33頁目「オブザーバー」
『主よ。聖なる炎よ。……どうか、憐れみ給え』
聞いた事のない祈りの言葉だった。主、それは神を指す言葉なのは分かる。
聖なる炎、天使エラスムスの権能を指すのだろうか? すると、彼女はヘスクリスト教の信者? 気が合わなそう!
どんな気持ちで亡骸を炎に放っているのだろう。女も子供も居た、それは彼女には関係の無い事だったらしい。
一つの街が滅ぶ程の大量殺人を行って、殺めた彼らに対し彼女は何か想っただろうか。それとも、そんな悍ましい事をするに足る理由があり殺されてもしょうが無い連中だからと罪悪感の一つも抱かずに殺めたのだろうか。
初めに頭の中を味見した時に人肉の焦げた臭いが香ってきたから面白そうな物が見れると思ったけど、想像以上だ。想像以上に、彼女の中身は腐臭と死臭に塗れていた。
「クスクス。もっと奥を、抉り出さないと」
「……ッ、……ッ……」
快楽、苦痛、相関するこの二つの感覚は許容量を超えると人は自我を消失させて感覚から逃れようとする。
目を大きく開き、瞳孔も開き切り、全身から絶え間なく塩分濃度の高い粘り気のある汗が流れる。呼吸もままならないだろう、ピクピクと全身を痙攣させながら生と死の狭間を行き来する。
その顔がたまらなく好きだ。
快感か苦痛、その二つの感覚が極まって生死を彷徨っている人間の顔は見ているだけで腹が満たされる。そのまま顔の皮を食い破りたいと思ったことがはたして何度あったか、もう数える事すらやめてしまった。
「もっと食べさせて、もっと」
「……ッ、ゃ、め……ゆ、ぅして……」
「自殺すればって考えてるでしょ。駄目だよ、手足を切り落としたんだもん。貴方は何も出来ない」
「……っ」
彼女は口を開き、舌を伸ばして噛み切ろうとした。舌を指でつまんであげる。
「〜〜〜〜〜〜ッ!? ッ、ッ!! ッ!? あ゛」
ワタシの魔力が指から舌に流れて、ワタシが刻んだ『眷属の印』が快楽を暴走させる。焦点の合わない目をして全身を、特に腰を一際大きく痙攣させていた。
あ、絶頂した。また絶頂した。クスクス、止められないよう。面白い、壊れた玩具みたい。
最後に濁音の強い声を上げると仰向けのカエルのような姿勢のまま動かなくなった。
心臓が止まったみたい。でもまた動き出すんだもん、本当に面白い。
「クスクス。明日やり遂げればようやく、ようやく身が外に出てこられる。邪魔物も居なくなったし、クスクス。後はゆっくり待つだけ……」
*
「地下室にはエドガルさんとサミュエルさん、それと木箱に化けたフルカニャルリが居た。外にはヒグン。リリアナさんはチャールズくんと一緒に二階の寝室に居て、ルイスさんは1階玄関を一晩中見張っていた。部屋に戻ったのは日が出てから、ですか」
「マルエルちゃんは、囮の死体を用意してからずっとどこで何をしていたの? それをきちんと説明してくれないと」
ルイスさんがオレを見る。状況的に見たらエドガルさんが1番疑われる立場だが、行動が不明瞭なオレの状況を明確にするのが先決だと判断したらしい。
囮の死体の部分、どう説明したものか。ヒグンとフルカニャルリは実際にその目で見てるからオレの不死にも理解があるが、普通に考えたら言っても信じてくれない類の話だもんな。
あ、オレ死霊術師じゃん。上手い誤魔化し方思いついたわ。
「……リリアナさんにトイレまで連れていかれたあと、誰かがトイレに入る気配がしたんです。嫌な予感がしたから個室に入って、そしたらトイレの壁がズレてるのを見つけて。中に、人の死体がありました」
「人の死体? 何故そんなところに……」
「私は知りませんわ。死体の処理を行っていたのはミシェルですもの。臭いとか、感染病の心配もありますし、丁度いい場所がトイレの横の空洞だったんじゃないかしら」
ルイスさんの問いにリリアナさんが答える。家の中には置いときたくないだろうし、勝手に土葬して分解されちゃったら法に触れそうだもんなって理屈だろうか。
まあ丁度いい空間があったらそこに置くのは当然。ルイスさんはそれ以上言及しなかった。てかルイスさん視点だとどう考えても白だしな、リリアナさんは。
「その空洞に入っていた死体を一つ、死霊術師のスキルを使って私の姿に擬態させました。便座で踏ん張っている風に座らせれば動かなくても違和感は無いでしょうし、それでまんまと殺人者が偽物の私を殺害したんでしょう」
「その後はどうしてたの?」
「全裸のままトイレに隠れていたらチャールズくんのお姉さんのレイナさんって方に匿ってもらってたんです」
「嘘よ!」
リリアナさんが大きな声で否定する。身をくねらせるが、胴体を糸で拘束されているから何も出来ていなかった。
「娘は病気で日が出ている間は部屋から出られない! 光に弱いの!」
