異世界日記2ページ目「世界に慣れてきた」
「不足している調剤は補充しておいたので、また何かありましたらご連絡の方よろしくお願いしますね」
「わざわざ遠くからありがとうねぇ」
「いえ! 馬車マジで神速なんで全然ですよ! それじゃ、ご自愛くださいませ!」
「ふふふ、ありがと。貴方も気をつけてね」
「はい!」
この世界に来てから三年、意外と俺は多言語を覚える能力に長けていたらしく、大陸の公用語であるブラン語はもう完璧にマスターしていた。読み書きも一部のスラングとか使われ方が限定するものでなければ一通り覚えた。
というわけで、晴れて俺はこの世界での仕事にありつくことが出来た。
仕事の内容は俺を家に居候させてくれているハルピュイア族の調剤薬剤師、マリアの手伝いとして調合された薬を遠方の顧客に届ける事だ。
他にも調合に必要な植物を育てたり、必要があれば山場まで採りに行ったりするし時には動物を狩ったりもする。普通は冒険者という連中にそこら辺の仕事を頼むのが主流らしいのだが、マリアは人間があまり好きではなく依頼金も馬鹿にならないため自分で取りに行っていたらしい。
狩猟とかそういうのって俺の居た世界なら資格が必要になる物だったと記憶しているが、この世界は動物を狩るのであれば必ずしも資格が必要な訳では無いらしい。
山間の村や未開拓の森の中など、とにかく大陸中央の王都なる所が手を付けられていない土地に住む者らも少なくない。そこら辺を考慮し、勝手に法を取り決めて交流を図れていない相手を違反者として取り締まらざるを得なくなるのを防ぐ為だろう。
時代的に、ここがパラレルワールドの地球だったのならら今は産業革命前、18世紀以前とかなんだろうな。独立戦争とか革命戦争とか起きて巻き込まれたら嫌だなぁ。
「うわ、手ぇ切っちゃってた」
馬車の中で気付く。どうやら先程薬を届けた際に木箱で手を切ったらしい。親指の端に線が出来て血が滲み出ていた。
治癒魔法で傷を治す。
普通なら魔法の魔の字も知らず生きてきた大人が魔法を覚えるのには相当な年月、それ程10年とか要するらしいのだが、俺はマリアから魔法の教えを受けると直ぐに回復系統の魔法だけ覚えることが出来た。
ま、種も仕掛けもあるのだが。仏様に頼んだ「回復系とそれに類する魔法、全部覚えられる才能だけくれ!」ってやつ。それが叶ったと言うやつなのだろう、私の教え方がいいんだねと自慢していたマリアには悪いが、神様ギフトってやつだ。
生命力を活性化させる魔法や血の巡りを向上させる魔法、そこから派生して肉体強化や生体反応を感知する魔法など、割と幅広い魔法を初級の触りだけ一通り覚えた。まだまだ膨大な量の魔法があるらしいが、一旦俺の目指す目的である『美少女化』に必要なものだけ揃えたという感じだ。
まあ、手っ取り早く変身魔法とかあればそちらを覚えていたのだが。マリア曰く、他者に変身する魔法など妖精とか悪魔とか精霊が使う類の物であり、物質的な肉体を持っている時点で物理的に不可能との事。ガワだけ変身しても中身ひき肉になっちゃうんだって。そんな融通効かないことあるかね?
