18頁目「死霊女王ナワリルピリ」
妾の統治する国は戦争とは無縁の、穏やかで優しい小さな国だった。生命の恵みを齎すウィルチチェ川に育てられた和やかな国。
他の国からしてみれば取るに足らない小国だったかもしれないが、自然豊かな森に囲まれたこの国は外から攻撃されることも無く、ゆったりとした時間が流れていた。
「あ、女王様だ! こんにちわー!」
「ふふ。こんにちは」
フラッと街を散歩するのが好きだった。王は政を定め、民は街を盛り上げる。妾が大臣らと退屈な政務を行う傍らで栄えていく街の風情を見るのが何よりの娯楽であった。
「ん? これはっ、ナワリルピリ様!」
「平伏しなくてもいいわ。面を上げなさい」
「はいっ!」
「あ、女王様ー!」
「おぉ、トラリケ。お母さんは元気かしら?」
「うん! 女王様がくれたお薬が効いたの!! ありがとう女王様っ!!」
「こ、こらトラリケ! ナワリルピリ様から離れなさい!」
「構わないわヒルテテク。この国の民は皆妾の子同然、子が親に甘えるのは必然でしょう?」
「女王様は、私達のお母さん?」
「そうよトラリケ。この国に住まう人は皆、妾の愛する我が子なの。だから遠慮せず、もっと甘えてもいいのよ?」
「やったー!!!」
トラリケ、妾に母親を助けてほしいと王宮にまで来て懇願した幼子に抱き着かれる。勿論嫌ではないし、それが不敬であるとも思わなかった。
王と民は決して平等ではない。王は民を守り、導き、民が国の在り方を示す。その関係性は正しく親子の関係に近いと妾は考えていたし、だからこそ妾は王と貴族と平民、その全てに優劣を付けることはせず関係性を築いてきた。
異人さえ入ってこなければこの国は永遠に安泰だった。そうに違いない。
妾があの時異人を、外から来たあの異物を受け入れてしまった後悔を、1万年という永い時の中で一瞬たりとも忘れる事は出来なかった。
その復讐が、ようやく、果たせる。手に届く所にまで来た。この地底の穴蔵で一万年を過ごし、ようやく指先が掠ったのだ。残り十の夜を超えれば妾の魔力は臨界を迎える。受肉を果たし、再び穴蔵の外に足を踏み出せるようになる。
これは言わば前夜祭だ。妾が一万年の復讐を果たす前の、囁かな遊戯に過ぎない。
妾の国を嗤う愚かな墓荒らし共を殺す。二人の幼子の首を断ち、心臓を神殿の祭壇に捧げ偉大なる裂け目の神に捧げるのだ。
身に纏った我が民の外殻の末端に"死の力"を集める。まずはそう、翼の生えたあの幼子だ。奴は妾を騙し国を滅ぼしたあの男と同類だ。まず奴から仕留める事にしよう。
*
「毒霧の次は酸の雨って! 密室で使っていい攻撃手段じゃねえだろうが……!!!」
巨大なゾンビ女のナワリルピリに向けて叫ぶ。
自信満々に口上を口にしたフルカニャルリだったが、今は糸を出せないようでその自慢の機動力は八割減している。
彼女の所有する糸以外の攻撃手段は錬金術で鍛え上げたという剣になるが、ワイヤーアクションの使えない幼児の運動性能でそれを相手に当てられる訳もなく。状況は一貫して全くこちら側の有利には傾かなかった。
攻撃をやり過ごすという目的で使える変身の魔法以外、妖精の魔法も有効な物がない。ナワリルピリは戦術兵器に頼らないから武器を無力化する魔法は完全に腐っている。
完全に手詰まり、体力のみ削られるばかり。そうして精神を消耗したフルカニャルリに襲いかかったのは、ナワリルピリの肉体から放たれる酸の飛沫による雨だった。
残機を5つも失った。溶けゆく肉体を即時蘇生で何とか人型に維持しながら酸の雨からフルカニャルリを庇ったからだ。
残り死ねるのは4回まで。それを超過したら流石に魔力切れで普通に死ぬ。参った、余裕が無くなってきた。
『なぜその子を守るの?』
「あ゛ぁ?」
