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転生日記。1ページ目

 前回までのあらすじ。


 目を覚ました俺は、仏を名乗る不審者の手によって異世界に転送され、気付けば広大なジャングルに降り立っていたのだった!!!



 今現在、俺は遭難している。早速詰みなんだよな。エド・スタッフォードから言わせれば生存率0%の、何の訓練も受けていない一般人の密林での遭難。無力感で足が棒になるのは本当だったようだ。


 泣いた回数は12回、立ちションベンの尿切れが悪くてパンツを濡らした回数は4回。はーあ、異世界に行かせてくれだなんて神様に頼まなければよかったーっと。



「……何事もなく人里に着くんかい」



 それから3日。道具も何も持たない俺はどうにかそこら辺に生えている食べられそうな雑草や、地面に落ちているココナッツに似た果実を食べてひたすら同じ方向を進み続けようやく人里に到着することが出来た。


 俺をこの世界に飛ばした仏様によればこの世界は魔法が存在する世界とのこと。


 魔法の世界には魔獣という生き物が付き物だと思ってた。そういうのに襲われて、見るも無惨な、スプラッタ映画に出てくるような奇妙奇天烈面白おかしい死に方をするもんだと思っていたのだが、ビックリするほどなんのドラマも無かった。


 この3日間、魔獣どころか普通の野獣すらお目にかかることは無かった。うっそうと生い茂っていて今にも何か出てきそうなのに、肩透かしである。



「! 人だ、門番だーっやったああああっ!!!」



 明らかに沢山の人が住んでいるとしか思えない雑踏が聞こえる高いレンガ造りの壁を伝って歩いていると、木組みの豪華な門の前に門番が立っているのが見えた。飛び跳ねて喜んだ、第一村人だあああっ!!


 いいねいいね、まるで装いがRPGのせかいだ! 鎧で武装し短剣を腰に差している門番がいるということはこの世界は俺が元いた日本よりも余程危険度が高いという証左! ワクワクしてきたねーっ!


 ……絶対これ、極限状態が続いたせいでアドレナリンドバドバになってるわ。ハイになってるわ。脳内麻薬全開で毎回壮大でかつ繊細なショウタイムだわ。


 にしても門番さんの格好、趣が近しいのはスパルタ兵だな。スリーハンドレッドで見たような格好だ。ぼったちが仕事の門番にしては重装備じゃないだろうか、戦争中とかなのかしら?



「すいませーん」



 こちらの言語が相手に通じるわけが無いのだが、だからといってこちらから話しかけないと不審人物と思われて攻撃されかねない。ので、先手で声を掛ける。思い切り日本語で。さて、どんな言語が飛び出してくるかな。



「███⬛︎⬛︎■⬛︎、⬛︎⬛︎■■⬛︎」

「なるほどなるほど。なるほどね」



 よかった〜日本語で返ってこなくて。どうやらあの仏様は俺にそこら辺都合良くなる加護は与えてくれなかったらしい。優しいな〜。この世界に仏教があったら積極的にイコノクラスム頑張るね。



「ふーむ……」



 腕を組み考える。投げかけられた言葉を思い出しながら、頭の中で反芻させる。


 発音的にはロシア語に似ている。クソっ、俺の第二外国語はスペイン語だ。どーせなんちゃって西欧圏みたいな文化歩んでるだろって思い込んで、ラテン語派生ならなんやかんや行けるやろとか思ってたらめちゃくちゃ東スラヴじゃねえかよ。


 とりあえずどうしようか。相手を見た感じ怒ってる様子は無いし、身振り手振りとか図説とかで意図を伝えられるかな。



「僕は、外国から、来ました」



 自分を指さし、手で柵を作ってトントン横に並べて壁の外をアピールし、人差し指と中指で人を模した形を作って歩かせる。伝わっているだろうか、相手の目を見る。



「……おっけーサインって伝わるかな?」



 相手は腕を組み神妙な顔で頷いていた。もう一度同じハンドサインをし、相手の反応を伺うような表情でOKサインを作り、首をかくんと傾げてみる。



「⬛︎ー、███■⬛︎███。⬛︎■ー」

「うおっ、好感触!」



 相手はなにか納得したような表情、声音で喋った後にOKサインを返してくれた。なるほどなるほど、OKサインは伝わるのか。全世界どころか全異世界共通かね。流石人類、考える事は一緒だな。



