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真夜中の子ども

作者: 相沢ごはん

pixivにも同様の文章を投稿しております。


(ゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります)

 眠たい、眠りたい、もうだめだ、意識を手放す寸前だ。そう思いながらも、いまなお理性はぎりぎりのところでじりじりと働いており、おれの指はパチパチとパソコンのキーボードを叩き続ける。

 時間は、午前二時をまわっていた。

 画面には文字がどんどん整列してゆき、その中では若い男女が嫉妬したり喧嘩したり、好きでもないやつと付き合ってみたり、とにかく全部ひっくるめてそれはもう楽しそうに乳繰り合っていた。

 くそ。いいよな、おまえらは。幸せそうでよ。おれはもうここ何年も異性と乳繰りあったりなんてしてないんだぞ。

 このまま、男女のどちらかをえげつないやり方で殺して鬱憤を晴らしてしまおうか、という衝動に駆られたが、おれは力なく首を振る。眠気のせいで、発想がひどい。依頼されたのは、ハッピーエンドのラブストーリーだ。おれは、男女が悲劇に見舞われた場合のもしもストーリーを頭の隅っこで組み立てながら、定められたハッピーエンドへと一直線にキーボードを叩き続ける。悲劇のほうの展開は、またなにかに使ってやろう。もったいない精神を発揮し、おれの脳みそは二手に分かれて器用に作動していた。

 パソコンの中では、一度別れた若い男女がやっと元鞘におさまったところだ。やれやれ、と息を吐く。ここからまた紆余曲折があっての、ハッピーエンドだ。終わりまではまだ長いが、一応一段落がついた。このペースでいけば、今日の昼までにはなんとか書き上げることができるだろう。明日の締め切りに、余裕で間に合いそうだ。

 コーヒーでも飲もうと立ち上がり振り返ると、そこには見知らぬ小さな女の子がいた。ぎょっとする。そして、ぞっとした。身体中の毛が逆立つような恐怖がおれを襲う。おれが口を開く前に、その子は舌っ足らずにこう言った。

「吾輩は睡魔である。名前はまだ無い」

 そのつぶらな瞳は、まっすぐにおれを見上げていた。


 年は小学校低学年くらいだろうか。いや、もっと幼いかもしれない。女の子は、黒いツヤツヤのおかっぱ頭に、鮮やかな朱色に美しい白梅の描かれた着物を着ている。きちんと正座をしているその姿は、まるで日本人形か座敷童のようだ。

「お、おま、おまえ、なななんなんだ。何者だよ。どどどどどうやって入った?」

 驚きと恐怖でうまく回らない舌がもどかしい。

 女の子は驚いたのか、一瞬目を見開いた。自分から話しかけておいて驚くというのも、おかしな話だ。しかし、すぐに気を取り直したように、

「睡魔だと言うとるじゃろ。おまえさんがどうやら文筆業らしいと思うて、文豪風に自己紹介をするという特別さーびすまでしてやったのに」

 そんなことを言い、不満げにくちびるをとがらせた。

「すいま?」

 そう言われても、全然ピンとこない。すんなりとは理解できない。

 真夜中に、子どもがいる。いるはずのない子どもがいる。それだけで、もう恐ろしい。そこが公園であれ病院であれ学校であれ会社であれ自宅であれ、真夜中の子どもというものは無条件に不気味だ。恐ろしいものは恐ろしい。

「おまえさん、ねむたいじゃろ」

 恐怖に膝を震わせているおれの心境などどこ吹く風で、自称睡魔は言う。

「ねむたくてねむたくて、たまらんじゃろ」

 言われて、おれは反射的に、こくりと頷いてしまう。

「わしがここにおるからの」

 自称睡魔は、得意げに鼻の穴を膨らませた。


 睡魔は、目の前のローテーブルに置かれたコーヒーを珍しそうに眺め、ふひふひと鼻をひくつかせている。これは夢だという結論を出したおれは、少し落ち着こうと、立ち上がった目的でもあるコーヒーをいれたのだ。

「いいかおりじゃの」

 睡魔はうっとりと言う。

「おまえも飲むか?」

 尋ねると、

「飲みものなのか。いいかおりの泥水ではないのか」

 睡魔は驚いたように言った。

 夢だと思うと、目の前にいる正体不明の自称睡魔に対する恐怖心は、こうして普通に会話ができるようになるくらいには薄らいだ。

 おれは、睡魔にもコーヒーをいれてやった。睡魔は勢いよくカップに口をつけ、

「にぎゃ!」

 と猫のような声を上げる。

「熱い! にがい!」

 睡魔は顔をくしゃっとさせ、舌を出した。

「ああ、そうか」

 おれは呟いて、睡魔のカップに砂糖を三ついれ、冷たい牛乳を足してスプーンでくるくるとかき混ぜてやる。いくら睡魔とはいえ、まだ子どもなのだ。ブラックコーヒーは苦いに決まっている。

