29頁目「アンノウンの娘と第二の殺人」
お風呂から上がったあと、すぐに夕食が始まった。
ミアさんが殺された為か前日よりも雰囲気は静か、という事も無く。割と全員が普通に会話を交えながら食事をしていた。
……まあ、冒険者連中は確実に日常を演じながら周りを監視し、罪悪感若しくは次の計画を立てている人間を人相や反応から割り出そうとしていたのだろうが。
ラピスラズリ夫妻は息子の手前、親として不穏な空気にならないよう気を遣っていたのだろう。
つまり全員が全員神経を使いながら、表面上の日常を演じ合っていたのだ。普通に険悪な空気の中で食事するよりもきっと神経を使ったと思う。終わった頃にはヘトヘトだった。
オレはその前の鬼の分泌液接種の疲労と眠気があり、風呂に入り体も温まった事から何度も何度も船を漕いでいた。ルイスさんが「可愛い〜!」などと言いながら抱きしめてくれたらしいが、そんな記憶すらない。とにかく眠かった。一足先にオレは部屋に戻り、睡眠を取った。
だからだろうな。深夜に起きてしまった。時刻は0時24分、屋敷内に物音はない。完全に皆が寝静まっていた。
「……トイレ」
便意を催した。そういえばこの屋敷に来てから一度もプリプリしてなかったからな。場所はおかげで完璧に記憶したし、明かり無しでもトイレに行けるだろう。
「すー……すー……」
「リリアナさん……胸……揉ませ……」
「二人ともぐっすり寝てるな」
フルカニャルリは静かな寝息を立て、ヒグンは夢の中でリリアナさんの胸を揉んでいた。……二人は添い寝しており、ヒグンが揉んでいるのはフルカニャルリの尻だが。
揉み心地いいもんな、フルカニャルリの尻。起きたら説教します。
部屋から出て、特に迷うことも無くトイレへ向かう。
しかし、明かりを付けないと本当に暗いなこの屋敷は。夜中に殺人なんて可能か? 場所の配置を理解してないと難しいと思うが。
「ふぅー……」
水を流し、手を洗ってトイレを出る。すっきりすっきり、お腹が一気に軽くなりましたな。今日も快便である。やっぱりお酒は程々にね。
スリッパでパタパタと足音を鳴らし先の見えない廊下を歩く。今は階段前にさしあたった所だろうか、明かりは無いが闇の度合いから壁の角の部分が分かる。
「こんばんは」
「きゃあっ!?」
え、え? なんか急に声かけられた、正面の闇から! 割と近い距離からである、心臓止まりかけた!!
「だ、誰ですか!」
「あなたこそ、誰ですか?」
声の主は姿は見えないが笑みの滲んだ表情をしているのが声から分かった。口の形は恐らくニッコリしている、鈴のような綺麗で儚い声だ。
「私はマルエルです」
「マルエル、さん?」
「サミュエルさんの依頼でギルドから派遣された冒険者です。……もしかして、この屋敷の娘さん?」
オレがそう尋ねると、闇の中にいる少女は少し間を置いた後に「ええ」と肯定した。
「私の名前はレイナです。そう、リリアナ・ラピスラズリの娘、です」
「レイナさん。どうも、初めまして……?」
「はじめまして」
姿の見えない相手にお辞儀する。そしたら闇からニュっと手が伸びてきた。小さくて白くて丸っこい手、フルカニャルリよりも若干年上くらいの手だ。
握手を求めてきたのは分かる。その手を取る。すると、レイナさんはオレの手を掴んだまま引っ張ってきた。
「えっ、レイナさん!?」
「知らなかった、外から来た人。私より年下っぽい! ねえ、私の部屋でお話しましょ?」
「お話、ですか?」
「はい。私、病気のせいでお昼は部屋から出られないんです。退屈でしょ? だから友達が欲しかったんです」
勝手に話が進んでいって、どんどん引っ張られていく。自分らの部屋の前を通過し、チャールズの部屋の前も通過し、一番奥の誰も触れてこなかった部屋の前まで連れて来られた。
「ここが私の部屋なんです。どうぞ、入って?」
扉が開かれ、先にレイナさんが入っていった。ドアノブを握る。
……。なんだか、異様な雰囲気を感じた。レイナとかいうあの娘、どこか違和感がある。手が微振動を起こしていたし、声の感じも、笑みを浮かべた声だがどこか不安定というか。
「……まあ、最悪な事態が起きても残機減るだけだし」