「言葉を、知らない。言葉を、習いたい。どうすれば、いい?」



 口の前に手を置き、指先を開閉。頭の横に人差し指を立ててクルクルし、また同じく口の前に手を置き開閉、メモ書きをするようなジェスチャーをし、最後には欧米人のような大袈裟なクエスチョンリアクション。伝わるだろうか。



「……⬛︎⬛︎■⬛︎■っ███■。■■。⬛︎っ■■⬛︎■」



 ふむ? 相手は考える素振りをしたあと何かを俺に告げ、ここで待つように(と言ってる風な)ハンドサインをすると門の中へ入って行った。そして、10秒もしない内に別の門番が出てきて、同じく待つようなハンドサインをされる。


 20分程経っただろうか。先程の門番が戻ってきた。彼はメガネをかけた女性……!? つ、翼が生えている! なにあれ天使? 天使!?


 いや、でも頭の上に天使の輪っかが付いてないな。てか、翼が生えているというか腕そのものが翼というか? 前腕から脇の下に向けて羽が生えて翼のようになっていて、翼端が人の腕のようになっている。


 手首の根元から手の甲側が若干鱗だ。す、すげえ!



「⬛︎⬛︎■、███■⬛︎⬛︎■⬛︎■⬛︎■■っ⬛︎?」



 翼が生えた女の人は俺の前で止まると、何かを言ってきた。が、言語が分からないので意味は理解出来ず、首を傾げると、彼女はまたしても小さく何かを呟くと俺の手を掴んだ。


 すごい、人間の手触りだ。手のひら側はぷにぷにしてるのか……。



「……あ、これアレか。ハーピィってやつか!」



 ハーピィ。


 羽根帚で魔法罠カードを全部まくってくるアレが思い出深いが、まさしくこの人はハーピィってやつなんじゃないのか? 腕の形とか正しく翼腕って感じだし。


 し、しかし、ハーピィってゲームとかで登場するなら魔物ジャンルで襲いかかってくる側だよね? それがなんでこう、人間社会に当然のように溶け込めているんだ?


 まあ人型だし、意思疎通が可能なら仲良くなれる可能性もある……のか? ハーピィサイドが人間の事を食料として見ていなければの話だが。一応他種族だし、言葉がイマイチ通じてないから怖いよぉ。



「⬛︎⬛︎■⬛︎?」

「えっ。あー……えっと、すいません。そっちの言葉分からないんすよ」



 ハーピィお姉さんに喋りかけられるが、意味も分からなければ同じ言語で返すことも出来ないため、頭の横で指をクルクルパーした後に口の前で手を立てて謝るジェスチャーをする。意思が通じたのか、ハーピィさんは苦笑した後に前に視線を戻した。



 街を歩く。すごい、なんかよく分からないままにトントン拍子で異世界の一都市を探検しているな、俺。


 知らない文化圏の見たことも無いゲームを手探りでプレイしているようだ。イマイチちゃんと楽しめているかは分からないが、これはこれでワクワクする物があるぜ。


 などと喜んでいたら目的の場所に到着したらしい。


 例えるなら中東圏の国にありそうな砂岩風の壁、丸い屋根の景色を抜け、今まで見た事もないような超巨大な建造物に到着した。


 東京ドームよりもでかいのではなかろうか。俺の立つ位置から端が見えない、上階を見上げれば首が痛くなるほどの真上を見なければならない巨大建築物に気圧される。


 外観は、ほかの建物とは違い暗い色のレンガで出来た壁で覆われていて、ステンドガラスのような窓がいくつもある。教会か? ここまで大きかったら大聖堂だな。



「⬛︎⬛︎■、⬛︎███■■⬛︎」



 ハーピィさんに手を引かれ中に入ると、この巨大建造物が何なのか理解出来た。


 図書館だ。大図書館と呼ぶに相応しい、おびただしい数の本棚。端の方はあまりにも広大すぎて霞んで見えなくなっている、そんな広さまで広がる書物の数々。ビブロフィリアの楽園だな。


