23頁目「歪曲の防衛機制」
僕はヒグン・リブシュリッタ。19歳男、趣味は紅茶の味比べと女の子を愛でる事。童貞である。
最近、僕は石化してしまった事がある。顔を覚えていないのだが、用水路脇の小道で泣いている女の子に話し掛けようとしたら突然石化したのだ。まあそれはいい、終わった話だからね。
なんかその日から、マルエルの様子がおかしいのだ。
「この餅尻を見よ!」
「見る見る! なんなら触っちゃうぜうへへへ」
「よく! ぼくの餅尻の素晴らしさをとくと堪能せよ〜!」
依頼に向かう最中の馬車の中でフルカニャルリが僕に向けてお尻をフリフリ振っている。今日も今日とてムチムチの良いお尻と太ももだ、ホットパンツだから余計にエロく感じるよ。じゅるり。唾液を拭う。
と、ここまではよくある流れなのだが。ここで一つ、いつもじゃ有り得ないことが起きるのだ。
「……」
マルエルである。彼女は黙って、窓から外を眺めている。
彼女は必ず僕とフルカニャルリが、なんと言えば角が経たないかな、まあ変態的なやり取りをすると止めに入るストッパー的な役割をしていたのだが、最近はめっきり何も口出ししてこなくなった。
これは非常に困るのだ。その、確かに僕はエロい事が大好きだし、目の保養の為に二人に際どい衣装を着せているのだが、実際に止めてくれないと本当に触ってしまうわけで。それは非常に宜しくない。
いや、まあ了承があるなら僕もガバッて行きたいよ? でもさ、普段マルエルが言うように、フルカニャルリは見た目が幼い少女だしマルエルだって相当小柄で童顔で二人とも大幅に年下に見えるのだ。
大幅に年下に見える相手にそういう事をするのは、興奮する側面もあり罪悪感を抱く側面もあり。僕としてはギリギリのギリギリまで堪能した所で止められてボコボコに折檻される、それくらいが丁度いい塩梅なのだ。放置されるとなると、どうもやりにくい。
「? ヒグン?」
「あ、あぁ。どうしたんだい?」
「どうしたじゃなく。揉まないめか?」
「えっ!? あ、いや、えっと」
「いいめよ? ほら」
ずいっとフルカニャルリが尻を近付ける。なんでだよ。マルエルじゃないが、我ながらこんな気持ち悪い変態童貞男のセクハラをなんで受け入れているんだこの子は。
「ちょ、ちょっと待ってね。おーい、マールエル?」
「んー?」
「そ、その、止めなくていいのかい?」
「んー」
「いや、本当に触っちゃうぞ。良くないんだろ、そういうの。なあ」
そう言うと、マルエルは窓の外からこちらに顔を向けて、興味無さそうな顔で言い放つ。
「別に。フルカニャルリがいいって言うんなら、いいんじゃねえの。私にそれを止める権利はないよ」
「え!? い、いや、止める権利はあるんじゃないかな。ほら、仲間内でそういう事起きると、風紀がさ!」
「私は気にしないよ」
「気にしないの!? なんで!? 今までは気にしてたじゃないか!」
「んー。気にしない気にしない。何しようが勝手じゃない?」
なん、だと……? おかしい、風紀の乱れについてマルエルは強く取り締まっていたのになんでこんなテキトーなんだ!? フルカニャルリが僕に変な事をされてもいいって言うのか!? そ、そうだ、そういうアプローチを仕掛けてみよう。
「ぼ、僕みたいな変態に無知なフルカニャルリを好きにされるのは、心が痛まないのかい?」
「無知じゃなく! ぼくは賢く!」
「いいから!」
「んー」
窓の外を眺め直したまま、マルエルは投げやりな声で言う。
「フルカニャルリー、ヒグンの事好きだよな」
「好きめよ! 大好きめ!」
「じゃあいいんじゃない?」
「えええぇぇぇ!?」
な、なんだそれ。なんだその理論は!? マルエルがマルエルらしからぬ事を言っている、バニーガールなのに何故か貞操観念はしっかりしているでお馴染みのヘンテコ少女のマルエルがー!?!?