「病気……リリアナさんは、レイナさんがどんな病気を患っていて、どんな症状が発症しているのか理解出来てますか?」
「なにを……」
「高体温、記憶の断片的な欠乏、波の幅が大きすぎる興奮状態、筋肉の痙攣、意識薄弱で引き攣った笑顔、隈や肌の独特な荒れ方。推測されるのは重度の不眠症です。部屋から出られないなんてことは無い、極度の興奮状態だった時に強い光を見てパニックになって、その時の印象を引き摺ってるんでしょうね」
「……で、でも、部屋には鉄格子を付けているわ! 中から出られないようにしてるはず!」
「壊れてましたよ」
「嘘!?」
「本当です。……やっぱり。もう長い事、レイナさんの様子を見に行ってないみたいですね」
「! な、なんでそうなるの!」
「毎日のように出入りしてたら鍵の不調に気付くでしょう。どうせ、夜中に勝手に出歩いて物を食べてるんだから大丈夫ってんで、放置してたんでしょ」
「そ、そんなの今は関係ないわ! それよりも貴女の事を話す時間でしょ!?」
やかましいやかましい。なんだよリリアナさん、ちゃんと母親らしいヒスリ声カマすやん。やめてよ。
「だから、それからは基本レイナさんの部屋に居ましたよ。私が殺されてからサミュエルさんが殺されるまで……」
ルイスさんは人形師。人形、か。
盗聴器や隠しカメラのような役割を持つ人形で屋敷中を監視しているなんて事もあるかもしれない。仮にそうなら、二度目以降の殺人で犯人を特定できてないのまあまあ無能だが。
浅い川も深く渡れってやつだ。真実多めでペラ回すか。
「殺される前にヒグンに会いに行きました。ほら、ヒグンもフルカニャも過激派でしょ? 彼らの怒りは早めに抑えとかないと、二人ともぶっ殺せば平和じゃねってなってたでしょ」
「……ヒグン、そんな人だったの」
「違うよルイスちゃん!? おいマルエル、印象下げる様なこと言うなよ!」
「ほんと、ヒグンは恐ろしいめ。ぼくにも酷い事をさせるよう裏で命令してきて……」
「フルカニャルリ!? 自分の意思で動いてたよね!?」
「ごめんねリリアナ、あの時はヒグンの命令で仕方なく……」
「その後は? ……レイナの部屋にずっと居たって事でいいのかしら」
あら。フルカニャルリからのパスを受け取らずにリリアナさんがオレに声をかけてきた。
冒険者は良くも悪くも人の死に慣れてるからな。普通の人間は、誰かが死んだ後に軽いノリで会話なんて出来ないだろう。
「そうですね。レイナさんが証明してくれる筈です。私は彼女の部屋に居て、深夜は彼女と一緒にお風呂に入りご飯を食べました」
「深夜。深夜の内に夫は殺されここに磔にされたのでしょう!? それを耳にせず、目にもしてないなんて有り得ないわ!」
「……既に死体が運び込まれた後だったのなら、あの暗闇で気付くとは思えません。でも確かに、日が変わる直前までは皆普通に屋敷内を行き来していて、そこから1時間のうちにサミュエルさんを殺してここに運び込めるとは思えない。それは私も思います」
「……それじゃ、貴女から見た昨日の夫と、そこの男の様子はどうだったの」
リリアナさんが目を鋭くする。
「それなんですけど、私は昨日地下室には入ってません」
「そんなはずないでしょ。フルカニャルリちゃんが言っていたじゃない、貴方とキスをしたって。……意味が分からないけど」
意味がわからない、それは本当にそうだな。なんでキスした事になってるのオレ。
「フルカニャ、あとヒグンも。確かなのか? 私とキスをしたって」
「確かだと思うが……いや、でもなんか違和感があったな」
「違和感?」
「それはぼくも感じため。見た目も声も匂いも全部同じだったけど、1箇所違う所があっため」
「私の偽物説が出てくるから話してたもれ」
「可愛かっため」
「確かに。可愛かった、いつもより」
何言ってんだこの二人。
「微妙な顔してるけどそうとしか言えず!」
「顔がとかじゃなくて、いつもより女の子っぽい仕草をしてたんだよ。ほら、マルエルって姿勢悪いじゃん?」
「うるせえな」
「! そう! 背筋がピンとしてて立ち姿が綺麗だった!」
「目からもいつものだらけた感じがしなくて。なんていうか、女の子だった」
「黙れよお前ら」
ちょっと不愉快。偽物は偽物だろうが。オレの下位互換がしゃしゃんな。
「私はそんな事した覚えが無いし、そもそも仲間だからって簡単にキスしたりしないです。二人の言うように、違和感があったのなら偽物である可能性もあります。幻術とかかも」
「……いいわ。それなら次は、あなた」
リリアナさんがエドガルさんに厳しい目を向ける。
「発言の許可、感謝します」
それまでエドガルさんは口を噤んでいたが、リリアナさんに話を振られた事で重い口を開いた。
「……まず最初に。話に一部齟齬が生まれるがそこは気にせず話させてくれ」
話を始める前にエドガルさんは保険をかける。齟齬?