 本棚の一つ一つが超巨大で、更にそこを足場にして上階が出来ている。そうすることで空間に余すことなく本を貯蔵しているようだ。その場で閲覧したり物色するのが目的というより、記録を保存しておくのを目的としているかのような形態だ。



「全世界の書物を置いてますよとでも言うような荘厳さだわ……」

「⬛︎⬛︎■……あー。い、う。よし。分かる?」

「えっ!?」



 ハーピィさんと歩きながら周りを見ていたら、不意にハーピィさんが俺に分かるよう、日本語で話しかけてきた。



「なんかやけにカッチリとした言語だな、堅苦しい……。分かる? この言語で合っている? 異人さん」

「え、あ、は、はい! 合ってるっす! え、日本語喋れるんすか!?」



 俺の反応を見てエルフさんは「なるほど、日本語って言うんだ」と呟いた。日本語を日本語だと知らずに喋っていたかのような反応だ。



「日本語、というのは知らない言語だよ」

「えっ、知らない言語喋れるまじ? ゼノグロシーって奴すか」

「ゼノグロ……? 形式の違う言語、発音はまたしてもブラン語って感じしないし」

「ブラン語とは。ブランコみたいっすね」

「ブラン語はこの大陸での公用語だよ。私が貴方の言葉を理解出来たのは、互いの脳を魔力で繋いで言語感覚を共有する公語魔法(こうごまほう)というのを使ったの」

「便利って感動より先に脳!? っていう驚きが来ましたわ今」

「大丈夫、変な副作用とか起きないよ。あくまで異国の人と共通の言語で会話出来るよう認識を変えるというだけの魔法だからね」

「実現したら教科書に載るレベルの発明ではあるんだよなぁ」



 実質ノータイムで全世界の人と会話できるって事じゃん。俺の居た世界ではそれやろうとした先人は神様に怒られて塔ぶっ壊されてたのに、この世界はそれが実現出来てしまったのかよ。便利な世界。観光客を気軽に詐欺れなくなって貧民層死滅しそうだ。



「それで、君はどこから来たの? 日本語というのもどこで使われている言葉か分からないし、大陸の外から来たのは確かだよね?」



 ふむ。どこから来た、か。外の世界から来ましたって正直に言っても外国と捉えられるだろうな。へぇ〜、異世界から来たんだすごーいって言ってくれるほど頭悪くはなさそうだもんなぁ……。



「……わから、ないです」



 無理のある言葉である。しかし、答えあぐねた末に出てきた投げやりではない。ふふふ、思いついてしまったのだ。


 俺はこの世界においてあらゆる痕跡が存在しない。ある日突然森に現れた存在なのだ。つまり、記憶喪失とさえ言ってしまえばいい。この世界の事は実際何も知らないし、痕跡が無いのなら過去を調べようもないしな。


 この国の法律は知らないが、何も分からない素性の知れない人間を善悪測らずに死刑になんてしないだろう。そんな事を許す君主は暗君だ。


 暗君が在位している間というのはとにかく国内が混乱しているものだ、歴史がそう語っている。こんなのどかな街があるのに君主が無能暗君なんて事、絶対に有り得ない。そう思いたい。



「分からないってのは、どういう意味なのか分からないのだけれど。何か後ろめたい事があって隠しているのかな」



 声が冷たく、鋭くなった気がした。

 ハーピィさんを見る。なにか動きが変わった様子はない。なのに、周囲を纏う空間に、何かこちらに対する敵意を感じさせる気配が現れたような感覚がある。


 ソレは浮遊している。何かは分からない。が、確実に砲の口をこちらに向ける何かに囲まれている。


 こりゃあれだな、ミスったな。俺には分かるぞ、俺は映画のチョイ役の雑魚だ。この震える口で何か言い出そうものなら、体をなにかに貫かれ言葉通りの蜂の巣になってしまう実感があった。



