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31頁目「わりぃおれ死んだ」

 12月12日、木曜日。



 マルエルが死んだ。昨日の夜の犠牲者はマルエルだった。



「そんな、そんなっ!!! マルエルッ、おかしいめ、おかしっ、うわああぁぁあんっ!!!」



 フルカニャルリの鳴き声が、黒山羊の群れの中に響く。


 やはりマルエルには首がなかった。その腹には他の死体と同じ逆向きの星のマークが刻まれていた。


 戦った形跡はない。パンツは履いた状態のままだった。


 マルエルの死体は雨の降り頻る黒山羊の柵の中で発見された。食べ物と勘違いしたのか、少女の肉体を黒山羊が鼻先でつつき、足蹴にしていた。


 発見したのは僕だった。

 マルエルがトイレに連れて行かれた後から戻って来なくなり、今朝まで行方不明になり。全員で捜索するという話になり、まさかと思って昨日マルエルが話していた通りにここに来てみたら、マルエル自身が打ち捨ててあったのだ。



「マルエル……」



 マルエルは、死んでいる。生き返らない。



『私の、自分や他人を蘇生させる魔法は死んだ直後にしか適用されないんよ。時間が経ってる死体を蘇生させる事は出来ない。当たり前だわな』



 彼女はそう言っていた。


 彼女の言を信じるなら、この紛れもないマルエルの死体は、もう二度と蘇らないという事になる。



「……嘘だ」



 足の力が抜け、立っていられなくなる。同じく探しに来たエドガルさんが僕を支えて何か声をかけてくるが、何も意味を理解することが出来なかった。




 *




「三人目の犠牲者が出てしまったか……」



 サミュエルさんが言う。

 連日そうしてきたように、マルエルの死体を雨の当たらないところに移動させた後に全員で居間に戻り、話し合いが始まった。


 僕は何も言わない。言う気力がない。その分、フルカニャルリが深い感情を全員に等しく向けていた。



「……マルエルと、最後に一緒に居たのは誰めか」



 静かに、しかし強い眼光をフルカニャルリが全員に順に向ける。息を飲む気配がした。幼い女児に殺意とも取れる強い憎悪を向けられたのだ、思う所もあるのだろう。



「フルカニャルリくん、怒ってる?」

「……そうだよ、怒ってる。大切な人を殺されて、怒らずに居られるはずがない」

「大切な、人」



 チャールズくんはフルカニャルリと遊びたいのだろう。車椅子に座った状態でフルカニャルリに近付こうとした。だがそれは、リリアナさんの手によって静止された。


 リリアナさんは、固唾を飲み、手の震えを隠すように背中に回すと口を開く。



「最後に居たのは、恐らく私です。マルエルちゃんの下着が濡れていたのと、また尿意を催したと言っていたので、トイレで待たせて下着の替えを探しに……」

「で、目を離した隙に姿を消し殺された。そう言いたいめか」

「……え、えぇ。そうです」



 リリアナさんがそう言った瞬間に、フルカニャルリが手から糸を出しリリアナさんを拘束する。



「待て! 妻に何をする気だ!」

「落ち着けフルカニャルリ! まだ誰も犯人と断定された訳じゃない、今手を出してしまえば罪を負うのはお前になるんだぞ!!」

「黙れ。人間風情が」

「ッ!?」



 エドガルさんの顔に向けて糸が射出される。糸を引っ張る事で前のめりにエドガルさんを転倒させ、引きずって手元まで手繰り寄せると、フルカニャルリはエドガルさんの後ろ髪を掴んだ。



「ミシェルを殺されたサミュエルやリリアナ、チャールズに何か言われるのはよく。でも、お前は誰を喪った? 誰を喪って、ぼくに意見している」

「フルカ、ニャルリ……! 冷静に、なれ、こんな事をしてもマルエルは」

「マルエルの何を知ってるんですか。エドガルさんは」

「ヒグン……!」



 口を挟むつもりなどなかったのに、勝手に言葉が口から漏れていた。



「アイツなら、なんですか。アイツは性格最悪の屑女ですよ。人の苦しむ様を見て腹を抱えて笑うし、平気で人を騙すし、殺してもいい相手ならどんな残酷をしてもいいと思っているし、傷を治せるからと平然と暴力を振るう。報復も復讐もノリノリでするし、仲間を殺されたらきっと一時の感情で周りに危害を与えますよ。……実際、過去にそれで殺人を犯したこともあるって、彼女は言っていました」