オレは他の連中と違って取り返しがつかない事に陥るリスクは少ないからな。もし何かあってもなんとかなるだろう。
ドアノブを回し、部屋に入る。
「お邪魔しま〜す……いてっ」
部屋に入ったら早々なんか硬いものにぶつかった。中からクスクスと笑う声がする。
「なにこれ、鉄格子……?」
扉を開けた一枚向こうには牢屋のような鉄格子があった。しかも、鍵は廊下側からと部屋の中側、両方から別個に付けられるようになっている。
「なんでこんな所に……?」
「私の病気の対策です」
「病気……あっ、レイナさん!」
「クスクス。改めてはじめまして、マルエルさん」
部屋の中のろうそくの灯りがレイナさんの姿を映し出す。とは言っても光はか細く、また前髪が伸ばしっぱなしで目元にまでかかっているためどんな顔をしているのかは分からないが。
おおよその姿は不明なまま、レイナさんはオレの元へ近付くと手を掴んで暗所の鉄格子をくぐるよう手助けしてくれた。部屋の中は普通の女の子らしい、ぬいぐるみやお菓子の模型に囲まれたメルヘンな内装をしていた。
「あの、なんで鉄格子なんか設置してるんですか? どんな病気なのか尋ねても……?」
「クスクス」
質問をしただけなのにレイナさんは楽しそうに含み笑いをした。
楽しそうに、けれどどこか違和感のある笑いだ。まるで、本心とは違った感情が勝手に出力されているような、そんなグラグラな不器用さを感じさせる。
「私の病気は、よく分からないんです」
「よく、分からない?」
「はい。幼い頃に発症した物なんですけど、急に身体が激しく痙攣したり、物事を長く覚えられなくなったり。体温も、異常に高いんですよ?」
「……確かに」
彼女の手に触れた時、確かに高熱を出している人間のような高い体温を発していた。それがウィルス性の物なのか冷えて体調を崩したせいなのか分からなかったので一旦様子見をするつもりだったのだが、幼い頃から患っている病気の症状だったのか。
「汗も人一倍かくし、心臓の鼓動も誰よりも早くて。だから時々、自我が無くなって暴れ回ったり人を傷付けたりしてしまうんです。極度の興奮状態ってやつですね」
「それ、は……」
該当する病気は数多あるが、症例から見るに恐らく精神由来の病か脳の機能障害辺りだろう。どちらも負傷でもなければウィルス性、毒物といった体外から来たものに由来する病じゃないからオレが持つ手段では治せない。
だが、一応診てみるか? これでも大昔は医者の端くれだったわけだし。
「あの、よければ私が」
「お医者さんなんですよね。お気遣いなく」
レイナさんが静かにオレの申し出を、申し出る前に断ってきた。声音は相変わらずの一辺倒だ。
「大丈夫なんですか?」
「困っていないんです。お昼、皆が起きている時間に暴れるのが一番良くないからとママが鉄格子を付けてくれたんです。中からも外からも鍵をかけられるのはそういう事なんです。外から来た人が間違って入ってこないように内側に鍵を、私の様子がおかしい時の為に外側に鍵を。ママの愛なんです」
「は、はあ。なるほど」
愛、ねえ。娘に人を傷つけさせないための処置として日中監禁されている訳か。他人の家庭にどうこう言えたものでは無いが、なんだかなあ。
「ん、それじゃなんで私を入れたんです?」
「たまには話し相手が欲しかったんですよ。大丈夫。夜の間は私、大人しく出来ますよ。薬も飲んでいるので」
「そうですか……」
レイナさんが薬の瓶を見せてきた。ラベルも何も無いからこの錠剤がなんなのかは分からない、後で1つ貰っておこうかな。
「ねえねえ、マルエルさんっ!」
「うおっ!?」
渡された錠剤の瓶を棚に置くとレイナさんがオレの手を掴み引っ張ってきた。強引にベッドの上に寝かされる。……日中ずっとゴロゴロしているのなら、汗で湿り体重でもっとマットレスが沈み込む筈だが。案外そこまででも無いんだな。
レイナさんも汗くさくは無いし、どちらかと言えばお風呂上がりの良い匂い。皆が寝静まった後に風呂に入ったのかな? いや、でもそんな物音はしなかった筈……。
レイナさんの顔がすぐ前に来る。二人で並ぶように添い寝する形になっている。初対面なのにグイグイ来るな……?