「………………し、信じてくれるか分かりませんが、俺記憶喪失で」



 口から出た最大級の出任せ。いや〜、死ぬなあコレって思ったよね。焦ってる時にゃ用意していた言葉以外出せないもんなんだ、人間って。


 ははは、今ここで頭が黒ひげ危機一髪したら絶対に全力脱糞しながら死んでやる。決意した。ケツは弛めた。



「記憶喪失?」



 む、話を聞く姿勢だ。警戒、というか攻撃の意思は消えてはいないようだが、案外相手の話は聞くタチらしい。戦争で生き残れないタイプ、映画で生き残るタイプだなこの人は。



「は、はい。……実の所、俺、自分の名前も身分も分からなくて。出身地も現在地も分からないし、だから言語も分からないというか」

「しかし君は今現在"ニホンゴ"という言語を使っていますよね。言語が分からないって部分と矛盾しているような……?」

「あ、あー! うーん、あー!!! そ、そうですね! この街の門番さんと話した時に何言ってるのか分からなかったからてっきり言語能力も記憶と一緒にすっぽり消えてるのかと思って!!! あはは、あははは!!!」



 え、笑顔で乗り切れええぇぇぇ!!! 怪しんでる怪しんでる! 相手はハーピィ、鳥だ。鳥頭だ! そう信じ込む事で精神の安定を図るのだ!


 いやでも鳥要素は翼だけで他は純人間なんだよなぁ! 頭なんて鳥要素ゼロだよ、頭悪いかなぁ??? 現状を鑑みるに俺の方が優に頭悪いようにしか思えないけど、果たして俺にこの人を騙し切る事が可能なのだろうか???



「……まあ、事情は分かりました。記憶喪失、ね」

「ほっ」



 なんで分かってくれる? 安堵はしたけどさ、今の会話のどこに相手を信用出来る要素あった??


 ま、まあ、分かってくれたのならもうこちらからあまり触れないようにしよう。


 人からの不信感を拭うのは自然体な空気だ。俺が緊張してハーピィさんを警戒して辞めない限り、当然ハーピィさんも俺への警戒を解かない。普通でいいんだ、普通でいよう。



「まあ、人の記憶を食い物にする魔物もいるし納得は出来ますが、これからどうするんですか? 素性はこの後も屯所で調べられると思うのですが、それらが終わって尚帰る場所の記憶が戻らなかった場合。どうするおつもりで?」



 そ、そうか。なるほど、記憶を食う化け物なんかいるのか。それなら納得してくれても不思議では無い……。


 でも確かに、今後どうしような。そういう魔物が居るってんなら被害に遭った人への支援とかやっている機関はあるかもしれないが、如何せん俺はこの国の言語すら理解できない異世界人だ。正直この段階で、誰の助けもなしに一人で上手くやって行ける自信などなかった。


 でも一応目の前に居るんだよなぁ。俺と意思の疎通が可能な手段を持つ人、というかハーピィが。



「そ、それなんですけど……お姉さんの所で働かせて頂けないでしょうか!!!」



 ツヤツヤの木の床に思い切りヘッドバットし土下座する。この文化圏で果たして土下座が誠意を見せる行動だという認識が浸透しているかは疑問だが、今俺が見せられる最大限の"懇願"の姿勢がこれなので仕方なかった。



「記憶喪失で、持ち物も所持金も何も無くて、素性も何も分からずじまいで困っていて……それならいっその事、この地で新しい人間として生まれ変わったつもりで生きていったほうがいいかなと思いまして!!」

「まるで犯罪を犯して地元にいられなくなった人みたいな言い草」

「そう捉えられたらそうとしか思えなくなるでしょ!? 違くて、本気の懇願なんです!!!」



 悪いことしてないのに何故かドキッとしてしまった。ま、まあ、罪を犯した訳では無いにせよ後ろめたい気持ちがないでもないし、この人を利用しようという考えがあるのも事実だしそりゃドキッともするって話である。


 でも本当に頼れるのはこの人しかいないからなぁ。まだ街の中を探せば他に俺の喋る言葉を理解できる人は居るかもしれない、でも居ないかもしれないしもう二度と会えないかもしれない。そんなリスクを負ってまで人間関係ガチャなどしたくないんだな、見つけるまでが茨の道だし。折角出逢えた幸運を手放すなんて軽率な事はしたくなかった。



