32頁目「四人目の犠牲者」
12月13日、金曜日。朝。
「……んっ」
目を覚ます。花の良い香りが花をくすぐった。
ここはレイナさんの部屋だ。オレは表向き死んだ事になっているので、夜間にしか動き出さないレイナさんの部屋に匿ってもらっている。
「おはようございます。マルエルさん」
「あ、おはようございます。ふわぁ……」
レイナさんはロッキングチェアに座り本を読みながら起きたオレに挨拶をしてきた。朝早いんだな、今日は昨日より3時間も早く起きたのに。
「んー……」
しかし、なんでこうも前日の寝る間際の記憶がすっぽり抜けているかね。楽しくレイナさんと話していた記憶がぶつ切りになって、気付けば朝だ。
疲れは取れているし気持ちよく起き上がれるのだが、少し気掛かりである。違和感があるというか。
「すごい寝癖」
「え? うわ、ほんとだ」
レイナさんに髪型を笑われたので本棚の横の姿見を見る。ソフトクリームのような髪型の猫背のオレが映っていた。なんでこうなるんじゃ。
「見つからずに寝癖直しに行けるかなー……」
「! 私に直させてください!」
「え? いいですけど……」
「やった!」
本を畳閉じて机に置いたレイナさんがタッタッと軽快な足取りでオレの背後にやってくる。
「やっぱり柔らか〜い!」
「そこ翼なんですけど」
寝癖を直してくれると言ったけど彼女はオレの翼を掴んで遊び出した。
「色んな長さの羽があるんですね〜! 細長いのや短いの、ふわふわした羽もある!! 抜いたら痛い?」
「痛くないけどあんまり抜いてほしくないかな〜」
「痛くないんだ! じゃあ血も出ないんですか?」
「血ぃ〜は……抜く分には問題ないですけど、変な所で折れたりすると出血したりはするかな……」
「へぇ〜!」
クリクリと指先で羽をいじられる。うーん、根元を触れられるとちょっと気持ちいいな。
「ん〜……」
「? マルエルさん、なんかトローンってしてますね。気持ちいいんですか?」
「ですねぇ。そんな所を人に触れられたこと無かったんで知らなかった。気持ちいい……」
「先端の長い羽の方を引っ張ってみてもいいですか?」
「え〜? どうぞ〜」
羽を引っ張られる。翼骨っていうのかな? なんて呼ぶのか知らんが、羽根の下の部位を伸ばされる。
「ながーい! 翼の骨組みの部分って、人の腕くらいの長さなんですね!」
「もう二本腕があるみたいなもんですしね。感覚的には」
「そうなんですね! 翼を動かすのも、腕を動かす感じなんですか?」
「んーまぁ。大体は」
「へぇ〜! いいなあ」
いいんだ。服選びも困るし、慣れてない内は人とか物にぶつけまくるし、よく羽を落として掃除が面倒だしで悪い事ばっかだけどな。
「どこが気持ちいいんですか? ここら辺?」
「ん〜……根元? 羽の生え際とか、指先でトントンされたり擦られたりするといい感じです」
「へぇ〜」
あ、いい。力加減が絶妙だ。指先でほんの少しの力で撫でられている。ゾクゾクする。マッサージ的なリラックスを得られているな。
「ひゅっ!? んぅっ!?」
ゾクッ! 一等強いくすぐったさに襲われた。翼の根元、腰との接点だ。
「すご〜い、腰と繋がってる! 私の腕と全く同じ! 腰から腕が生えてるみたい、なのに羽根が着いてて不思議〜!!」
「あひゃっ、んっ! そこあんま触んないで!」
「?」
「あひゃひっ!?」
我慢できない程のゾワゾワに襲われつい翼を畳んで身を引いた。勢い余って壁に頭をぶつけた、痛い。
「どうしたんですか?」
「くすぐったくて……」
「! ふっふっふ。そこ、敏感なんですね?」
「レイナさん? なにそこ手つき、やめて?」
ワキワキと指を動かしながらレイナさんが忍び寄ってくる。ヒグンがセクハラをしようと迫ってくる時と同じ仕草だ。
「マルエルさん」
「朝です! 皆起きてくるかも!」
「まだ起きて来ませんよ。ふふふふふふっ」
「ぎゃひっ!? いひひひひゃははっ!! あっ! あふっ、やめてぇえ!」
壁際に逃げたのが間違いだった。レイナさんがオレの膝の上に腰を下ろしてきて、腰に腕を回してきて翼の根元を擦ってきた。
ただでさえ脇腹は神経が集まっててくすぐったいのに、翼の可動部の内側はより神経が集中しているから指で軽くなぞられただけで力が抜ける。
「それそれそれ〜!」
「ひゃめてっ!! あはははっ、ぎゃははははひゃひゃひゃっ!? あはっ、ひゃはははっ!!」
「笑い方汚いですね……?」
「うるさっ、きははははっ!? ぎゃひゃひゃっはひゃひゃひゃっ!!」
くすぐられすぎて何も考えられなくなる。必死に肩を押してるのに全然ビクともしない。意外と力あるんだなレイナさんって!