「私、色んなお話を聞きたいんです! マルエルさんが知っているお話、なにか聞かせてください!」
「お話ですか? 童話とか?」
「じゃなくてマルエルさん自身の事! そのお友達とかのお話も、沢山沢山聞きたいです!」
オレ自身やその周りの話か。まあ童話とか既存の物語はきっと長い引きこもり生活で読み尽くしてきただろうし妥当な所だな。
その後、レイナさんの希望した通りオレはマリアと過ごした楽しかった頃の話や、その前の別の世界で生きていた男だった頃の話、ヒグンと出会いフルカニャルリと仲間になった後の話など色々話した。
レイナさんはどの話も楽しそうに聞いてくれた。聞き上手だ、質問もよくしてくれた。くだらない小話でも心から楽しそうに笑い、もっともっとと催促してきた。
ちょびっとだけ、この子の事を不気味に思っていた。けれどこの子自体はとても素直でいい子だ。考えを改めた。
ゴーン。ゴーン。突如そんな音が鳴った。時計の音? しかし変なタイミングだ、今は何時何分だろう?
「3時33分。それがこの屋敷にある時計の鳴る時間になってます」
「えっ。……3時33分?」
オレの様子を見て疑問を抱いているのに気付いたであろうレイナさんが説明してくれた。3時33分? 変な時間だな、3のゾロ目か。
「なんで3時33分なんですか?」
「この家で信仰している宗教にとっての、大事な数字なんです」
「3がですか?」
「3と言うよりも、333です。333年、12月13日の金曜日。残虐なる征服者が滅び、私達の信仰する教団が誕生した。地上を見下ろす逆さ星の下で聖なる角を持つ黒き獣と巫女を天に捧げると、その肉は神の肉となりて受肉し人々に奇跡を与えた。如何なる病も癒し、召喚者を天に至らせる完全にして唯一の神。……パパもママも、その神を強く信仰しているんです」
ほえー、人々に奇跡を与える神か。オーソドックス宗教だな。……チャールズくんとレイナさんの事を考えれば、両親がハマるのも道理という話か。
「というか333年って約1500年前ですよね? 新星暦になってから割とすぐの時代だ。その頃の征服者っていうと……」
新星暦は今のこの世界の西暦みたいなものだ。今は1892年、西暦とは全く異なるのでオレの知る西暦1892年とは全く違う。
そして、歴史も魔法を鍛錬する期間に学んだ事もあるが、200年から400年頃の間で征服者と呼ばれそうなのには覚えがない。大規模遠征という形で移動していたのはそれこそ王都の騎士団に当たるだろう。
333年、第24代目騎士団辺りの時代だろうか? 確か24代目騎士団は王家との間で金銭的な問題で不和が起こり、強制処刑を行う事で総員入れ替えが行われたと聞いた。
……そして、逃げ延びた残党が当時の君主とその守護騎士を皆殺しにしたとも。
関係があるかは分からないが、この世界の歴史上300年代は悲劇の100年と呼ばれている。その間に出来た宗教かあ。
「まあ私は信仰してませんけどね。神様なんて、この世界にいないです」
そう、力無い声でレイナさんは言った。その言葉もやはり笑みの感情が主だったが、悲しみや諦めといった感情も含まれていたと思う。
幼少の頃から病に犯され、人生の大半を蝕まれて生きてきたのだ。
レイナさんはきっとまだ12歳とかそこらだろう。多感な時期だ、にも関わらず作り笑いで自分を保とうとしている。人生に絶望しているのだと分かる。
……オレは善人でもないしどちらかと言えば悪人サイドの人間だと思うが、それでもこんな子供が自分の人生を諦めているとなると切ない気持ちになってるしまう。