「どんな扱いをされても文句は言いません。何でもします! だからどうか! ど、どうか、俺に職と、居場所を下さい! お願いします!!!」



 こちらから差し出せるものは俺そのもの。人権とか肉体とか、そういうものしかない。それら全てを差し出すつもりで頼み込む。


 ハーピィのお姉さんは暫くうーんと唸りながら悩み、やがて苦笑すると俺に立つように言った。



「記憶と一緒に一般常識も抜けてしまっているようなので言いますけど、何でもするとかどんな扱いを受けてもいいとか、軽く言うもんじゃないですよ。それ、魂の隷属に使う魔法の条件をクリアしちゃってますからね」

「? 魂の隷属、すか」

「そうですよ〜。奴隷商人や買い手が奴隷相手に使う魔法です。相手の合意を引き出す事で、破る度に肉体を破壊する自己封印の魔法です。私が仮に悪い人だったなら、今の言葉を聞いた瞬間に貴方にその魔法をかけて、内臓を売って監禁した後短い寿命で肉体労働させるでしょうね」



 ヤクザかな?? そんな事が横行しているのかこの世界は、おっそろし。てか単なる口走りでも適用出来るのかよ、軽率な事言えないじゃんこの世界。



「でも、今の言葉を聞いて確信しました。貴方、本当に記憶喪失で、本当に悪人では無いみたいですね」



 ハーピィさんがそう言うと、周囲を漂っていた殺気が地面に沈むようにして消えていったのを感じた。



「何か企んでいたり、記憶喪失だと嘘をついているのだとしたら、隷属の魔法をかけて下さいとでも言うようなセリフは絶対に吐かない。だから、信用してあげます」

「は、はあ」

「それにしても……人間族が他種族に必死に頼み事をするだなんて、珍しい事もあるのですね」

「はい?」

「なんでもないです。いいですよ、仕事と住む場所、貸してあげます」

「本当ですか!?」

「えぇ。狭い老人の家でも構わなければ、ですが」



 ハーピィのお姉さんは柔和な笑顔でそう言った。


 後から聞いた話だが、俺のジェスチャーを見た門番さんは俺が精神異常者なのだと思い込み、大図書館の地下にある封印室なる所に俺を連れていくつもりでハーピィのお姉さんを呼んでいたらしかった。危なかった、あと一歩で封印されるところでした。



「そういえばさっき老人の家でも良ければって言ってましたよね。ご家族と一緒に暮らしてるんですか?」

「? いえ、私達ハルピュイアは基本成人したら一人でしか生活しませんよ? 習性なんです、そういう」



 あ、ハルピュイアって呼ぶんだ。ハーピィじゃないんだね、勉強勉強。



「そうなんですね……え、じゃあ老人って言うのは?」

「人間って、長生き出来ても精々100歳くらいが限界でしょ?」

「ですね」

「私、今年で467歳です」

「えっ」

「もう一度言います? 私、467歳なんです。ね? おばあちゃんでしょ?」

「…………いや、種族的な平均寿命を知らないのでなんとも。でも見た目は若くないですか? 同じハルピュイアの中では若い方なのでは」

「いえ? ハルピュイアの中でも高齢ですよ。平均寿命400歳ですもん。大分余分に生きてます。私なんて地元帰ったらババア扱いですよ」

「そうなんだあ!?!?!?」



 種族的な垣根を超えずにおばあちゃんなんだあ! 見た目年齢20代前半くらいにしか見えないんだけど、ハルピュイアって若作り凄いんだなあ!!