『凄まないで? だっておかしいじゃない、その子は足でまといだわ』
「黙れ」
ナワリルピリの心無い言葉。フルカニャルリは現在気を失っている。
不幸中の幸いだ。
自分らが劣勢の時に相手から挑発を受けると、無力感から何も出来なくなってしまうことがよくあるからな。戦争中よく見た。きっとフルカニャルリは引き金を引くことはおろか銃を持つことすら泣いて拒むようになるタイプだ。
『勇士というのは失うものが出来ると弱くなるのよ。それはよくないわ、だって妾は既に全てを失っているのだもの。失った、奪われた、取りこぼした、救えなかった、そんな想念を一万年間ずっとずっとずっと渦巻かせながらこの時を待ち侘びていたの。勝てるはずがないわ、今を生きようとしている限り勝てるはずがないのよ。だから貴女も喪うべきだわ。そう思わないかしら?』
「思わねえよ。つーかさっきから疑問に思ってたんだけどよぉ、お前一万年前の人間なんだろ?」
『えぇそうよ。数えていたもの。半受肉出来なかった頃から今までずっと数えてきたんだもの。一秒ずつ、一万年分数えてきたもの。間違いないわ』
「だから長ぇし、ちゃんちゃらおかしいんだよ。お前さっきから現代のブラン語で喋ってるよなぁ? 公語魔法も使わずに一万年前の人間と現代人の感覚で会話なんか出来るはずねぇだろうが。たった数百年で言葉なんて原型無くなるってのになんで流暢に現代語喋ってんだてめえ。作り込みが浅ぇんだよタコ」
『? 何が言いたいのか理解が出来ないわ』
「壮大なホラ吹いてんじゃねえって言ってんだよ。んだよ一万年前って、ビビらせて隙を作ろうとしてるの見え見えなんだよ間抜けが」
『ふふ、ふふふ。おかしな人ね。ふふふふふふ』
「何笑って……!?」
突如足元の人骨溜りを割って地中から白い巨大な腕が現れた。ナワリルピリの腕と同じ腕だっ! 反応が遅れ、咄嗟に回避行動を取るも左腕が躱しきれずその爪の先に肘が当たってしまう。
「う、いたた……っ!? マルエル!」
「おうお早いお目覚めで。気絶すんのどう? ちょっと楽しかったろ」
「その腕っ」
「うん、切り落とされた。たかだかそれだけだ」
ナワリルピリの爪は柔い洋菓子を押し切るようにオレの左腕を切り飛ばした。なんて鋭利な爪だ、こりゃ掠っただけでも当たり所が悪ければ致命傷だな。
……っ? なんだ? 腕に回復魔法を掛けているのに再生しない。
「マルエル、なんで腕を治さないめか!?」
「治せねえんだよ。なんだこれ、どうなってる……?」
『ふふふふふふふふふ。ああ、おっかしい。隙を作る? 妾が? 何故? 何故わざわざそのような事までする必要があるの?』
足元の人骨が揺れる。ゾッと背筋に冷たい感覚が走り、オレは直感に従って後ろに跳躍する。刹那、無数数多の腕が足元の人骨を割り先程オレが立っていた場所から溢れ出た。もしも立っていたままだったならそのままギロチンのように身体を短冊切りにされていただろう。
「ちぃっ! 舐めんなっ!!」
足に回復魔法を宿らせ、伸びきって視界を遮る壁と化した腕の束を纏めて蹴る。アンデッドの肉体であるせいか一撃で壁に風穴が空き周りの腕も余波でバラバラに切り飛んでいくが、ナワリルピリ本体には大したダメージが行っているようには見えない。
それより切り落とされたこちらの腕の断面だ。回復魔法がやはり効かない、魔法を換えて試しても効果無し。どうやってもうんともすんとも治る気配がしない。
不治の呪い? いや違う。感覚が違う、これは治るとか治らないとかそういう感覚じゃない……!
「うぐっ!」「どうしため!?」
「血が……オレが失血でくらつくとか、マジか」
大量の出血により急激に血液量が減少し臓器障害と意識障害を併発する。目の前がチカチカ点滅しているようだ。やばい!