子供には無邪気で能天気でいてほしい。人生の終わりや物事の限界を知った人間の達観など、子供が覚えていて良いものではないと思ってしまうのだ。
「神様は、居ないかもしれないけど。神様みたいな人はいるよ」
「神様みたいな人、ですか?」
「うん。……私はそういう人間じゃないし、そういう人間になりたいとも思わない。でも、全ての怪我や病気を治せるような、神様みたいな馬鹿げた奴にはなってみたいと思ってる」
「……? どういう意味です」
「あー……ごめん、ちょっと言葉を組み立てるのが苦手でさ。つまり、その……君の病気を調べさせてくれない?」
「私の?」
「うん。……今は、きっと私にはどうしようも無いかもしれないけど。君の病気を調べて、自分の技術を何とか改造して、治せるようにしてみせる。から、私の事とか、他の大人とか。色々と、頼ってみてもいいのかなって」
やべ、見切り発車で喋り始めたから上手く言葉がまとまらないや。言いたいことにたどり着くまでめちゃくちゃ蛇行運転してるわこの車両。
「つまり、諦めないでほしいんです。レイナさんには未来がある、それを自分から手放すのは……」
「お優しいんですね」
楽しそうな囁き声でそう言うと、レイナさんはオレの顎にに手を置いた。え、なぜゆえ? 顎クイされた。え、なぜゆえ?? なにごと???
「ちゅっ」
「……っ!?」
あれ、あれれ!? なんかキスされてしまいましたが!? 慌てて口を離す。
「クスクス」
レイナさんは相変わらず長い前髪のせいで目は見えないが、口元は心底楽しそうに笑みを作り笑っている。何事!? なんでオレ、出会ったばかりのロリにいきなりキスされたの!?
「あの、レイナさん!?」
「神の御前では着物を脱ぎ裸になり、身を清め、誓いの接吻をするんです。クスクス。マルエルさんが私にとっての神様になるのなら、それは勿論、こういう事をするって意味になります」
おもむろにレイナさんは着ていた服を脱ぎ始める。シュルシュルと目の前で、蠱惑的に腰をくねらせるようにしながら脱衣する姿は、ストリッパーをしていたオレから見ても相当にエロく感じた。
……慣れている。作法を知っている。
目は隠れているが、鼻口が見える範囲の表情、肩の動き、手先の動き、腰、足、足先に至るまで。人を魅了するフェロモンを動きから発しているかのような見事な所作で裸になる。
見蕩れてしまった。目が離せなかった。なんだこれ、胸が痛い。ドキドキする。何かおかしい、マトモじゃない気がする。
「マルエルさんが悪いんですよ。私と、ただ一緒に居てくれればそれでよかったのに」
目が離せなくて動けないオレを前に、レイナさんは自らの裸体になにかヌルヌルとした液体を塗り始めた。
……なんだあれ? 透明だが、塗り込む毎にレイナさんの皮膚に何か、紋様が浮かび上がっているような。薄く、怪しげな紫とピンクの中間の色で光るシンボルマークが下腹部に浮かび上がっている。
あれは……逆さの五芒星のようにも見えた。ハートのようにも、堕ちていく人間のようにも見える。摩訶不思議な紋様だ。
「あなたの中身、もうちょっとだけ味見しますね。マルエルさん」
「あ、あの、私」
「大丈夫。クスクス、私にはまだ陰茎はありませんので。貴方の初めては奪いません。安心して? 苦痛なんて、何一つありませんから」
違う、そうじゃない! でも抵抗ができない。
レイナさんの身体が触れると、ヌルヌルの液体でオレの身体まで濡れていく。服を脱がされる。裸になって、全身をナメクジのように絡められる。
身体が熱い。吐く息も熱くなる。腰がビクビクしてきて、何かが集まっていく感覚がある。逃げたいのに逃げられなくて涙が勝手に出てくる。