あと、水とか炎とか、そういう属性系の魔法に関してはどれだけ習ってもからっきし、使える気は全然起きなかった。どうやら回復ジャンルの魔法以外はゴミ以下の才能らしい。両極端すぎる。そのおかげで逆上がりするよりも簡単に回復魔法を使えるようになったのは有難いんだけどさ。
「ただいま〜」
「おかえりーマルエル。どうだった? フィリアさんとこのお嬢ちゃん」
「あの人俺の倍以上の歳いってんのにお嬢ちゃんか……見た所特に体調に問題はなかったよ。減りが多かったのは栄養補助剤が殆ど、後は血止めと解熱剤か」
「至って健康そうだね、本当に貯蓄が切れてきただけか。まあ人間の70歳はお年寄りだもんね、ここに立ち寄れないのも仕方ない」
「相変わらず時間感覚が人外だな〜」
「400歳越えは伊達じゃないって事。今日はありがとう、もう仕事は無いからゆっくりしてなよ」
「おー。じゃ、また書庫に籠らせて頂きますわ」
「えぇー」
マリアが俺に対し引いているような声を出す。
「魔法を使うコツを掴んでから毎日ウチの書庫に籠ってるけどさ、何にそんなに惹かれたの? 魔法使いでもないのに引きこもって魔法を蒐集して。なんか根暗っぽいよ?」
「うるさいやい! いいでしょうが別に。俺がここに来たのにはちゃんと明確な目的があるの! 魔法オタクと思われても偏屈変人と思われても関係ないもんね〜」
「本当に変人扱いされるよ? あんなホコリ臭い所に入り浸って、ご飯の時くらいしか外出ないじゃない。頭にキノコが生えても知らないぞ〜」
「生えるか! 西暦的に大幅なタイムリープしたなとは思ったけど、オタクに対する印象も大昔なのかよ! あんま言うと泣き喚くからな俺!」
「ハイハイ。じゃあまたご飯出来たら呼びに行くから。それと、明日はマルエルがご飯当番だからね、忘れないでね」
「ヘーイ」
テキトーに返事をし、大木にめり込むような形で建てられた独特な建築センスのマリアの本邸から出てすぐ横にある、本邸に比べたら少し小さな書庫に入る。小さなと言っても、街で見るような一般的な一軒家に比べたら同じくらいなのだが、手入れは全くされていないので確かにホコリ臭い。蜘蛛の巣張ってるしね。
変身魔法が無い以上、俺が美少女になるには一つの手段しかない。それは、ありとあらゆる回復魔法を覚え、生命活動を行えるギリギリの状態からでも万全の状態に戻れる技術まで獲得したら自分の身を文字通り『粉骨砕身』して、美少女の形に作り替えるのだ!
我ながらバカげているとは思うし流石にグロすぎるが、仏様への願いが叶った以上、俺はこの世界における「これは回復系!」とされている魔法ならなんでも無尽蔵に覚えることができる、はずなのだ。存在するのなら不死になる魔法だって理論上きっと覚えられる。
だからこそ俺は、マリアが大昔に廃品を受け取りそのままにしたという書庫に潜り込み魔法本を漁っている次第なのである。
「オタク扱いがなんだ、目的の時点で度し難いキモオタクなんだ俺は! どんなに蔑んだ目で見られても必ず努力を研鑽を積み美少女になって、合法的に女の輪に混ざって無自覚な女の子達のあられのない姿を観察したり、性癖ねじまげて百合の花園を作るんだ! その為の努力は惜しむわけが無いってぇ話なんだよな!」
ボブサップを縦に三人積み重ねたぐらいの高さまで平積みされた本、それが何面にも重なって見える地層の前で腕を組み、聞かせたら縁を切られそうな言葉で発破を掛けて気合いを出す。今日も一日宝探しだ、頑張るぞ俺! 前の世界では叶わなかった『何をされても可愛いからで許される美少女人生』を手に掴むために!