「んだよ、これ……!!」
『貴女、自己再生出来るし蘇生も出来るんでしょう? だから死の概念を上乗せしておいたわ』
「死の、概念……?」
なんですかそれ。死の概念?こいつ概念系バトルにも対応可能なの?
全然底見えないやん。無法すぎるでしょ。概念系の能力なんか、冒険者を始めた序盤に使ってくるなよ。厨キャラじゃん、相手間違えてるでしょ。
『この空間には死の魔力が満ちている! 妾は死の魔力を集めて、神すら殺す冥府の霧に龍をも溶かす霊界の雨、あらゆる概念に『死』を上書きして強制的に殺すことができる死の爪を使う事が出来る!! 朽ちることがなく無限に再生する死の衣も纏っている! 妾が蘇生する度に死の魔力が増すから永遠に魔力が尽きる事は無い!! ふふふっ、ふふふふふっ!!! これが完全なる永久機関、これが完全なる永遠だわ!!!! 妾はここにいる限り不滅だし最強なの!!! それが妾の能力!!!! すごいでしょ、すごいでしょ、お前達生者を根絶やしにするためにこの一万年間、ずっとずっと鍛えていたの!!!! アッハハハハハハッ!!!』
「……な、に、ペラペラと。術式の開示で効果が強化されんのか……? それとも、単に調子づいてるだけか。万年引きこもりババアがぁ!」
「マルエル、何をする気めか!?」
切断された腕の断面の少し上にナイフを当てるオレを見て、何かを感じ取ったらしいフルカニャルリが声をかけてくる。
「死の概念とやらが付与されたから回復魔法が使えなかった。なるほど、死んでいるのなら確かに回復は出来ねえな、理屈は分かった事にした。そして、その対策もたった今理解したぁ!!!」
一気に力を込め、ギコギコと自らの切断された腕の残っていた肉を更に挽き切っていく。
「きゃあああっ!? や、やめてマルエル!! やめてぇ!!」
「グロいと思うから敵の方見てろ! 油断してっとアイツ、問答無用で殺しにくるからな!!」
腕を完全に挽き落としオレの腕肉チャーシューが地面に落ちる。激痛だ。更なる出血で力が抜け頭が前に落ちる。勢いよく地面に額が激突する。
『何をしているのかしら? 自暴自棄はよくないわ。興が冷めてしまうわ。もっと妾を楽しませなければダメよ。そうでないと、今日にでも地上に上がって世界を滅ぼしてしまうわ』
「疵の忘却」
残機が減りかねないが、上級の回復魔法を腕にかけ瞬時に状態を再生する。減った血液もまあ再生、全快とはいかないが立ち上がる。
『……へえ? 驚いた、死の爪を受けても生き延びる術があるのね? 死んだ細胞を取り除き、生きている細胞から再生する。よく考えたわ、褒めて遣わしてあげる』
「うるせぇ黙れ死ね。さっきからガチャガチャガチャガチャ、耳くそにしかなんねぇんだよてめぇの長話は」
『品の無い言葉。貴女、貧しい家庭で育ったのね。嘆かわしいわ』
「潰して石ころにしてやろうか? てめえみたいな納豆くせぇ死骸でも質で売りゃ一銭にはなるだろ。……マルエル、この後オレの事を援護しろ!」
「め!? し、しかし」
「大丈夫、少し手を貸すくらいでいい。ちょっと耳貸せ」
「? ……」
「いけそうか?」
「……うん。分かった、やってみめす」
フルカニャルリの返事を聞いた瞬間に地面を蹴る。最初の一瞬だけ身体強化を足にかけて全力で跳躍し後は魔力を温存する!
当然こちらに向けてナワリルピリは手を伸ばしてくる。死の爪の先端で今度はオレの首を狩ろうと、白蛇が如き五指が迫り来る。
「させず!!」
死の爪の先端にフルカニャルリの吐き出した糸が付着する。的確なアシストだ。オレの意図を100パーセント汲んでくれている。出会って間もないのに阿吽の呼吸って感じですね!