「ちなみに、つがいになってもいいとも思ってるめよ! 人間の体での子作り、興味があり!」
「黙らっしゃい! 二弾三段先に進むんじゃないよフルカニャルリ! 自分を大切にしなさい!」
「しており! だからヒグンに言ってるめ! 他の人には言わず!!」
「勘違いするからやめろと言っているんだああぁぁ!! ぼ、僕が童貞なのを面白がって揶揄うんじゃない!」
「からかっておらず。じゃあ証拠に今日、しめすか?」
「ひょっ!?」
し、しめすかって何をだ? そ、そういう事をか!?
「マ、マルエル」
「ここでしてもよくめよ? ほら」
え。フルカニャルリがホットパンツの留め具を外し、チャックを摘んで下にさげる。目が釘付けになる。フルカニャルリが指でホットパンツの開いた部分の両サイドを摘み広げると、中からちゃんとしっかり下着が顔を覗かせていた。
更に手は止まらず、そのパンツの上部にフルカニャルリの指がかかる。
「マルエル! マルエルー!! 止めてくれ、始まる!! 始まっちゃうよ!!!」
「? なにが」
「交尾が始まっちゃう!!! 大分本格的に始まってしまう、だってもう見えているもの!!! ぶほっ!? と、止めないと恐ろしい事が起きるぞ!!!」
「始めちゃえば?」
「始めちゃえばな訳なくない!? 頼むから介入して!? 僕じゃ欲望に抗えないからお願い、手を貸してーっ!?」
「はあ……」
マルエルはため息を吐きつつもこちらを向き、ちゃんとしっかりホットパンツも下もパンツも下ろしてしまっているフルカニャルリを見て再びため息を吐き、僕と座っている位置を交換した。
「む、マルエル。マルエルも一緒にしめすか?」
「3Pなんかするわけないだろ。馬車の中はやめな、せめて宿でやろうか。そういう事は」
「違う! そういう事じゃないんだマルエル、子作りを気安く行ってはならない理由というのを純粋無垢なフルカニャルリに教えてやってくれ!!!」
「フルカニャルリは確かに純粋だが、好きでもない相手と子供は作ったりしねえよ。なあ?」
「当然であり。妖精というのは極めて神秘性が高く、生涯の伴侶としかそういう事はせず」
「生涯の伴侶!? じゃあ尚更僕じゃ駄目じゃないか!?」
「なんでだよ」
「だって」「フルカニャルリはお前の事が好きだって言ってんだろ。受け入れてやれよ」
「なわけあるかあぁぁぁぁぁぁっ!!!」
馬車が止まった。ナイスタイミングだ!! 僕は叫ぶと同時に馬車を飛び出し拠点へと全力ダッシュする!
今の彼女らと一緒にいたらマズイ! 本当に望まぬ子を孕ませてしまう事になる、彼女らを守る為に逃亡しなければっ!!!
