。
しかし彼女は私に反論をするでもなく、クスクスと柔和な表情で笑った。
「今ので確信出来たわ。貴女だけは確実に殺しに関与していない」
「……何故、そう言い切れるんです」
「真っ直ぐ私を見ていたもの。子を持つ女は勘に優れているのよ。経験あるでしょ? 隠し事や秘密が何故かお母さんにバレていたり」
「…………親なんていないから共感は出来ないです」
「えっ!? あ、あら。ごめんなさい」
動揺した様子で謝られた。別にどうとも思って無いんだけどな。
「薔薇園の様子を見るのも必ずやらなければならない事なんですか?」
「勿論。この嵐でどう荒れたか確かめておかないと。修復は早めに行わないといけませんから」
「でも、危険です!」
「それでも……あの薔薇園はこの屋敷で唯一、家族四人で植えて作った思い出なの。今の形から崩したくないのよ」
「……」
家族四人での、唯一の思い出。
家族。そんなもの私は知らない。貧困な家庭で産まれた双子はどちらかが捨てられる運命にある。
私は家族に捨てられ孤児院で育てられた。誰かと群れる事もあまり好きでは無いし、誰かの死は悲しいけれど思い出というものに感傷的になるのも分からない感覚だ。
彼女の言葉も正直に言えば、あまり理解は出来ていない。けれど、リリアナさんにとっては妥協できない重要な事柄なのだろう。
「……分かりました。どうしても行動するのなら、引き続き私を護衛として傍に立たせてください」
「貴女を? ……けれど、いいのかしら。私が殺人犯なら、一人で私の傍にいるのは危険だと思うけれど」
「サミュエルさんを殺す理由がない。それに、条件はリリアナさんだって同じです。私達は互いに、互いが白だって分かりきってる」
「……ええ、そうね。その通りだわ」
こちらの言い分に納得してくれたようだ。……? 何故かリリアナさんに頭を優しく撫でられた、私何か変なこと言ったっけ。
「ありがとうね、ルイスさん」
「? 何がですか」
「何でもよ。それより、足は寒くないにしても体は冷えてるでしょう? 紅茶を淹れるわ」
「え、そんなの。お構いなく」
「いいのよ。こういう時は言葉に甘えておくの。……ルイスさんって、猫を被っていないとお堅い性格しているのね?」
「っ。……すみません」
「謝る様な事じゃないでしょ! さあ、台所に向かいましょう? そうだ、折角なら一緒にご飯作りましょうか!」
「え、いや、私料理なんて」
「教えてあげるから! 子供はね、親から料理を教わるものなのよ?」
「私は貴女の子供じゃな」「例外もあるわ! いいのよ、今日は私が貴女の母親の代わりに料理を教えてあげるわ!」
……何だか、さっきのしんみりとした様子とは人が変わったように明るくなったリリアナさんがグイグイとコミュニケーションを取ってくる。
二重に人格があるのだろうか? それはいいけど何故私に母性をぶつけてくるのだろう。ちょっと困惑。
「貴女、好物は……あぁ。卵を使った料理は全般好きなんでしたっけ」
「? 話しましたっけ」
「ミシェルから聞いたの。ミシェルは貴女方全員に好物を聞いて料理を作っていたでしょう? 習慣だったの、お客様が来た時は必ずそうしてもてなしていたわ」
そうだったの。人に合わせて好物の料理を出していたんだ、よく出来た使用人だ。
「久しぶり。お母さん」
部屋を出ると、見た事のない少女が立っていた。マルエルちゃんより年下に見える、足元まで伸びる黒い髪の少女だ。
……黒髪? 瞳も赤い。リリアナさんもサミュエルさんも、チャールズくんだって金髪で乳白色のガラスに青を透かしているような瞳をしている。見た目の特徴が一致しない。
血の繋がりは……リリアナさんとはある筈だ。前の夫の特徴を強く受け継いだのだろうか?
「レイナ……」
「お母さん、私の目を見て?」
少女、レイナさんがそう言うとリリアナさんが膝を曲げてレイナさんと目線の高さを合わせた。口付けをするような至近距離で二人は瞳を見つめ合う。
「……うん。大丈夫だね」
少し瞳を見つめあった後、レイナさんが顔を離すとリリアナさんも姿勢を正した。そこから会話はなく、レイナさんは何も言わずに踵を返してチャールズくんの部屋の扉に向かう。
「レイナさん」
名前を呼ぶ。レイナさんは立ち止まり、そこで初めて私の方を向いた。
「バイバイ。お姉さん」
「え? 待って、レイナさっ」
レイナさんは私にそう言ったきり、足を止めず部屋に入っていった。
……なんか、冷たかった。態度とかじゃなくて、纏っている雰囲気というか。彼女が近付いただけで、私の体表に触れていた空気が凍てつくような錯覚を覚えた。
何だったのだろう、あれは。私は、何に対して鳥肌を立てているんだろう?
「ルイスさん。行きましょうか」
「……リリアナさん?」
「はい?」
こちらに顔を見せぬまま話しかけてきたリリアナさんにも、なにか違和感のようなものを感じた気がした。しかしこちらを向いたリリアナさんの顔は、部屋の中で話した時と何ら変わらない顔をしていた。
腑に落ちない何かが背中にまとわりついてくる。この感覚と違和感は、一体何なのだろう。