「あ、それと名前ですけど。貴方、記憶も喪ってるんでしたよね?」

「そうですね……正直、ある程度の常識とこの言語以外はめっきり」



 という事にしておこう。日本の名前を出した所で通じないだろうしな。



「今この場で、新たに自分の名前を考えといた方がいいですよ」



 ハルピュイアさんはそこで何故か真剣な顔をしてそう言ってきた。



「え、名前ですか? そんなの後から考えますよ、俺この世界の言語を知らないからセオリーが……」

「駄目です、ここで考えてください」

「な、なぜぇ?」

「はぁ……」



 ため息が零れる。ハルピュイアさん、何に対して呆れているのだろう。翼も込みの腕を組みながら彼女は本棚に背を付け、もたれかかった。



「先程も言いましたが、他人に自分の意思を手放しに委ねたり、何かしら在り方を決めさせるような余白を空けておくのは隷属の魔法で付け込まれる隙になるんです」

「はぁ」

「名前が無い、というのは名前を付ける事が出来る、という事なんですよ。他人に名前を付けるというのはその人の人生を縛るという事、だから基本どの知性生物も親が子に名を付ける。自分に関連した名前を付けることでその相手を家族としての繋がりで庇護する役割があるのです」

「素敵な話ですね」

「……」



 ジト目で睨まれた。なんでだよ、相槌打っただけじゃん。



「……例えば盗みや殺しを常習的に行う奴が貴方と出会った場合、貴方に名前が無いと知ればソイツは自分に関連した名前を貴方に付けさせようとするでしょう。もちろん貴方は断ります。でも、手足を刺され、目玉をくり抜くと脅されたら? 貴方はその要求を断り続ける事が出来るでしょうか」

「そ、それは、無理ですね……」

「ですよね。で、貴方はソイツの思うままの名前を付けられた事でソイツの命令には逆らえなくなり、犯罪行為に加担し、ソイツが捕まりそうになれば身代わりにされるでしょう。これに隷属の魔法がかけられていた場合、貴方は命令に対し一切の自由意志を働かせる事が出来なくなります」

「……ゴクリ」

「分かりましたか? 名前が無い状態というのは、持ち主のいない奴隷が街を闊歩してるのと同義なんです」



 な、名前一つでそんな事になるのか。つくづく言葉や名前に力のある世界だ、魔法概念がある故の特殊性だな……。



「なので、今ここで考えて下さい」

「は、はぁ。分かりました……」



 名前、名前ねぇ。そんなに名前が重要だってんなら、ここはいっちょゼウスとかオーディンとかそういう強そうな名前を自称してやろうかな。流石にバチ当たるか? てか、ハルピュイアってギリシャ神話の怪獣っぽいよね、ゼウスさん本人が居たりしたらとんでもない涜神行為になったり……?



「うーむ……」



 名乗りたい名前も無いし、なぁ……。そもそもこの国での名付けのルールを知らないからどんなのが良いかもわからん。どうしよ、テキトーに考えようかな。



「……! 閃きました」

「あら。やっと良いのが決まりました?」

「いえ。お姉さんが決めてくださいよ、俺の名前」

「……はい?」



 底冷えするような声で聞き返された。真剣な怒りがその視線から伝わってくる、説明を聞いていなかったのか、と。無論、ちゃんと説明を聞いていた。赤の他人に名前を付けられるというのは、実質その人の奴隷になるって事なんだって理解もしている。



「俺から差し出せるものは何も無いんです。お姉さんが俺を助けてくれても、俺がその礼をちゃんと返せる保証はない。し、何かで返すよりも先に纏まった金を持ってトンズラしたり、もしかしたらお姉さんを暴力でどうにかする可能性だってある。赤の他人を家に送って、そういうリスクがありますよね?」

「……私の意向に背く行動をさせない為の楔として、私に名付けで縛らせようとしているってことですか?」

「はい。そうっす!」

「なんて浅はかな……」

「でも、それくらいしか手っ取り早く信用される手段ないじゃないっすか。相手からの信用獲得しないと自由に動きにくいんすよ」

「名付けなんて強制的な物で縛って、それで信用を得られる程人って単純な生き物じゃありませんよ」

「分かってるっすよ。縛った後に行動でも示します。右も左もわからんこの世界で拾ってくれた命の恩人なんすよ? 早いとこ信頼を得て、恩を形で返したいんすよ!」

「…………つくづく、変な人間ですね。貴方は」



 冷たい顔をしていたハルピュイアさんが柔らかい笑顔を作った。この人がいなきゃ俺は野垂れ死んでいた可能性高い、だから助けてくれたならその礼を返したいという真心、少しでも伝わってくれていたらいいな。