*
「行っちゃった」
「やりすぎなんだよ。ありゃ二発くらいカマしてくる勢いだぞ」
「自慰めか。言えばぼくも手伝うのに」
「お前のどこが純粋無垢なんだよ……」
「数百年生きててそういう知識持ってないわけないでしょ。ぼくの事をあまり舐めないでほしく」
「はいはい。ほら、もう着いたんだしパンツ履きなよ。御者に見られるよ」
オレがそう指摘すると、フルカニャルリはいそいそとパンツを履き直した。なんだ、ヒグン以外には見られたくないっていう一応の羞恥心はあるのか。
「じゃ、私らも拠点行くか」
「もうちょっと待たないめ? 自慰が終わったあとに合流が丁度いいめ、きっと」
「知るかよ。てかなんでお前アイツの前だとしらこいたガキのフリするの? だから子供として見られてんだろ」
「どういう意味め?」
「好きなら素を出せばっつってんの。アイツに見せてるお前で考えると確かに子供を作るとかキツすぎるって。アイツは変態だが、変態の中でもノーマル寄りなんだよ、極まった変態じゃなきゃお前には手を出せん」
「何言ってるめか。確かに好きだけど、ぼくは人間で言う所の恋人になりたいとかの好きをヒグンに向けてるわけでは無いめよ」
えぇ〜。そんな事ある? 思いっきり具を見せてんのに? かっぴらいてたやんけ。
「一周まわってお前の方が変態だったって認識でいいのか? ロリビッチじゃん」
「ほんの悪戯であり。ヒグンは童貞ゆえ、こういう悪戯がよく効くめ。うまうま〜であり」
「効きすぎてるんよ。加減してやれ」
「どんな悪戯も全力でやるのが妖精の流儀!!!」
「一歩間違えたら本当に手を出されるぞ……人の子孕むぞ。いいのか、妖精として」
「その時はその時め。ちゃんと産んであげめす」
「え、こわぁ。嫌だなー、冒険者仲間の赤ちゃんと同じ部屋で寝泊まりするの。私アウェーすぎるじゃん」
「マルエルもヒグンと子供作ったらよく」
「ガキ二人養育する余裕は無いよ???」
「あははははっ、確かにそうめね! ……」
*
「ヒーグーンッ!」
「おわっと! 遅いぞーお前らー」
本日の依頼は町民に紛れて盗賊団を探し出し捕まえるという内容のものだ。町民に紛れる必要性があるためマルエルとフルカニャルリには普段とは違う、一見すると街の子供にしか見えない服を着てもらっている。
マルエルは翼があるので下半身の広がりでカバー出来る浅葱色のワンピース。フルカニャルリは餅尻を隠すべからずという本人だっての希望で普段よりもゆったりとしたショートパンツにシャツ。
うん、健康的な服装だ。こういう素朴なのもまたいいな、純粋に可愛い。
「まずは盗賊団の目撃例が多いとされる地区の喫茶店で見張りをするぞ〜」
「喫茶店! よく! お腹ぺこりんであり!」
「走るなよフルカニャ、転ぶぞ〜」
トテトテと小走りするフルカニャルリを追ってマルエルも小走りになる。人混みの中よくそんなに走れるものだ。
「あっ」
「! マルエルッ」
恐らく普段パンプスを履いてるから、ただの靴だと逆に慣れてなくてつまづいたのだろう。転びかけたマルエルを腕で庇う。
「大丈夫か? マルエル。怪我は?」
「無い」
「そうか」
マルエルは僕の腕を押しのけて退かす。庇った時は顔を逸らされた、足早で僕から離れていく。
こ、これ、嫌われてるんじゃないか!? 行きの馬車での僕との会話の感じもそうだし、ココ最近このような感じに素っ気ない態度が続いているのだ。
それにマルエルはお礼とかキチンと言うタイプだ。こうやって手を差し伸べたら今までだったら必ず、どれだけ悪態を吐いたあとでも「ありがとう」とか「ごめんね」とか言っていた。それが無いって相当なんじゃないか!?
くっ、思い当たる節は沢山ある! 僕からのマルエルへのセクハラもそうだし、マルエルはフルカニャルリの事を実の妹のように可愛がっているからフルカニャルリが僕に尻を突き出して振っているのも面白く無いはずだ。
彼女が突っ込んでくれると期待して馬鹿な事をすぐ言うし、そういうのが積み重なって嫌われているのでは……!?