「さ、殺人!?」

「マルエルちゃんって、そんな子だったんだ……」

「イメージを勝手に下げてしまった。まあ、今更ですよね。それこそマルエルは気にしないでしょう。アイツならこう言いますよ」



 僕はボールペンを拾い上げ、エドガルさんの頭に突き立てた。



「私が死んだんだ、全員拷問して犯人聞きだしてやれ。ガチャガチャ言う奴がいたら目玉でもほじくってやれ。きっと、そう言うに決まってる」

「っ! 人形操じゅっ」

「何故邪魔するめ」

「うぁっ!? 糸っ! このっ!!」



 僕に対し攻撃をしようとしたルイスちゃんを、後から動いたにも関わらず難なく糸で放つフルカニャルリ。一発目は跳んで躱すが、そこから糸が解れて分かたれた事により足を捕まれ、床に失墜したルイスちゃんをそのまま糸塗れにして拘束する。



「恨むなよ、ヒグンっ!」

「! くっ」



 拘束された状態のままエドガルが床を蹴って宙で一回転をし僕に回転蹴り落としを放ってくる。が、片腕でそれを受け止めてそのまま僕は彼の腹を思い切り殴り飛ばす。



「かはっ!? お前……!」

「……僕らは少し気が立ってるんです。逆らわないでください」

「待てヒグン、何をする気だ! 拷問なんてっ、一般人相手にする事じゃない!!」

「喩えですよ。アイツじゃないんだから、そんな事する訳ないじゃないですか。平然と一般人の骨を折って話を聞くだなんて、回復魔法が使えるマルエルだから出来る事なんです。僕らがそんな事したら取り返しつかないでしょ」

「お、お願い……私、本当に分からないの。マルエルちゃんがどうなって、どこへ消えて、あんな事になったのか……」



 胴体を糸でグルグル巻きにされたリリアナさんが苦しそうにもがきながら言う。



「だからそれを今から、ぼくが、確かめてやるんだよ。あまり動かないでほしく、勢い余って力が入ってしまうかもしれないめ」

「や、やめろ!」

「お父さん? どうなってるの、お母さんがどうしたの?」

「チャールズ、これはおままごとめよ。だからただのお遊びで、聞こえてくる声は全部演技め。心配しなくてもいいめよ」

「そうなの? お父さん、そうなのー?」



 目の見えないチャールズくんがサミュエルさんに尋ねる。彼は本当の事を言おうにも、現在進行形でリリアナさんを拘束しているフルカニャルリに睨まれては下手な事を言えるはずもない。



「あ、あぁ。そうだよ、おままごとさ。大丈夫だよ……そうだ。チャールズ、自分の部屋からピアノのおもちゃを持ってきてくれないかい?」

「えー? ピアノのおもちゃ? なんで? 奥にしまっちゃったはずだから、探すの大変だよー!」

「ど、どうしてもまたチャールズの演奏が聴きたいんだ。頼むよ」

「むー、分かった! でもお父さんも弾いてね! 約束!」

「ああ、約束だ」



 サミュエルさんはチャールズくんと指を絡めて約束の合図を交わすと、チャールズくんを自分の部屋へと戻らせた。



「……さて。リリアナ、ちょっと失礼するめよ」



 そう言うと、フルカニャルリはリリアナさんをうつ伏せに床に寝かせようとする。



「なっ! やめろ、貴様私の妻になんて事を!!」

「邪魔するなら手っ取り早くバラバラにしめす。どうせ全員殺せば復讐は完遂するめ、ちゃんと考えて行動してほしく」



 フルカニャルリにしては珍しく物騒な脅し文句だ。そんな事する気など無いくせに、憎悪に塗れた眼で睨みながら言うから凄みが出ていた。

 或いは、本当にそんな事をしようと思っているのだろうか。もしそうなっても、僕に止めよう等という意思はない。


 フルカニャルリは服から瓶を取り出すと、リリアナさんの両手のひらに中の液体を垂らした。



錬金術師の眼(レーウェンフック)