*
40年経ちました。絶対いつか美少女に! そう願い続けた俺の今の年齢は61、いい歳である。いい歳なのだが、俺の容姿は23歳辺りから全く変化していない。
魔法を覚えている内かが上手く作用したのか、俺の肉体の成長速度は通常の人間よりも大分緩やかになっている。
マリアに肉体を調査してもらったが、40になっても50になっても俺の体は若い頃の健康体なまま、老化に伴う劣化が一切見受けられなかった。寿命そのものが延びている、というのがマリアの見識である。
俺はまだ果てぬ夢を見ている。美少女化したいという夢である。体の成長が止まったのなら理想も若いままなのだ、今日も俺は街の図書館に足を運び魔法本を読み漁っていた。
「あ、いたいた。マルエル〜」
「マリア? 人嫌いなのにこんな人の多い所で会うなんて、どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ! 言ったでしょう? 明日、港の街で千年祭があるって!」
「言ってたねぇ」
「言ってたねぇ、じゃなくて!! 一緒に行こうって意味で話を出したのよ、なんで断りもなしに外に出てるのー!」
「そんな事言われても」
「港の街まで半日はかかるの! 少し待っててって言って着替えてたのに居なくなってるから驚いたわ!」
「そんな事言われたっけ? ごめん話聞いた後すぐ家出てたから……」
「この……っ、女心の分からんジジイめ!!」
「マリアの方はなんで歳を取る度に子供っぽくなるんだ。ベンジャミン・バトンか」
しかし、誘ったつもりだったのなら良くない事したな。血の繋がった家族よりも付き合いの長い相手なのに気持ちを汲み取れないとは。社交性低いなあ俺、嫌気が差して俺を拒絶しないマリアは良い奴だよな。ガチ聖母まである、母親じゃないけどね。
そういえば、マリアって結婚とかしないのだろうか?
本人は老人を自称しているが、別に閉経している訳では無いらしいし見た目も街を歩いていたら好意のある視線を向けてくる相手はそれなりにいるし、やろうと思えばできると思うのだが。見た目上は結構適齢期だしな。
「なあマリア」
「うん?」
「君、結婚とか興味無いの?」
「えっ…………えっ、え、え!?」
「うおっ!? どしたどした、リアクションでかいな!」
「いやだって、え!? マ、マルエル!?」
「うん……?」
図書館を出て紅白のレンガの道を歩いている最中に軽い調子で話題を振ったら、マリアが小躍りのような反応を示した。彼女は忙しなく手を動かした後、何故か目をギュッと瞑って俺の肩にパンチしてきた。
「大丈夫ですか」
「な、なにが? 私は至って動揺などしていないけどね!」
「動揺などしていないという最も正確に動揺を示す言葉。実の所、結婚について思う所があったとか?」
「違う! 断じて違う!!」
「あら。結婚には興味無いのか」
まあここまで純潔を保ってたんだ、今更だわな。
「興味は……ある、けど」
「興味あるの? そりゃ意外だ、昔から?」
「昔は興味なかったけど、最近は、ま、まぁ、悪くないかな〜って」
「へぇ〜」
「そ、そんな話はいいから! 早く帰って、支度するよっ!」
マリアに袖を摘まれ急かされる。服が伸びてしまうので普通に手を取って握ったら、彼女は急に押し黙って立ち止まり、かと思えば歩き出したりと忙しい動きをした。手汗が気持ち悪かったのか?
1度手を離し、彼女の翼腕に生える羽の束を掴んだらやっと大人しくなった。そこはいいのか。
*
千年祭。大陸の北部の寒冷地から大陸の中央部にかけて行われている伝統的な祭りであり、『聖なる灯』なる大かがり火を焚き、草花や枝木を集め家屋を飾ったり精霊を模した人形を作ったりする行事である。
これらの準備作業に対する報酬は卵によって支払われるらしい。だがこれは普通の鶏の卵ではなく、普段はお目にかからない珍しい鳥獣のものを使用しているらしい。マリア曰く神獣の一種とのこと、国鳥みたいな物か?