「……っ? 外が騒がしいですね」
「あひゃひゃ、ひい………ふ、ふぅ……外?」
レイナさんがくすぐりを辞め扉の方を見た。彼女が離れると汗ばんだ体が一気に涼しくなる。力加減は完璧なのに加減は全然してくれないんだもんね。
「お母さんの声……? ねえ、マルエルさん。外で何か、お母さんが大声を上げているような……」
「大声? ……っ」
オレはこの連続殺人の主犯はサミュエルさんだと思っていた。
サミュエルさんが主犯なら当然リリアナさんも無関係では無いし、ミシェルくんだって関与していると思ってこれまでの事件を繋げて考えてきた。
レイナさんとチャールズくんはまだ若すぎるし二人とも病気で人を殺すなんて出来ようもない。
子供達を除いた三人で、この家の信仰している宗教に因んだ儀式をやっているものだと思い込んでいた。
もしサミュエルさんが犠牲者になったとしたら? これらの推理が一気にぶっ壊れる。意味がなくなる。
アホカルト脳で自分を生け贄に捧げるにしても、エドガルさんやヒグンがいるのにわざわざ自分を差し出すなんて、意義のない行為だ。
「なんでしょう? 私、見に行っても」
「駄目です!」
扉に近付こうとするレイナさんを止める。
サミュエルさんが犠牲者になったのなら。犯人であったにせよそうでないにせよ、あの無惨な死に様を実の娘であるレイナさんに見せる訳にはいかない。
チャールズくんも同様だ。二人を外の地下室に近付けさせる訳にはいかなかった。
「一昨日部屋の外に出て、高熱で倒れた事を忘れたんですか! 自分の体の事を考えてください!」
「でも……分かりました」
何とか説得は成功したようだ。しょんぼりした様子で小さくなる。
「……もし体調に問題がなければ、チャールズくんのことを見てあげてください」
「チャールズ? そうですね、最近遊べてなかったな」
そういえば、レイナさんの口からもチャールズくんの口からも直接お互いの話が出てきた事がなかったな。レイナさんは日中引きこもってるし、交流がないんだろうな。
いつ頃から交流が無いんだろう? 同じ家族なのに、幼い子が話題に出さないなんて相当だな。
「? 何しているんですか? 床に指なんか付けて」
「ああ。死霊術師のスキルを使って周囲の様子を探知するんです。私の仲間達以外の人に見つかるのはヤバいので」
「へぇ〜。冒険者のスキルってやつですか。いいなぁ」
冒険者になりたいのかな? ずっと屋敷に閉じこもりっぱなしだろうしね。ヒグンに似通ってるのかも。
「魂感応」
魔力が空間に広がっていく。瞼を閉じて視界を遮断すると、暗闇に複数の魂の反応が浮かび上がる。潜水艦のソナーのような物だ。
隣の部屋に子供、男の魂がある。チャールズくんだ。動かない、眠っているようだ。
正面の部屋に女性の魂がある。ルイスさんだ。部屋を出て、玄関に……いや、違う。そのまま廊下を走って階段の方へと向かっていく。
犠牲者は地下室ではなく屋敷の中で見つかった? 何故、ヒグンは何を……。
「まさかっ!」
まさか、そんな。ヒグンがっ!? あの物理パラメータ万振り男に何かあったのか!? フルカニャルリもいるのに!?
「ッ!」
「どうしました? マルエルさん。私の顔になにか?」
「いや……参考までに聞きますけど、レイナさん。実は猫だったりします?」
「猫? いいえ、見ての通りただの人間ですよ。私は」
「……そうですか」
部屋を出る。魂感応の魔力出力を一人に絞り、細々と持続させながら廊下に向かう。
「マルエルちゃん、生きてたの!?」
「死にました、オバケです! 通して下さい!」
階段の上、大きな鏡と絵画が飾られた踊り場の壁を見上げていたルイスさんを押し退ける。
「マルエル! 生きてためか!?」
「おうフルカニャ! ヒグンは!」
「えっ、ヒグン? ヒグンは」
「僕がなんだ?」
ヒグンは無事だった。彼は普通に階段を降りてオレの元へやってくる。
「というかマルエル、なんで普通に姿を現してるんだよ」
「お前に何かあったのかと思ったんだよ! それより何が!」
「あぁ。……ちょっと、予想していなかった事態になったんだ」
ヒグンは階段の向こう側、オレの立っているほうとは死角になっている折り返した手前側に目を向ける。
今更隠れるもクソもないが、一応ヒグンの背中に身を隠しながら向こう側を見る。
「嘘よ、嘘よっ!! 貴方ああぁぁぁっ……!」
リリアナさんがサミュエルさんの足に縋りつき泣き崩れている。
視点を移動させる。サミュエルさんの服には今までの死体にあった傷が刻まれていた。そして、その首はやはり切断されていた。
……惨い事に、切り離されたサミュエルさんの首は階段に置かれていた。脳天から斧で四度ヤイバを入れられ、鼻の上辺りから果物のように切り開かれている。
死体偽装のトリックは使えない。あの様子じゃ、仮に不死能力者でも蘇生なんて出来ないだろう。脳まですっかり破壊されているんだ、あの状態で蘇生できるのはオレやナワリルピリくらいだろう。
「そんな、じゃあ……何が起きたのか説明してくれよ、ヒグン!」
エドガルさんを見る。彼はフルカニャルリの糸によって拘束されている。
「あの二人はお前とフルカニャで見張っていたんだろ! なんでこんな事に!?」
「わ、分からないんだ」
「分からない!? そんなはずないだろ!」
「ぼくも、分からないめ。昨日マルエルが地下室に入ってから、目覚めたらもう既にサミュエルが……」
「は? 私?」
フルカニャルリが妙な事を言い出した。オレは確かに地下室の前まで行ったが、中には入っていない。ヒグンが酷く凹んでる様子だったからタネ明かししようと寄っただけだぞ?