 フルカニャルリは錬金術師のスキルを発動しリリアナさんの手を注意深く観察する。



「……血痕はないめ。殺人を行ったのはリリアナじゃないめね。ごめんなさい、痛かったね」



 やがて観察し終えたフルカニャルリはリリアナさんを解放する。リリアナさんは服を払う仕草をして不快感をフルカニャルリにアピールするが彼女の目には入らない。


 フルカニャルリの目の先にはエドガルさんら他の三人が居た。



「これから一人ずつ、この液体をかけて反応を見るめ。血痕の反応があった奴は問答無用で一箇所に固めて地下牢に入ってもらう。そうすれば、このくだらないカルト気取りの三文殺人劇は終わりめ」

「! ま、待ってくれ! 私は昨日何者かに襲われていた妻を手当した! 血痕は水洗いでは落ちないのだろう!? 反応が出てしまう!」

「襲われた? リリアナが?」

「えぇ。……ここをご覧下さい」



 そう言いリリアナさんがしゃがんで僕とフルカニャルリに後頭部を見せる。

 ……カサブタだ。血が凝固したばかりのカサブタがあった。それはまるで、背後から誰かに殴れたようだった。



「昨日、マルエルちゃんの下着の替えを持っていく時に何者かに頭を殴られたの。だから気絶して、それからは寝室でサミュエルに看病してもらったわ! 私達には犯行! でも、きっとその液体をかけたら私の血の反応がサミュエルの手から出てしまう! 殺人鬼と同じ空間に入れるだなんて、そんな酷いこと!」

「じゃあサミュエルさんだけ牢の内側ではなく外側、通路に居させましょうか。地下室への入口は僕が一日中見張ります。それならいいでしょう」

「そ、そんな……」



 僕の発言に対するカウンターは来ない。僕とフルカニャルリは地下室に丸一日閉じ込められていた、それは夫妻が確認済みだからだ。閉じ込めてから再び解放するまで彼らはその目で確認している。

 彼らが僕らの無罪を証明する証人なのだ。反論など出来るはずもない。


 ……正直、リリアナさんが何者かに襲われたというのも眉唾だ。自分達のアリバイを作る為の工作、わざとサミュエルさんに殴らせて傷をつけたようにしか思えない。


 この二人が怪しいのは覆らない。エドガルさんとルイスちゃんに反応が出て閉じ込める事になっても、相手の所作が分かる閉鎖空間で殺られるなんて事は無いだろう。きっと、自衛は出来るはずだ。




 *




 結局、血液の反応はエドガルさんとサミュエルさんからしか出てこなかった。エドガルさんはマルエルに、サミュエルさんはリリアナさんに触れているからとそれぞれ理由を説明していたが、それを聞いた所でやる事に変わりはなかった。