「……はっ!」
あまりの絶望に立ち尽くして、顔を上げたらマルエルと目が合った。彼女は片目だけ背後にいる僕に見えるように僅かに顔をこちらに向けていて、僕と目が合うとすぐに顔を向けた。
「あ、ありがとう」
「えっ? マルエル」
「……っ!」
マルエルを呼び止めようとしたが彼女はフルカニャルリの方へ走っていった。今度はこちらを気にする素振りは無し。仕方なく彼女に着いてこちらも足を早める。
*
「三妖精の悪戯、鉄は薪に!」
「なぁぁっ!? 銃がぬいぐるみに変わったぞ!?」
「こっちはビー玉に変わりやがった! なんだこりゃあ!!?」
盗賊団のアジトを見つけ、マルエルのスキル『魂感応』を使い敵の数と位置関係を把握。丁度全員の中間になる位置のトタン屋根を僕が破壊し、中に飛び降りたフルカニャルリが妖精の魔法で盗賊達の装備している武器を無力化する。
「侵入者だ! おい誰か武器は!?」
「たった今使えなくなっちまったよ!!」
「おい、こっちに銃あるぞ! 応戦しろ!!」
装備していない武器は魔法の適用外。だが武器なんて一箇所に固めて置いとくのがほとんどだ。フルカニャルリが糸で武器の方へ駆けて行った敵を拘束し、下に降りた僕とマルエルで残りの敵を倒していく。
「くそ、なんなんだコイツら!?」
「ギルドからの傭兵だろっ! クソッ、騎士の目を掻い潜ってきたってのによ……!!」
「退けお前ら!」
奥の方に居た盗賊が叫ぶと、手から炎弾が飛んでくる。魔法を使える奴もいるのか! 飛んできた炎弾は盾で叩き消す。
「マルエル!」
「ッ!」
フルカニャルリの叫びを聞き、気付く。流れ弾が一つマルエルの背中に迫っていた。
マルエルの反応が遅れた。まあこの程度の炎弾一つ食らった所でマルエルには何の効果もないだろうが、それでも勝手に僕の足は動いていた。
「ッ、馬鹿!?」
マルエルの前に出て胴体で炎弾を受ける。服が焼けて皮膚も少し火傷を負う、これは風呂に入る時が億劫になるやつだ。
即座にフルカニャルリが魔法を使った相手に糸を何発も撃ち放ちその場で拘束する。残った相手は僕の横を通り飛び込んで行ったマルエルの素早いナイフさばきで建を切られ倒れていく。
「これで全員めか?」
「あぁ。8人きっかり、木箱かなんかに詰めといてくれ」
「力仕事であり! ぼくは非力め〜!!」
フルカニャルリの駄々にマルエルは何も返さず、ズンズンと僕の方へ歩み寄ってくる。
「おい」
彼女が僕のすぐ前まで来ると、僕の肩を突き飛ばし壁際に追い込む。彼女は僕を上目遣いで睨んでいる。頬が柔らかそうだ。
「何のつもりだお前」
「な、なにが」
「なんで私を庇おうとした!!」
激昂した声だった。あまりの大声にアジト内がキーンと鳴った、それくらい全力の怒号をぶつけられ、喉の奥がキューっと引いていくような感覚がした。
「私は火傷負ってもすぐ治せる! わざわざ庇われる程ヤワじゃないんだよ!! それをわざわざ出しゃばってきて、なんなんだよ!?」
「つい足が動いたんだよ……」
「つい!? ついで済むかよ! 今回のはガキでも扱えるようなショボイアリンコみたいな魔法だったから怪我もそれ程だけどな、普通の人間やれてる位の実力を持った奴が放ってくる魔法の威力はこんなもんじゃねえんだぞ!?」
言い過ぎだよ、魔法を使ってた盗賊さんが涙目になってるじゃないか。
「オっ、わ、たしが居なかったら大怪我に繋がるかもしれない! なんでわざわざ自分の身を投げ打つんだよ!! 前もそれでっ、そういうので石になったばっかだろうが!?」
「っ、アレは違うだろ。誰かを庇ってとかじゃなくて」