チュッ、チュッ、チュッ、と口に三度キスをされる。一度される毎に脳の後ろ側に電流が走るような感覚がして、身体の力が抜ける。
「あ、だめ、やめて」
「クスクス、可愛い。駄目ですよ、知らない人の部屋になんて入ったんです、教訓ですよ」
「お願い、だから、やめ、て、ください……っ」
「駄目と言いましたよ」
横隔膜の下から臍の上あたりを三度キスをされる。内側から優しく皮膚をめくり返されるような、理解の出来ない快感が肩まで広がっていく。
「なに、か、入ってくる……っ、だめっ」
陰部のすぐ上に三度キスをされる。切ない感じがキュンキュン集まってくる。あ、これダメだ、全然抵抗できなっ……。
「ッ!! ああ、うっ!? ……ッ! ふぅ、はあっ! はぁ……あ、はぁ……っ」
「クスクス。怖がらなくていいんですよ。大丈夫、こんな事をした記憶だけは特別に抜き取ってあげます。だから、今夜は沢山楽しみましょう? これが最後の夜なんですもの」
目の前が白んでいるオレの上にレイナさんが乗っかってくる。そこから先は、というかこんな記憶そのものがオレの頭から抜け落ちる事となる。だから、記録のしようが無かった。
*
12月11日、水曜日。
「きゃあああぁぁっ!? 嫌あぁぁぁあぁっ!!! ミシェルッ、ミシェルッ!! いやああぁぁっ!!」
翌日、向かいの『祈りの部屋』から響くリリアナさんの悲鳴で目を覚ますこととなった。
「今の……あれっ、ここは」
「おはようございます。マルエルさん」
「レイナさん? むむ、神様の話をしてから先の記憶が……もしかして私、寝落ちしてました?」
「えぇ。それはもう気持ちよさそうに」
「ごめんなさい! 話に付き合うつもりだったのに先に寝ちゃったか……!」
笑顔で微笑むレイナさんに頭を下げる。いやはや、あの流れで寝たらこの家の信仰とか興味ないって言ってるみたいになるじゃないか。どんなタイミングで寝落ちしてんだよオレ……。
「それよりも、なんか様子が変ですよ。マルエルさん」
「リリアナさんの悲鳴、ですね」
真剣な顔をするレイナさんと共に部屋から出る。すると『祈りの部屋』の入口前に人が集まっているのが見えた。
後ろの方にいたヒグンとフルカニャルリがオレの存在に気付き近寄ってくる。遅れてエドガルさん達もこちらに気付いたが、今はヒグン達に反応を返そう。
「マルエル! お前別の部屋にいたのか、心配したぞ!」
「そっちの人は誰め?」
「ああ、この子はレイナさん。チャールズくんのお姉さんだよ」
「はじめまして〜」
「! 病気で部屋から出られないっていうお姉さんか……! 部屋から出ても大丈夫なんですか?」
「いえ、少ししたら部屋に戻ります。それよりも、今ミシェルって……」
それまで笑顔を保ってきたレイナさんが心配そうな、真剣そうな表情を浮かべる。人をかき分け部屋に入る。するとそこには。
「な、また……殺されたのか!?」
そこには、大きな時計の前で無惨に殺されている執事服を着た人物の死体があった。
死体には頭がなく、服が裂かれ腹にはミアさんの死体に刻まれていたのと同じ、逆五芒星の傷跡が刻みつけられていた。
「やだ、ミシェル……ミシェルッ!!!」
レイナさんが取り乱した様子で亡骸に駆け込む。脇には力なく膝立ちで俯くリリアナさんがいた。
サミュエルさんは部屋の外でチャールズくんの耳を塞いでいた。サミュエルさんの顔には強い怒りとやるせなさが宿っている。
ミシェルくんは、深く愛されていた。ラピスラズリ家の人間全員がミシェルくんの死を深く悼んでいる。
「また、殺人。また同じ方法で殺されている。それに、血の感じも……でも、犯行時刻的にはもっともっと、ずっと前だ」