マリアは普段こういう催し事にはあまり興味を示さないのだが、千年祭だけは強い関心を示していた。千年に一度の祭り、自分も体験した事の無い祭りだからだろうか。
俺達が住んでいる街は中央都寄りだが郊外で、広大な森に隣接している。そんなに千年祭が気になるのならもう少し住む場所を北上させても良いだろうと思ったが、人間との交流が好きじゃないから大衆が集まる方へは住みたくないのだろうな。
「しっかし、ただの収穫祭みたいな物かと思ったが凄い規模だな。ここから北海沿いの港町まで出店が続くのか、仮装してる人も多いし」
「この大陸の古代神や精霊の行いを信仰し、祈りを捧げることで向こう百年の安泰と守護を得る為のお祭りだからね。より華やかに、より面白おかしくして、彼らが生み出したこの地の繁栄を魅せて喜ばせようという意図があるのさ」
「という触れ込み?」
「という触れ込み」
「はっは、一大イベントにうってつけな理由付けですな。まあ千年に一度の祭りとかそりゃ大々的にするわな。正しい作法かどうかは置いといて」
「冷めること言わないでよ〜……」
「ごめんごめん。ってか、大規模な祭りなのは分かったけど、なんか空の星にまで手が加わってるの地味にスゴすぎじゃないか? 星座が分かりやすく線で結ばれてて、まるでプラネタリウムだ」
プラネタリウムというのはこの世界には無いのでマリアは「なにそれ」と聞き返していたが、それとなく流し、俺はいつもと違った様相の星空を見る。
光り輝く星と星、特に光の強い一等星なんかは明確に不思議な白い線で結ばれており、天体に沢山の幾何学的な模様が浮かんでいるように見える。
流石に惑星同士から何かを発して繋いでるいるとも思えないしそういう風に見せ掛けた地上からの映写か何かだと思うが、こんな事が出来る技術があったなんて初耳だ。
思ったよりも近現代である。この世界って水周り関係がマシなだけの中世程度の文明レベルだと思っていたのに。
「あぁ、あれはウルの魔法だろうね」
「ウル? それは魔法名? それとも個人名?」
聞き慣れない単語に質問を投げる。もう何万札もの魔法本に目を通したはずなのに、ウルなんて名称の魔法は見た事がない。単に忘れているだけという可能性もあるが、もし魔法なら知識として蓄えておきたかった。
「ウルって言うのは……なんだろう。一応人間なんだけど、天使の親だったりするし……」
「天使の親???」
なんだそれ、この世界では天使は人間の腹から産まれてくるのか? それはもう可愛い我が子に対する愛称じゃないか。宗教的な意味の天使とは違うだろ絶対。
「まあ単純で分かりやすい言い方をするなら、初めて魔法使いになった人だよ」
「初めて童貞のまま30代なった人か」
「なんでよ。……私処女のまま数百歳ですけど!?」
「あっとそっかぁ。あんま触れちゃいかんネタに触れてしまったなぁ。なかったことにしよ」
「出来るかぁ!」
頭をスパーンと叩かれた。お笑い芸人に向いてるんじゃないか、そう思わせるくらい見事な叩き具合である。
「ふん、どうせ私は500年物の処女ですよ。人間よりも繁殖に長けたハルピュイアだから閉経してないだけの老喪女ですよ私は」
「それを言えば俺も年齢上は高齢者だしなんとも言えんな」
「童貞じゃないでしょ」
「童貞です」
「嘘だ。ずっと昔に過去の恋愛遍歴とか聞いた事あるもん」
「あー……いるだろ、付き合ってるのにヤらないカップルとか。……いるかな?」
「嫌味ったらしい〜!」
腕をポコポコ殴られながら砂糖菓子屋で綿あめみたいな形状の菓子を買う。封とかなく棒にそのまま纏わせた状態で渡されたので、えいえいえいと言い続けているマリアの顔の前に持ってくる。
そのまま顔を突っ込ませて来るかと思ったが、流石に立ち止まったので口の中に膨らみの曲線を近付けて食べさせる。
「……美味しい」