「ヒグン、本当にこんな事するつもりなの……?」



 地下室の扉の前に座り込む僕に、ルイスちゃんが不安そうな顔をしながらも話しかけてきた。同情や心配をしているつもりなのだろう、余計なお世話だ。



「雨降ってるし、危ないわよ。体調崩すかも」

「ルイスちゃん」



 ルイスちゃんの肩がビクンッと跳ねる。怯えているのだろうか? もう何もしないと言うのに、何に怯える必要があるんだ。意味が分からない。



「用がないなら、屋敷に入れば? 風邪引くよ」

「……はあ」



 ため息を吐くと、ルイスちゃんは自分のさしていた傘を人形に持たせ、僕の脇に人形を立たせることで傘をさしてくれた。



「? なに。濡れてるよ、ルイスちゃん」

「気付け。私なりの気遣い。……あんたも、風邪引いちゃダメだよ」

「あはは。……風邪なら少し前からずっと引いてるよ。多分これからも治らないやつ」

「あんまり長引かせない方がいいよ。その風邪」



 それだけ言うと、ルイスちゃんは屋敷に戻って行った。



「……だから、治らないって言ってんじゃん。長引くも何もないって」



 誰も居なくなり、雨音しかしない空間で一人呟く。


 視線が下がっていく。雨濡れの泥と胡座をかいた自分の足しか見えなくなる。


 首が痛い。でも頭を上げる気にはなれない。自分の中で渦巻く感情を、上手く殺すのが難しいんだ。



「マルエル……」



 呟く。名を呼ぶ。けれど返事は返ってこない。この世にも、居ない。


 雨音が笑い声みたいだ。泣き声かもしれない。雑踏の中にいるみたいだ。自分の存在が浮いている錯覚を覚える。



『あー、そういえば名乗ってませんでしたね。私はマルエルっていいます』



 カジノの中で、イカサマをし合った時のマルエルの姿が脳裏に浮かぶ。あの頃の猫を被ったマルエルも可愛かったな。



『ガチャガチャうるせえええぇっ!! オレをあのカキタレ屋から奪い取った時ァ戦ってくれてただろうが!!! あの時みたいな気合い出せやてめぇえ!!』



 初めて真剣に僕に喝を入れてくれた時のマルエルの姿が脳裏に浮かぶ。今思えば、意外とあの時点で結構僕は彼女に信頼されていた気もする。


 てか、今更だけど言葉使いに品が無さすぎるな。まるでチンピラじゃないか。



『ちゃんと綺麗な状態のまま、返すつもりだった。なのに、私』



 ネックレスでの賭け事をした時のマルエルの姿が脳裏に浮かぶ。


 ……僕は他人から自分は軽んじられている、大した思い入れなんて持たれない人間なんだと思っていた。だからあの時のマルエルを見て、僕のあげたネックレスが壊れていた程度で不安そうに、必死になっている彼女を見て、心が大きく揺さぶられた気がしたんだ。



『その、これは、そういう事をしたいんじゃなくて……ちゃんと、しっかり痕を刻みつけるためだから』



 僕とお揃いの、首筋の消えない噛み傷を付けた時のマルエルの姿が脳裏に浮かぶ。


 あの時、マルエルと心が重なった気がした。

 長い年月を生きてきた、これからも生き続けるだろうマルエル。その人生の瞬きのような一瞬の間だけでも、彼女の記憶から消えない強烈な存在になりたいと思っていたから。

 僕から離れられない、嫌いになってくれないなら大切な人とは別のもう一つの大切な人になってほしい、そんな風に願う彼女に触れて初めて同じ目線に立てたと思った。


 この心を自覚した時からずっと届かないと思っていたマルエルの背中に触れられた気がしたんだ。手で触れられる、手で触れてくれる関係になれたと思ったんだ。


 やばい、これ以上はやばい気がする。地面を殴る。泥が跳ね服が汚れる。冬の雨が体から熱を奪っていく。そのまま僕の内蔵を焼くようなこの熱も一緒に奪っていってほしかった。



「やば。中高生の頃にやるやつじゃんそれ。懐かし〜」

「……………………えっ」

「やるよな〜。傘もささずに走ってみたりさ。台風の日に傘で剣戟なんかして物語のクライマックスを演じた事もあったな。でも私ね、雨上がりに太陽をカメラに見立てて手を上げてカメラを見上げるOPのワンシーンをやるのが一番好きだったな」

「……マルエル?」

「うむ。いかにも」



 見上げると、目の前には傘をさしてしゃがみ僕を眺めるマルエルの姿がある。服は来た時とは違うものを着ている。誰の服を着ているのだろう? お嬢様みたいだ。



「な、んで、死んだって……」

「は? まあ、死んだけど」

「じゃ、じゃあ何故ここに……幽霊?」

「あれ、あんまり他人のキャラ設定覚えられないタイプ? 私一応不死設定でやらせてもらってるんですけど」

「いや、だって死んでから時間が経過したら蘇生出来ないって! 山羊の所にっ、死後何時間も経っているマルエルの死体があったし!」

「首無かったやろ?」

「えっ。無かったが、それがなんだい」

「いやいや。だから、首から再生したんだよ。胴体は残して」

「………………えぇ」



 引いた。そんなのアリ? 胴体残して首から身体を生やすって、全身でトカゲの尻尾が出来るという事なのか?



「てかそれなら先に僕達に教えてくれよ! マルエルが殺されたと思って僕もフルカニャルリもっ、皆に酷い事をしてしまった!!」

「うん、聴いてたよ。悪かったね性悪の屑女で。かなり傷付いたぞ」

「全部事実だろ!」

「あれ、フォローしてくれる流れだと思ったんだけどな。追い打ちかあ。痛いな〜、心」



 えんえんと泣き真似をするマルエル。いつもの調子だ。なんでだか肩の力が抜けた気がした。



「ま、教えなかったのは敵を騙すにはまず味方からってことでな。お前らの自然な反応を見せれば誰もが本当に私は死んだもんだと確定させるだろ? おかげで私はこれからコソコソ行動を取れるようになるわけですよ」