「よっと」
糸の付着した爪の先端を掴み、一回転してナワリルピリの手の甲に着地する。そのまま腕の上を伝いナワリルピリの体の方へと駆け近づいていく。
「マルエル、背中側から爪が来るめ!!」
フルカニャルリの警告を聞き、背後から迫るナワリルピリの指を下から叩く。再生した方の腕で叩くと指は簡単に千切れ飛んでいく、上級魔法を使ったのは回復の効力を残す為だ。上手く攻撃手段として機能している!
『なにそれ? なんで妾の死の爪が通じない?」
「死の爪っつってんだから死の概念がコーティングされてんのは爪先だけだろ。なら爪に触らなきゃいいだけの事だろうがっ!!」
腕から跳んで左腕でナワリルピリの肥太った胴体を叩く。肉が削れ肋骨が剥き出しになる。だが空けた穴は立ち所に再生し、あっという間に元の状態に戻ってしまった。
『その程度? そんな貧弱な攻撃では妾の外殻を剥がす事は出来ないわ』
「言ってろよ」
両手に回復魔法を宿らせる。万全の状態で回復魔法なんて使うからもう両手ともツルツルのツヤツヤだ。美容系ユーチューバーかってくらいトゥルントゥルンになった手で拳を握り、ナワリルピリの胴体を連続でぶっ叩く。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね! おおおぉぉ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねっ!!!」
『ふふふ、あはは。効かないわ、効かないわ効かないわぁ!! 何度妾の死者の衣を破ろうと、何十何百発殴ろうと無意味よ無駄なのよ!!! ふふふふっ、満足するまで殴ればいいわ? 諦めた所で縊り殺してあげる!』
「こっちが諦めない限り指を殴り飛ばされるから手が出せないって正直に言えよぉ〜!! 酸も出し尽くしたから使ってこねぇんだろ? てめぇじゃオレに触れないから腐った肉ん中で震えてんだろうが雑魚がぁぁああ!!」
『ふふふふふっ、ええその通りよ! 今は貴女を殺せない、だから今は殺さないであげる。貴女が少しでも妾から気を逸らせばその瞬間に終わるもの、もう王手なのよ? 好きに暴れればいいわ、貴女にはもう道がないんだもの!!!』
もう道がない、か。そうだな確かに、オレの役割は分かりやすい行動を取ってナワリルピリの意識をオレに固定させる事だ。それ以外に出来る手はない。
「三妖精の悪戯」
フルカニャルリの声。オレがナワリルピリの意識を引き止めている内に足元まで来ていたフルカニャルリの全身が魔力を帯びる。
「脱げ!!!」
フルカニャルリの全身を漂う黄金の魔力が叫びと同時にパッと消える。次の瞬間、ナワリルピリの巨大な肉体がズルっと下にズレ、ゲル状に変容したナワリルピリの肉が人骨に染み込み広がっていく。
「……あら? これって一体」
「正体見たり枯尾花ってな」
ズグズグに溶けた死肉の中から何の変哲もない、全裸姿の成人女性が現れる。黒い髪に色の薄い肌、巨大なアンデッドの正体はこんな普通の女性だったのか。
女性の胸をオレの右腕が貫通している。コイツがどんな存在であれ、アンデッドなら既に死が確定しているだろう。
「ふふふっ、いいわ! あははは、楽しいわ!! うふ」「おつかれー」
顔面を左手でぶち抜いてトドメを刺してやった。