俺も一口頂く。甘っ、もう何十年も昔に舐めた味だった。
この世界に来てから菓子なんてそうそうありつけた事ないしな、高級品だし。若干高いという程度の値段でこんな甘い菓子を舐められるとは、千年祭の大盤振る舞いだな。
「あっちの屋台も見に行こう! 人少ないし!」
「だな。人が多くなる前に屋台回りまくるか」
「賛成!」
威勢よく返事するマリア、人の姿を確認した瞬間に縮こまり俺の後ろに隠れる。表情も一気に虚無顔に。悲しい千変万化だ。
マリアと共に売店を行き来した。食べきらない内に次の売店へというのを繰り返していると二人じゃ持ちきれない位の荷物となったが、マリアは翼腕である。翼の羽の先端まで彼女は自在に操ることが出来るため、その翼で軽いものだけ支えてもらい、二人で人気のない場所まで来た。
一本木が生えている以外に飾り気のない、ただの丘だ。道から大きく外れた訳でもない、特別感も別にないただの空間。人が二人収まる程度の、小さな小さなポケットのような空間だった。
丘に腰を下ろし、星を見上げる。すっかり夜も更けると人の数も増え、マリアの口数も少なくなっていく。
周りの雑踏とは反比例に静かな時間。マリアは今、何を考えて買ったものをつまんでいるのだろう。横にいる彼女の表情は暗くて見られなかった。
「楽しかったね」
マリアの口からポツリとそんな言葉が零れた。楽しかった、その言葉に偽りの感情は含まれていない。けれども寂しさの方が比率の大きく、名残惜しさがその声には滲んでいた。
千年に一度の祭りと言っても案外この程度か。そう思いかけた瞬間、空に花が咲いた。
「うわあ!?」
驚きの声が隣から上がる。雑踏からも、中には悲鳴すら混じっていた。爆発音と火薬の音、それらが何者かからの攻撃だと認識されたからだ。
けれど、それは攻撃じゃない。連日続くこの祭りの彩りのひとつに過ぎないのだ。花火は。
この世界の人にはそれはきっと相当に物珍しく、幻想的に映ったのだろう。二発、三発と号砲が続くと次第に人々は取り憑かれたように空を見上げ、見つめ続けるようになった。
かくいう俺も花火は見慣れているものの、今まで見たものよりもずっと壮大で豪快な色彩の爆発に目を取られてしまう。規模感が全く違う、それこそ空全体を埋め尽くす勢いだ。花火の光で夜空に天蓋が出来上がっている。
「……きれいだね」
そう呟くマリアの横顔を見たら、花火に照らされた彼女と目が合った。彼女はすぐに驚いた顔で顔を逸らし照れ笑いをした、その様子がいじらしい。
何の気なしに手が伸びて、マリアの頬に親指を当てた。
「な、何?」
「いや……」
嫌がる素振りはない。顔に手を添え撫でると、彼女は顔を赤くしているのが次の花火の爆発で分かった。それはきっと俺も同じだったのだろう。
彼女は体をこちらに向けて、何も言わないまま控えめな仕草で顔をこちらに近付け俺の胸板に頭を当てた。
「私ね、今まで人間の事なんか好きじゃなかったの。人間は私達ハルピュイアを、長い間奴隷として扱っていたから」
ハルピュイアの迫害の歴史はもう300年近く昔、表向きは終わった事になっているのだが、それまで1000年以上続いてきた負の歴史だ。100年余り、奴隷の時代と被っていたマリアにとってそれは今ですら忘れられないトラウマとして記憶に刻まれているだろう。
「さっきの話だけど、ね」
彼女に深入りしないようにと思っていた。俺の存在が彼女にとって疵になると分かったのは言葉が分かるようになってからで、その頃には既にマリアは俺との繋がりに別の意義を見出していた。
家族の契りが、契約上の物ではなく精神にも作用してくる頃合だったのだ。別の言い方をするなら、依存だ。マリアは、もしかしたら俺も、その頃から互いに共依存関係に陥っていたのだと思う。
「結婚とか、よく分からないけどね。本来ならもう寿命で死んでいるはずの歳より生きてから貴方に出会ったせいかな。今更、してみたいって思っちゃった」