「誰かを助けようとして石にされたんだろ!! 同じなんだよ!!! 人の為に動きすぎてんだよ、もっと慎重に動いてくれよ!!!」
「自己犠牲という点ではマルエルも人の事言えず」「うるさい!」
お、おー? 怖い。フー、フーと荒い息をしたマルエルに睨まれている。な、なんでこんなに怒ってるんだよ? 僕なんかしたかな……。
「マルエル」「うっさい」
「えぇ……?」
マルエルの拳がブルブルとあまりにも激しく震えてるもんだからつい声を掛けたらマルエルは離れていってしまった。倒した盗賊を一人でせっせこ一箇所に集めているフルカニャルリを手伝いに行ったらしい。
僕も手伝う、マルエルの近くに行くと睨まれるので彼女とは離れながらだが。
*
依頼終了後、その街にあった冒険者ギルドから報酬金を貰い帰りの馬車の中。
むすっとしたマルエルが一人僕とフルカニャルリから距離を離した所に座り窓の外を眺めている。気まずい、何故だか空気が重い。もう夜で夜景も綺麗なのに、全くそう言う話を振る雰囲気じゃなかった。
「これ美味しく! ヒグンも食べるー?」
重たい空気の中、唯一フルカニャルリだけがいつものペースで居た。彼女は人懐っこい笑顔でニコニコしながら、僕に串に刺さった食べ物を勧めてきた。
「ありがとう、一口貰うね」
「うん!」
元気が出るなあ、フルカニャルリが居ると。串に刺さった食べ物を食べる、これは……穀物を固めて焼いたものだろうか? 意外と甘くて濃厚なタレが掛かっている。珍味だな。
「ふふふ」
「? どうしたの、フルカニャルリ」
「これぼくの食べかけであり。関節ちゅー!」
唇を尖らせながらおどけるようにフルカニャルリは言った。関節ちゅーって。ははは、流石にそんなので興奮したりはしないよ、19歳だぞこちとら。
「ぶほふっ!」
なんでだろう。鼻血が出た。意味が分からない。
「ふふふふふ、本番ちゅーしめすか?」
「!? したい! しよう!!!」
「いいめよ! はい、ちゅー」
「ちゅー…………」
やはりマルエルは何も言わない。反応もしない。微動だにしない。
目を瞑って尖らせた唇を近付けてくるフルカニャルリを手で止める。
「……ごめん、やっぱやめよう」
「め、め。ぼくとちゅーするの嫌めか?」
「いやめちゃくちゃしたいけどね。でも……今は、ちょっとごめん」
「そうめか」
膝立ちになって顔を突き出していたフルカニャルリが自分の座っていた席に腰を下ろす。
静寂。このメンバーで、フルカニャルリも居てここまで静かなのは珍しいかもしれない。いつも誰かしらが話をしていたから、全員が黙ってるなんてことは稀だ。
僕はこういう空気も嫌いじゃない。だけど、フルカニャルリにはこの空気が耐えられないようで、彼女は一度俯き黙るもすぐに膝をモジモジさせ始め、マルエルの方に近付いていく。
「マルエルー」
「どうしたの?」
「これ、食べるめ? さっきの街で買ったやつ!」
「食べる!」
「! よく! 口を開けるめ!」
「あーん」
マルエルが口を開け、フルカニャルリがその口にさっきの食べ物を運ぶ。が、マルエルが口を閉じる直前に手を引いて食べ物を取り上げ、マルエルが「もー!」と言った。
フルカニャルリと接してる時のマルエルはいつも通りだ。妹にデレデレな姉のような、微笑ましい反応をしている。
「ねー! 頂戴よー!」
「もうこれ残り少ないからあげないめーっ、ヒグンの持ってる袋に残りが入ってるからそっち食べるめよ!」
「じゃあいらね」
「えっ」
僕の名前が出た瞬間に、マルエルの表情から喜の感情が滑り落ちた。興味無さげな、退屈そうな顔になったマルエルは窓の外を見る。
「マ、マルエル」
「急にお腹膨れたから、いらない」