体に二つと大穴が空いたナワリルピリの亡骸が溶け、ベースとなっていた骨がカランコロンと床に落ちる。邪悪な気配は完全に消えた、静寂が空間に帰ってくる。
「ふう……狙った相手の鎧や装備品の類を問答無用で全部脱がせる魔法。ゾンビ肉の塊にもそれが適用するとはな」
危険は無いと判断し、フルカニャルリに話を振る。
「ぼくもまさか成功するとは思ってなかっため。いつから気付いてためか? ナワリルピリの本体は体の内側にいて、肉を何重にも着て鎧のようにしているだなんて」
「確証はなかったよ。なんとなく、攻撃する度に手応えが無かったと感じたのと直前に"死の衣"って単語を吐いていたから。まさかって思ってな」
「そんな事で? やっぱり鳥は馬鹿め……」
「それやめろ。ギャンブラーって呼べよ、成功した時のアドレナリンやばかったろ?」
「勝てたからよかったけど、もうこんな無茶な事は二度と御免であり……」
呆れたようにフルカニャルリがペタンと地面に座り込む。忘れてないだろうか、今座ってる所は人骨と腐肉で出来た地面だということ。よくホットパンツで座れるなお前。
「それにしても随分やられため。バニースーツがボロボロ、上に戻ったらヒグンに怒られるめよ?」
「そういうお前もレザーがちょっと破れてるぞ、エッチだな」
「エッチめか? なんかヒグンみたいな事言うめね」
「しまった。アイツが予想以上のキモキャラだから客観視してこのロリコン性癖封印してたのに……」
「いつもヒグンにロリコンロリコン言ってるのに自分もロリコンなのめか! ロリコンのロリ、なんか深く……」
「何が深いんだ……? それよかどうやって上戻る? もう二人共体力底を着いてるだろ」
「それなんだけど、もう他に手がないから最終手段を使う事にしため」
「最終手段? なんじゃそりゃ」
「うん、まずぼくの糸で繭を」「何の話をしているのかしら」
っ、ナワリルピリの声! それに気付くと同時に、ドッという鈍い音と衝撃がオレの身体に響く。
視線を下げると、背中側からオレの肉体は人間の腕によって貫かれていた。
「なんで、まだ……がはっ!」
「逆になんで死んだと思ったの? まさか、無限に再生する鎧を纏っているから不死身を謳っている、とでも思ったの? 違うわ、それは違うわ。妾の不死性は妾だけで成立する。妾の不死に、弱点など無いのよ」
背中から自分を貫いているナワリルピリの手先を見る。黒いモヤが指を黒く染めている。これ、は、『死の爪』だ。
「なんで、そんな、本体を溶かしても再生するだなんて無茶苦茶め!!」
「あっはははは! 妾は、妾が次死んでも生き返りたいと思うただそれだけで何回でもどこからでも再生することが出来る!! 常識なんて無視して"生き返ったという結果"を世界に刻みつけられるの!! 粒子より細かくされても、火山に落とされても、氷漬けにされても、空の彼方に飛ばされても、動物に食べられても、運命を狂わされても、不死殺しを使われても、最後には必ず特に何の制限も縛りもなく復活できる!!!」
「なに、それ。神よりも反則め。そんなのどうやって……」
「ああもうっ、これしかねえ!」
ナワリルピリの手を掴み、その腕を胴体から引き抜けなくする。
「? 何を」
「スキル、死体加工!!!」
死の概念を付与する攻撃。つまりそれを受けたオレの肉体は現在死んでいるという扱いになっている筈だ。それならこの肉体は『死体加工』スキルの適用範囲内となる!