それは多分、俺の方が先に思っていた。人間はハルピュイアよりも短命だから、他人を好きになるのだってその分短スパンな筈なんだ。
出会ってから次の年の春には、俺はマリアの事を好きになっていた。でもまだ早いかなと思った。もう少し時間を共に過ごしてから思いを伝えよう、そう考えている内に俺は、彼女らの過去を知ってしまった。
マリアの事を考えるなら、俺はこの気持ちを忘れてしまうのが最善だと思っていた。思ったまま、40年を共にしてきた。
「でも、やっぱり人間と結婚するなんて、怖い。自分が自分じゃなくなるような感覚がして、それはマルエルが相手でも、無くならないと思う」
「……だろうね」
マリアは俺の胸に顔を押し当て、震える声を誤魔化そうとしていた。グイグイと押してくるので後ろによろけそうになり、彼女の体を抱くようにして姿勢を維持する。
彼女の翼腕に手が当たる。自分とは違う種族である証明、それに触れているだけで俺には満足だった。この気持ちが、成就しなくても構わなかったんだ。
「……どうしたらいいんだろう。こんなの初めてだから分からない。私は、どうしちゃったんだろうね」
人間への恐怖と一個人への想い。そんな相反する感情が混在して、日々意識しないようにしていた事を今この場で思い出し溢れ出した。
「……少しずつだが、俺は人間じゃなくなってきてる」
「少し寿命が延びただけでしょ。そんなの、まだまだただの人間だよ」
そう返されるのはわかっていた。今まで何度も想定してきた事だ。でも、ここから先はマリアが俺に対してどう思っていたのか分からなかったから言えなかった言葉だ。花火が照らし出した今なら、この言葉を伝えられる。
「それなら100年後、もし二人とも生きていたなら。……っていうのは、どうかな」
「……うん。もし100年後も一緒に居たのなら、そのまま1000年でも一緒にいる。貴方が朽ちるその日まで、1日欠かさず一緒に居てあげる」
もしそうなったら見送る役割は俺になりそうなのだが、と言う前にマリアがより強く、より密接に抱きしめてきた。俺の一世一代の、100年後に向けたプロポーズは上手く行ったようだ。
「……でも100年なんて待ってられないから、先にしたい事だけ済ませちゃう」
「? 言っとくが俺は、婚前子作りは賛成派じゃなっ」
チュッ。と柔らかい感触が唇に当たった。マリアの顔がすぐ目の前にあり、目を瞑った彼女が顔を離すと恥ずかしそうな、それでも怒ったような表情で俺を睨んできた。
「台無し!」
「……いや、アリだな婚前子作り。よし、今日明日は沢山精がつく物食べよう」
「輪をかけて台無し!!!」
プンスコとマリアが怒り始めた所で空を賑わせていた花火が終わった。荷物を纏め、祭り会場から出て馬車に乗り帰路に着く。
千年祭は何日も開催されるものだが、マリアはたった一日参加出来たらそれでいいという腹積もりだったらしい。薬売りだからあまり仕事も休めないし、仕方ない。
「ねえ、マルエル」
馬車に揺られ、僅かな眠気にうつらうつらと船を漕いでいた時に対面のマリアが話しかけてきた。目を開けても薄暗い馬車の中では表情は伺えない、返事だけして目を閉じる事にした。
「なんだい」
「本当にするの?」
「? 何の話?」
「……さっきの、話」
「結婚の話? そりゃ本当にしたいよ、本気だもん」
「じゃなくてっ! ほ、本気っ!? そ、そそうなんだ……へぇ〜」
本当に忙しい人だな、否定したり驚いたり照れたり。元号をいくつも跨げる歳しているとは思えない情緒だ。
「じゃなくて、何の話?」
「だ、だから……こ、婚前」
「混線? ラジオか?」
「なにそれ! そうじゃなくて、婚前!」
「婚前」
「そう、婚前!」
「婚前、なんだよ。何をするのかという部分がすっぽ抜けてますよ」
「!? い、意地悪な男!! 性悪人間め!!」