「なるほどね……手の込んだ事をするな」

「まあな。で、フルカニャは?」

「今地下室にエドガルさんとサミュエルさんを閉じ込めてるんだけど、二人には内緒で木箱に化けてもらって監視してもらってる。どちらかがおかしな事をした場合、即刻糸で捕縛して貰う算段さ」

「頭良くて草。正解すぎるなその作戦」

「だろー? へへへっ、フルカニャルリの案なんだ!」

「じゃあなんで今お前が得意げになったんだ? 誰だよお前」



 マルエルに冷めた声で突っ込まれる。これだよこれ、やっぱりこの相手を見下すような声音で飛び出る突っ込みがいいんだ。全身に澄み渡る……。



「てか、襲われたのは事実なんでしょ? 犯人の姿は見なかったの? マルエル」

「おー。まあ順に私の身に起きた事を説明するわ」




 *




「ぐすん……ひっく」

「あ、あはは。私、パンツの替え探してくるわね?」

「ごめんなさい……お願いします……」



 泣きべそをかきながらリリアナさんに頼みつつ、彼女がトイレから居なくなるとオレは早速用を足そうと個室に入り扉を閉めようとした。



「……くさっ! んだこの臭い、うんち臭でもアンモニアでもない……うわー、なんかナワリルピリランドで嗅いだような臭いだな。きめぇー……」



 オレの鼻腔に入ってきたその臭いは所謂"死臭"というやつだった。死体が野晒になった戦場でも嗅いだ事のある、鼻にまとわりついたり暫く取れない生臭さと人汁臭さを兼ね備えた悪臭。


 その臭いの発生源は、少し視点を高くするとすぐに判明した。



「……なんだ、これ」



 個室の、便座の後ろの壁が一部ズレていた。壁の中に空洞の暗闇があるのが見えていた。そこから漏れていたのだ、死臭は。


 当然気にもなった。オレはずっと偽ミシェルの頭部の所在を考えていたから。それに、ミアさんや偽ミシェルの死体がとこに行き着くのかも分からない。もし仮にトイレなら、いい隠し場所だなと思った。


 トイレで悪臭がするだなんて妙とは思わない話だ。悪臭の質にもよるが、この壁をちゃんと締め切っていたのなら中から漏れる臭いなんて僅かで、元来のトイレの臭いに紛れて気にも留めなかっただろう


 だから気になった。オレはその穴を覗き込もうとした。その瞬間だった、背後から硬いもので殴られて倒れたのは。



(あぁ……これ、罠か)



 気付いた時には既に遅かった。オレの首には既に刃が当てられ、腕を振り上げて降ろす段階まで来ていた。

 その場でオレは首を切断され、恐らくは窓から死体を捨てられる。水路を伝って山羊小屋の方まで運んで行くつもりなのだろう。



(……あっ。あの異常な尿意、利尿剤、か。ミシェルが皆のメニューを把握し、オレにターゲットを絞り、ここに来る事を誘導した……やられたな、かんぜ)



 そこで一度意識は途切れる。首が切断され、死亡したのだ。


 次に目を覚ました時、オレは暗闇の中にいた。正確にはオレの首が放り込まれたのは暗闇の中だった。


 死臭の充満する空間。おかげでオレの魔法の根幹である『涅』を大幅に回収できた。いつもなら首のみからの蘇生は時間が掛かるのだが、すぐに蘇生出来たのは魔力量が上がっていたからだ。



「ここは……」



 手足を動かせばなにか人型の何かが当たった。指や足には蛆虫がまとわりついている感触もあった。何者なのかは分からないが、オレが触れた複数の死体は腐敗していた。



「ヴォエッ!!」



 臭いし蛆虫キモすぎて吐きそうになった。というか二回吐いた。


 そこはやはりトイレの裏の壁の内側だった。オレは壁板を外しトイレから外に出た。時刻は12月12日の朝4時32分。オレが殺されてから実に8時間近く経過していた頃だ。



「どうしよう、これから……」



 さて。ここで困った事が起きた。オレは公には死んでいる事になる筈なので行き場が無くなってしまった。どこかに身を隠すにしても、屋敷の構造は熟知していないから上手く立ち回れるか分からない。トイレから身動きを取ることすら難しかった。