フルカニャルリが発光剤を作った際に貰っておいた火薬を材料にして、俺自身を爆弾に加工する。
「フルカニャ! 穴に逃げろ!!!」
「っ!」
オレの叫びにフルカニャルリが即座に対応、飛び込むように穴の中に身を隠した。
「まだなにかする気力があるのね。すごいわ、素敵だわ。まさに理想の勇士、及第点よ!」
「はっ。下痢便よりマシな体臭纏ってから口説き直しに来いやカス」
自分の首にナイフを刺し自害する。この爆弾は衝撃で爆発するものではなく、オレの心音が停止した時に起爆する心音爆弾だ。
爆発する。オレの肉体そのものが爆ぜ、ナワリルピリが吹き飛ぶ。
残機を1つ消費した。残り3回! バラバラになった肉の一つを起点にして蘇生、全身を再生させる。当然出来上がったオレの格好は全裸なのだが、気にせずにフルカニャルリに向かって叫ぶ。
「フルカニャ! 最終手段ってやつ使って脱出するぞ! それがなんなのか教えてくれ!!」
「う、うむ! その、言い難いめが……」
「いいから!!」
「まず、この空間は四方八方に無数の硝石があり!! なのでそれらを錬金術で爆薬にして、この空間ごと吹っ飛ばしてその爆風によってこの穴から押し出してもらう作戦め!!」
「ん!? ……ん!? 最終手段それ!? 普通に考えて穴から吹き出してくるのはオレら二人のミックスジュースじゃない!?」
「この斜面は見事な位に一本線だし、低温多湿で維持された人の脂と腐敗液でぬめるから摩擦は限りなく少なく!! 糸で繭を作って中に入れば問題なく上まで行けるはずめ!! ……あと、クッション材としてマルエルがぼくを守ってほしいというのはあるめ」
「言い難い理由分かったわ、確実に一回は死ぬ役割なんだねオレ! 了解それでおっけーだ!!」
「簡易錬成!!!」
フルカニャルリの魔力が足元の地面から壁に伝わり、空間全体にゆっくり浸透していく。
フルカニャルリが大量の汗をかき虚空を見つめながら何かボソボソと言い始める。相当な早口だ。遠隔で錬金術を大規模に、大量に行っているからだろう。
錬金術の仕組みはよく分からないが、恐らく頭の中で図式やら錬成の手順やらを高速で思考し、魔力によって適切な熱や圧力を与えているのだと思う。だとしたら一体どれほどの並列思考が必要になるのだろう、他事なんか出来なくなるな。
「妾が言うのもなんだけど、貴女達しぶといのね。しぶとくて、しつこくて、まだるっこしいわ。どこからともなく現れて際限なく立ちはだかる、ボーフラやゴキブリみたいね」
「ピンと来ねえんだよ。ゾンビで喩えろや」
オレの相手は目の前の1万年物ヴィンテージゾンビだ。少なくとも一回は蘇生回数を残しておかなくてはならない。魔力の残量に注意しつつ、両手両足のみに回復魔法の効力を宿らせる。
「この肉体じゃ死の爪を当てられない。死の衣も最大まで作ったものを破壊しないまま剥がされたから再構築に時間がかかる。毒も効かないし酸も使えない。ああ、あはは、追い詰められているわ。楽しいわ、楽しいわ!!」
「癒天使の矢っ!」
手元に魔力で弓と矢を形成し放つ。本来の使い方なら離れた位置にいる相手の負傷を治し自然治癒力も高める魔法だが、放たれた矢は命中したナワリルピリの頭部を削り抜いて背後の壁に刺さる。
「痛い、痛い、あああっはははは!」
そう言うが、彼女は何の表情の変化もなく平然と再生し無かったことにする。脳を破壊しても思考能力のラグすら発生しないのか。どうなってるんだ本当に。
「次はこっちの番ねぇ」
粘つくような声でナワリルピリがそう言うと、幽鬼じみた動きで彼女は両手を合わせる。何か嫌な予感がする。フルカニャルリの方を見る、相変わらず心ここに在らずの顔だ。
「厄災解呪。牟限尸酷淵」
女の声が1つ、空間に溶け堕ちる。
揺れる。地面が揺れる。壁が揺れる。天井が揺れる。人骨が揺れる。瓦礫が揺れる。皮膚が揺れる。眼球が揺れる。とにかくここにあるありとあらゆる物が独立して揺れ、気付くことによって異変が一斉に羽化し始める。
「あ、ああ、ああああぁぁぁっ!?」
揺れていたもの全てから何かが這い出てくる。地面からだけではない、壁からも天井からも小さな骨の破片からもだ。大小様々な腕が全ての物質を通ってこの空間から這い出ようとしている。
オレの肉体とて例外ではなかった。全身の皮膚のあちこちから、腐った肉の臭いを伴った腕や足が生えてきてオレの中から産まれ落ちるようにそれらが無制限に這い出してくる。
ゾンビじゃない、コイツらは文字通り死者だ。あの世から直接、この空間内の形あるもの全てを媒介にしてこの世に強引に這い出てきているのだ。
「妾は死ななくても貴女に勝つのは難しそうだから、代わりに妾の愛した民全員に貴女の処刑を命じるわ。ふふふ、頑張って抵抗しないと推し潰れちゃうわよ?」
「クソがっ!!!」
次々と空間内の物質全てから地獄の亡者が溢れ出てくる。癒天使の矢は中級回復魔法、アンデッドにとってそれなりの威力があるらしく一射毎に向こうの壁まで亡者達の肉体を抉り抜き消滅させてくれるが、こちらが処理するよりも産まれ出てくる速度の方が僅かに速い! あっという間に撃ち尽くしてしまった。
「フルカニャ! まだか!?」
「……」
まだフルカニャルリは小声で高速詠唱を続けていた。彼女だってこの壊れ能力の対象内で、その肉体から無数の亡者を産み落としているが全く気付く素振りもない。一意専心とはこの事か、羨ましいがフォローするこっちの身にもなって欲しい!