 で、豹変したハルピュイアさんに背を向けた所で頭からガブッと行かれるってのもファンタジー物ならあるあるなのだが。そうなったならそうなったで別にいい。多分行き先は三日ほど前に見たあのB級カルト映画みたいな風景の浄土なんだろ。魂の緊急クーリングオフってんで文句の一つでも言って、今度はちゃんとチート特典貰って転生してやるぜ。


 と、強がりながら怯えつつ相手からの言葉を待っていると、ハルピュイアさんは握手を求めるように手を伸ばしてきた。その手を掴む。



「じゃあ、貴方の名前はこれからマルエルです」

「マルエル、ですか?」

「はい」



 彼女が返事をすると、繋がれた手に暖かい感覚がハルピュイアさんの手から流れてくる気がした。名付けの儀式、と言うやつだろうか?

 身体の中を何かが満たしていく、なんかそれまで感じていた不思議な肌寒さが取れていくような感じで心地良い。



「これって……」

「名を持たない存在に名を与えると、その存在は親から魔力を貰えます。貴方の場合何故か極端に魔力が少なかったから、その分少量でもかなりの変化が肉体に起きたのでしょう。暑くありませんか?」

「若干暑さは感じますね」

「若干ですか、よかった。産まれたばかりの子はよく高熱を出すんですよ。成人していたらそこは大丈夫なのかな?」



 そうなのか、この世界の赤ちゃんは大変だな。良かった〜転生を選んでいなくて。



「私の名前はマリアって言います。貴方の名前は私の名前から取って似せてあります。所謂、家族の契りというやつです」

「はあ、家族ですか。……家族ですか!?」

「はい、家族です」



 む、むむむむむ!? 確かに名付けをして欲しいと頼みはしたが、それは奴隷扱い程度でいいよって言う意味で。

 家族の契りとやらをしたってことは、そこは魔術的に、ちゃんと家族の枠組みに入る関係性みたいな特殊な繋がり方をしているということでは無いのか? よく分からんけど!


 20歳そこらに見えるハルピュイア美女と家族……見た目だけなら俺と同い年くらいだぞ? なのに家族って、それ夫婦やん。マジ? プロポーズみたいなもんやん、やだもう照れちゃう……!



「……こんなおばあちゃんじゃ嫌ですか?」

「え!? いやいやいやいや、おばあちゃんなんてとんでもない!! むしろめちゃくちゃ嬉しいっすよ! 嬉しいって言っちゃった俺キメェや!」

「嬉しい、ですか?」

「嬉しいっすよ! マリアさんみたいな可愛い人と家族になれるとか男の本懐でしょ! 思わぬラッキーイベントに有頂天っすよ!!」

「か、可愛い? からかってるんですか〜、もう」

「え。いや、からかってませんよ。可愛いでしょ、少なくとも俺はマリアさんの事かなりタイプですけど。と、ナンパをカマしておきます」

「……へ、変な人っ」



 あれ? ナンパとか何言ってるんですかドワッハッハって返しか、本当に気持ち悪いですね……みたいな覚めた反応を期待してツッコミをさせる事で距離が近くなるコミュニケーションを狙ってみたんだが、思ったリアクションは帰ってこなかった。


 なんかボソッと言って顔を背けられた。俺には知覚できない、第三者からの視線とかを察知したみたいな動きだった。殺気がする! 的なやつだ。


 その後、雑談を交わしながらこの世界の基礎的な言語の学習に使えるという本を幾つか借り、厄介となるマリアさんの家にお邪魔する事となる。


 マリアさんは口が酸っぱくなるほど「私は老人ですから、ズボラだったり加齢臭とかしても、仕方ないんですからねっ!?」って言い続けていたが、家に入ってみて口から出た感想は「確かに少しズボラっぽいけど、めっちゃいい匂いしますね。女の子の匂いです」だった。

 言った瞬間に俺の頭をはたいたマリアさんは、やはり俺から顔を逸らし小さな声でボソボソと何か言い続けていた。なんか、隠し事をする子供みたいで可愛いなと思いました。

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