「……ぼ、ぼくが持ってきて、あーんしてあげ」「いらない」
最後まで聴かずに強引に話を終わらせるマルエル。悲しそうに俯き、落ち込んだ様子のフルカニャルリがこっちへ戻ってくる。
「……」
「……おいマルエル。今のは酷いだろ。フルカニャルリに当たるなよ」
いつも元気でうるさいフルカニャルリが、膝に手を着いて俯いて小さくなっている姿など見たくなかった。初めて、真剣にマルエルに怒りを覚えた。だから少しだけ口調が荒くなってしまった気がする。
「お前が嫌ってるのは僕なんだろ。関係ないフルカニャルリに当たって、可哀想だって思わないのかよ」
「……は? なに」
マルエルは鬱陶しそうな目をこちらに向けてきた。その態度にいよいよ我慢出来なくなって、立ち上がる。
「最近ずっと感じ悪いぞお前! 言いたい事があるなら素直に言えよ!」
「……別に、言いたい事なんて無いよ」
「あるだろ! あるから不貞腐れてるんだろそうやって!! こっちに非があるなら言えば直すし、これまでの付き合い方が本当に嫌だったのなら付き合い方も改めるよ! でも何も言われないとこっちもどうしたらいいのか分からないだろ!!」
「ヒ、ヒグン。落ち着くめ」
「落ち着いてるよ! ……僕はどんな扱いを受けてもいいし、殴ろうが怒鳴ろうが見下そうが好きにしてくれて構わないよ。でも、フルカニャルリに当たるのは違うだろ。自分より弱い奴に八つ当たりして、それで解決するのかよ!」
「なにピーピー鳴いてんだてめぇ。キモいんだけど」
「なっ!! お前っ!!」
「うるさーーーーい!!!!!!」
フルカニャルリが大声を上げ、僕の手を掴んで強引に引っ張りマルエルから引き剥がす。僕とマルエルの間に立ち、どちらを睨むでもなくフルカニャルリは強く瞼を閉じ叫ぶ。
「確かにマルエルはちょっと感じ悪く! 変な壁を、遠慮を感じるめ! それはヒグンに対してだけではなくぼくに対してもであり! ヒグンは敏感になりすぎ! 大袈裟に取りすぎめ! ぼくを理由にしてマルエルを責めないでほしく! それはなんか、卑怯め!!!」
「フルカニャルリ……」
「別に、私は普通だし」
「普通じゃなく! ぼく達を避けようとしており!」
「そ、そんな事」
「黙れー! うるさいめ! マルエルは喋り禁止! 反省して!」
「なんなん……?」
強引にマルエルを黙らせると、フルカニャルリは今度はこちらに視線を移してきた。彼女は僕のすぐ前まで来ると、顔を急に近づけてきた。
「お、おい!?」
「今回は変な事をするやつじゃなく」
そう言うと、彼女は僕の耳元に口を近付けた。吐息が当たるような距離だ。そして、そのくらいの距離じゃないと聞こえないくらいの声量で言葉を紡いだ。
「……マルエルはきっと悪意があって避けてる訳ではなく。嫌いになった訳でもないめ。や、もしかしたら、これからそうなろうとしてるのかもしれなく」
「なろうと……? どういう事だ」
「そういう人間は沢山見てきたから分かるめ。頭の中で何考えてるのかはぼくが人間じゃないから分からないけど、とにかくそうっぽいめ。きっと何か理由がある、だから怒らないで」
馬車が揺れてフルカニャルリの体がぶつかりそうになる。しかし彼女はしっかりと壁に手を着いて密着するのを防ぐと、最後に一言だけボソリと言う。
「……あと、これはぼくからのお願い。あの子の事を嫌わないであげて」
「フルカニャルリ?」
少しだけ大人びた喋り方をした後、フルカニャルリは席に座る。子供らしく頬をぷくーっと膨らませ、マルエルに「喋ってよし! 禁止を解除しめす!」と叫んだ。マルエルは「あっそ」とだけ、素っ気なく返した。