「俺も、マルエルの姿を見た。彼女は……彼女と同じ姿をした何者かは、地下室に入ってくるなりフルカニャルリが化けていたであろう木箱に口付けをした。そして、立て続けにサミュエルさんにも同じ事をした」
「ひょっ!?」
サミュエルさんにも!? 妻帯者にキスをするのは良くないなあ!?
「するとだ。サミュエルさんが急に俺に襲いかかってきた」
「……何を言っているのかしら」
「信じられないのは分かります。ですが事実だ。口付けをされた瞬間に首を倒し、顔を上げた時には正気を失った表情をしていた。アレは、洗脳とか催眠の魔法に掛けられた時に似た動きだったと思う」
「洗脳、催眠……」
キスで人を操れるのか。エロ漫画の世界じゃん、おじさん側じゃんオレ。
「……では、夫はその、マルエルちゃんに操られていたと?」
「俺の見解ではそうなります」
「それで返り討ちにして、ついでにこれまでの殺人の模倣をしたと!? それが本当なら貴方は異常よ!」
「違う! 俺は殺していない!! マルエルなんだ!!」
「……マルエルちゃん?」
リリアナさんが俺を見る。慌てて手を振ってそれを否定する。
「いやいや、殺してないです! ヒグンと話した後に屋敷に戻ったんですって!!」
「ああ、だから齟齬が生じるんだ。マルエルと同じ姿の誰か、そう呼ぼう」
「他人に化ける魔法なんて……」
「あるにはあるめよ。ぼくの使う魔法と似たような埃臭い魔法めが。だから可能性は薄く」
「なんだ……まあいいや。それで、私の偽物はどうサミュエルさんを殺したんですか」
「……分からない」
「っ、ふざけないで!!! もう沢山! 人殺しの罪を背負いたくない一心で適当な事言っているのでしょう!? あなたは!!!」
「フルカニャ」
「わかり」
「んむっ! む゛ーーっ!!!」
フルカニャルリに頼んでリリアナさんを一旦黙らせる。気持ちは分かるが、話が進まないのでな。
「殺す所は見なかった。俺も、その……マルエルと同じ姿をした少女に口付けをされたんだ」
「抵抗はしたんですよね?」
「勿論した! だが、彼女に見つめられると抵抗する気力が削がれたんだ。あれは恐らく、魔眼だ」
「魔眼?」
ヒグンを石にしたのも魔眼ってやつの効果だったよな。魔眼ってのが絡むとロクな事にならないな……。
「それで、マルエルが自分の持っていた斧を俺に手渡し、俺は気を失った。気付けば俺は屋敷の中にいて、目の前には無惨な光景が広がっていた。……信じてくれ。俺は、事実を語った」
エドガルさんが言う。リリアナさんは落ち着く様子は無い、話を聞く余裕はもう無いだろう。
「……偽物、か」
ルイスさんが考え込むような仕草をすると、オレの方を向き言う。
「今の言葉が嘘をついてるにせよ真実を口にしてるにせよ、見分けがつかないのなら自由にしない方がいいと思うんだけど。冤罪でもね」
「……じゃあ、地下室に監禁ですか。一人で」
「いや。ねえリリアナさん、長女さんの部屋には鉄格子がついてて、鍵もしめれるんですよね?」
リリアナさんが肯定する。しかし、外から掛けられる鍵は壊れているぞ。
「壊れた錠前は私のスキルで補強できる。魔力破壊耐性も付けられるし。そこに入ってもらった方が私は安心出来るかな」
「じゃあ僕達もっ!」
「いや。もしマルエルちゃんが白だった場合、私だけでリリアナさん達を守れるかは分からない。逆に黒だった場合、二人対二人なら負けることは無い。って事で、君達は別々だよ」
「エドガルさんが黒なら3人がかりで拘束するって事か」
最後だし、犠牲者に自分が選ばれるかもと思ってエドガルさんとオレを警戒しているようだ。ヒグンは……シンプルに舐められているのだろう。一度パーティーを蹴った相手なんだしな。
と言った具合に話し合いが終わると、話した通りオレはレイナさんの部屋に入れられ、レイナさんはチャールズくんの部屋で過ごすという話になり鍵をかけられた。
……あ。オレの偽物がいるってんならどんな服を着ていたか聞けばよかったな。そこで大体分かるじゃんね、偽物の正体が誰なのか。完全にボーっとしていたわね〜。