死体と、血の状態からそう判断する。確実に6時間以上経っている死体、つまり殺されたのは深夜の2時より以前か。
「……エドガルさん、昨日は何時頃までミシェルくんと一緒に?」
「日が変わる前だ。食材の仕込みがあるからと」
「日が変わる前? そんなはずない、だってこの死体はもっと前から」
「そんな話しないでくださる!!!!!?」
エドガルさんと二人で状況の把握を行おうとしたら、リリアナさんに大声で怒鳴られてしまった。……しまった、人の心を軽んじた行動を行ってしまった。
「すみませんでした、配慮に欠けていた」
「……一度、部屋から出てってください」
「しかし」「この子の処理は私が行います!!! 誰にも触らせません、余所者の手には、触れさせない!!!」
ものすごい剣幕でそう言うリリアナさんに圧され、オレ達は部屋から出た。
またしても居間に向かう。二人の殺人、しかも同じ手段での殺害。全員がピリピリし互いを睨んでいる。
「すまないね。リリアナはミシェルを強く気に入っていた、まるで実の子のように。……彼女を責めないでほしい」
居間に着くと、しばらく全員が無言のままでいたが静寂を切り裂いたのはサミュエルさんだった。彼は頭を深々と下げ外部の人間であるオレ達に謝罪した。
リリアナさんもサミュエルさんも悪くない。なのに、客人に対して強い言葉を使ってしまったからと頭を下げたのだ。なんて出来た人間なのか。自分が同じような目に遭っても、きっと同じように頭を下げるなんて出来ないだろう。
「いえ、こちらの配慮が欠けていたのが悪いのです。申し訳ありませんでした」
「……状況の把握をするのは大事な事だよ。何者かがミシェルを殺した、これだけは覆りようのない事実なんだ。この報復は必ず……必ず遂行しなければなるまい」
サミュエルさんも、平静を装ってはいたがその瞳の奥には憎悪の炎が灯っていた。あまりの迫力に息を飲む。
「……少ししたら、全員で昨日のアリバイと考察を話し合いましょう。これは計画的な殺人であり、今後も確実に犠牲者が出る。凶行が起こる前に、必ず犯人を突き止めなくては」
エドガルさんが静かに怒りを湛えた声でそう言う。義憤か、それとも二日間共に過した友情により燃えているのか。ラピスラズリ家の人達ほどでは無いが、強い感情を抱いているのがわかる。
フルカニャルリはずっと暗い顔をしている。二度も殺人が起き泣き疲れたようで、チャールズくんが話し掛けても上手く返答が出来ていなかった。
ルイスさんも同様、何も言わない。こちらは完全に周りを敵と看做しているようだ。警戒しているのだろう。
「マルエル。昨日はどこへ」
「……だから、姉のレイナさんの部屋にいたんだって。夜に偶然会ってさ」
「なに?」
オレの答えを聞くと、サミュエルさんが冷たい声をオレに向けた。
「娘の部屋に、勝手に入ったんですか」
「ち、違います! 夜にトイレに行った帰りに会って、それで!」
「夜にトイレに? ミシェルが殺されたのもきっと夜の早い時間だ。……まさか」
「待ってください!!!! 私には殺せませんよ! だって、昨日の夜はレイナさんとずっと一緒に居て、それでっ」
「レイナ!?」
居間の外から再びリリアナさんの声がした。
全員で向かうと今度はレイナさんが、青ざめた顔をして意識を失っているのが見えた。
全員の目が集まる。疑念、警戒、敵意の目だ。
「レイナに……私の娘に何をした!!」
「ち、違っ、私は何もっ」
「動くな!」
ルイスさんが人形を出しオレの周りをグルグルと回させ拘束される。……ッ! フルカニャルリの粘糸と違いこちらはピアノ線、下手に動いたら皮膚が切れるな……!!