「ちなみにそれも現段階では本気でやるつもりだよ。お前可愛いもん」
「かわっ!? えっ、やるって、可愛いっ、えっ、な、なにっ?」
「まだ掛かりそうだし俺寝るな。着いたら起こして」
「今!? こんな爆弾落としておきながら寝るとかどれだけ強い心臓してんの貴方!? ちょっと! ……本当に寝てる!?」
*
大きな戦争が起こった。
人類と人類の争い、海の向こうの国が大陸に侵略行為を行い起きた世界最大の戦争だ。
侵略者達は大陸の森を開拓し、多くの動物やそこに住む人類を殺して回り、人を食料にする魔獣の多くを野に放った。
たったの一年で平和な世界は地獄と化した。
度重なる侵略行為に対し、土地が広く地理もある大陸側の過剰とも言える侵略軍への殲滅行為。
沢山の死者が出た。罪なき人々だって死んだ。死体の山を道として歩く事だってあった。
大陸側が海を渡り、敵国をほぼ復興不可能になるまでの破壊行為を行い戦争が終結するまで、97年の年月が掛かった。
俺は回復魔法が使える為医療奉仕の隊に配属になったが、人死にが増えると戦闘訓練を叩き込まれ、戦場に立ち戦うようになった。
精神をすり減らすような日々だ。全ての回復魔法、治癒魔法を修めていた俺は他のどの種族よりも死に辛い。身体が衰える事が無いのなら、長い戦場経験はそのまま本人の戦闘能力向上の蓄えとなっていく。
妙な魔法、人を殺すのに特化しすぎた兵器。そういった物を使われない限り、殺せない手合いは居なくなっていた。戦争に参加し、最も長く戦い、生き残ったのは俺だった。
数多の友の死を見た。奇襲に会い顔を失った者、肉の塊と化した者、圧死した者、家族の話をした直後に頭を撃ち抜かれた者。ほぼ全員が、戦争を憎みながら必死に生きていた。
長生きしているうちに、人間性が摩耗していくのを感じた。
「ただいま」
と、家で帰りを待つマリアに言うのは叶わなかった。
マリアは侵略軍によってではなく、戦争が激化する中で起きた運動の一つ、市民軍結成の決起活動に巻き込まれ、戦う意味が無いと判断されて見せしめのように殺された。と、顧客の一人が言っていた。
病死でもなく、寿命でもなく、関わりを絶っていた人間達のエゴによって殺されたのだ。
人に恐怖し直接の交流を絶っていた彼女は正しかった。そう思うだけ。意味なんて無い。
意味の無い祈りを、無惨にもがれ木の杭で刺し留められ飾るように家の前に晒されていた彼女の両翼腕と、その二つの間に打ち捨てられた無惨な肉塊の前で口にした。
「主よ。聖なる炎よ。……どうか、憐れみ給え」
マリアと千年祭で見た『聖なる灯』のように、爛々とした炎が揺れている。
思い出とか、希望とか、人間性とか、もしも、とか、そういう前向きになれそうな物全てを焚き上げるつもりで、俺の炎の前で祈りを捧げながら沢山の亡骸が燃えていくのを眺めた。
その日の夜、一つの街が炎によって消えることとなった。
*
(これ、本当に最後までやり切れるのだろうか……)
脳幹から伸びる管、そこに接続してある義手を自身の体の代わりに動かす。
心臓、脳、肺、大腸、腎臓や肝臓。それら内臓以外の肉と骨をすり潰し、成形しながら治癒魔法でまず骨子を継ぎ直していく。
普通の人間なら即死している。でも俺はあくまで人間のままにも関わらず200歳を超えている、人間は人間でも化け物寄りなのだ。化け物ならこれくらい、どうということは無い。
作業に支障をきたす痛覚は脊髄の後角を弄り返しているからもう感じなくなっている。
全てが終わった後に治すつもりではあるが、神経の治癒は魔法を使っても成功率は高くないから上手くいかないかもしれない。まあ、別に無くても構わないが。
(しっかし、美少女になりたいだなんて馬鹿げた夢を死という天秤にかけてギャンブルに打って出るとか。いよいよ俺もストレス極まって来たんかねぇ)