「がああぁぁっだりいマジで!!!」
両手両足に宿した回復魔法の効力を聖水代わりにし、亡者共に格闘戦を挑む。
一体一体が一撃食らわせれば消滅させられる紙耐久だから集中を切らさなければ継戦出来る、だが相手は10秒の内に20体以上の兵隊を呼び出すからどうしても押し切れない。
範囲内を一掃出来るであろう上級の回復魔法は詠唱やら準備やらで時間かかるし、中級魔法も威力と魔力消費を考えればコスパは悪い。初級回復魔法の効果を付与した手足での格闘が一番効率的だが、物量の差には敵わない。
「もがっ、ががああぁぁっ!?」
亡者の一人に殴られ、口の中に手を突っ込まされ壁際に押さえ込まれる。満員電車のほぼ全員がオレを押し潰そうと重さをかけている様なものだ。ピシピシと肉体の内側の骨や内臓が潰れ、目鼻口から血が噴き出す。
「もがっ、ガギュ……ッ」
あっという間に潰れ死ぬ。残り蘇生回数、2回。
「はあ、くっ……円環の天女、海神の嬰児、はあぐぁっ!!?」
蘇生した瞬間に右胸と膵臓と両太ももと片腕と左脛に剣を突き刺される。
「あが、く。暁の女神、血潮の龍! 全ての痛みを断ち、四方の福音を鳴らっ、せ……!! 光来賛っ」
ギリギリ詠唱を唱え終わった瞬間で頭蓋を潰される。だが魔法は発動した。広範囲回復魔法光来賛歌、この発動によってこの空間内全域に回復の光が行き渡る。ナワリルピリを含めた全ての亡者が一掃される。
ただし、オレが蘇生し肉体を取り戻した時点でナワリルピリも既に肉体を蘇生させていた。そして亡者はこの瞬間も産まれ落ちる速度を変えずどんどん空間に蓄積していく。
というか、もうオレ残り蘇生回数1回だ。絶対死ねない、でももう目を離しただけでまた満員電車かと思うくらいの密度で亡者達が場に溢れかえる。
「くそっ! くそっ!! おいフルカニャ、まだかよっ!!!」
「……」
「早くしてよ!!!? 保つわけねぇだろこんなの!!!」
また必死に格闘戦をするが敵の群体によって押しつぶされる。5秒もかからない、数十体近くの亡者に揉まれれば人体が壊れるのは一瞬だ。
残り蘇生回数、0回。ここで打ち止めだ。
「ふふ、ふふふ。これね、使いたくなかったの。だってどう考えたって最強の術だもの。形あるもの全てを地獄の亡者が産まれ堕ちるための苗床にするだなんて、攻略法がないもの。狡いでしょう?」
余裕そうな態度で挑発するナワリルピリは遠くの方で優雅に観戦している。勝ちを確信しているのか。いや、そもそも最初からこういう結末になると分かっていたのだろう。
あの女は一度たりとも余裕な態度を崩さなかった、絶対に死なない上にこんな切り札まで残していたのだから当然だ。
亡者に囲まれる中、両手と両翼で壁を叩き魔法陣を展開する。自己流の、発動に複数人必要な大規模魔法を発動する為のテクニックだ。両手と翼で異なる印を結び、壁に展開した魔法陣を叩く。
この魔法を使えば魔力が底を尽きて普通に絶命するかもしれない。でも、今考えうる中で最もオレに何かあった後にフルカニャルリを守ってくれる確証が持てるのはこの魔法だ。
こんなんで死ぬとかギャグにもならんが、フルカニャルリだけは生かしてここから出す。迷いは無い、全身から魔力を放出する。
「あら? 何かしら、大技の気配が」「多重結界、廻る神の天園」
魔法の発動と共に魔法陣の幾何学模様が回転し、拡大する。円球状に魔法陣のドームができ上がり、そのドームの外側が干渉した亡者がノータイムで消滅する。