「ま、待ってくれ! まだマルエルが犯人だと決まったわけじゃないだろ!」
「そうであり! 痛そうめ、酷く! この糸を解いてほしく!!」
ヒグンとフルカニャルリがオレを庇うようにルイスさんの前に立ちはだかる。その瞬間にルイスさんはまた高速で指を動かして人形を操り、瞬く間に二人もオレと同様に拘束されてしまった。
「ルイス!? 何するんだ、離してくれ!」
「離さないわよ。私は夫妻の護衛をするために一日中寝ずに二人の寝室の前に居た! エドガルはそんな私を監視していたのでしょうね、部屋の扉が少し空いていたし人の気配もあった! つまり! 私とエドガル、夫妻には完全なるアリバイが存在するの!!」
「なっ!?」
なんだそれ、二階組は互いを見張っていた!? それじゃあまるで……。
「……ぼく達に疑いをかけ泳がせていた、とでも言うのめか」
フルカニャルリがルイスさんを睨みながら言う。ルイスさんも睨み返しながら、冷酷な声で言葉を返した。
「ええそうよ。もしその状況で誰かが殺されたのなら、絶対的に犯人は1階に居る誰かということになる。そして、事件は起きてしまった」
「そ、そんなっ」
「残念だがヒグン、事件が起きた事も監視していた事も事実なんだ。状況的に、お前達を疑うしかないのは仕方の無いことだ」
どうやら、エドガルさんからも疑われているらしい。どうしたものか、唯一オレのアリバイを証明出来る筈のレイナさんも気絶してしまっているし。
これ、詰みでは? やばいよ、魔女裁判始まったらオレら死亡確定じゃん。
「そんな、疑っていただなんてそんなの、無いだろ!?」
「落ち着け。……下手な事は言わない方がいい、死期が早まるぞ。ヒグン」
ヒグンを黙らせ、あくまで敵意は無いと示すような表情で、この場で冷静に今後の判断を左右出来そうな人物。エドガルさんかサミュエルさんだな。
家主はサミュエルさんだから、サミュエルさんの方を向いてそっと伺うような声音で言葉を紡ぐ。
「……私達は、今後どうなるので?」
「とりあえず一夜、地下牢で過ごしてもらうよ。分かってくれ」
「そんな!」「ヒグン! ……分かりました。でも餓死はしたくないので、食べ物くらいは下さい」
「ああ、ちゃんと三食分持っていくさ。安心したまえ」
そう言うと、サミュエルさん先導の下、オレ達は一度屋敷の外に出てから地下牢への入口に入り、三人同じ牢屋に入れられた。
……何故一般的な家庭に地下牢などあるのだろう。そんな疑問はとっくに抱いていた、だから今更抱かない。
「なんでこんな事に。一体誰なんだよ、犯人は……」
「……私は分かったよ。誰が、人を殺してんのか」
「! 本当めか!?」「マジか!?」
「ああ。多分犯人は、サミュエルさんだ」
オレは、自分の予測を口にする。そう思った根拠を、これから説明するとしよう。
……あ、やべ。サミュエルさんが朝食持ってきた。説明はまた後でですねこれ。
 