グズグズのミンチの状態から少しずつ人の形に自分を修復させながら考える。ほぼ不死身なった身であるとはいえ、流石にここまで細かく体を裁断されたら元に戻る保証も無くなるのに、よくやるなあと。我が事ながら感心。
(しかしベースはどんな子を参考にしようか。漠然と美少女になりたいと思っていただけで、具体的案が無いんだよな)
血や臓腑が固まりそうになったらまた破壊し、或いは熱で流体に戻し、少しずつ少しずつ成形する。ただ元の形に戻す訳では無いので余計時間と労力が増している。もう何度日が沈み、昇ったのだろうか。
デザインは結局、昔見た最も美しいと思った女性の絵画を子供にスケールアレンジしたものを参考にした。
「はぁ……」
ある程度形が出来上がると、身体を分解する前のうつ伏せの姿勢から仰向けになり直し、再構築した肉体で初めてのため息の後に深呼吸を繰り返す。
産まれたての赤子同然の肺に空気を満たす。熱がまだ宿りきっていない肉体に入る空気は冷たい冬の風のような鋭さを伴った。
「数日間睡眠を取ったかのような気分だ……いきなり外に出るのは辞めとこうかな」
余り物のハラワタや骨を手で払い体を起こし、後頭部の窪みから脳幹へと伸びる管を手で引きちぎって外す。
それまで俺の肉体を再構築する為に動いていた義手は魔力供給を失ってダランと垂れ下がり、俺の頭の上に落ちてきた。痛い。
「痛覚はちゃんと戻ってるのか。でも少し鈍いかな」
この義手は魔力の伝導率が高い鉱物をふんだんに使っている。そこそこの重さが、という当たり所が悪ければ即死してしまいそうなくらいの重さはあるはずなのだが、子供のデコピンを食らった程度の痛みしか無かった。
「げ、血ぃ出たわ」
痛覚は鈍くとも肉体の頑強さはそのままらしい。頭皮は柔らかいから特に切れやすいのもあるが、肉体を作ったばかりだと言うのに早速ドクドクと滝のような血が頭から流れ落ちる。簡単な治癒魔法で再生する。
何をするともなく、出来上がった肉体に熱が浸透していくのを無言で待つ。起き抜けは酸素や血液の供給量の関係で突然動き回ることは出来ないため仕方が無い。
「そろそろ、行けるかな」
首を傾けて鳴らし、肩をまわし、伸びをして倦怠感を落とすと立ち上がって浴室まで歩く。血で汚れたまま服を着るのは論外だ、汚れを落としてからここ数十年出なかった外の世界を見に行くとしよう。
「翼なんか生やしといて、人間を名乗れる物なのかな」
頭から湯を浴び不要な物を落としていく中で、目に入った翼について思考が行く。翼という翼腕なのだが、かつてより大分縮んでしまって手の部分も目立たなくなってしまっているため、便宜上翼でいいだろう。
背中側を鏡に向け、違和感が無いか確かめる。
見た目上は問題なさそうだが、本来翼を持つ種族からしたらやはり位置的には違和感だろうか? 普通は肩あたりに生えていそうだものな、翼って。
「まあ見せる為のものでも無いし、見た目は別にどうでもいいか」
シャワーを終えると、体を拭いて水気を落として軽く身支度を整える。上等な衣服はもう数十年外に出ていないから持っていない。軍に所属していた時代に着ていたタンクトップとパンツを身につけ、上から雨避け用の外套を羽織る。
「……サイズ、合わんし」
忘れていた。タンクトップもパンツも今の俺にはデカすぎる。困ったな……。
……まあ、服を脱ぐ事なんて無いだろう。外套のボタンをきちんと閉めたらそれで大丈夫だ。風も強くないしね。
「さ、て。借金返すか」
マリアと共に生まれ育った街を捨てて数十年。俺は定職に就かず、その日暮らしの生活をしながら少しづつ医療道具や義手などを揃えて今回に臨んだのである。そうしている中で膨れた借金は日本円にして6000万程。はい、馬鹿ですと。
「あっつ」
久しぶりに出た外に対する第一声。頭の中に浮かんだ第一発目の外への感想は(萎えたわ〜)であった。