「色が変わった」

 睡魔はぎょっとしたようにカップを凝視している。

「今度は大丈夫だ。飲んでみ」

 睡魔は、今度はおそるおそるカップに口をつける。そして、

「おいしい」

 にっこりと笑った。

 ごくごくとコーヒー牛乳を一気飲みする睡魔は、幼い外見どおりの子どもらしさで、おれは恐怖心を完全に手放すことができた。

「名前はまだないって?」

 睡魔の文豪風自己紹介について尋ねると、

「夏目漱石じゃ。有名な文豪だから、いくら売れない文筆業のおまえさんでも知っとるじゃろ」

 と得意げな返事がある。夏目漱石はもちろん知っている。しかし、

「おい。どうして売れないと決めつけるんだ」

「なんと。売れっ子なのか?」

 そう尋ねられ、おれは黙った。実際、売れない文筆業だ。しかし、他人にそう言われると、やはり少なからず腹が立つ。そんなおれの胸中を知らない睡魔は、

「それは、わるかったの。まさか売れっ子とは」

 と目をまんまるにしている。だから、「まさか」ってなんなんだ。

「自己紹介の話に戻るが、わしに名前がないのは本当じゃ」

 睡魔は笑って言った。

「睡魔には名前は必要ないでの」

「なんで?」

「睡魔は、ねむたい生きものにつくでの。睡魔自身はねむたくはならんから、睡魔同士でいっしょにおることもなければ、互いを呼び合うこともない。それに、わしらは基本的に人間には見えんからの。おまえさんには何故かわしが見えるが、不思議でならん。しかし、おまえさんの様子を見ていると、前任の睡魔は見えておらんかったようじゃ」

 睡魔は淡々とそんなことを言う。

「前任? そんなのいたの?」

「おった。わしは、後任じゃ。今日はじめておまえさんについた」

 おれは眠たい頭で必死に睡魔の話を理解しようとしたが、よくわからなかった。

「しかし、不思議じゃ。まさかわしの声が聞こえているとは思わんから、驚いたぞ。おまえさんとは波長が合うのかもしれんの」

 睡魔はなおもぶつぶつと言っている。

 あの文豪風自己紹介は、おれに聞こえないことが前提だったのか。それは、なんとも寂しい話ではないか。そう思いながら、おれはあくびを噛みころす。睡魔は気の毒そうにおれを見て、

「わしがここにおる限り、おまえさんはねむたいままじゃ」

 と言った。

「どうしたらいいんだろう」

 おれは目をしょぼしょぼさせながら尋ねる。

「ねむるのじゃな」

 睡魔は言った。

「たっぷり睡眠をとれば、わしは消える。おまえさんはねむたくなくなる」

 睡魔の言葉に半分は納得したものの、しかし、これは夢ではないのか、という思いが消えない。だとしたら、早く起きて仕事を片付けなければならない。しかし、これが夢ではなかった場合、ここで眠ってしまったらきっと起きられない。締め切りに間に合わない。

「どうしたらいいんだろう」

 おれはもう一度呟いた。そんなおれを見て、睡魔は言う。

「これは夢ではないぞ。仕事を片付けておきたいのなら、そうしておいたほうがいい」

「そうか」

 頷いて、おれは素直にパソコンに向かった。パチパチとキーボードを叩きながら、ちらりと後ろを見ると、睡魔はそこにちょこんと正座して、じっとしていた。


 パソコンの中の男女が、なんとかハッピーエンドを迎え、おれはデータのバックアップを取ってから、それをメールで担当編集者へ送信する。作業を終えたおれは押し入れから布団を引っ張り出し、そのままそこに倒れ込んだ。

 睡魔は、すすす、とおれの顔の横に移動してきて、やはり正座をして、おれの顔を覗き込んでいた。その表情が、心なしか寂しげに見えて、

「名前をつけてやる」

 おれは睡魔に、そう言っていた。

 誰からも見えないなんて寂しい。誰からも呼ばれないなんて、寂しい。だけど、おれには睡魔が見える。ならば、おれくらいは睡魔を呼んでやろうじゃないか。そう思ったのだ。

「白梅というのは、どうだ」

 睡魔の着物の白梅を示して、おれは言う。

「しらうめ」

 睡魔は、噛み締めるようにその言葉を口にした。

「しらうめ」

 もう一度そう呟くと、睡魔はにっこりと笑った。気に入ったのかもしれない。その顔を見届けて、おれは深い眠りへと落ちていった。遠くで、「おやすみ」という白梅の声を聞いた気がした。

 ぐっすりと眠って、目が覚めると、白梅はどこにもいなかった。


 売れない文筆業であるものだから、しばらく仕事のない日々が続き、おれは、毎日十時間以上眠るという寝不足からは縁遠い生活を送っていた。また寝不足になれば白梅に会えるかもしれない、と思いつつも、どうしても眠ってしまう。それに、時間が経つにつれ、やはりあれは夢だったのかもしれない、という思いが強くなっていった。

 それから、さらにしばらく経った頃、とある人気作家が体調を崩し、その穴埋めの仕事がおれにまわってきた。連作短編の仕事だった。おれの苦手な幻想ものがテーマで、それを月に一編、計六編書き上げなければならない。プロットがなかなか立てられず、やっとのことでまとまったプロットを担当編集者に見せると、控えめな口調でキツいダメ出しを食らった。おれは、真っ昼間から号泣し、号泣しながらプロットを立て直した。

 担当編集者のオーケーが出て、やっと執筆に取りかかることができた時には、締め切りがもうそこまで迫っていた。

 眠たい、眠りたい。真夜中二時すぎ、おれは目をしょぼしょぼさせながら、パチパチとパソコンのキーボードを叩く。

 限界だ、少し休もう。コーヒーでも飲もうと立ち上がり、振り返ると、ツヤツヤのおかっぱ頭と、朱色の着物が視界に入った。おれが、白梅、と呼びかける前に、白梅は口を開く。そして、得意げに鼻の穴を膨らませて、言った。

「吾輩は睡魔である。名前は白梅という」



ありがとうございました。

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