「あれ、マルエルさん。こんばんはー」

「! あ、レ、レイナさん!? こ、こんばんは」



 そこで、音もなくこの屋敷の長女であるレイナさんが現れた。本当に音がなかった、気配すら。だから接近に気付けなかった。



「マルエルさん、なんで裸なんですか? それになんか……臭い?」

「!!! い、いやー、これは!」

「よく分かりませんが、一緒にお風呂入ってまた部屋に来てくださいよっ!」

「で、でも私、誰かに見つかるのは諸事情でかな〜りやばくて!」

「大丈夫ですよ。私は、誰も起きていない時間しか基本動けないので。私が動けている間は誰も起きて来ませんよ」

「そ、そうなんですか?」

「えぇ」



 そうレイナさんに言われ、彼女の勧めに従い風呂に入り、臭いと汗を洗い流した。……まあ死臭の方はそんなんじゃ中々取れないが、大分キツさは減ったのでそこは良いだろう。


 その後はレイナさんと共に夜を過ごし、そのまま彼女の監禁部屋に潜伏させてもらった。誰も部屋には近寄らないので見つかる心配は皆無だった。


 そして、今現在に至るのである。




 *




「どう? 分かった?」

「そういえば長女さんも居たな。すっかり存在を忘れていたよ」

「あぁ。レイナさんな。すごい可愛いぞ〜、胸はささやかなサイズだがスタイルも綺麗だしな〜」

「なに! み、見たい!」

「ちなみに歳は多分10歳よりちょっと上くらいだ」

「幼いっ! フルカニャルリよりちょっと上ぐらい! 悪くない!」

「悪ぃよ」



 マルエルにチョップを入れられる。いかんいかん、最近僕は仲間がロリに偏っているせいでロリコンというイメージが付きそうになっている。女性は大体全て好きなのだ、訂正しなければ。



「まあ大体状況は分かった。私は引き続きコソコソ屋敷を周りながら、休む時はレイナさんの部屋にいる。もしなにか用事があったらチャールズくんの隣の部屋をノックしてくれ。一応、5回な」

「5回ね。了解」



 話し終えると、マルエルは立ち上がりふぅーと息を吐いた。踵を返し、屋敷の方へと向かおうとする。



「マルエルッ」

「……? どした」



 つい呼び止めてしまった。何か言うつもりとかでは無い。本当に何となく、反射的に名を呼んでしまったのだ。



「……死なないとしても、気を付けて。正直心配だから」

「あー? 心配〜? ……ぶふっ! ぎゃははっ!」



 何故かマルエルは吹き出し、いつもより声を荒らげた下品な笑い方で楽しそうに笑った。



「な、なんだよ!」

「くひひっ、いやぁ〜! 私の事を心配してくれるだなんて、やっぱりお前ってつくづく……くっくっく」

「?」



 マルエルは誰かと僕を重ねて見ているようだった。笑った事で出た涙を指で拭いつつ、一度僕の方に歩み寄ってくると拳を差し出してきた。


 その小さな拳に僕も拳を合わせる。マルエル、このやり取り好きなのかな。



「お前らも気を付けろよ、私より死にやすいんだから。危なくなったらガチャつかず、みっともなく私に頼れよ。いーな?」

「……らしい言い草だなあ」



 マルエルと笑い合い、彼女は今度こそ屋敷の中へと入っていった。


 夜。暗闇に囲まれた空間。聴こえてくるのは雨音だけ、その他に音は何も聴こえない。


 悲鳴も聴こえない。叫び声も。断末魔も何も聴こえない。地下室は静かだ、まだ何事も起きていない。まだ犠牲者は出ていない。



「あ、そうだそうだ。言い忘れてたんだけどさー」

「!? マ、マルエルかよ! びっくりしたなあ……」



 急に誰も居ないと思っていた空間から人の声がして誰かと思えばマルエルだった。彼女はタッタッと、身軽な女の子らしいステップで僕のすぐ目の前に立つと、しゃがんで目線の高さを合わせて目を見てくる。



「……マルエル?」

「中に誰がいるんだっけ?」

「え、だからサミュエルさんとエドガルさんとフルカ……待て。君、本当にマルエ」

「おやすみなさい」

「んむっ、むーっ!?」



 急にマルエルの顔が近付き、その唇が僕の唇と触れる。舌が三度僕の口の中を叩くと、急に力が抜けて意識が暗闇に堕ちていった。

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