「……対魔と回復を兼ねた結界。あらあら、困ったわね、困ったわ。そんな結界を出されたら流石の物量作戦も効果が無い。けれど、随分と小さいのね、二人分のスペースしか展開出来ていない。魔力がほとんど残っていないのかしら」
正解だ。もう喋る気力すらない。壁に身を支えているのがやっとだ。
「……ふふ。残念。もう終わりの時間が来てしまったわ。貴女達、神に見放されたようね」
ナワリルピリは足元に落ちていた、オレの使っていたナイフを拾うとゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「っ! ごめんマルエル、やっと終わっ、た……」
ナワリルピリはただ普通にナイフを投擲した。そのナイフはオレの額に刺さっていた。
即死だ。脳を損傷して生きているわけが無い。前のめりに倒れる。更に奥にナイフが刺さりオーバーキル。悲しい。
蘇生はもう出来ない。ここで終わりだ。結界は維持されているから亡者はフルカニャルリを襲えないし、結界内の空間で亡者が発生することもない。
マルエルが叫んでいる。オレに必死に呼びかけている。早く起き上がれ、もう準備出来たからと。
準備出来たからなんだというのか、こちとら死んでんだ。死体に必死に話しかけても返答なんて帰ってこねーよ。さっさと一人で逃げてくれ。
……。
……?
待って。死ぬ瞬間の思考時間長くない? まだ物を考えてられるのマジ? 何秒経った? 結構経ったぞ。
……これ、死んでなくね? 試しに立ち上がってみる? 幽体離脱したらぬか喜びだったって事で号泣しますけど。
「……あれ?」
普通に立てた。てかオレの頭に刺さった筈のナイフが抜け落ちてる。傷も完治してる。これ、蘇生した直後の状態じゃん。なんで? 魔力すっからかんになったはずなのになんで蘇生出来た?
「おい、フルカニャ。なんかオレさ」「話はいいから早くこっち来るめ!! その結界ももう壊されそうだよ!!!」
言われて気付く。亡者とナワリルピリが結界を攻撃し全体にひび割れているのだ。状況を考える前にまず脱出しなければ押し切られてしまう!
「すまん! 待たせた!」
「よく!」
手際よくフルカニャルリはオレにしがみついて糸で繭を作成し、何重にも層を重ねて防御力も補強する。
「あら? あらあら、逃げるのかしら? よくないわ、まだ遊び足りないもの。それに、貴女妾の集めた死の魔力を勝手に奪ったわよね? 泥棒は良くないわ、簒奪は良くないわ。良くない良くない良くない」
「うる」「言い返さなくてもよく! 舌噛むからくち閉じてるめ!!」
フルカニャルリに叱られたので口を閉じる。彼女は繭の内壁越しに石室の地面に手を翳し、魔力を込める。
「簡易錬成、反応開展!」
「ねえ、待っ」
ナワリルピリの声が爆音に、更に言えば鼓膜が破壊された事により途切れる。爆発が起きた瞬間に耳から一切の音が遮断され、爆発の余波がオレとフルカニャルリの入った繭を押し出し凄まじい重力負荷が掛かる。
フルカニャルリを強く抱く。彼女もきっと何も消えておらず、猛スピードで上昇していく感覚に怯えているはずだ。この先のクッション係をするためにもしっかりと彼女を抱きしめる。
……え? いや待って、さっきは何故蘇生出来たか全く分からなかったけど、今度のは確実に死ぬよね? 回避しようがないよね?
え、どうしよう。ちょっと今になって嫌になってきたかも! 待って、減速して、減速してーーーーっ!!!?
なーが、、
 