「僕も、マルエルが戻ってきた後に……キス、しただろ。それからの記憶が」
「うん!? キス!?」
「! ぼくもめ、マルエルに話し掛けられて、ちゅーされてからの記憶が無いのめよ」
「ちゅー!?」
おい、何を言っているんだおいおいおいおいおい、おい! してないよ、お前らとキスした事なんか無いよ!!! なんならここ数年で唇合わせた相手なんてフルンスカラん所の槍術師ちゃんぐらいだぜ!?
「マルエルさん。生きていたのね……」
「あ、えっと……」
「……そう。分かった。貴方達、全員が夫を殺したのね」
リリアナさんが低い声を出しオレ達に怨嗟を含んだ眼を向ける。立ち上がり、食い縛った歯からは血が滲み零れていた。
……本心からサミュエルさんの死に絶望しているようだ。その感情に嘘偽りはなく、何故こんな目に遭ってしまうのかという理不尽さ、不条理さへの憤怒も顔にこべりつかせていた。
「誤解です! 僕達はサミュエルさんを殺してなんかいない!」
「そうめ! それに、マルエルだって殺された! 今生きているのはマルエルの魔法でっ」
「関係ないわっ!!!!」
オレ達の言葉をシャットアウトするよう叫ぶ。リリアナさんの目は虚ろだ。
「貴方達の大切な人は生きてたの、良かったじゃない。私は夫を喪ったわ。……自ら愛する人を殺すと思う? 子供達にそんな事が出来ると思う? 出来るはずがない。……なら、貴方達全員が殺したようなものよ」
リリアナさんがそう言ってこちらに向かってくる。ヒグンの首を絞める気だろうか、両手を開き伸ばしている。
「……待ってください」
「待てるわけないでしょう!? 大切な相手が殺されたのなら、どんな残酷な事だってするのを厭わないわ! それは貴方達だって言っていた事よね!?」
「そうですけど、でも聞いてほしい! 私達は本当に何も知らないんです! それにエドガルさんの話だって聞くべきだ! 全員が知ってる事を共有して、事件を収束させるべきです!!」
オレの言葉なんて聴こえていないようだ。リリアナさんの手がヒグンの首にかかる。
見張り番としての役目を全う出来なかったヒグンから始末しようとしているのだろう。フルカニャルリが見逃されてるのは、物に化けていた事を知らないからだろうな。
「貴方達全員に同じ目に遭わせてやる。絶対に許さない……!」
「リリアナさん……」
ヒグンは首を絞められているが特に苦しむ様子はない。『重戦士』スキルで皮膚が硬化しているのだろう、あまり絞まっていないように見える。リリアナさんはそんなの分からないだろうが。
「ヒグン、手を出すなよ」
「分かってるよ。でも……」
「よっ」
「カッハ……!?」
リリアナさんの蹴り飛ばす。壁に後頭部が激突し、リリアナさんは気を失った。
「何やってるんだ!?」
「話にならないからさ。フルカニャ、縛っておいて」
「わかり!」
「僕に手を出すなって言っといて……」
「お前が手出したら即死だろ。腕一本残して爆発四散じゃねえの」
「そこまで怪力じゃないから」
「あい。とりあえずリリアナさんとエドガルさんを居間に運ぶよ。ルイスさんも、居間に来てください」
「それはいいけど、チャールズくんはどうするの?」
「お姉さんに任せてあります」
「お姉さん? そういえば、話には聴いてたけど一度も姿を見た事ないや。……もしかして、そのお姉さんが一連の犯人なんじゃ?」
「ミシェルくんが亡くなった時に私と一晩中一緒に居たし、そもそも人を殺せるような体力も無いですよ。少し運動しただけで高熱で倒れますし」
「そう。それなら殺人は無理か……とりあえず、リリアナさんとエドガルを運ぶのね。手伝うよ」
ルイスさんが三体の人形を操りリリアナさんを優しく持ち上げさせる。力仕事も出来るのか、つくづく便利だな。なんなんだ、死霊術師の広がりの無さは。
オレ達三人もエドガルさんを運び居間に向かう。今日は13日の金曜日、流れからして今日の夜も何かしらの凶行が起こるだろう。それを何としてでも食い止めるべく、意見の擦り合わせだ。
いい加減、こんなふざけた殺人遊戯は止めようじゃないか。




